冴えない顔の中年男が、遮二無二に陳列台の間を走っていた。 引きつった表情を浮かべ、何かから逃げるように後ろを何度も振り返りそのたびに速度を上げ走る。 それの始まりはある日の昼食どきのこと。 昼食でも買うかとふらりと立ち寄った、人影も疎らな閑散としたショッピングモール。 思えば、食事時なのにレストランフロアへ向かうエレベーターに誰も乗ってこないのは不自然だった。 鈴を鳴らすような小気味のよい音が鳴りエレベーターの扉が開く。 眼前の光景は―― 赤錆の浮いた手摺、タイル張りのフロアは泥に汚れそこかしこが砕けめくれあがっている。ガラス張りのディスプレイは割れ、そこら中に破片をぶちまけている。 そしてこの廃墟の住人は、口腔からよだれのように腐肉を零しモゥ探偵を迎えた。 なんのことはない、ここは屍人のレストラン。モゥ探偵が乗ったエレベーターは食事を運ぶシュートだったのだ。 モゥの手が、陳列台にあった埃まみれの陶器を地面にぶちまける。陶器の割れる音が木霊した。 ぶちまけた商品を蹴り飛ばし我武者羅にかける男、それを咎める人間はここにはいない。 脚に激烈な痛みが走った。あまりの痛みにもんどりを打って倒れるモゥ探偵。 少女がしがみ付いていた。少し傷んだよそ行きの服にパサパサに乾いてしまっている黒髪。濁った眼球が眼窩から零れ腐臭と共に糸を引き、頬まで腐り毀れ落ちかけた口腔がモゥのふとももを必死にしがんでいる。 ――ショッピングモールに響く絶望の叫び……それは激痛の悲鳴になり……、咀嚼音の中に消えた。† † 世界図書館からの依頼――暴霊域の排除 暴霊域があるのはインヤンガイ郊外に打ち捨てられたショッピングモール。 力のない浮遊霊さまよいでて、旅人が脅かされ逃げ出てくる程度のインヤンガイの基準であればさほど危険ではない。 しかし、その基準が適用されるのはあくまでショッピングモールの中だけである。モール中央に存在するエレベーター、此処だけは例外である。 エレベーターは門。それを潜るものはショッピングモールの真なる姿、暴霊域【コープスモール】に飲まれる。 【コープスモール】に関する情報は司書をもっても多くはない……インヤンガイにおける協力者メイ・ウェンティ提供の情報が以下の事項を示唆した。 調書――【コープスモール】について ------------------------------- 叢書『死霊祭事書』によって発生した暴霊域。 血と錆で赤茶けたショッピングモール、犠牲者とおもわれる多数の屍人が徘徊している。 陳列された商品は傷んでいるものもあるが使用に耐えるものも存在する。 コープスモールには出口は存在しない、『死霊祭事書』の破壊をもってのみ脱出できる。 『死霊祭事書』の所在は不明、【コープスモール】に存在することは確かである。 『死霊祭事書』――如何なる所以のものか人皮で装丁され、血で文字を綴り、臓物を寄り綴じた黒き霊力にあふれる書物。屍人の国で行われる祭りの諸々を記した書物、常人は手にとっただけで発狂すると言われた知恵ある禁書。 ------------------------------- なお本情報に関する対価支払いの採択を申請した際に、アリッサの頬が引き攣った事を付記する。† † 暴霊域に続くエレベーターの中には、黒いスーツに身を包むロストナンバーがいた。 一人はスーツを着崩した男、だらし無く壁によりかかり二丁拳銃を弄ぶ。 一人は糊の効いたスーツをパシッと着こなす女、エレベーター中央で軽く脚を開いた休めの姿勢。 「インヤンガイのイロは久しぶりだ、こいつが終わったらたっぷり可愛がってやらねえとな」 二丁の拳銃を弄びながら男は軽口を叩く。女は苛立たしげに咳払いをすると男を睨む。「……ファルファレロさん任務中です、軽口はほどほどにしてください。それと……女性の前でその発言はデリカシーに欠けます」「んだぁ? すかした女だな、相手されなくて拗ねてんのかよ? 安心しな俺は3人もいける口だぜ」 男は挑発するような嗤いを口元に浮かべ応えた。「脳味噌腐っているの、あなた? 下劣なマフィア、なんでこんなのと……」 心底呆れ返った溜息と共に毒を吐く女。「こんなのとは言ってくれるじゃねえかポリス風情がよ、腸ぶち撒けてゾンビの飯になりてえのか!?」 背筋のみで体を起こし狼の笑みを浮かべ恫喝する男。「暴力で脅し……、野蛮な人ね」 女の後ろ髪が跳ね、男を睨みかえす。 警官とマフィア、正義漢と悪漢、水と油、一事が万事全てがこの調子である。 共通点といえば黒いスーツと自分を曲げて譲るところがないところか。 際限なく続きそうな諍いを止めたのは、鈴を鳴らすような小気味のよい音。 咽返る腐敗臭と屍人の呻きが二人を迎えた。 ――ようこそ【コープスモール】へ=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>流鏑馬 明日(cepb3731) ファルファレロ・ロッソ(cntx1799) =========
赤茶けた血の跡と錆びついた空気が売りのショッピングモール、ウィンドウショッピングを楽しんでいるのは、ボロを纏い、身を動かすたびに発酵したタンパク質の匂いを漂わせ腐肉・汚液を溢れ落とし床に新たな斑を作る存在。 ハッピーな休日? をエンジョイする彼らの動きを止めるのは、鈴を鳴らすような小気味のよい音――ランチタイムのお知らせだ。 屍人達の喉の一部が崩れ落ち珍妙な音立て泡立った。涎のように汚液が止めどもなく流れ落ちる。黄色く混濁した眼球がモール中央のエレベータを見上げる。 今日の食事はサービスランチ、二人前の特別セットだ。 ‡ 着崩した黒スーツの男――ファルファレロ・ロッソは、体を揺らし緩々と近づく屍人達の姿をさも楽しそうな表情を浮かべ見ていた。 「ゾンビ退治たぁおもしれえ、はなから死んでんなら手加減いらねえ、おもいっきりやっていいよな?」 ファルファレロの腕は同行者の女――男とは対照的にぴしりと糊の効いたスーツで身を包む流鏑馬 明日の肩を軽く抱き、同意を求め嗤う。 含み笑いが漏れていた――こらえ切れない獣性が嗤いとなってファルファレロの犬歯の隙間から零れ落ちた。 手の感触と共に、男の衝動が伝わる。 明日の口から漏れたのは軽い嘆息、肩に回された男の手をやんわりと払う。 (……野蛮な人ね) 軽くはねた眉が言葉にしない内心を映していた。 猛る男を軽くあしらった女は、冷静な眼差しで周囲を認識し分析を行う。 (死霊祭事書がココの何処かに有るのは間違いない訳ね……ゾンビ……幽霊とは違うのね……少しみすぼらしい変わった人達、悪党なのね?) 確かに、みすぼらしいといえば称せぬこともない、腐汁をたっぷりすったボロを纏った姿。 (一見しても数えきれない……数が多いわ……囲まれるのは拙いわね。それに全てを相手にしていたら体力が持たない……やはり本丸……死霊祭事書を狙うべきね) 少数が多数と戦うための自明の理論、女は思考をまとめると傍らの男に向き直った。 「ファルファレロさん、死霊祭事書が有るのは暴霊が多くなっている所ではないかと思います。まずは……」 ――轟音が連続した、視界にあった忌むべき人型が崩れ落ちる。 ファルファレロは二丁の拳銃を屍人に向けていた。 一丁の拳銃――男に似合わぬ優美な銃身をした白銀の魔銃『ファウスト』が紫電を放ち、片割れの拳銃――無骨な鉄の自動拳銃『メフィスト』が紫煙を燻らせる。 二丁拳銃が上げる雄叫び、『もう少し視界の開けた場所で移動しましょう』と続けるつもりだった明日の言葉は、屍人の姿ともに硝煙の残滓へ吹き消された。 感に堪えぬと嗤いがモールに響く、男は屍人の群れに踊りかかった。 「おら! いくぞポリス女、楽しいパーティの始まりだぜ」 衝動に押され無策に動くかに見える男のありさま。明日は、頭を抱えたくなる衝動を辛うじて抑えてその背を追った。 ‡ ――スポーツ用品売り場 「おらおら、そこをどきやがれ腐れどもがよぉ」 蛮声と共に放たれたヤクザキックが、プラスチック製の籠を弾き飛ばし、黄色い球体をフロアにぶち撒ける。 屍人達は、目の前の生者以外興味を抱かない。足元に撒き散らされたテニスボールになど意識? を向けることなくただ本能に従い動く。 千鳥足の屍人の足がテニスボールを潰す、地面より柔らかで動きのあるそれは屍人のバランスを崩し転倒させる。前方で倒れた屍人になど糊塗しない後続の屍人は、腐肉に躓き倒れる。次から次へと屍人が倒れ、肉が積み上がり山となった。 「生ゴミは焼却処分だ」 宣言とともに、ファウストの引き金を引く。 放たれたのは紫電ではなく、目に止まることない魔の波動。 腐肉の油を燃料として火炎の陣が巻立つ。咽返るような腐臭がただよい、肉の焼ける匂いが染みた。 揺らめく朱を背に振り返る男は楽しげに両手を拡げ、同行の女に言葉をかけた。 「おいクソアマ……確かメイヒとか言いやがったか。さっきからだんまりじゃねぇか、怖かったら助けてやってもいいんだぜ? ただし、愛人契約しな」 ……呆れて声も出ない。 まぁよく考えなと言い捨て店舗の残骸を見渡す男の目が一点で止まった。 店舗の中央、一際大きなガラスディスプレイの中に黒色の板。 表面は黒鉄のように鈍く輝き白の斑紋が散っている、背面は和を思わせる画風、海洋哺乳類を捕食する巨大な魚の絵姿、先鋭的なデザインが漢の心を擽る。 ディスプレイボードに『鯱』と一筆されたそれは、まさに海のギャングと銘打つに相応しいスケートボードである。 男の窄めた口が歓声を奏でる。 「いいねぇ、ヘルズキッチンのニガーどもを思い出すぜ」 ファルファレロは銃把で躊躇いなくディスプレイガラスを叩き割った。 「ファルファレロさん!!」 ガラスが砕ける音に、反射的に非難の声を上げる明日。しかし、男の行為を咎める法など死と腐敗が支配するこの場には存在しない。 明日の正義感に嘲笑いを浮かべるファルファレロ。 砕けたディスプレイからスケートボードを取り出し、艶やかな光沢を見せる表面を指で撫ぜた。 「クソアマ、よく見てな。俺のゴキゲンなトリックに酔わせてやるぜ」 マフィアの足が地面を蹴り、海のギャングを銘打ったボードの車輪が床との擦過音を奏でる。 前輪を左右に振って加速するボードの前には、屍人の一群。 ボードは勢いを落とすことなくさらに加速。激突の瞬間、ファルファレロは激突の瞬間に膝を折り上体を反る。 鋭利なノーズが屍人の脚を切り裂く、姿勢を保てぬ屍人がファルファレロを抱きしめるように倒れこむ。 「下からたっぷりファックしてやるぜ、とっとと逝きな」 ファウストとメフィスト、連続した砲火が屍人を灰塵と帰した。 「こいつはまだ序の口だぜ、みてな!」 加速をつけたボードのテールをファルファレロの左脚が踏み抜く、ボードの先端が衝撃で跳ね上がった。 摺り足するようにボードを滑る右脚がノーズを水平に傾ける。 教科書通りの華麗なオーリー、ファルファレロを乗せたボードは手摺に跳躍した。 ボードは跳躍の勢いのまま片輪走行で手摺を滑り、ファルファレロの盲撃ちが屍人をなぎ倒す。 滑るボードの向かう先はエスカレータ。 ――獲物を狙う鯱が空中にはねた。 一拍の間……コープスモールを轟音が揺らす。 重力に引かれた男の体とスケートボードは着地点である二階のフロアにいた屍人を糞不味そうなミートパティに変えた。 顔面を庇い十字に組んだ腕の隙間から屍人達が覗く。 「おい、このショーはいい女専用だぜぇ、お客さん以外はお帰り願おうじゃねぇか」 嗤いを浮かべる男の口に犬歯が覗く。 ‡ 明日は唖然としていた、怜悧な見た目に反した暴風のように破天荒で無軌道な男の行動。およそ、彼女が触れたことのあるものではない。 とりあえずの動揺を収めるために、大きく呼吸をした。 死臭が喉を濁した……男の行動に比べれば、まだ当たり前に属するそれが胸のむかつきとともに落ち着きを取り戻させる。 (ファルファレロさんと合流しましょう、多勢に無勢せめて二人一緒にいなければ) 男が吹き抜けに姿を消すのは見えていた、明日は階下に下りるべく手近なエスカレータへ駆ける。 眼前の屍人は、ファルファレロによって直線状に駆逐されていた。だが、屍人は未だ面と広がっている。 屍人の間を走る明日の前へ血小板が傷口を塞ぐように屍人の群れが集まる。 ――――ッ!! 屍人を前にした明日の呼気が細く鋭さを増す。肺腑が気流の変化にキリと傷んだ。 軽い前傾姿勢、明日の体が左右に揺れ直線的な疾走に舞曲のようなステップが混じる。 直前の屍人まで歩幅にして三歩。踏み込んだ左脚を軸に明日の体が廻る、右脚が慣性に従って中空を流れ大きく一歩を踏み込む。 半身踏み込み、屍人に背中を見せた構えから旋回の生み出す慣性に任せ明日の体が中に舞う。 カポエイリスタ特有の円運動から放たれた低空の浴びせ蹴りが屍人の胴を背骨ごとなぎ払い両断、上体が吹き飛び屍人の群れに穴を開ける。 産み出した間隙に明日は飛び込み、その身を黒色の旋と化す。 両手をモールの床につき回転、両の脚に遠心力を加え、屍人達を弾き飛ばす 両の脚が再び床を踏みしめた時、その両手には収まるのは二丁の拳銃。 ギアの力によって尽きることを知らぬ衝撃は膜となって、前方の屍人を蜂の巣に変えた。 ‡ 魔を為す銃の圧倒的火線が屍人を焼却する、だがここは屍人の坩堝、十重二十重と層をなす腐肉の群れは数を増やしこそすれ減じる気配はない。 火陣が肉を焼き死骸が煙る、臭気が篭る煙にファルファレロの注意が一瞬逸れる。 ――反応が遅れた。膿がたまり黄濁した歯茎が振り向いた男の眼前にあった。 【必死】 致命の間合いから男を救うのは、空を貫く一条の黒槍。 エスカレータ中段からの飛びバク宙、錐揉み回転をつけた明日の蹴り脚が屍人の頭部を踏み抜いた。 「ファルファレロさん、大丈夫ですか?」 「ハッ、俺がゾンビ風情にやられるかよ、それよかそんなに俺が恋しかったか? 必死で追っかけてきてよ」 「こんな状況で、冗談はいい加減にして下さい」 呻き声――屍人の群れは彼らに悠長な会話を楽しむ時間を与えない。 周囲を囲む屍人に、二人は自然と背中合わせになる。 「私から離れないで近くに居れば、弾切れの心配は無いわ」 ギアである銃を挙げ、その特性を背中越しに男に語る明日。 「俺から離れたくないってか……いいぜ、ポリ公と協力するのは癪だが背中は預けてやる。てめぇも預けな!」 ‡ 女の手に収まった二丁の自動拳銃が火線を吐く。 薬莢が地を叩き、断続的に空を弾く音を立てる。弾丸は、屍人の脚部を砕き支持肢を失った腐肉の塊は、正面に向かうベクトルを失い床面に傅く。 重力に引かれ落ちる屍人の頭部を、女の爪先が蹴り上げる。屍人の自重と衝撃がぶつかり頭部が爆ぜた。 撒き散らされた腐肉が跳ね、明日のスーツを汚す。 38口径9×17の銃弾は、忌まわしき屍人を粉砕するには威力が不足。 弾を膜として放てば、それらを砕くことは可能ではあるが集をもって襲い掛かる屍人に対して後手になりすぎる。 明日は銃撃とギアによって強化された自らの武術を組み合わせることで、速やかに屍人を排していた。 背後からは紫電が空気を切り裂き、業炎が屍人を浄化する音が聞こえた。 三面六臂と行かぬまでも2×2の四丁拳銃となった二人の射撃が周囲の屍人を一掃した。 ――だが静寂の時は僅か 屍人の影は、モールのそこ彼処から溢れで生者を探し求め蠢く。 「きりが無い……。死霊祭事書を見つけなければ……」 「俺の見立てじゃ死霊祭事書は書籍売り場だ。本を隠すなら本の中って言うだろ?」 俄に焦燥を感じさせる女の言葉に、敷設された案内板の1F奥を示す一角を銃口で指し、ファルファレロは答える。 一理あると頷く明日に、ファルファレロがどっから取ってきたのか模造刀とハンカチを投げて寄越す。 「38口径は火力不足だ。それに、カチコミってつったらヤッパに決まってんだろ」 受け取った明日の表情は訝しげであった。模造刀はわかる武器だ……だがハンカチは何に使えと……? 「アァ!? ちったぁ、てめぇの服見ろよ」 苛立たしげな指摘、明日は自らの服を見直す。なるほど、ちょっとお出かけするには厳しい汚れと匂いだ。 「……紳士的なところもあるんですね」 「ハッ、ベッドの上じゃ保証しねえけどな」 ‡ 片手に拳銃、片手に刀。一昔前のアクション映画のような出で立ちの男と女がモールを駆ける。 閃光の糸が屍人の四肢を薙ぎ、銃弾が膝を砕く。女の手にある武器は、屍人から四肢を奪い無力な呻きを上げる塊に変えた。 男のそれは、さながら屍人を撲殺する鈍器。スケートボードが四肢を失い這う屍人を轢き潰すし、体重を込めた鉄塊の一撃が腐肉を生ゴミへと変える。 ――赫赫たる壁。 後手に放たれたファウストの炎陣が後背を追う屍人と二人を引き裂く。 視界にフロアの端が見えた――書籍売り場は直下。 ファルファレロの口が歪む。耐え切れない危険と破壊衝動への衝動が表情を作る。 表情だけでありありと意図が分かった。だが今度は呆れも動揺もせず男のペースに合わせる。 ファルファレロと明日はフロアの端から飛び書籍売り場の屋根をぶち抜き階下に落ちた。 ‡ ――書籍売り場 モール1Fの一角、ここは屍人達の臭気は少ない。 代わりに落下の衝撃に巻き上げられた古書独特の埃と紙がないまぜになった香りが漂っていた。 「全部、焼きゃ泡食って出てくんだろうよ」 ファルファレロが銀銃の引き金を引く。音もなく現れた火種が燃えやすく乾燥した古紙を炙る。 死霊祭事書が此処になかった時のことなど考えない無思慮でかつ突発的な行動。 極わずかの付き合いではあるが、彼の無謀を阻止不能と十分に理解した明日は消化器の位置を確認し脱出経路を頭に描く。 視界が暗褐色にゆがむ、水風船が壁で割れるような音が響き血の飛沫が方方を彩った。 宙が割れ、嗅ぎ慣れた腐臭とともに屍人がこぼれ落ち、肉体で火陣を鎮める。 止めどもなく零れる屍人は、折り重なり一つの形となった……顔のない巨大な人間の上半身とでも称すべき異形の肉塊。 頭頂部には心の臓がごとき脈を打つ直方体――死霊祭事書が埋まっていた。 口なき頭部から軋むような咆哮が上がる。肉塊の両腕が強烈に打撃されフロアタイルが飛沫となって散る。 二丁の拳銃が散弾如き欠片を弾く、銃弾の後を追い、間合いを詰めるファルファレロの刀が肉塊の腕に沈んだ。 腐肉を引き裂き、刀は付け根まで肉塊に沈む。切り抜けようと力を込めると強烈な反発。融合した屍人達の腕が刃を掴んでいる。 微動だにしない刀、危険を感じたファルファレロが手放そうとした刹那――肉塊の腕が上がり男の体を投げ捨てる。 書架が肉弾によって爆ぜる音が何度も聞こえた、紙片が舞い、濛々と煙が上がる。 「ファルファレロさん!?」 思わず声を上げる明日に、悪態のような呻きが返事をする。 間隙を埋め肉塊が迫る、横飛びに飛び退りながら明日は銃の引き金を絞る。 銃弾が肉塊の頭部に爆ぜる、明らかな弱所に書物本体を狙った射撃。 だが、その威力は表面の腐肉を散らすのみで何の痛痒も与えることがない。 絶望的なまでの火力不足……0距離での連射、あるいは刀を突き入れば届くやもしれない。 だが遙か上方にある書へ実行するには現実味があまりにもなかった。 強かに打ち付けられたファルファレロの体が痛みに悲鳴を上げる。 手探りで眼鏡の位置を直した、フレームが歪まなかったのは僥倖であった。 「ざけやがって……肉玉風情が」 スーツが木片で傷ついてる。マフィアの怒りが助長された。 立ち上がろうと地面を付いた手に金属の触感が触れた。 何故こんなものがあるのかと問われれば、彼の激情に応えるためとしかいいようがない。 明けの明星の名を冠した星型の殴りつけるもの――巨大モーニングスター 悪夢の夜明けを告げる一番星を握り締める男の表情は悪魔的嗤い。 ‡ 銃撃は肉塊に痛痒を与えず、刀の末路は既に見えていた。 明日は焦燥の表情を浮かべながら肉塊の手をかわし続ける。 (打開策がない……) ステップを踏み後退する女と入れ替わり現れた鉄塊が肉の手に埋まる。 大きく仰け反る肉塊……子供程ある巨大な星球が肉塊の腕を粉微塵に砕いた。 腕を失った巨躯が吠え猛る。 空を割り、こぼれ続ける屍人が徐々に新たな腕を形成していた。 「おい女、ちょっと耳かせ。協力プレイだ……こいつは俺一人じゃ手に余る」 再生する肉塊を一瞥、ファルファレロは星球を背に背負い明日に耳打ちをする。 そしてついでとばかり、女の耳朶に舌が触れる。 女の顔が紅潮し激昂した言葉が吐かれる。 景気づけだと男はげらげら笑うと肉塊に目掛けてかける。 ファルファレロの高笑いと共に鉄球が流星となり巨躯が腹からへし折れる。 ファルファレロは。星状棍を投げ捨てると銀の魔銃を抜き放った。銃口から生成された魔術は地盤沈下。 体制を崩した肉塊の頭部が下がった。 「女!! 今だ!!」 ファルファレロの掛け声と共に明日が男の背を蹴り飛ぶ。一気呵成の突きは肉塊の頭部を貫き、刀身が書に迫る。 一寸足りない、柄本を腐肉が咥えギリギリの分水嶺を作る。 (なら!!) 明日が拳銃を抜き打ち、刀の柄を連射した。 通常であれば柄が銃弾の威力と腐肉との均衡に耐えれず砕ける行為……だが明日のギア、その特性は武器の不壊。 壊れぬのであれば衝撃を伝え続けるしかない、刀は残り一寸を埋めた。 ‡ 何重にも聞こえる断末魔の叫び声が響いた。 肉塊でできた人型は、ボロボロと姿を崩し地面に溶け消える。 刀に貫かれた書は、燐を上げると燃え瞬く間に存在を失った。 風景が徐々に崩れていく……支配者を失った仮初の空間が消える。 十を数える間もなく血と錆で汚れた屍人のモールは消え、風化したショッピングモールの廃墟となった。 その場に残った影は二つ、男は馴れ馴れしく女の肩に手をかけた。 「女の癖になかなかやるじゃねぇか、てめえ気に入ったぜ。これから一晩付き合えよ、最高にイイ夢見せてやる」 それに応える言葉は……。 --了--
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