「よぉコタロ、最近調子はどうだ? よろしくやってるって聞いてるぜ」 皿の上のおでんをつつきながら、傍らに座る友人の肩をやっかみ半分に小突く。「……ティーロ殿。自分は……特にそのようなことは」「言うねぇコタロ先生、撫子と一緒にアキバに行ったって聞いてるぜ、あとおっかねえ女軍人とも二人仲良く訓練してるらしいじゃねえか」 (……流石情報魔法に長けたティーロ殿、耳が早い。しかし……少々語弊がある、正さねば) 変な関心をしながらコタロは言葉を返す。「……川原殿は過日の礼とのことだ……他意など……ない。……ハーデ殿は轡を並べる機会が多い……故にだ」「あーわかったわかった、そういうことにしておいてやるよ。しっかしよ、俺は今日び難聴系の主人公は流行らんと思うぜ。この本の主人公がそれっぽいんだ、貸してやるから読んでみろよ」「おやじさん、熱燗を頼むあとちくわぶ二つな。コタロはどうするよ、まだいけんだろ?」 だいぶ出来上がりつつあるティーロが、普段よりも親しげにコタロの肩をバンバンと叩く。 鍛えあげられた軍人の体は魔術師が叩いた程度では揺らぐことなく、御猪口を傾ける。「自分も熱燗を…………ティーロ殿、何か要件があったのでは?」 魔術師とは異なり素面で軍人は答えた。「おっと、わりぃわりぃ忘れるところだった。今度ヴォロスにある無人の古城に竜刻を回収に行くんだ。特に障害もないちょろい依頼なんだが一人で行くのもなんかつまんねーし、一緒に行かね?」「…………ティーロ殿、……自分BLには興味は……」 ……酔ってた。「……お前どこでそんな言葉覚えたんだよ……」‡ ‡ 古城までの道のりは容易であった。 司書から手渡された地図を元に、冗談交じりの会話をしながら密林を抜けた。 世界司書の話では、古城は数百年前に何らかの事件があり滅びたそうだ。 その事件によるものだろうか古城の中には、此処で果てたのだろう幾多の鎧が散乱していた。 ――幾つかは散弾を浴びたような風穴が空き。 ――幾つかの死体は何故か生々しい姿を晒し、空虚な頭蓋を見せていた。「……こりゃヤナ感じだな、一人できてたらチビっちまってたぜ」 冗談交じりのティーロだが、彼の鋭い直感はこの城に対して強烈な違和感を覚えていた。 この城は死と凄惨の色が強すぎる。「……ティーロ殿、……ここは……本当に危険はないのか?」 コタロの声に緊張が混じっている、彼の戦人としての勘も危険を感じ取っているのであろう。「ま、まあ大丈夫だろ。お、ここ書斎みたいだぜ。城の情報もわかるだろうしちょっと調べようぜ」‡ ――古城の奥深くにある居室、ティーロとコタロの姿を水晶球越しに眺める影が二つ。「ねえねえお姉さま、お客様が来たみたい」 相貌を隠した黒いベールから覗く艶かしい濡れた口唇から高い声が漏れる。「珍しいわね…………あら、なかなかの殿方ではないかしら?」 姉と話しかけられたのは、青い眼球と長いブロンドを除く全てが躰を纏う黒に沈む人型。 それの輪郭線は薄っすらとぼやけ、落ち着いた口調の声はエコーがかかったように震えて聴こえる。「でしょ? 私はこっちの金髪のお兄さんのほうが好みかなぁ? 自分を抑えこんでますって感じがたまらない。もう少し近くに来ればもっとよくわかるのに……」 黒いベールの女性? が水晶球に張り付きロストナンバーの姿に見入る。「レティ、貴方はもう少し淑女としての振る舞いを身に着けたほうがいいわ。折角殿方がみえてもガッカリされてしまうわ」 窘める彼女の声には相変わらずエコーがかかり、周囲の大気が震えて見えた。「はいはいお姉さまは淑女で私はがさつですよー。で、お姉さまはどっちのほうが好み?」 呆れたような嘆息……それでも女は水晶球を指差す。 黒い指先……否細かく黒い甲虫の集る指が水晶球に映るティーロの姿を示す。「ふーんお姉さまって、ちょっとファザコン趣味よねぇ。まぁ好みがかち合わないのはいい事かな?」「…………レティ、準備なさい。お客様を待たせては失礼に当たるわ」 黒いベール女性の言葉に、言い返す女。言葉に軽いいらだちがこもっている。「図星つかれて怒らないでよね、お・ね・え・さ・ま」「……レティ?」「はいはーい分かりました直ぐ準備しますよーだ」 二人は客人を迎えるために居室を辞した。‡ ――もはや時間がなかった、亜人共は我々を根絶やしにするつもりだ……兵力に劣る我らにはこの方法しかない……触媒には魔力を宿した人間が必要だ。 ――どこで知ったのか娘らが嘆願してきた、国に身を捧げるのは王族の努めだと。……私はなんと愚かな王であろうか。 ――術式を開始した……気丈に笑みを見せるステラの顔に震えを抑えることはできなかった。 手記の日付が飛ぶ。 ――術式は失敗した、あの娘らは支配呪文を受け付けぬ人食いキメラとなった。中途半端に娘の意識を残した化物に私は絶望するしかなかった。 ――私は無能な王だ、娘を化物に変えなお国を守ることができない。この国は滅びる……亜人共ではなく彼女らの手で。「いやだねぇ……こういうは」「…………」 共に国に仕えるものであった二人だからこそ共感できるものがあったのだろう、ティーロが手記を閉じると沈黙が書斎を支配した。 ――書斎の扉が揺れ軋む 音に気づいたティーロとコタロが振り向く先には二つの影。 目と髪を除き全てを黒とした輪郭線が歪む人型。 黒いベールに相貌を隠したドレスをきた女性。「こんばんは、旅の方。申し訳ございませんが、ここはお父様の私室なので退出頂けるかしら?」 ティーロの背中は脂汗で濡れた。女の声にはエコーがかかる――黒い人型に集る虫の羽音で。「あはは、この人やっぱりいいね。すごく好み」 黒いベールの女性は……否、コタロの目にはそれはもはや別物に写っていた。「よろしければこちらで休んでいかれては如何でしょうか旅の方……粗末ですが食事の用意もできますわ」 脂汗混じりのティーロは理解した、その言葉に従えば自分たちはここで永遠の休息を得ることを。‡ ‡「あれー? おかしいなぁこのチケット、ティーロさんに渡したはずなのに……。ああ、あれ? この十枚綴りのチケットなんで二枚足りないのかな???」 エミリエは一寸思案げに首を傾げるが、直ぐに忘れチケットを破り捨てた。 ティーロとコタロのチケット、それはロストナンバー十人を要するS級戦闘依頼と入れ替わっていたのである。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ティーロ・ベラドンナ(cfvp5305) コタロ・ムラタナ(cxvf2951) =========
装束がごとき蟲をまとう女は羽音を鳴らし部屋に入る。蟲の存在を無視できるならば、その所作は儀礼に習った典雅なものであった。 後ろに付き従っている、コタロに良く似た軍装をした金髪碧眼の女性が部屋を覗きこむ。 (やべえ……) 彼女らの所作はごく日常的なものであったが、ティーロの背筋に凍てついたものが流し込まれた。 ――それは幾多の修羅場で感じた悪寒……死域。 「コタロ! こいつらやべえ!!」 直感に従い叫ぶティーロは、珍しく茫然自失の体を見せる傍らの友人の肩をぐいっと掴むと風を纏い空間に溶けた。 一瞬で二人の姿は消失し、術の残滓が小さな木枯らしとなって書斎の紙束を巻き上げた。 「狼藉者だったみたいね……逃げたかしら? レティ」 蟲の女は傍らの妹に尋ねる。 軍装の女は、微かに瞑目し意識の手を広げた。 ――手ごたえはすぐにあった。 「見つけたわ、お姉さま。エントランスに精神波が二つ。…………逃げる気はないみたい」 「そう、では始末しないといけないわね。……ここが荒らされなくて良かったわ」 蟲の女は、一息安堵らしき息をつく。もっとも羽音に隠されるその所作に気づくのは彼女の家族くらいだが。 「…………ファザコン」 ‡ ‡ 二層になった古城のエントランス、上層に続く階段の途中に古城の主であった家族の肖像。 中年の夫婦と共に描かれた凛とした女性と快活そうな女性の姿が、空間を割って姿を現したロストナンバー二人を見下ろしていた。 (幸せな時間を封じ込めましたってか……クソッ……、手記の内容を鑑みるに、この絵の二人があいつらってことか。エミリエめ……予言と全然ちげーじゃねえか) 聞こえなくなったはずの蟲の羽音が脳裏にこびりつき、ティーロの思考は荒くなる。 砕けた柱を支えに深く息をつき、動悸を無理やり抑えこむ。 エミリエの誤謬はあとで文句を言えばいい、まずは現状を把握――。 口笛のような音がティーロの口から漏れる――それは風の精霊に語りかける呪言。 ティーロの呼びかけに答えた風の精霊は幾多の心象を返した。 ――ステラは、蟲に覆われた化物になってしまった。あの蟲は危険……鎧の人が穴だらけになった ――ステラは、すごい力持ち。屋敷の柱を彼女が粉々にしてしまったの ――レティシアは、姿を変える化物になってしまった。でも自分の姿にはなれないの ――レティシアの手に気をつけて。頭に触られると脳みそをとられるよ ――二人のこと大好きだったけど彼女達は変わってしまった、私達の入れない地下に入ってから彼女達は変わってしまった ――二人は城の人達を全員殺して食べてしまったわ……どうしてこんなことになったの? ――ねえ魔術師さん、魔術師さん、私たちはこんな光景見たくな―― ティーロに語りかける精霊の言葉が掻き消えた。 風の精霊は本質的に臆病だ。 エントランスの上層に姿を現した城の主――化物の姉妹に恐れをなして逃げたのだろう。 「旅路でお困りの方かと思いましたが、盗人風情でしたか。罪には罰を与えます、覚悟なさい」 姉の化物が声を発する、城の主と呼ぶに相応しい凛とした態度であった。羽音によって揺れる音声と蠢く虫によって歪む輪郭線さえ除けば。 「お姉さま、私の獲物はあっちの人でいいよね?」 「……好きになさい」 後ろ髪を軽く引き尋ねる妹に憮然とした息を吐きながら姉は言葉を返した。 ‡ 蟲を纏う女の腕がスラリと伸びティーロを指し示した。熱した鉄に水が弾けるが如き音が鳴り、彼女の装束――魔甲虫が空を穿ち飛翔する。 魔術師の口から笛のような呪が漏れ大気を揺らす。呪はティーロの姿も揺らし大気に溶解させた。 ――羽音に反射的に唱えた短距離転移 揺らぐティーロの姿は、空間を渡り数m先に現出した。 間一髪回避した甲虫の体当たりはエントランスの床をチーズ片のような風穴だらけに変える。 ――人の重さが床を叩く 青白い腕を晒す女と軍装の女がエントランス上層から身を躍らせ、ロストナンバーと同じ地平におりる ゆっくりと間合いを詰める二人を見据えながらティーロが傍らの軍人に言葉をかける。 「コタロ、いいかあいつらの能力は……」 しかし、軍人は相方の言葉に反応を示すことなく、軍装の女の姿を凝視したまま微動だにしなかった。 「おいしっかりしろ、コタロそいつは敵だぞ!!」 「無駄です、あなたの声は聴こえません。あの子の幻覚は外部からの刺激を遮断します。それより貴方はご自身の心配をされたほうが良いですわ」 蟲の女の言葉がティーロに届く速度で、甲虫の羽音が空を穿ち、鋼鉄の散弾宛らに甲虫が飛来する。 ティーロの叫びはエントランスに響くことなく、風の残滓と共に甲虫の羽音が掻き消した。 コタロの両眼はこれ以上ないほどに見開かれていた。近づいてくる人物の姿を凝視したまま動くことができない。 エントランスの上層から軽快に身を躍らせ、ゆっくりと自分に近づく人物――自分と同じ蒼国人特有の金髪と蒼い眼、軍服に身を包み鋭い顔つき……それでいて浮かぶ表情は親愛を感じさせる笑み。 (…………サクラコ) 発しようとした言葉は大気を震わすことはない。乾ききった喉に言葉が張り付き、言葉の代わりにひりつくような痛みを発した。 「どうした、コタロ。顔色が悪いぞ?」 覚醒前の記憶の残滓、閉じ消えるはずだった意識に残ったそれと寸分違わぬ声がコタロの耳朶を震わせる。 既にコタロが立つ風景は、古城の其れではなくなっていた。 青く晴れた空は少し寒々しい、草木が薄く岩肌が見える地面、まばらに生える針葉樹の葉が峻嶺より降りる風に揺れた。 ――蒼国の……いやコタロが最も長い時を過ごした場所。 サクラコの後ろに見えるのは懐かしい光景……人生の大半を過ごした孤児院。 「この前の遭遇戦で随分戦果を上げたそうだな。叙勲されるんだってな? ソブイ先生が珍しく褒めていたよ」 両手を広げ親しげに語りかけるサクラコ、彼女の発した『ソブイ先生』という言葉がコタロの脳に浸透すると同時に孤児院の前の風景がゆらぎ、鷲鼻で小柄な男――老境を迎えた師の姿が滲み出た。 現出した師は年輪の如き皺の刻まれた表情に微かな笑みを浮かべている。 自分が殺した師が笑いかけている、自分を殺した友が笑いかけている、二人が自分を認めてくれる。 もはやありえないはずの光景――だがコタロが求めていたセカイ。 コタロの精神は幻覚に捕らわれ現実との境界を失っていた。 幾度と無くティーロの姿が揺らぎ風に溶ける。 風に紛れ距離をとるが稼げる距離は精々が数m。音の速度でティーロを追いすがる甲虫から逃れるには拙い。 (くそ!!) 舌打ち一つ、ティーロは自らの行動に焦燥感を感じていた。 相手の力が計りきれない、情報を積み上げ確実な勝利をつかむのがティーロ本来のスタイル……だが虫の羽音が情報の分析よりも反射的な逃避を選択させる。 ランダムな短距離転移がエントランスの其処彼処に旋風を起こし、高速で飛翔する虫が風をかき乱す。 転移の残滓が残すティーロの影を、甲虫の羽音が次々に貫いていく。 「ちっくっしょおお、こっちくんじゃねえよ!!」 ティーロが叫びとともに両手を突き出した。 轟と鳴る見えざる風の衝撃がうねりと共に瓦礫を巻き上げ、甲虫を弾き飛ばした。 ――粉塵が上がった。耳うるさかった羽音が一寸止まる。 安堵するティーロに冷水を掛けるのは蟲の主の声。 「この仔達ばかりを 気にしすぎですわ」 粉塵を破り眼前に女の姿が現れる。蟲の装束を完全に脱ぎ捨てた生まれたままの姿。青白く滑らかな裸身は一見であればティーロの意識を別の意味で奪ったであろうが、皮下に薄っすらと這いまわる幼虫のような姿がそんな感情を喚起させない。 瓦礫が砕ける音が響いた、人にあらざる力で踏み込んだ裸足が床石を砕き石片の中に埋まる。 鮮血が舞い散った。守るもののない足は石で裂け飛沫を上げる、女は手刀を無造作に振り下ろした。 ――交錯は瞬き一つ 鋭い呼気が風の精霊に呼びかける。見えざる空気の盾が女の手刀を阻む。 肖像画のままの引き締まった口に凛とした表情、少し切れ上がった蒼い眼に宿るのは強い敵意。 空気の盾が手刀を防いだのは、脳がその顔つきを認識する程度の短い時間。 精霊の悲鳴と共に空気の盾は弾け、ティーロの体は打ち出された砲弾のように吹き飛びエントランスの壁に叩きつけられ、瓦礫がその姿を埋めた。 ‡ 「どうしたコタロ? 今夜はお前が主賓なんだ。もっと楽しそうにしなよ」 孤児院の周りに共に育った人、共に蒼国の戦場を駆けた輩の姿が浮かび上がり一様にコタロの名を呼ぶ。 「また一緒に戦えるな――この国のために」 望んでいる筈の言葉が、コタロの心根を錐のよう穿つ。 ――皆が私心を捨て国のために戦う、それが誇りだと教えられ信じていた。 ――言われるままに戦場を駆け抜け、『敵』を打ち倒すのが忠誠だと信じていた。 (…………サクラコ……ソブイ先生……俺は) ――国は友を切り捨てた、師は国のために友を殺すこと選択した。コタロは裏切られそして裏切ったのだ、信じていた忠誠、そして誇りに。 覚醒によって拾った命は苦痛の延長でしかなかった。せめて何も考えずにすむ戦いの中で死ぬ、それだけが望みに変わった。 ――歯車ならばただ回ればいい、ただ周り擦り切れ壊れてしまえばいい。 幾多の戦場のうちの一つに過ぎなかった永久戦場、彼の地は故郷と同じ空気を感じさせた。 世界のために命を駆け戦い散っていった兵士達に共感を覚え、憧れた。 今なき朱き月の戦い、その身を賭してまで立ちふさがった少女が見せた覚悟とはなんだったのか。 ――ただ守りたかっただけなのだ、友を家族を故郷の皆を コタロが気づかずに望んでいた生き様、命を賭すのは傍らにある大切なものを守るため―― サクラコの手がコタロに伸びる。 死を告げる腕がコタロを優しく迎える。 ――パチンと皮膚を弾く軽い音が鳴った 弾いたのはコタロの手、弾かれたのはサクラコの手。 幻覚の世界が色褪せる。輩の姿が師の姿が風景に溶け見慣れた景色は色を失い古城の姿へと変じていく。 目の前のサクラコの似姿は、コタロがついぞ見たことのない驚愕を表情に刻んでいた。 (……自らの成した罪科は贖えない…………もはやあの日に戻ることはできない。……そうだ) 薄れる幻覚とともにコタロは心中の故郷が色褪せていることを自覚した。 忘れたわけではない、同じくらい輝くものが自分の胸の内にあることに気づいたのだ。 コタロのクロスボウから幾筋かの矢が放たれ、サクラコの姿を失った黒いベールの女に埋まる。 ‡ ‡ (くそ! 精霊ごと吹き飛ばすたあ、なんて馬鹿力だ) 体の上に折り重なる瓦礫を、術の風圧で吹き飛ばし首を振る魔術師。 体の節々は打ち身に痛むが大きな怪我はない、手刀に吹き飛ばされながらも何重にも張った風の障壁が辛うじて彼の身を守っていた。 エントランスでは、数拍の間を挟んで化物と友が対峙していた。 コタロが符の力を帯びた矢を散弾のように射出する、後手にベールの女を庇った蟲の女は微動だにせずその攻撃に身を晒した。 数度の爆光が炸裂するが、巻き起こる粉塵から覗く蟲の女には微瑕すらない。 チチチと囀るような音がコタロの口から漏れ、途切れる。 隙のある詠唱を逃すほどに眼前の敵は甘くはなかった、攻撃の手が緩めば虫が襲い掛かる。 (……勝機は化物が動かぬ今……ならば) 不退転の決意を固めたコタロの背中を風が押す。後ろからコタロの肩に腕が絡んだ。 「慌てんなコタロ、オメエ一人でやる必要はないぜ」 「……ティーロ殿……すまん」 友の言葉にコタロは謝罪の言葉を述べる。 「気にすんな……作戦会議だぜコタロ、あいつらのことは風の精霊に聞いた。俺に考えがある…………いけるな?」 耳打ちされた作戦はいささかの無謀も感じたが、それでも勝算はある。 「…………了解だ、ティーロ殿」 コタロは強く首肯する。 「おっとそうだコタロ、矢を貸せ」 コタロが無言で数本の矢をティーロに手渡すと、ティーロはその鏃をおもむろに自分の左腕に差し込んだ。 吹き出す鮮血が明るい蛍光色の服を暗い朱に染める。心音と共に体内に響く痛みは外の雑音を廃するには十分な効果があった。 「いってぇええええ、…………けど、耳障りな音はどっか行きやがった、意識がしっかりしてきたぜ……いくぜコタロ」 「……レティ大丈夫ですか?」 数本の矢を受けて蹲る妹に心配気な声をかける。 「大丈夫お姉さま、幻覚が破られたのに驚いただけ。あいつの弱点は分かったから……」 ベールの女は腕から矢を引き抜き、その姿を変容させる、蟲の女も腕を伸ばすと纏わりつく魔甲虫を打ち出した。 風の精霊に運ばれたクォレルが、褐色肌の戦士に姿を変えたベールの女に迫る。 投擲ではありえぬ変幻自在の軌跡が女の顔と両手首を狙い飛翔し……両断された。 いつの間にか女の手に握られた片手半剣の一閃が無造作に矢を切り裂く。 蟲の女が支配する甲虫が飛翔した、過たず魔術師と軍人の姿を貫くはずのそれは大きく逸れエントランスの壁に風穴を開ける。 ティーロから口笛を吹くようなに呪言の詠唱が漏れていた。 人の可聴域を超えてなお響くその呪言は、大気の起こす微細な振動となって甲虫の飛行感覚を撹乱していた。 ――遠隔よりの交錯は雌雄を決するに至らない 一足飛びに間を詰める褐色の女戦士の鋒が軍人の体に迫っていた。 太刀筋は精緻にして強力……過去に見えた幾多の怪物程の攻撃ではない。 だが、捌ききったはずの刃が肌に触れる、体をずらし回避した筈の場所を先読みするように刀身が存在した。 軍装が裂け、鋒が血に濡れる、訓練されたコタロの体は、それでも反射的に体を捩り致命傷だけを避ける 密接した交錯は一方的であった。 巧みな剣術だけによるものではない、ティーロの補助魔法を受け翠色に輝くコタロのボウガンは一撃も放たれていない。 女の太刀筋は攻撃が来ないことが分かりきっているかのように防御を考えず鋭い。 (……戦闘訓練だ……コロッセオの訓練と思え……コタロ) 「訓練ならば攻撃できるかも? ……それならこれでどう」 言葉を発しているのは褐色の女戦士ではなく、GSの制服を着た女 「似姿でも攻撃できないんでしょ、躊躇いの声が聴こえるわ。大切なものを傷つけたくないって叫んでる……そういう人大好きよ」 眼前の女が発する、聞き慣れない口調の聞き慣れた声色。 コタロの心に生まれた動揺は致命の刃を交わすことを許さなかった。 「コタロ!!」 飛沫をあげて体勢を崩す友の姿を凝視しティーロは声を上げる。 大きすぎる隙、それを見逃す化物でもなかった。 「……これだけ接近すれば小細工も関係ありません。チェックですわ」 間を詰めた蟲の女から甲虫が剥離しティーロの全身を覆った。 ‡ ‡ 「あーあ蟲に食べさせちゃったの?……お姉さま、お腹すいてもこっちはあげないからね?」 GSの制服姿の女がからかうように声を上げる。 「狼藉者が優先です……空腹は我慢ができることでしょう?」 「はいはい、お姉さまは優等生ですね……さて、あなたそろそろ抵抗はやめない? 力を抜けば幸せな気持ちのまま終わるから」 血まみれの鋒をぷらぷらとしながら膝をつくコタロに言葉をかける。 「既に決着はついています。……いかな狼藉者であっても抗わぬものを苦しめる道理はありません……彼女の言うとおりにしてください」 「全くだ、決着はついてるぜ、淑女様」 蟲の中に消えたはずのティーロが背後に現れる、その手には煌々と光を発する竜刻――ラップの破片が纏わりついていた。 「お前らがこの城を離れないのは、動けない理由があるからだ。力の源となるコイツとな」 決着までの時間は瞬き一つ、最後の呪文の詠唱は終わっていた。 鳴動する竜刻が姉妹を捉える――元素崩壊。姉妹の体から粒子のような光が漏れ風解する。 「…………」 姉妹はお互いを見つめ、肖像画を見上げると口が言葉を紡ぐように動き、崩壊する原子の発した白熱光と共に無に帰った。 無音の風がティーロの体を撫ぜた。 「何か言ったか? 今、耳の周り無音にしてんだ。羽虫の音がうるせぇんでよ……」 ‡ ‡ ――ロストレイル号 いつも以上に寡黙なコタロの様子を不機嫌と取ったのかティーロがのべつまなく言葉をかけていた。 「悪かったって、エミリエがいい加減なこというからさぁ……。いや、わかったよ、おでんおごるからさ、許せよ」 別に機嫌が悪いわけではなかった、コタロの耳には届いた最後の言葉。 自らを捨ててでも救いたいものを持っていた彼女らは、自分と同じ国の歯車だったのだろうか。 自分とは違う……そんな気がしたが彼女らとの違いはよく分からなかった。 「なあコタロよぉ、あんま考えすぎんな。誰だって手の届く範囲は決まってんだ、おめえはおめえのできることをすりゃいいんだよ」 「ティーロ殿……そうだな」 年嵩な友人の言葉は、あたかも自分の心にあつらえられたもののようにすっと収まる。 コタロの表情は少し緩んだ。
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