整然と並ぶ軍靴が凍りついた大地を削り、霜混じりの土が砕かれ、ざりざりとした音を立てた。 ここはカンダータ人類圏西端の都市ディナリアより200km余り、先頃確認された地上へ抜けると思われる隘路。 地上から吹き抜ける大気は地下都市にはない気候――雪を運び地面を白に染めている。 カンダータにおいて地上とは、はるか過去に住まった人の故郷でありマキーナという名の獄卒に溢れる煉獄である。 辺獄を征くのは車輌を伴った小隊規模のカンダータ兵、その足取りは重い。 隘路は撤退経路であったのだろうか螺旋を描きなだらかに地上へ続く道には特火点の残骸。 壁面に残る瑕、人型に残る影、形だけ残した兵器の残骸が隘路の刻んだ歴史を思わせた。 隊列から伸びる投光器の光が、隘路の先から照りつける陽光に混ざりそれと分からぬほどに溶ける。「赤いな……これが空か」 道を抜けたカンダータ兵の視界一杯に地上の風景が広がった。 ‡ ‡ ――世界図書館の一室 いつも通りキビキビとした様子の世界司書リベル・セヴァンがロストナンバーへ依頼の説明を始める。「みなさん、カンダータより我々へ援助を求める依頼がありました。まずはこちらを御覧ください」 リベルがマイクロチップを立体映像機に収めスイッチを入れると、集まったロストナンバー達の前に映像が浮かび上がる。 「私はカンダータ西戎軍第弐連隊隊長兼ディナリア執務官のグスタフ・ホルバイン少将だ。まずはディナリアにおける貴君らの数々の協力に謝辞を述べさせていただきたい」 映像の主、幾つか勲章をつけた真新しいカンダータ軍の礼装を着た巌のごとき大男は見た目にふさわしく重々しい口調を吐くと深々と一礼した。「さて、早速だが本題に入らせて頂く」 男は一拍、深い息をつくと話を始める。「我々が居住するディナリア近郊に、地上への路が発見された。貴君らも周知かもしれないがカンダータの地上はマキーナの住処、看過することはできない。早速、先遣調査隊を派遣したが、空を見たという通達を最後に連絡が途絶えた。我々ディナリア首脳部は火急の事態と判断し、精兵による二次調査隊を派遣することを決定した」 演説慣れした男の朗々とした声が室内に響く。「作戦に関しては簡易な資料を司書殿に手渡している、後ほど目を通して頂きたい。 調査隊の目的は、大きく三点。 一つは隘路の地形把握 一つはマキーナの戦力調査 もう一つは早期警戒のための拠点――前哨基地の設営。 これら三項は密接に関係があるが、最も重要な作戦目的は前哨基地の設営だ。最も有効と判断される位置に設営をしてもらいたい」「重大かつ困難を極める任務であるが、世界図書館諸氏の協力を是非に仰ぎたい」 立体映像の男が再び頭を下げる礼の形を取り……映像は消えた。「ディナリアと呼ばれる地下都市は奪還にロストナンバーが大きく寄与しています。そのため、ロストナンバーを評価しており力を貸して欲しいと考えているようです」 立体映像装置の電源を切りながらリベルが淡々と説明を加えた。「過去の件もありますので、カンダータへの協力を躊躇われる方がいるかも知れません。申し訳ありませんが最低限内心を抑えることができる方のみ参加下さい」‡ ‡ ――ディナリア司令室 明かりの消えた部屋の唯一の光源、映像が途切れ砂嵐状になったモニターが男の影を浮かび上がらせる。「セルガ……不満か」 数十年にわたって背後に居続けた男の感情は見ずとも知れていた。「……隘路をふさぐことは適いませんか?」 陰る部屋では男の表情は分からない、返答は決まっていた。それが不満を伴うものであっても。「……ミズカに発破用の爆薬を準備させている。だがそれは最後の手段になった、……ノアから要請が来ている」「地上に前哨基地を構築せよ……ですか? お世辞にもディナリアは安定したとは言えません……時期尚早過ぎるのでは?」「ノアのタカ派共はそう思ってねえ、それに足りなければ数字を提示しろとよ。まあ、やつらからすりゃディナリアは棚から牡丹餅だ。ノアでの発言力もいや増しだろうよ……おかげでディナリアにも資材が回るようになったがね。……あいつらは守旧派をつぶすために次の成果を求めてる、馬鹿馬鹿しい話だがあいつらがいなけりゃディナリアは維持できねえ」 グスタフは自らの相貌が皮肉に歪むのを自覚した。 (……まさか今更ノアの都合に振り回されることになるとはな……だが、ディナリアを潰させるわけには行かねえ) 幾多のカンダータ人の血を積み上げた、ここで引けば英霊は死した意味を失いただの数字になる。 同胞をさらなる死地に追い込もうとも、彼が選んだものは逃げることを許さなかった。
軍靴が刻んだ大地の破片を通り抜ける車輌が巻き上げる、ガソリンの臭いが混じった土煙が空気の色を汚している。 カンダータは地下世界のせいだろうか、風の流れに淀みを感じた。 男が気まぐれに口笛を吹くと風の精霊達が嬌声を上げ集まってきた、自分達を知覚できる人間がもの珍しいのだろう。 排煙に塗れた大気に住んでいるせいか、故郷のそれと比べて薄汚れている彼らの姿に、ティーロ・ベラドンナは少し哀れを感じた。 荒廃した大地を進むカンダータ軍、鉄を纏い、オイルの臭いが染み、熱に焼けた彼らの中でNo comic No lifeの文字がプリントされた明るい緑色パーカーを身に着ける自分は少し浮いてるなと思わないでもない。 もっとも軍隊が集まる場の空気にそぐわないのは彼だけではないのだが……。 車輌の立てる騒音を何のそのに、かん高い声がティーロの乗る車輌の隣から響いていた。 「うっそ!? なんでそんな靴に着替えないといけないのよ!?」 「貴殿の安全のためだ。ジャケットの着用も要求する、貴殿の服装はいささか挑発的過ぎる。分かりましたか『お嬢ちゃん』」 星三つ並んだ階級章が襟についた軍装を、はちきれんばかり筋肉が押し上げた大男が、すでに出来上がりつつあったロストナンバー――臼木 桂花 の目の前に、足元まで届く軍用ジャケットと軍靴を置いた。 「何よ、『筋肉だるま』。じゃあアンタはお嬢ちゃんげへげへとか言って、欲情して襲い掛かっちゃうわけ? 変態!?」 虚仮にされたと思ったか臼木の眼は座っており、勢いの良い語気は……少々アルコール臭い。 「貴殿がそれで着用するのであればExactlyだ。キャプテン・ミズカからの命令だ、『お嬢ちゃん』に何かあるごとに小官に消えない傷が一つ増える」 「あー…………リーマン稼業は大変ね」 気の抜けた返事をすると、女は手にぶら下げていたスキットルを口に当て、琥珀色の液体を流し込んだ。 生身のロストナンバー二人とは異なり、機械製のロストナンバー二体は幾度がこの地に来ていることもあってか空気に馴染んでいた。 カンダータ――ディナリア軍での二度目の従軍となるジューン。 アンドロイドである彼女を取り囲むようにざわめく兵士。 それは機械である彼女を嫌悪するものではなく、どちらかといえば好意的な――ともすれば崇拝的といったほうが適切に感じられるような態度だった。 この部隊を構成する兵士のほとんどが技術者である。技術者とは多分に夢想家であり、科学教の敬虔な信者であることが多い。科学の粋を結集した見目麗しく、マキーナすら破壊しうるオートマタは至珠の女神にでも見えたのだろう。 実際、彼女の「問題がなければ通信車輌に同乗させて下さい。軍用通信との同期化を行いたいのです」という提案を聞いた通信兵はガッツポーズを取り、露骨な羨望の眼差しを受けていた。 もっとも、精緻な機器を載せる通信車輌は重量制限が厳しく、重量260kgを超えるジューンを搭乗させるためには幾人かの通信兵が涙を飲むはめになった。 機械竜型のロストナンバー――幽太郎・AHI/MD-01Pの周りにもちょっとした人だかりができていた。 幽太郎の姿はカンダータにおける怨敵――自律する機械の悪魔マキーナにより近いものである。 ともすれば忌避の目で見られてもおかしくなかった。事実同行者であるアンドロイド――ジューンはディナリアで一時的にとはいえそのような扱いを受けた。 しかし、この場にいる科学教の信者達が幽太郎を見る眼差しは好奇に満ち、アンドロイドの女神に対するものより無遠慮であった。 未知の機械、未知の金属、未知の技術に触れたい。技術者としては当然の反応である。 今まで感じたこともない妙に熱い視線に、センサーの先端がむず痒い。 ――コーン 幽太郎の胴体に鈍い音が立った。 「変わった音だな。なあ、あんたどんな合金でできてるんだ? 端っこのところとか少し分解していいかな?」 我慢ができなくなった工兵の一人がスパナで幽太郎の翼に触れていた。 「ヤメテクダサイ、故障シマス」 その時、幽太郎の電子脳が新たに生成した感情は、人間で言うなら貞操の危機に近かった。 ‡ 車輌を連ねて螺旋状の隘路を進むカンダータ軍。 先遣隊の残した通信機器の中継機を確認しながら徐々に地上へ近づく。 (センサー波ガ壁二吸収サレテル? ……データベース二存在シナイ素材デス) 様々な波長が機械の竜の表面に存在する突起物から発信される。本来、発信された波は物質に反射しレセプターに吸収され、その成分を分析するための情報を集める。 だが、隘路の壁面はそれらの波を全て吸収している――センサー越しに見える隘路の光景は無限に広がる暗闇。 幽太郎は、足元に落ちていた壁面の破片を手にとって、まじまじと眺めた。 (光学機器デハ認識可能、センサーニハ反応ナシ……不思議デス) 全身に装備されたセンサーを露出させ周囲の地形を探っていた幽太郎は、未知の材質にちょっとした興味が湧いていた。 隘路を覆う壁は、地上から逃れるカンダータ人がマキーナの探知を誤認させるために発明した素材であったが、流石に幽太郎の認識がそれに及ぶことはない。 通信車輌に搭乗したジューンは兵士の視線に不自然なものを感じていた。 こちらを見ているのは分かるのだが、遠慮がちに視線を合わせようとしない。先のディナリアで感じたものと似ているが違う感覚。 直近の問題にならないと判断したジューンは、目下の作業を進める。 明るいピンクの髪をかき上げ、人口皮膚に巧みに隠されたデータI/O用の端子にケーブルを結線――一方の端子を車輌に積載された軍用通信機器に接続。 物理層の接触と共に過度に伝わる電気信号によって、ジューンの体が反射的に震えた。 ジューンの電子脳、その認識野から光学情報が消失し、一対の光学器官の表面を只管に二進法の羅列が流れる。 人間には凡そ知覚できぬ一見の無意味文字列――01フィーリング。 異なる世界の異なる設計思想で生まれた機械の言葉を解釈し、自らの言語への集積を開始する。 ――synchronization process........done 処理時間は僅か数秒、電子脳に作業完了を告げるピープ音が響く、ジューンの認識野に光学情報――視界が戻った。 ふぅと一息、吐息をつき首を振る。疲労による反応ではない、そう振舞うように彼女はプログラムされていた。 同乗の通信兵が遠慮がちに慰労の言葉をかけようとしているが、実際にその行為に及ぶことはなかった。 不可思議な彼らの態度を分析するジューンの電子脳が解析した言葉は 『IDOL』 バグでも起こしているかと思ったが、解析結果は変わらない。 「知らない場所って行きたくなるじゃない? 安全のために軍靴で行軍って言われた時は後悔したけど」 輸送車輌の座席はサスもロクに効かず、舗装されていない道を走るにはお世辞にも心地良いとはいえないが、完全にできあがっていた臼木は上機嫌だった。 先程、ジャケットと軍靴を持ってきた大男……一応この部隊の隊長である男の肩をばんばんと叩いている。 「あははは。旅人が全部高性能で友好的だなんて思わないでよ。アンタたちにだってスカは居るでしょうに」 渋面を作る男が面白かったのか上機嫌に笑う臼木の絡み酒は、アルコールと車の振動が彼女の睡眠中枢を刺激するまで続く。 ティーロが搭乗した車輌は不可思議な状況になっていた。 敷設された椅子に座る技術者達は、車輌の振動に揺られながら黙々と本を読みふけっている。 ティーロは漫画という共通言語を作ることで、彼らと打ち解け、円滑な意思疎通を計ろうとしていた、 内容について適当なツッコミを入れながら、技術屋が可能な事や基地設置の必要日数、想定規模等を聞き出して把握していく。 ――敵を知り己を知れば百戦危うからず ‡ ‡ ヒンヤリとした清涼な空気にすむ風の精霊独特の透明感のある姿がティーロの視界に流れた。 地上は近い―― 号令が鳴り、全ての車輌が停止した。 各車輌から兵士達が降車し天幕を作る。 地上が視界に入るまで曲がり角一つ。 カンダータ軍は最後の軍議を開始した。 「これから最終確認を行う……まずはロストナンバー殿に忌憚なき意見を聞きたい」 部隊の隊長であろう筋骨隆々の男の言葉に、はじめに反応したのはティーロだった。 「オレ、元の世界でこういう作戦の指揮したことあるんだよな、任せてくれ。……って何で、疑いの目かなァ?」 軽い調子で冗談を一つ混ぜる。凡そ軍人的な風体ではないティーロではあるが、彼がいうほど疑いの目を向けるものはこの場には居ない。 「釈迦に説法だとは思うけどよ、まずは情報集めが必要なんじゃねえか? ぶっちゃけ開口部で待ち伏せされてたら終わりだぜ? オレは調べるのが得意だから、偵察を任せてくれ」 「なるほど……マキーナは視認した人間を追跡する性質がある。気をつけてくれ」 頷く大尉に、両手の中で隘路の破片を転がしていた機械竜がおずおずと声を発する。 「……ボクモ偵察可能デス、情報ヲ収集シテ提供可能デス。光学迷彩デ隠密シナガラ偵察シマス」 同時にジューンも発言した。 「構造物サーチを標準装備しておりますので、私も探査は得意ですが……レーダー探査は、索敵位置が敵に筒抜けになる可能性があります。これまでの交戦記録で現認以外にマキーナが私たちを特定した事例はあるでしょうか」 「具体的な情報はない、マキーナは光学的な器官で我々を認知している可能性が高い。赤外線やマイクロ波等が見えている可能性は否定できないが、それによって特定した報告はない」 「目で見てるってんなら姿が消せる幽太郎と魔法でなんとかできる俺が偵察したほうがいいな。隊長さん、幽太郎、ジューン、それでいいか?」 「レオン大尉だ。……問題ない」 「ええ、分かりました」 「ハイ……了解デス」 ‡ 静電が大気を焦がし、空がかすかに揺れる。 幽太郎の表面を構成する金属に電流が流れ変質する、電子脳が高速で解析した周囲の風景が表面に投影され、機械竜は溶けるように姿を消す。 傍らの魔術師は、ギアのラップを刻みふっと息を吹き飛ばす。ラップの破片を風の精霊が運び、幽太郎が消えたと思わしき空間の周囲を漂った。 「いいか、万が一外で襲われたら大声で叫べ、そのラップと風の精霊がお前の声と場所を俺に伝えるからな、直ぐに助ける」 「理解デス……感謝……出撃シマス」 硬質な大地と巨大な質量を持つ金属が触れる音が隘路の先に進む、投光器が煌々と照らしていた道は徐々に光を失い暗闇に消える。 暗闇が隘路を支配するのは僅かな時間だった。隘路の先、地上からの光が道を薄っすらと照らす。 (……地上ヘノ開口部確認……生命体反応ナシ) センサーに触れるのは隘路の壁と無生物ばかり、地上からの光は幽太郎が一歩進むごとに輝度を増す。 光学器官が開口部の姿を捉える距離、そこには確かに生物はいない。 ――何が起きたか分からぬまま顔の半分が爆ぜた兵士の顔が車輌からはえている ――肉塊からは、幾人もがミンチにされたのか何本もの手が生えていた ――塵芥のように散らされた死骸の表面に白い物体が蠢いている 「アワワワワワ」 幽太郎の電子脳が認識をシャットアウトする。急激な情報の拒絶が悲鳴のような叫びを発生させた。 戦闘用として作られた幽太郎であるが自我を持ったが故、凄惨な戦場への耐性が薄い。 「大丈夫か、転移するぞ?」 悲鳴を聞きつけた魔術師の声を風の精霊が伝える。 「大丈夫デス……開口部デ先遣隊ヲ発見シマシタ……生存者零デス」 「……そうか、戻ってもいいぞ。おまえさんほど精度じゃないかもしれないが、偵察は俺でもできる」 「……大丈夫デス」 ――地上、大地は夕焼けで赤く灼けていた 幽太郎は無音でレーダ翼を展開し周囲の情報を収集する、それと同時にティーロの耳目となる風の精霊たちが空を舞い飛んだ。 マキーナの姿はすぐに補足できた……一体目は開口部より百m先、幽太郎に反応しないところから光学迷彩は効果があるようだ。 レーダ波に矢継ぎ早に反応があった、十kmの探査で数千を優に超える反応が返った。 ティーロの魔術がマキーナの詳細な姿を捉える、その姿は大きく二つに分類された。 二脚逆関節に人型のマキーナと羽虫のように飛ぶマキーナ。 (マジか、またかよ……) 魔術越しに響く羽音に顔をひきつらせるティーロに風の精霊たちの掠れた声が伝えた。 ――如何なる地形、山間も谷も森もこの地上にマキーナが闊歩しない場所など存在しないと ‡ 地上より戻った幽太郎が通信車輌に接続し、情報を共有する。 レーダに映る光点の数に、一同から唸り声が上がった。 「……こりゃ無理だぜ、隘路を潰して退却すべきだ」 魔術師の言葉は居並ぶ兵士を静寂の呪文をかける。 現実的な話だ。 かのディナリア奪還戦は三千のマキーナを排除するのに入念な準備を行った五千の兵士にロストナンバーの援助を加えて辛勝を収めたのだ。 如何に精兵とはいえ百人の部隊で何ができよう、いやそれでもロストナンバーの力があれば一時的な勝利は収められるかもしれない。 だがそれは意味が無い、カンダータにおいてロストナンバーは傭兵風情。 自分たちが居て初めて継続できるような前哨基地に意味はない。 重苦しい沈黙を破ったのは、兵士を代表する隊長の言葉。 「わかった、ロストナンバー。貴殿らはここから引いてくれ……我々だけでやる」 「はぁ? あんた何いってんだ。あのレーダが見えねえのかよ? よそもんの意見は聞けねってか? 意地はって犬死する気か!?」 ティーロの言葉には僅かに苛立ちが滲む、見逃し得ない愚挙に語気が荒くなる。 「……ロストナンバー、忠言は痛み入る。だが、我々は無傷で退却することは許されない……これは意地ではない、政治的な理由だ。ディナリアは今ノア急進派と接近している。我々はパフォーマンスだ、勝利すればよし……そうでなければ英霊として礎になる必要がある。……だが貴殿らにそこまで付き合わせる道理はない。もう一度言う、貴殿らはここから引いてくれ」 巨漢の大尉が深々と頭を下げる、その後ろから見えた兵士の眼光は暗くそして強い。 ――死兵 ティーロは罵倒の言葉を飲み込む。彼らと同じ眼差しは故郷で幾度か見た……揺るがぬ死に覚悟を決めているものの眼。 再び静寂に戻る天幕にジューンの言葉が響く。 「アンドロイドの戦闘想定区域はコロニー内ですから。内蔵武装は近距離のみです。遠隔射撃ができる兵器を貸し出し頂けますか」 ジューンの電子脳に刻まれたプログラムは判断を下した。 人命の救助は最高優先されるプログラム。最善の手段で彼らを助ける必要がある、そこにはモノである自分の残存は考慮されない。 「マキーナが人型を追うのであれば、私を追わせるのが適当でしょう。先遣隊に是非私をお入れ下さい。少なくとも追ってきた敵を殲滅するまで、破壊されてもディナリアや皆様の所には戻りません」 ジューンの言葉はプログラムされた出力でしかない。だがそれを受け取る兵士達を鼓舞するには十分な言葉であった。 ‡ 「うっさいなぁ……二日酔いで頭痛いんだから静かにしてよ」 鳴り止まない頭痛……飲み過ぎた。外から聞こえる喧騒が頭にガンガンと響く。 (なんか変な臭い……あれ、アタシどこで寝てたんだっけ) 薄暗い輸送車輌の中、臼木はぼんやりした頭まま起き上がると体をふらふらと揺らしながら外に出た。 ――男共が騒ぎ立て会議は踊り進まぬ。何処で見た光景。 微かな……いや確かな苛立ち、資料も見ずにジューンを見つめている男から紙束を奪い取ると頭を掻き毟りながらざっと目を通した。 失笑のような笑いが臼木の口に浮かぶ。 会議用のテーブルが痛烈な殴打に悲鳴を上げた。 紙束とテーブルの立てる音が男たちの喧騒を割り響く。 喧騒の中にあった兵士たちの衆目が女に集まった。 その面に宿るのは酔いによる呆けではなく、才にあふれたものが見せる怜悧。 「そうね、分かんないから幾つか質問させて貰える? 今後、基地は激戦区になるけど、隘路の地上部開口部に周囲と区別がつかないよう偽装した前哨基地を設けるって考えはあり? なし? 単独で拓けた場所に基地なんて作ったら、あっという間に補給路断たれて全滅よね」 グウの音もでない程の戦術の基礎であり正論。男たちの喧騒は臼木の言葉に飲まれていた。 自分の言葉がなした成果に調子を良くした臼木は、続けざまに捲し立てる。 「そこの大魔道士様はね、短時間に何往復もの転移が可能なのよ、確かそうよね? 入口から風霊に索敵して貰って前哨基地2~3km先に最低人数でトーチカを建てるの……囮用にね。残りの人数で隘路の地上開口部に前哨基地を作る。で、私たちは1人残してトーチカ護衛に出る。どう?」 「……偵察は済みだ、臼木の言ったことは確かに全部できるぜ。つかなんであんたなんでそこまで人の術知ってんだよ」 「女には秘密がたくさんあるのよ」 ティーロが罰悪そうな表情なまま返した言葉に臼木がさらっと流す。 「そこのドラゴンとメイドさんはチューニングすればお互い内蔵機器で連絡が可能なんじゃない? 違う? トーチカと前哨基地に別れて貰えば対応しやすくなるでしょ」 「……デキマス」 「肯定します、単純行動ですので高次情報における齟齬を調整するよりは、軍用通信機を経由したほうが望ましいと提案いたします」 機械二人組の返事に臼木が鷹揚に頷く。 「ふむ……潰すことを前提のトーチカであればホバータンクを使えばいい、並の構造材より頑丈だ。重火器も複数設置できる……しかし囮に残るもの達はどうする? むろん死は恐れんが意見を聞きたい」 ただの酔っ払いと目した女の意見に軽い驚愕を見せつつ大尉は見解を述べる。 「大魔道士様にお願いするわ、いいでしょ?」 ‡ ‡ 寂寥たるカンダータの大地に大輪の火華が彩る。 幽太郎のフィードバックした情報が地上のマキーナを捕捉、誘導兵器の煙が筋となって破壊を撒き散らす。 火線に追いすがり開口部から飛び出す姿が三つ。二つはカンダータの鋼鉄の騎馬、一つは鋼鉄のメイド。 粉塵の残影が地上を駆る。 ――本件を特記事項Ω軍属、サイドB42連盟未加盟星系・現地民からの要請による未確認生物との交戦に該当すると認定 抵抗器が外れる、制限されていた回路が起動し制止していた体内炉が起動する。 高濃度のエネルギーがジューンの体で弾けた。 ――リミッターオフ、未確認生物に対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA7、B1、B6、保安部提出記録収集開始 僅かに光量を増した両眼の薄っすらとした赤い残滓が稲妻の軌跡となった。 襷掛けにした銃弾の帯を纏う機械の女神が二丁の巨大砲塔と共に駆ける。 ――マキーナ捕捉 距離2000 1000 500 300 電子脳が思考するより先に両手に搭載した要塞砲が咆哮を発しジェーンの体を揺らした。 巨大な薬莢が地面に叩く度に機械生命の上げる炎が地上を炙る。 ――破壊確認 新ターゲット捕捉 砲撃確認回避行動 縦横に発射されるマキーナの火線がジューンの姿を染めた。 ‡ 「マキーナ反応、ミンナヲ追跡シテマス……」 開口部に残った幽太郎がマキーナの動きを解析しカンダータ軍に伝える。 囮部隊の出撃から一時間、地上開口部では基地の設営が始まった。 車輌より資材を積み下ろし設営地点に運び込む、設営にあたってはまず壁となるトーチカの建設を優先する必要がある。 基地建設中に攻撃を受ければ全てが黙阿弥になってしまうからだ。 機械の翼を広げ、センサー感度を最大限にあげ周囲のマキーナを警戒しながら幽太郎はプラズマトーチで前線のトーチカを溶接する。 (マキーナ……大量……ミンナ無事デ) ‡ ――要塞砲補充要請 ――砲撃確認回避行動 電子脳がアラートを上げた。砲弾は既に尽きている。 ジューンを囲むマキーナは、数を増やすことはあっても減らすことはない。 火線はメイド服を焼き、人工皮膚が爛れ構造体が露出していた。 人を十倍する機動力であっても弾を膜とした機械生命の蹂躙を回避することはできない。 (作戦は完了していません……まだ……もっと引きつけなければ) 砲弾を撃ち尽くしたガラクタをマキーナの放つガトリング射線に投げつける。 爆砕した要塞砲が上げる噴煙が作る一寸の間隙。 桃色の一閃がマキーナを撃ちぬいた。 股抜きざまに足刀で脚部の破壊、正面からの突き。 支持肢を失ったマキーナが両手のガトリングをまき散らしながら崩れる。 マキーナの背後に回ったジューンの腕が崩れるマキーナの背中を抱擁する。 声ならぬ悲鳴がマキーナから漏れた、それは万力のように締めあげられた機械が上げる軋みであったかもしれない。 ジューンがマキーナを抱えたまま旋回を始める。 機械のアンドロイドを中心に爆発が渦となって拡がった。 ‡ 風の精霊が発生させた真空の断層が機械生命の四肢を切り落とす、体勢を崩したマキーナをホバータンクの砲塔が鉄塊へと変えた。 臼木が重機関砲をばらまく。ギアでの攻撃は早々に諦めた、射程距離が違いすぎる。 「死ぬんじゃないわよ、筋肉ダルマ!!」 アルコールと重火器の振動でシェイクされた臼木のテンションは高い。 ――囮地点での戦端が開かれた。 ホバータンクの構造材を盾としたお飾り程度のトーチカの中、ティーロと臼木そしてカンダータの兵士達がマキーナと火線を交えていた。 雲海のごとく迫るマキーナは、圧倒的数でトーチカを覆う。 「ジューンはどうした?」 合流するはずの仲間は未だ到着しない。 「六時の方向で、マキーナに囲まれています。ノイズが激しく通信できません」 「くそ! 無茶すぎんぜ」 「毒を食らえば皿までくらいなさい。男が一度始めたことにグダグダいうんじゃないわよ」 臼木の声は砲弾よりも悲鳴よりも大きく響いた。 ‡ マキーナから伝わる衝撃が止まった、命が失われた時特有のがくっとした重みがジューンに伝わる。 ――捕獲マキーナの生命停止を確認 マキーナの同士討ちが起こした爆炎が大気を揺らし、その先に幾重にも重なる機械生命の姿を照らす。 規則正しく整列した機械生命の火線が開く、避ける間もないほどに拡がった銃弾がジューンを打った。 鋼鉄の人形は衝撃に数度揺れ、膝から崩れ、地に伏した。 障害の沈黙――機械の悪魔が一斉に進路を変える。 規則正しく動く機械の振動が地面に伏せるジューンの体を揺らした。 (……イカセナイ) プログラムが提案する阻止方法 ――たった一つの冴えたやり方 人工皮膚が醜くただれ、ボロクズとなったメイド服を纏う壊れかけの機械の人形が立ち上がる。 破損した構造体から電気が漏れ弾ける。 一斉に振り返る機械生命の光学器官は白く染まった。 ――オーバーロード 暴走したエネルギーが溢れた。 白色の電撃は蜘蛛の巣のようにマキーナ達を捉え天をつく巨大な柱となった。 爆音とともに超高温の電熱が機械の体を溶解させる。 白色の暴威が収まった時、ジューンも自らが発した電熱で溶けた地面に沈んだ。 ‡ 「くそ……キリがねえぜ」 肩で息し悪態を吐く魔術師、負傷した兵士を抱え開口部に飛び、弾薬を抱え帰還するする。その回数はもはや両手の指では数えきれない。 過度の集中から発生する頭痛がキリキリと鳴り集中を乱す。精霊の姿が霞んで捉えられない、術の行使はもはや限界に近かった。 (……タフネスがねえ、歳か、いやだねえ) 運びきれない負傷兵が構造材の影に蹲っている、臼木の治癒弾が応急手当を施すが焼け石に水だ。状況が打開されなければ程なく彼らは死ぬ。 「ロストナンバー、転移はできるか?」 仲間の血か自らの血か全身を朱に染めた大尉がティーロに問う、魔術師は首を振る。 「できる……だが、これがラストだ。行って戻ったらガス欠だ」 「了解だ、ロストナンバー『お嬢さん』を連れて退却してくれ、我々は一秒でも長くこの拠点を維持する」 「お断りだわ……提案した奴がトーチカで殿するのは当たり前でしょ。自分の発言に責任も取れない奴に生きてる資格はないわね」 「しかし……」 反駁する臼木と言い募る大尉、言葉の応酬は数瞬だけだった。 ――上天がまばゆいばかりの白色に染まった 三つ目のトーチカを設置した幽太郎は起立する電気の柱を呆然と見つめる。 反射的に分析を行うセンサーは、エネルギーの乱気流に阻まれながらも発生している事象を捉える。 無数のマキーナが存在を消失させていく、最後に残ったのはジューンの反応だけ。その反応も急速に失われていくのが分かった。 矢も盾もたまらず、機械竜がオールレンジに通信を発信した。 「ジューンサンガ、シンデシマイマス。誰カタスケテ!!!」 通信機に響く叫び、動揺の声が聞こえた。 「……幽太郎状況を教えてくれ、こっちも限界だ」 ティーロの声に冷静さを取り戻した、幽太郎はセンサーの反応を通信機に表示させる。 周囲にいるマキーナはほぼすべてが囮トーチカに集中し、設営中の基地の周囲からは姿を消していた。 「なるほど、勝利の女神様はいたようだぜ。おいお前ら掴まりな、こいつらを吹き飛ばして帰還するぞ。もうココで粘る理由はねえ!」 巨大な旋風がマキーナを遙か空の彼方に吹き飛ばしたのは数瞬後であった。 ‡ ‡ ――損傷率安定水準突破、スリープモード解除 ジューンの意識が覚醒する。 寝台らしき場所に寝かされているらしい。 状況を確認するために首を動かそうとすると制止の声がかかった。 「おっと、まだ動いたらだめだよ。人工皮膚が定着していないんだ、もう少し我慢してよ」 見知らぬミラーシェード女性の声。 「音声デバイスはそっちに切り出してあるから、言いたいことがあったらどうぞ」 「……何故助けてくれたのでしょうか?」 「意味の分かんない質問だね? うちの部下が世話になったそれじゃだめかい? あんたは戦友なんだ、どんななりをしてたってね」 ティーロは退却時の転移術に加えて、ジューンを助けるために行使した術によって限界を超え数日間カンダータで寝込む羽目となる。 なお彼の持ってきた漫画は一部技術者の琴線を掴み、カンダータにマンガ文化を発生させることになるがそれはまた別の話。 結果として作戦の根幹を担う提案を行った臼木は、数日間にも及ぶ戦勝パーティに引っ張りダコであった。 彼女のエスコートを命じられた『筋肉ダルマ』ことレオン大尉は心労の余り胃腸薬が欠かせなくなったとの噂。 臼木と共に戦勝パーティの華となった幽太郎は、その容姿も相まってか多数の技術者を周囲に集めることとなる。 一時的に光学迷彩が稼働しなくなるほどぺたぺたと金属の肌を触られ続けた幽太郎は少しだけ対人恐怖症を植え付けられた。 ‡ ‡ ディナリアの一室、殺風景なその部屋には申し訳ばかりのテーブルとラジオが置かれ、男が一人座している。 『ノアの皆様、緊急ニュースです。本日未明、カンダータ西戎軍第弐連隊隊長通称ディナリア軍がマキーナに勝利し地上への橋頭堡を構築しました! ノア政府はこの快挙に対して緊急の声明――』 男の手がラジオのスイッチをオフにする。その顔には薄っすらとした笑みが張り付いていた――
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