ナラゴニアの世界樹旅団との最終の戦い、マキシマム・トレインウォーの決着をみた0世界に満ちるのは戦の怒轟ではなく、復興の気焔。 トンテンカンテン、トンテンカンテンと鳴る工具の音が市街に響いている。 大きな柱を持ち上げる男衆の気合の声が辺りにこだました。 風が緑交じる街路を抜けた、竜人達が首に資材を下げ0世界の方々に飛び回る。 鳥瞰した0世界では、緑に覆われた街並から幾筋も炊煙が上がり、復興に尽力する者たちの胃袋を満たすために料理が振舞われていた。「よいしょ、よいしょ」 なみなみとスープが注がれた鍋を両手で一杯に抱えた少女が運ぶ。 んっ! と声を上げ、口を噛み締め踏ん張ると少女はコンロの上に鍋を置いた。 三角巾にエプロン姿の少女は鍋の中身が発する蒸気と汗の付いた額を手の甲で拭い、ふぅと息をつく。「おばさ~ん、スープのお鍋はここにおきますね。下拵えの野菜も切っておきましたけど、どこにおきますか?」 炊き出しのまとめ役だろうか、見た目年嵩のロストナンバーに少女は手を振りながら尋ねた。 少女の名前はフラン・ショコラ、竜刻を廻る数奇な運命によってディラックの海を彷徨い、世界樹旅団のマスカローゼとして世界図書館と相まみえた、今はただの家政婦もとい炊事婦――。 「フランちゃん、怪我治ったばかりなんだから、今日はそれくらいにしとき」 どこかで聞いたような言葉に自然と笑みが零れた。 初めてロストナンバーに……あの人達に会ってから随分と遠くに来てしまった気がする……。 生まれ故郷、既に廃墟となったヴォロスの村を思い出すと寂寥感を感じずにはいられない。 それでも…………同じように自分を心配してくれる人がいることに幸せを感じていた。 だからあの時そうしたようにできる限り元気に声を発した。「心配してくれてありがとうございます。でも、野良仕事には慣れているからこれくらいは大丈夫です!」「そうかい? じゃあそこにある器を全部洗ってくんな」「は~い」 快活に返事をし、次の作業に移ろうとしたフランの視界がぐらりと揺れ姿を変える。 ――家々が燃え盛っていた、其処彼処から響く悲鳴は全部聞き覚えのある声だけ ――首を締め上げられた苦しげな悲鳴――手の先から抵抗がなくなりずっしりとした重さ……命の果てる重さを感じた ――甲高いワライゴエが耳に煩い、ワラッテイルノハヨロコンデイルノハ――ワタシダ 視界がぐんにゃりと歪み暗闇に消えた。倒れる体にまきこまれて割れる食器の音は、フラッシュバックに飲まれる彼女には聴こえなかった。‡ 0世界の空に時間は流れない、昼も夜もなく常に同じ色を見せている。 人は永遠に労働できるわけでもない、何かを区切りに一日を作り生活する必要がある。 意識を取り戻したフランは安静にするようにきつく言われて、炊事場から追い出された。 帰途につくフランから溜息が漏れる。 純粋に心配してくれているのはわかっているが、働くなと言われると要らない子と言われているようで落ち込んでしまう。 子供の頃に両親を亡くし、村の庇護で生きていた彼女にとって誰かと一緒にいられないことはある種のストレスであった。 おばさんに包んでもらった食事を入れたタッパを持ち街路をとぼとぼと歩くフラン、傍らには動きを止めた世界樹の幹から生える花がふと記憶を一つ思い出させた。 (花かぁ……そういえば前、花瓶と花を買ってテーブルの上に飾ったら凄く怒ってたっけ、「机とは思考空間に他ならぬ飾り立てるなど愚劣の極み、言語道断」とかいって花瓶割っちゃって……。あれはほんと傷ついたなぁ……でも次の日部屋に入ったら花瓶が直っていて「我が思考の深遠さを考えればこの程度の雑音は無に等しい」とか言って……素直に謝ればいいのに……) ――思い出は暖かく、断片的な幸せを感じさせた ふと遠くを見やるフランの眼差しの先には、世界樹の力を失い、動きを止めたナラゴニア。 世界図書館に降り、帰ることはないと思っていた彼女にとって二番目の故郷。 ドクタークランチの秘書という特殊な立場にいた彼女と親しくした人は極少なく、そのほとんどがこの世を去っていた。 仮面を外した今、もはや自分に気付く人間も少ないだろう。 ――それ以上に自分は否定されているのだ、他ならぬ思い出の人物に それでも、遠く見える巨大な樹の姿は郷愁の念を彼女の心に植えた。 ――例え利用されているだけの関係であっても、その時感じたものまで否定したくなかった‡「こんにちは、こちら青空司書室。世界司書はエミリエがお送りしています(パリパリ)」 何やら小声で話し始めた司書エミリエだが、クッキーを貪りながらでは小声である意味はあまりないのではなかろうか。「今日のご依頼はあるツーリストさんからです。読み上げますね(パリポリ) ――ナラゴニアにある私の家……ドクタークランチの私宅まで私を連れて行って下さい。遺品を回収したいんです。図書館の人にも、ナラゴニアの人にも触られる前に行きたいのです。合鍵の場所は分かっていますし、屋敷内の生体認証は私で通ると思います。勝手なお願いですけど協力頂けないでしょうか? はい、おしまい。こんなのバレたらアリッサにすっごく怒られるよね、リベルなんて激怒の余り角とか生やしちゃうかも、そういえば牡牛座号に乗るって言った時は思わず吹き出しちゃった(もぐもぐ) ということで、この依頼はお一人様だけ募集です。もし見つかっても秘密を守れる人だけが参加下さい」 何故こんな取次をしているのかと問うロストナンバーにエミリエが答える。「お菓子には女の子を惑わす魔力があるってしらないの?(まぐまぐ)」 ――クッキーで買収されたのか!?
――泡沫の記憶――いずれ思い出は風化し、ただの記録になる……それまでは幻想に浸っていたい。 ‡ ‡ ――世界樹旅団の本拠地であったナラゴニア。 今は沈黙したイグシストの体が街路に絡みつき不可思議なオブジェと化している。 その一角、今は亡き世界樹旅団を代表する科学者――ドクタークランチの私邸に続く道に二つの人影。 一人は先ごろロストナンバーとなった男、エク・シュヴァイス。 ぴしりと決めた黒スーツから覗くのは、艶やかな毛並みの黒豹の顔。機械でできた左眼と右目にかけた片眼鏡が陽光を反射しオッドアイのように輝く。 伴うのは一人の少女。件の科学者の秘書であり、数奇な運命の果てにロストナンバーとなったフラン・ショコラ。 ナラゴニアの街路を歩くエクの表情には、親しい輩でなくば、それと分からぬほどのごく僅かな渋面。 秘密理の依頼ということで、エクはエクストラポケット――空間拡張の魔法が掛かった上着のポケットに依頼人を隠し移動することを提案したが、少女は頭を振って遠慮の意志を伝える。 街路を歩く少女は時折足を止め、懐かしむように目を細めていた。 (『故郷の地を歩きたい』か……分からないでもないが……) 「お嬢さん、少し急ぎましょう。ここで見つかっては拙い……目的を達せなくなりますよ」 「ごめんなさい、シュヴァイスさん。つい懐かしくて……」 謝罪の言葉とは裏腹に、少女は度々足を止めては想いを馳せる。 黒豹の獣人は、そんな彼女の態度と強く言い出せない自分に溜息を吐く。 (やれやれ、まさか俺にこの案件が回ってくるとはな……女性が同伴……その上バレたらこれまたおっかない女性二人に……) 紳士然とした黒豹の獣人は、その実、極度に女性を苦手としていた。 エクの脳裏に、自分にお鉢を回したエミリエの顔が思い出される。あれは間違いなく自分の性格を知った上で面白がっている顔だった……。 ‡ ‡ ――クランチ私邸 主をなくした屋敷はひっそりと静寂の中。 手入れするものが居なかったせいか、庭の草木は青々と茂り背が高い。 少女は一見には分からないように草に隠されたICカードを取り出し、玄関についているカードリーダーに通す。 『音声照合を致します、インターフォンにお名前をどうぞ』 「……マスカローゼ」 電子合成の声がインターフォン越しに聞こえる。 少女が名乗るのは在りし日の名。 『テンポラリカードの発行を認証いたしましたマスカローゼ様。続けて指紋と虹彩の照合をお願いいたします』 ピッ、ピッっと軽快な電子音が幾度かくり返し鳴った。 エクは何事もなく電子機器に触れる少女の姿に僅かに驚嘆を覚える。 (ヴォロス出身と聞いたが……なかなかどうして、こうも機械に慣れるものか) 長めの電子音とともに空気の抜けるような音が響き、屋敷の扉が開く。 「はい、シュヴァイスさん。このゲストカードを使って下さい。あ、そうそうお屋敷の中は私の分からない仕掛けもありますので、不用意にものに触らないでくださいね」 振り向きざまに手渡されたカードと共に触れる少女の手の感触に、エクの総毛がたった。 過剰な反応に、大丈夫ですか? と小首を傾げる少女。 獣人は辛うじて、なんでもないとだけ答えた。 ‡ 「ただいま~」 屋敷の中に少女の声が響く。 音が奥に伝わるのに合わせるかのように次々と照明が灯り――その先には男の影があった。 世界樹旅団の首魁が一人――ドクタークランチ、図書館と旅団の決戦で果てた筈の男。 はっと息を飲み。咄嗟に依頼人を後手にかばう黒豹の獣人。 そんな彼など存在しないかのようにクランチは口を開く。 「マスカローゼ……遅かったな。私は外出中だ……仔細は端末にメールを送った、すぐに合流の準備をしろ」 獣人の背後で電子音が鳴った。その音と共にクランチの姿は雲散霧消する。 呆けたように正面を凝視する獣人にフランが言葉をかける。 「これ留守時に記録した映像を発生させる装置なんです……家に帰った時に誰からもおかえりって、言われないと寂しいじゃないですか。ドクターにお願いして作ってもらったんです。……ちょっと思っていたのと違うんですけど。あ、これ私が応答するのも入力してあるんですよ、見てみますか?」 少女の声は少し明るく聞こえた、自宅に帰ってきたと実感したせいかそれとも……。 そのような機微を解せないエクは「いや結構、目的の場所に行きましょう」と返すのみだった。 ‡ 世界樹旅団の重鎮の屋敷ともなれば、通路も長い。 少女と連れ立って無言で歩く獣人は、屋敷の有り様に感嘆の念を頂いていた。 (凄まじいものだな) 透視能力を持つ機械の義眼を通して見るクランチの屋敷は、ありとあらゆる場所に仕掛けが施されていた。 エクに理解できる仕掛けから、何を意味するかも分からぬ高次の仕掛け。義眼に宿る罠探知の能力は大量のアラートを返していた。 『盗賊探偵』の血がざわめく……が流石に家人に付き添って仕事をするほど節操がないわけではない。 ――PーPー 屋敷の仕掛けを前に、反射的に澄ました獣人の聴覚に奇妙なピープ音が触れた。 「お嬢さん、何か聴こえませんか? こちらですが」 少女にはその音が聞こえないのか訝る表情が浮かんだ。 獣人の指が導く先には『執務室』とプレート以外には装飾のない無骨な扉。 部屋に近づくと少女にも聞こえる程のピープ音が鳴り響いている。 訝る表情を浮かべる獣人と少女。 扉の横に設置されたリーダーにカードをかざすと小気味よい音と共に扉が開く。 部屋の正面には巨大な書棚を背負った重厚な作りの執務机、傍らには斜向かいになるように精緻な花をあしらった少し繊細な面持ちの机。 簡素なデザインだが年季を感じるカーペットが床に敷かれており、部屋の隅には別の部屋へ続く扉があった。 部屋から響く音の主は、端に設置された厚みのある円形の物体。 赤いランプを点灯させながら音を立てている。 慌てたようすで部屋に入る少女が円形の物体に触れると白い粉末が吹き上がる。 「あー、掃除機のゴミ一杯じゃない!? ちゃんと一杯になったら捨てて言ってるのに、もう!」 けほけほと埃にむせながら文句を言う少女は、物体から取り出された埃塗れのケースをもって執務室の奥の扉を潜る。 入り口と同じ屋敷の仕掛けなのだろう少女が扉を潜ると同時に部屋から明かりが漏れ――少女の悲鳴が聞こえた。 慌てて部屋に飛び入り、扉に駆けた獣人の耳に、少女の少し怒ったようなぼやき声が聞こえた。 「脱いだ服、また散らかしっぱなしじゃない!! もぉーすぐ洗濯物に出してよ、染みになったら落とすの大変なんだから……」 突っ込みどころのない行動……獣人は扉の前で棒立ちにならざるを得なかった。 ‡ 隣の部屋からはバタバタとした音と悲鳴じみた甲高い叫びが聞こえる。 突然所帯じみた振る舞いをする少女に、手持ち無沙汰となったエクは執務室を眺めていた。 クランチのものであろう机の上には乱雑に書類が置かれ、机の端には花瓶が一つ飾られていた。 (粗雑な上に線の細い趣味だな……あまり科学者的とは言い難いな) 何気なく獣人の手が花瓶に触れる、よく手入れされた艶やかなさわり心地を楽しむうちに、隣の部屋から少女が戻る。 ‡ 「まだ、この花瓶使っていてくれたんだ……」 「この花瓶は何か由来でも?」 少女の言葉に獣人は花瓶に触れるのをやめ相槌を打つ。 「……この花瓶は私がドクターにプレゼントしたものなんです。『机とは思考空間に他ならぬ飾り立てるなど愚劣の極み、言語道断』とかいって割られちゃったんですけど。……でも次の日部屋に入ったら花瓶が直っていて『我が思考の深遠さを考えればこの程度の雑音は無に等しい』とか言って……素直に謝ればいいのにね」 優しく花瓶を撫ぜる少女の目は小さな幸せを思い返してか穏やかだった。 「盛大に割ったその後で、言い訳並べつつ修復していた……クランチ氏は自身でやったコトを後になって後悔するタイプですかね」 「本当にね……もう少し素直に……本当の気持ちを伝えて欲しかったかな」 少女は獣人の言葉に答えるようでいて、居ないはずの男に語りかけている。 「ですがプライドがやたらと高かったようだし、後悔してる所など見せられなかったのかもしれません」 「…………そうですね……」 当時の光景を思い出しているのか、少女は瞑目して天井を仰ぐ。 「そうだ……ドクター、メールを確認しろって言っていたわね」 過去の幻想の中の少女は独り言を呟くと彼女のための席に座り、敷設された端末に触れる。 机の上のキーボードに少女の指が撫でるように動く。モニターの反射が照らす少女の顔には微苦笑らしきものが浮かんだ。 「どうかしましたか?」 「あ……えっと、ちょっとドクターからおかしなメールが来ていたんです。図書館との決戦が近いからすぐに準備して合流しろですって……あの時に私がドクターのところに行ったら竜刻持ってること、バレちゃうのにね。なにか言い訳でも考えてたのかなって思うと」 理解しかねる……黒豹の獣人は正直な気持ちだ。強いていうならばストックホルム症候群。勾引かした男に対して強い信頼の気持ち。 なんと声をかけていいか分からず少女の様子を眺めるエクをよそに、少女は自らの机を立ちクランチの机につまれた書類の束に触れていた。 幾度か紙が掠れた音が立つ。 書類を読み耽る少女は顔を上げると獣人に告げた。 「シュヴァイスさん……すみません。一人にしてもらえますか?」 拒否する言葉は……思い浮かばなかった。 少女に浮かぶ表情、それを理解するには獣人と少女の距離は遠く……また掛ける言葉も思いつけなかった。 ‡ 隣室の更に奥。僅かな洗濯機の振動と、紙が擦れる音だけがただ響き続ける。 乱雑につまれた書類の塊、それはドクタークランチが圧縮して忘却した彼の感情の集まりだった。 刻まれたものは彼が歩み続けた世界樹との戦いの歴史……絶望と赫怒で綴られ……最後のページには諦念と悔恨の言葉、そして一枚の古ぼけた写真。 それはフランも見たことのない家族の写真……彼女の知っているクランチより少し若い姿、共に写っているのは穏やかそうな女性と自分と同じ年頃の娘。 彼が如何にして歪み、自らが味わった絶望をばら撒く世界樹旅団のドクタークランチとなったかは、そこには記されていない。 アルバムには何枚もの写真があった、世界樹旅団の一員となってからのものばかりであろう尊大な調子の男ともに見知った顔が写り、その中には自分もいる。 少女の手が止まる。その写真には、仮面をつけた自身と友人と思っていたいつもいつも不機嫌そうな少女、そしてその親代わりを標榜していたロストナンバーの青年と自分の庇護者。 (……私が欲しかったものは、ずっとここにあったんですよドクター。気づいて頂けなかったのでしょうか?) 山積みになった書類が自らの重みで崩れた。 フランの前に一冊の手記が転げ落ちる。 タイトルは『被験体・Mの記録』 それは、ドクタークランチがつけた記録。 ――はじめはただの研究データの塊だった ――次は理想の秘書とするための教育とその成果 (……物覚えは悪くないが繊細さにかける、所詮は片田舎の村娘か……って酷いなぁ) ――最後はただの日記になった。書かれているのは娘を持った父が書く当たり前の内容。 (……悪いと思ってるなら謝りなさいよ…………言ってくれなきゃ許せないでしょ) ――泡沫の幻想 クランチが見ていたのは彼女自身ではなかったかもしれない。 それでも、自分が彼に感じていたものを感じていてくれていた……ただそれが嬉しくて、少し哀しかった。 扉越しに啜り泣く声が聞こえる、エクは自らの鋭い聴覚に些か辟易としながら耳を塞ぐ。 (女性を上手く励ますなんて、俺には無理だ) 心の中に浮かぶのはボヤキばかり、獣人には少女の心が落ち着くのを待つことしかできなかった。 ‡ ‡ 「お嬢さん、本当にそれだけでよろしいのですか?」 少女は頷く。 泣き腫らした瞼は赤い。 「はい……私はこれで十分です。……他にも来る人がいるから」 少女は大事そうに書類の束を抱えている。 「そうですか。さて、それでは行きましょうか……帰りも見つからないようにしませんとね」 黒豹の獣人に促された少女は屋敷を後にする。 振り返る度に屋敷の姿は小さくなり……視界から消える。 ――短い間だったけど一緒にいてくれて私は嬉しかったです。ちゃんと伝えたかった…………パパ大好きでした、一緒にいてくれてありがとう……
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