――クリスタルパレス 世界図書館と世界樹旅団の戦いは佳境にあった。 外からは砲火の音が鳴り、死と惨の嘆き声が響きわたっていた。 緊急の野戦病院となったこの場に残っているのは戦傷者を除けば、そこに居るのは医療に携わるものと剣を持たぬ者達の盾となるために留まることを決めたもの、そして ――少年が一人 一寸前まで周りに居た知人達は、先に行くと言い残し一人また一人と去っていった。 少年の手は、傍らには横たわる少女の手に繋がれている。 腹部ほど毛布で覆われた少女は穏やかで規則正しい寝息立てている。 そして呼吸と同じリズムで少女の胸の上に翠色の明滅が揺れていた。 ――竜刻 それは、少年と少女を結ぶ物語の契機となった少女の命脈。 幾多の運命を超えて再び少女の胸に帰った竜刻の燐光を見つめる少年の眼は、少女と紡いだ刻を見ていた。 ‡ ‡ ――俺は多分ガキだったんだと思う……でもガキで良かったんだ。運命とか因果とか、そんなクソッタレな言葉でフランを割りきらずに済んだんだ あれは、俺がロストナンバーになってすぐの右も左も分からない時の話だった。 なんでこの人はこんなに淡々と話せるんだ!? 納得が行かなかった、許せなかった。 司書とて、木石ではない、いや木石そのもののようなものもいるが……何故淡々と話すのかが分からない程に頭に血が上っていた。 「その子の胸から心臓代わりの竜刻を取り出すって事は……そういうことだよな!? そりゃあさ、小より大っていう判断もわからねーわけじゃないけどさあ……なんでこんな子なんだよ……!」 叫んだってどうにもならない、それでも叫ばざるを得ない。抑えきれない感情の迸りが言葉となって図書館を揺らした。 そんな少年の行動に、嘲笑のような態度を取るものもいれば賛意を表明するように頷くものもいた。 だが少年は周りなんて見えていなかった……ただ、司書が用意した少女の資料を食い入るように凝視していた。 ――似ている どこがといえば答えられなかったかもしれない、ただそう直感した……兄貴の弟だっていう価値しかない、決して日の当たらなかった俺に。 件の少女――フラン・ショコラは早くに両親を失い天涯孤独……そんな不幸にも関わらず毎日を懸命に生きている。 ヴォロスの小さな村で知人に助けられながら生き、何れ小さな幸せを得て新たな家族と共に生き、静かに一生を終える。 でもこのままじゃこの子は絶対死んじまう!! 胸の竜刻を暴走させて、それとも俺たちの手で……当たり前な生涯を生きる権利を奪われてしまう。 一回死んだ女の子をまた殺す? 死んだから殺していいのか? 死ぬのはこの子の運命だった?? そんなのが、そんな理不尽が運命だっていうんなら何が運命だ!! そんな運命は俺がぶち壊す。 そう思ったらもうやることは一つだった。ロストナンバーにして竜刻を止める……。 手段はすぐに思いついた……真理に目覚めさせ覚醒させる。うまくいく確証もそれでなんとかなる確証もない、誰かが聞いたら嘲笑を禁じえない策とも言えない策。 それでもやらない理由は、虎部隆という少年のどこにも存在しなかった。 ‡ ヴォロスに降りた俺はフランに会った。 結果としてフランは覚醒し……消えた。それを運命とかぬかす奴が居るかもしれないが、そんなのは後出しの予言だ。 フランは懸命に生きることを選んでくれた……それだけだ。 「いい加減にしてください、一体なんなんですかあなた達は! あなた達の言う事、全然信じられません!」 出会いは最悪だったと思う……いや自分で最悪にしてしまっただけか? 気がはやってフランの前で喧嘩……不審がられないわけがない。 その時の光景を思い出す虎部は、自分の背が嫌な汗に塗れているのに苦笑を浮かべた。 (そういえばあのときのこと、謝ってねえな……) 必死に頭を下げたことを覚えている。君への理不尽が許せなかった、だからせめて俺だけでも全てを話そうと……いやそれだけだっただろうか? 君は、そんな俺の言葉を信じてくれた……嬉しかった、俺が俺として認められたみたいで、兄貴の弟じゃない俺ができたみたいだった。 「トラベさん、すごく楽しいです! こんなにお話しながらご飯を食べるのは久しぶりです!」 「大丈夫ですか、トラベさん。すっごく腕ぷるぷるしていますよ? やっぱり私が半分持ちますね」 君は初めから生きるのに一生懸命だった。 日々を漫然と生きていた俺が恥ずかしくなるくらいに輝いて見えた。 似てると思ったのは幻想だったかもしれない、兄貴の弟っていう不遇に流されてただけの俺と懸命に生きることを選んだ君とは。 ……だから。 「……百万ドルの夜景ですか? 私もそんな光景見てみたいです」 星を見ているつもりがついつい君の横顔を見ていた、百万ドルの……笑顔。 誤魔化すように口をついて出た言葉は約束になった。 共感とか同情とか使命感とかじゃなくて、ただ可愛そうな少女だからじゃなくて……フランを助けたいと思った。 ――俺を信じてくれ……もし君が運命に打ち勝てるとしたなら、例えどこに行こうといつか必ず助け出す 君とした約束は一つも忘れたことはなかった。大切なものだったんだ。 義務とか責任じゃない……俺がそうしたいと、心からそうしたいと思ったから。 ‡ 君が覚醒してディアスポラ現象に飲まれて消えた後、必死で君の手がかりを探した。 図書館の依頼は精力的にこなした。たくさんの世界を訪れればきっとどこかで……。 けど、情報は全然なかった、君の居ない日が続いた。 ――フランは消失したのか? そんなはずはない……俺が、俺が忘れない限り消失なんてするはずがない…… 焦りと心配が日々の友になった。 つまらないことでまわりに当たってしまった、強がるのはもっと得意だったと思っていたのに。 兄貴ならもっと上手く……君を助けたはずだ、其の言葉が自分を苛んでいるのが良く分かった。 ――握る手に思わず力が篭った 反射的に握り返してくる少女の手は、しっとりと滑らかな赤子のようだった。 手のひら越しに伝わってくる少女の鼓動が、夢想に居る少年の心音を跳ね上げる。 『トラベさんの手ってずいぶん柔らかいですね、ちゃんと働かないとだめですよ。そういう手をしている人は怠け者なんですよ』 ヴォロスで少女の言っていた言葉、他愛もない話。 其の時触れた少女の手のひらは、今伝わる感触とは違い野良仕事に汚れ硬かった。 『フランちゃんは働き者なんだな、いいお嫁さんになるよ』 うまい言葉が浮かばなかった、それでもフランは嬉しそうに微笑んでいた。 少女にとって、硬く薄汚れた手は小さな誇りだったのだろう。 壱番世界で生まれ育った自分をドキマギとさせる少女の手は、ヴォロスの少女にとっては恥じ入るものなのかもしれない。 そう思うと居た堪れない気持ちが去来する、俺がもっと早く助ければフランが失ったものは少なかったはずだ。 (……ゴメンなフラン) 少年は少女の髪を撫で付けながら心に謝罪の言葉を思い浮かべる。 戦塵と汗を吸った髪は少しべたついている、早く綺麗にしてやりたいと思った。 『トラベさんは水浴びしないんですか? 野良仕事した後は水浴びが気持ちいいですよ?』 地面に水が打ち付けられ飛沫ともに音が上がる。 水汲み用の桶で頭からかぶった少女は、髪から水を滴らせながら少年を振り仰ぐ。 少年は少し前かがみになりながら背を向け、少女の誘いを断る。だいぶ挙動不審だった。 『泥落とさないとおうち入れてあげませんよ? ……変な人』 盗み見るように覗いてしまう少女の姿は水に濡れた一糸纏わぬ肢体。
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