――ターミナル 大通り 鼻歌交じりにターミナルの大通りを歩く上機嫌な少女。 胸元に揺れるハートを象ったペンダントを手に取ると相貌を崩す。 触れれば冷たい金属の塊にすぎないが、滲み出る幸福感は暖かく少女を包んでいた。 完全に浮かれきって周りが見えなくなっている少女は、傍らに忍び寄りつつある影の存在を知らない。 ふらふらと揺れながら近づく人影は、ちょうどホラー映画のゾンビを思い出させる重い足取り。「フランちゃぁ~ん、リア充してるって噂を聞きましたぁあ」 地の底から響く怨嗟のような声と共に幽鬼、じゃなかった川原撫子が少女――フラン・ショコラの腕に縋りつく。 えっと思いながら見やった少女の視線の先、撫子の眼は落ち窪み常日頃の精気はなく、取り縋る手は少し突き飛ばしただけでも崩れ落ちてしまいそうなほど力弱かった。‡ ――ターミナル カフェテラス テーブルに突っ伏す撫子にフランはどう声をかけて良いか分からずただ紅茶のおかわりだけを繰り返していた。 入店から数十分余り、少女が無言の空間に耐えかねて、言葉を発しようと決意した時のことだった。「フランちゃ~ん、私ぃ……少しでもコタロさんとの好感度アップを狙って、大学の後輩から本体ごと乙女ゲーム借りたんですぅ。そしたら、そしたら……」 ばっ! と突然顔をあげる撫子、その目には暗い炎が宿り炯々と輝きフランを捕らえる。「後で答えるって典型的なバッドエンド台詞だったんですぅ!!」 言葉と共に撫子がフランの肩をがしりと掴む。 その背中に、煉獄のごとき黒い劫火がゆらゆらと燻っているように見えた。 乙女ゲームって何かなぁーなどと言うフランの疑問は湧き上がるや否や一瞬で蒸発する。 ヒッと情けない声が喉から漏れた。 思考が恐怖の一色に塗り変わり、体が震え眼窩には涙が溜まる。 (こわいこわいこわい撫子ちゃんこわいよ、誰か誰かタスケテ) 首をイヤイヤして怯えるフランを尻目に撫子の台詞は瘴気とともに噴き上がる。「慌ててコタロさんを誘いに行ったらぁ、当分ティーロさんと依頼で忙しいって言われちゃってぇ……思い切りプツンと来て突き飛ばして帰ってきちゃいましたぁ」 何かの契機があったのか、撫子の背負った百鬼夜行の気配が空気の抜けた風船のように萎む。「フランちゃ~ん、さびし~から気分転換に、喉元までご飯つめこむお弁当デートしましょぉ~。ターミナルのお店で食べると破産しちゃいそうなのでぇ、お互いお弁当作って樹海で風景見ながら食べません~? サクラちゃんから聞いたんですけどぉ、樹海の中にすっごいサクラの森があるそうですぅ。そこでもいいしぃ、他にも花だらけの場所あるかもしれないのでぇ、そういうところで愚痴やら惚気やら垂れ流しつつ喉元までお弁当食べましょうよぉ~」 自分の肩を揺らし懇願する幽鬼の如き親友の姿を見つめるフランは、落ち着きを取り戻すとともに別の感情が湧き上がるのを感じていた。 (……撫子ちゃん……ちょっと変だけど疲れているのかな? それにしても酷い彼氏さん……もっと断り方だってあるじゃないですか! エアメールだってあるんだから一言ぐらい謝ったって……撫子ちゃん可哀想。……ちょっと怖かったけど、私もトラベさんが連れない態度だったらそう思うかも…………気晴らしがしたいんだよね……うん、こういう時に付き合えないのは友達じゃない!) そう考えると塞ぎこんだ気持ちを慰める相手として選んでもらえたことが誇らしく思える。「撫子ちゃん、わかりました。樹海でお弁当デートですね! 凄く楽しそう、撫子ちゃんの作るご飯美味しいからとても楽しみです。あ、あとちょっと相談なんですけど、私ハイキングするための服、持ってないんです。撫子ちゃんいいの知ってませんか? よければ一緒に買いに行ったりもしたいです!」 フランは両肩に乗った親友の手を取ると強く握りしめ、賛意を示す言葉をまくし立てながら上下に振り回した。 =========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>川原 撫子cuee7619フラン・ショコラcwht7925=========
――服飾店の試着室 「フランちゃんが今後本格的にトレッキング始めるなら、メリノウールのベースレイヤーとサポートタイツお勧めしますぅ☆ 違うなら普段着で充分ですぅ☆ 零世界は気候が一定なのでぇ、汗をかいても寒くならない衣類で長袖長ズボンか長袖タイツショートパンツがお勧めですぅ☆」 解説を交えながら、次から次へと明らかに着替えが間に合わないペースで衣装を集めてくる撫子。 店員があわあわとしているが、テンションの上がった彼女がそんなことで止まるはずがあろうか。 (フランちゃんなら、こっちの可愛らしいピンクのほうが似合う気がしますぅ。ああでも意外性を狙って寒色系もいいですぅ☆) 滅多にない同姓の服を選ぶという行為が楽しいのだろう。 徐々に積み上がる服の山にはトレッキングとは全く関係ない服すら集まりつつあった。 「えっと、撫子ちゃん…………」 そんなことは露知らず試着室で着替えていたフランがカーテンの中から顔だけ覗かせ……山積みの服に一瞬硬直。 とりあえず見なかったことにして上機嫌な親友を手招きする。 「考えたんですけど、やっぱりトレッキング用の方がいいかなって。今回だけじゃなくて他の機会にも一緒にお出かけしたいなぁって……後、撫子ちゃんも一緒に服買いませんか? お揃いのデザインとか……駄目でしょうか?」 上目遣いで懇願するフランの前に、撫子が陥落するにはさほど時間は必要なかった。 (フランちゃんずるいですぅ……そんな頼み方されたら断れないですぅ……新しいバイト見つけないとピンチですぅぅ) 結局お揃いデザインのトレッキング用の服を新調することになった撫子。 傍らで喜びの声を上げる親友を尻目に財布の中身を確認しながら引き攣った笑みを浮かべていた。 ‡ ‡ 0世界の一面に横たわる樹海 図書館と旅団の争いによって出現したその場所は、はじめこそ探索・旅団残党の掃討が盛んであったが、今はちょっとした冒険やハイキングなどのレジャー、木陰に隠れた逢瀬などにも使われるターミナルのひとつの風景となりつつあった。 お揃いのトレッキングスタイルに身を包む撫子とフラン――長身のスレンダーとトランジスタグラマ……服装以外は非常に対照であったが――が、樹海の中を歩いている。 彼女らも樹海に至る多くのロストナンバー同様にレジャー感覚なのであろう、談笑を交えながら歩く二人におよそ緊張感らしきものは見られない。 撫子とフランの二人が目的とした場所は、ターミナルより小一時間程歩いた辺り。 それは世界樹に由来する樹海の妙か、鬱蒼とした梢が織りなした深緑の線は突然消え視界一面に舞い飛ぶのは桜吹雪。 地平の彼方まで続くように幾重に重なる桜の樹々、風に揺られるたびに花弁を舞い散らす様は、ヴォロス出身で桜をみたことのないフランだけでなく、壱番世界出身の撫子も息を飲む程に圧巻であった。 「凄い……」 どちらともなく漏れる声、威容を前にして只々佇むことしかできなかった。 ――桜に魅入られた人は新たな桜の木となる幽玄 意識を現実に帰還させたのは人としての本能――仲良く鳴った可愛らしいお腹の音が二人の硬直を解いた。 桜の呪縛から解き放たれた撫子とフランは、少し顔を赤らめながら互いの顔を見つめ笑う。 「……フランちゃん、お食事の準備しましょぉ☆ お互いのお弁当を半分こですぅ☆」 ‡ 人一人は詰められようかという撫子の大きなサックからは、次から次へと芳しい香りで食欲をそそる料理が取り出される。 桜樹林の中心、一際大きな樹の下で広げた明るい柄のビニールシートの上に、ところ狭しと並ぶ大量のお弁当。 特大の御重六段には旬の大根をぶりや豚の角煮など合わせた煮付けの数々、竜星の折にも作った炒り鶏、たらとキャベツのバター蒸し、旬の根菜を中心とした料理がみっしりと敷き詰められ、その戦闘力は優に十人前。 続いて展開されたのは、立体的に並ぶ拳大のお握り、都合二十五戦闘ユニット――定番の鮭、たらこ、明太子だけでは飽きたらず高菜、ツナマヨ、茹でキャベツ等一つとして同じ具材が存在しないそれは炭水化物という名の暴を体現している。 猛虎の刻印を持った巨大な魔法瓶の中身は意識不明の逃避を許さぬカフェイン満載のお茶と珈琲、保冷剤の入ったタッパーの中では食後のデザートと思わしきミルクレープ一ラウンドが発射を心待ちにしている。更にはそれらの傍らに装填された0.5Lサイズのコンデンスミルクチューブの列は、その存在意義を問い詰めざるをえない圧倒的オーバーキル。 如何な胃袋がそれらを平らげるという行為を実現するのか……『こんなに沢山作って本当に食べられるかしら?』などと考えながら持参したパン一斤分の炙り鳥と卵のサンドイッチとウサギさんカットにした林檎を紙皿に並べていた少女は、目の前の展開されつつある戦略レベルの兵器群の異様に絶望の呻きすら上げることすらできなかった。 明らかな認識不足だが、少女を誹ることができるだろうか? 背丈は確かに違うとはいえ眼の前に居るのは人間のはずなのだ。 すべての兵器の準備を終えた撫子が、その軍勢の一角、煮物と炊き込みご飯が敷き詰められた御重を一つフランに手渡す。 「咽喉元まで食べましょぉ、フランちゃん☆」 ずっしりと手の中に沈む黒檀の櫃。 御重一つとってもフランにとっては未知の重量。 脂汗が滲む――笑みが引き攣っていることは自覚せざるを得ない。 一縷の望みにかけて撫子を見つめるフラン。 ただニコニコとしている親友の目には、渦巻く狂気が存在しているように思えた。 ‡ ‡ (パパ、ママ、ごめんなさいフランはもうすぐそちらに参ります。……それとも飽食の罪を負っては同じ所へ行くことは許されないでしょうか) そもそも一人前を平らげることすら難渋する小柄な少女が、健啖家たる撫子のやけ食いに付き合うことが無謀だったのだ。 決死の覚悟は御重二つにお握り二つ、ミルクレープ二切れを平らげるという偉業をなさせたが、早々に限界に達した少女はぽっこりと服の上からでも理解るほどに膨れたお腹を抱え、口元を抑えながら、ただただ力なく桜に体を預けていた。 度々えづく喉が胃酸で気持ち悪い、口を必死で押さえたフランは涙目になって絶望的な嘔吐感に耐えている。 (フランちゃん……小食ですぅ) 文字通り喉元まで食べ物で埋められたようすを伺う撫子は、フランのサンドイッチを食みながら独りごちる。 ‡ 樹海の変わらぬ風景は、日照の変わらぬ0世界の法則と相まって時間の経過を意識することが難しい。 「ごちそうさまですぅ」 自らの軍勢の大部分を駆逐した撫子――一体あの重量が何処にしまわれたかは不明であるが流石に些か苦しそうであることを鑑みると一応の限界はあるらしい――は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあったフランの傍らに座した。 頭上の桜は来た時と変わらず満開。 舞い散る花びらは二人の髪に触れ桜色に彩っている。 「えっとぉ、フランちゃん……質問していいですかぁ?」 「なんですか? 撫子ちゃん」 「フランちゃんはぁ……虎部さんのどこが好きなんですぅ? ……ちょっとお調子者でぇふらふらしてて子供っぽいって聞いてますぅ」 撫子の歯に衣着せぬ質問にフランは苦笑を浮かべざる。 「あはは、そうですね……ちょっとお調子者で浮ついていてカッコつけなのに滑ってしまう三枚目な人ですね」 「いいとこなしみたいに聞こえますぅ」 「でも、本当は一生懸命な人で……約束を絶対守ってくれる……ヴォロスであった時も私のために必死になってくれて……これ、みてください」 フランは胸元につけたハート型ロケットを開けて、大事そうに畳まれた古ぼけたタグを見せる。 「これ? 封印のタグですかぁ?」 首肯する少女。 「私の宝物……『もし君が運命に打ち勝てるとしたなら、例えどこに行こうといつか必ず助け出す』トラベさんはそう言ってこれを私にくれました。……冗談みたいな話だと思いました……言っている意味もよく分からなかったけど……ただトラベさんの必死さだけが伝わってきて……私は信じました。……トラベさんは約束を守ってくれた……私を助けに来てくれた。だから……私にはトラベさん以外の人はありえないんです」 敬虔な信者のように恋人を語るフランの表情には真摯さが宿っている。 「両想い、羨ましいですぅ……」 ともすれば盲目的とすら言えそうなフランの話に恋煩いの撫子は嘆息をつく。 「撫子ちゃんこそどうなんです? コタロさんのどんなところが好きなんです?」 フランの言葉に撫子は珍しく逡巡を見せてから言葉を紡ぐ。 「……私、強い人が好きですぅ。怪力隠してたからかもですぅ……普通の女の子に見てもらえるかもって思ってしまいますぅ。だからそういう人見るとときめいちゃいますぅ、すぐふらふらしちゃうんですぅ。……それを見抜かれて後で返事って言われたのかなぁ……」 只々述懐する撫子。 フランは促すように相槌だけを打つ。 「ロストナンバーになって、これもギフトなのかなって漸く思えて……誰かの役に立ちたいなぁって。私でもインヤンガイやヴォロスなら役に立てるかなって。でも……コタロさんが愛着を感じているカンダータは怖いんですぅ。あそこは隣の人が突然死ぬのとか銃器とか平気でないと駄目な気がして……だから後でって言われちゃうのかなぁ」 自分はコタロには相応しくないのではないか? 距離を取られているのではないか? コタロはそんな意識で吐いた言葉ではなかったが『後で』という言葉は強く撫子を苛んでいた。 「待つの苦手ですぅ……辛いですぅ」 行動の人である撫子は、想い人の言葉で思考の袋小路の中にいた。 翳りのある笑み、体を小さく丸める撫子。 悩む親友……大きいけど小さな背中に優しく覆い被さるとフランは耳元に囁く。 「……撫子ちゃん……コタロさんも悩んでいるんじゃないでしょうか? 撫子ちゃんの好きな人だからコタロさんの報告書少し読みました。……自分に絶望した死にたがり……旅団にもそういう人たくさんいました……大切なモノを守れず自分だけ覚醒して生き延びてしまった……悔恨に耐え切れず自分も他人も傷つけてしまう人。でもコタロさんは恵まれてました……撫子ちゃんや沢山の友達がいて……新しい大切なものができて……怖くなったんじゃないでしょうか? また大切なものを守れないかもしれないって、その……まだ覚悟ができないから……撫子ちゃんに待って欲しいんじゃないかな? 違うかな?」 耳朶に触れる少女の息は、微かに濡れていたが撫子がそれに気づくことはなかった。 「だから撫子ちゃん、もう少しだけ待ってあげましょう……。撫子ちゃんが好きになった人なんだから、返事から逃げるような弱い人じゃないですよ......」 ‡ ‡ 変わらぬ風景の中、取り留めのない話は時間を忘れさせた。 いつしか互いの体に寄りかかるように眠りに落ちていた二人。 意識を呼び起こしたものは、トラベラーズノートへのエアメールの受信。 一通ではない――引っ切り無しに受信するエアメールの数に、夢見心地であった撫子も訝しんだか内容を検め――硬直する。 「コタロさんが……行方不明!?」 そこには今しがた話していた想い人の安否がしれぬ。 「フランちゃん、私今すぐカンダータ行きますぅ! だってコタロさんは何度も私を助けてくれたんですぅ! 行かなきゃ、私……コタロさんは絶対生きてますぅ!」 傍らのフランは一つ頷くと先に行くように促す……自分の脚力では全力で走る撫子の足手まといになる。 親友に大きく頷き返すと撫子は樹海の道を脇目も振らずに駆ける、落ち込んだ心も悩みも全て投げ捨てて。 フランの視界の親友の背中はあっという間に小さくなった。 自分の親友は行動の人だ、落ち込んだり悩んだりするのは似合わない。 「撫子ちゃん、頑張って。うまく行ったら……ううん、きっとうまくいくから今度は四人で来たいな……」 桜の樹海に取り残されたフランは一人呟いた。
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