「ヴォロスで死神を確保してきてもらえませんか」 相変わらずのやる気のない声でいきなり姿を見せた世界司書は、新たに発見された迷惑極まりないロストナンバーですと導きの書を眺めながらどうでもよさそうに説明する。「死神という職に反してひたすらテンションが高く、やたらと思い込みが激しいという迷惑極まりない彼が、ヴォロスで発見されたんですが。どうやら現地で一人の少女に一目惚れしたらしく、そこから動こうとしません」 もう放っておいてもいいと思うんですけどねぇと、世界司書はぼそりと呟いたのを誤魔化したげにわざとらしい咳払いをして、導きの書を捲った。「要は引き摺ってでもその死神を0世界に連行してほしいというだけの依頼なんですが、一つだけ言っておかねばならない事がありまして」 不幸に巻き込まれないように注意してください、と熱の篭らない声で忠告される。 不幸とは何事か、と眉を顰めると、世界司書は息を吐きながら導きの書を閉じた。「死神に一目惚れされた少女というのが、見事な不幸体質なんです。日常に起こり得るささやかな不幸は、必ずと言っていいほど彼女に降りかかります。例えば暴れ馬が暴走する先には必ず彼女がいますし、大喧嘩が始まればいつも彼女が通りかかって巻き込まれます。引っ手繰りに鞄を奪われるのは常に彼女ですし、新しい靴を買えばほぼ絶対の確率で川に落ちたり犬が咥えて持って行きます。子供がボール投げをしていれば必ず彼女の身体のどこかしらにぶつかりますし、誰かが持っている水気の物はほぼ百パーセント彼女に被せられます。一つ一つは偶然が重なった小さな事故ですが、彼女にはそれが日常茶飯事なんです」 勿論怪我の絶えた例もありませんときっぱり宣言されたそれに、どう反応するのが正しいのだろう。 わざとじゃなくて? と誰かが尋ねたそれに、世界司書はあくまでも事故ですとはっきりと頷く。「町の人にすれば、彼女の存在はとても有り難いんです。彼女が巻き込まれると、騒ぎは必ずと言っていいほどそこで収束します。逃げ出した犬を見つけたいなら彼女のところに行けばそこで噛みついているはずですし、川が氾濫しても一番の被害を受けるのは彼女ですから」 町の人にとって彼女の存在は身代わり地蔵みたいな物ですねと肩を竦めるようにして言った世界司書は、それに、と言葉を続ける。「そこまで様々な不幸に見舞われながら、彼女は今まで一度も生命の危機を感じた事がないんです。目の前で土砂崩れが起きて大事な物の詰まったバッグが埋まっても、彼女自身は無事です。凶悪犯がナイフを突きつけてきても、取り押さえる人たちに押し潰されて足の骨を折る程度で済んでいます。これはもう、小出しに不幸を受けているから大禍に見舞われない体質なんだ、と、町の人全員一致の納得事項のようです」 それは喜ばしい体質なんでしょうかねぇ、と、世界司書は苦笑めいてぼそりと呟いた。「とりあえず死神は、そんな彼女を守るのは自分しかいない! と息巻いているようでして、周りの人たちは皆、厄介な相手に好かれるのも彼女の不幸体質の一つだと受け入れてしまっているんですが。できるなら何とかしてやりたいと思っているようですし、死神確保の手伝いはしてくれると思います」 できるだけ早くとっ掴まえてくださいと気軽に告げた世界司書は、無事に帰れたらいいですねぇ、と不吉な事をどうでもよさそうに呟く。「彼女の不幸体質は、たまに人を巻き込むそうですし。死神確保の際、下手に動けば確実に彼女も巻き込まれるでしょうねぇ」 彼女の体質からして生命に別状はなさそうだが、軽い混沌は予想される。 精々お怪我のないように、と励ましだか冷やかしだかを残した世界司書は、どこか面白そうに目を細めているようにも見えた。
ジュリアン・H・コラルヴェントは、探すまでもなく目的の人物を見つけたと確信しながらちらりと隣の煌白燕を窺った。 「あの二人で間違いないか?」 「うむ、何の根拠もないが何となく絶対の自信を持って頷きたくなるな」 しみじみと頷いた煌の言葉に、そうだなとジュリアンも何度となく頷いた。 二人の視線の先では、白いワンピースを犬に噛まれて引っ張られている女性と、それを助けるべく格闘している黒装束の青年(片手に鎌持ち)がいる。 因みに犬が噛みついてくる前は買物帰りだったのだろう、片手に持っていた袋の底が破けて荷物をばら撒いていたし、それを拾おうとした青年と力一杯額をぶつけ合って痛そうに蹲っていた。 正にお約束といった典型的なそれらについ苦笑を誘われている間に犬が駆け寄ってきて、何故かスカートに噛みつかれるという不遇に見舞われている彼女が話に聞いた不幸体質でなく何だと言うのか。 「とりあえず、犬を追い払うか」 あのままではスカートが破れそうだと危惧しながら煌が近寄りかけた時、どうにかスカートの形を保ったまま青年が犬を追い払えたのだが。彼が逆手に持っていた鎌を持ち上げ様、さっきまで犬が噛みついていた場所をびーっと音高く切り裂いた。 もはや悲鳴も上げられないで真っ赤になって蹲る彼女に、ごめん悪い今のは悪気があったわけじゃなくてーっ! とこちらも真っ赤になって視線を逸らしながら謝罪している死神に、ジュリアンは大きな溜め息をついて二人の元に駆けつけた。 「わざとではないにしろ、女性の服を切り裂くとは何事だ」 最低だなと死神を罵りながら脱いだコートを座り込んだ女性の膝にかけたジュリアンは、大丈夫ですかと柔らかく女性に笑いかけた。 「っ、誰だお前俺のアイナに近づくなーっ!!」 「そなたが一方的に思いを寄せているだけで、彼女は別にそなたの物ではあるまい」 とりあえず喧しいと手にした扇で死神の頭を軽く打ち据えた煌は、痛いと蹲る死神を見下ろして溜め息をついた。 「先ほどから見ておれば、そなた、全然彼女の為になっておらんではないか。迷惑をかける為に付き纏っておるのか」 「そっ、そんなわけないだろ!? 俺はアイナのために、」 「スカートを切り裂くのも彼女の為か」 「だからあれは事故であってわざとじゃ、」 ないってと泣きそうに顔を上げた死神は、煌よりも視界の端に映る光景が気になったのかこちらに顔を向けてきて声にならない悲鳴を上げた。 「アイナに何やってんだーっ!」 離せ離れろ触るなと悲鳴を上げて立ち上がった死神は、町の人が提供してくれた大きなスカーフで裂けた部分を隠すべくウエストで結んでいるジュリアンの手から女性──アイナを引き寄せた。 結んでいる最中だと抗議する前に、アイナがふにゃふにゃと解けそうな結び目を押さえている。役に立たん男よなと声を尖らせた煌が死神を引き離して結び直すと、ありがとうございますとほっとしたようにアイナが笑顔を溢した。 それを見た死神は何だか泣きそうに顔を歪め、お前! とジュリアンを指してきた。 「ちょっとアイナの役に立ったからって調子に乗るなよ! 俺のほうが断然アイナを愛してるんだからなっ」 「──まぁ、それに関して異論はないが……」 愛した覚えもないと冷めた目で答えるが、聞いた風もない死神はお前なんかにアイナは渡さないっと暑苦しく宣言してくる。それから蹲っている彼女に気づいて足元を見ると、忘れていたと転がっている野菜や果物をせっせと集めにかかる。 今度はぶつからないように距離を計っているところを見ると、学習能力がないわけではないらしい。ただ考えは足りないらしく、両手一杯に拾うとにっこにこした笑顔で自慢げに突き出しているのは如何な物か。 「入れる袋が既に破れておるから用意しようとか、彼女も拾っているところにそのまま突き出しては迷惑だろうとか、少しは智恵を回せんのか?」 呆れた様子で煌が突っ込んだそれに、ようやくはっとした死神はちょっと待っててくれと言い置いて遠巻きに見守っている町の人に声をかけに行く。 言葉が通じずとも様子を見ていれば何が言いたいのかは分かるのだろう、町の人も苦笑混じりに袋を出している。死神は嬉しそうに礼を言って袋に野菜を突っ込み、急いで戻ってこようとしたのだが。 何もない場所で蹴躓いた死神の手から、飛び出してきた野菜や果物が狙い定めたように向かってくる。ジュリアンは咄嗟に彼女を庇ったが、幾つかのジャガイモに頭を直撃された。 「……大丈夫か、そなた」 因みに残念ながら彼女にも芋がぶつかったぞと冷静に指摘してくる煌は、飛んできた幾つかを受け止めている。顔を上げて痛そうに頭を押さえている彼女を見つけたジュリアンは、庇いきれなかったことを謝罪しようとしたところに突進してきた死神に背中を突き飛ばされて膝を突いた。 (~~っ、さっきからどうして僕がこんな役回りだ!?) 軽く擦り剥いた、左掌がちりちりと痛い。災難だなと上手に不幸を避け続けている煌にしみじみと言われて複雑な顔をしていると、きゃあとアイナの悲鳴が届いて慌てて振り返った。 真っ赤になった彼女を肩に担ぎ上げているのは死神で、怖い降ろして落ちると抗議している声を聞きもせず彼はびしっとジュリアンを指した。 「お前らが来てから碌な事がない! アイナは俺が守る、もうついてくるな!」 「やめて、降ろして、スカーフが落ちる~っ」 スカートがー! と泣きそうに主張するアイナに、死神は任せとけ俺がついていると明後日に請け負って肩に担いだまま走り出した。ひーやーっとアイナの悲鳴が遠ざかって行くのを思わず呆然と眺めていると、町の人たちが溜め息を揃えた。 「あの黒いのもな。悪い奴じゃないんだけどな」 「分かんないけど、言ってる事も通じなくはないし」 「ただ、馬鹿だよなぁ」 「担いで走ったりしたら、被害を食らうのはアイナだろうに」 その辺がまだ理解できてないんだよなと頭を振りながら見送っていた町の人たちは、救急隊に連絡しとくかと苦笑混じりに話している。煌はしばらくその様子を眺めていたが、連絡を取りに行く姿を見送って視線を変えてきた。 「……彼らが言うように、下手に追うと彼女にこそ被害が行きそうで申し訳ないが。それでも追うしかないだろうな」 「っ、そうだな。あの不幸加減を見ていると、彼女までロストアウトしかねない」 「──そこまでは想像していなかった。一刻も早く引き剥がすべきか」 故郷を無くさせてはいかんと気を引き締めて唇を引き結んだ煌にジュリアンも小さく頷き、まだ続くであろう不幸にちょっとだけうんざりしながらも死神が向かった方角へと足を向けた。 ゆふさめ照々は、ここに来るロストレイルの中で同郷の出身だと分かった藤枝竜と一緒に、目的地の町をロストナンバーを探しながら歩いていた。何かちょっと嬉しいから余計に頑張ろう! と嬉しそうに歩いている藤枝から視線を変え、さてどの辺りにいるだろうねと呟く。 「不幸体質のお嬢さんを先に探したほうが、見つかりやすいかな。その人の後ろをついて歩いているんだろうから」 「どこの世界にも迷惑な人っているものですねっ。変なストーカーさんに追っかけ回されるなんて、どれだけ怖いでしょう」 絶対に退治してあげないと、と意気込む藤枝に、退治はするとまずいんじゃないかなとちらりと考える。でも迷惑行為には違いないのだし、彼女から引き剥がして0世界に連行するのはある意味では退治すると取れなくもない。 それに、不幸体質の女性を放置しているようにしか見えない町の人たちの反応より、藤枝の意気込みのほうがゆふさめには好意が持てた。 (町の人たちも一度自分が不幸に遭ってみれば、彼女のことをもう少し労わってあげられると思うのだけど……、私にはそれができないのが口惜しいな) 自分の無力にそっと息を吐くと、藤枝がゆふさめさんと袖を引っ張ってきた。 「あれ! あの大きな鎌を持ってるの、あれがストーカーさんっぽくないですか!」 びっと指差された先には、大きな鎌を陽光に煌かせながら反対側の肩に女性を担いで走っている黒装束の青年。何かに追われているにしては足取りも軽そうだが、降ろしてくださいーっとじたばたしている彼女を助けるのが先決だろう。 「あれは……、死神というより完全にストーカーっぽいね。もし人違いだとしても、ここは助けてあげないと」 多分に目当ての二人であろう見当はついたが、嫌がる女性が無理やり連行されているのを見過ごすわけにはいかない。ですよね! と意気込んだ藤枝は、任せてくださいと腕を突き上げた。 「ストーカーさんには成敗あるのみっ!」 行ってきますとびしっと敬礼して駆け出す藤枝に、怪我はしないようにと咄嗟に声をかける。はーいと嬉しそうに手を振った藤枝が、道の途中でかくんとバランスを崩した。 彼らがいる場所から死神が駆け抜けようとしている場所に向かって、緩い坂道になっていたのが不幸の始まりだったのだろうか。 「あれっ」 「藤枝君、前、前!」 危ないよと照々が指したほうを見て、藤枝はどうにか倒れないようにと背中に重心を置いて堪えた。けれど右足がとっと前に出ると、そのまま爪先で何歩か先に進み、転げない為にもそのまま走るしかない状況になってしまった。 「ごめんなさい退いてください勢いつきすぎて止まれないんですーっ」 危ないですよーっと自分で警告しながら突っ込んで行く藤枝に、先に気づいたのは死神のほうだった。担いでいた女性を降ろすと持っていた鎌も投げ捨て、突っ込んで行く藤枝を受け止める。 とはいえ勢いのつきすぎた人間がそんなに簡単に止まれるはずもなく、どうにか藤枝を庇いつつも後ろ向けに倒れ込んでしまった。 「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいーっ」 押し潰す気はなかったんですーっと謝罪している藤枝が無事そうなのを確かめたゆふさめは、助けてくれた死神を申し訳なく思いつつ見捨て、大丈夫かいともう一人へと駆け寄って声をかけた。 ふにゃーっと答えにならない声を発したのは、死神が投げ捨てた鎌の下敷きになって倒れている女性。大事そうに降ろされたまではよかったが、まさかの不運に見舞われている。 とりあえず鋭利な刃先で怪我をした様子もないのにほっと息をつきながら鎌を持ち上げ、大丈夫かいともう一度声をかける。 「は、……い、ありがとうございます、大丈夫です……」 痛そうに顔を擦りながらも身体を起こした女性によかったと手を貸そうとすると、横合いから突き飛ばされた。ぶつけた膝と肘が痛い。 「大丈夫かアイナごめんな怪我はないか!?」 どこか擦り剥いたか骨を折ったんじゃとおろおろしながら確認している死神に、アイナと呼ばれた女性は言葉が分からないままも身体を見回す死神の仕種に見当がつくのだろう、大丈夫だからと答えている。 照々は痛いと心中に呟きながらぶつけた肘を擦りつつ、心配しておろおろしている死神をぼんやりと眺めた。 (うーん、やっぱり悪い人ではないようだねぇ) こんな騒ぎが起きても駆け寄ってこない町の人たちに比べたら、彼のほうがよほど彼女を気遣えている。とはいえ行動が伴ってない以上、何とかしなくてはならないのも確かだが。 どうするべきかなと考えていると、申し訳なさそうに謝罪していた藤枝が我に返った様子でがしっと死神の襟首を捕まえた。 「ぶつかったことは申し訳ないとは思いますけど、それとこれとは話が別! ストーカーさんは速やかに彼女から離れなさーいっ!」 言いつけながら力一杯死神を後ろに放り投げた藤枝のおかげで、バランスを崩して転がった死神が彼女から離れて行く。彼女は藤枝に任せて転がる死神を追いかける背中に、話しかけている声が聞こえた。 「こんにちは、もう大丈夫です! あなたにまとわりついてる変な人は私たちがやっつけますから!」 大変でしたねと彼女の腕を取った藤枝は、くうっと涙を堪えるような仕種をしている。状況をあまり理解できていないであろうアイナも藤枝の勢いに押され、戸惑いながらもありがとうございますと答えている。 あちらは任せておいて大丈夫そうだと小さく笑ってまだ転がっている死神の服を踏んで押さえた照々は、目を回しているらしい死神の側にしゃがみ込んで声を低めた。 「やあ、はじめまして、死神君。目を回しているところを悪いけれど、私の提案を聞いてもらえるかな?」 「うえ……吐く……。い、いやいや吐いている場合じゃないっ。アイナ~、大丈夫か~」 目を回したままも彼女を心配して声を張っている死神に、照々は少しだけ口許を緩めた。 「君を強制連行するのは簡単なんだが……、どうだろう。ここは一つ、勝負をしないか。私が勝ったら大人しく一緒に来てくれる、もし駄目だったら私は君を連れ帰るのを諦めようと思うのだけど」 簡単だよ、どちらに転んでも彼女を守る事にかわりはないのだからと笑いかけると、死神はようやく焦点の定まり出した目で見上げてきた。 竜がアイナの手を取って守る宣言をしていると、彼女が何かを見つけたように死神たちとは別の場所に目を向けた。 何かなと思って振り返ると別れて探していた煌とコラルヴェントが走ってくるところで、竜はぱっと笑顔になって片手を振った。 「二人ともー、こっちですよー」 「ああ、そなたたちも見つけていたか。……既に何やら一騒動はあったようだが」 無事であったならばよかったと頷いた煌にあははーっと笑って詳しい説明を避けていると、コラルヴェントがアイナに手を差し伸べて大丈夫かと確認した。 「追いかけ回してすまない、迷惑をかけるつもりはないんだが。僕たちはあれを引き取りに来たんだ」 あれ、と後ろ手に死神を指し示したコラルヴェントに、アイナは何度か目を瞬かせた。 「彼のご友人ですか?」 「まさか!」 とんでもないときつい口調で否定したコラルヴェントは、びっくりしている彼女に気づいて苦笑した。 「あれと同列扱いされるのはものすごく嫌だ……、そこだけは訂正してほしい。大鎌持ってて話も通じない変な奴だろ、ああいうのを何とかするのが仕事だ」 仕事なんだと強調するコラルヴェントに、煌もくすりと小さく笑っている。竜が成る程そんな風に言えばいいのかと感心しているところに、また来たのかと悲鳴じみた死神の声が響いた。 「アイナに付き纏うな、この迷惑な変質者め!」 「誰が変質者だ、お前と一緒にするな!」 噛みついた死神に自分が一番そうだと自覚しろとコラルヴェントが怒鳴りつけると、死神は退いてろと側にいたゆふさめを押し退けた。そのまま彼が右手を伸ばすとコラルヴェントの足元に転がっていた鎌がいきなり動き出し、彼の足を引っかけながら死神の手に戻っている。 刃の峰のほうで靴を引っかけられて体勢を崩したコラルヴェントに、死神は鎌を振り上げて容赦なく襲いかかる。咄嗟に鞘ごとの剣を取り上げたコラルヴェントがそれを防ぎ、死神の腹を蹴り飛ばして遠ざけながら声を尖らせた。 「そんな物を振り回して彼女に怪我をさせる気か、このバカ!」 「俺がそんなへまをするはずがあるか、アイナから離れろ!」 まるで駄々を捏ねる子供みたいに泣き出しそうな顔で叫ぶ死神に、コラルヴェントは面倒そうに頭をかいた。どうしてここまで、と口の中で呟いた声が聞こえた気はするが、しっかりとは聞き取れない。 「とりあえず、そなたはもう少し離れていたほうがいいだろう」 「そうですよね、このままだと巻き込まれかねないですし」 彼らに巻き込む気がなかろうと、不幸体質の彼女の前ではそんな気遣いなどあってなきが如しだろう。 「やれやれ、今の死神君はすっかり頭に血が上っているね」 私との勝負どころではないらしいと苦笑しながら照々が二人を避けて戻ってくるのを待ち、離れる際も細心の注意を払うべく地面を警戒しながら歩いていたが、そこに横殴りの風がいきなり吹きつけてきた。 それに乗って飛んできた幾つかの看板の内、一つは煌が払い除け、一つは竜が剣を抜いて軌道を変えた──その影に隠れて飛んできた看板が、竜に直撃したのは内緒だ──。 風もビミョーに不得意だよとぼやきながら照々も傘で看板を払い除け、どうにかアイナにはぶつからなかったと胸を撫で下ろしたが。時間差で飛んできた最後の一つがアイナの背中に直撃したと思うと、いきなり竜の視界が塞がれていた。 「っ、ちょっ、え何何何、何が起きたんですかー!?」 いきなり真っ暗なんですけどーっとじたばたしながら視界を塞ぐ何かを排除しようと努めていると、何かが手に絡んだ。急いで振り払うとどうやらスカーフらしく、きゃあきゃあとスカートを押さえてしゃがみ込むアイナに気を取られた隙にまだ吹く風にそれが乗った。 「二人とも、そっちにスカーフが、」 飛ばされましたと忠告するより先に、スカーフはまずコラルヴェントの頭に絡んだ。その隙にと鎌を振り上げた死神に、払い除けられたスカーフが張りつく。もがいた死神が闇雲に鎌を振り回し、嫌な予感がすると思ったままそこに並べてあった樽に突き刺さった。 げっ、と全員が顔を引き攣らせた時には、狼狽えた死神が樽に突き刺さったままの鎌を振り回したせいで無事だった隣の樽も次々と被害を受けていく。 「何故あそこに大人の身長ほどもある樽が並べてあったのか、まず説明がほしいところだな」 「ある物はあるとしても、何も一度に五つも壊す事ないと思いますけどーっ」 「って呑気な事を言ってる場合じゃないよ、私は水が駄目なんだっ」 できる限りは守るけれどと大騒ぎしながらギアらしい傘を広げて襲いくるワインの洪水を防ごうとするゆふさめは、傘を前に突き出して何故かかくんと前のめりになった。 「っ、鼻緒が切れた!?」 こんな時にと本気の悲鳴を聞きながら、仕方なさそうに息を吐いた煌が懐を探って何か札を取り出した。とりあえず彼女とゆふさめを守るにはどうしたらいいかと恐慌しながら考えた竜は、そうだ水には火だ! と思いついて思い切り息を吸い込んだ。 「え、あれ、どうしよう、何か嫌な予感しかしない……!」 ちょっと待って皆一回冷静になろうと一番恐慌しているゆふさめの言葉が終わるか終わらないかの内に、竜は思い切り火を吐いた。あ、と煌が呟いた時には彼女の手から風が生まれ──正確には取り出していた札かららしいが──、風に煽られた火がぶわっと巻き上がる。 火風に押し戻されたワインはコラルヴェントたちを飲み込んだ辺りで上に押し上げられ、一瞬の間を置いて叩きつける雨のように今度は上から降ってきた。 「っ、私は火も水も駄目なのにー!」 叫びながらも突き出していた傘をまともに差し直したゆふさめは、何が起きたのかとおろおろしているアイナの頭を抱き抱えるようにして庇っている。 「い、いらない事してごめんなさいーっっ」 「さすがにこれは私にも予測の範疇外だった……、許せ」 傘もなく頭からワインの雨を被りながら竜が、すかさず屋根のある場所に避難して裾に跳ね返っただけで済んでいる煌が続けて謝罪する先は、コラルヴェントと死神。 何故か竜より遠かったはずの死神のほうが火の被害を食ったらしく、黒装束の一部が焼け焦げている。ただそれですんでいるのは、幸いと言うべきかワインの雨が降り注いだからだろう。 火は免れたらしいがより多くワインを被ったコラルヴェントは、ぼったぼったと赤い水を滴らせながら恨めしく振り返ってきた。ごめんなさいと咄嗟に目を逸らしつつ、男前が上がったなと笑う煌の言葉につい吹き出したのを隠すように俯いた。 ゆふさめに庇われてもワンピースの腰の辺りまで赤く染められてしまったアイナは、大量にワインを滴らせて低く笑うしかできなくなったコラルヴェントと、頻りに反省している藤枝と一緒に町の人間に引っ張られて着替えに行った。 こちらも着替えたほうがよさそうな死神が一名いるが、彼は何故か上の衣装を脱ぐと下から濡れも焦げもしていない同じ衣装を纏っているのでタオルだけ渡され、近くの煉瓦造りの花壇の端に腰掛けて項垂れている。 「ところであのワイン、金額にして幾らくらいの物なんだろう。やっぱり弁償かな」 「アイナといったか、彼女絡みの不幸な事故で弁済は必要ないそうだぞ。町ぐるみで不運に備えた貯金があるらしい」 先ほど確認したと白燕がゆふさめの疑問に答えると、黒目がちな目を瞬かせた彼はへえと声を上げた。 「皆、彼女にはもっと淡白なのかと思っていたよ」 「今日半日であれだけの不運に見舞われる彼女を、そなたは何の感情もなく見ていたのか?」 「まさか。皆諦めているようだけど、彼女の不幸体質を何とかしてあげたいと、」 言いかけて、あ、と何かに気づいたらしいゆふさめは、そうかと口許を緩めた。 「通りすがりの私でさえそう思うのだから、町の人は余計にそう思っているのかな」 「そうだと思うぞ。あの体質は……まぁ、いつかひょっとしたらと思えば心配ではあるが。どうにかできる類の物でもなさそうだ。それならば彼女が被害を食らった分、即座に対応できるように努めたほうがよいのだろう」 実際、あれだけのワインを掃除したり即座に人数分の着替えが出てきたりと、町ぐるみでの協力体制がなければあれほど手際よくならないだろう。手伝おうとした白燕たちをいいからと苦笑混じりに追いやった町の人たちは、ものの十分ほどで掃除を終えて今はもうそれぞれの勤めに戻っている。 「そうか、町の人たちも地味に彼女の不幸に巻き込まれているのだね」 彼女の気持ちも理解しているのかとほっとしたように頷いたゆふさめに煌も僅かに口許を緩め、項垂れている死神を見下ろした。 「自分が守ると息巻いていたが、結局彼女の受ける被害はゆふさめによって軽減したのであって、そなたの働きではないではないか。それでも幸せにできるというのならば、一から語ってみせい」 白燕の問いかけに死神は軽く顎先を持ち上げたが、またすぐに俯いて躊躇いがちに口を開いた。 「……、この町の奴らは、皆アイナを大事にしてる。怪我したらすっ飛んできて治療するし、何か壊しても笑って許してくれる。でもそれは全部彼女が傷ついた後だ、誰も守ろうとしない」 せめて俺くらい守ってやりたいんだと震える声で答える死神に、けれどねぇとゆふさめが宥めるように言う。 「私も話を聞いた時は町の人の反応が冷たいと思ったけれど、今日この場に来て余計な手出しをしないほうがいいのだと痛感したよ? 君が意気込むたびに、彼女が受ける被害は増大したじゃないか」 町の人も色々と試行錯誤して、見守るという現状しかないんじゃないかなと続けられたそれに、死神はぎゅっと手を組んでますます俯く。そこに、ストーカーさん! と不名誉な呼びかけをしながら着替えた藤枝が駆け寄ってきた。 「勘違いしてました、実は保護しないといけないの、あなたのほうだったんですね!?」 もうちょっとでうっかり剣を突きつけて退治するところでしたーと朗らかに笑って謝罪する藤枝に、死神が胡乱そうな目を向けた。 「保護?」 「そうです。0世界に行って登録されないと、今の状態ではあなたがいつ消えてもおかしくないんです」 「……ここにいたら駄目なのか。アイナの迷惑になるなって言うなら迷惑にならないようにする、あんたが言うように俺が彼女を幸せにできなくても、でも、側を離れたくないんだ!」 そのくらいならいいんだろと縋るように目を向けてくる死神に、白燕は言葉に迷って眉を顰めた。こちらも困ったように頬をかいたゆふさめが、さっきの勝負は私の勝ちだよね? と遠慮がちに口を開いた。 「さっき、私と勝負してくれと言った時に言わなかったかな。君が負けたら、大人しく来てくれるって」 あんまり手荒な真似もしたくないと息を吐いたゆふさめの後ろから、強制連行してしまえばいいと吐き捨てるようなコラルヴェントの声が届いた。 「めんどくさい。自分がそこにいるだけで彼女にとって脅威だと教えたところで、この手の馬鹿は聞かない。引き摺って帰ればいい」 「っ、俺はアイナを傷つけたりしない!」 「つもりがないだけで、実際にはお前も一因になってるだろう! 大体、どうしてそこまで彼女に拘るんだっ」 人のために躍起になって馬鹿馬鹿しくないのかと自分の感情を持て余したようにコラルヴェントが続けると、死神は分からなさそうな顔になった。 「どうしても何も、好きだからに決まってる。アイナは俺が守ると決めたんだ……!」 方法は検討中だがと力一杯駄目な感じの宣言する死神に、白燕は溜め息をついて一つ言っておこう、と冷たく死神を見据えた。 「しつこい男は嫌われるぞ」 ぼそっと呟くような警告に、死神はそのまま凍りつく。話を聞かない迷惑極まりない死神でも、彼女に嫌われるのは嫌らしい。 「えーと、とりあえずあなたはここにいないで、早く自分のいるべき所に行くべきです」 それからまた会いに来たらいいじゃないですかと勧めた藤枝に、そうしたらいいよとゆふさめも頷いた。 「正式にチケットが発行されたら、君も彼女の言葉が分かるようになるよ」 「言葉が分かったところで、理解し合えるとは限らないけどな」 笑顔で請け負うゆふさめの隣でコラルヴェントがぼそりと突っ込んだが、死神は都合の悪い部分は聞こえない耳を持っているらしい。 「アイナと喋れるようになるのか……!」 それは嬉しいと子供のように喜ぶ死神を見て、藤枝はさっきの騒動でも無事だった鞄を探って何かを取り出した。 「うん、それじゃあセクタンシェイクで乾杯しましょう!」 美味しいですよーっと嬉しそうに勧めた藤枝は、白燕たちにも同じ物を手渡して高く掲げた。 「ストーカーさんの0世界帰還を祝して。かんぱーい!」 無理やり纏めてシェイクのカップを打ち鳴らす藤枝に、ゆふさめも楽しそうに乾杯と乗る。白燕も軽くカップを掲げ、コラルヴェントも中を覗くようにして持ち上げた。 一人だけ渡されたそれを手に戸惑っていた死神は一応抵抗する気はなくなったようだが、がらごろがっしゃんと不吉な音を立てるアイナが着替えているだろう家を窺いながら恐る恐るシェイクに口をつけた。
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