万象の果実・シャンヴァラーラ。 元ロストナンバーの夜女神が、対たる太陽神とともに創り上げたそこは、【箱庭】と呼ばれる小異世界が連なって出来た異世界であり、その中で、もっとも特異な進化を遂げたと言われているのが【電気羊の欠伸】である。 壱番世界の技術力から換算すれば四十世紀以上という、遠未来とでもいうべき文明を持つそこは、無機から発生した無数の生命と、それらに付随する諸々の不思議にあふれた場所だ。 同時に、電気羊と呼ばれる極彩色の獣神と、夢守と呼ばれる強力な代理戦士たちによって護られた、帝国による問答無用の侵攻に揺れるシャンヴァラーラで唯一、武力によって平らげられる恐れのない、奇妙だが平和な【箱庭】でもある。 先年、タグブレイクという技術によってとあるロストナンバーの青年が飛ばされてきたことから交流が始まり、特に夜女神ドミナ・ノクスと近い【電気羊の欠伸】には、ロストナンバーたちの姿が見られるようになっている。 永遠に自己増殖を続ける『層』=構造体の連なりによってかたちづくられた【電気羊の欠伸】の一角に、鈍く光る鋼色の大地がある。 そこには、巻貝を重ねたような住居があちこちにそびえ立っている。畑や庭、看板や店のようなものもあちこちに見られる。文化、文明を示すものが多くみられるのは、ここを司る羊の特性、属性のゆえでもあるのかもしれない。 道すがら、住民に教わった通りに進み、葉がすべて刃で出来た恐ろしげな森を超えると、「ぬしがロストナンバーか。よくぞ参られた」 刀身を思わせる光沢ある灰の髪に、不思議な形状の瞳孔のある眼をした夢守が佇んでいた。がっしりした身体つきと、頑固そうな顔立ちをした壮年の男だ。どうやら、客が来ることを知っていて、出迎えてくれたらしい。 身の丈190を超えようかという大きな身体を、材質すらさだかではない漆黒のスキンスーツに包み、身体のあちこちからプラグやコードやコネクタを生やした姿は、確かにこの『電気羊の欠伸』を護る夢守の一体に相違あるまい。 彼の背後には、光沢のある灰色の体毛をした、どでかい羊がふわふわと浮かんでいて、あの、何を考えているのか判り辛い目で旅人を見つめている。「ここは、鍛治や細工、ものづくり、ひいては戦いをも司る灰羊カリュプスの領域じゃ。ぬしの訪れを歓迎しようぞ」 八総(ハヤブサ)という名の夢守は、愛想はなくとも、来客自体は喜んでいるようで、不思議な質感の茶や菓子を出してもてなしてくれる。彼の主要領域付近に住まう住民が、給仕を手伝ってくれることもあるそうだ。 蛇足ではあるが、赤羊イーグニスを訪れたことのあるものなら、その化身である六火(リッカ)と八総が似ていることに気づいたかもしれない。 ひとしきりの歓談のあと、八総はもったいをつけることもなく本題に入る。「武器を、細工を、道具を求めて来たか? 無論俺はものづくりを司るもの、そのようなことは容易い。ぬしの望む、いかなるモノをもつくってみせようぞ」 しかし、と、八総は楽しげに言を継いだ。「人間たちはこう言うのじゃったな。『タダではやれぬ』と」 金銭のたぐいが必要なのかと問えば、そんなもの夢守には何の意味もないと返される。「俺のものづくりは『心』を貴ぶ。ぬしの見せる『心』によって、武器も細工も道具も、強くも弱くも、玉にも石にもなる」 八総と戦うのでも、語らうのでも、何かを見せるのでもいい。 八総に投げかけた何かが、八総のつくるモノに力を与えるのだ。「さて、旅人よ。ぬしは何を欲する? そして、そのために、俺に何を見せてくれる?」 茶器を盆に戻し、灰の夢守がまっすぐに見つめる。 旅人の紡ぐ『何か』を愉しむような色彩が、不思議な双眸に揺れた。
灰羊カリュプスの化身、八総(ハヤブサ)の主要領域は、鉱物と金属と鋼、そして刃によってかたちづくられた森と野原の様相を呈している。一般的に言う森や野原に必要な、緑という色が一切存在しない、冷ややかに鋭く硬質的な場所だ。 旧校舎のアイドル・ススムくんという名の不可解な存在は、しみじみつぶやきながら鈍く光る道を歩いていた。 「あー、ここはずいぶん魔力があふれてるでやんすなー。これならわっち、0世界へ帰れそうでやんす」 世界を構成する要素がとても活発な、エネルギーに満ち溢れた場所だ。歩いているだけで、四肢のすみずみまで力がみなぎるのが実感として判る。そしてそのエネルギーは、ススムくんの感覚を鋭敏に、繊細にし、たくさんのものを感じさせるのだ。 それをこの世界で魔力と呼ぶのかどうかは判らないが、少なくともそのエネルギーが動く人体模型氏に活力を与えていることは事実である。 「しかし、不思議な場所でやんすな……壱番世界は当然として、ヴォロスやブルーインブルーでもなかなかお目にかかれない光景でやんす」 他のいかなる【箱庭】とも違う発達を遂げた、異質で異様な、しかし静かで穏やかな世界だ。同じく異質な存在であるススムくんにとっても、妙な居心地のよさを感じる場所だった。 「ふむ……変わった客人じゃの。よくぞ参られた、ゆるりとしてゆかれよ」 灰羊カリュプスの化身、八総は、人体模型氏を物珍しげに迎えた。 「不思議な器じゃ。細断して『中』を観察してみたいが……まァ、そうもいくまい」 何やら不穏なことを淡々とつぶやく灰の夢守の前で、ススムくんはスッと腰を落とし、眼に力を込めて八総を睨み上げた。俗にいう、メンチを切るというやつだ。――基本がアルカイックスマイルを浮かべた仏像っぽい人体模型なので、迫力があったかどうかは定かではないが。 メンチ切りのあと、口からイチゴ味の心臓をひとつ、吐き出すと、手のひらに乗せたそれを、 「お初にお目にかかりやす。わっちは旧校舎のアイドル・ススムくんってぇ名前のケチな人体模型でやんす。ダンナに魔力乾電池をつくって頂きたく、こうしてまかりこしやした。お近づきの印にイチゴ味心臓でもひとつ」 口上でも述べるように訪問の理由を告げつつずずいと差し出す。 八総は特に驚くでもなく――この不思議空間が主要領域だというなら、並大抵のことでは驚かなくなりそうだが――イチゴ味心臓を受け取り、 「魔力乾電池、とは?」 小首を傾げて尋ねた。 どこからともなく、鉄くずと石炭と砂利を組み合わせてつくったような不格好な鼠たちがわらわらと湧いて出る。それらは八総の手に群がり、イチゴ味心臓を少しずつ千切りとっては消えていく。あっという間に八総の手の中は空っぽになった。 なにごともなかったような顔で鼠たちを見送る八総を、やはりなにごともないように見やり――ここにツッコミは不在だ――、ススムくんは説明を続ける。 「へい、わっちは群体でやんすが、魔力が尽きるとただの木偶の坊になっちまいやして。0世界から異世界に行くと、結構な確率でただの人体模型に戻っちまって、なかなか0世界まで戻れないんでやんす」 「ほう、ぬしは『それのみではない』のか。――なるほど、結合体じゃな」 「へい、さようでやんす。意識が消えるその瞬間まで他の個体とリンクしておりやすから、記憶・記録的に困ったことにゃあなりやせんが、世界に行くたびに燃えるごみになるのも困ったもんでやんしょ? だからわっちが魔力不足でごみにならないよう、魔力を供給するものが欲しいんでやんすよ」 こういうときは遠慮するだけ損、とばかりに、盛り込めそうな要望はすべて盛り込んでみる。欲張り過ぎじゃないかと某所で総ツッコミを喰らうか、もしくはいいぞもっとやれ人生欲張ってナンボだ、と声援を受けるかは微妙なところである。 八総は特に否定するでも口を挟むでもなく、歌って踊れる人体模型の話を静かに聴いているが、はた目には――というか、壱番世界的には――ツッコミどころ以外見つからない光景だった。 「もちろん、一度きりじゃあなく、何度も『充電』出来なきゃ困るでやんす。予備と、『充電』用の器具もあるとありがたいでやんす。――つくっていただけないでやんすか」 「ふむ、そうじゃの、それならば」 八総が言いかけたところで、ススムくんは片手を挙げて彼の言葉を制した。 「判っておりやす……バトルでやんすな」 この、なかなかに物騒なものを司る羊の夢守が、『味見』と称して訪問者との闘いを愉しんでいることは、報告書などで知っている。 それゆえのススムくんの言だったが、 「ん? いや、それは違うぞ」 八総はあっさり首を横に振った。 「はて、わっちは、お代に戦いをとお聞きしたでやんすが……」 「その大半は、武器を求めてきたものの場合じゃ。俺の根本は鍛冶師ゆえな、常ならば俺のところへ来るのはもののふのたぐいばかりなのじゃ。戦いの得物を手にするとき、ヒトは覚悟を持たねばならぬ。その覚悟を見たいがために、俺は戦いを選択する。それだけのことじゃな」 「へい、では……何を、どうしやしょう?」 この、異質な鍛冶師、ものづくりの匠が、己が『作品』の代価に金銭を要求することはない。しかし、何かを支払わねば、八総からモノを受け取ることは出来ない。 「困ったでやんす。そうだとばっかり思っていたでやんすから」 「ふむ……ぬしも、己が意志を戦いによって表出しようというたぐいか」 「へい」 「ならば、そのように」 八総がそう言った途端、周囲の空気が張りつめた。 灰の夢守が『その気』になったのだ。 その気配に驚いた金属の鼠たちが、慌てふためきながら逃げてゆく。 確かに、普通の人間なら、あれに巻き込まれてはたまらない、と言うだろう。 しかしススムくんは怯まなかった。 「わっち、学校でずっと技を掛けられどおしで戦いってぇものに馴染んだでやんす」 自分からは動かず、こちらを見ている八総めがけてイチゴ味心臓を連射――おそろしくシュールな画だが、やはり、残念ながらツッコミはいない――、八総がそれをわずかな腕の動きで振り払う間に接敵、柔術での投げ飛ばしを行うべく懐へ飛び込む隙を狙う。 ちなみにイチゴ味心臓は、こっそり近寄った鉱物鼠たちがちゃっかりゲットしていったことを申し添えておく。 じっとこちらを観察している風情の八総が、大きな身体に似合わぬ軽やかさで間合いを崩してゆくのを見極め、タイミングを見計らって、一歩、中へ踏み込む。 ――しかし。 スキンスーツと呼ばれる黒い武装を掴み、投げ飛ばそうとした姿勢のまま、ススムくんは止まっていた。止まりたくて止まったわけではない。 要するに、八総は重すぎて、身体能力に補正がかかっているわけではないススムくんには投げ飛ばせなかったのだ。脚を払うとか、バランスを崩すとか、そういう基本的なところからして困難だったし、八総が攻撃して来なかったことも大きな誤算だった。 「……魔力が充満したこの世界なら、たとえ全身を粉砕されたとしてもかけらが独立して動けるでやんしょうから、四方八方から転ばせようと思ったでやんすが……」 やれやれ、と手を放すススムくんに、 「たとえ別のぬしがいるにしても、客人を粉々に砕くほど俺は乱暴者ではないぞ」 八総はむしろそんなことは思いもしなかったとばかりに返した。 それから、 「ふむ……まァ、堪能した。しかし、少し物足りなんだな。完全なものは出来なんだが、なんぞの足しにはなるじゃろう」 ピンポン玉サイズの、鈍い銀に光る丸い何かを差し出す。 「これは?」 「『収束器(ビンデン)』じゃ。持ち主の魔力やエネルギーを増幅して循環させる。肌身離さずに持てば、魔力の供給源となるじゃろう。まァ……このつくりでは、十回も使えば壊れてしまおうが、の」 「いいんでやんすか? わっち、なにもお見せしちゃあおりやせんが」 「いや? 見えたものもある。だからこそそれが出来た」 「おお、こりゃあありがたいでやんす。ははあ、なるほど。となれば、もっとたくさんのものをお見せすればいいんでやんすね、完全な魔力充電器をつくってもらおうと思ったら」 「と、いうことになるな」 「わかりやした、では、次回こそ。こいつぁ、ありがたく使わせていただくでやんす」 銀玉を身体の内側にあるちょっとした隙間に収め、ススムくんは慇懃なお辞儀をする。 「ありがとうやんした、お手間取らせましてすいやせん。しかしわっち、まだまだ諦めやせんぜ。次こそ、ダンナをアッと言わせるものをお見せしにまかりこしやすんで、お覚悟のほどを」 「おお、それは豪儀なことじゃ。次なる訪問を楽しみに待つとしよう」 満面の笑みを浮かべる八総に辞意を表し、ススムくんは灰羊の領域をあとにする。 足取りが妙に軽いように見えたのは、身の内に呑んだ銀玉のせいか、それとも、ちょっとした満足感のゆえだっただろうか。
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