意識を取り戻した男の目に映った光景は、あまりにも魅力的だった。なにしろ自分を不思議そうに覗きこむ円らな瞳の持ち主達は、旅の途中で食料が尽きてから、長期間飢えに苦しみ続けていた男からすれば食べ物以外の何にも見えない。 食料達が自分に群がり、警戒する様子もなく騒いでいる。こんな状況がありえるだろうか、と男は覚醒したての思考を巡らせようとするが、あまりの空腹にそれもままならなかった。「腹……が、減ッタ」 男が呟くと、食料達はわっと声を上げていっそう騒ぎ始めた。彼らは何かを男に問いかけているらしいが、その内容を推測するような気力も男にはない。 ただ一つだけ、「羊って、二足歩行できたっけ?」という疑問だけが脳裏に浮かんだが、それすらもすぐに消え失せる。 食料達はずっと何かを話してあっていたが、そのうちに一人が何処かへと走りだすとそこにいた全員がそれに従い何処かに向かって駆けだした。体の上にまで乗っていたまっ白い毛の塊がいなくなると、それまで遮られていた景色が男の眼前に現れる。 夜。美しい星空だった。細かく砕けたガラスが散らばっているかのように、星々がチカチカと瞬く。男が横たわっているその周囲が明るいのは、すぐ近くにある民家から灯が漏れているからだろう。 黒い空の中央には、真円というに相応しい形状の一際巨大な星――何処かの世界で「月」と呼ばれるそれによく似た星――が柔らかな光を地表に降り注いでいる。 それを見た瞬間、男の中で何者かの咆哮が響き渡った。それに呼応するように、その肉体は急激な変化を見せる。 呻き声を上げる男の手から、足から、顔から、涅色の獣毛が一斉に伸び出し、それまで限りなく壱番世界の住人と変わらぬ姿だった男の顔も変形する。自らの姿が変貌していくのを男は朦朧とした意識のなかで感じていたが、最早それに抗う力は残ってなどいない。 そして変身を終えた男のその姿は、人間に近い体躯の狼だった。「腹ガ減ッタ。飯ヲ、寄越セェッ!」 男はゆっくり立ちあがり、いつのまにか戻ってきていた先程の食料達めがけて飛びかかろうとした。* * *「こわい」「こわいね」「こわいー」 村中のひつじアニモフ達は村で一番大きな家に集合していた。一番大きいといっても、小柄なアニモフ達が作れる程度の大きさのため、村に住んでいるひつじアニモフ全員が入るには些か狭い。 おかげで内部はアニモフ達のふかふかの体毛で埋め尽くされ、どこからどこまでがそのひつじアニモフの体毛なのか区別できないほど密集していた。 しかしそれでも彼らは誰一人としてその家から出ようとはしない。何故なら外ではこれまで聞いたことのない不気味な声がするのだ。おまけにかれらの仲間の数人は、その声を発する毛むくじゃらのヤツを食事に誘おうと近寄ったら、すごい形相で飛びかかられそうになり、ひどく驚かされたらしい。運の良く毛むくじゃらが目測を誤って空振りしたおかげで、その場は毛むくじゃらが派手にすっ転んだという結果のみで終わったようなのだが。 そんな話を聞かされたら、怖くて外で遊ぶなんてできるはずもない。それでもってそんな怖い話を聞かされたら、一人でなんて過ごせるわけがない。そこでかれらは現在こうしてむりやり一ヶ所に集まって、あの毛むくじゃらをやり過ごそうとしているのだ。「こわいの、やだね」「こわいの、なんとかならないかな?」 みんなで集まっても怖くて落ち着かずにいたアニモフ達は、先程からこういったやりとりをあちこちで何度も繰り返していた。 しかし、危険なことや怖いことなど滅多に起こらない環境で生活してきた彼らに、良い解決策など浮かぶはずもない。……そう、そのはずだった。「「たたかう」したら、なんとかなるかも!」 良いことを思い出した、といった様子で急に声を張り上げた一人に、他の全員の視線が集まる。彼の口からでた言葉は、アニモフ達にとってあまりに耳慣れないものだった。「たたかうってなーに?」「んっとね、こわいのがね、こわいことできないようにするんだって」 その言葉を出したアニモフも、あるロストナンバーからそういった話を聞いただけらしく、詳しいことはよく分かっていないようだ。しかしそれでも自分なりの解釈でなんとか仲間達にその言葉の意味を説明しだしたのだった。「どうやってー?」「こわいことできないように、えっと、うーんと、……やるきをなくさせるの!」「「おおー」」 その説明のどの辺りに関心したのかはともかく、怖い声を発する毛むくじゃらに怯えっぱなしだったひつじアニモフ達は光明を見出したかのように各々目を輝かせる。「どうやってやるきなくさせよう」「おやつをみんなよりすくなくする!」「ままごとでずっとあかちゃんやく!」「おもちゃつかうのいちばんさいご!」 有効と思われる意見が多く交わされたが、どの作戦で行くのかはなかなかまとまらなかった。それというのも、いずれの意見も確実にターゲットのやる気を削ぐことができるはずなのだが、どうにも決定打が欠けているように思われたのだ。「あ、そーだっ!」 ひつじアニモフ達がそれぞれに頭を抱えている中、一人がパッと明るい表情を浮かべた。一同が注目する中、彼は密集する仲間をかき分けて戸棚の方へと向かう。そこでしばらくもぞもぞ動いていたかと思うと、彼は銀色の金属具を片手に持ち、それを天に向けて高々と翳した。「「おおーっ!!!」」 羊毛で埋め尽くされた家に、大きな歓声が湧く。彼が取り出したのは、――手動バリカンだ。常ならば、それは年に一度の毛刈り祭りのときにのみ用いられるものである。「はだかにされたら、やるきでない!」「それだぁっ」「それだー」 名案が浮かんだことにより、彼らの中の恐怖心は払拭されたようだ。一同の真ん丸な瞳には勇気と希望と強い決意が満ちている。こうして、彼らの「はじめてのたたかい」の幕は切って落とされたのだった。「「「がんばるぞーっ!!」」」* * *「まったく……誰だろうな、アニモフに余計なこと吹き込みやがったのは」 シド・ビスタークは「随分面倒なことになっちまった」と困ったように頭を掻きながら、集合したロストナンバー達を見やった。「新たに覚醒したロストナンバーが、モフトピアに飛ばされたらしくてな。今回のおまえらの仕事はそいつの保護だ」 モフトピアに現れたロストナンバーはいわゆる狼男と呼ばれるような種族の者である。なんでも、彼はアニモフを見ると恐ろしい形相で襲いかかろうとするらしい。アニモフ達はそんな彼を怖がって近寄ろうとしなかったため、今のところ被害らしい被害はでていないようだ。「そいつは何故か理性を飛んじまってるようだから、ひとまず力尽くで抑えつけてでもして連れてきてくれ。やっこさん、疲れてんのか知らないがふらふららしいし、おまえらの力ならそう難しくはないな。……面倒なことになったっていうのは、周辺に住んでるアニモフ達のことだ」 狼男が飛ばされた島には、ひつじアニモフ達が多く暮らしている。元気で活発な彼らは、自分達の村に現れた脅威に戦いを挑もうとしているのだった。彼らは祭具である手動バリカンを使って、狼男の毛を刈り尽くすつもりで準備を進めているらしい。 しかし村中のひつじアニモフ達全員が手にバリカンを持って狼男に挑んだところで、いくら相手がふらふらだとしても勝率は限りなく低いだろう。例え打ち勝ったとしても、毛という毛を刈り尽くしたところで何かが解決するということは、神さまが何か勘違いして運命を適当に操作したりしない限りはありえない。「止めようにも自信もやる気も満々らしくてな、制止しても大人しくしていてくれるかは微妙ってとこだ。自分達の力で解決しようっていう心意気はいいんだが……ま、そいつらをどうするかはおまえらの判断に任せる。奇跡も絶対起こらないとは言い切れないしな!」 苦笑を浮かべつつ、シドはロストナンバー達にチケットを差し出す。ロストナンバー達がそれを受け取るのを確認しながら、もう二言ばかり付け加えた。「件の島は昼と夜が一週間ごとに入れ替わるらしくてな、狼男が来る前日からずっと夜が続いているようだ。お前らがあっちに着く頃もまだ夜だろうから、灯は用意しとけよ」
夜が眠りと静寂の世界とは限らない。それは一週間も夜が続くこの島においては尚更のことである。しかし獣の遠吠えが野に響き、住人達が息を潜める、現在のような緊張感を孕んだ夜など平和なモフトピアの島にはおよそ相応しからざるものだった。 「狼男……狼、か。いや、とにかくまずそいつを探してみるか」 友人である灰色の毛並みを持った狼のことをぼんやりと思い出しながら、虎は暗闇に沈む景色を軽く見まわす。平時ならばロストナンバーの到着を察知した好奇心旺盛なアニモフ達がすぐに現れるものなのだが、島に到着した彼らを出迎える影はどこにもなかった。先程から聞こえてくる遠吠えの持ち主の姿も、彼の視界には入らない。そうあっさりは見つからないか、とグランディアは目線を身近な距離に移した。 「あ、いたぜ。狼男」 「ええっ! ど、どこぉっ!?」 島に到着してから何処か緊張した面持ちだった板村美穂は、反射的に両手で持っていたジャンガリアンハムスターのぬいぐるみを前方に突き出すように構えた。しかし左右に視線を巡らして周囲を伺っても、それらしい人影はない。 「美穂、ほれそこじゃそこ。金色の狼男じゃ」 おかしそうに笑いながらジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは落ち着かせるように美穂の肩に手を置き、一人の同行者を指差す。 「は? あ、俺か?」 狼男発見の声に慌て、手持ちのランタンを高く翳し広範囲を見ようとしていたオルグ・ラルヴァローグは、ジュリエッタに指差されたことによりようやくそれが自分のことだったことに気づく。苦笑しながら翳していたランタンを下げると、穏やかな輝きを湛える白炎が揺らめいた。 「いや、まあ確かに狼男ってことは、俺と似た種族ってコトだろうけどよ。なんだ冗談か、焦って損したぜ」 「じょ、冗談だったの? なんだ、ビックリしちゃった」 美穂は照れたように笑いながらぬいぐるみを引っ込める。 それら一連のやりとりを静かに眺めていたボルツォーニ・アウグストは、改めて闇に包まれたアニモフ達の村の方へ身を向けた。 「さて、そろそろ問題となっている方の狼男の捜索にとりかからねばなるまい」 夜を生きる不死者である彼にとって、一週間も日の登らないこの島の環境は最高の条件をもたらすものだ。響く獣の声、冷たい風に紛れている臭気、彼にしてみればそれだけで標的を捕捉するのには十分だった。標的である男はここから幾分離れた場所を徘徊しているようだ。アニモフ達が動き出す前に捕獲を行うなら、速やかに行動を開始するべきだろう。 「それなら、良いものを持っておるぞ」 ジュリエッタはおもむろにサランラップで包まれた肉の塊を取り出した。彼女の言うには羊の肉らしい。これで狼男を誘き寄せようという訳である。 「ああ、それなら俺もパニーニがあるぜ。俺も覚醒した時は食うものに困ったしな……腹減らしてんじゃないかと思ってよ」 「わたしも、お好み焼き持ってきました」 オルグと美穂も持参した食料をそれぞれ取り出した。これだけ食べ物があれば、餌としての効果は十分に期待できるだろう。 「じゃあ、俺様は一足先に狼男とやらを探すとするか」 グランディアの尾が揺れると同時に、そこに付けられているリングが月明かりを受けて煌めく。すると次の瞬間には巨大な体躯を持つはずの虎の輪郭は夜の景色に消えていた。 「では、我々も行こうではないか」 「おう。出身世界が違えど、狼族の仲間が悪さする所を見過ごすワケにゃいかねぇ」 残された面々も行動を開始する。止まぬ遠吠えの元を求め、彼らは村の脇にある森を目指した。 * * * * 「ああ、来たか」 オルグのランタンや美穂のヘッドライトの灯を頼りに森の中を進んでいると、最後尾を歩いていたボルツォーニが突然独り言のようにそう呟いた。何が来たのか、と誰かが訪ねる前に低い咆哮が彼らの耳に届き、その次の瞬間には逞しい体躯をした涅色の獣が蔓草の茂みの中から踊り出る。 「本当に食い物の匂いに釣られて来たってか?」 「美穂、危ないからそなたは下がっておれ」 ジュリエッタは羊肉を美穂に預けて脇差を左手に持ち、その柄に自身の右手を添え構えた。美穂は素直に数歩下がりつつも、どうにか話ができないかと羊肉とお好み焼きのパックを差し出そうとする。 「おーい兄弟、俺達はおまえを迎えに来たんだ。ほれ、こっちには食いもんもある。落ち着いて話さねぇか?」 美穂の差し出したお好み焼きと羊肉、持参したパニーニを指し、オルグは警戒しつつも狼男との対話を試みる。 「食イ、モノ、……食イ物、ヨコセエェエエォォォオオオオ」 言葉の最後辺りは最早言葉ではなく咆声だった。狼男の脚は地を強く蹴り、オルグに襲いかかる。オルグは突進を素早く避けると、その足元を狙って蹴りを入れた。狼男の体はぐらりと揺れて横に倒れかける。しかしギリギリのところで踏みとどまり、狼男は体勢の立て直しを図った。そして再び、オルグに突進を仕掛けようと脚の筋肉を収縮させる。 そのとき、緊迫した雰囲気の中に一際能天気な声達が紛れこんだ。 「おいしそーなにおいするー」 「ほんとだー」 「おなかすいたー」 「ごはーん」 「ごはんー」 右手に銀のバリカン、左手に嘗てない脅威に挑む勇気を携えた一団。島内では初の「たたかう」ことを知ったひつじアニモフ達が、ついに雌雄を決する戦い地に辿りついたのだ。 「い、今このタイミングで来るのか、ってうおおっ!?」 そのあまりに和み感溢れる声と姿に気をとられたオルグは一瞬狼男のことを忘れかけてしまった。狼男の再びの突進は体をムリヤリ大きく仰け反らせてどうにか避けることができたが、危うくパニーニごと齧られるところだったのだ。 「きゃーっ」 「けむくじゃらのこわいのだ!」 「あれ、ちゃいろいのと、きんいろの、どっちー?」 「んーっと、どっちー?」 アニモフ達は狼男とオルグとを交互に見ながらオロオロしている。その間にも狼男とロストナンバー達は食うか食われるかの攻防をしているのだが、そんなこと今日が初陣のアニモフ達に分かるわけもない。 「この様子だと、羊どもの数匹は食肉になりそうだな」 ボルツォーニの手には何時の間に取り出したのか、細く長く伸びる鎖が握られていた。軽く手で弄ぶ度に、それは金属の擦れ合う冷たい音をさせながらしなやかに揺れる。 「……仕方ない。ここは、俺に任せろ」 狼男をひとまず仲間達に任せると、オルグはアニモフ達の前に立ちはだかった。どっちを刈ればいいのかと相談しあっていたアニモフ達の視線を一身に受けながら、オルグは軽く指を曲げた両掌を彼らの方に向ける。 「ほーれ、早く戦わねぇと、食っちまうぞ。がおーっ!」 「「「きゃーっ!!!!」」」 それは、傍から見れば「子供をちょっとした怪談話で脅かす大人」という構図によく似ていてどことなく微笑ましいものだった。しかしひつじアニモフ達からすれば「ついに強敵との戦いの幕が切って落とされた」という真剣な状況なのである。 「こわい!」 「こわいー」 「かえろうよー」 「だめーたたかうのー」 「がんばるぞっ!」 「「おーっ!!」」 ひつじアニモフ達はオルグに向けてついに攻撃を開始した。と言っても半分ぐらいは怖がって震えているため、攻撃どころではなくなっているのだが。 「お、オルグさん!?」 「こいつらは俺が遠くまで誘導する。そっちは任せたぜ」 そう言うとオルグは踵を返し、狼男がいる方と反対側に向けて駆けだす。勇気を奮い立たせた半数のアニモフ達はバリカンを高々と掲げ持ち、それを追いかけた。 「オルグさん! 無事に、ハゲずに戻ってきてください!」 遠ざかろうとするオルグの背に、美穂は大きく声を張り上げて呼び掛ける。 「おう、任せとけ。「たたかう」のに満足すれば、こいつらも落ち着くはずだ」 「生きて帰ってきて、いっぱいもふもふさせてくださいね!」 「ああ、一本たりとも刈りとられずに戻ってくるぜ!」 狼男の突進を避けつつ二人の会話を聞いていたジュリエッタの脳裏には、何故か「死亡フラグ」という単語がチラついていた。 「まさか、のう……」 アニモフ相手にして「戻ってきませんでした」なんてことは決して起こらないだろう。しかしさっきのやりとりは聞いた者に妙な不安感を植え付けていったのだった。 その妙な感覚に気をとられて隙ができたのか、突進を避けられた狼男が素早く身を捻り鋭い爪が揃った右手を大きく振り上げたのにジュリエッタの反応がわずかに遅れる。 その手はジュリエッタの背後から鞭のように飛んできた鎖に弾かれるも、狼男はそのまま大口を開けて彼女の肩に牙を食いこませんと動く。脇差でなんとか牙を受け止めるも、狼男はすぐさま体勢を戻して再び両手を振り上げる。 そのとき、突如として狼男の体は勝手に横へと飛んだ。狼男は横倒しとなった体勢を持ちなおそうとしているようだが、何か目に見えないものに抑え込まれているかのようにじたばたと暴れるばかりである。 「力比べか、見えない相手にどう対抗する気だ?」 「その声は、グランディアか」 姿は確認できないものの、その声は間違いなくグランディアのものだった。ボルツォーニの問いに応える声は、もがき続けている狼男の上辺りから聞こえてくる。 「ああ、なかなかのタイミングだっただろ」 「うむ。だが、随分遅かったのう」 「そうか? まあ、その代わり不意はつけたぜ」 その台詞と同時に、呻り声を発しながら体をよじる狼男の背に右前脚を乗せて胸を張るグランディアの姿が現れる。 「けむくじゃらふえたー」 「……こわい」 「で、でも、たたかうしなきゃっ」 「しなきゃー」 オルグを追っていかずに震えていたアニモフ達がここにきて急に勇気を奮い立たせてきた。正体不明のけむくじゃらが二体に増えたことに危機を感じたらしい。地面に取り落としていたバリカンを拾い、各々の体勢を立て直す。 「あー、余計なことすんなよ。食っちまうぞ」 「く、くっちまうって!」 「くっちまうってなーに?」 「んと、えーと、わかんない!」 「え、どうしよう、くっちまうってこわいのかな」 グランディアの軽い脅し文句についてアニモフ内会議が行われる。やるべきか、やらざるべきか。くっちまうってなんだ。「たたかう」を行う前に様々な問題が発生し、アニモフ達の脳みそはすでにパンク直前だった。幾つかの意見が交わされるも、現在の事態を理解する情報が彼らにとっては不足しすぎており、しだいに発言数は減っていく。最終的には沈黙の状態に陥ってしまった。 「……」 「……」 「とつげきーっ!」 「「「おーっ!!」」」 考えることを破棄した彼らはとりあえずけむくじゃらに向かって駆けだした。ジュリエッタが制止を試みるも、彼女の足元をすり抜けて突進する。 「おいっ! やめろこっちくんな!」 グランディアはがむしゃらなアニモフ達の突撃に思わず身を引く。するとそれまで押さえつけられていた狼男が彼の脚から逃れ、猛りながらアニモフ達にその凶歯を向けた。 「いかん!」 狼男とアニモフ達の間に素早く躍り出たジュリエッタは納刀したままの脇差で狼男の牙を防ぐ。攻撃を防がれると狼は素早く後退し、今度はジュリエッタに向かって歯をむき出し迫った。 ジュリエッタは体の向きを変えず後ろに下がるよう地を蹴る。同時に鞘から小刀を抜いた。抜かれた刃は、彼女がさっきまで立っていた所に噛みつく狼男に向かって振りあげられる。 「ウォオオォォオオオオッ」 降ろされた刀背をまともに受けた狼男は吠えながら大きくよろめいた。膝をつき、両手をつく。しかしそれでも狼男は再度立つ。大量の羊、肉の匂い、あとソースの香りとか、それらを目前とし抑えきれぬ食欲が彼を駆り立てるのか。それならさっさと倒れた方が手っ取り早くありつけるはずなのだが、それを獣は知らない。知らぬ故に、猛る。駆ける。喰いかかる。 * * * * オルグの背後に、綿のような毛をたっぷりと蓄えた羊達の集団が迫る。アニモフ達が取り残されて迷子になってたりしないようにチラチラと後ろを見て、スピードを調整しながら走るうちに森を抜けて野原まで辿りついていた。 「しっかし、ここからどうしたもんかねぇ」 アニモフ達は「たたかう」ことを望んでいる。ここは堂々と迎えうつべきだろう。オルグは思い切って立ち止まると、そのまま勢いで振り返り「がおーっ!!」と襲ってやるぞ的なポーズ付きで威嚇もどきを繰り出した。 「「「きゃーっ!!!」」」 ひつじ達はビックリして一斉に悲鳴を上げる。しかし彼らの「たたかう」決意は固い。ぷるぷるする両手でバリカンを構え、ちょっぴり涙が出そうな感じの目をきりりとさせると、気合いの声をかける。 「「「ふ、ふあいとっ、いっぱーつ!」」」 その台詞を教えたのはこの島を訪れたどこぞのコンダクターだろう。それはともかく、その掛け声を切欠にしてアニモフ達はオルグめがけて一斉攻撃を開始したのである。 「ちょ、多い多い! せめて順番にかかって……ストォオップ! 待て待てっ! バリカンやめろ! 毛が、毛皮が、うわああああああっ」 もふもふまみれになりながらもがくオルグの運命は如何に、とフェードアウトしそうなところで、彼を救う閃光が突如として暗い宙を走った。 地を振るわせるような轟音と共に稲妻が地に降りかかる。それに打たれたものはいない。しかしアニモフ達の猛攻を制止するには十分なものだった。 「ピカッてした!」 「こわいおとした!」 「こわい」 「こわいぃー」 「「ふわあああんこわいよおーっ」」 アニモフ達はバリカンを振るうのを止め、目の前のものに必死にしがみついた。その目の前のものというのは無論オルグのことである。オルグは身動きが取れないことになりながらも、どうにかバリカンの脅威を凌いだのだった。あちこち部分的に凌ぎ切れなかったところはあるが。 「まあ……毛は、生え変わるしな。ああ、そうさ。これぐらい、どうってこと……ッ!」 毛の長さがまちまちになってしまった尻尾は、どこかしょんぼりとうな垂れているようだった。 * * * * 「みんなー、力を貸してー!」 美穂はハムスターのぬいぐるみを前面に突き出すように構え、それの腹部を押した。途端、小さな発光体が彼女の前面にふわふわと集まり始める。その光の一つ一つに、円らな瞳をぱちくりさせる愛くるしいハムスター達がいるのだ。優しい人間のもとで幸福な人生、もといハム生を過ごしたもの達が、美穂の呼び声に応え集っている。 「わー、きれーい」 「すごーい」 「ちっちゃいねずみさんだー」 「かわいーっ」 その不思議でありながら可愛らしさ溢れる光景に、それまで激しい戦闘にびくびくしまくっていたアニモフ達は興味深々だった。狼男とたたかうという目的も忘れ、もっとよく見ようと美穂の周りに群がり大喜びしている。 「よーし、みんな! 突撃ーっ!」 掛け声と共に、ハムスター達は狼男に向かって全力で駆けだした。 「あ、あっちいっちゃうー」 「「「まってーっ!」」」 「あー、まってー! おいてかないでー!」 光の大移動を追いかけて、ひつじ達も一斉に大移動を開始する。もはやアニモフ達に狼男など見えていない。ただひたすら先を行くハムスターを追いかけて、走る。走る。 別に攻撃の意思があるわけではないが、ハムスター達は狼男に突撃していっているわけで。そうすると当然アニモフ達の行く先にも狼男がいるわけで。つまりグランディアとジュリエッタの攻撃を受けてすでに足元の覚束ない狼の目前に、なんか知らないけど光ってるハムスターの大群ともこもこした毛の大群が押し迫っているというわけである。 「ギャアアアアアアアアアアア!?」 可愛いのか恐ろしいのか美味しそうなのかよく分からないままに狼男は絶叫した。あるいは、状況がよく分からなすぎて叫んだのかもしれない。 狼男は状況理解を拒否し、「とりあえず逃げる」という選択肢をチョイスした。とにかく恐ろしいファンシーの大群から逃れるため、走れ。 しかし身を翻し駆けだそうとした矢先、夜の闇の中から浮かび上がるように、黒服を纏った壮齢の男が現れ、狼男の行く先を遮った。一歩。ボルツォーニが狼男に歩み寄ると、その手に握られた鎖がじゃらりと冷徹な音をたてる。 「さて、仕置の時間だが……心の準備は必要か?」 返事を待たずして、鎖はボルツォーニの手に操られ宙を踊った。本能的に危機を察知した狼男は素早く身を引く、否、引こうとしたのだ。しかし背後から光るハムスターの大群のともふもふの大群が衝突し、それを妨害したのである。 「グオァァッ!?」 全速力で突撃されれば、いくら小さなハムスターと柔らかい毛のひつじとはいえ痛いに決まっているのだ。しかし痛みと同時にもふもふした感触も混ざり、痛いのか気持ちいいのかよく分からないまま狼男はもみくちゃにされる。そして、キュートな一団が通り過ぎた後の狼男の体は横たわり、さらにいつのまにか鎖で両手足を封じ縛りあげられていたのだった。口にまでまわされた鎖の一部はご丁寧なことに猿轡のように変形し、その鋭い歯を封じている。 「ねえ、ジュリエッタさん。あれ、ちょっと変わった縛り方かなって、思うんだけど、えっと……」 「見てはいかん、見てはならんぞ美穂! あれは子供が見ていいものではない!」 不思議そうに首を傾げる美穂の双眸をジュリエッタが慌てて両手で塞ぐ。言いながら目を泳がせているジュリエッタの頬も少し赤くなっているようだった。 「ああ、……この縛り方は、いいのか? 猿轡とかもよ」 「これが何か、分かるアニモフなどいない。よって問題ないだろう。猿轡は、アニモフどもを傷つけないための方策だ」 グランディアの問いに事も無げに応えると、ボルツォーニは身動きの取れない獲物の頭部の傍らに立つ。狼男を捕らえる緊縛、それはある種、芸術的なものであった。それをあえてハッキリと記してしまえばつまり亀甲縛りとか呼ばれるようなアレなのだが、それについてより詳しく描写することは健全な冒険者のためにとりあえず控えることとする。 ちなみに、光るハムスターを見失ったひつじアニモフ達は、現在不思議な縛り方をされた狼男を楽しそうにつんつんと突っついたり、どういう原理で亀の甲羅のように菱形が連なっているのかを解明しようと一生懸命観察したりしていた。 「ひつじ諸君」 ボルツォーニの呼びかけに、転がっている狼男に夢中だったアニモフ達が顔を上げる。 「この恐るべき獣と戦う気は、まだあるのか」 「あ」 「そーだったー」 「たたかうしなきゃー」 「けーそるの?」 「そるー」 「そるぞっ」 「「そろー」」 当初の目的から言えば、まったく身動きがとれなくなっている、つまりもうひつじアニモフ達を脅かすことができなくなっている状態の狼男と彼らが「たたかう」必要はもうないはずである。しかし、そこはさすがアニモフというところだろう。そんなことはもう覚えてないので関係ない。狼男動けないしとりあえず今のうちに毛を刈ろう。目的と手段が入れ替わっているというのは、正にこのことである。 * * * * まだ少しだけ怯えたままのひつじアニモフ達を引きずりながら戻ってきたオルグを、ジュリエッタ、美穂、グランディアはなんとも言えない様な表情をしながら迎えた。 「なんか知らねえが、雷が落ちてくれたおかげで助かったぜ。……若干、犠牲はあったけどよ」 仲間達の妙な雰囲気をなんとなく感じながらも、オルグは自身の無事を知らせる。その言葉にジュリエッタは満足げに頷いた。 「念のため、マルゲリータにそっちの様子を伺ってもらっておったのじゃ。もっと早く落とせれば良かったのだが、こっちも取り込み中だったのでのう。少し手遅れだったか、すまぬ」 「え、あの雷、ジュリエッタがやったのか。いや、お陰で全身刈り取られずに済んだんだ。ありがとよ」 ジュリエッタの肩に遅れて戻ってきたオウルセクタンがとまる。「おまえもお疲れさん」とオルグが声をかけると、マルゲリータは軽く首を傾げて見せた。 「……ところで、「あれ」は何やってんだ?」 それまであえて触れなかったのだが、順序的にそろそろ尋ねておいた方がいいだろうと、オルグはここでようやく少し離れたところで展開されている光景について質問した。 「聞かない方が、身のためだと思うぞ」 同じ肉食獣として居たたまれない、と言わんばかりに、グランディアはオルグの指した「あれ」から顔を背ける。 木に吊り下げられてぶらぶらと揺れる様は、狼と言うよりミノムシと言った方が相応しいだろう。猿轡の隙間からなにやらくぐもった声を発する狼の目には、うっすら涙が浮かんでるようにも見える。涙が出るということは彼には既に理性が戻っているのかもしれない。しかしそれを知るものはいないだろう。少なくとも嬉々としてバリカンを構えるひつじ達の中には。知っていたとしても止めるとは限らないが。 銀色の刃が輝くバリカンを手にジリジリと迫るアニモフ達の眼は、いつもの彼ららしい無邪気で純粋なものだ。その表情も、ただひたすら、面白い遊びに臨むときのルンルンと楽しそうな笑顔そのものである。狼男の目にそれがどう映っているかはともかく、アニモフ達だけを見ればとても微笑ましい気持ちになるだろう。 「さあ、恐れることはない。好きに刈れ」 「「わーいっ」」 大衆を焚きつける能力はさすが嘗て領主として才を発揮してきた者と言える。ボルツォーニの促す台詞を受け、アニモフ達は元気いっぱいに狼男めがけて飛びかかった。 「――!? ――ッ!!!! ~~~~~~~!!!!!!」 狼男の悲鳴になってない悲鳴が響く中、ジュリエッタは歳いかぬ児童にトラウマを植え付けまいと両腕を使って美穂の目と耳を塞いでいた。一方、美穂は何が起こっているのか、何故目と耳を押さえられているのか分からずに困惑している。オルグは疲労困憊しながらも、先程まであれだけオルグ相手に暴れまくったにも拘らず自分達も加わろうとしている元気のあり余りすぎたアニモフ達を押さえつけて止めており、グランディアもまたそれに加勢していた。 「どうだ、己より弱い者に我が身を好きなように蹂躙されていく心地は……?」 逃れようにも逃げられぬ獣人の顔に自分の顔を寄せ、ボルツォーニは問う。そのその年季の入ったコントラバスの如き甘やかさと優雅さを持ちながら尚冷たい色を帯びる声色で紡がれる問いは、決して返答を相手に求めるようなものなどではない。 それまで感情のほとんど表れなかった顔を、優越と快楽が冷たく歪ませている。口の両端だけを吊り上げたその笑みは、見るものに底知れぬ恐れを覚えさせるものだった。 「ボルツォーニっていったか。……やたら楽しそうだな」 狼男の惨劇に参戦したがるアニモフ達をのしかかるように抑えながら、グランディアはその様子を眺めている。 「と、止めなくて良いのかのう」 「えっと、あの、今はいったい何が起こって……?」 美穂の視覚と聴覚を塞ぐので精いっぱいになっているジュリエッタがこれ以上の惨劇の阻止を求める視線をグランディアとオルグに送った。 「……あれに巻き込まれるのはごめんだ」 「俺もこれ以上毛を刈られるのは、嫌だ。こっち止めるのも大変だしな」 「かーりーたーいー」 「もっとけーかるのー」 「はなしてー」 「「はなしてー」」 こうして、平和なモフトピアを襲った狼男事件は、凄惨としかいいようのない光景をその場にいた者の記憶に植え付けて幕を閉じたのだった。 * * * * 「まあ、色々あったが……ここは美味しいものを食べて、仲直りといこうぞ」 アニモフ達の家の台所を借りていたジュリエッタが大きな肉の塊が乗った皿を運んでくると、その美味しそうな香りにアニモフ達の無邪気な歓声が湧いた。 村の中央にある広場の片隅、村中のアニモフ全員が余裕で席に着けるほど巨大なテーブルに、今日起こった惨劇の関係者全員が集っている。ひつじアニモフ達は相変わらず楽しげにキャッキャと騒ぎあっており、ロストナンバー達は陽気な彼らに群がられたりしながら、仕事を終えた後の一時を満喫していた。その温かい空間の端っこの方で藍色の毛布にくるまり、物悲しい鳴声を発しながら震えているのは今回の事件の中心人物であった狼男である。アニモフ達が近くを通過するたびにビクリと跳ねあがる様に、肉食動物らしさは全く感じられない。 テーブルの上にはアニモフ達による手料理の他、オルグが持ってきたパニーニや美穂のお茶とお好み焼きも並び、中央にジュリエッタ特製の「アバッキオアッラカッチャトーッラ」なる舌を噛みそうな名前のイタリア料理が置かれている。 「この料理の肉、もしかしてあの羊肉か? いいのかコレ共食いだろ」 「そうは言ってももったいないじゃろう。彼らには黙っておれ」 笑顔で小皿に取り分けながら言うジュリエッタに据え恐ろしいものを感じたグランディアはその事実をあえて忘れることにした。 「グランディアさん!」 先程までオルグの尻尾をもふもふ触っていた美穂が、ひつじアニモフを抱っこしつつ今度はグランディアの毛並みを狙ってその掌を向けていた。 「いい、ですか?」 「あー、……まあ、いいぜ。刈られるわけじゃねぇんだしな」 狼男事件の後、島に住むひつじアニモフ達は再び怖い毛むくじゃらが現れたときに備えて毎日バリカンの特訓をするのが日課となり、彼らはモフトピアではかなり珍しい戦闘民族となったそうだ。 また、「かめさんしばり」なる緊縛方法を覚えた彼らの村には、その練習に使用され、縄でアレな感じに縛られたぬいぐるみ達があちこちで見られるようになったらしい。 【完】
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