ズズ……と汁をすする音を聞きながら、ロストナンバー達は目前の世界司書が話をきりだすのを待っていた。スプーンも使わずまっ白い皿から直接スープを飲み干し、湯木は口元を拭いながら視線を寄越す。「インヤンガイ、雪蓮丁区。連続殺人犯逮捕に協力せェ」 雪蓮丁区はインヤンガイの中でも比較的治安の良いはずの街区である。というのも、安定した収入のある者達が集まっており、精神的に余裕がある住民が多いためだ。 湯木は空の白皿をロストナンバー達に見せるように軽く翳してみせた。図書館の灯を反射して、皿はその艶やかさを際立たせている。「事件の共通点は多い。殺害方法……死体の状況……あと、皿」 机の上に皿を置き、持参したらしい鍋からまたスープをよそう。湯気がまったくないことから、火から鍋を離して随分立っているようだ。「じゃが被害者は、浮浪者や、子供、娼婦。共通点は特になァらしい」 あるとするなら、襲いやすさくらいだろうか。湯木は二杯目のスープを一口飲んでから続ける。「無差別。で、妙な遺体。依頼受けた探偵が調査し始めとるが……付近では、不安が広がっとる」 湯木は皿を持っていない方の手で、人数分のチケットを差し出した。「お前らは、依頼受け取る探偵の手伝いをするっちゅうことなっとる。詳細は、その探偵に確認せェ」 雪蓮丁にある探偵の事務所を訪れたロストナンバー達を迎えたのは、所長・サイ ウェロンの不機嫌そうな顔だった。机の周りにロストナンバー達を集めると、彼は早速事件について語り始める。「これが遺体の写真だ。残念なことに俺はもう慣れちまったけどよ、苦手な奴は見ない方が良いぜ」 ウェロンが差し出した写真には、裸の女性の遺体が写っている。ソレを見たことで、ロストナンバー達はようやく司書が言っていた「妙な遺体」の意味を理解した。 まず、死体には首がない。胴体の特徴で成人女性と判断できるが、これだけで個人を特定するのは困難だろう。しかしそれもまだ、この死体の特徴の一部に過ぎなかった。 両手両足は胴体から一度切り離されたうえで、胴体周りに元通りになるよう配置されている。すなわち、脚部は胴体の下に二本揃えて置き、腕部は両肩にそれぞれ切り口を当て、手を胸の上で組ませていた。 そして何より特徴的なのは、横たわった胴体の腹の上である。そこにあるのは、一輪の花と人間の脳。脳が、傷一つなく形を綺麗に保った状態で置かれていたのだ。「胸糞悪い。犯人は遺体を解体して、ご丁寧に脳みそまで繰り抜いて返してきやがった。極めつけは背中のらくがきだ」 吐き捨て、ウェロンはもう一枚の写真を机上に置く。死体の背中を撮ったものらしい。そこには、赤黒い文字が綴られていた。「此の麗しき惨劇を、捧げたもう。他ならぬ、貴方様が為」 その内容を読みあげると探偵は眉間の皺を深くし、ギリ、と歯ぎしりをする。だがすぐ自身を落ち着かせるように深呼吸をした。「その死体。付着してる血は背中の文字ぐらいだ。それ以外は綺麗なもんだった。そんだけ豪快にぶった切ってるくせに、現場に血は落ちちゃいねー。それどころか、死体自体にも血がほとんど残ってねェんだ」 言いながら、ウェロンは椅子に腰掛ける。そして、改めて死体の状態から推測されることについて説明した。「首に手痕があってな、殺害方法は手袋をつけたうえでの背後からの絞殺らしい。殺害後、別の場所で見つかった遺体の頭部を見て分かったんだが――鋭利な刃物とドリル、ノコギリを使って開頭し、脳を取り出してる。それから首を、さっきとは違う型のノコギリで切断して血抜きを行ったと思われる。その後、さらに両腕両足をノコギリで切断し、遺体に付着した血を拭き取ったうえで、発見現場まで運んだ。そしてその写真のとおりに遺棄したと思われる。この殺害から遺棄までは、大体五日前後。犯行はおそらく夜間中。犯行現場は不明だが……まあ、空き家はいくらでもあるから、その辺に連れ込んだんだろ。それは探してる最中だ。――それから、」 そこでウェロンは一度言葉を切った。机の引き出しを開け、さらにもう一枚、写真を取り出す。そこに写っていたのは、一つの墓石と、その前に置かれたまっ白い皿。「事件後必ずこの墓石の前に、肉のスープが入った皿が供えられてることが分かった」 墓石には個人の名が綴られ、皿の中には探偵が言うように肉の塊の入った透明なスープがよそわれている。その中でロストナンバー達が気になったのは、その皿の形状だった。 白く、丸いその皿はスープを注ぐには底が浅いし大きさもない。そのくせ平たくあるべきの底は丸く、皿として使うにはあまりにも不安定だ。「気づいたか? その皿。ただの皿じゃねェぞ。……人骨だ」 頭頂部を頭蓋骨から切り離し、それをそのまま皿として使っている、ということらしい。「遺体の頭部と被害者の遺品は付近のゴミ山に放置されてた。発見された頭は損壊されていて頭頂部の骨はなく、その皿を当ててみたらピッタリとハマった」 『皿』と今回の事件の関連性は明らかってわけだ、と語りながら、今度は生きた人間の写った写真を数枚取り出す。「皿が添えられてた墓の人物はもう分かってる。事件が発生しだす一ヶ月前に亡くなったチュンユウって名前の婦人だ。今はその関係者に絞って捜査を進めてる。コレ、聞いてみろ」 ロストナンバーの一人が、ウェロンから小型の機械を受け取る。どうやらボイスレコーダーらしい。再生のボタンを押すと、ノイズの交じった男の肉声が流れ出した。***『あー、……月……日。チュンユウの実子、チュンリン、チュンハオ姉弟宅にて。……じゃ、早速。お二人の職業は?』『は、はい。私は叔父の病院で医師を。弟も、まだ新米ですけど』『叔父の病院、ってことは叔父も医者か』『ええ。小さい病院ですけど、私が医師になったのは叔父の影響です』『僕も、姉さんが叔父さんに勉強を教わっているところによく同席していたので』『叔父とは親しいんだな』『父さんが早くに亡くなったので、僕達家族の面倒をよく見て下さってるんです。姉さんも僕も、……きっと母さんも、叔父さんには感謝しています』『その母親なんだが、どんな人だったんだ?』『……母は、信心深い人でした。……よく、神様の話をして……』『他には?』 『絵画が好きでした。先程から探偵さんがご覧になっている絵画はすべて、母さんや僕達が描いたものなんです』『ああ、なるほど……ちなみに、ここには二人で住んでるんだよな?』『はい、私も弟も結婚してないですし、別に住む予定もありません』『じゃあ例えば、夜中にどっちかが外出したり怪しいことしたりしたら、すぐ分かるわけだ』『そうですね。見てのとおり、広い家ではないので。姉さんが何かしていればすぐ分かりますよ』『私も弟も、事件とは関係ありません。そのことは、互いに証明できます』『分かった。お話どうも』***『チュンユウの弟、チンユアンの自宅にて。えーっと、職業は医者だったか』『え、ああ、はい。その、』『あんたの姪っこ達に聞いたんだよ』『そうでしたか。おっしゃるとおり、下の階で病院を開いています。最近は患者が多くて忙しいんですよ』『ああ、階段登る前に見たぜ。医者の繁盛ってのはめでたくない話だな……ここには独り暮らしか?』『はい。恥ずかしながら、妻子とは別居中でして』『そいつは寂しいな』『はは……でも、リンやハオとはほぼ毎日会いますし、食事とかもよく彼らと一緒にとっていますから』『そうかい。で、あんたの姉のことなんだが』『そうですね。どうして姉が事件と関係あるのか、私には分からないですが』『人柄は?』『……ごく、普通の女性でしたよ。信仰や絵画に凝っていて、……それから、人見知りで。親しい友人はリーシンさんというご婦人だけです』『リーシン、ね。連絡先は分かるか?』『分かりますよ。よければお書きしましょうか』『ああ、頼む。独り暮らしってことは、あんた夜中のアリバイは』『連日となると難しいですね。ですがたまに姪達の家に泊まることもあるので、一度リンに確認してみてください』『はいよ。ところであんた、腕に怪我でもしてんのか?』『この包帯ですか? 随分前ですけど、火災に巻き込まれまして』『火傷か』『はい。痕がひどく残ってしまいました。おかげさまで、火はまだ苦手ですよ。……さ、これがリーシンさんの連絡先です』『どうも』***『チュンユウの親友、リーシンさんとその旦那、リーディンさんの自宅にて』『ウェロンさん、あの、本当に……ユウが事件と関係してるんですか?』『ん? ああ、おそらくは、だが』『そう、そうなの。そうなのね……』『チュンユウとは親しかったって聞いたんだが』『子供の頃からの友人よ。家族ぐるみで出かけたりもして』『ってことは、旦那も彼女のことは知ってる、と』『ああ。俺も彼女や、彼女の家族のことは知ってる』『どんな女性だったかは?』『とても、信心深い人よ。よく教会でお祈りをしていて、少し短気なところはあったけど、立派な女性だったわ』『……、そうだな。……』『ディンさん、どうかしたのか?』『いや、気にしないでくれ』『……ちなみに、二人の職業は』『俺は大工を。シンは専業主婦だ』『大工に、専業主婦ね。シンさんは家事以外、普段は何を?』『そうね、園芸が趣味だから。よく花や木の手入れをしてるわ』『ああ、この間も人の工具を勝手に使ってやってたな。ちゃんと返しとけよ』『いいじゃない、ちょっとくらい。木の枝ぶりが気に入らなかったんだから』『あー、で、一応アリバイ確認しても? 夜中とか、お互い変わったところは』『え? ええっと、そうね……』『特にない。妻は疑われるようなことはしてないはずだ』『ええ。私も、夫が不審なことなんてしてないと思うわ』***「とりあえず、話を聞いたのはその五人だ。今のとこ、他に有力な目撃情報とかは出てねェ」 再生が終わると、ウェロンは頭を乱暴に掻きながら立ちあがる。机の上に置いたものを適当に片付けながら、ロストナンバー達に問うた。「で、何から始めるつもりだ?」※このシナリオはイベントシナリオ群『ロストレイル襲撃!』で描かれたロストレイル襲撃事件よりも過去の出来事として扱います。
「花と供物。一連の殺人には宗教色を感じるわ。宗教殺人の線を疑ってかかった方がいいかもね」 探偵から一通りの話を聞き終えた一同は、しばらく思案の沈黙を保っていた。それを破ったのは、東野 楽園の一言である。 「私も同じ結論ね。ユウの信仰していた宗教、関係あるのかも」 常盤はそれに同意すると、他の意見を求めるように傍らの夜会服の男に顔を向けた。 肩の上でバサバサと喧しく羽音をたてて笑うような鳴声をあげるオウムを余所に、ジャン=ジャック・ワームウッドは淡泊な表情のまま口を開く。 「余計な推測は邪魔になる」 動機とは、正体を暴かれた犯人がその口で語るものである。この事件で何が語られるのか、他者の紡ぐ話を求めるジャンがそれに惹かれるのは避けようもない。しかしそれはまだ、今は、彼にとって不要なのだ。 「殺害から遺体発見、スープの出現の日時について詳しく教えてくれ。関係者の住居と墓と遺棄現場の位置関係もだ」 「おう。殺害は、大体夕方から深夜にかけてだ。遺体発見はどの事例もそれから六日後の朝以降で、スープの発見もそれと同じ。ようするに夜に殺して五日後の夜中に捨ててってやがるわけだ」 話しながら、ウェロンは机の引き出しから地図帳を取り出す。机上に広げられた雪蓮丁区一帯の地図の各所には赤や青のペンで印がつけられていた。 「ユウの墓がある墓地は東の端の辺りだな。ここから一番近いのはリー夫妻の自宅。リン・ハオ姉弟の自宅はそこから西に歩いて十分ってとこだ。ユアンの病院はその南、徒歩五分弱。遺棄現場は墓地を中心にユアンの病院が収まる範囲に固まってるぜ」 一同はしばらく地図を注視していたが、やがて楽園が顔をあげてウェロンに問うた。 「ユウの死因はなんだったのかしら?」 「病死だ。不治の病ってやつだったらしい」 身内に三人も医師がいたのにも関わらず、判明した頃には手の施しようがなかったらしい。 「命日は分かるか? 犯行の周期と関係があるか確認したい」 「月の頭、一日だ。犯行に特に決まった周期はないぜ。二週連続だったり、一ヶ月空いたりってよ。まちまちだ。いや、でも遺体が発見される曜日は大体同じだったか」 楽園とジャンがウェロンに事件の詳細を確認する傍ら、常盤は遺体の写真をじっと見つめている。その顔に浮かんでいるのは嫌悪の念。墓守を生業にしていた彼女にとって、その写真は不気味以上に腹立たしさを掻き立たせるものだった。 「……まったく、趣味の悪さが年季の入った幽霊並ね」 反吐が出ると言わんばかりの様子で呟くが、その視線が写真から離れることはない。 「ウェロン、この遺体を直接確認することはできる?」 「ん? あー確かそいつはまだ施設で保管されてたな。引き取り手なんざいねェだろうし」 一同は事件の資料を荷物にまとめると、まずは遺体の収容先に向けて事務所を後にした。 ウェロンの案内に従い、三人は歩きながら事件の資料に目を通しそれぞれ事件について考察を行っていた。 「この事件、容疑者はもうこの五人に絞っていいのかしら」 誰に問う訳でもなく、楽園は疑問を口にした。事件にユウの存在が関わっているのは確かだが、他にユウに対して何らかの事情を持っている者がいるかどうかは証明のしようがない。 「そうね。でも、たぶん」 「死体を見れば分かる」 常盤の台詞を継ぐようにして、ジャンは応える。その表情から何らかの感情を汲み取ることはできないが、その口ぶりには確信めいたものが潜んでいるようだった。 「おい、着いたぞ。さっさと中入れ」 煤けた色の施設の扉を開け、ウェロンは彼らを促すように顎でしゃくった。 施設の人間らしい男とウェロンが幾つか言葉を交わした後、彼らは間もなく安置室に通される。その部屋には専用の冷蔵庫の正方形の口が敷き詰められていた。銀色の取っ手を引くと、無機質な台に乗った遺体がずるりと引き出される。 「ギャハハ! 脳味噌ズル剥け! イイ感じに沸いてるッスねぇ!」 ジャンの肩の上で、オウムがけたたましく羽ばたき嗤う。切断された両腕と両脚、剥きだしの脳、「皿」に使われた頭骨の一部、そして写真のなかった頭部がそこに並んでいた。 「頭部は損壊されている、と言っていたが」 それを一通り眺めると、ジャンはウェロンの方に顔を向ける。確かに事前に聞いていたとおり、頭のてっぺんは綺麗に丸く刳り抜かれてはいた。 「頬がないわ。ここも繰り抜かれていたのね」 楽園もジャンが言わんとしたことを察したらしい。頬をごっそり刳り抜かれた頭部に特に恐怖心を抱くでもなく、それを観察している。 「それか。いや、なんだ。あんまり口にしたくなかったんだけどよ」 ウェロンは苦虫を潰したように顔を歪めた。「スープ、か」 「……ああ。それだ。肉のスープだ」 そのやりとりを聞き、常盤は不快そうに表情を険しくさせた。 「人喰い! 人喰いだってサ! イカレてるイカレてるッ! ギャッハハハハハハハハハッ」 「そのオウム、ちょっと黙らせられないの」 不愉快さを隠さずに常盤は薄汚れたオウムを睨む。 「それで、これから死体の何を調べるのかしら」 楽園は常盤とジャンに死体の捜査を進めるよう促した。ジャンは、再び頭部に視線を向ける。頭の刳り抜かれた頂と、その傍らに置かれたまっ白い「皿」。綺麗に円形を保ったその骨片は、一瞬なら確かに「皿」と見間違えるだろう。 「脳に傷は一つもなかったそうだな」 「まぁな。手足とかはノコギリで切り落としただけだったが、その辺りはやけに丁寧に処理してやがった」 常盤も、オウムを黙らせるのは早々に諦めたらしい。ジャンと同じく遺体の頭部に注目していた。 「これだけの処理をするのに、時間はどれくらいかかるのかしら?」 「そうだな……腕一本切り離すのも重労働だ。それを五カ所。脳天と頬刳り抜いてスープ作って……ああ、血抜きもあったな。ま、これだけを全て一晩でやりきるのは無理だ。サボらなきゃ、五日もかからないだろうが」 つまり、殺してすぐに遺体を現場に遺棄するのは不可能だった。しかし死体の処理ができあがっても、すぐには遺棄しなかった可能性もあるらしい。 「なるほどね。調べたかったことは、そのこと?」 「いいえ、もう一つ」 常盤はあっさりと首を左右に振り、さっとウェロンに向き直った。その様子から、特に訊きたかったのはこれからということが見て取れる。 「この処理、誰でもできるものなのかしら?」 この処理、というのは特に「皿」と傷一つなく取り出された脳のことを指していた。 「これより以前に外科手術の練習台にされた遺体はなかったか?」 常盤とジャンに尋ねられ、ウェロンは眉間に皺を寄せて唸りつつ、持参した資料のファイルを鞄から引っ張り出す。それをバラバラと乱暴に捲り、食い入るようにそれをなぞり読む。 「ざっと見たとこ、ここ一年の記録には残ってねェ、な。俺の記憶にもまったくねェ」 そこまで応えると、彼は一度ファイルから目を離した。 「脳の取り出し方なんざ普通知らねェし、方法が分かっても未経験者がドリルやノコギリ頭に突っ込めんで脳みそ無傷にできるとは思えねェよ」 一同は改めて頭部の切り口を見る。毛髪の剃られた頭皮や幾つかの膜がだらりと垂れ、穴の開いた頭骨をさらしていた。骨の切り口には小さなドリル穴が等間隔に開けられた痕があり、それに沿って小型のノコギリで開頭したらしいことが分かる。 「雪蓮丁区に外科医は何人いる?」 「小さい病院はいくつもある。……が、外科はユアンのとこだけだ」 開頭技術を習得する機会など、通常あるものではない。以前に練習として使われたような遺体もないとするなら、可能性は大きく絞られる。 「決まりね。犯人は医療関係者、ユウの弟ユアン、子のリンとハオ。彼らのうちの誰かだわ」 「念のため、リー夫妻の経歴も調べる必要もある。だが、まずは彼らに絞って捜査を進めていいだろう」 ジャンはリー夫妻に医療技術の習得機会がなかったかの調査をウェロンに依頼する。 「そういうことだったのね。私は幾つも工具を所持しているリー夫妻が怪しいと思ってたのだけど」 「道具は入手しようと思えば容易に入手できるわ。でも専門的な技術となれば、そうはいかない」 「そういえば、もう一つだけ見ておきたいのだけど」 大きな収穫を得、そろそろ慰安室を出ようというところで常盤は思い出したように、もう一度遺体の傍に寄った。遺体の頭部、正確にはその首の辺りを覗きこむ。 「この手痕、少なくとも私より大きいみたいね」 「……測ってみるか?」 ウェロンから巻尺を借りると、常盤は首に残っていた手痕にそれをあてがった。 「大体、二十センチ弱ってところね。皮膚が伸びたりして、正確じゃないかもしれないけど」 「もう充分よ」と彼女が遺体から離れると、遺体は再び専用の冷蔵庫の中へと納められていった。 施設を後にすると、通りの端に集まりこれからの捜査方針を話し合った。 「一つ気になる事があるの。どうして供物を捧げる相手は『貴方様』だったのかしら? ユウになら『貴女』と書くはずよ」 そう疑問を口にしたのは楽園だった。『此の麗しき惨劇を、捧げたもう。他ならぬ、貴方様が為』――これは発見されたどの遺体の背にも記されていた。 「花も言葉も、墓前には捧げられていない。ユウ以外の何者かに宛てたと考えるのが妥当だろうな」 「宗教殺人、が関係しているのかもしれないわね」 ジャンと常盤の言葉に頷きつつ、楽園はにこりと笑む。 「ええ。だから私はユウの信仰していた宗教を調べたいの。あと、やっぱりリー夫妻にもお話を伺ってくるわ」 それだけ伝えると、楽園はふわりと優雅な仕草で踵を返し、その場を去っていく。その途中、一度立ち止まって首だけで振り返る。 「そうだわ。背中の文字で筆跡鑑定を行ってはどうかしら。血文字と同じ筆跡の人間がいれば、彼、もしくは彼女が犯人よ」 「分かった。試しにやってみるが、紙とペンで書いたやつじゃねェからな。鑑定しきれねェ点もあるだろうし、過度な期待はしねェ方がいいぜ」 そう応えた探偵に頷くと、楽園は向き直って今度こそそのまま道の先へと去っていった。 「俺はユアンの病院に行く」 「じゃあ、私は一応被害者の幽霊でも探してみようかしら。ウェロン、地図帳借りていくわよ」 次いでジャンも自身の行き先を告げると、常盤もまた遺棄現場に印づけた地図帳を手にその場を後にしていった。 生者に目撃者がいないなら、死者にも尋ねてみればいい。特に被害者などは、犯人にもっとも接近した人物なのだから。常盤は遺棄現場を順に巡りながら、それらしい霊魂を探していた。 「いるかどうかの確証もないけど」 いたとしても、背後から襲撃されたのなら犯人の顔は分からないだろう。それでも話さえ聞ければ、有効な手掛かりが掴めるのは間違いない。 しかしこの辺りは比較的治安が良い方であるとはいえ、やはりインヤンガイだけあって当てもなく彷徨う霊の数は非常なものがあった。それだけ、常からのたれ死ぬような人間が多いのだろう。 ふいに、彼女の脇を女の霊がすり抜ける。常盤は反射的にそれを振り返った。急ぎ、その後を追う。 「ねぇ、あなた!」 なんとか霊の目前に滑り込むと、常盤は改めてその霊の姿を凝視する。わずかに驚いたような表情をする女のその顔は、先ほど施設で見た遺体の面影と重なるようだった。 「少し、話を聞かせてくれる? 時間はとらせないわ」 ジャンが病院に到着したときは、ちょうどユアンとリン、ハオの三人が揃って休憩をとっている頃だった。 「それで、私達に訊きたいことというのは?」 応接室のソファに並び座ると、ユアンは緊張した面持ちで、向かいに座るジャンに尋ねた。 「三人は全員、外科医なのか?」 「はい。と言っても、私はほとんど診察だけですが」 「えっと、叔父は腕に火傷を負っているんです。それで、手術などの治療は私と弟が担当していて……」 白衣の袖から覗くユアンの痩せた右腕には白い包帯が丁寧に巻かれている。ジャンが怪我の具合を見てもいいかと尋ねると、ユアンは頷いて腕を捲り、包帯を解いた。 「ギャハハハハハハ! こりゃまたグロテスクっスね!」 醜く変色し皮膚の歪んだ腕が露になると、ジャンの肩でオウムが騒ぎだす。それを睨む甥をなだめ、ユアンは苦笑した。 「こちらの腕はうまく力が入らなくて。字はなんとか左手で書けるように練習したのですが、手術はさすがに」 患者さんの命に関わりますから、とユアンは続ける。 「姉弟の手術の腕はどれ程だ?」 リンとハオのことを問われると、ユアンは誇らしげに頬を綻ばせた。 「二人とも優秀ですよ。特にハオは上達が早くて、私も驚いてます」 「ありがとう、叔父さん」 リンとハオは、先程から叔父を気遣うように彼の両側に座り寄り添っていた。その光景は叔父と姪、甥、というよりは本当の親子のようである。ハオは叔父の肩に手を置きながら、ジャンに先を促した。 「他に、お尋ねしたいことは?」 「三人の、ここ数カ月のスケジュールだ」 「それなら、手帳がここに」 ハオは自身の手帳のページをめくり、差し出す。そこには三人の夜勤や休日の予定が書きこまれていた。 「診察は月曜から金曜が夕方まで。土曜は半日までです。夜間や日曜は交代で」 「リンは女性だし、一人で夜勤は心配だから。ハオが夜勤のときも私はリンの家に泊ってることが多いよ」 手帳によると、月曜と金曜の夜勤がリンの担当である。土曜と日曜はハオの担当で、残りの火曜から木曜がユアンの担当、となっていた。 「協力、感謝する。最後にもう一つ」 「……何か?」 「亡くなったチュンユウ、彼女のことをどう思っていた?」 問いを受け、しばらく彼らは戸惑うような仕草を見せていたが、やがてリンがぽつりと言葉を紡いだ。 「私は、……母が怖かった」 「姉さん!!」 その言葉を聞いた瞬間、ハオは声を張って立ちあがった。それまで穏やかそうにしていたのとは打って変わって、掴みかからんばかりのハオの形相に、ユアンも思わずソファから腰を上げて甥の両肩を抑える。 「ごめん、ごめんね。違うの。私も、母さんを愛してたわ。もちろんよ。母さんを助けてあげられなかったのを、今も後悔しているわ」 「……」 ユウは不治の病だったらしい。共に過ごしていながらそれに早く気付けなかったのは、子として後悔しきれぬところがあるのだろう。ハオはまだ腹立たしげに顔を歪めていた。 「すみません。リンもハオも、まだ気持ちの整理がついていなくて。彼女の話題は普段から避けているんです」 恥ずかしいところを見せてしまったと言うように、ユアンは苦々しげに笑ってみせた。 リー夫妻を訪れた楽園はユウの信仰していた宗教について簡単に質問をやりとりしていた。やがてお茶を淹れなおしてくると言ってシンが席を立つと、ディンに軽く微笑みかける。 「貴方に、どうしても伺いたいことがあったの」 「俺にか。なんだい嬢ちゃん」 「ウェロンの取材テープを聞いて不思議に思ったの。……チュンユウの人となりを訊かれて、貴方は何を言い淀んだの?」 その問いを投げられると、ディンは居心地悪げに目を反らし、頭を掻く。 「シンの親友だし、死んだ人間のことだ。あまり悪くは言いたくねぇんだが……もう十年以上は前だな、親子三人でうちに遊びに来たときだ。見ちまったんだよ」 そこで一度言葉を区切り、台所からシンが出てこないか、わずかに席から立ちあがって確かめる。 「なにしろ、シンはユウのそういうところにはまったく気づいてなかったらしいんだ。思い出を汚すのは気がひけるだろ」 「それで、何を御覧になったのかしら」 「息子のハオが誤ってうちのカップを割っちまったてな。その場はユウとハオが一緒に俺達に謝って、「気にするな」ってことで落ち着いたんだが……その後だ。ユウがハオをこっそり外に連れ出して、罵りながら手加減なしに殴りつけてたんだ。「お前のように無能な子では、私達は神様に見放される」「うちに不幸があったら、お前達姉弟の不出来のせいだ」……そんなことを喚いてたっけ。驚いて飛びだしてったら、なんでもない、気にしないでくれってよ。今じゃリンもハオも立派に育って安心したんだが、正直ずっと心配してたんだ」 シンが帰ってくる前に話を済ませたかったのだろう、ディンは早口でそう語ると、また落ち着きなく台所の気配を伺った。 そのときちょうどシンが茶と茶菓子の乗った盆を持って台所から出てきた。シンが戻ってきたなら、もうこれ以上この話を聞きだすことはできないだろう。楽園は勧められた茶を数口だけ頂くと、リー夫妻の家を後にするのだった。 各々捜査を終えたロストナンバー達は、自然とユウの墓のある墓地へと集っていた。 「ユウの信仰していた宗教は壱番世界のキリスト教に近いものではあったけど、それを独自の解釈で歪めていたのかもしれない」 リー夫妻から得た情報を、楽園は祭壇の周囲を歩きながら語っていた。 「ここに来る途中で、リー夫妻に医療技術を学んだような経歴はないってこと、ウェロンが教えてくれたわ」 筆跡鑑定の結果もね、と常盤が茶封筒を楽園に手渡す。楽園はそれに軽く目をとおした。 「まあ、既に分かっていることの信憑性が高くなった程度ってところかしら」 「……犯人はもう分かってる。そうよね?」 「ああ。あとは、本人に語ってもらうだけだ」 彼らは「犯人」に会うため、移動を始めた。しかしそれはすぐに不用のものとなる。 「あら、こんにちは」 先に、ユウの墓を訪ねる人物を見つけたからだった。 「ウェロンに尋ねられたとき、貴女は夜勤のことを語らなかった。その時点で、貴女は嘘をついていたのよね」 出会って間もなくの楽園の言葉に、リンは表情を強張らせた。しかし返す言葉を見つけ出せないというように、オロオロと顔を背ける。 「遺体の状況から、犯人は外科医ということはハッキリしている。ユアンの腕が不自由である以上、犯人はおまえ達の可能性が高い」 姉弟は黙して、目前の三人をじっと見ていた。真相を語らせるには、まだ言葉が足りない。そう判断すると、ジャンはさらに言葉を続けた。 「犯人は、ハオ。おまえだな。リンは夜勤の有無に関わらず、常にユアンかハオのどちらかの監視下にあった。だが、おまえはリンか自分の夜勤のとき、誰の監視下にもない。リンの夜勤である月曜に殺人を行い、金曜に遺棄を行ったのだろう。現に、今回の事件は遺体の発見がほとんど土曜日中に起こっている」 「遺体の首に残っていた手痕、大きさから見た限り、リンのものではありえないわ。それに――」 常盤は一度息を継ぎ、一枚のメモを差し出した。そこに描かれていたのは、黒の上下に帽子を深く被り、マスクをした人物だ。 「『目撃者』から、被害者に襲いかかったのは男性で間違いないという証言も得ているの」 ハオは何も応えない。ただじっと、先程よりいくらか落ち着いた様子で、彼らの言葉を聞いていた。 「遺体の処理を自宅で行ったと考えると、同居人のリンがまったく気づかないとは考えられないわね。だからこそ、ウェロンに嘘をついたんでしょうけど」 その言葉を聞いたリンは、またビクリと怯えたように体を震わせた。しかし常盤がそれに特に同情するような素振りを見せることはない。 「これは私の推測なのだけど……遺体に残された血文字が指す『貴方』とは、貴方達のお母様が崇めていた神の事じゃないかしら? 哀れな犠牲者はさしずめ神に捧げられた生贄ってところね」 続いて楽園が、そう言葉を連ねる。 「否定をするなら、おまえ達の自宅で訊かせてもらうが」 遺体の処理を別所で行ったにしても、彼らの自宅を探せば全てが分かるはずだ。犯行時の衣服を外に放置しているとは考え難く、頬肉を保管しスープを作ったのは間違いなく自宅でのことなのだから。 彼らの断罪を聞き終えた頃には、姉のリンはすっかり青ざめていた。しかし一方で、ハオは二コリと、柔和な笑顔を浮かべる。 「自宅への招待はお断りします。貴方がたの話をすべて認めますよ」 それは、諦めというよりは、ただ与えられた状況をそのまま受け入れようという達観のようである。 「なら、語ってもらおうか。おまえの口から、この事件を」 ジャンの要求に対しても特に反抗するわけでなく、ハオはすんなりと頷いて見せる。 「そこのお人形のようなお嬢さんのおっしゃったとおりです。全て、神に生贄を捧げる儀式ですよ」 「生贄、ね。生贄を捧げる代わりに、貴方は何を願ったの?」 楽園は問いこそ投げたが、この「儀式」がなんのためのものか薄々は気づいていた。それを裏付けるようにハオは語る。 「神の力が宿った血肉なら、きっと母を蘇らせらせてくれるんですよ。そうだと、神が僕に語ったんです。確かにその声を聞いたんです。そう、僕は神に出会った。そしてこうすれば、きっと母を返してくれると」 黙々と語り続ける男を、ロストナンバー達は止めることなく淡々と眺めている。彼の真黒い瞳は、姉も、目前の三人も、誰も見てはいない。 「僕達が母さんを殺したんです。姉さんと僕は、馬鹿だから。何一つ満足にできないんですよ、何をしても母を喜ばすことなどできなかった。だから母を奪ったんです。僕達は何も気づけなかったんです。だから母は死んだんです。母は言ったんです。お前達のせいだと! 寝ても覚めても僕を責めるんです! 何をしているときでも! お前のせいで私は死んだんだと! だから僕は生き返らせないといけないんです。母を。僕が……」 「それが全てか」 ジャンが問うと、ハオは静かに頷いた。リンはなおもそんな弟を守ろうと、彼を抱き締め、涙をこぼした。 「私は、母が怖かった。いつも怖かった。母の言葉は、いつも私達を壊すから……ッ」 寄り添う姉弟はやがて離れる。何を嘆こうと、何も贖われはしないのだから。 【完】
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