「あとを、お願いできる?」 そう言い残し、アリッサは、山羊座号でナラゴニアに向かう予定であった。 ――だが、その前に。 今の世界図書館を、ひとめ見ておきたいと、思った。 建物修復にかかる人手を募集するむねの広報がなされてから、まださほど経ってはいない。だから、そこは無人のはずだった。 しかし。 アリッサは見た。 小さな聖女が、ひとり、祈りを捧げているのを。(……ゼシカちゃん) 崩壊した図書館のそこここに残る、摘み取られた命の、むごい飛沫。 そっとシロツメクサの花をそえ、ゼシカ・ホーエンハイムはこうべを垂れている。 時の動かぬはずの――何らかの調整を行わない限り、雲や太陽の微妙な位置変化などないはずの空から、ひとすじの光が、幼い少女を照らし出す。 崩れた壁とひび割れた石柱は、神聖な祭壇となっていた。「……あのね。ゼシ、パパのかわりに館長さんに謝りにいこうとおもってたの」 アリッサの近づく気配を感じながらも、ゼシカは祈りの姿勢を崩さない。「あやまる……? どうして?」「世界計をこわしたし、ミミシロさんだって……。まわりの人にも、たくさんたくさん、迷惑をかけたもの」「それはゼシカちゃんが謝ることじゃないわ」 ゼシカはゆっくりとかぶりを振る。「ゼシ、パパを待ってるの」「……ゼシカちゃん」「おうちに帰る前にやりたいことがあるからって、そう言ってパパいなくなっちゃったの。本当は一緒に謝りにきたかったけど、いつになるかわからないから……」「そう……。いけないお父さまだね。可愛い娘に、こんなに心配かけて」 アリッサの、とび色の瞳に浮かんだ涙の粒が、みるみるうちに大きくなる。「ゼシカちゃんは、ずっと、誰にも……、どんな親しいひとにも、言えなかったんでしょう? 『パパを助けて』って」「うん。……言えなかったの」 ゼシカの大きな青い瞳は、すでに涙で濡れていた。「パパをにくんでもいい、おこってもいい。だけど、パパはああすることしかできなかったって……。きっときっと、考えて考えて、ああなったんだって。でも、どうしても言えなかった。パパの気持ちをわかってくださいって、言えなかった」「そうだよね」 アリッサも、小さく頷く。「私も、言えなかった。ヘンリーお父さまを助けて、お父さまに逢わせて、とは、言えなかった。たとえそれが、どんなに正直な気持ちでも。それはもしかしたら誰かに、無意識の犠牲を強いることになるかもしれなかったから」「……!」 ゼシカは、はっと顔を上げ、アリッサを振り向く。 ――そして。 これからナラゴニアで、血を流さぬ戦争をしなければならない世界図書館館長の中に、まったく自分と同じ――父親に置いて行かれて泣いている、幼い少女の面影を見たのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)アリッサ・ベイフルック(cczt6339)=========
彼の中に生命(いのち)あり、生命は人の光なり。 光は暗(くらやみ)に照り、暗は之を覆はざりき。 ――ヨハネによる福音書1:4-5 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ まぼろしの聖堂に、光のヴェールが降りこぼれる。光は虹いろのオーロラにすがたを変え、荘厳なステンドグラスをかたちづくる。 幻影の聖画に描かれたふたりの少女は、聖母と化している。彼女らの腕のなかで目を閉じている救世主の顔は、それぞれの父親に他ならない。少女たちは抱きしめる。聖痕から流れた血さえひからびてしまった救世主を、いとおしく抱きしめる。 この犠牲を見よ。 この犠牲を見よ。 聖母たちの涙は、瓦礫の荒野のただ中に、シロツメクサの花を咲かせている。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 「孤児院の先生がいってたの。パパは、優しくて弱い人だって」 ゼシカの小さなくちびるから、かすかな言葉がもれる。声はとまどい、震えている。 「優しくて、弱い」 アリッサは、その響きを反芻する。 優しくない父親などいない。弱くない父親も、いないものを。 「……うん] その意味を、幼いゼシカがどれだけわかるだろうか。父の弱さを許し、認められるようになるまで、どれだけの時間と問いかけが必要になるのだろう。 「だからね……、ゼシもママも死んだとおもって、神様がどっかにかくれんぼしちゃって……、神様がいない世界も、嫌になっちゃったの」 ――ゼシね、ホントは、ぜんぜん、いい子じゃないの。 握りしめた小さな手の甲に、ぽたぽたと涙の粒がこぼれ落ちる。 「パパと、もっと遊びたかった」 「ゼシカちゃん」 「だっこしてほしかった」 「ゼシカちゃん」 「ママのお話、聞きたかった」 「……!」 アリッサは思わずしゃがみこんだ。手を広げた。 思い切り、ゼシカを抱きしめる。 ゼシカはただ、アリッサの髪に顔を埋める。発した言葉は、嗚咽の中に呑み込まれていく。 アリッサの喉からも、声にならない声が漏れた。 どうして。 ……どうして。 私たちは、そんなに多くを望んだわけではないのに。 家族いっしょに、暮らしたかっただけなのに。 もっとたくさん、わがまま、いいたかった。 行っちゃやだって、通せんぼしたかった。 パパ……。 パパ……。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 「ねえ館長さん、ホントのこと、いって?」 ゼシカはふと、顔をあげる。涙に濡れた頬が、光に溶ける。 ――パパ、帰ってくると思う? アリッサはほんの一瞬、息をのんだ。 ゼシカは本能的に、わかっているのではないだろうか。 父親が、二度とは戻らぬ旅に出てしまったことを。 そう、パーマネント・トラベラーとなった、アリッサにとっての育ての親、前館長エドマンド•エルトダウンのように。 だが。 エドマンドと違うのは、ゼシカは、父と相まみえる可能性はもうないということだ。 「もう、帰ってきたの。……帰ってきて、しまったのよ、ゼシカちゃんのお父さんは」 光のかけらになって、0世界に降り注いだの。 「……帰ってきたのなら、抱っこしてくれる?」 「……いいえ」 「頭なでてくれる? ママのお話、してくれる?」 「……いいえ」 その手はもう、娘を抱きしめることは、かなわない。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 「ゼシね、いっぱい考えたの」 涙を拭おうともせずに、ゼシカは言葉を重ねる。たどたどしく、懸命に。 「パパはゼシに会えたけど、沢山人を死なせて、狂わせたのに、幸せになっちゃいけないって」 ものごころついたばかりの幼い少女らしからぬ、透徹した思考。 「……いいえ」 それは違う。それは違うの。アリッサは否定する。 「ゼシは大丈夫。パパがいなくても大丈夫。ひとりじゃないから、大丈夫なの」 「いいえ」 「パパは牧師さんだから、ひとりぼっちで死んじゃった女の子を神様の元に送り届けてあげなきゃいけなくて、それで行っちゃったのかなって、おもうの」 おそらくはキャンディ・ポットのことを言っているのだろう。だがそれは「よその娘」ではないのか。護るべき大切な娘は、ここにいるのだ。 「だから、大丈夫」 「いいえ、ゼシカちゃん」 その肩に、アリッサは手を置く。そうではない。そうではないのだ。 「私たちは、大丈夫なんかじゃない」 「……館長さ……」 「私たちは、寂しいの。寂しいんだよ」 「寂しくてつらくて大声で泣きたいのに、強がることしかできないだけなの」 「……でも」 「泣いていいんだよ。誰もゼシカちゃんを責めたりしない」 「……うん」 ――ようやく。 ゼシカは認め、頷いた。 ――大丈夫なんかじゃ、ない。 本当は、寂しい。 パパのばか。 何でも願いを叶える力を手に入れたんでしょ? だったら、どうしてゼシと一緒にいたいって言ってくれなかったの? パパに会いたい。 おうちに帰りたい。 ひとりぼっちは寂しいよ。 「ごめんなさい館長さん、パパがごめんなさい、皆ごめんなさい!」 「ゼシカちゃんが謝ることは、ないのよ」 「だって。だって……!」 声を上げて、ゼシカは泣いた。 「もうお迎えにもいけないの、待ってるしかないの! パパはずるくて、嘘つきで意気地なしよ! でも、ずっと会いたくて、捜し続けた、たったひとりのパパなの!」 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ やわらかな輪郭を包み込む金の髪。 青空を映した朝露のような瑠璃の瞳。母親似だという、その面差し。 天才の名をほしいままにしたルネサンス期の巨匠が、まだ見習いであったころに描いたみずみずしい天使の絵に、ゼシカはどことなく似ている。 年ごろの娘に成長したなら、どんなにか美しくなるだろう。 三日月灰人は、どんなにかそのすがたを見たかったろう。 我が子が成長するさまを、どんなにか、すぐそばで、見届けたかっただろう。 「館長さんも、怖くなったりする?」 「何に?」 「前の館長さんや、パパさんに、もう会えないかもって」 「……そうね」 父の記憶は、さだかではない。 父が出奔したのは、アリッサが今のゼシカよりも幼かったときだったのだから。だからアリッサは、父のことを知らない。知りようもない。 知りたいと思ったことは、あった。 だが、小さなアリッサが無邪気に父のことを問うと、それがどんなにささやかなことであれ、エドマンドにせよロバートにせよ、どこか複雑そうな、つらそうな顔をした。 エヴァにいたっては言わずもがなだ。 アリッサは長じるにつれ、父のことを問わなくなった。 その話題を避けることを、覚えた。 イタズラ好きな、ひとだったわ。 いつだったか、そんなことを一度だけ、エヴァは言ったことがある。 それは、陽光のあふれる中庭でのお茶会の席。他愛もない、罪のないイタズラをヘンリーはしでかして、ジェーンとエヴァの姉妹は笑い転げたのだと。 だが、それはエヴァの想い出だ。 アリッサの想い出では、ない。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 「でも、それでもね」 ひとしきり泣き、さんざんしゃくり上げてから、ゼシカは照れくさそうに濡れた頬をぬぐう。 「それでもやっぱり、ゼシはパパが大好き」 「そう。そうね」 「館長さんもでしょ?」 「……そう、なのかな?」 ――パパがパパで、よかった。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 「館長さん。ゼシが泣いたの、内緒よ?」 「どうして?」 「恥ずかしいから」 三つ葉のクローバーはキリストの三位一体を、四ツ葉のクローバーは十字架を表すという。 教会での結婚式のあと、新郎新婦にバラの花と一緒にシロツメクサの花を投げるのは、この花の花言葉が「約束」であるからだ。 それは、永遠の絆の象徴―― ゼシカは小指をアリッサに向ける。 「指きりげんまん、お約束」 「約束ね。わかった」 シロツメクサの花言葉は「約束」と、そして。 ――「私を思って」 イヴはエデンの園から、四ツ葉のクローバーを持ち出したという。 ならば世界は、約束と絆に、あふれているはずなのだ。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 「ありがとう、ドンガッシュ。そろそろ作業を開始してくれる?」 最後の祈りを捧げているゼシカを背に、アリッサはホームへ急ぐ。 ナラゴニアから帰ってくるころには、新しい世界図書館が完成していることだろう。 †。.・†*。.・・.。*†*。.†*。.・†。.・ 初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。 ――光あれ。 こうして、光があった。 ――創世記:第1章第1節
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