「黒猫なんだ」 少年ブックキーパークサナギは導きの書を手に神妙な面もちで厳かに口火を切った。「性格はかなりひねくれてて、へそ曲がりらしいんだけど、悪い子じゃないと思うんだ」 何故か彼は声を忍ばせ重々しく話す。 それからふと視線を明後日へと向けて。「ペットに欲しいと思って……」 彼の頬は照れたように赤らんでいた。可愛い子猫を手の中に抱いてそのモフり具合を楽しんでいるかのような、そんな顔つきだった。どうやら、どこか遠くへ行ってしまったらしい。 やがてハッとしたようにロストナンバーの存在を思い出して、彼はコホンと咳払いをした。「えぇっと、だから、今回の任務は黒猫探しなんだ」 期せずロストナンバーらの口が何かを言いかけるように開き、結局二の句も出ず、クサナギを見返すだけにとどまった。 落ち着け。彼にはアホであるという致命的欠陥がある。順を追って話すなどという高等技術を彼に求めるだけ無駄というものであろう、ここは我慢強く話を最後まで聞いてからでも遅くはあるまい。 クサナギは真顔で続けた。「KYOTO〈京都〉の八坂神社に探しに行ってきて欲しい」 そうして彼はチケットを取り出した。 どうやら本気で黒猫を探してきて欲しいだけらしい。もしかしたらペット用の。もちろん、そのためにわざわざチケットを用意するという。黒猫探し、それがチャイ=ブレの意志なのか? ペット用の。 黒猫とはただの黒猫なのか、と問うてみた。「うん。喋れるらしいよ。ロストナンバーだしね」 この一言で全ては繋がった。 つまりはこういう事だ。壱番世界に似て非なる、人がSAIと呼ばれるスーパーコンピュータによって管理された世界<AMATERASU>にあるKYOTO<京都>という場所へ、ロストナンバーを保護しに行って欲しい、と。 ということは、ロストナンバーをペットにしようと? いや、そこには敢えて触れるまい。相手はただのアホなのだ。 それよりもロストナンバーは喋る黒猫。という事はもしかしたら獣人とか、そういった類かもしれない。「ただね、京都はSAIの管理都市だから気を付けて」 クサナギが付け加えた。 SAIの管理都市――生まれた時に管理用チップを脳内に埋め込まれ、コンピュータにより教育を施され、SAIに管理される事になんの疑問を持つこともなくSAIの管理下で一生をおくる人々の暮らす街。「チップが埋め込まれていない人間は、見つかったら大変だから」 現在、AMATERASUではチップで個人が識別されるらしい事がわかっている。特にSAIとSAIのインターフェイスであるバイオロイド、及びバイオロイドの狗であり都市警備にあたっているサイバノイドにはチップが埋め込まれていないことはすぐにバレるだろう。万一見つかって、捕まりでもすればチップを埋め込まれるか、或いは処分されるかのニ択しかない。「それと、ロストレイルは管理都市の外に停車場を作る事になるんだけど、管理都市の周囲は分厚い壁で覆われてて円形の城塞都市みたいになってるんだって。でも、桜子さんが中に入る手はずを整えてくれてるから大丈夫だよ」 クサナギが言った。 AMATERASUでは、SAIの管理者側と、SAIの管理システムを壊そうと考えているレジタンス側とで敵対関係にある。桜子はそのレジタンスを支援する情報屋だった。チップを持たぬ人間を管理都市に送り込む方法も心得ているのだろう。とりあえず管理都市の出入りについては考えなくてよさそうだ。「あ、桜子さんは生まれた時は男でも、今は女だからね。レディとして扱わないと大変なことになるから気を付けて」 クサナギがまるで経験者みたいな口振りで釘を刺した。その大変さはまるでバイオロイドに見つかるよりも遙かに恐ろしいことのように聞こえる。とりあえずは触らぬ神に祟りなし。「それから、この管理都市にはAPフィールドっていうのが張られてるらしいんだ」 クサナギが導きの書に挟まっているメモのようなものを取り出して言った。 聞き慣れない言葉にロストナンバーたちが首を傾げるとクサナギが付け加える。「えっと、アンチPSIシステムの稼働領域の事だって」 アンチPSIシステム。つまりは、サイキックやESPを無効化するシステムの事らしい。超能力は使えないという事だ。「もしかしたら魔法とかも使えなかったり制限されたりするかもしれないからさ」 クサナギはさらりととんでもない事を言ってのけた。「正直に言うとね、現時点では力が使えるか使えないかはわからいんだよ」 この世界でPSI=超能力と呼ばれている力がどういったものなのかがわからないから、という事らしい。「だからまぁ使わないんじゃなくて、積極的に使ってみて欲しいんだけどね。もちろん使えなかった時の代案は用意して」 APフィールドによる力の拘束域を確認するために。とはいえあくまでそれはついでである。今回の主目的は黒猫探しなのだから。 順当にいけば戦闘になるような事もないだろうから、大丈夫だろう、と笑ってクサナギはポケットから何やら取り出した。「最後に、これをみんなに渡しておくよ! Dr.ヴェルナーに作ってもらった『勇者バッヂ』だ!」 それは金色をした五芒星に、クサナギ言うところの勇者を現したとかいう謎の図があしらわれたバッヂだった。だが、それ以上に胡散臭いと思うのは、その製作者の名前のせいだろうか。世界司書にしてマッド・サイエンティストDr.ヴェルナー作。「ほら! 俺とお揃いなんだぜ!」 クサナギが胸を張るとそこに付けられたバッヂが部屋の明かりを受けてキランと光る。「これを付ければ、みんな勇者だ! テンションもやる気もあがるだろ!」 ◇◇◇ 千本通を抜けていく。 容赦なく照りつける日差しにも負けず賑わう雑踏。行き交う観光客。修学旅行生だろうか制服姿の中高生の集団。弾む声。楽しそうな笑顔。夏の暑い風にほんのり混じる香の薫り。まるで壱番世界の京都を思わせる。唯一壱番世界と違うところを挙げるなら、旅行客に外国人が混ざっていないことくらいだろうか。 鴨川のほとりに納涼床が並んで、人々は涼やかな川音を楽しんでいる。 祇園祭りの終わった古都の小路を黒の正装で舞子たちが連れ立って歩いていた。 今日は八朔か。 普段は昼間から舞妓が茶屋を出て外を歩くことはない。だが、この日は年に2度しかない挨拶回りの日だ。そんな舞妓の姿を一目見ようと、観光客やカメラマンたちがぞろぞろ付いて歩く。 そんな景色も壱番世界と変わらない。 これがコンピュータに管理された街の光景だというのか。 時間を確認する。現在11時。17時に桜子に言われた約束の場所に戻らねばならない。それまでに黒猫を見つけ出し、時間が余ればもう少し、この街を散策してみたいと思う。 四条通りのつきあたり。そこに観光客で賑わう八坂神社が佇んでいた。
●勇者バッヂは忘れられたようです 「喋る黒猫さん? 姿形は普通の猫さんだなんて」 ふふふっ、とオフェリアは楽しげな笑みを零した。話すということはそれだけ知能が高いという事。単純に興味が沸く。怪盗業でも役立つかもしれない。とはいえそれは、あくまでペットの範疇だったが。 クサナギに引き渡す前に仲良くなってしまわなくては。 だが傍らで暗い顔に嫉妬にも似た目を光らせている弟ディオンを見つけてオフェリアは最大の壁を確信した。 案の定、ディオンは聞き取れないような小さな声で、その事を反芻するかのように呟いている。 「オス、ですか……」 姉に近づく男という男は排除せねば気が済まない、超がつくシスコン男、どうやらそれが猫であっても例外ではないらしい。 「可愛いんだろ? そのロストナンバー猫。そんでツンか。くー、もふりてーな。嫌がるのを無理矢理もふりたい!」 水炎が、まるで猫をぎゅっと抱きしめるような仕草をすると、ディオンは頷きながら言った。 「えぇ、是非、もふってください。そして二度と離さないでください。姉さんには指一本触れられないように」 「…………」 このままでは弟に黒猫ペット化計画を邪魔されてしまう。いや、そればかりではない。 サイキックが使えず魔法も使えないかもしれない。という事は、もしかしたら自分の変身能力も使えないかもしれないAMATERASU管理都市。万一変身能力が使えなければ、きっとディオンの仮面は夏真っ盛りのかの地では暑苦しいに違いない。その上いらぬ目を引いて恥ずかしい思いをさせられることは想像に難くなく、にもかかわらず弟はうっとうしい蠅よりもうっとうしく、ストーカーよりもあからさまに、自分にぴったり張り付いて歩くに決まっているのだ。 想像しただけでオフェリアはうんざりした。 こうなっては仕方が無い。オフェリアは笑顔で弟に声をかける。 「ディオンちゃん、わたくしの分まで頑張って黒猫さんを探してきてらっしゃいな」 「えぇ!? 姉さんも一緒に行くのではないんですか!? 僕は一時も姉さんから離れたくありません」 「あらあら何を言ってるの。聞き分けのない子ね。言うこと聞かないと、クルミをあなたのマブタで割ってみせますわよ?」 満面の笑顔ではあったが、言葉の端々に有無も言わせぬ圧力がある。 「ナイスアイディア」 押し黙るディオンに水炎は目を輝かせた。ディオンが猫探しをしてくれれば、その分自分はたっぷり観光できるというものだ。 「猫探ししてるくらいでバイオロイドだのサイバノイドだのに目ぇつけられる気もしねーしな」 どこまで本気かはともかく楽しい旅になりそうだった。 ★ ロストレイルを降り、桜子の案内で3人は管理都市〈KYOTO〉入りを果たす。その景色は水炎の中にある壱番世界京都そのものだった。 「侘びの中に佇む姉さん……」 ディオンが呟く。まるでその姿を想像しているかのように一時目を閉じて、どこか遠くに旅立った目を開くと彼は陶酔しきった声で言ったものだ。 「素敵です! 大和撫子なんて目じゃないですね!」 そうしてディオンは後に続いているはずの姉を振り返った。 「確かに美人だけど、日本美人とは違うしなぁ」 比べるのもどうか、と水炎が声をかけたが、自分の世界に没頭しているらしいディオンには聞こえない。というより、ディオンは後ろを振り返ったまま硬直している。 何事かと水炎も振り返った。 「初めまして。代理の者です」 そこには自分たちの知っているオフェリアの姿はどこにもなかった。代わりに、おかっぱ頭に黒目の和風美人が佇んでいるだけだ。 「はあ?」 水炎は不思議そうに首を傾げる。いつの間にオフェリアと入れ替わったのだろう。 「代理って、姉さんはどこです!? どこに隠したんですかっ!?」 ディオンが今にも胸ぐらを掴みあげそうな勢いでまくし立てた。相手が女性でなかったら、掴みあげていたに違いない。 「どこにも隠していません。では私はここから一人で行動させていただきますね」 女は動じた風もなく口早に答えて踵を返すと、さっさと雑踏の中へ消えてしまった。 「なっ、待ちなさい!」 ディオンが呼び止めようとしたが、既に女は人混みに紛れた後だ。 「…………」 しばし二人は『羅生門跡』と書かれた石碑の前に呆けたように佇んでいた。やがて。 「姉さんを捜さなくては!」 ディオンが意を決したように声を上げた。 「え? でも今、代理って……」 「きっと姉さんです。姉さんが変装したに決まってます」 という割には背格好が違うようにも見えたのだが弟は確信しているようだった。確かにここまできて代理もないだろうから、弟を欺く身代わりを用意してただけで、本人はこっそり出た可能性もある。ということは今回の依頼は4人いるという事だろうか。 水炎が首を傾げていると。 「姉さんを捜しましょう!」 鼻息荒くディオンが意気込んだ。 「黒猫を探しにきたんじゃねーの?」 「僕は猫を追いかけるより姉さんを追いかけたいんです」 きっぱりディオンは言いきった。胸を張り堂々と声高に恥ずかしげもなく宣言。 ああ、と水炎は思う。だから姉は弟を撒くために代理を用意したのか。 「まぁ、お姉さんも黒猫探してんだろうし、取りあえず祇園さんに行くか」 「祇園さん?」 「ああ、八坂神社のことだよ」 この世界でも八坂神社は祇園さんと呼ばれているのかはわからないが。 「はい」 ディオンが頷いた。 ●そろそろ目的地のようです 四条大橋を越えたところで水炎がふと足を止めた。 「お! ちぎり餅買ってこう」 「祇園さんはすぐ目の前ですよ!」 早く八坂神社に行って姉と再会したいディオンが急かすが、水炎はまぁまぁと宥めて言った。 「いいじゃん。おばちゃん、2本ちょうだい。焼きたてのやつ」 「食べながら行くんか?」 と尋ねるおばちゃんに笑顔で頷く。焼きたてのちぎり餅を受け取っている水炎の横で、ディオンはぶつぶつと続けた。 「姉さんが今も僕が来るのを待ってるかと思うと気が気じゃありません。ああ、この思いをメールに……」 ディオンはトラベラーズノートを開いて何やらしたため始めた。 「100%ないと思うけど、お姉さんにお土産どう?」 水炎が頬張りつつ左手の1本を掲げて見せる。 「お土産」 「うまいよ?」 「すみません。2本ください」 ディオンが店のおばちゃんに声をかけた。 「ああ、今売り切れて、1本しかないんだよ。15分くらい待ってくれるかい」 「…………」 間が悪いのか。ディオンはちらりと水炎を見た。 「いる?」 「いりません」 「15分も待つの?」 「…1本でいいです」 と、2人が寄り道をしている頃。 細い路地を曲がり辺りに人気がないのを確認して、オフェリアは被っていた鬘を脱ぎ捨てた。蒸れた長い髪を風に解く。カラーコンタクトを外して人心地。 万一の事を考えて管理都市に入るまではアナログ変装をしていたのだ。もちろん弟を撒くために。 携帯地図――壱番世界用で位置を確認。 どうやら全くといっていいほど、その地理は同じらしい。壱番世界のパラレルワールド。そんな言葉が脳裏を過ぎって行く。 八坂神社はすぐ近くのようだ。 オフェリアはふっと全身の力を抜いて意識を集中した。 弟がこの管理都市に入っても、仮面に戻らなかったことから考えて、仮面の力はどうやらこの世界のAPフィールドとやらには引っかからないようだ。 脳裏に描くのはここまで来る途中にすれ違った舞妓。それが自分自身に投影されていく。 オフェリアは満足げに微笑んだ。 と、トラベラーズノートがメールの受信を告げる。 「…………」 オフェリアはエアメールを開くと差出人の名前を見て。 「あら どうしましょう 間違って消してしまいましたわ」 と、呟いた。 ★ 西楼門を抜けると右手に手水舎があった。水炎は壱番世界出身ということもあり違和感なくそちらへ向かう。むしろ素通りする方が居心地悪い。ディオンがもの珍しそうに水炎を真似て2人で簡易お清めを済ませると、まずは本殿へ。 「ここは神社やし二拝二拍手一拝か」 賽銭を投じ鈴を鳴らしながら水炎は二拍手して、無事黒猫が見つかりますように、とお願いした。 傍らで、見様見真似のディオンが二拍手の後、念の篭った声で呟く。 「どうかどうか、姉さんと無事合流出来ますように。そして姉さんの婚期が無事終わりますように」 「…………」 取り敢えず一礼してその場を離れた。 「婚期がって、ロストナンバーは加齢がストップしてるから無理じゃねーの?」と水炎。 「はい。そう聞いた時は絶望に打ちひしがれたりもしました」どこか遠い目をしてディオンは語り始める。 「今まで健気に今日か明日かと婚期が過ぎるのを待っていた私を真っ二つですよ。あぁ…何て事だ…加齢が止まるなんて…何故っ!? 世界の理不尽を呪っ……」 「そんな大した話でもねーのに、長ぇな」 辟易と水炎がディオンの熱い語りをぶった切った。 「ですが何かの拍子で、ってこともあるじゃないですか」 ディオンが食い下がる。 「ないだろ」 間髪入れず水炎の一刀両断。だがディオンはだからこそと力を込めた。 「神にお縋りするんです」 「さっさと結婚してしまえば別だがな」 「それは私、発狂して相手を消しますよ…!」 顔は笑っているがディオンの目の奥底は笑ってない。 「で、返り討ちにされるわけだ」 水炎は肩を竦めてみせる。 「そ、その時は…化けて出てでも呪い殺し草場の蔭から姉さんを守り抜くまでです!」 「だから、邪険にされてるのか」 「ハッキリ言いますね」 はっはっはっとディオンは余裕の笑顔を返してみせた。しかし見かけほど余裕などなかったらしい。胸を押さえてよろめく。 「危うく心臓が抉られ血を吐くところでした。いいえ、あれは姉さんの僕への愛なのです」 「お姉さんがちょっと気の毒になってきた」 水炎は視線を斜め下へ落した。 「弟に愛されて姉さんもきっと幸せです」 「そうだといいな」 「そうに決まってます」 本気で姉に同情したくなった水炎だった。 ●ようやく黒猫を探す気になったようです 水炎は最後の晩餐を選ぶような顔つきで真剣に悩んでいた。 「うーん。抹茶ソフトかグリーンティーかが問題だ」 「どっちでもいいですよ。でも、強いてあげるなら姉さんに似合うのはあの愛らしいおいもさんパフェでしょうか。名前はあれですけど、あの黄色が……」 姉の話を始めると無駄に長くなるディオンを綺麗に無視して水炎は店のおばちゃんに声をかけた。 「抹茶のソフトクリームちょうだい」 「あいよ」 出来立てのソフトクリームを笑顔で受け取って歩き出す。 「先ほどから食べてばかりじゃないですか?」と、呆れ顔のディオン。 「ま、てきとーに観光してれば、そんうち見つかんだろ」 ついでついでと水炎は手を振った。果たしてどちらがついでなのか。だがディオンは知らない。彼女の持っているデイバッグに『家出猫の探し方』という本が入っていることを。 「まさか円山公園のほーまでいってねーだろーな」 「円山公園?」 「八坂神社に隣接してるでっかい公園だ」 「それはありえますね」 「まあなんとかなんだろ。そいともなんか妙案でもあるか?」 「一応、餌トラップを仕掛けようと思います。きっと急に異世界に飛ばされて、腹をすかせていると思うんですよね」 都合2回それを経験したディオンはしみじみと言った。わけもわからず突然異世界に飛ばされ言葉も通じずどうしていいかわからない不安な気持ちは、わけもわからず突然異世界に飛ばされ言葉も通じず途方に暮れたことのある人間にしかわかるまい。 水炎は、腹をすかし餌トラップにまんまとかかるディオンの姿を想像しながら、そういうものなのか、と首を傾げた。 ディオンが餌トラップを仕掛けているのを横目に水炎はまたたびをビヨンビヨンと振り回しながら、黒猫の潜みそうな茂みや屋根の上などを覗いてみる。 トラップを仕掛け終えたディオンも、通りすがりの観光客などに声をかけていた。 「我が家の猫が逃げてしまいまして、黒猫のオスなのですが」 しかし、今一つ芳しい成果はあがらない。 観光のついでに探しているからだろうか。 関係者以外立ち入り禁止と書かれたお堂の裏手をこそこそ覗きながら、ふと何かに気づいたように水炎が言った。 「なんか気のせいか、人多くね?」 「さすが観光名所です」 「いや、そーゆーんじゃなくて、なんかこう、シンパシーを感じんだよなー」 「シンパシー?」 言われてディオンは辺りを見回した。 Yシャツにネクタイ、パリッとした夏物のスラックスを着込んだ見るからにサラリーマン風の男どもが、あちこちで腰を屈めて何かを探しているようなのだ。 果てには「この辺で黒猫見ませんでしたか?」。 「…確かに」 この猫探し集団。 裏で操っていたのが実はディオンの姉、オフェリアであるとは、水炎はおろか弟でさえ思いも寄らぬことであった。 ★ 「もうすぐ見つかるさかいに、のんびり待ってぃ」 平日の昼間から芸舞妓を囲えるご身分の男は、携帯電話からの部下の報告を聞きながら笑顔で言った。 「おおきにえぇ」 只今初音という名の舞妓成りきり中なオフェリアが花がぽっと咲いたような笑顔で応える。 「いやいや、約束やさかいにな」 男はこれ以上ないくらい鼻の下を伸ばして言った。約束――それは数十分前に遡る。 八朔に京の町を歩いていたところで、オフェリアはこの男に呼び止められたのだ。初音と軽々しく呼ぶところから、自分がコピーした女の上客らしい。 オフェリアは甘えた猫撫で声で男におねだりしたものだった。 「うちの猫はん、おらんようなってしもうたん」 よよよ、と今にも泣き伏しそうな風情に、男はそれなら手伝おうと申し出た。取りあえずセオリー通り一度は断る。申し訳ないと言うと、それならトラトラで負けたら猫探しを手伝うという事になった。 ちなみにトラトラとは、お座敷芸の一つ。虎は老人より強く、老人は若い狩人に知恵で勝ち、若い狩人は虎を狩る。要するにじゃんけんのようなものだ。 立てた屏風の影に立ち、トラトラトーラトラの拍子に合わせてそれぞれ顔を出すのだ。老人は杖をつき、虎は四つん這いで、狩人は颯爽と。 その時オフェリアは虎で、男は狩人だった。しかし四つん這いで見上げるオフェリアの姿に、男は条件反射のように杖をついていたのである。男とは全くもってかくの如きままならないものであった。弟がその現場を見たら半狂乱になっていたかもしれない。 とにもかくにも、この炎天下の中、男の部下たちが総出で黒猫を探してくれるというので、オフェリアは涼やかなお座敷で京料理に舌鼓を打ちつつ、待つことになったのだった。 となれば聞いてみたいのはこの世界のこと。 管理都市と聞いて想像していたのとは少しばかり違う世界。統治者がいくら変わろうとも、下々の暮らしは変わらないのと同じだろうか。農家はただ田畑を耕し、商人は逞しく金儲けに邁進し、若者はおしゃれを楽しみ、人々は娯楽に興じる。その暮らしは何も変わらない、と。 わからなくなってくる。コンピュータに管理されている、という事による弊害とはなんであるのか。そのコンピュータを作ったのもまた人なのだ。 「近藤はんにとって、ナギ様はどんな存在なんどすのん?」 尋ねたオフェリアに近藤と呼ばれた男はきょとんとした顔で答えた。 「どんな存在て、何や、やぶからぼうに」 唐突すぎただろうか、オフェリアはしなを作ってはんなりと言った。 「うちは芸ごとしかわからしませんよって」 「そうやなぁ、ナギ様がおらんかったら、今のNIPPONはあらへんやろなぁ。えらいお人やないか」 「えらいお人?」 オフェリアは自分が初音であることも忘れてオウム返していた。ナギが人。管理都市の人々は本当に何も知らないだけなのか、それとも――。 ●終わりよければ 「黒猫発見」 Yシャツの男が携帯に向かって話してるのに水炎が顔をあげた。 「黒猫、見つかったみたいだ」 「そのようですね。どこでしょう?」 「あの、人だかりっぽいな」 水炎が指差した先に、男どもが何かを取り囲むように屯しているのが見えた。どうやらあの中に猫がいるようだ。 「行ってみましょう」 ディオンと水炎がそちらへ向かう。 「あれじゃ、いじめてるみてーだな」 「確かに」 「つっても、猫飼ったことねーから捕まえようにもどーしていーかわかんねーんだよな」 「だからと言って無理に捕まえるのはよくないですよ」 「そりゃそーだ」 あんな風に囲まれたら、更に猫の警戒心を煽るだけだろう、弱いものいじめはやめろとばかりに水炎が人だかりに飛び込む。 それに気を取られた男どもの隙をついて黒猫は逃げ出した。 「ちょ、逃げんな!」 水炎が慌てて猫を追いかける。ディオンも追う。その後を男どもも追いかけた。 「追いかけっこは勘弁してくれ…」 程なく水炎の息が上がり始める。 「怖がらなくて大丈夫です。私達はアナタを助けにきました」 ディオンが呼びかけるが猫は足を止める気配もなく、軽やかにそこにあった木の上に登ってしまった。 枝の上からしゃーっと威嚇してくる。 「なあ、そんな毛ぇ逆立てんなよ」 水炎ははぁはぁと荒い息を吐きながら声をかけた。しかし猫はなかなか警戒をとこうとはしない。 「何もしねーって」 弱り果てた顔で水炎はおいでとばかりに手を伸ばした。 「なー…どーしたらおまえ、一緒に来てくれるんだ?」 しかし猫はその場を動こうとしない。膠着状態に水炎が木登りを考え始めた頃。 猫のいる枝の隣の枝に彼女がふわりと降り立った。いつの間にどこから現れたのか。怪盗の身のこなしで。 「姉さん!」 ディオンが驚喜の声をあげたが、オフェリアはそれには一瞥もくれず、猫に向けて敵意がない事を示すように腕を開いて礼儀正しく言った。 「わたくしオフェリアと申しますの。あなたのお名前は?」 優しい笑みを浮かべる。 猫は答えない。相変わらず警戒した面持ちでオフェリアを睨みつけているだけだ。 「お腹、空いてませんか?」 オフェリアは尋ねながら、そっとミルクとソーセージを出した。 猫は相変わらず警戒を解く様子はない。ただ。 「何故だ?」 と、口を開いた。しゃがれた年寄りくさい声だ。 オフェリアは首を傾げる。その問いの答えを探すように。 「私達はあなたを迎えに来たんです」 ディオンが言った。 「そーそー。だから、一緒に行こー」 水炎が猫に向けて両手を伸ばした。 「ごめんなさい」 オフェリアは謝った。見た目が猫だったから、自分のイメージで彼を猫のように扱ってしまっていたことを。 何故だ。何故箸もフォークもなく皿にミルクとソーセージだったのか。 「そこのお茶屋さんでお話しませんこと?」 オフェリアが促すと、猫はひらりと水炎の足元に降り立った。 水炎が抱き上げようと手を伸ばすが、それをするりとかわしてお茶屋へ歩き出す。 喋る黒猫、とはいえロストナンバーのようにチケットがあるわけでもなく、異世界の言葉を解しようのない男どもは、猫が喋ってるとは気付いていないようだ。 猫を先頭にオフェリアとディオンと水炎が連なって歩き出すと、何だかそうせねばならないような気分になったのか、男どもも並んで続く。異様な光景だった。 猫はしなやかに茶屋の椅子に飛び上がると座って言った。 「だんご」 「おばちゃん、だんご4本!」 水炎が代弁するように店の中に声をかける。そうして水炎は猫の隣に座った。 「あたし水炎」 水炎の自己紹介に黒猫は鼻を鳴らしてそっぽを向く。 オフェリアが反対側に座ろうとする前にディオンは姉さんはこちらにとばかりにその場所を陣取った。 「ディオンちゃん、わたくしより先に座ろうとするなんていい度胸ですわね」 「違います姉さん。誤解です。相手はオスですよ」 ディオンは言った。男(オス)を姉に近づけさせない事は自分の指命であると。 オフェリアはにっこり笑って言った。 「杜屋でわらび餅を買ってきてくださる?」 「わらび餅ならここにもありますよ?」 「わたくしは杜屋のわらび餅が食べたいんですの」 「わかりました」 不承不承といった態でディオンは猫を連れて買出しに行こうとした。だが結局、猫にいいようにあしらわれ触れることも出来ず、オフェリアに蹴飛ばされるようにして1人で買出しに行かされたのだった。もちろん水炎に、くれぐれも猫をオフェリアに近づかせないようにと頼んでいくことは忘れなかったが。 ちなみにこれは余談だが、残念ながらこの〈KYOTO〉に杜屋という茶房はない。水炎はずっと、オフェリアに同情していたが、そんな2人を見て意外にお似合いなんじゃと思いなおした。閑話休題。 だんごが運ばれ、それぞれ1本づつ食べる。ディオンの分は水炎が自分と猫とで分けた。 「わしの名はフーリンじゃ」 だんごを食べ終え猫が言った。 「したらフーちゃんだな」 親しげな水炎をフーリンが嫌そうに睨んだ。 それから。 オフェリアと水炎はロストナンバーやゼロ世界、ロストレイルのことを掻い摘んで話し、フーリンはそれを静かにきいていた。 「だから一緒行こ」 水炎が言った。 「それでも不安と仰るなら、わたくしが、あなたとずっと一緒にいてあげますわよ? そして守ってあげます。ですから一緒に行きましょう」 この場にディオンがいなくてよかったろう。水炎はくわばらくわばらと唱えた。怒りとは時に雷に喩えられるものなのだ。 フーリンがううむと顔をあげる。 「じゃ、決まりな!」 フーリンの明確な返事も待たずに水炎はフーリンを抱き上げ、じたばた暴れるフーリンをぎゅーっと抱きしめた。心地よい毛並みに頬ずり。 「くーっ、満足!」 「こら、離せ小娘!」 「そうですわ。この子はわたくしのペットにするんですから」 「なに!?」 「えー」 「ふざけるなーっっ!!」 そんなこんなでとにもかくにも黒猫探しは無事達成したのだった。 そういえば4人目のオフェリア代理は誰だったのか。水炎の問いにオフェリアは笑顔を返しただけである。 その後、杜屋を求めてKYOTO中を駆けずり回ったディオンが、無事ロストレイルに帰還出来たのかは……。 「置いてくわけにもいきませんから、ね」 という車掌さんの証言があるだけだった。 ■大団円■
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