ある日、吉備 サクラはジュエリーフィッシュフォームのセクタン、ゆりりんを肩に乗せてある場所を目指していた。トラムを降り、少し歩く。近くに商店もあり、トラムの停留所もある。商店街ほど喧騒はなくて、過ごしやすそうな場所だった。 「過ごしやすそうな下宿ですね、ゆりりん」 建物は少し古いようだけど、その分住んでいる人の温かみが感じられて。 ここはクローディア・シェルの新居。彼女がサクラとの共通の友人――いや、クローディアにとってはただの友人ではないかもしれない――に勧められた下宿。彼が0世界に来た当初に住んでいたところらしく、家主の老夫婦もいい人らしい。 (クローディアさんはもっと人と触れ合ったほうがいいと思います) だから、サクラとしては彼女がここに引っ越すことは賛成だった。一人で狭いアパートにこもっているよりは、自然に人とふれあえる環境のほうが彼女にとって断然いいはずだと思う。 「ごめんくださいー」 玄関先で呼び鈴を鳴らして声をかける。 「はーい」 上品な老婦人の声と廊下をかけてくる足音がサクラを出迎えた。 *-*-* 「クローディアさん、コージーさんと遊びに行ったって聞きました! 2人ばっかりずるいです、私とも遊んでください!」 クローディアの顔を見て一番にそう訴えたサクラはクローディアが驚いたように固まっているのも気にせずに訴えを続ける。 「壱番世界に行きたいです! どうせならカロとヒロも一緒に」 「な……んで、カロとヒロまで……」 「だって、クローディアさん、定期的に二人に会ってますか?」 「……」 サクラの真っ直ぐな瞳に射ぬかれて、クローディアは口をつぐんだ。やっぱり、とサクラは小さく息をつく。 「今は一緒に住んでないからって、従者である必要が無くなったからって、クローディアさんと二人の関係が終わったわけじゃないんですよ?」 「でも、今までにない自由な暮らしなのよ、私が邪魔するわけには……」 「もう、二人から邪魔だって言われたんですか? 違いますよね」 サクラはクローディアの手を握り、そして引いた。タンッ……彼女のヒールが音をたてる。 「行きましょう、きっと二人も淋しがってますよ」 そんなに怯えなくて大丈夫ですよーーサクラに促され、クローディアは一歩一歩歩み始める。 その様子を見てサクラが安心したように微笑んだことをクローディアは知らない。 *-*-* 壱番世界日本、吉祥寺。住んでみたい街ランキングなどでトップになる街だ。サブカルチャーの発信地と言われたり、大学が多いことから学生の街と呼ばれたりもする。 「……人が多いわね」 「そうですね。でも、コミケに比べれば全然空いてる方です!」 「……確かにそうね」 連れて来られたクローディアの呟きにサクラは明るく返した。クローディアもそれに同意する。あの独特な雰囲気の中で熟成された混雑と比較しては人気の街の人混みが可愛そうだが……その例えが伝わるということはやはりクローディアも同好の士であると実感するサクラ。やっぱり、好きなコトや趣味の理解者がいるというのは嬉しい。 「迷子にならないよう、手を繋ぎましょう! クローディアさんは吉祥寺、初めてですよね?」 「ええ」 「じゃあ」 まっすぐに差し出した手、まっすぐに見つめる瞳は拒否される恐怖を孕んでいない。 以前のクローディアなら分からないが、今の彼女なら絶対この手をとってくれる、サクラはそう信じていたし、はねつけられないだけの信頼関係が気づけているとも思っていた。 「……そうね」 いつもの薄い手袋越しではあるが、そっと伸ばされた彼女の手。細い指先は手袋が薄いこともあってか冷えていて。掌に触れたそれをサクラはきゅっと包み込む。 「クローディアさん手が冷えてますよ。でもこうしていると温かいですね」 にっこり微笑みかけると、朱がさした頬。こくんと小さく頷く姿が可愛いと思う。 「カロとヒロも互いに手を繋ぎなさい。私はサクラがいてくれるから大丈夫だから。はぐれないようについてくるのよ」 「はい!」 「はい、姫様!」 少年たちが手と手をつなぐのを見て、いきましょう、クローディアが告げる。ちゃんとついてきてくださいね、サクラも二人に声を掛けてからクローディアの手を引いた。 相変わらず人は多い。それでもサクラはするりするりと人混みをすり抜けていく。それはサクラのレイヤーとしての経験が積み重なって発揮される一つの特技である。手をつないでいるクローディアはサクラとともに歩いて行けば同じように人混みをすり抜けることが出来た。 「あそこに見える建物の7階と8階に洋裁の道具や素材をたくさん置いているお店があるんです。私、そこでコスプレの素材買ってました!」 「そんなに品揃えがいいの?」 「探せばもっと安いところはいくらでもあると思いますけれど……日暮里の繊維街には生地の問屋とかありますし。でも私はこのお店が好きなんですよね。ちょっと割高に感じるものもあるかもしれませんけれど、その分品質もいいし品揃えも良くて」 歳末の人の波は建物に入ってエスカレーターを昇る二人の少女たちを覆い隠す。少女たちは話に夢中で気がついていない。ついてきているはずの少年二人がいないことに。遠くで「ひめさまー」と呼ぶ声が上がったが、少女たちに届く前に喧騒に消えた。 「閉店セール……売り尽くし……?」 「あ、移転するみたいですね。運が良かったかもしれません、すごい安くなってますよ!」 店内そこかしこに掲示されている移転売りつくしの情報を見て、サクラが色めき立つ。こんなに割引されるなら、浮いた資金を別の所に回すことが出来る。もっと凝った事もできるかもしれないのだ。 「いいものは早く売れちゃいますから、急ぎましょう!」 「え、ええ……」 サクラはクローディアの手を引いて布地売り場へと向かう。その瞳はキラキラと輝いていて、活き活きとしている。 「この辺の柄物はブラウスとかワンピースにも良さそうですよね。でもクローディアさんだったらあっちのほうがいいでしょうか?」 婦人服地売り場をスーッと抜けてサクラが向かったのは舞台衣装や特殊素材を置いてあるコーナー。すべすべだったりキラキラだったりする布地がたくさん並んでいる。確かにドレスを好むクローディアにはぴったりかもしれない。今日は流石にワンピースで来ているが、彼女がぴくっと反応して生地に手を伸ばしたことにサクラは嬉しさを感じていた。 「最近はワンピースももっとたくさん持っておいたほうがいいかもって思い始めたのだけれど……やっぱりドレス好きなのは変わらなくて」 「変わらなくてもいいと思いますよ。クローディアさん、ちゃんとTPOはわきまえて服を選んでいるじゃないですか」 0世界ならまだしも、さすがに壱番世界をドレスで闊歩するのは目立ちすぎるし非常識と言われてしまうだろう。何度か壱番世界に来ているだけあって、そこは心得ているらしい。 「他人と付き合っていくならば、他人を不快にしない努力も必要だと考えるようになったのよ。……昔はこんなこと考えもしなかったのにね」 「クローディアさん……」 それは彼女が世界図書館に来てからの変化といえるだろう。彼女に対して真っ向から心をぶつけてきた人達のもたらした成果だとも言える。 「不思議ね。こんなに変われるなんて思ってもいなかったわ。多分、関わってくれたみんなのおかげよ」 彼女がこんなことを素直に零すなんて珍しい。サクラは感慨と驚きとで目を丸くしながら彼女の顔を見る。そして。 「過去形なんかじゃないですよ。今ここでこうして私もクローディアさんに関わっている最中です! きっと、これからもクローディアさんに関わってくれる人はいるはずです」 まくし立てるように告げると、今度はクローディアが目を丸くする番だった。一瞬の間を置いて、彼女の表情が緩む。 「……そうね」 柔らかに浮かべられたその笑みを見て、サクラはほっと胸を撫で下ろす。なんだかくすぐったくて、近くにあるセール告知のボードへ目をやった。 「あ、下の階の画材売り場ではトーンとかも割引されているみたいですよ! 見に行ってみましょう!」 「それは楽しみだわ」 同人誌を作ったりもするクローディアは、サクラの提案に異論はないようだった。 *-*-* 買い忘れたものがある、画材売り場にクローディアを案内したサクラはそう告げて一人、布地売り場へと戻っていた。画材を見たいだろうクローディアを付きあわせてしまうのは申し訳ないと思ったのもあるが、実はこっそり買いたいものがあるのだった。 「確かこの生地と……」 さっきワンピースにするのはどうかと話していた時にクローディアが気に入ったようだった生地を数種類と、ドレスにするのに良さそうな生地を数種類。これもさっきクローディアが手にとっていた生地だ。 「一度に持ちすぎたかもしれません……」 生地の一巻きは結構重たい。素材や残量によっても差がでるが、それでも何種類も持ったらかなりの重さになるのに違いはない。カット台で必要尺分裁断してもらわなければならないのだが、一度に欲しい布すべてを切ってもらおうとしたらかなりの重さになってしまった。ふらふらとよろめきながらゆっくりとカット台を目指す。 重たくはあるがこっそり仕立てて贈ったら、クローディアはどんな顔をするのだろうと考えると、不思議と重さは気にならなくなった。 *-*-* 「あっ……」 「どうしたの? サクラ」 お互い買い込んだものを抱えてフロアを移動していると、隣を歩くサクラが声を上げたのでクローディアは立ち止まった。するとサクラは斜め前のコーナーを控えめにさして。 「今日はクレイジュエリーの日だったんですね……やっていきたいけど、丸1日かかっちゃいますから……」 「クレイジュエリー?」 クローディアがサクラの視線を追いかけると、売り場の1箇所に机が並べられていて、そこに人が集まっていた。クレイジュエリー制作体験というものが行われていることは、張り紙を見て理解できた。 「粘土を使って作るアクセサリなんです。自分の好きな様に作れるし、色々工夫して楽しめるんですよ。出来上がりも素敵ですし」 「へぇ……」 「でも一から作成すると時間がかかるので……行きましょう」 名残惜しそうに視線を外して、サクラはクローディアの手を引く。スタスタ下りエスカレーターを目指すサクラについていきながら、クローディアはその背と見比べて。 「ねえ、サクラ。あれって0世界でも出来るかしら?」 「え……?」 「今度教えて欲しいの。サクラはやり方知っているのでしょう?」 足を止めて振り返ると、クローディアの瞳に囚われる。 「だめ……?」 「いえ……」 「じゃあ、約束よ」 言葉は短くそっけないけれど、彼女が他人に何かを求めるなんて珍しくて。その珍しさを知っているサクラは、嬉しさに襲われて頬をゆるめた。 「わかりましたっ。じゃあ後日、約束です。今日はそろそろどこかで休憩しませんか? 美味しいお店、知ってるんです! スパゲッティとパフェがお勧めです」 「それは楽しみね。きっと、カロとヒロも……」 そこまで言ってはっと何かに気づいたようなクローディア。サクラも「あっ」と小さく声を上げて。二人で顔を見合わせる。 「忘れてたわ……」 「忘れてました……」 ひ、ひめさまあぁぁぁぁぁぁぁぁ……。 泣いているような疲れ果てているような、弱り果てたような声が遠くから発せられ、フロアに響き渡った。 *-*-* カロとヒロと漸く合流した(と言っても主に探していたのはカロとヒロの方だ)サクラとクローディアは、サクラのおすすめの店で昼食をとった。昼食代+デザートを奢ることで男子二人のご機嫌をとって次の目的地へと向かう。 カロとヒロが荷物を持ってくれるというので、サクラとクローディアは手を繋いで悠々と二人の前を歩く。今度は二人を置いて行ってしまわないように気をつけながら。 「ここは中野というところです。ちょっと本屋さんを覗いてみましょうか」 物珍しそうにきょろきょろするカロとヒロを引き連れて二人が入ったのは、普通の本屋ではない。ディスプレイやそこここに飾られているポスターなどを見れば一目瞭然だが、そこはつまり、同人誌をたくさん扱う書店であった。同人誌だけでなく、一部のグッズも取り扱っていたりもする。 「最近色々あったけど、同人誌ここで買ってたんですよね……クローディアさんもこういう場所に本を売りに来たらどうでしょう?」 「書店委託……というやつよね」 「そうですね、こうやって実店舗にも置いてくれるところもたくさんありますし」 二人共、一緒に歩きながらも視線はそれぞれ棚に詰められた本たちを行き来している。時々手に取って眺めて、本棚に戻して。気に入ったものだけ腕に挟んで。 「コミケでテーブル取れるならそちらの方が良いかもですけど。一緒にコスプレして売り子したいです」 袋に入った薄い本を撫でるようにしながらサクラは言う。クローディアはそんな彼女の表情を盗み見て、口元に笑みを浮かべた。 「そうね、それ、楽しそうだわ。今からだと何のジャンルがいいかしら。このまま創作を貫くのもいいけれど」 意外と作風の幅広いクローディアは楽しそうに言葉を躍らせる。サクラもその楽しいリズムに乗せられて、楽しい考えが脳内を満たしていくのを感じていた。 「そうですね~。少年漫画系は息が長いの多いですから、今からでも大丈夫だと思います。BL系の宝庫ですよね。男性向けだったら、やっぱりラノベか、ラノベからアニメ化された作品とかどうでしょう? 一度、一緒に即売会のぞいてみます?」 これとかこれとかこれが今人気高いみたいです、サクラが同人誌を指して教えてくれるジャンルを、クローディアは一つ一つしっかりと眺めていく。 「でも」 次の本に手をのばそうとしてその手を止めたサクラが、言葉を切って振り返った。 「クローディアさんの好きなモノを、好きな様に描くのが一番だと思います。無理に売れ線にこだわらなくても、マイナーカップリングでも、必ずどこかに理解者がいると思いますし」 振り返ったサクラの表情は、明るいがどこか達観しているようにも見えて。クローディアは黙って彼女の顔を見つめる。 「人気があるから、売れるからじゃなくて、好きだから描きたいっていうのがやっぱり原動力だと思いますから!」 その言葉は妙に説得力があって。『描かされてきた』クローディアを否定して、今のクローディアに新しい道を示そうとしてくれているように思えた。 「……そうね、サクラの言うとおりだわ」 「新しいジャンルを開拓したいというなら、私も色々おすすめの作品を紹介しますから」 お願いね、そう告げて、二人は変わらぬ友情を誓うように微笑み合った。 *-*-* 「!!」 本屋から出て暫く行くと、突然サクラが姿を消した。何かを見つけたようだったが、クローディアやカロとヒロにはそれが何なのかわからない。クローディアの手を握っていたぬくもりが突然消え去って、彼女を不安にさせた。 不安を表情に出さないようにしつつもきょろきょろとあたりを見回すクローディア。ひめさま、カロとヒロにそっとワンピースを掴まれて思い出すのは、今日でかけるときにサクラから告げられた言葉。 『クローディアさん、もしかしたら私、突然姿を変えるかもしれませんけど、肩にゆりりんが絶対居ますから、驚かないで下さいね?』 「! そうだわ」 それを思い出したクローディアはせわしなく動かしていた視線をゆったりとした動きに変え、ゆりりんの姿を探した。 「カロ、ヒロ、こっちよ」 人混みの中、彼女の足取りは確信を持っている。ハイヒールの踵を鳴らしながらかくれんぼの鬼のような心持ちで、背を向けている彼女の肩に手をそっとおいた。 「サクラ。見つけたわ」 びくっと肩を震わせたサクラは、クローディアの声を聞いてほっと息をついた。そのまま振り返らずに、彼女が自分の隣に立った気配を確認してから口を開いた。 「……ごめんなさい、びっくりしちゃいましたよね」 ゆっくりと告げた言葉の後に間を挟み、サクラは続ける。 「私の家、近くなんです。毎朝電車に乗って吉祥寺でバスに乗り換えて学校通ってました」 そう告げる声は回顧の色よりも、淡々とした、いうなれば無色の方が優っているように思える。 「もう1度、この世界を知らない人と見ておきたかったんです……つきあってくれてありがとうございました」 クローディアは何も聞かない。何も言わない。勿論、カロとヒロも。 サクラも詳細を語る気はない。真意も。 足早に通り過ぎていく人達は何かに追われているかのように立ち止まることを知らない。 四人の周りの空間だけが不自然に切り取られたようで。 「さぁターミナルに帰りましょう」 しばらくしてその言葉とともに振り返ったサクラの表情は、いつものサクラだった。 誰も問わない、誰も追求しない。 クローディアの差し伸べた手だけが、何かを問いかけていた。 【了】
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