その日、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが訪ねたのは、壱番世界の北イタリアにある一軒の別荘だった。薔薇が多く植えられているその別荘は旧知の仲であるジョヴァンニ・コルレオーネのものである。 少し前、ロストメモリーを生み出すの儀式の裏でチャイ=ブレの体内探索が行われたことは記憶に新しい。その探索が失敗に終わったことも。 ジュリエッタはチャイ=ブレの体内探索へ赴いたジョヴァンニが負傷して戻ってきたと聞いて、心配して彼が療養している別邸を訪れたのだった。 幸い怪我自体は重傷ではなく回復したというジョヴァンニに、革張りのソファに向かい合って座るジュリエッタはほっと胸をなでおろした。「本当は良きワインとチーズでも見舞いの品にしたいところじゃが、怪我が治っておらぬと傷にさわると思ってのう。とにかく安心したぞい」「気を使わせてしまってすまなかったのう」 見舞いの品のアールグレイのクッキーをさし出す彼女の表情が以前のように明るく、はつらつとしたものであるから、ジョヴァンニは悟る。彼女が以前のように元気になったのだと。乗り越えたのだと。そんな彼女はとても、眩しい。(ジョヴァンニ殿の怪我が治っておるのなら……) クッキーを受け取り、ちょうど茶を運んできたメイドへとそれを預けるジョヴァンニの姿を見つつ、ジュリエッタは思考を巡らせて。目の前のローテーブルに置かれた紅茶のカップに角砂糖を落とし、ミルクを注いでかき混ぜながら口を開いた。「のう、ジョヴァンニ殿」「何かのう?」「ご存じじゃとは思うが、わたくしの両親は墓所の島として有名なサン・ミケーレ島に眠っておる。一度二人でそこに行きたいと思っておったのじゃ、この機会に行かぬか? 両親も喜ぶじゃろうて。……そこで話したいこともあるしのう」 友人として祈りを捧げて欲しい、両親の前だからこそ頼みたいことがある――カップからあげられた彼女の真っ直ぐな瞳は決意に満ちていて。ああ、なにか大きなことを決断したのだな、とジョヴァンニはその様子から悟った。それを自分に話してくれようとしているのは嬉しかったし、彼女の両親にも『会って』おきたいと思っていたから、この誘いを断る理由はなかった。「あいわかった。共に出かけようではないか」 いずれ二人を引き裂く別れが来るかもしれない。 それは今すぐというわけではないけれど、いつか来るその日の前にゆっくりと言葉を交わしておきたい。 進む路を決めたことを両親に、そして大切な友人に聞いて欲しい――そんな思いがジュリエッタにはあった。 *-*-* イタリアでは11月1日は諸聖人の日、2日が故人の日となっており、この日を中心に墓参りをするのだという。少し遅くはなったが二人は花束を抱いて桟橋へと降り立った。高潮で冠水している路を、渡された板の上を歩いて墓地入口へと向かう。 サン・ミケーレ島は島がまるごとヴェネツィアの墓地となっている。 ヴェネツィア本島のあちこちに散らばっていた墓を、衛生上の理由で1837年にナポレオンの命により一箇所に集めることになった時、サン・ミケーレとサン・クリストーフォロ・デッラ・パーチェの二つの島を分けていた小さな運河を埋めて一つの島が作られたのだという。 島にはヴァポレットの船着場のすぐ隣に円形のファザードが可愛らしい白い教会がある。その名をサン・ミケーレ教会という。 もうひとつ、墓地の中に小さくて美しい教会がある。丸いドーム型が特徴のこちらはサン・クリストーフォロ教会といった。 壁一面に花が並ぶのは合同の納骨堂。 通常の墓地に入ると、全体が花で埋め尽くされたような光景が二人を圧倒する。墓にたくさん飾られている花はどれも造花で、そのため一年中季節を問わずこの素晴らしい風景が眺められるのだ。 この島は、墓所というにはあまりにも美しい――。 ふたりはゆっくりと、花に囲まれた墓と墓の間を縫うようにして目的の墓を目指した。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)=========
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは花に彩られた墓と墓の間を先導するように進んでいく。匂い立つほどに鮮やかな造花のお陰で花畑を歩いているような錯覚に陥るから不思議だ。 柔らかな風に全身をなでられるようにしながら、さわさわと騒ぐ葉ずれの音を聞く。ゆっくりと、ゆっくりと、ジョヴァンニ・コルレオーネはジュリエッタの後をついて歩みを進めた。 「もうすぐじゃ」 もうしばらく足を進めると、見覚えのある光景が近づいてきて、ジュリエッタは思わずジョヴァンニを振り返った。黙したまま頷くことで返答したジョヴァンニ。ジュリエッタはそっと、一つの墓の前で足を止めた。 刻まれている銘を目で追い、ああ、ここにアヴェルリーノ夫妻が眠っているのだと理解するまで数瞬。眠る者達が寂しくないようにと常に咲き続ける花の隣にジョヴァンニは、自らの城より持参した白薔薇を手向けた。 偽りを凝らせることで半永久的に咲き続ける花の中で、『生』の宿った白薔薇のみずみずしい花弁が仄甘い馨りを立ち上らせる。暖かい太陽の光に煌めくそれは、『生』あるからこそ魅せられる。 「……」 襟元のスカーフを留めていた一点の曇りもないエメラルドのブローチを、ジュリエッタは長い指で優しく取り外し、墓に捧げる。そして、厳かに十字を切った。いたずらな風が留めるものを失ったスカーフをはためかせる。 「父上、母上。今日はジョヴァンニ殿と共に来たのじゃ。この家宝も執事が守り抜いてくれた……今日は伝えたいことがあってきたのじゃ、聞いてくれぬか?」 遠くに父母の影を見つめるようなジュリエッタの横顔。追うように十字を切ったジョヴァンニが再びその横顔を見た時、彼女には父母の姿が見えているようだった。穏やかな、表情だ。 「お二人が窮地に陥っている時、力になれずすまなかった。儂はそのことが、悔やんでも悔やみきれないのじゃ」 片膝をつき、花に彩られる十字を見つめる。そこにかつての友人たちの姿が見える気が……いや、きっと見えるからだ。 「永遠に続くものなどない。千年の都と謳われたヴェネツィアも今は観光都市」 目の前の十字を見つめたまま、ぽつりと零すジュリエッタ。彼女が思い浮かべるのは――儚くも脆い永遠。 「我が家もそう。頼れる親族のおらぬ父上が後を継ぎ、後ろ盾となる財産など持たぬ母上と結婚した時点で運命は決まっておったかもしれぬ」 あの頃はまだ小さくてわからなかったけれど、今思い返してみればもうすでにすべて決まった、運命という名の台本通りに進んでいたのかもしれない。人の身では覆せぬ大きな力が働いていたのかもしれない。 「だから、卿が力になれなかったと気にすることはないのじゃ」 そっと隣に跪くジョヴァンニに向けたジュリエッタの笑顔はどこかスッキリしていて。過去を恨んだこともあったことだろう。境遇を嘆いたこともあっただろう。幸せを妬んだこともあっただろう。けれども今の彼女の顔は、そのすべてを乗り越えた、そんな顔をしている。 「ジュリエッタ嬢。どうやら君は自分の行く道を決めたようじゃね。晴れやかなよい顔をしとるよ」 杖をついて立ち上がったジョヴァンニは、見上げていたジュリエッタの顔を見下ろして。その晴れやかな、迷いの晴れたような表情に自身の心も晴れやかになっていくのを感じた。 大切な友人の子、実の孫のように思える彼女が自身のあり方について、自身の行動について、悩み、迷ってきたのを間近で見てきた。必要ならば手を差し伸べよう、その準備はしてあった。だが最終的に結論を出すのは彼女自身だ。若き頃に悩み惑うのが人生。人はその経験を乗り越えて強くなる。間違いを恐れ行動を起こさぬよりも、間違いを覚悟して行動を起こし進んでいく道のほうが後に得るものが多い。決して平凡ではない人生を歩んできたジョヴァンニはそれを知っている。だが、言葉でそれを説明をして諭すのは違う、それもまたわかっていた。年長者がしてやれるのは実際に困難に立ち向かう若者に、間違いを犯してなおそれを正そうとしている若者に、そっと道標を差し出してやること。最終的に選ぶのは本人。選択するということを奪ってはならない。強いてはならない。 ジュリエッタがダイアナのことで悩んでいる時はそっと、共犯者として寄り添って。けれども彼女の進む道を狭めるようなことはなかった。 その結果、彼女は新たな道を、新たな出会いを、新たな思いを見つけ、そして全てを決断した……ジョヴァンニにはそのように見えた。 大切に思っていた孫が手を離れていくようで寂しくないといえば嘘になる。だがそれ以上に喜ばしいことだと思っていた。 ここに誘われた時に決めていた。彼女がどんな道を歩むと決断していても、止めも否定もするまいと。それは彼女がようやく手にした未来。たどり着いた道なのだから。 「父上、母上……そしてジョヴァンニ卿、聞いてくれるか?」 まっすぐにエメラルド色の瞳を向けて、ジュリエッタは大きく息を吸い込む。心の奥で固く固く決心したものが、言葉となって喉を伝ってくるのがわかる。 「わたくしは真に人を愛するということを知った。愛する人が出来たのじゃ。将来とその御仁に添うために0世界へ帰属しようと思っておる」 背後からジュリエッタを照らすイタリアの太陽が、まるで彼女を祝福しているように見えた。暗い影の一切ない晴れた笑顔。それが殊更彼女を神聖たらしめたものに昇華させているように見えた。 「……そうか、とうとう決めたのじゃな」 ジョヴァンニが目を細めたのは陽光が眩しいからだけではなくて。ジュリエッタが、自分で自分の道を定めた彼女の笑顔が眩しかったから。彼女を、いとしい彼女の門出を祝福したいと思ったからだ。 「儂は故郷イタリアに骨を埋める」 はっきりと断言したジョヴァンニのその決意は、ジュリエッタも以前から知っているものだった。彼は揺らがない。それは彼が積み重ねてきたもの、踏み越えてきたものがジュリエッタとは量が違う。彼はもう、自分自身の道を踏み固めているのだ。 「ロストナンバーとして覚醒したのは思えば晩年の褒美。おかげで貴重な体験ができた。儂はこの数奇な運命に感謝しておる」 ジョヴァンニのモノクルの向こうの蒼い瞳は何を映しているのだろうか。積み重ねてきた人生か、踏みしめてきた思いでか。 「亡き弟も妻も、誰も恨んでなどおらぬ。この達観に至るまでに煉獄の苦悩を経たが……良き妻と子と孫に恵まれ、家族に看取られて逝けるのじゃから幸せ者じゃ」 「何を言う、ジョヴァンニ卿はまだまだ現役じゃろう?」 「確かにそう簡単にくたばるつもりはないのう」 軽く笑い合う。明るい声を風が静かな墓地に行き渡らせてくれた。 「君が0世界に帰属するのはまだ先の話。それまでに沢山勉強し経験を積みたまえ」 「もちろん、お祖父様が存命の内は壱番世界の人間として生きる、そのつもりじゃ。孫としての務めじゃからな。しかし恋愛が成就するかどうかはともかく、この身のままでは日本におれぬ」 ロストナンバーは加齢しない。いくら髪型や服装を変え、化粧でごまかそうにも限界というものがある。特に年若くして覚醒したジュリエッタはなおさらだ。だからジュリエッタは考えた。大切な祖父を一人残して0世界に帰属することは出来ない。かといってこのまま日本に居続けることは次第に苦しくなってくる。ならば……。 「大学を卒業したらイタリアへ渡るつもりなのじゃが……卿に保証人になってもらえぬかのう? 卿ならば反対はされぬじゃろうから」 ひとりで何とかしようとするには限界があって。だからジュリエッタはジョヴァンニを頼ってみようと思ったのだ。彼ならば無碍にはすまい、それは信頼。 「イタリアでもっと料理を勉強して、各地のレシピを集め将来出す店の参考にしたいと思っておるのじゃ」 将来、0世界で店を持ちたい、それは愛する人とともに暮らすためにジュリエッタが考えた道。もしかしたらジョヴァンニほどの人生経験のある者からみたらまだ拙い道に映るかもしれない。けれどもこれから一歩一歩、その道を踏み固めていくつもりだ。 「もちろん、力にならせてもらうぞ。儂を頼ってくれて嬉しいと思っておる。この老いぼれに出来ることならなんでも……そうじゃ、これは提案じゃがフィクションの建前を借りて、ロストナンバーとしての旅の軌跡を一冊の本に纏めてはどうじゃ」 「え……」 「ずっと夢だったんじゃろう、小説家になるのが」 「それは……」 確かにジュリエッタは小説を書くのが好きで、ロストナンバーに覚醒したのも自作の小説がきっかけという筋金入りだ。けれども最近将来のことを考えるときに、その夢は自然と考えの外に出されてしまっていた。忘れてしまったわけではない。やめてしまったわけではない。けれども心の何処かではそれは『夢』――けっして叶わぬという意味での――だと割りきってしまっていたのかもしれない。 だが今ジョヴァンニの言葉で思い出したのは、小説を書いている時のワクワク感、完成した時の達成感、自分の書いた話を読んでくれている時の親友の表情の変化、上気した顔で興奮気味に紡ぎだされる感想をもらった時の嬉しさ、誰かに自分の世界を知ってもらえた時の快感。また読ませてね、心からの約束。 忘れることなんて出来るはずがない。やめることなんて出来るはずがない。本格的に職業に出来なくとも、何かの合間に執筆を続けていきたい、そう思っていた。作品が本になってたくさんの人の目に触れる、それだけが成功じゃない、それだけがゴールではない、それはわかっていて。けれども声を掛けられて、胸の奥がうずいた。瞳が揺れる。書きたい、それどころではないと無意識のうちに追いやっていた思いが染み出してくる。 「ならば君を慈しみ育てたご両親と祖父殿、そして壱番世界への餞として、自身の青春と恋を綴るのじゃ」 「わたくし、の」 「きっと素晴らしい一冊が生まれる筈」 思いもかけない話にジュリエッタは胸に手を当てる。トクトクトクと鼓動が早くなっているのを感じた。対してジョヴァンニは、確信を抱いた瞳でジュリエッタを見つめ、そして彼女の華奢な肩を叩く。 「喜んでスポンサーになるぞい」 「それは頼もしいのう。願ってもない申し出じゃが、そこまで甘えていいものか……」 「なに、儂とジュリエッタ嬢の仲じゃ」 いたずらっぽく笑ったジョヴァンニ。甘えることにしようかのう、どんな物語に仕上げようかと思いを馳せるジュリエッタ。そこに世代を超えた友情が、いや、友情以上のものがある。 「ジョヴァンニ卿」 ジュリエッタはそっと手を伸ばし、墓に捧げていたエメラルドのブローチを手に取った。かつての執事が忠義とともに守りぬいてくれたその宝石を愛しそうにひと撫でして、彼女はその手を差し出した。 「このブローチを、わたくしの代わりに家宝として伝えてはくれぬか?」 彼女の掌の上のブローチと、同じ色をした彼女のエメラルドの瞳を見比べて、ジョヴァンニはジュリエッタの言葉の続きを待った。 「ロストメモリーに子は成せぬ。ならばいっそこの世界に置いておきたいのじゃ。この宝石に『アヴェルリーノ』の名を残してくれぬか」 壱番世界との別れはまだ先だ。ジョヴァンニとの別れもまだ先になるはずだ。けれども、大切な決意をした、決意を告げるこのタイミングで、そして両親の前でしっかりと決めておきたかった。両親にも、見ていて欲しかった。自分の決意を。知って欲しかった、受け継いだ家名をただ捨てるつもりではないということを。 「ふむ……いいのじゃな?」 「ジョヴァンニ卿だからこそ、信頼して預けるのじゃ」 ジョヴァンニの、皺の刻まれた大きな手を取るジュリエッタ。その指先が思ったより冷たくて、ああ手袋をしてくるべきじゃった、と思う。 そっと、彼の手の中にブローチを乗せて、その手を暖めるように包み込んで。 「頼んだぞ」 「しかと頼まれたぞ」 陽光の中で手を重ね合わせて。まるでそれは一種の儀式のようでもあった。 花咲き乱れる美しい墓地で、世代を超えた友人同士が誓い合う。 永遠に続くものなどないのかもしれない。けれども永遠に眠る人達の前で、永遠に『アヴェルリーノ』の名と家宝が受け継がれていくことを願って。 *-*-* 「そうじゃな、ヘンリエッタ殿の結婚式の時につけるのは……」 ハンカチーフに包んだブローチを胸ポケットにしまおうとしたジョヴァンニの表情が一瞬にして険しくなる。 「これこれ、そんな怖い顔をするでない。いずれは来ることじゃからのう」 ジュリエッタの言うとおりではあるが、 さすがに孫娘のこととなると表情が動いてしまう。 「それはそうなのじゃが……」 決まりが悪そうなジョヴァンニを見てジュリエッタはころころと笑った。 ふと、その笑顔が途切れたのは、頭によぎった考えのせい。 「……あと何度、こうして父上と母上に会いに来ることが出来るじゃろうか……。心配ばかり掛けてはおらぬだろうか」 「案ずる事はない。お二人は天国で仲睦まじくやっておる」 呟きを拾ったジョヴァンニも視線を十字へと移す。自分達が彼らの死後の幸せを信じてやらねば、誰が彼らを幸せにできるだろうか。 「ジュリエッタ嬢、君の事は実の孫のように思っておる。どうか自分を粗末にすることなく幸せを掴んでくれたまえ」 「ジョヴァンニ卿……」 「君ならできるはずじゃ、必ず」 強い肯定に後押しされ、ジュリエッタの顔に笑顔が戻る。やはり君には笑顔が似合う、そう言ったジョヴァンニは内ポケットに手を入れて何かを取り出した。 ハガキよりも少し小さな紙のように見えたそれが彼の手の中で翻ってその身に抱くモノをジュリエッタに見せた時、彼女は声にならぬ声を止めることが出来なかった。 「……!!」 「これを君に渡したい」 「これ、は……」 それは少し色あせた写真。写真の中に映る男女はジュリエッタの記憶にある彼らよりもずいぶんと若くて。けれどもジュリエッタの記憶に繋がる面影もしっかりとあって。 「古い写真を整理していて見つけた、若き日のご両親の写真じゃ」 「父上……母上……」 震える両の指先で丁寧にそれを受け取る。手触りが年代を感じさせたが、保存状態がよかったのだろう、今でもその写真は両親の姿をジュリエッタへと届けてくれる。 「儂が持つより余程ふさわしいと思っての。これを形見として持っていきたまえ。代わりに儂はブローチを預かろうぞ」 「卿の心遣いに感謝しなくてはならぬの」 「よく見たまえ、どことなく君と君の想い人に雰囲気が似ておるじゃろう?」 「そ、そうかのう……?」 揶揄するように言われ、ジュリエッタの頬が朱に染まる。 父上と母上のような夫婦になりたい、この写真はジュリエッタのその想いを強く強くしてくれた。 「風が冷たくなってきたのう。そろそろ戻るかのう」 熱くなった頬に冷たい風が心地よい。 ジュリエッタは一度写真を強く胸に抱き、そして黙祷する。ジョヴァンニもそれに倣うように今一度祈りを捧げた。 ハンドバッグに写真がしまわれるのを見て、ジョヴァンニは自然に腕を差し出す。 「さあ、戻ろうぞ」 その腕にジュリエッタは自分の腕を絡め、ゆっくりと墓地の出口へと向かう。 二人の背中が、白薔薇が供えられた墓から遠ざかっていく。二人が振り返ることはない。 ぶわっ……強く吹きつけた風が唯一の生花である薔薇の花弁を巻き上げ、空へと届けようとする。 永遠の眠るこの島で交わした約束を、誓いを、二人が忘れることはないだろう。 ここは、サン・ミケーレ島。 墓所というにはあまりにも美しい、処。 【了】
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