「マンハッタン(Manhattan)の語源はマナハクタニエンク(Manahachtanienk)だとさ。『我々がみな、酔っぱらいにされた島』って意味らしい」 などと言いながらファルファレロ・ロッソは、ラファエル・フロイトを伴って、生まれ故郷のニューヨークを訪れた。 前々から、飲み友達のラファエルを連れていきたい穴場のバーがあるのだと言っていたのだが、なかなか予定が合わず、ようやく満を持しての来訪である。 ……しかし。 目当ての店のドアノブには「CLOSED」の看板がぶら下がっていたのだった。ふたりは打ちのめされた。 あてどもなく、セントラルパークで暇をつぶしてみる。 メリーゴーランドを横目に見ながら北へ数分。ミッドタウンの摩天楼を背景に、芝生が広がっている心地よい場所に、ふたりは腰をおろす。 道すがら、しきりに残念がるラファエルに、ファルファレロは呆れかえっていた。「そこまで落ち込まなくてもいいじゃねぇか」「訪れるのを楽しみにしていたお店が閉まっていると、ひとはこのような辛い気持ちになるのだということがよくわかりました……」「だったらクリパレも24時間営業にしとけ。そんなにあのバーに行きたかったのかよ」「わかってないですね。ファルファレロさんと飲みにいけるのがうれしかったんですよ」「てめぇ、だったら前に誘ったとき何でさっさと来なかった」「ちょうど店の繁忙期にあたっておりまして」「ひとりで入ったら、待ちぼうけくらったと思われて、マスターに気の毒そうな目で見られたんだぞ」「おや? 何やら見知った顔ぶれが」 広大な緑の公園を吹き抜ける風にまざり、涼やかな少女の声が聞こえた。 偶然にも、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが通りがかったのだ。なんでも彼女は、ニューヨークでの依頼を終えたばかりで、ロストレイルの駅へと向かっていたところであるらしい。「これはまた面白い組み合わせじゃの。……どうしたのじゃ? 痴話喧嘩かの?」「まあ、そんな感じです。聞いてくださいよジュリエッタさん。ファルファレロさん、ひどいんですよ」「ひどいのはてめぇだろうが」「事情はよくわからぬが、おぬしたちが仲良しだということはよくわかった」 ともあれジュリエッタは、酔っぱらいになりそこねた男ふたりと、公園を散歩することになった。 そこここで、双眼鏡を手に、野鳥観察を楽しむ人々とすれ違う。 五番街のビルの窓枠にレッドテイルド・ホークが巣を作り雛を育てており、その様子は、公園内からも見ることができるらしい。「雛といえば」 ジュリエッタが、ふと、ラファエルを見上げる。「店長殿にお聞きしたいことがあったのじゃ。シルフィーラ殿と、オディール女王についてじゃが」「あぁ、ラファエルの女関係な。報告書は読んだが、本人の口から説明してもらいてぇな」「説明を要するようなことは、特にないと思うのですが」 怪訝そうな顔のラファエルに、ファルファレロは眉を寄せた。「――いいから、そこのベンチに座れ」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)ラファエル・フロイト(cytm2870)=========
:::*:::*:::若紫 「まずは馴れ初めからだ」 ファルファレロも、おもむろにベンチに腰掛ける。見上げれば、青空の下に薄桃いろのマグノリアが枝を伸ばしている。ニューヨークの春も深まっているようだ。 「シルフィーラは、シオンとは双子なんだろ? てことは似てやがんのか?」 ファルファレロらしく、よどみなく直裁に聞いてくる。 「それはもう」 ラファエルもまた、訥々と答える。隠すようなことは、もとより、あるはずもないとでも言うように。 「こういう言い方は誤解を招くような気がしますが、シオンが女装をするとそっくりです」 「じゃあ、シオンと一緒にいると、いやでも思い出すんじゃねぇのか」 「いえ、混同したりなどはしません。似ているのは容貌だけなので」 その表情はどこか達観していて、去った婚約者を想うというよりは、なつかしい過去の回想にも見えた。 「終わったことですしね」 「……赤ん坊の頃から育てて娘も同然だったのに、いつ自覚した?」 シルフィーラとは、どんな女だったのか。 育ての親だったはずの侯爵は、成長していく彼女を日々見守りながら、どこに惹かれ、いつこころを動かしたのか。 「……難しいですね。適切なことばが見当たらないです。彼女はたしかに美しい少女で、とても聡明でしたが、なんというか、そのありようはごく普通の女の子でした」 「普通だとぉ?」 「適度に涙もろく、適度に狡く、適度にお人好しで。そのへんは多少、シオンにも通じるものはあるかも知れません。私だけでなく、彼らと接していたものたちは皆、彼らが迷鳥であることを忘れてしまいそうなほどに」 「普通なところが良かったってことか?」 「私も普通の男に過ぎませんので。恋に落ちる瞬間の劇的なエピソードなど、持ち合わせていませんよ。……ああ、ただ、アウラハ辺境伯との領地の境界がらみでいざこざがあって、砦に詰めていた兵士たちが一触即発の状態となったとき、アウラハ伯の館に呼び出されたことがありましてね。出向いた私の帰りが遅かったものだから、心配して単身、館に潜入するような、大胆なこともしでかして。あれにはちょっと、胸を突かれましたね」 「なんだよ。惚気られるんじゃねぇか」 「ですが、それは、彼女からすれば、親を慕う雛鳥としての行動とも思えます」 「まあな」 「つまりは私がインモラルということですよね。先ほどから、ファルファレロさんが言わんとしているのは」 「はん、わかってたのかよ」 ファルファレロは肩を竦める。 一陣の風がマグノリアの花房を散らし、彼の黒髪をかすめて落ちた。 「先日、ジュリエッタさんから『光源氏計画』なる単語をお聞きしたので、私なりに調べてみたんです。『源氏物語』のエピソードが出典なんですね。……しかしあれは何とも不道徳なストーリーで、とても光源氏に感情移入できません」 「読んだのか?」 「世界図書館にある54帖ぶんは。ファルファレロさんも?」 「そんな暇はねぇよ」 まさかセントラルパークで源氏物語の講釈を聞くとは思わなかった、と、ファルファレロは眉をしかめる。 「けど、幼い娘を誘拐同然に連れて来て、育ててから手篭めにしやがったって話くらい知ってる」 「そのくだりも、若紫に選択の余地はなかったという点でどうかと思います。ですがそれ以上に、私は、若紫を妻にした理由が『藤壷に似ていたから』というのを大変腹ただしく思いました。しかも、そうまでして手に入れた紫の上を光源氏はあまり大切にせず、女性遍歴を繰り返し、やがては女三宮を正妻に迎える。その理由さえ、藤壷の面影を求めてのことです。光源氏は、藤壷しか愛していなかった、ということなのでは」 「ふぅむ。この機会に、ラファエル殿にみっちり講義をしようかと思っていたのじゃが、そこまで把握しておられるなら必要はないかのう」 ずっと聞いていたジュリエッタは、おもむろに持参の書籍を広げた。列車内で読もうと思い持参していた、源氏物語の恋愛解釈本である。 「いえ、ひととおり目を通した程度なので、読み違えている部分もあるかも知れません。それに、なかなかミステリアスな背景を持つ物語でもあるようですね。……作者は、本当に女性ですか?」 「……ほう」 ページをめくり、ジュリエッタは頷く。 「確かに、この物語の作者名は記されておらぬからの。紫式部が書いたというのが定説ではあるが、光源氏のモデルとなった源高明(みなもとのたかあきら)が、実が作者ではないか、という説もあるようじゃ」 「そうですね。いささか、男性視点の描写がつよい印象を受けます」 「そういう部分も含めて、『光源氏計画』という表現は、子供の内から育てることにより、自身の理想の女性を作り上げようとした男の計画ともいえるのじゃ。もちろんラファエル殿はそんなつもりではなかったのじゃろうが、保護したうえで迷宮を作らぬトリにしようと育てるにいたったのは、近いものはあろう」 :::*:::*:::葵 「……迷宮を作らぬトリ、ですか」 なるほど、と、ラファエルは風の吹く先を見る。五番街の摩天楼がそびえ立つ光景が、そこにある。 あのビルの窓枠にさえレッドテイルド・ホークは巣を作り、卵を産む。生まれた雛は、時が来れば巣立つ。 この地に生まれ育ち、やがて巣立っていった、今はベンチに座っている不敵な青年のように。 「正直に言って、迷卵を見つけたときには、そこまでは考えていませんでした。私はただ、どうしてもその卵を割ることができなかった。それだけのことなんです。彼らが未だ迷鳥になっていないのは、彼ら自身の資質によるものであって、私が育てたからということではないと思うんですよ。さらに言えば、今後、迷鳥にならないとは、言えません」 「シオン殿が迷鳥になるすがたは、想像できぬ」 「私もです。ただ、卵を保護したときから、その可能性は意識してました。それでも私は、生涯、彼らを護ろうと思いました。シオンはやがて自分の道を見つけ一人立ちするでしょうが、シルフィーラは私の手で支えていこうと」 ですから、彼女には多少――過保護であったかも知れません。 辺境伯の館に潜入してまで私を案じてくれたシルフィーラに感動しながら、しかし私は、彼女をきつく叱ったのです。 もう二度とこんな真似はするな、と。 そのとき彼女は、ひどく傷ついたように見えました。 「一生彼女を護ろうと思ったラファエル殿の気持ちもわかるがのう。大切にするのと閉じ込めるのとはまた違うのじゃ」 「……返す言葉もありません」 「まあ、男のシオン殿は、ある程度脱走……、もとい出歩けるじゃろうからまだ良いがの。シルフィーラ殿が貴族の娘として教育を受け、そのまま侯爵家の奥方におさまるとしたら、単にそれは今までの延長線上の生活を送るだけじゃ。『わたしに護らせてくれなかった』という言葉そのままにのう」 「そうなのでしょうね」 「もちろん、ラファエル殿を愛してなかったわけではあるまいが。御仁が優しいからこそ、彼女も何も言わなかったのかもしれぬがの」 ところで、と、ジュリエッタは、きりっとラファエルに向き直る。 「オディール女王のことじゃ」 「女王陛下が何か?」 「女王はラファエル殿のことを、結婚相手のひとりとして考えておったかもしれぬ」 「ああ、それは、数多い候補の末席にいた可能性はあるのかもしれませんが。第一候補は、ジュリエッタさんもお会いになった、騎士団長のクルト・ヴェルトハイマーではないかと」 「そういうことを言っておるのではない!」 ぴしゃりと言われ、ラファエルは居住まいをただす。 「あ、はい。すみません」 「女王にとっては御仁が第一候補だったのじゃ。現に未だ彼女は御仁を忘れてはおらなんだ」 「そうだな、女王は迷鳥を妬んでた」 ファルファレロも、ぼそりと言う。 「お前は知ってたのか、女王の本心を」 「それは……」 「余っ程鈍くなきゃ、自分に気があるかないか気付きそうなもんだが」 気づかないふりをしてました、と、ラファエルは認めた。 「女王陛下は非常に誇り高いかたなので、『受け入れられない』ことを認めがたいでしょうから」 「まるで、光源氏を愛しながらも、プライドが邪魔して素直になれなかった、正妻の葵の上のようじゃのう」 じゃが、女王は心の中では御仁を夫にと望んでおったはず。 なのにいきなり、迷鳥に奪われたとあれば、怒るのも無理はないのじゃ。 そんな女王の心情に、シルフィーラ殿も気付いておったのではないか? 先王が亡くなり、権力を持ってしまったのがゆえの悲劇じゃのう……。 「ちと難しいかもしれぬが、今一度、女王と話してみた方が良いのではないかのう」 :::*:::*:::玉鬘 「ラファエル」 しずかな、低い声音で、ファルファレロは問う。 「シルフィーラとオディール、愛してるのはどっちだ」 ――片方しか助けられねえとなったら、どっちをとる? 「聞くまでもないことを」 「昔の女に未練があるんだろ。終わったことです、なんて大嘘だ」 ふっ、と、ファルファレロの双眸が凄みを帯びた。 猛禽の眼だ。 「ファルファレロさん」 「これからどうする。いや、お前自身はどうしたい? ずっとターミナルで店長ごっこをやってくつもりか?」 俺がここをぶんどろうとしたのは、追い出されるように逃げ出した街を取り返して、見返したかったから。 自分の人生に復讐したかったから。 ――それだけさ。 でもお前はそうじゃねえ。 てめえを守る為に犠牲になった女をほっぽって、自分ひとり、別天地で楽しくやんのかよ? 「……ファルファレロさん」 「お前は逃げてんだよ! その辛気臭え面は地顔か。あの時こうしときゃよかったって後悔をずっと引っ張ってんのか。お前は無理矢理にでも女を連れ去りゃよかった。困って泣かれようが噛みつかれようが手を放すんじゃなかった」 奪われたんなら取り返しに行け。 したら今頃お前の隣にゃシルフィーラがいた筈だ。 吐き捨てるように一気にぶつけ、ファルファレロは息を吸う。 「説教はガラじゃねえし、他人に干渉するのは趣味じゃねえ。ひとつ言や、てめえは俺のダチだった男に似てる。救いのねえ底抜けのお人よしで、見ててイライラした」 「そうでしたか」 「恋人の立場を慮って身を引くのが美談か? とことん惚れて惚れ抜いたんなら自分を貫けよ!」 「……これ、ファルファレロ殿。そこまで言わずとも……」 ジュリエッタが、ふたりの男を交互に見る。 ラファエルはしばらく無言だったが、やがて、 「ファルファレロさんは、爽快なくらい、まっすぐですねぇ」 とだけ、言った。 拍子抜けして、ファルファレロは目を見張る。 「怒らないのか?」 「なぜ? あなたの仰っていることは正しいのに」 「正しいだとぉ? ふざけてんのか」 「いたって真面目に答えています。あなたは正しい。ですがそれは、純情な少年の正しさです」 「なんだと!?」 「ではあなたは、何故クラリッサさんを攫いに行かないのですか?」 思いがけないことを言われ、言葉に詰まった。 「馬鹿やろ。あいつはもう」 「誠実な御主人がいて、幸せに暮らしておられる。新しい家族も増える。けれど『それが何だというのです?』。あなたが彼女を必要としているのならば、手をこまねいていないで、物わかり良くあきらめるふりをしないで、さっさと攫ってくればいいじゃありませんか。あなたらしくもない」 「そんなことできるかよ」 「ええ。あなたはそれをしようとはしない。それはすなわち、あなたがすでに、純情な少年の正しさとは別の回答を見つけているからだと思います。お嬢さんのおかげでしょうね」 「ヘルは関係ねぇだろ」 「大ありです。というのは、あなたとお嬢さんの関係性は、私とシルフィーラのそれに似通っていると、ずっと思ってましたので」 シルフィーラは、去ったのではない。育ての親から巣立ったのです。 ――ファルファレロさん。 お嬢さんは、いつか、巣立ちます。 あなたがかつてこの街を巣立ったように、彼女もいつか、あなたから羽ばたいてしまう。 我々父親は、その背中を見守ることしかできないんだと、思いますよ。 「シオンと大差ありませんね。女の子はちゃんと大人になるのに、男の子はいくつになっても甘ったれで世話の焼ける」 「あんなガキと同列にすんなよ」 むっとしてファルファレロはベンチから立ち上がり、ひとり離れて煙草をふかしはじめた。 声を潜めて、ジュリエッタが言う。 「ファルファレロ殿が男の子扱いされる図など、初めて見たのう」 「前々から、いわゆる上から目線で『可愛いな』とは思ってました。そんなことを言うと、それこそ怒られるので黙ってますけどね」 「ほほう。ラファエル殿はファルファレロ殿を息子……、というには年が近過ぎるのう、弟のように思っておるのじゃな」 「こんな女癖の悪い乱暴者の弟がいたら、さぞ振り回されて苦労するとは思うんですけどね」 「おい、聞こえてんぞ」 「男なんて甘ったれのろくでなしばかりですが、どこまでその弱さを受け入れられるか、ということではないでしょうか。若紫――紫の上は大人なので、光源氏の身勝手を許したのでしょう」 では、と、ジュリエッタは問う。 「源氏物語の登場人物にたとえるなら、シルフィーラ殿には、どうあってほしいと思うかの?」 「玉鬘――でしょうか」 頭中将と夕顔の間に生まれ、光源氏の養女となり、養父の光源氏に言いよられながら拒み続け、やがては自身の幸せを見いだした――後日、源氏自身にさえ、その対応のみごとさを讃えられた、玉鬘のように、と。 ――Fin.
このライターへメールを送る