「今回みんなにお願いしたいのは、ヴォロスでのロストナンバーの保護だよ」 エミリエ・ミイは、大きな目を動かしながら『導きの書』に触れる。 十歳の少年が、ディアスポラ現象に巻き込まれ、流れ着いた先は、まだ雪に覆われた森だった。 しかし、その森が問題だった。「そこは『迷わせの森』って呼ばれてて、近くに住む人たちは、誰も近寄らないんだって。それは……森が生きているからなの」 エミリエは唇に人差し指を当てると、首を小さく傾げる。「生きてるって言い方がいいのかはわかんないけど……森の中を歩くと、木がいつの間にか動いてて、今いる場所が分からなくなったり、根っこが道を塞いでたり、来た道を戻ろうと思うと霧が出たり……とっても変な場所で、今まで何人も行方不明になってるみたい」 彼女はそう言って、また『導きの書』を見た。「危ない生き物は、いないみたいなんだけど……なんとか森から出て来た人の話では、なんにもいないらしいの。動物も、鳥も。森が食べているんじゃないかっていう噂もあるんだよ。森の奥の方から、ぎちぎちっていう気持ち悪い音を聞いたっていう人もいるし……だから、その男の子、早く助けてあげて欲しいな。エミリエよりもちっちゃい子だもん、きっとすごく怖くてたまんないと思う」 彼女は真剣な眼差しをこちらへと向ける。「ロストナンバーの子は、手から光を出す能力があるから、もしかしたら、それを目印に出来るってこともあるかも。……それじゃ、お願いね」 そう言うとエミリエは、『導きの書』を閉じ、小さく頷いた。
少年は、気がつけば見知らぬ森にいた。 夢かと思ったが、どうやらそうではないらしい。自分は、今まで何をしていたのだろうか。いつものように――思い出そうとすると、ずきり、と頭が軋んだ。その痛みが、意識を揺さぶり起こす。 少年は、訳が分からないまま、ただ、歩いた。 ◇ ◇ ◇ 「ここかぁ……迷わせの森っていうのは」 新井理恵はそう言うと、薄暗い森の中を覗き込んだ。外から見る分には、普通の森と変わりない印象を受ける。 けれども、ここは危険な森なのだ。何人もの人物が行方不明になっている。 だから理恵は、準備を万端にしてきた。 まだ残る雪で滑らないように、しっかりスパイクシューズを履き、背中のリュックにはランタンとロープがぶら下がり、さらに救急箱、水と食料、そして防寒具とスパイクシューズも詰めてある。――もちろん、全員分の。 「荷物デカっ! 引越しでもすんの!?」 思わず突っ込むナオト・K・エルロットを見て、エフェメラ=デジデリア・“タルサレオス”・テレイオーシスが腕を組みながら言う。 「先ほどからあの仰々しい荷物だったと思うのだが……」 全員一緒にロストレイルに乗って来たのだから、当然といえば当然の言葉だ。 「いーのっ! 突っ込むタイミングってもんがあんの!」 ナオトの言葉に、エフェメラは目を瞬かせ、小さく頷く。 「ふむ。そういうものなのか」 「そういうものなんです」 「森の中は寒いと思うから、皆さんの防寒具も持ってきたんです」 理恵はリュックを開け、中をごそごそと探ると、皆に防寒具を手渡す。 「いやぁ、暖かくて助かるなぁ――って、コントの衣装かっ! しかも古いの!」 茶色の腹巻と白いステテコを手に、わなわなと震えるナオト。 「すみません。男物ってよくわからなかったので……」 「いやいやいやいやわかるよね? ちょっと考えれば――っておねーさん、それ着るの!?」 理恵の後方でエフェメラが、クマの顔になっているフードがついたピンクのパーカーを着ていた。隣にいるシャルロッテ・長崎は、ごく普通の白いダウンジャケットだ。 「どうだ?」 「すごく可愛いです!」 「そんなクマさんに襲われたら、うれ……結局は死にそう」 クマさんパーカーを着たエフェメラに尋ねられ、答える理恵とナオト。 可愛らしいパーカーの下で鈍く光る甲冑が物々しい。 しばらくそうして皆で騒いでいたが、やがてシャルロッテが穏やかに口を開いた。 「……理恵、問題がありますわ」 「何? シャルちゃん?」 何か気づいたことがあるのだろうかと、一同はシャルロッテの端正な顔を見る。 彼女は静かに顔を上げると、森の方に視線を向けた。 「わたくしたち、まだ一歩も森の中に入ってない」 「マフラー暖かいなぁ」 ナオトが和やかな笑顔で言う。森の中に入った一行は、周囲を見回しながら歩いていた。 理恵の持ってきた防寒具は、それぞれが使えそうだと思うものを選択し、身に着けた。 「これは手編みなのか?」 同じく白いマフラーを首に巻いたエフェメラは、表情を変えずに理恵に問う。 「はい! あんまり上手じゃないですけど」 「そうか」 そう言って頷き、また視線を周囲に巡らせ始めたエフェメラの姿をしばらく見ていた理恵に向かい、シャルロッテは「わたくしは悪くないと思いますわ」と声をかける。理恵は彼女に向かい「ありがとう」と笑顔を見せる。 いつも一緒に歩く時、理恵はシャルロッテにくっついて歩いているが、今日はそういうことはしていない。いつ何があるかわからないからだ。流石に足手まといになるわけにはいかない。 他の者も、穏やかに森を散策しているかのように見えても、意識を研ぎ澄ませ、周囲の様子をつぶさに観察していた。 エフェメラは森に踏み込む前に、自身の髪を一本、隼に変え、上空から森を偵察させている。これで迷うことはないし、たとえ霧が出たとしても影響は受けない。 「やはりここは、普通の森とは違うようだな」 エフェメラは、自然の友たるエルフだ。自然に形作られた森であれば惑わされることなどないが、先ほどから違和感がずっとつきまとっている。木々に呼びかけてみても、答えが返ってこない。 「迷子のしょうねーん! 居たら、お兄さんに返事してー! 手ぇ光らしてー!」 ナオトの大きな声が、森にこだまする。 「あの、いきなり大きな声出して、怖がらせちゃったりしないかな……?」 突然見知らぬ森に来てしまったら、誰でも怖い。ましてやまだ子供だ。 「うーん、でも返事をしてもらえるならしてもらった方がいいし、光も出してもらえるなら出してもらった方が良くない?」 「まぁ……そうですね」 ナオトは理恵に答えながらも、心の中で歩数を数えるのを忘れない。 視覚に頼るのではなく、感覚で歩くことで、森で迷うのを防ぐ意図があった。 「……動いてますわね」 周囲を見回していたシャルロッテが、口を開く。一同が後ろを振り向くと、来た道はもうなくなっている。 「まぁ、道は自分で切り開くもんだし、邪魔されたら蹴っ飛ばして壊せば良いんじゃない?」 ナオトはそう言うと、先を急いだ。少年のことが心配だったからだ。 皆、同じ気持ちで、足を速める。 ◇ ◇ ◇ 少年は、ぴくり、と肩を震わせた。 誰かが呼んでいる。たぶん、自分のことだ。こんな所に、自分以外に少年で、しかも手を光らせることが出来る者がいるとは思えない。 踵を返し、そちらに向かおうとして、その動きが止まる。 誰なのだろう、呼んでいるのは。 もしかしたら、酷い目にあわされるのではないだろうか。 現に――そう。 はやくにげなさい。 そう、自分は追われているのだ。――たぶん。 真っ赤な――あれは、何だっただろうか。痛くて――。 とにかく、逃げなくては。 少年は速まる自分の鼓動に怯えながら、息を殺し、震える足を動かした。 ◇ ◇ ◇ しばらく歩いていくと、周囲の空気が急に重さを増した。そして、見る見る白く煙っていく。 綿菓子のように白い、霧だった。 「あっ!」 「理恵、どうしました?」 「磁石が――!?」 突然、理恵の持っていた方位磁石の針が、ルーレットのようにぐるぐると回り始める。 「この霧に何か――!?」 「さあね。でもまぁ、俺にとっては霧も闇も似たようなもんだ。明るいよりはやりやすい。――来るよ!」 ナオトの言葉が放たれると同時に、覆われた視界の端で、何かが動いた。 「おっと! ざーんねん、はずれっ!」 ひらりと身を翻した彼の脇を、鋭い鞭のようなものが通り過ぎる。 木の枝だ。 「話に聞いてたより、ずいぶんと強暴だねぇ」 「わたくしたちが、招かれざる客だからかもしれませんわね」 シャルロッテも、レイピアを鞘から抜くと、油断なく構える。 「何故このような行いをする! 何か理由があると言うのなら話してみよ! 貴様らに誠あらば力になろう!」 それまで黙っていたエフェメラが、森に向かって語りかけた。何か、理由があるに違いないと思ったからだ。 けれども森は、答えない。 「答えぬか。――ならばこのエフェメラ=デジデリア・“タルサレオス”・テレイオーシス、容赦はせん!」 きぃん、とエフェメラが抜き放った剣の澄んだ音が合図となった。ナオトは地を蹴り、シャルロッテと理恵は走る。 「はぁぁぁっ!」 気合と共に放たれた斬撃は、迫ってくる硬い枝を、易々と切り裂く。 枝は地面に落ちると、黒い塵となって砕けた。 「……火をつけてみましょうか」 「ええええええっっっ!? 何をいきなり!? 森、燃えちゃうよ!? 少年はどうすんの!?」 シャルロッテの突然の言葉に、ナオトは驚きを返す。二人はその間にも、木の枝を迎撃する手足は休めない。 「流石に燃やしたりするつもりはありませんわ。熱源認識かも、と思ったものですから。それならば攻撃を逸らすことが出来ます。手数が多いですから」 言うが早いか、シャルロットはポケットからライターとメモ帳を取り出すと、紙を一枚剥ぎ取り、折りたたんでから火をつけ、投げ捨てた。 すると、霧の中から幾本もの枝が伸び、火をめがけて突き刺さる。もともとか弱かった火は、一瞬にして消えた。 「おおおっ! ビンゴ!」 指を鳴らすナオトに向かって頷くと、またシャルロッテは紙に火をつけ、森に投げる。 「理恵! 今のうちに行きますわよ!」 「わかった!」 理恵は『心理定規』の能力を使い、上手く木の攻撃を受けないようにしていた。シャルロッテの呼びかけに答え、彼女も走り出す。 ナオトとエフェメラも急いで後に続いた。 「木の攻撃が止んだ!?」 少し走ると、あれだけまとわりついてきていた枝の攻撃が、ぱったりと止む。 皆一息つきながらも、注意を払うことは怠らない。 「ここは……?」 エフェメラが呟く。 先ほどと、周囲の雰囲気が違うのだ。 『森よ……どうした? 何が起こっているのだ?』 けれども、森は黙っている。 無駄なのか。 そう思った時、とても幽かな『声』が聞こえた。 『……ここよ……』 エフェメラは精神を研ぎ澄ませる。『声』の聞こえた方向――。 「あそこだ! あの木の下!」 エフェメラが指差す先には、小さな手。そして、それに迫る木の刃。 「理恵っ! 保護!」 シャルロッテが、一番その木の近くに居た理恵に声をかけ、そのまま走る。理恵たち三人も、急いで走った。 「そこの子! こっち! こっちよ!」 少年が弾かれたように顔を上げ、自身に迫り来る凶器に気づいた。躓きながらも慌てて足を動かす。 手を伸ばす――あと少し。 『こっちに来ないで! ――あたしたちはあなたの仲間よ!』 理恵は少年を強く抱き寄せると、再び『心理定規』の能力を使い、『森』へと干渉する。しゅるしゅると唸りを上げて近づいていた木の切っ先は、戸惑うようにうねり、走り寄って来ていたシャルロッテに矛先を変えた。 「そう。いい子ですわね」 彼女のレイピアが閃き、それを薙ぎ払う。 「はっ、いくら来ようが同じだって!」 「砕けろ!」 ナオトとエフェメラによって、残りも粉砕された。 「大丈夫だった? 良かっ――」 理恵がほっと息をつき、笑顔で声をかけようとしたその時、するり、と腕から少年がすり抜ける。 「――え!?」 一瞬理恵は、何が起こったか分からず、動きが止まる。だがしかし、すぐに気持ちを立て直すと、慌てて追いかけた。 少年の動きは、想像以上に素早い。 やはり、怯えているのだ。恐らく自分たちのことも、敵だと思っている。 「待って! お願い!」 「待て! 待てってば! 俺たちは君を助けに――くそっ!」 急いで後を追ったナオトの前に、また木の枝が立ち塞がる。ナオトはそれを、蹴りで撃破しながら進む。 幸い少年は、枝のターゲットにまだなってはいないようだったが、いつそうなるかはわからない。 濃い霧の中に、少年の姿は消えようとしている。 ぎちぎちぎち。 「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」 悲痛な叫び声と共に、少年はすぐに、地面に這いつくばるようにしながら、道を戻って来た。ナオトは慌ててそれを迎える。腕の中の少年の感情が、細かな振動として伝わって来た。 皆、安堵の息を漏らすと、顔を少年が来た方向――前方に向けた。ねっとりとした霧の中から、それは姿を現す。 ぎちぎちぎち。 虫――のように見えた。 ぬらりと鈍く光る黒い巨体。無数の節くれ立った脚。うぞうぞと蠢く口に、三つの黄色い目。 それはこちらをじっと見たかのように見え、そして、脚の一本が、近くにあった木を突き刺した。 しばしの間のあと、脚は引き抜かれる。何かの飛沫が、小さく光って飛ぶ。 すると、重い音と共に、木は突然地面から抜け、太い根を足のように変え、こちらへと突進してきた。 「なっ――!?」 少年を抱えたナオトは、急いでその場を離れる。 「こんな手を使って、森の木々を操っていたのか。何と卑怯な真似を! ――許さぬ!」 他の木たちも、怖くて怯えていたのだろう。だから、エフェメラの呼びかけにも答えなかったのだ。 エフェメラは、鬼気迫る形相で走る。 「はあぁぁぁぁっ!」 気合とともに繰り出した剣が、『虫』の体の前方を捉えたかと思ったが、それは見た目よりもずっと機敏な動きで、体を移動した。 エフェメラの剣は、脚の数本を斬り落とすだけにとどまる。 「こういう時は、眼を狙うのが定番だよね!」 少年を理恵に預け、横から接近していたナオトが銃を抜き、構える。 「まずいーちっ!」 銃声と共に、一番上の眼が抉れ飛ぶ。歯軋りのような不愉快な音が、森にこだました。 「にっ!」 今度は、右の眼が弾けた。『虫』は巨体を暴れ回らせ、脚を滅茶苦茶に動かす。 「さ――!?」 ん、とナオトが言い終わる前に、後ろから伸びてきた木の枝が、激しく彼の手を打った。 思わず銃を落とし、そのままバランスを崩すと、後ろ向きに倒れる。その上に、錐のように鋭い木の枝が迫った。 そして、視界が暗くなる。 「うわぁっちっ!」 枝は、仰け反るナオトを避け、地面に向かって突き刺さる。炎がぶすぶすとくすぶった。 「大丈夫ですか?」 「いや、助かったけどっ! 感謝してるけどっ! 危ないよっ! 燃えちゃうよ! 火の用心っ!」 シャルロッテが駆け寄ってくる。彼女が、火のついた枝を投げたのだ。 しかし、悠長に話をしている場合でもない。エフェメラは、暴れ動く『虫』とまだ戦っている。理恵の方を見ると、木の枝が彼女と少年を守るように伸びていた。上手くやっているようだ。 ナオトは急いで立ち上がると、手早く銃を拾い、『虫』の方へと走り出す。シャルロッテも後に続いた。 「でやぁぁぁぁぁっ! はぁぁっ!」 エフェメラが繰り出す剣は、『虫』の脚や襲ってくる木を確実に斬り落としてはいるものの、決定打にはならない。『虫』の体が大きいこともあるが、体表が思った以上に硬く、剣がなかなか通らないのだ。 ピィッ、ピィッ、ピィッ。 その時、鳥の鳴き声が聞こえた。 下からは霧の影響でよく見えなかったが、上空に居るエフェメラの隼だった。 「見つけたぞ! 奴の頭部に、僅かな隙間がある!」 しかし、『虫』自身の巨体と沢山の脚が、そこにたどり着くことを阻んでいる。 「ナオト、残った眼を潰せるか!?」 「おうっ! 任しといてっ!」 エフェメラの呼びかけに、ナオトは力強く答え、再び銃を構えた。 「理恵! その子は任せましたわ!」 「うん、大丈夫!」 シャルロッテの声に、理恵も答える。 隼がまた、ピィと鳴いた。 「突撃っ!」 エフェメラの声と共に、皆一斉に動き出す。ナオトの放った銃弾が、寸分違わず『虫』の眼を射抜いた。『虫』はまた悲鳴を上げて仰け反る。 周囲の枝が混乱したかのように蠢いた。エフェメラとシャルロッテは、それを足場にし、木の上へと上がる。 「ありましたわ!」 シャルロッテが声を上げる。 つるりとした体表の中、継ぎ目のようになった部分に、小さな隙間がある。小さいといっても、人が使う剣は、十分入るような大きさだ。 二人がそれを捉え、攻撃に移ろうとした時、暴れる『虫』の脚が枝を薙ぎ、こちらへと迫った。木の上まで、振動が伝わってくる。 「頼んだぞ! シャルロッテ!」 エフェメラはそう言うと、剣を持ち直し、脚を迎え撃つ態勢に入った。 シャルロッテのレイピアよりも、エフェメラの剣の方が、斬ることにかけては向いている。シャルロッテは頷くと、レイピアを握る手に力を込める。 「邪魔はさせん!」 エフェメラが木から飛び降り、『虫』の脚を斬り落とすと同時に、シャルロッテは木を蹴り、跳躍した。 「はぁっ!」 気合と共に全体重をかけ、『虫』の体の隙間へとレイピアを深く突き刺す。 ヴンッ。 一瞬空気が震え。 金属が激しく擦り合わさるような音と共に、弾けた。 「こんな所に一人なんて怖かったよな。もう大丈夫だから」 そう言って、ナオトは自分のジャケットを少年にかけてやると、優しく頭を撫でた。 『虫』が絶命すると、霧は晴れたが、その体液を注入された木は、『虫』の消滅と共に、黒い塵になってしまった。 そのため、木はまばらで、それが痛々しい。 それでも森は、ようやく本来の姿を取り戻そうとしていた。 「このお兄さんね、見かけよりいい人だから」 理恵がそう言うと、ナオトはいかにも心外、という顔をして首を振る。 「えーっ! 俺は見た目もいい人でしょ? カッコいいしさ、強いしさ。でも腹は弱いんだよねー」 そう言ってナオトはシャツの裾を捲くって見せる。そこには、理恵の渡した茶色い腹巻が巻かれていた。 「えっ、いつの間に!?」 そのやり取りを、シャルロッテは少し離れたところから見ていた。剣を持っている自分があまり近くに寄ると、少年を余計に怯えさせてしまうのではないかと思ったからだ。 少年の表情はまだ硬いが、幾分和らいだように見える。その細い首に、白いマフラーがそっと巻かれた。 「ほら、暖かくて良いマフラーだろう? 手編みだそうだ」 エフェメラがそう言って優しげな目を向けると、少年は、弾かれたように顔を上げ、恐る恐る、といったふうにマフラーに触れた。一瞬の後、目に涙を溜め、そして激しく泣き出す。 もしかしたら、いつか編んでもらった贈り物の、暖かい感触を思い出したのかもしれない。 エフェメラは、宝物を見つけたかのような笑顔で彼を抱き上げ、「無事でよかった」と頬にキスをする。 「そこっ! オイシイとこ持ってかない!」 ナオトの言葉に、皆が笑った。 ◇ ◇ ◇ 楽しそうな話し声が聞こえる。 少年は、重い目蓋をゆっくり、少しだけ開けた。 赤い光が眩しく、目に痛い。 体が揺れていた。誰かに負ぶわれているのだ。 黒と青のまだらの髪。確か、ナオトと言っただろうか。一人だけ男性だった。 広い背中だ。亡くなった父の背中に似ている、と少年は思った。 少しずつ、色々と思い出してくる。 エフェメラという人は、暖かい手編みのマフラーをかけてくれ、母のようにキスをしてくれた。マフラーの暖かさで、何故だか気が一気に緩んだ。 一昨年母からもらったマフラーは、遊んでいるうちになくしてしまった。 シャルロッテという人は、少し離れたところに立っていたが、自分のために、化け物と戦ってくれていたのを見た。 皆が、優しく労わってくれ、水や食料を与えてくれた。水を、無我夢中で飲んだことを覚えている。腹は空いていたものの、食べる気にはなれなかった少年に、理恵という人が飴をくれた。 それを舐め、甘さが体に染み渡るようでホッとしたら、いつの間にか眠ってしまったようだ。 皆は何も言わなかったが、ここが自分の居たところではないということはわかっている。母ともはぐれてしまったのだ。 でも今は。 もう少し、新しい友人たちの優しさに、ただ甘えていたいと思い、少年はまた、静かに目を閉じた。
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