「くそっ……なんでだよっ……!」 一人の男が、明るい青空の下、いかにも涙をこらえた表情で町中を走っている。 彼の名前はカイ=ルージ。 くっきりとした眉と、筋の通った鼻、やや垂れがちの大きな目に、少し下がった口元。 それなりにハンサムと言える顔と高めの身長は、黙って立っていれば異性を惹きつけるかもしれない。 しかし彼は、とても間が悪いのだ。 今日も、先日町で声をかけた女性との、楽しいデートのはずだった。 春らしい色合いの、可愛らしいワンピース姿で待つ彼女の前に、この日のために新調したタキシードを着て、カイは颯爽と現れる。 夜のパーティーならばともかく、日中の町中にはあまりそぐわない格好の彼を見て、彼女は一瞬顔を引きつらせたが、カイはそれに気づかず上機嫌で、ともかくデートが開始した。 しかし、エスコートをしようとしてバランスを崩し、彼女を水たまりに突っ込ませたり、レストランで食事をする時、緊張してテーブルのものをひっくり返し、彼女に引っ掛けたり、悩みに悩んでプレゼントに選んだ香水が、別れた元彼の浮気相手が愛用していたものと同じだったりして、非常に空気が気まずくなり、当然のように次の約束もないまま、早々にデートは終了した。「俺っち、いつもこうだ……!」 悔しさや悲しみや怒りを体中にぐるぐると巡らせながら、カイは走る。周囲に歩く人たちが訝しげにこちらを見るが、そんなことはどうでも良かった。「あっ」 突然、体が宙に浮く。 何だ――と思った時には、カイは顔面から地面に突っ伏していた。痛そうな音が大きく響き、周りが一瞬、静かになる。 カイは、恐る恐る、顔を上げた。鼻と頬がずきずきと痛む。 視線の先には、五歳くらいだろうか、母親らしき女性に手を引かれた少女がいた。「ぷっ」 目が合ったと同時に吹き出した少女から、慌てて視線を逸らし、カイはうつむいた。あちこちから起こる忍び笑いに、痛みよりも屈辱で体が震える。 その時、カツン、と硬い音がした。 うつむいたままのカイの目の先に、何かが転がってくる。 それは、ペンダントだった。大きな紫色の宝石が、雫の形にカットされたものが、チェーンの先についている。 カイは間が悪くとも誠実な男だ。普段の彼ならば、そんなことはしなかっただろう。 しかし、魔が差した。「ちくしょぉぉぉぉぉぉーっ!」 カイはペンダントをさっと掴むと勢いよく立ち上がり、泣きながらその場を後にした。 ◇ ◇ ◇「今回のターゲットの竜刻は、そのペンダントについた石です。封印のタグを使って、暴走を止めてください」 リベル・セヴァンは、いつもながらの冷静な口調で言う。 『封印のタグ』は荷札のような形状をしており、それを対象に貼り付けることで暴走を止めることができるというものだ。「それから」 彼女は小さく息をついてから、言葉を続けた。「ペンダントを持っていた人物が、それを取り返そうとしてくるかもしれません。――もしかしたら、手荒なやり方で」 そして彼女は少し視線を宙に向け、再び口を開く。「ついでに、彼と話でもしてきたらどうでしょうか」 『彼』というのは、カイという男のことを指しているのだろう。 言い方は淡々としていたが、その言葉には、彼女なりの気遣いが感じられる。「では、健闘を祈ります」 彼女はそう言って、『導きの書』を静かに閉じた。
初夏の陽射しは強すぎることもなく、爽やかな明るさを地上にもたらす。 街は活気に満ちていて、人々の話す声や、店からの呼び声が入り混じり、喧騒を作り出していた。 「お待たせ!」 「皆さん、ジュース買って来ました」 ツヴァイとコレット・ネロが、それぞれ両手にグラスを持ち、やって来る。果物の色の液体が入ったそれは、店の前に設置された、四人がけの白いテーブル席に座っていた、テオ・カルカーデと赤燐にも渡された。ひんやりとした感触が、手のひらに伝わる。 「ありがとうございます」 「ありがとう。……んー、冷たくて美味しいわ」 ツヴァイとコレットも椅子に座り、しばし皆、無言でジュースの爽やかな喉越しを楽しんだ。 吹く風は心地よく、どこかから、鳥のさえずる声が聞こえる。 「……って、俺たち、こんなにのんびりしてていいのかよ?」 ツヴァイが我に返り、口を開くと、コレットと赤燐も目を瞬かせた。 テオが、この世界は初めてなので観光をしたいと言い出し、今に至っているのだが、当の本人は涼しげな顔で、街の雰囲気を楽しんでいるようだ。 「闇雲に探しても仕方がないですから、まずは情報を収集しないと」 「情報収集っつったって、景色見てるだけじゃんか」 ツヴァイの言葉に、テオは静かに微笑む。 「それでも、色々と見えてくるものはありますよ」 そして、前方を見るように、三人へと視線で促した。 「例えば……あの人なんかどうでしょう? 母子の彫像の前の、茶色の髪の」 歩道の脇に、石で出来た母子の彫像があり、誰かと待ち合わせをしているのだろう、幾人かがその周囲に立っていたが、その中に、長い茶色の髪を持った少女がいた。小柄で色も白く、可憐な雰囲気を漂わせている。 「可愛い子ね」 赤燐が言い、ツヴァイは片方の眉を上げた。 「ん? おまえあーゆー子が好みなの? 意外」 ツヴァイの言葉を聞き、テオはくすりと笑みを漏らすと、再び口を開く。 「私の好みはともかくとして、カイ=ルージが声をかけそうだと思いませんか?」 「あっ、そういうことか!」 そう言ってテーブルを叩くと、ツヴァイはコレットへと顔を向ける。 「コレット、一緒に聞き込みにいこうぜ!」 「あ、はい」 コレットはジュースを慌ててテーブルに置くと、先に立ち上がって彫像の方へと向かったツヴァイの後を追う。 それを黙って見ていた赤燐が、ややあって口を開いた。 「テオさんが行かなくても良かったの?」 彼女の疑問に、テオはジュースに口をつけ、頷く。 「女性が一人ですし、彼らの方が向いていると思います」 「ああ、それもそうね」 あの二人であれば、カップルだと思われるかもしれないし、その方が話もしやすいかもしれない。 様々な種族が暮らすヴォロスであるから、怪しまれるということはあまりないだろうが、受ける印象は変わってくるだろう。 「それじゃ、私たちも聞き込みに行ってみようか」 「はい」 赤燐の言葉に、テオは再び頷いた。 「あ、はい。声をかけられたことあります。少しお茶を一緒に飲んだりしました」 声をかけ、カイのことを尋ねると、少女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに緊張を解き、にこやかに話をしてくれた。 「でも、何というか、ひどい目にあって……」 少女はそう言って溜め息をつく。何があったのかはわからないが、リベルに聞いた話と似たようなことがあったのかもしれない。 「でも、きっと悪気があったわけじゃないと思うんです」 「そうそう、アイツ、悪いヤツじゃないから」 コレットとツヴァイが揃ってフォローすると、少女も表情を緩め、「そうですね」と言う。ただ話を合わせているだけかもしれないが、それほど悪い印象でもないのかもしれない。 「ところで、今日カイのヤツ、見かけなかった?」 ツヴァイに問われ、少女は少し考えてから、口を開く。 「いえ。……結構この辺りで見かけることがあるんですけど、今日は見てないですね」 「だとしたら、お家にいるのかしら? カイさんのお家って知りません?」 「さぁ……そこまでは私も……」 コレットに聞かれ、首を振る少女の動きが、不意に止まる。目線が宙を彷徨った。 「あ、詳しい住所とかはわからないんですけど、そういえば、アイゼル通りに住んでるって言ってたような……」 「アイゼル通りね。ありがとうございます」 「ありがとな!」 そう言って少女と別れた後、コレットがあごに指先を当て、少し考えてから口を開く。 「でも、アイゼル通りっていうだけだと、少し範囲が広すぎるわよね」 「もう少し、聞き込みしてみようぜ。テオたちも聞き込みに行ったっぽいし」 テーブル席の方を見ると、そこには誰もいない。 「そうね、行きましょう」 コレットは頷くと、周囲を見回した。 「カイ=ルージ? ああ、知ってるよ」 聞き込みを始めて何人目か、パイを売っている屋台の店主は、色好い返事をした。 がっしりとした体と髭面が熊のようで、怖そうにも見えるが、人の好さそうな笑顔を浮かべる。 「彼の居場所、知りませんか? 家とか」 テオの言葉に、店主が少し怪訝そうな顔をしたので、彼は言葉を付け加えた。 「妹がナンパされて、気になったもので」 それを聞き、店主は一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、やがて一人納得したように頷き、口を開いた。 「良かったらあんたの妹、あいつにやってくれよ」 「それは困りますね。大事な妹なもので」 店主のいきなりの言葉にも、表情を変えずに答えるテオ。 すると、店主は申し訳なさそうに笑う。 「そうか……なんかあいつが空回りしてるのを見ると、不憫でさ」 そう言って、片手で顔を撫でる店主を見、猫のようだと思いながら、赤燐も尋ねる。 「それでおじさん、カイさんの家って知ってる? 別に喧嘩しに行くわけじゃないから、心配しないで大丈夫よ」 店主は少し迷いがあるようだったが、話しても良いと結論付けたのか、ゆっくりと口を開いた。 「ああ、行ったこたぁないが、聞いたことはあるよ。アイゼル通りの二番地、花屋の隣のアパートだって言ってた」 「でも、カイさんを見つけたら、どうやってペンダントを回収しようかしら?」 再びテーブルに戻ってきた四人は、屋台で買って来たパイもつまみながら、得た情報を披露し合い、話を始めた。 「『俺がペンダントの持ち主だぜ!』って言うのはどうだ?」 赤燐の問いかけに、ツヴァイが答える。赤燐は腕を組み、首を傾けた。 「でもそれじゃあ、後ろめたくて逃げちゃわない?」 「本当の持ち主がわざわざ名乗ったら、すいません、へへーってならねぇ?」 「だけど、傷ついてるところを追い詰めるみたいで、ちょっと可哀想かも……」 コレットがそこに口を挟む。彼女は、なるべくカイを傷つけないように出来ればと考えていた。 「そうかなぁ」 「じゃあ、こういうのはどう?」 うーんと唸って椅子にもたれかかるツヴァイを見ながら、コレットは柔らかな口調で言う。 「まず、『町であなたを見かけて、ファンになったんです』って言って、お友達になってから、カイさんのことをうんと褒めたり励ましたりして、なるべく自信をつけてもらうの。それで、お別れする時に、『よかったら、私があなたに出会えたっていう思い出に、そのペンダントをください』ってお願いする」 「どうかしら……悪くないと思うけど、今度はぬか喜びさせるみたいで可哀想じゃない?」 赤燐の意見に、コレットは小さく手を振った。 「あ、でもちゃんと、あとから『私は明日から、遠い場所に行かなくてはならないんです。だから、最後にあなたに会えてお話が出来て、嬉しかったです』って言って、身を引きます」 「それならまぁ、騙す……わけではないわよね」 「ふふ。コレットも、中々の嘘つきですね」 「……え? これは、嘘っていうか……確かに嘘ですけど、悪い嘘ではないっていうか……」 それまで黙っていたテオが、楽しげに発言したのを受けて、コレットは戸惑いを隠せない。 「おい、テオ! おまえ変なコト言うなよな! コレットが困ってるだろ!」 そこにツヴァイが、ややむっとした表情で割って入った。テオは相変わらず、穏やかな表情を崩さない。 「あの、ツヴァイさん、私、別に気にしてないから……」 「はい、はい、はい、皆揉めないの! 人が見てるでしょ!」 赤燐がぱんぱん、と軽く手を叩き、皆を諌める。実際誰かが見ていたかどうかはわからない。言葉の綾というやつだ。 「別に、揉めてたワケじゃねーけど」 ツヴァイがそう言って頭を掻く。コレットが何だか悪く言われているようで、見過ごせなかったのだ。 隣にいるコレットは、緊張していたのか、はーっと息を吐く。 「テオさんは、ちょっと言い方が率直なだけよね。それで、コレットさんのは、嘘といえば嘘だけど、『作戦』」 「まあ、そうですね」 テオはあっさりそう言うと、ジュースを一口飲む。 場の空気は、また和やかなものになった。 「若いっていいわね~。情熱がほとばしってて」 「な、なんだよその言い方」 赤燐が布の奥で笑み、ツヴァイを見ると、彼は言葉に詰まり、目を逸らした。コレットを守りたいという彼の好意は、真っ直ぐに伝わってくる。 「ううん、何でもないのよ。ちょっとしたおばさんの僻み」 そう言ってまた笑ってから、赤燐は言葉を続ける。 「でも私としては、そのペンダントは危ないってことを手短に伝えたいわね。竜刻も、いつ暴走するかわからないわけだし」 「私も、そちらの案に賛成ですね」 今度はテオは、首を縦に振る。 「あぁ、その方がいいのかなぁ……コレットはどう?」 ツヴァイに問われ、コレットは笑顔で頷く。 「うん、私もそれでいいと思う。終わったら、皆で励ましてあげましょう?」 「そうだな」 それを見て頷くと、赤燐は言った。 「じゃあ、まずはカイさんの家に行きましょうか!」 ◇ ◇ ◇ 「ここがカイの家かー」 小さな花屋が隣にある、白い壁の小さなアパートの二階が、カイの部屋だった。少し古さを感じさせるが、小奇麗な建物だ。 「待ってください。誰かがこっちを窺っています」 テオの言葉で、その場に緊張が走る。彼の鋭敏な感覚は、不審な音を真っ先にキャッチした。 皆、なるべく体を動かさず、周囲を見る。 すると、建物の陰からこちらの様子を窺う、赤茶けた色のフードを目深に被った人物の姿が見えた。 「……二人います」 テオが数を確かめ、報告する。 「もしかしたら、カイさんを狙ってるのかしら? ペンダントを取り戻すために」 赤燐の言葉に、三人が小さく頷く。そう考えるのが自然だ。 「とりあえず、なるべく普通に振舞おうぜ。テオと赤燐は、そっちを頼む」 「了解しました」 「分かったわ」 ツヴァイがそう言うと、テオと赤燐はドアから少し離れ、なるべく自然に見えるように気をつけながら、意識を研ぎ澄ませた。 「カイさん、いらっしゃいますか?」 コレットがドアをコンコン、と叩きながら呼びかける。 しかし、返答も、人が動く気配もない。 「いないみたい……」 「あ、一人姿が消えたわ」 コレットの言葉に、赤燐の言葉が被さる。 「足音が遠ざかって行きます。――二人とも」 続いて、テオが言葉を発した。 「俺たちに勘付かれたと思って、逃げたんだろうか?」 ツヴァイが周囲を気にしながら言うと、テオは首を振る。 「いや、私たちはそもそも部外者ですし、事を荒立てないにしても、幾らでも言い逃れは出来ます。それよりも可能性として高いのは――」 「カイさんが見つかったのかも……!?」 引き継ぐように言ったコレットに、テオは静かに頷く。 「急ぎましょう。早く彼を保護しなくては」 ◇ ◇ ◇ 「なっ、なんなんだよっ……!?」 カイは、息を荒げながら、必死で走る。 突然現れた、フードを目深に被った男に腕を掴まれ、それを必死で振りほどいて逃げて来た。 後ろをちらりと見ると、怪しげなフード男の数は、二人に増えている。 とにかく闇雲に道を進み、角を何回も曲がる。気がつけば、歩く人の姿はどんどん消えて行き、また角を曲がった先に――二人のフード男が立っていた。 回りこまれたのかと思い、慌てて踵を返そうとすると、そこにも二人の男。 挟まれたのだ。 男たちは、無言でじりじりと間合いを詰めてくる。 「な、なんだよ、あんたたち……俺っち、何も悪いことなんか……!」 そこまで言って、カイはふと思い立った。ペンダントのことだ。 慌てて、胸ポケットから、震える手でペンダントを取り出し、男の一人に向かって放り投げる。フード男は、それを片手でキャッチし、顔に近づけてよく見ると、小さく頷いた。カイもほっと胸を撫で下ろす。 しかし、男たちの動きは止まらない。 カイは、そこでようやく理解した。 今さらペンダントを返したところで、関わってしまった自分は、許されないのだと。 (神様――!?) 彼は、もうどうしようもなくなり、普段祈ったりもしない神に祈った。 「ぐぁっ――!」 その時、大きな音と共に、悲鳴を上げたのは、フード男の一人。 カイの肩に伸ばされた右手から、血飛沫が飛ぶ。 道の向こうで、帽子を被った、紫の長い髪の男が、何か鉄の塊のようなものを、こちらへと向けていた。そこからは、煙が立ち上っている。魔法か何かなのだろうか。 「大丈夫か!?」 気がつけば、赤髪で長身の男が近くに来ていて、フード男の一人を殴り飛ばしていた。 その脇をすり抜けるようにして、全身が赤で統一され、顔には布を下げた不思議な人物と、美しい少女がこちらへと駆け寄ってきた。 その少女の瞳は、エメラルドのように深遠な緑で、優しさと慈愛の光を宿していて、きゅっと固く結ばれた小さな唇は、カイを助けたいという決意に満ちていた。髪は、陽光を受け、まるで金糸のようにキラキラと滑らかに光り、彼女の周囲に神々しいまでの輝きを振りまいている。 「大丈夫ですか?」 「は、はい……お、お名前は?」 少女がこちらへとたどり着くと、気遣いの言葉をかけてくる。長い睫毛が柔らかに瞬く。 カイは、安堵と喜びが胸に広がっていくのを感じ、つい名前を聞いていた。少女は、少し戸惑ったような顔をしてから、形の良い唇で可憐な名前を紡ぐ。 「コレットです。……とにかく、こっちへ」 カイは、子供のように素直に頷いた。 「コレットさん、カイさんは任せたわよ!」 「はい、大丈夫です!」 コレットの返事を聞くと、赤燐はこちらへと向かってきていた男に蹴りを喰らわせる。男は少しよろめいたが、すぐに両足で踏ん張り、堪えた。 男の右の拳が閃く。赤燐はすんでのところでそれを避ける。 体術はそんなに得意ではないのだが、赤燐の能力を行使すれば、重大な怪我を相手に負わせてしまう。それは気が進まなかったので、何とかするしかない。 そこから少し離れた場所では、ツヴァイが二人の男を相手に立ち回っていた。どちらも中々のやり手だが、ツヴァイの動きの方がそれを上回っていた。 ツヴァイの膝蹴りが、男の一人を沈めた時――彼の背後から、幾本もの氷の矢が襲い掛かった。 「――!?」 ツヴァイが気づいた時には、もう氷の矢はすぐ近くに迫っていた。離れた場所にいたフード男がにやり、と笑う。 しかし、もう一人、静かに笑んだ男がいた。 突然地面から激しい炎が立ち上り、氷の矢を包み込む。氷の矢は、一瞬にして蒸発した。 「そちらが何かなさっているようでしたので、こちらも準備しておいたんです」 テオは、指先で小瓶を揺らしながら、男に向かって口の端を上げる。 「テオ、サンキュー!」 ツヴァイはもう一人の男を右の拳で吹き飛ばすと、魔法を使った男の方へと向き直った。 「ま、待てっ! 俺は頭脳派――!?」 男の言葉は、ツヴァイの足先によって途切れ、そのまま男は静かにダウンする。 ちらりと向こうを見ると、赤燐も得意げにピースサインをしていた。 「コレ竜刻ですよねぇ、何に使うんですか?」 テオの静かな問いに、フード男のひとりは、ふるふると首を振った。 「知らないっ! 俺は何も知らないんだ!」 「本当ですか?」 テオが赤い液体の入った小瓶をちらつかせると、男たちの顔は青ざめ、体は震え上がる。 今は四人とも、道端の木に、一纏めにロープで縛り上げられた状態だ。 「本当だってっ! 俺たちはただ言われたモノを盗んだりするだけ――」 先ほどとは別の男が声を上げ、途中で慌てて口を噤むが、もう遅かった。 「盗品か……道理でやることが手荒な訳ね」 赤燐が呆れたように溜め息をつく。 「この分だと、まだ他にもあるんでしょうねぇ、盗んだ物」 テオの静かだけれども迫力のある言葉に、男たちは下を向き、口を固く結んでいるが、それが逆に答えを雄弁に物語っていた。 「いいか、今回のことを逆恨みして、カイにまた妙なことをしようとしたら、許さねぇからな?」 「は、はい……すみません」 ツヴァイが凄んで見せると、男たちは萎縮し、こくこくと頷く。 「でもこれで、一件落着ですね」 そう言ってコレットは、回収したペンダントに『封印のタグ』を貼った。 ◇ ◇ ◇ 「皆、危ないところを助けてくれて、ありがとう」 カイが、そう言って頭を下げる。 緊張から解き放たれたのか、顔を上げた彼の表情は、明るかった。 ペンダントのことは、フード男たちとの戦闘の際、コレットがカイに説明をしていた。 あの後、カイも連れ、皆で最初にいた店の前に戻って来た。椅子はもう一脚、他のテーブルから借りて来てある。 盗賊たちは縛ったままにし、役人に知らせておいたから、後はなんとかしてくれるだろう。 「おまえって、本当に間が悪いよな……たまたま持ち去ったペンダントはヤバイ代物だし、変な連中に襲われるし」 ツヴァイがそう言うと、カイは申し訳なさそうに頭を掻いた。 「はい、アップルパイどうぞ。甘いものを食べたら元気が出るって言うし、これで元気出してくださいね」 コレットがそう言って、皆の前に切り分けたアップルパイを置く。今回、カイを励ますために、作って持ってきたものだ。 ナイフと皿は、店から借りてきた。 「私たちも食べちゃっていいの?」 赤燐が尋ねると、コレットはカイを見る。 彼は、「もちろん!」と笑顔で何度も頷いた。 「うん、中々美味しいですよ」 そんなやり取りは気にせず、テオはもうアップルパイを食べている。それを見て、皆もナイフとフォークを手に持った。 「いただきます! ……うまい! やっぱコレットの手作りは最高だな!」 「美味しい~!」 「すげえ旨い!」 喜ぶ一同を見て、コレットも嬉しそうに微笑む。 「でもさ、町の人にも色々聞いたけど、水たまりに突っ込ませただけで怒るなんて、短気な女の子だよなー! もっと優しい子もいっぱいいるから、元気出せよ!」 「うん……」 ツヴァイに言われ、カイの視線が、何気なくコレットの方に向かう。目が合ったコレットは、どうしようかと目を瞬かせる。 「いや、コレットはもう、遠くに行かなきゃいけないからダメだぞ。この街にはちょっと寄っただけだから」 ツヴァイが慌てていうと、カイは驚いたように目を見開く。 「そ、そうなの!?」 「はい……ごめんなさい」 「い、いや、別にいいんだけど……」 明らかに落胆し、しゅんとうなだれるカイ。 「生きていれば、またきっといいことあるわよ。若いんだから、あきらめるのはまだ早いわ」 彼に向かい、赤燐は優しく諭すように言った。 カイは、視線を上げ、赤燐を――というよりも、顔にかかっている単眼模様の描かれた、薄赤の布を見る。 「何? もしかして、この布取って欲しい?」 赤燐の問いかけに、しばしの無言の後、カイは首を横に振った。 「……いや、やっぱりいいです」 そうして、アイスティーを一口飲む。 「貴方は、間が悪いというより視野が狭いんですねー。もう開き直っちゃえば良いんじゃないですか?」 そこで、それまで黙ってアップルパイを食べていたテオが、静かに口を開いた。励ます言葉とは異なっていたが、カイには何か考えさせられるところがあったようで、神妙な面持ちをしている。 「そうね。開き直って、自分らしくいられたら、その方が、自分に合う人と巡りあえるかもね」 「そう……なのかな」 自信なさげに言うカイに、赤燐は頷いてみせる。 「まあ、頑張れって!」 「いい人と巡りあえるといいですね」 ツヴァイとコレットにも励まされ、カイは力強く頷き、アップルパイを口に押し込むと、大きくむせた。 ――その後、カイの間の悪さは、少しだけマシになったらしいと聞く。
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