「ううーん……」 世界司書、紫上緋穂は雅なる絵巻物・夢浮橋の資料や報告書を執務机に広げて考え込んでいた。「なんか気になるんだよなぁ……」 色々と追求してみたいことはある。けれども緋穂は特別な場合を除いて異世界へは行けないのだ。「ほら、この内大臣の息子って人さ、お姉さんが入内してるって言ったけれど、右大臣の息子たちは内大臣の姫君は入内を断られ続けているっていってるし、何かあるよ」「左大臣の一の姫と冷我国の姫君は部屋が近いみたいだし、絶対確執あるよねー」「右大臣の兄弟もさ、長男と次男仲悪そうー」 ……どうやら壱番世界の昼ドラレベルの推理のようではあるが。「あっ」 と、思い出したように彼女は声を上げた。そして椅子から立ち上がる。「そうだ、怨霊だったか物の怪だったかが出るって導きの書に出てたんだった!」 ……それは一番忘れてはいけないことなのではないだろうか。まあ、なにはともあれ思い出したのだからよしとしておこう。 *-*-*「というわけでー」 緋穂は自分の司書室に招いたロストナンバーに事情を説明していた。「たしかあなたが気にかけていた場所だと思うんだけど」 そう言われて、そのとおりだと頷く。「なら、行ってくれるよね?」 テーブルに差し出されたチケットは一枚。単独行動ということになる。だが、断る理由はなかった。 あなたは頷いて、チケットを受け取って立ち上がった。====== 7/1~7/3に公開予定の『泡沫朝顔』とつくシナリオはすべて同一の内容となっています。個別タイトルは区別のためであり、内容に違いはありません。 同一PCさんでの複数ご参加はご遠慮くださいますようお願いいたします。 一つの抽選に漏れてしまったので、別のへエントリー、は大丈夫です。======
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは、再び怨霊か物の怪が出ると導きの書に出たという妙弦寺へ向かう前、内裏で今上帝と対面していた。 一段上の位置、御簾の向こうに座している今上帝は、ジュリエッタの願いに興味深そうに耳を傾けて。 「ふむ……妙弦寺の栄照、か。名前は聞いたことがある。わかった、奴やその関係者の足取りを調べておこう」 「もし栄照殿が他大臣と後宮の出入りがあったなら前回の物の怪騒動の起こった場所にはすべて立ち入ることが可能なはず」 ジュリエッタは独り言のように呟いて。 「正直彼を疑いたくないのじゃが。弱き怨霊を退治できる僧がいるこの寺にわざわざ怨霊を出し、すぐに見つかった勾玉……やはり危害を加えるというよりは今上帝の地位を脅かすのが目的ではないのかのう」 「私の地位を脅かす、か……くくく、面白い……はははは、あはははははは!」 「……」 ジュリエッタは黒墨染の法衣に身を包んだ身体を一瞬震わせた。なんだろう、帝のこの笑い方は。少し、不気味だ。 「それともう一つ、冷我国には陰陽道や香術師と違う力があるのか調査してもらいたいのじゃ。確信がつかめないので出来ればすべて内密に……」 「それならある程度は判明しておる。仮にも敵国。そのくらいの情報は仕入れてある」 冷我国には符を媒介にして戦う符術士、言葉を操る禁言師(きんごんし)、僧兵などがいると今上帝は告げた。名前や括り、方法こそ違えども、司るものはほぼ同じというわけか。 「なるほど、かたじけない。ようわかった。それではわたくしは妙弦寺に向かおうと思うのじゃ」 そそくさと御前を辞する構えのジュリエッタ。なんだかこのまま帝の前にいるのが恐ろしく感じたのだ。丁度聞くことも聞いたし、止められる前に頭を下げて立ち上がる。 「妙弦寺の栄照ねぇ……おい、早速調べておくように」 側に控えていた者に告げ、帝はくっくっくっともう一度笑った。 *-*-* 妙弦寺を訪れるのは二度目だ。ジュリエッタは以前と同じく高貴な身分の若き尼君を演じて住職を訪ねた。 「ほうほう、よくいらしてくれた、尼君。本堂は風の通りが良くて涼しい。そちらへどうぞ」 「あの本日は改めて栄照殿の功徳を得たいと思って参ったのじゃが……栄照殿はいらっしゃるか?」 「栄照は今説法中じゃが……じきに終わるだろう。お待ちいただけるかな?」 住職はなにも疑った様子なく、むしろ再びジュリエッタが寺を訪ねてくれたのを嬉しく思っているようだった。会わせてもらえるならば少しくらい待つのはなんでもない。小坊主がお茶を運んできて、下がっていった。住職はもっとジュリエッタと話したがったが来客があるらしく、一人で待たせることを謝って別の部屋へと移動していった。 むしろそのほうがジュリエッタには都合が良かった。障子を開けて庭に面した廊下に誰も居ないことを確認してマルゲリータを放つ。栄照の前で放つわけにはいかないので今のうちに屋根の上へでも登っててもらおうと考えた。 遠くから読経が聞こえる。鳴き始めの蝉が庭で鳴いているようだ。ジュリエッタは背筋をピンと伸ばしたまま茶碗に手を伸ばし、適度に冷めた茶をいただく。乾いた喉を優しく撫でていく温度だった。 スタスタスタ……。 ふと気がつけば、遠くから足音が近づいてきていた。ジュリエッタは身を固くして障子に視線を向ける。やがて映った人影は部屋の前で足を止めた。 「栄照です。失礼致します」 丁寧な仕草で開かれた障子の向こうには、以前と変わらぬ美貌を持ち合わせた栄照が座っていた。一礼して部屋に入り、障子を閉めてから彼はジュリエッタの向かいへと座った。 「おまたせいたしまして申し訳ありません」 「いいのじゃ、わたくしが栄照殿と話がしたいとわがままを言ったのじゃから、待つのは当然なのじゃ」 「それで、お話とは……あ、お茶のおかわりを持ってこさせましょうか」 「いや」 声を上げようとする栄照を押しとどめ、ジュリエッタは内密の話なのじゃがと切り出しておもむろに鬘に手を掛けた。そしてそれを外してしまう。 「……」 「自分は、先の戦乱の前に父が冷我国の娘と恋仲になってできた落とし胤じゃ」 栄照は鬘の下から現れた茶色い髪に驚いたはずだが、顔には出さない。職業柄、人の身の上話や打ち明け話はよく聞くのだろう、その度に驚いていては失礼に当たるからかもしれない。 「父は母をこの暁王朝へ招いて共に暮らしたのじゃが……先の戦争が始まったことで母だけを国に返した。だがわたくしが混血であることは明らか。父上を苦しませぬためにとこうして出家したというわけなのじゃ」 「そうでございましたか。大変なご苦労をされたのですね。御父君と御母君は遠く離れた今でも、尼君の事を思っておられるでしょう……尼君がそうであるように」 「……っ」 栄照は優しい表情を作り、ジュリエッタへと向ける。ジュリエッタの話は完全な作り話ではない。ハーフであることも身分違いの両親のこともある意味間違っていない。だからか、栄照の言葉が心を撫で上げた。 (やはり疑いたくはない……じゃが) ここで怯んでは、栄照の言葉に丸め込まれてはいけない。疑いたくないなら彼が潔白ということを証明すればいいのだ。ジュリエッタは思い切って口を開いた。 「時に栄照殿は幼き頃寺に預けられたのだとか。その御年で人々を救うことができるのはまこと良き御仁じゃが、やはり戦乱が原因なのかのう? いや、不躾なことを聞いてすまぬがよければ聞かせてはもらえぬか?」 「私のことなどお聞きになっても面白くはありません」 「面白いか面白く無いかは私が決めることじゃろう? む……? つい乗せられてしもうたが、面白いと思ったから聞きたいわけではないぞ?」 ふっ……どちらからともなく声を零して笑った。失礼いたしました、栄照が居住まいを正す。 「私の母は私が四つの頃にこの世を去りました。父の顔は一度も見たことがありません。……私が生まれた後、父は一度も母を訪ねはしなかったのです」 通い婚であるこの世界。母親は父親に見捨てられたのだと幼い栄照にもわかったことだろう。 「母には後ろ盾となる親もおりませんでした。病がちの母と少しの女房とやっとのことで暮らしていたのです。母なき後は一人の女房が私を引き取ってくださるという話が出ましたが、突然夫について遠国へ下ることになったりと頻繁に状況が変わりまして、ここに預けられることで落ち着いたのでございます」 「なるほど、栄照殿も苦労なされたのじゃな」 「いえ、尼君ほどではございませぬ。長々と私事をお聞かせしてしまい、申し訳ありませんでした」 「わたくしが聞きたいと申したのだ、そんなに恐縮せぬとも……」 「いえ」 本来人の話を聞く立場の自分がつい生い立ちを話してしまったことを恥じているのか、栄照はジュリエッタの前に置かれていた茶碗を持ち、お茶のおかわりを持ってきましょうと立ち上がってしまう。ジュリエッタが止める間もなく彼は障子を開け、動きを止めた。 シキャアァァァァァァァァッ!! 「!? なんじゃ!?」 廊下の片側は庭に面している。その庭から酷く敵意を持った叫び声が聞こえて、ジュリエッタは腰を浮かせた。 「尼君、この部屋からお出にならぬよう! 物の怪です」 「!」 カシャンッ……陶器の割れる音がして、栄照が茶碗を投げつけたのだと気がついた。彼は後ろ手に障子を閉め、ジュリエッタを守ろうとする。 ジュリエッタは障子際に駆け寄り、そっと障子を開いた。しかし見えるのは彼の背中ばかり。 「後学のためにわたくしにも物の怪退治を見せて欲しいのじゃ!」 「尼君を危険に晒すわけにはまいりません」 栄照も譲らない。物の怪の出現に怯えたのか、先程までうるさいほどに鳴いていた蝉の鳴き声は聞こえなくなっていた。 (マルゲリータ!) 仕方なく、屋根にいるはずのマルゲリータの視界を借りる。屋根から下を見下ろしているのか、よく状況が見えた。 庭の、建物から離れたところに猩々のような獣がいる。離れた位置からでもわかる巨躯、空気を震わす叫び。 「~~~、~~~!」 栄照が何やら経のような、呪文のようなものを唱えながら数珠を繰る音が聞こえる。 ウグァッ…… 太い両腕を振るおうとした猩々の物の怪の動きがピタリと止まる。 「私がいるこの寺で、好き放題はさせません。観念しなさい!」 淡河を切った栄照が庭に降りる。動きを止めた猩々に駆け寄り、長い数珠を打ち付ける。するとどうだろう、体躯からしてみればその打撃など蚊に刺されたくらいにしか感じないだろう攻撃なのに、猩々は派手に呻き声を上げた。数珠にも霊力が込められているからだろうか。ジュリエッタは栄照が障子の前を離れたのを良い事に廊下へと出る。 物の怪の声を聞きつけたのか、廊下をこちらへ走ってくる音が近づいてきた。その間にも栄照はなにがしかを唱えて猩々の体力を奪っているようだ。 「栄照殿! 自分達もご助力いたします!」 駆けつけた僧侶達が一斉に読経を始める。すると猩々はなおも苦しそうに表情を歪めた。 「ハッ!!」 裂帛の気合を込めた霊力が栄照の掌から放たれるのが、ジュリエッタの目にも見えた気がした。 シギャァァァァァァァァァァァァァァ!! 断末魔の声を上げて、猩々はどすり、倒れこんだ。そして端からその巨体は崩れ落ち、風にのって散っていく――。 「栄照度殿、ご無事ですか!」 「また物の怪とはどういうことですか!」 坊主たちが栄照に駆け寄る。栄照も現場から離れて建物へ向かってこようとしているが、坊主たちに囲まれてなかなか進めぬようだ。 「マルゲリータ……」 その人垣の影となる部屋に戻ったジュリエッタはそっとセクタンの名を呼ぶ。栄照が足止めされている間に、彼の背後である現場に降りたマルゲリータは嘴に何かを掴み、そしてもう一度飛び上がった。僧侶達の集まっている更に上を飛び、そっとジュリエッタのいる部屋へと降りる。 「よくやったのじゃ」 マルゲリータがつまんだもの――白い勾玉を掌で受け取り、ジュリエッタは小さく呟いてマルゲリータを撫でる。ひとしきり撫でられ、褒めてもらったマルゲリータは嬉しそうにホゥ、と鳴いて口の中からもう一つ何かを吐き出した。 「?」 ころん……畳に転がったのは黒い物体だった。不思議に思ってジュリエッタはそれを拾い上げる。拾ってみると、それが勾玉であることがわかった。漆黒の、つややかと言うよりは禍々しい黒の勾玉。 「……どういうことじゃ?」 掌に白い勾玉と黒い勾玉を並べてじっと見つめる。以前怨霊や物の怪が現れた場所から発見されたのは全て白い勾玉だった。今も猩々が出た場所付近でこの勾玉は発見された。だが黒い勾玉は……? 「これは……」 「どうかなさいましたか?」 「!?」 背中にかけられた冷たい声。優しいはずのその声はジュリエッタの背中に嫌な汗を浮かべさせた。 勾玉に集中するあまり、気が付かなかった。栄照が部屋に戻ってきたことに。 「な、なんでも……」 急いでマルゲリータを隠す。それで精一杯だった。つ、と座っているジュリエッタの肩越しに上からジュリエッタの手元を見た栄照が声を上げる。 「勾玉、ですか?」 「……ああ」 ただ尋ねてきているだけなのに、何か不自然な威圧感を感じるのは気のせいだろうか。先程まで共に話していた時の栄照とはがらりと雰囲気が変わったように思えた。 「……その勾玉、どこで手に入れられましたか? 良くない気配を感じます」 「こ、これは、拾ったのじゃ!」 「どちらで?」 「こっ……ここに来る前にっ……」 さすがに先ほどマルゲリータに拾わせたとは言いがたく、何とか誤魔化そうと言葉を紡ぐ。 「尼君の持ち物ではないのですね。それではお預かりしてもよろしいでしょうか? 後で良くない気配を祓っておきましょう」 「それはっ!」 「勾玉がご入用ですか? それでは祓いが終わったらさし上げましょう」 「……」 優しい、だがどこか怖く感じる笑顔でそっとジュリエッタの手から勾玉を取り上げる栄照。これ以上下手に勾玉に固執しては怪しく思われる。 第一、この、逆らいがたい恐ろしさは何なのだろう。まるで帝の前に出た時に感じたそれのようだ。 ジュリエッタは栄照に従わざるを得ず、二色の勾玉を手放した。 【了】
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