――帰りたい。 ロストナンバーとして幾多の戦いを経験してきた。その中で確認できたことがある。 ――自分の世界へ帰りたい。 ――自分には親友二人の存在が必要だ。 (忠星……西嘉……) 心のなかで親友二人の名を呼んで、二人の姿を思い浮かべる。 札の中に魂を封じた、親友であり部下である二人。 二人を失いたくなかった。だから、禁忌を犯した。 その結果、二人はこうして札として白燕とともにある。しかし、もちろん以前のようにはいかない。 ロストナンバーとして過ごすうちに、やはり自分は二人と過ごしたいと思った。二人の存在が必要だと痛いほど実感した。 瀕死だった二人の傷を癒し、再び現世へと戻すことができるようになりたい。(自分の持つ力を高め新たな希望を産むために何かできることはないか――) そう考え始めた時。耳に入ってきたのは札使いの老人がいるという噂。その老人は札だけでなく術全般の才を持ち、奇跡とも思えるようなこともできるらしい――。 白燕はその話をしていたロストナンバーに詰め寄った。よほど鬼気迫った顔をしていたのだろう、そのロストナンバーは少し怯えながらも噂について話してくれた。・その老人は雅なる絵巻物・夢浮橋にいるらしいということ。・世界図書館の調査の進んでいない冷我国(れいがこく)という国にいるらしいということ。・冷我国の中でも山の奥に引きこもり、仙人のような生活をしているらしいということ。・あくまでも、噂であるということ。 そのロストナンバーはあくまでも噂だから本気にしないほうがいいと何度も念を押したが、白燕の気持ちは止まらなかった。 その老人ならば、二人をもとに戻す方法を知っているかもしれない。そして白燕のもつ力を高めるためのヒントをくれるかもしれない。 礼を言い、白燕は紫上緋穂の司書室へと向かった。確か夢浮橋を研究しているのは彼女だったはずだ。 その老人に会いたい、会って話を聞きたい――その一心で白燕は扉をノックした。 *-*-* 事前に聞いた話によれば、やはり冷我国の調査は進んでおらず、わずかに現地の人から聞いた、「壱番世界の飛鳥や奈良時代に似た生活をしている」ということと、「貴族の女性もそこそこ外に出る」というような情報だけだった。だから白燕はもっと、いわゆる「和風」の雰囲気を予想していた――暁王朝のように。 だが、冷我国に降り立ってみれば、そこは白燕の故郷と雰囲気が似ていた。壱番世界の言葉で言うならば、「古代中華風」というところだろうか。飛鳥・奈良時代にも確かに似ているが、古代中華色が濃い。なんとなく懐かしくなって、白燕は目を細めた。 市場で食料と水を買い求め、少しばかり情報収集をすれば、確かに目的の山には仙人が住んでいるという噂があるらしい。また、特異な術の才能を持った老人が、戦に自身の力が使われるのを嫌がって、数年前に山に籠ってしまった。何人も使者が向かったが、皆追い返されるか道に迷うかして、誰ひとり老人に会えた者はいないという。「やめておいたほうがいいよ。他にも弟子希望のやつらが何人も山に登ったけれど、誰ひとり会えなかったらしいし、道に迷ってのたれ死んだ奴もいるっていうじゃないか」「山道だって長く険しいよ? 命が惜しかったらやめな」 話を聞いたおじさんやおばさんはそう言ってくれたが、けれども……。「それでも、私は行かねばならぬのだ」 白燕は何としてでもその老人に会わなければならないと思っていた。 いかに長く険しい道程であっても。 *-*-*「――また命知らずが来おったか」 山奥の崖の上で老人は閉じていた瞳を開きもしないで呟いた。聴かせる相手など山の霞くらいしかいないが。「どうせここまではこれまい。欲にまみれた人間どもめ……」 老人とて無駄に命を散らせたいわけではない。だからこそ、彼は自分の術を他の者に教えるつもりはなかった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>煌 白燕(chnn6407)=========
ジャリッと沓が小石を踏みつける。肩から斜めに下げた鞄がギリギリと肩に食い込む。それでも煌 白燕は足を止めない。 白い髪が汗を帯びて顔に張り付く。衣の裾は泥に塗れる。けれどもそんな瑣末なことを気にしてはいられない。山登り用の杖を握りしめ、地面に突いて重くなった足を引きずる。 もうどれくらいこの険しい道を歩いてきただろうか。脚は重く、杖を握る手さえ気を入れていなければ力が抜けそうだ。生き抜くための食料と水が入っているとわかっていても、肩から下げた鞄は重い。 険しい山道をひとりで行くのは酷く孤独な戦いだった。それでも、白燕には負ける訳にはいかない理由があったから、ここまでこれた。 ふと足を止めて、わずかに霞がかったこれから行く道を見つめる。 (仙人と言われる人は真に悟りを開いた者か人の世を嫌う世捨て人か。その2者に分かれるような気がする) 肩で息をしながらこの先待ち受けるだろう相手を思い描く。片手で顔に浮かんだ汗を拭き取る。 (この山の老人は聞く限りでは後者の気がするが……。それでも会って頂きたい。友と私との時間を再び動かすための知恵が私には必要だ) 汗を拭いて視線を上げる。だいぶこの険しい道を歩いてきたが、まだ上り詰めるには至らない、一体あとどの程度続くのだろうか、そう思い道程を確認しようと上げた視線に映ったのは――霞か靄か、白く濁った風景。近づいてくるのは霧か? (まずい――) 行き先を見失うのも自分の位置を見失うのも命取りだ。焦った白燕は視界を遮る白さが濃くならぬ内に動こうと試みる。だが、本能がそれに警鐘を鳴らした。 下手に動いてはいけない。 視線を動かして霧をやり過ごす岩陰を探そうとする。だが既に周囲は白濁していて、一歩先をも見て取れぬ現状。夏場だというのにひんやりとした水気が白燕の肌を、衣服をじっとりと濡らしてゆく。 それとは別に背中を汗が伝っていくのを感じた。なんとはなしに募りゆく危機感のようなものが、白燕の額にも汗を浮かべていた。 少女よ、なにゆえこの山を登る……。 「!?」 頭の中に直接響くような低い声。白燕は思わず辺りを見回した。だが一寸先も見えぬ霧が視界を塞いでいて、声の主を探すことはできない。自然、歩みも止まったままだ。 「私はっ……」 思い切って声を上げる。声には強い意志を乗せて。 「私は、友との時間を再び動かすための知恵を借りに来たのだ……! うわさの仙人とはそなたのことか?」 巷で我々がなんと呼ばれているのかは知らぬが……そのように呼ぶものもいるかも知れぬ。 (我々……?) 白燕は返ってきたその言葉に違和感を抱いた。仙人は一人ではないのか? そして街で聞いた噂を思い出す。この山には仙人が住んでいるという噂があった。また、そこに数年前に特異な才を持った老人が厭世家として山に登った――そんな話だった。元々会った仙人の噂に、厭世家の老人の話が加わった感じであったのだ。 帰りなさい……。 白燕の思考の沈黙をどうとったのか、声は山を降りることを促す。だが、白燕はそれに従うわけにはいかないのだ。反射的に虚空へ向かって一歩、踏み出していた。 「そういうわけにはいかない! 私は藁にもすがる思いでここまでやってきたのだ! なにも得ずに帰ることなどできない!」 そう、白燕は自らの足で、そしてひとりでこの山道を登ってきたのだ。険しさも、友と過ごす時間を手に入れるための一歩と思えばこそ、耐えられた。 少女の足で一人、ここまで登ってきたことは認めよう。だが、我々は誰とも会わぬ。 「そこをなんとか! どうしても会って頂きたい! 話を聞いていただくだけでもいい!」 びしゃりと門前払いを食らっても、白燕は諦めずに声を張る。 おとなしく帰途につけば、無事に帰してやろうと思ったものの……。 面白い、試させてもらおうじゃないか、のう。 ……いいのか? 「!?」 白燕と声の主の会話に新たな声が加わった。最初に会話をしていた声よりも少ししわがれていて、けれども全てを見通しつつ波風を立てないようにしているような、穏やかな声。 少女よ、今から出す三つの問いに応えよ。嘘偽りや綺麗事ではなく、本心を答えよ。その如何によっては我々はそなたの話を聞こうじゃないか。 穏やかな声がそう言った。チャンスをくれたのだとわかり、白燕は感謝の言葉を述べた。 どんな問いが投げかけられるのかと身構えて待つ。次の言葉が掛かるまでが酷く長く思えた。 少女よ、大切に思っている相手に殺されそうになった時、そなたはどうする? 「……!」 問いを聞いて白焔は身体をこわばらせた。大切な相手と聞いて一番最初に浮かんだのは――。 (忠星、西嘉……) 自ら札に封じたふたりの友人。彼ら以外、あり得ない。 とすれば、彼らに殺されそうになる時というのはどういう場合だろうか。 考えたくはない、けれども……息を深く吸い、そして長く吐いて心を落ち着かせる。それが仙人の求めている答えかはわからなかったが、白燕の中には答えは一つしかなかった。 顔を上げ、そこに相手がいると思って真っ直ぐな瞳を向けて。凛とした表情で。 「それはよほど私が愚かな事をしたのだろう。取り返しのつかない過ちを起こし誰かを傷付けた時」 諌める側も辛いだろう、悲しみと悔しさに歪んだふたりの顔が想像できる。 「きっとそんな時だ。信じた友に殺されるのなら仕方がない」 それ以外に二人が己に刃を向けることなどしない、そう信じきった上で答えを出す。自らの過ちを諌めるために、信じた友に殺されるのならば受け入れようと。 では少女よ、大切に思っている相手を自らの手で殺めなければならない場合、そなたはどうする? 「……」 続く問いもまた、もしものことだとわかっていても想像するのが辛い内容ではあった。だが、先の問いに答えを出している以上、こちらの答えもまた、導くのに苦労はしなかった。答えは、ただひとつしかないのだから。 「それは二人が過ちを起こした時だろう。後戻りのできない悲しい事を起こした時だろう」 きっぱりと言い切る白燕。脳裏にふたりの友が浮かぶ。 本来ならばそんな悲しいことなど起こらない方がいい。ふたりを手に掛けたくなどない。 けれども、けれども。 王として決断をしなければいけない時も当然来るだろう。 だから、一つだけ言えるのは。 「それ以外において私が二人を殺すことなどありえない」 直接的に問いの答えにはなっていない。けれども二人が取り返しの付かない過ちを犯した時、その時はためらわず、それ以外では二人を殺めることはしない、その強い気持ちが伝わったはずだ。 白燕は自分の答えに自信があった。それが偽りない本心であると。 沈黙が痛い。湿気でしっとり濡れた肌、湿気を吸った衣服が少し重くなったように感じた。 それでは少女よ、最後の問いだ。大切に思っている者が殺されそうになっている時、そなたはどうする? 「……!!」 白燕の脳裏に浮かんだのはあの瞬間。 覚醒直前の、あの時。 血とともに流れ行く生命を繋ぎ止めるすべが見つからなくて、縋ったのは禁じられた術。 二人を失って生きていくことなど考えられなくて。あの時は他にできることがなかった。他に方法はなかったのだ。 「私の全力を持ってして助けたい」 その気持はあの時と変わらない。鼻を突き、口の中まで広がるような血の香りが蘇る。白燕は顔をしかめた。 「けれど私も生きなくてはいけない」 二人を守って死ぬ、それはできない。 「私が二人を失いかけたあの時のような思いはさせたくない」 絶望の淵、疼痛が心を襲う。血の気が引いてすべての色が失せて見えた。そして自分の無力さに嘆き、指の間からこぼれゆく生命を繋ぎとめられなくて狂いそうになる。そんな思いを二人には味あわせたくはない。 それに。 「過ちを起こした故に殺されるのだとしてもその命を奪うのは私だけだ」 傲慢とも取れるその言葉。けれどもそれは二人を深く深く思う心から来ているもので。 「私以外の者に二人は裁かせぬ」 二人の罪と罰は自分が決める。裏を返せばもしもの時は自らが責任を持ってして罰しよう、そういう心。 王としては二人に偏った寵愛を責められるやもしれぬ。だがそんなこと、白燕は重々に承知であった。 「なんとも傲慢で自分勝手。国の王の出す答えか」 吐き捨てるように言い、自嘲の笑みを浮かべる。王としての答えではないことくらい、痛いほどわかっている。 それでも、それほどにも、白燕にとっては二人が大切で、かけがえのない存在であるのだ。 半身――いや、それ以上かもしれない。 「だがそれが私の本心だ」 王としてはふさわしくない答えである。けれども声の主は嘘偽りや綺麗事ではなく本心を述べろと言った。故に白燕は、己の傲慢さを顕にされる思いで、本心を紡いだのだ。言葉にしてみれば、思ったより自分は傲慢で自分勝手であるのだと思う。けれども嘘偽りだけは述べていない。 声は暫くの間黙したままだった。白燕は己の意気込みを伝えようと、霧に向けて言葉を紡ぐ。 「もしあの世界に三人で立つことができるなら……。私はどんな辛苦が伴おうとも耐えることが出来るから」 歩き続けていればそんなに気にならなかったが、立ち止まってしまったことで一気に疲れを意識し始めていた。足が重く、そして痛い。身体が、だるい。だけれども。 「この厳しい山を登るのもその中のほんの一部だ」 よかろう。 パチンッ……何かがはじけたような音がして、そしてさぁぁぁぁっと潮が引くように辺りの霧が晴れていった。霧の後に姿を表したのは、それまで白燕がいたゴツゴツの岩山ではなく、花と緑の美しい山々で。白燕もその土を踏んでいた。 「己の心と真摯に向き合える者、真に人を思える者よ、そなたをこの地へ招き入れよう」 先ほどと違って肉声が聞こえて、白燕は辺りを見回す。すると十数メートルほど先に蓮の池があり、その隣に四阿があった。そこには長いひげを垂らした一人の老人と、初老の男性である。 白燕はゆっくりと草を踏みしめながら、四阿へと近づく。疲れなど吹き飛んでしまったように感じていたが、身体は正直なのか時折ふらりと足がもつれる。 おそらく体中、泥と埃にまみれて汚れているだろう。このような現実とも思えぬ綺麗な場所にふさわしい格好ではない。それでも白燕は足を進める。早く早くと心は思うのに、足が言うことを聞かなくてもどかしく思いながら。 「よくここまで来た」 初老の男性が、四阿の外で膝をついた白燕に手を差し出した。白燕は衣服で手をふき、そしてその手をとる。四阿の椅子に座らせられて、ほっと息をついた。 「私は、煌 白燕と申す。仙人の知恵をお借りした、く……」 緊張と疲れと乾きからか、言葉が喉に引っかかる。咳き込む白燕を見て、初老の男性が竹で出来た器に水を注いでくれた。それを一気に飲み干して、口元を手で拭って人心地つく。 「わしが、外界では長いこと仙人と呼ばれておる」 長いひげの老人が優しい声で告げた。いかにも書物などで伝わる仙人然としているが、好々爺という印象も受けた。 「こっちは廉定(れんじょう)。自らの力が戦の駒とされるのを厭うてこの山に入ったのじゃ」 紹介された初老の男性、廉定は、少しばかり厳しい視線を白燕に向けていた。自らの力を必要とする欲深い人間が来たと思っているのだろうか。実際、自分の為に知恵を欲する白燕であるからして、反論はできない。 「私は、札に封じた瀕死の友の傷を癒やし、その魂を札から現世へと戻す方法の糸口を掴みたくて、ここまで来た。是非、知恵をお貸し願いたい!」 「その友とは、かけがえのない相手であり、信頼しあっているのじゃな。先ほどの問いの答えで分かった。話を聞かせてもらおうかの」 「!」 仙人の言葉に下げた頭を上げて、白燕は話して聴かせる。自らの術と力と、そして友を封じることになった経緯を。 長い話になる。けれども外界と隔絶されたこの仙郷では、時間など問題にはならなかった。 【了】
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