「……本当にこの遺跡にいらっしゃるのでしょうか」「たぶんね」「……気配で分からない、ですよね」「男は守備範囲外なんだ」「……、……」「あ、今役に立たないな、とか思わなかった?」「……。そんなこと、思っていませんよ?」「あやしいなぁ」 ニコ・ライニオは隣で遺跡の入口を見つめているユリアナ・エイジェルステットの顔をのぞき込んだ。彼女はそんなニコを見つめ返してにっこり笑ってごまかしてしまう。それで「まあいいか」と思ってしまうニコも甘い。「とにかく入ってみようよ。早く保護してやらないと大変なことになるかもしれないし」 どっちがですか、と聞こうとしてユリアナはやめた。ニコの差し出した腕に自分の腕を絡める。そして持ってきたランタンに火をつけた。 *-*-* 二人が今いるのはブルーインブルーのとある島。街の裏の海の浅瀬を歩いて行くとその小さな島にたどり着く。その島には古びた石造りの遺跡のようなものがあって。「本当にセイレーンの歌なんているのかな」「確かに歌声のようなものが聞こえます。でも、街の人達は近づきたがらないようでしたね」「でも『彼』は行っちゃったんだろ?」「……はい」 ニコの言う『彼』とは二人が保護しに来たロストナンバーのこと。「まあ、あの人だったら、やりかねないというか」 ありありと想像できるから困ったものだ。 そう、ニコとユリアナはそのロストナンバーのことを知っている。いや、『彼』がロストナンバーになる前のことを知っていた。 壱番世界の種子島に趣味の研究所を持っていた瀬戸拓篤(せと・たくま)。以前、金属の身体を持った人魚、リエルカを研究の材料にしようとしていたその人である。36歳になった彼は、以前依頼で彼と話をしたロストナンバーが危惧していた通りに覚醒してしまったのだ。世界司書の紫上緋穂に気をつけておいてほしいという報告が上がっていたことから、導きの書に現れた預言を受けて緋穂が素早く人員を募集し、以前リエルカの保護に向かったニコとユリアナが瀬戸の保護に来たというわけだ。 だがその瀬戸は、転移してきたこの街で、街の裏手の遺跡から聞こえる歌声に気づいた。それだけならまだ良かった。おとなしくしててくれれば、保護も楽だったのに。 彼は言葉が通じないこのブルーインブルーで戸惑うこともせず、身振り手振りで歌声について尋ね、見せられたセイレーンのイラストに反応してひとり、遺跡へと乗り込んでしまったらしい。「壱番世界出身のあの方にとっては、セイレーンはお伽話や伝説上の存在であって、実際にいるのでしたら見ておきたいと思うでしょうからね」「そうだよね、以前リエルカと出会ってから、そういう不思議なものを追い続けてきて覚醒したんだろうし……」 小さい遺跡だからすぐに見つかるだろう、そう思いつつ二人はランタンの灯りを頼りに歩んでいく。床の石は湿っていて、窪みにはところどころ海水が溜まっていた。波が跳ねる音、潮の匂いがする。どこからか海水が入ってきているのか?「歌が止んだ」「急がないと……あ、もしかしてセイレーンの、というか歌声の主の気配ならわかるのではないですか? 綺麗なソプラノでしたし、女性だと思いますけれど」「……気づいちゃった?」 出来れば黙っておこうと思ったニコ。ユリアナ以外の気配を追ったらヤキモチ焼かせちゃうかな、何となくそう思って黙っていたのだ。「気づいちゃった、じゃありません。早く道案内してください、ニコさま」 ユリアナは緊急事態かもしれないのですから、とニコの腕を引く。どうやらヤキモチは焼いていないようだ、ニコは安心して気配のする方へと足を進めた。 じわり……床の隅の方からだんだんと海水が満ち始めていることに、ふたりは気がついていなかった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ニコ・ライニオ(cxzh6304)ユリアナ・エイジェルステット(cewc4615)=========
初めて会った時を思い出す。 鋼の人魚を助けるために共に奮闘した。 ついこの間のように思えるが、その時間の積み重ねの中に自分達も色々と思い出を積み重ねてきた。 時に誤解が誤解を産んで意図せぬ方向へ歩いて行ったこともあったけれど、それでも手繰り寄せた糸と共に彼女は腕の中に戻ってきた。 あの時の依頼がなければ、今、こんなふうに彼女の隣にいなかったかもしれない――ニコ・ライニオは滑らないようにと取った彼女の腕の温もりを感じながら、若干感慨深く歩みを進めていた。 「ユリアナちゃんと初めて行った依頼の時の相手の保護で、二人で初めてブルーインブルーに行くことになるなんてね」 「瀬戸様とは直接お会いしていませんけれどね」 ブルーインブルー自体あまり来たことないけどと付け加えたニコに、ユリアナ・エイジェルステットは微笑みながら付け加える。彼女もどこか嬉しそうに見えるのは、贔屓目だろうか。そうあってほしいと思う願望故だろうか。 (初めてブルーインブルーを訪れた時は人魚のお姫様から彫像貰ったりしてるけど、それは内緒にしておこう……) なんとなく黙っておいたほうがお互いのためにいい気がして、そこのところは明かさないニコ。さすがにユリアナもニコがブルーインブルーへ行ったことは報告書で知っているようだが、あえて突っ込まないつもりのようだ。 「あのときは機械の人魚の子の気配を辿り、今回はセイレーンか。何だか不思議な縁を感じるなぁ」 「そうですか……? 例えばどんな?」 「えっ……」 「いえ、なんでもない、です……」 深く考えていたわけではない。ニコが軽く口にした言葉にユリアナは問いを返してきた。少し、気になってしまったのだろうか。ぎゅ、ニコの腕を掴む彼女の力が強くなる。彼女の青玉の瞳は俯いたことで銀糸のカーテンに隠れてしまった。 「ユリアナちゃん、滑らないようにきちんと捉まっててね。足元危ないよ」 「あ、はい……ありがとうございます」 ニコの声に慌てて顔を上げたユリアナは、にこりとほころぶように笑って。きゅっとニコの腕を抱き直した時に、そのふくよかな双丘が腕に擦り付けられた。その柔らかさと温もりにドキリとしながらも、ニコは平静を装って言葉を紡ぐ。少しくらい狼狽えてくれてもいいのに、そんな彼女の声が聞こえてきそうな視線は見えなかった。 「セイレーンに気を取られているのなら、瀬戸もこれ以上どこかへ入り込むことはないはず」 「けれどもニコ様、歌は途絶えてしまいました……もし瀬戸様に何もないとしても、セイレーンの方に瀬戸様が何もしないという保証はないのでは……」 「……」 彼女の言葉にはっと気付かされる。瀬戸がセイレーンに害をなす可能性はゼロではないのだ。以前瀬戸が鋼の人魚、シレーナにしていた仕打ちを思い出す。さあっと血の気が引く思いがして、ニコは空いている方の手で彼女の手をしっかりと握りしめた。 「急ごう」 「ええ」 海水で濡れた地面を滑らないようにと気をつけつつ、ニコは彼女をエスコートしながら出来る限りの速さでセイレーンの気配を追って進んでいった。 * 気配をたどる精度はさすがといった所で。ニコは気配を色濃く感じる方へ方へとユリアナを伴って進んでいった。分岐点でも淀みのないその足運びに、ユリアナはときおり感嘆の息をついては感心していいことなのだろうかと少し自問したりして。 「どうしたの?」 「いいえ、なんでも」 それが人探しの、ひいては命を救うことにならないとも限らないのだからすごい力なのだ、そう自分に言い聞かせるユリアナだった。 「……て! ……いで!」 「「!?」」 ぴくり、ニコの耳がその音を捉えた。傍らの彼女を見ると、彼女にも聞こえたようである。 それは、少女の声だった。聞こえてきていた歌声にどこか似ている。だが歌声とは違ってどこか危機感を孕んだ、悲鳴と怒声の入り混じったもののように聞こえるではないか。 これはただ事ではない、そう判断した二人は顔を見合わせて頷き、声の聞こえた前方の通路へと小走りしはじめた。気配はより強く感じられる。 その通路は一本道になっていて、道なりに進んでいくと開けた場所へと辿り着いた。 「「!?」」 その天井を構成している岩は大きな隙間が空いているようで、太陽の光が降り注いでいた。ランタンの灯りなど必要ないほどに。 そしてその光が降り注ぐのはこの空間の床を分断している海の水の向こう。巨大な珊瑚で出来た足場はまるで天然の舞台のようにせり上がっていて、そこにスポットライトのように陽光が降り注いでいる。 その舞台に迫ろうと、今にも床を分断している海水に足を踏み入れようとしている男が一人。薄汚れた白衣を纏ったその後姿はふらふらと憑かれたように歩みを進める。 『君がセイレーン? 人間の姿に化けられるのかい?』 「だから来ないで! 何を言ってるの? わからないわ!」 少女と男の間に会話は成立していない。だが、ニコとユリアナは二人の言葉がわかる。間違いない、この男が瀬戸だ。 「ユリアナちゃんは女の子の方をお願い」 小さく告げるとニコは組んでいた腕を解き、駈け出して男の肩を掴んだ。 「ちょっと待って。女の子が怯えてるよ」 『お前は何だ? 私はセイレーンを発見したのだ、これは生物学的にも素晴らしい発見で……』 「えーと」 ニコは瀬戸の正面に回り、両肩を抑えるようにして彼の前進を阻んだ。ちらっとユリアナを見れば、床を分けている海水の流れを挟んでこちらがわから少女に呼びかけているようだった。 「大丈夫ですか? その服装、この島の娘さんですよね? 歌を歌っておられたのもあなたですか?」 「え、ええ、そうよ。ここは人も近寄らないし、声が響いて歌の練習をするのにとても良くて……。そうしたらあの変な男が現れて……」 そう、よく見てみればニコにもわかる。この少女の格好はこの島の街でよく見た街娘たちと似通っている。歌声の主はセイレーンではなく街娘だったのだ。 「瀬戸、落ち着いて。あの娘はセイレーンじゃなくて歌のうまい少女。普通の人間だよ。ただ、ここは瀬戸のいた国じゃないから言葉が通じないんだ。わかる?」 『ここが異国なことくらいわかる。あの少女はセイレーンが人間に化けた姿ではないのか? 一度よく調べて……』 瀬戸はまだ諦めていない様子で、抑えるニコから逃れようと身体をよじる。しかしニコもここで今の瀬戸を自由にするわけにはいかなかった。 「瀬戸、よく聞いて。君は以前、種子島の研究所で不思議な体験をしたと思うんだ。機械の人魚に出会い、巨大化する少女に出会い、そして瞬時に離れた場所に飛ばされた。あの時、僕も銀髪の彼女も君の研究所に忍び込んで、機械の人魚であるシレーナを救出して保護した。シレーナは他の世界から飛ばされてきてしまった存在だったんだ。すぐに信じるのは難しいかもしれないけれど、瀬戸にも今同じことが起こっていて、僕達が保護に来たんだ」 『世界から、飛ばされた?』 「そう、放逐されたと言えばいいかな。僕達だって同じなんだ。そんな僕達が拠点にしている場所に来れば、もっと驚くような住民だっているし、ここよりもっと研究したくなるものもたくさんあるよ」 ピクリ、瀬戸の表情が動いた。ニコの言葉に興味を示したようで、『詳しく聞かせてくれ』と彼は抵抗をやめた。ニコはユリアナに目配せし、ユリアナはその間にそっと少女に「今のうちに街へ戻って下さい」と声を掛けて。察した少女はそっとステージから降りて、出口へと向かう。 「わかっていると思うけど、気をつけて」 「?」 そう言って去っていく少女の後ろ姿を見送りながら、ユリアナは小首を傾げた。何に気をつけろというのだろうか。 ぴちょり。岩場を歩くのだからと街についた時に履き替えたサンダルに水が跳ねた。 * 「だーかーらー、もっと詳しい話はそういうの専門の担当者(司書)がいるからね、とにかく僕達と一緒に来てくれればわかるからさ」 何が悲しくてこんなに男に言葉を尽くさねばならないのだろう、半ばそんなことを思いつつ、ニコは瀬戸への説明を続けている。ユリアナはそれを黙ってみていたが、募る恐怖に思わず声を上げた。 「ニコ様っ!」 「ユリアナちゃん?」 説明に集中していたニコがユリアナを振り返る。すると彼女は小刻みに震えていて、自分で自分の手を胸元で握りしめていた。 「水、が……」 「水?」 そういえばいつの間にやら足元が冷たい。ふと自分の足元を確かめると、足首まで浸かっているではないか。 「!?」 マズイ――本能的に感じた。振り返ってみれば、床を分けていた水路はもう水があふれていてぱっと見、そこが床を分けていた溝のようには見えなくなっていた。 (彼女は泳げないんだ――) だから、震えているのだ。ニコも泳げないのだが、それでもやはり震える彼女を見ていると守りたいと思わされる。 「瀬戸は泳げるよね?」 『ああ』 「じゃあついてきて。急いで脱出するよ! ちなみに瀬戸は自己責任ね。僕の両手はふさがってるし」 そう告げるとニコは素早くユリアナをお姫様抱っこし、元きた道を引き返す。といっても来る時は気配をたどってきていたため、道順なんて覚えていなければマッピングもしているはずはなく。幾度となく行き止まりにぶつかってしまうことになった。 「くっ……」 時間が過ぎるごとにじわじわと水位は上がっていって、膝までだったものが太ももまでになり、腰までになるのにそう時間はかからなかった。波の影響もあってか、時折今までのペース以上に海水が入り込んでくる。この遺跡が湿っているような、苔が生えているような感じだったのは、潮の満ち引きによって遺跡自体が沈んでしまうからだったのだ。 「ニコさま……」 抱き上げた彼女が不安そうにニコを見ている。だいじょうぶ、小さく告げた。確証はないけど自信はあった。どんなことがあっても彼女を守りぬこう、そう決めていた。 道に迷っている間に水位は腹のあたりまで上がってきていて、抱き上げている彼女も濡らし始めた。ざぶざぶと水をかき分けながら、ニコと瀬戸は進んでいく。 「もうすぐ外だ!」 見覚えのある外の景色が岩と水の間から見えた。瀬戸が持っていたカンテラを放棄するが、明るさは気にならない。明るく見えるあちらへ向かって進めばいいのだ――希望の光が見えた、その時。 ザパー! まるで生き物のようなうねりを持った海水がその出口を塞ぎ、尚且つこちらへと滑りこんでくる。 万事休すか! ニコは息を止め、以前行った修行を思い出しながら片手を岩に繋ぎとめ、片手で大切な彼女を掻き抱いた。ここで手の力を緩めては、一生会えなくなる――そんな予感さえしていた。 水流が収まっても水位は下がらなかった。瀬戸はどうやら水流から身を守ってさっさと外へ出たようだった。 息を止めるのにも限界がある。ニコは再び彼女を両手で抱いて何とか出口に向かおうとした。彼女の身体を連れて行く、それが精一杯だった。しかし歩くようにしていては全く速度が上がらない。すると自然、足が動いた。水を蹴りつけるようにする。速度が上がる。 (もう少しだから、ユリアナちゃ――) 目を開けているのも大変だったけど、しっかりと瞳で彼女を確認する。彼女は――目を閉じて口を半開きにした状態だった。意識を失っているのだ。 (ユリアナちゃん、あと少しだから頑張って――) 効果があるかわからない、それでも。ニコは水中で彼女の唇を引き寄せて、ありったけの空気を彼女へと吹き込んだ。自らが溺れることを厭わずに。 * 気がついたら固い地面に横になっていた。辺りを見るとどうやら沈んでしまった遺跡への道の近くであることがわかった。そして反対側を見ると――濡れそぼった彼女の姿があった。 衣服が身体に張り付いて、いつも以上に身体のラインがはっきりとしていて。濡れたブラウスは透けて下着が見えていた。上着をかけてあげたいけれど、自由に体が動かない。 (……色っぽいなぁ) 濡れた髪を片側に纏めて絞るその動作がなんだかそそる。 ニコがじっと見ていることに気がついたのか、彼女は慌ててニコの顔をのぞき込んだ。 「ニコさま、ありがとうございます」 「でもこんなカッコ悪い姿、ユリアナちゃんにしか見せられないよ」 無事でよかった、ニコは笑った。 【了】
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