ターミナルには無数のバーがある。そのひとつDeath in the Afternoon。永劫の昼が続く0世界にちなんで命名されたとされる。その様式はアメリカのなかでも欧州文化の伝統を引き継ぎつつも重工業の発展による華やかさを混ぜ合わせたシカゴスタイルである。佇まいは迷信深い南部や堕落した西部とは一線を画す。モダーンながらも洗練されている店内には難しすぎない程度のジャズが流れ、旅に疲れたロストナンバーを弛緩させる。 名物は、禁酒法の幕引きと共にシカゴで育った文豪ヘミングウェイが考案した同名のカクテル『午後の死』 『午後の死』は退廃的なカクテルである。ニガヨモギを原料を原料としたリキュール……アブサン(幻覚等の向精神作用があるので危険である)にシャンパン静かに注いで完成する。 暑くも寒くも無くけだるいターミナルに相応しい。 店には今日も冒険旅行に出かける予定も無い暇人が集まっていた。 そんなアンニュイな午後(この店では常に午後というお約束である)に異変が生じていた。 「コール」 「フォールド」 「コールだ」 「コール」 「三人残ったか、ショーダウン」 五枚のコミュニティカードの最後の一枚がめくられた。ハートの4。「クソッ」一人がカードをテーブルに叩きつけて立ち上がる。「ラッキーボーイめ。今度やるときには倍にして返して貰う」早々にフォールドした最後の一人は静かに杯を飲み干してカードを伏せた。かなわないと首を振る。 二人の敗者はここで種銭 ……ナレッジキューブが底を尽いたようだ。早々にフォールドした男もこれ以上はかなわないと立ち去ることを決めたようである。ギャラリーからも新しく進み出てくるものはいない。 「ポーカーは判断力のゲームだ。運では大局は覆せない。オツムに自信がある奴は前に出な」 ファルファレロ。憎らしく一人勝ちしているこのマフィアは、緩んだネクタイから覗く胸元をさすって、挑発する。 「どうした、張り合いねえ。食い下がるヤツはいねえのか!」 口元をありえないほどつり上げ、くくっと押さえ込んだ笑みをこぼす。が、すぐに我慢できなくなり憎々しい高笑いに転じた。 店内に屈辱の哄笑が響き渡ることひとしきり やがて笑い疲れ、ふっと立ち上がった。 「おいマスター、このナレッジキューブはうちに ……いや、倉庫に運んでおいてくれ」 実のところ、本日真っ先にかっぱがれたのはこの店の店長である。熱くなりすぎた彼は、蓄えていたナレッジキューブどころか店まで取られている。そんな元店長に追い打ちがかけられた。 「それと明日からこの店の名は『バンビーナ』な。店長はコイツだ」 そう言ってファルファレロは自分のセクタンの頭をぽんぽんと叩いた。 この世には神も仏もいないのか おぉお、チャイ=ブレよ。我を救いたまえ 「ちょーっと待ったぁ!」 果たして救世主なりえるか ……奥から現れたのは鍵屋の鰍である。ナレッジキューブを両腕から溢れんばかりに抱えての登場だ。 この鍵屋兼探偵、開かなくなった店の金庫の面倒をさっきまで見ていたのである。やっと開いたので、そこから種銭をゲッツして颯爽登場。 「マスター、諦めるのはまだ早いぜ 常連としちゃ、黙って店がつぶれんのを見てらんねーよ。俺様が代打ちしてやんから大船に乗ったつもりで見てな」 「じゃマスター、ディーラー頼むわ」 そう言って意味ありげな目配せをして席に座ったものの、別にマスターと示し合わせた何かがあるわけでは無い。はったりである。そもそも店の常連と言うこと自体がウソである。 ファルファレロが興味深そうな視線を巡らすのを見て、偏執な俺様マフィアへの揺さぶりの効果を確認した。探偵業も人の裏を読むのが商売である。ギャンブルでもいけるはずだ。 だが知識不足をはったりで補うのは簡単では無い。マスターが二人に最初の2枚(ホールカード)を配ったときに鰍は致命的なミスを犯した。なかなか3枚目を配らないディーラーに 「おいマスター、早く残り配れよ」 場を静寂が支配した。 「てめぇ。ひょっとしてポーカーは初めてか?」 せせら笑いを浮かべるファルファレロ 「んなわけねーだろ。探偵として容疑者とよくやったもんよ。勝てば自白してやるとか言う奴が結構いるんでな」 「ふっ訂正しよう。ひょっとして『カジノ』でポーカーは初めてか?」 「…………」 うつむく鰍。ここにきてようやく周りの冷え込んだ空気に気付いたようだ。 ゴホンと咳払いしてマスターが助け船を出す。 「『午後の死』でのポーカーはホールデムでございます」 「??」 「てめぇがやってたのはドローポーカーだろ? あれは運任せの一発勝負専用だぜ。大人がやるゲームじゃねーんだよ」 壱番世界のカジノでポーカーはあまり人気のあるゲームとは言いがたい。ルーレットやスロットの前では影が薄く、トランプゲームではバカラとブラックジャックに人気を譲る。これは前述のカジノゲームでは運のみを競い客対カジノと言う構図であるの対して、ポーカーは客対客のゲームであるので戦術から駆け引きは当然のことマナーまで要求されるからである。また派生ルールが多いのも災いしている。主立ったルールもスタッド・ポーカー、フロップ・ポーカーと大別され、役とベットするところは共通するもののまったく異なるゲームだ。 そんなポーカーはホールデム(Texas hold'em)の世界トーナメントがテレビ中継されるようになって一気に開花した。テレビ中継でプロギャンブラーの戦術が世に知られるようになり、これによってお茶の間ににわかギャンブラーが大量出現。今ではカジノでポーカーと言えばホールデムである。 このバー『午後の死』でも遊ばれているのももちろんホールデムだ。 「助太刀しますよ。鰍さん」 「では、私も」 新たな打ち手の登場によって、遠巻きにしていたギャラリーも続々参戦である。勇気づけられたわけでは無い。鰍が素人だと知って、負け分を彼から取り戻そうと言うだけだ。浅ましいがギャンブラーにはありがちな行動だ。 「ずいぶん人徳があるようだな。鍵師よぉ」 「ああ、期待されすぎでこえぇ」 マスターがサービスとファルファレロに『午後の死』を一杯。緑の液体からは強烈なニガヨモギ独特の口蓋を麻痺させる禁断の香りが炭酸と共に立ちのぼる。 「酒で判断力を鈍らせるつもりか。いいだろう、ハンデにもならん」 つられて鰍もカクテルを注文しようとしたが、鰍の前に置かれたのはたっぷりの氷とミントが浮かびカットライムに彩られた炭酸水だ。このモヒートもどきの飲料はもちろんノンアルコールである。 「で、ホールカードは配られてんだ。とっとと乗るか降りるか決めろよ」 鰍の2枚の手札はH9(ハート9)、H7、ストレートフラッシュが狙える。 「ああ、もちろんベット ……ああ、ええっとコールって言うんで良いんだな」 ゲーム参加費のチップを差し出す。その様子を見てファルファレロと他のメンバーはほくそ笑む。ファルファレロは意外にも自分の2枚を見ただけでフォールド。他2人も降りて、鰍と合わせて3人が残った。 フロップ ……マスターが3枚のコミュニティカードを場にディールする。 ◇◆◇ フロップ:HJ、H8、DQ(ダイヤのクィーン) ◇◆◇ この場のカードは参加者全員の共通カードだ。 つまり、現時点の鰍の手は「H9、H7とHJ、H8、DQ」と言うことになる。ホールデムでは手の2枚と場の5枚の合計7枚から5枚を選んでポーカーの役を作る。あとH10来ればストレートフラッシュ完成である。このまま引き下がることはできない。 「チェック」 「チェック」 「チェック」 ターン ……マスターが4枚目のコミュニティカードを場にディールする。 CA(クラブのエース) ◇◆◇ フロップ:HJ、H8、DQ ターン:CA ◇◆◇ 惜しい。最後の一枚に賭けるしか無いか……。鰍がそう思ったとき、一人がさっとチップを一枚出した。 「ベット」 「フォールド」 彼は何かの役が完成したのかもしれない。だが賭け金は小さい。鰍は乗ることにした。 「コール」 その様子を見てファルファレロはニヤニヤしている。 「強い手が揃ったか ……それにしてはチップのつり上げが無いな」 「なんだ、文句あっか。初回だから慎重にやってんだよ」 リバー ……マスターが5枚目にして最後のコミュニティカードを場にディールする。 ST(スペードの10) ◇◆◇ フロップ:HJ、H8、DQ ターン:CA リバー: ST ◇◆◇ これで場のカードは上からCA、DQ、HJ、ST、H8の5枚となる。 ストレートフラッシュには惜しいが、役は成立した。鰍の手にあるH9、H7と場のHJ、ST、H8でストレートの完成である。ストレートの確率は4.62%。ワンペア、ツーペア、スリーカードより強い。万が一相手の手札がAのペアでもスリーカードしかありえない。 相手は 「ベット」 鰍は応えて、数枚のチップを上乗せする。 「ショーダウン」とマスターが告げ、二人のプレーヤーは手を開示する。鰍はJのストレートだ。 「Aのストレート」 賭け金を没収されていく。相手の手札はSK、CT。手札からSK、CT、場からCA、DQ、HJを加えてのストレート。 耳障りなファルファレロの爆笑が脳に届かないように、集中し、考えた。 ――そうか、共通カードが5枚もあるから相手も似たような手になるんだな 勝利にはまだまだ届かない。そのまま鰍は慎重に少額ずつベットするプレイでじわじわとチップを失っていった。 † † † † † † † † † † † † † ここ数ゲームは勝ち目が少ない手の時は積極的にフォールドするようにしている。ファルファレロの打ち筋に似ている。悔しいが勝率は上がった。 調子が出てきてからはラム酒で割った本物のモヒートをちびりちびり。カードを一瞥して「フォールド」。 「ふん、ようやくポーカーの仕組みに気付いたようだな」 態度の悪いマフィアは一度参加するとかなりの確率で勝っている、と。 奴はAがホールカードとして手元にあるときしかベットしていない。 そして一端参戦すると一気にレイズして相手を蹴散らす。 ファルファレロがドでかいチップの山をテーブルに押し出した。相当に強気なレイズだ。 場にコミュニティカードは4枚まで出ている。 ◇◆◇ フロップ:SA、DJ、H3 ターン:C6 ◇◆◇ これまでファルファレロはこうやって大きなレイズで全員にフォールドさせてフロップまでの賭け金を回収してきた。豊富なチップとマフィアの強面あっての作戦である。 鰍のホールカードはH3、D3 ……3のスリーカードだ。まずまずの手だ。場を見る限りフラッシュはありえない。最後のカードでストレートが完成する確率はあるがこの時点での高額ベットはありえない。対するマフィアはどうだろう。今までのファルファレロの賭け方だったらAは一枚はあるだろう。Aが2枚あったらAのスリーカードで鰍の負けだ。Jが2枚でも、6が2枚でも同じく鰍の負け。 ―― そろそろ反撃を始めても良い頃合いかな。 ちらりと視線をカードから上げる。ファルファレロは涼しい表情を崩さない。 「なぁマスター、コールするにしてもチップが足りないときはどうしたらいいんだ?」 チップ全額をかけることを『オールイン』と言う。この場合はコールするチップが足りなくてもゲームに参加できる。ただし勝てても賭けた分のチップしか配当をうけることができない。 「よっしゃ、今が勝負時! 『オールイン』だ」 鰍も負けじと目の前のチップを全て押し出した。マスターがリバーを開く。最後のカードはHJ、役は変わらず。 ―― ショーダウン ―― 鰍vsファルファレロ の1対1、ヘッズアップの局面だ いまいましげにファルファレロがカードを開く。DA、D6 ……場のSA、C6と組み合わせてツーペアだ。読み通り鰍のスリーカードの方が強い。これで鰍は負け分の大半を取り戻したことになる。 「やるじゃねえか鍵師」 「どうも」 だがここから流れは大きく変わることとなった。ブラフは一度露呈するとそれまで築かれた信用が崩れる。まさかの大復活にギャラリーも興奮だ。 「ヤクザのおっさん、メッキがはがれたな。素人をビビらせる作戦はここまでだぜ」 「ふん、まぐれ当たりをありがたがるようじゃまだまだだな」 たまに読みを外すこと ……例えばファルファレロの手札がKのペアだったとき…… もあるが全体の流れは鰍に傾き。鰍がファルファレロから引っぺがす番にまわった。逆転祝いとマスターに出して貰った『午後の死』にくちづけ。 「いい調子じゃねーか。正義は勝つってか。ファルファレロさんよぉチップの山が丘になっちまってるぜ。へっへー」 一方のファルファレロはモヒートのミントで頭を冷やしている。 「おおっとクールを気取っているじゃねーか」 だが何事も限度がある。 ◇◆◇ フロップ:ST、D2、HK ターン:SQ ◇◆◇ ファルファレロがAとJをもっていたらAのストレート、この場であり得る最強の手。ここで鰍はフロップの時点で賭けた。誰にでもわかるスリーカードが来たというサインだ。 ところがターンのベットでファルファレロが勢いよくレイズ。ストレートが揃ったことをアピールした。 それなのに鰍は何食わぬ顔してオールイン。 ふたを開けてみれば、ファルファレロはQのスリーカード。鰍はKのスリーカードだった。ホクホク顔の鰍は軽く伸びをしてチップを回収した。 「どうする~。続ける~。勝ちすぎで困っちゃてるからそろそろ辞めたいんだけどなぁ」 「そうだな。頭の悪い俺でもわかるように必勝のコツを教えてもらえると嬉しい」 「信念に命賭けるって事かな」 そううそぶく鰍にファルファレロは軽くあごをしゃくり、とっておきの質問をぶつけた。 「なぁ、鍵師さんよぉ、さっきはなんでKのスリーカードしかないのにあんなに強く張ったんだい?」 「そう言うヤクザさんはなんでQのスリーカードで張り合ったの?」 「質問に質問で返すのは良くないとママに習わなかったかい」 ファルファレロが凶悪な笑みを浮かべる。 「まぁいいだろう。俺から答えてやろう。てめぇの手札を確認するためさ」 そう言い放つなりマフィアはそろりと立ち上がった。 「ホリさん! 危ない!」 懐から銃 ――トラベルギアの『ファウスト』を抜きはなち続けざまに発砲。対魔の弾丸をまともに食らい鰍のセクタン『ホリさん』がきゅうきゅうとカウンターの向こうまで飛んでいき、ボトルをなぎ倒して転がった。 鰍が行ったイカサマ。ディーラー回収したカードをセクタンが監視し、カードの行方を確認するものである。もちろん全てのカードを確認することは難しいのでAだけであるが、Aが何枚ゲームに含まれているかは勝利を左右するには十分な情報である。特にAが一枚も無いのに強気のベットをする奴は手が簡単に読める。 続けざまに銃口は容赦なく鰍に向かい、引き金が引かれた。 とっさに鍵屋も自身のトラベルギアをかざす。真鍮のウォレットチェーンが宙を踊り、結界が攻撃を防いだ。はじかれた弾は店内を駆け巡りグラスを破壊する。これ幸いと手近なチップをつかんで逃げ出す客もいる。 二人の戦いは見物人の乱入によって泥沼と化した。ファルファレロに投げられたマスターはそうそうにリタイアし止めるものもいない。手頃な武器、チップ、ボトルから椅子、テーブル、セクタンまでが飛び交い、これぞ絵に描いたような酒場の乱闘。こぼれたラムやアブサンの香りが、酔客の臭気と混じりヘドロのようだ。 イカサマがばれたのは鰍なのに、鰍に加勢するものの方が多いというのがファルファレロの人徳である。にもかかわらず鰍を攻撃するのは誰かというと、無造作に振り回されたウォレットチェーンのとばっちりを食らった者たちであった。 † † † † † † † † † † † † † 嵐が過ぎ去った後は、デトロイトのゴーストタウンさながらの廃墟。筆舌に尽くしがたい破壊は『午後の死』に真の死を与えたとも思える。 もはや、二人のギャンブラー以外に己の二本足で立っているものはいない。 どちらとも無く口を開いた。 「最後の勝負としゃれ込もうじゃねーか」 「勝負は ……ドローポーカー一発勝負でどうだ」 「ああ……」 とその時、騒ぎを聞きつけた司書の怒りの声が聞こえてきた。折り目正しいタイトジャケットに包まれた女史が遠くに見える。 「やばいな」 「よし、勝負変更だ。先に彼女に名指しで怒られた方というのはどうだ!」 「乗った!」 「あなたたち! なんですかこの有様は!」 崩れかかった店内に踏み込んだ女性司書を背後から襲う影。 鰍が世界司書の隙を突き、両手で目隠しをした。とっさに振り返ろうとする。 「だ~れだ?」 「貴様!」 このとき、鰍は己の未熟と敗北を悟った。この姿勢では彼女には誰が犯人だかはわからないではないか。 ゆらりと空気がゆがみ。正面から迫る俺様マフィア。世界司書のほおを優しく引き寄せ…… ズキュ――__――― ̄ ̄―――ゥゥゥン!!!!
このライターへメールを送る