0世界のどこかにある体育館ほどもある空間。 のっぺりとした灰色の壁には焦げ跡や傷が見て取れる。 ここでは一部の司書達が世界群の秘密を解き明かすために日々研究を続けている。 虚数エネルギー研究所 名前の由来は ――ビッグバン―― である。世界の開闢が虚数時間における揺らぎによって引き起こされからだ。新しい世界を作るだけの力、それがあれば壱番世界が救えるかもしれない。そんな願いこの名前に込められている。 ここでは、世界群から持ち帰ったエネルギー体、例えば、龍刻石やファージの死体などを研究対象としている。 もっとも世界の可能性を端的に表すの存在とは、その世界の住民である。そして、図書館には様々な世界から集まったロストナンバーが大勢住んでいた。―― 轟！！ 計測器をつけたロストナンバーが大剣を振るう。 剣圧は大気を振るわせ、壁をびりびりとさせた。 入り口と反対側の壁に掲げられた。真鍮製のメーターがぐぐっと動き。計測された数値を矢印が指し示す。術技出力測定値 パワー:231 速度:90 持続時間:90 総出力:8979 エネルギー効率:979 悪くない数値だ。 だが、ここまでは昨日の彼と同じ、ただ力任せに棒きれを振り回しているだけだ。 あらためて巨大な剣をひっさぐ。目を閉じ、自己の存在継続を再確認する。 目 頭 胴 手足 剣 意識をセクタンにまで延ばす。ワレカイガンセリ 何度も体にしみこませた動きを身体が新たな次元に昇華させる。 ぶれず 遅れず 迷わず 刃は美しい曲線を描き空間を滑る。 その軌跡はたとえようもない理想型。術技出力測定値 パワー:231 速度:90 持続時間:90 総出力:8979 エネルギー効率:979 技はついに神技に到達した。 『虚数エネルギー研究所』ではロストナンバーの能力測定が行われている。 ただそれだけの事で、研究に付き合うのも物好きな連中に限られていたのだが、ある時、とあるロストナンバーが計測するたびに、数値が上昇する。すなわち ！！強くなった！！ と言いふらしてから状況が一変した。うわさがうわさを呼び やれ、拳が光速を超えたとか やれ、殺意の波動に目覚めたとか やれ、しっぽを握られても平気になったとか やれ、鎧を一瞬で装着できるようになったとか やれ、いつから強くなったと錯覚していた……とか 『虚数エネルギー研究所』は力を求めるロストナンバー達の秘密の特訓場となってしまったのである。 そして今日も新たな力を求める者がやってきた。
虚数エネルギー研究所はロストナンバーのデータ収集に忙しい。 体育館ほどの広さの空間には計測機器や、的となるべきダミー人形などが並べられていた。それらの間を研究員達が慌ただしく走り回り実験のセットアップをしている。人形にプラグが差されると中からぴぴっと音が聞こえてくる。ケーブルが複雑に絡み合い、だがそれでも埃無く整然としていた。そして、無造作にナレッジキューブが転がっている。キューブは実験設備のエネルギー源だ。 【被検体】シレーナ・24才・女性 彼女はバーテンダーであるが、本日は新しいカクテルを考えに来たわけでは無い。 新しい技を獲得するため研究所の門戸を叩いたのである。 「最近は世界樹旅団との戦いもありますし、ますます当研究所には結果が求められています。シレーナさん、あなたにはあちらのダミー相手に技をぶつけていただきます。 ……そうです。数値の方はリアルタイムにあがってきますので、何度でも試すことができます」 係の者が説明をする。 「旅団との戦いのためのパワーアップですか？ そう言えば、シレーナさんはバウンサーの顔もありましたね」 「……そうではないのよ」 「それでは？」 「アルとだな。あぁ、やっぱりそれでいいわ」 「といいますと」 「旅団と戦うためよ」 彼女の目的は兄のアルベルトの目にものを見せてやることだが、面と向かってそう告白するのははばかられた。 ―― 喧嘩で負けがこんでいるからね。 シレーナも用心棒もつとめるだけに戦闘力は決して低くない。研ぎ澄まされた反射神経から繰り出されるナイフ術は一品で、酔客くらいは簡単にあしらえる。しかし、凶暴な兄には分が悪い。体格差も大きく単純な力ではとうていかなわない。 彼女のトラベルギアもナイフで、状況に合わせて変形することにより高い対応力がある。しかしその総合的なストッピングパワーは心許ない。 一方、シレーナの特殊能力は液体の操作である。カクテルを作るときには便利だが、こちらも戦闘向けとは言いがたい。 シレーナは考えた。 ―― 今まで、バラバラに行使していた特殊能力とトラベルギアの力を同時に使うことはできないのだろうか？ そうして、彼女は虚数エネルギー研究所の被検体として申し込んだ。 研究員達が準備している間、準備運動として、水を操ってみせる。 シェイカーのトップを開け、軽く振るとストレーナーから水がほとばしった。水流はシレーナの腰の高さで輪になった。そこから意識をこめると、八の字、それからプレッツェルの形と自在に導環された。そして、ゴールとして掲げたシェイカーに戻っていった。 次に、もう一本のシェイカーを持ち出し、寸分違わない操作をする。 軟水と硬水とでは微妙に感覚が異なる。その違いが感じられるのは集中力が十分に高まっている証拠だ。 そして、トラベルギア。 懐から取り出したときは、ただの小型のナイフだが、気をこめると次々とカランビット、スローイングナイフと手の中で変形した。 試しにと形状を思い浮かべるとカタール、グルカナイフ、はたまた映画にしか出てこないようなドスにもなった。 本日目指しているナイフの形状はそれらのどれでも無い。 形無き刃。ウォーターカッター ウォーターナイフ、ウォータージェットとも呼ばれるウォーターカッターは極薄の高圧水流で物体を斬る水の刃である。 マッハを超える速度で肉を軽々と断ち切ることもできるのである。もちろん液体であるので刃こぼれすることもない。弱点としては、細いノズルから射出されるとすぐに拡散するので射程が数cmしかないことである。 そこで、シレーナが今回考えているのは、ナイフの刀身を核として水流を循環させる、いわば「ウォーターチェーンソー」である。意識で水流を縛り続けることにより射程を大きく伸ばすことができそうだ。 「準備が整いました」 声をかけられてはっとする。水は制御を失い、崩れ落ち、そのまま床を濡らした。 よほど集中していたようだ。 実験場を見渡すと、中心に円盤投げでもやるようなサークルが作られており、そのサークルをかこうようにカメラが並べられている。周囲にはカメラの他にもマイクや、用途のよくわからないアンテナ状の物体や、メガホンのような測定機器があった。 そして、サークルから壁に向かって、数歩離れたところにダミー人形が設置されていた。 「ターゲットはヒト型でよろしかったでしょうか？ クリーチャー型や、もっと大きいものも選べますが」 ナイフがベースだ。巨大怪獣相手は考えていない。 ―― 的がアルだと考えるなら怪獣型の方が良かったかしら。 「シレーナ様は接近スピード型と言うことですので、最初の距離は5mでいいですね」 シレーナはサークルの中心に立って構えた。 いつも通りにナイフを構えて、ダミーと向き合う。 そして、念をこめると水が静かに流れ出した。慎重に水流を導き、トラベルギアの刃に這わせ循環をはじめる。 ここまでは容易だ。 そして徐々に速度を上げていった。最初はさらさらした流れであったのが、しゃーっと勢いを増していく。 やがて、音速を超えたとき水は自らの振動により、結合を維持出来なくなり無数の微小クラスターへと変じた。 「ここまで、制御したのは初めてだわ」 ギアを握っている手にちからがこもる。愛用のナイフがシレーナの能力をかさ上げしているのかもしれない。 気がついけば、ナイフは波打ち、縁には水を流す溝ができていた。そして、水の触れることのない中央部分には大きな穴ができていた。持ち主の意思に応じたのであろう。 それは刃物と言うよりはむしろ、精巧な針金細工であった。 気合い一閃 術技出力測定値 パワー:45 速度:257 持続時間:2789 総出力:2370 エネルギー効率:887 測定機器が次々と計測結果を表示していく、 「おや、思ったより良い数値ね。これはアルと喧嘩した甲斐があったというものかしら」 今までの借りを返すチャンスだろう。いつものシレーナだと油断して、無警戒に兄が近づいてきたときが狙い目だ。 「数値の方はいかがでしたでしょうか？」 「まずまずよ」 「続けますか？ 数値が向上するかもしれません」 数回試行を繰り返すと技のイメージは固まってきた。そのおかげで最初ほどの集中力は要求されなくなった。体に覚え込ませれば、とっさの時にも発動出来るだろう。 ところが、なれてきた分だけ威力も低下し、最初に及ぶ結果は出なかった。 これでも兄に対抗するには十分なのだろうが、アルベルトにはアルベルトでなにか隠し球があるかもしれない。万全を期すためにはもう一工夫が必要だろう。 ダミー人形の表面は傷だらけだで所々内部がのぞいていた。アルベルトなら人形の骨格がわからなくなるほどぐしゃぐしゃにしてしまえると思うとどうにも心許なくたってきた。 つまるところ、このままでは肉は切れても骨を断つ程では無い。 ダミー人形の皮のすきまから、つるんとした骨格の筒と、センサー類が見える。さらにはナレッジキューブがあった。 「ナレッジキューブが機器のエネルギー源なの？」 「はい、そうです。それとキューブには緩衝材の役割があります。ああ見えて固いんですよ」 「もういっそ、ナレッジキューブを投げつけてやろうかしら。角がとんがっているしね」 「それでしたら水に混ぜられますか？」 水に研磨材を混ぜたウォータージェットには斬れないものも無い、たとえダイヤモンドであったとしても、むしろダイヤモンドであるからこそ、吹き付けられるダイヤモンド粉の前の前には屈する。 これをアブレシブジェットと言う。 そして、シレーナが選んだのはナレッジキューブだ。ナレッジキューブを粉砕した粉を水流にのせれば。何が斬れるのだろうか？ ナレッジキューブとは情報そのものである。ならば、ナレッジジェットが斬るのは対象を構成する情報構造体に他ならない。ギアをアイスピックに転じ、がしがしと削ると細かくなったナレッジキューブがパラパラを落ちてきた。 超自然の破片をシェーカーに集め、水を注いで良く振った。 そして、改めてギアを構えた。 この世のものならざる輝きをしたどろっとした液体がこぼれてきた。その不定形は、想像に反して素直にシレーナの意図に従った。ナレッジキューブがなんでも思いのままになる賢者の石とも言われるだけのことはある。 針金状のナイフに液を浸透させ、灌流を徐々に大きしていく。 やがて、バスタードソードほどの大きさになった。大きく振りかぶり、えいやと人形に切りつけると、首がすっぱりと飛んでいき、返す刀でどうに斬り込んだ。 奔流は噴流となり、みるみるダミーに取り付けられたセンサーを削り取り、ついにはつるんとした内骨格までえぐりはじめた。 と、ピーピーと耳をつんざく警戒音が鳴り響いたと思うと、ダミーを割って缶が飛び出してきた。 「あらっ」 宇治喜撰だ。彼の次元転換コーティングされた装甲が破られたのだ。壁に跳ね返り、地面を転がる哀れな茶缶は胴体に空いたすきまからスパークを散らすケーブルを這い出させていた。 気がついたらシェーカー内のナレッジキューブが全て無くなっていた。 研究員が興奮気味に訴える。 「このような相手の情報単位に直接打撃を与える兵装が実現可能とは新発見です！ これなら『世界樹』そのものにもダメージを与えられるかもしれません！」 術技出力測定値 パワー:87 速度:1083 持続時間:773 総出力:12370 エネルギー効率:287 興奮する研究員達を振り切って、帰路のシレーナ、 「いくら何でも兄弟喧嘩であんな技は使うわけにはいかないわね」 流石にお疲れか、独り言が漏れてくる。 「でも……」 そう言って、ナイフを振るとビュンと水の刃が延びた。 「ナレッジキューブ無しの、水だけだったら大丈夫よね。あいつ、体だけは頑丈だからね。ふふふっ」
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