オープニング

 この世界『朱い月に見守られて』は解明が着々と進んでいた。
 神話の時代に犬と猫を創造した人類とやらが姿をくらましてから幾星霜。
 犬猫両陣営のくらすフォンブラウン市には仮の駅が建設されロストナンバーが恒常的に訪れるようになっていた。
 今日も遺跡跡のトンネルにロストレイル号が入線した。

 出迎えに来たのはいつもの猫シュリニヴァーサと疑神のニュートンだ。
「なんか、暗いがどうしたのだ」
 仮設プラットホームの照明は最低限で、駅の工事も停止しているようだ。ロストナンバーの一人があるべき疑問を口にした。
 シュリニヴァーサによるとなんでも電力不足なのだそうだ。
 この世界のエネルギーは各都市の深奥に設置してある原子炉によってまかなわれている。
 しかし、ヘリウム3の供給が途絶えてしまい。原子炉が満足に稼働出来なくなっているとのことである。効率の悪い重水素では臨界プラズマ条件を維持するだけで精一杯で、都市の循環系をまかなえない。
「それで工房は停止し、このような戒厳令体制なのです。宴会も禁止されましたし大変です」
 フォンブラウン市には犬猫両陣営の権力が及ばない、それはとりもなおさず支援も後回しになると言うことだ。

「それにしても、どうしてこんなことになったのさ」

―― かみさま。それはぼくが説明いたします。

 当然に疑問に、プラットホームにあらわれた、黒い影が応えた。
 黒衣のヒューマノイドは、仮面に相貌を覆い肌が露出しているところは無い。猫達の使役アンドロイドである疑神のようにも思えるが、その仮面は犬型で、鉄でできた耳を兜から生やしている。犬族のつもりなのであろう。
 そして典型的な犬族らしく、ロストナンバーにうやうやしくひざまずいた。
 その姿はぎこちなく、モーター音が嫌が応にも聞こえてくる。そして、呼吸器に障害をおっているのか、声は苦しそうである。

―― コーギー一門が異端に転じたのです。
「お前を、俺は知っている…… だが、誰だ!?」
 重苦しい怨念が、地に這いつくばった犬から漂い出す。
―― 岐阜さつきです。かみさま。裏切者を始末してください。

 核爆発で全てを失った哀れな犬は、多くの臓器を機械に換えてよみがえったのである。


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 コーギー一門は放浪の民である。
 自らが臆病さがために犯した大罪を償うために、危険な地上をさまよいヘリウム3を回収することとなっている。
 そんな彼らが先祖代々の仕事を突然止めてしまったのだという。今では、彼らの移動都市『玄武』―― は静かの海で歩みを停止してしまっている。
 『玄武』は神話の時代に作られた巨大機械で地表の砂《レゴリス》からヘリウム3を集めるために乾いた海を渡り歩く、いわば巨大掃除機である。これが各都市を順に訪問し、ヘリウム3を売り歩いていた。
 核融合の膨大なエネルギーなしには空気すらないこの過酷な世界でなにものも生きてはいけない。

 さっそく、岐阜さつきを司令官とした犬族の懲罰軍が編成された。懲罰軍は軌道隊の中から特に信仰心の篤いものが選抜され、一両日中に多足戦車『御輿』からなる大隊を率いて出撃する手はずとなっている。さつきはロストナンバー達に同行するように求めてきている。
 これに対して、猫族の各都市も動きを見せているが、さつきは猫族の作戦参加を拒否した。
―― コーギー一門の仕事はぼくたち犬族の神事です。もともと猫族のせいで彼らは罪を負ったのです。お控えください。

 いずれかの勢力が『玄武』を独占することとなれば、この世界のパワーバランスは大きく崩れることとなるだろう。

 衛星からの写真には信じがたい光景がうつっていた。『玄武』があったはずの場所には緑の牧草地が広がっていた。昨日までの水も土も空気すらもない不毛の大地であったのにだ。

 ロストナンバーはこの現象に見覚えがある。最近ブルーインブルーに高層建築があふれる都市が出現した。世界の作り替えが起きたのだと報告されている。その世界を支えるロストナンバーを葬れば世界は元に戻る。単純なルールだ。

 だが、この世界の住民ならこういうだろう ……神話の天国が出現したと。


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 伝説にうたわれた青い青い空が広がっていた。風がそよぎ、牧草が揺れる。草と土のにおいに混じって、歌声が聞こえてきた。

―― かみさまは美しくて優しい

 草を食む羊たちに混じって、心静かな時をおくる。仲間達と戯れ、何もかもが新鮮だ。
 やがて日が暮れ始め、仕事の時間がやってきた。

―― おら達の働きがついに認められたんだ。

 吠えるたてると渋々羊の群れが動き出した。
 さっと伏せて、羊の蹴りを避ける。全力で走っても果ての来ない草原。四本の足で走るのがこんなに楽しいとは思わなかった。
 仲間達と羊を導く。

―― かみさまの笑顔を守らないといけない

 羊の群れを柵の向こうに追いやれば、今日の仕事は終わり、かみさまの作ってくれた晩ご飯が待っている。
 かみさまはすてきなおうちに住んでいて、彼女の作るご飯はおいしい。帰り着くとかみさまは鍋をかき混ぜていた。
 黒灰白とぼかした色の猫がなまいきにもかみさまのそばにいるから、吠えてやった。そうするとかみさまは怒るんだ。これもいつものこと。
 犬たちはかみさまに駆け寄った。すると、かみさまが晩ご飯をよそってくれた。かぐわしい臭いがただよい、おなかがすいていると思い知らされた。「仲良く分けるのよ」とかみさまは言うんだけど、みんなシチューは大好きだ。ゆずれない。

 おら達が満腹すると、かみさまの寝台を守って眠りにつくことになった。今日はおらが添い寝の大役を仰せつかった。猫はおらをいやがって、梁の上で毛繕いしている。
 かみさま…… いいにおい。

―― あいつは言っていた。かみさまを守れるのはおら達だけだと。

 そっと首輪を後ろ足で掻いた。おら達は「針」を首輪に隠してある。どうしてもになったら使えと渡されたものだ。これだけはかみさまにはないしょだ。

―― 今度こそ、おら達は天国を守るんだ

品目シナリオ 管理番号1495
クリエイター高幡信(wasw7476)
クリエイターコメント 久しぶりの『朱い月に見守られて』での冒険です。
 「異世界博物誌」に世界観の説明ができましたので、初めましての方、忘れている方は見てやってください。それから「軌道隊の誉れ」の直接の続きになります。一年以上経っています……。土下座するしかありませんね。
 このシナリオはもうずっと前から計画していたのですが、世情的にまずかろうとか、世界樹関連のシナリオやりたいとかで、延び延びになっていました。

 と言うわけで、いよいよこの世界にも旅団が本格的に侵入してきました。
 今回はあえてシナリオの目的を定めていません。むしろ、目的を選ぶこと自体がプレイングだと考えてください。ですので、皆様の心のおもむくままにこの状況に対処していただきたいと思います。状況的には非常に複雑で、できることはいろいろあるはずです。

・『玄武』までは戦車で行けますが移動は特にプレイングに書く必要はありません。
・『玄武』では空気が有り、重力は1Gです。
・猫族のアヴァターラ(モビルスーツ)が出現するかはプレイング次第です。
・コーギー達は神話時代の姿を取り戻して、まさに普通の犬です。
・OPで明示されていない要素もあるものとして使ってもOKです。
・現時点で世界樹旅団のロストナンバーは「かみさま」しかいません。
・『世界を造り変えた』人物は仕事を終えてすでに立ち去っています。
・『世界の造り変え』について詳しくはノベル「蒼空摩天スカイハイ」をどうぞ。

【継続登場のNPC】
・シュリニヴァーサ(猫・スノーシュー)♂
変人の学者、遺跡と朱い月の関係について研究している。
疑神はニュートン

・岐阜さつき(犬・茶柴)♀
おっちょこちょいの神学者
遺跡と朱い月の関係について研究している。テロで被爆して入院していた。

と言うわけでよろしくお願いします。

注:プレイイング日数が短いです。ごめんなさい、察してください。

参加者
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
ハーデ・ビラール(cfpn7524)ツーリスト 女 19歳 強攻偵察兵
リーリス・キャロン(chse2070)ツーリスト その他 11歳 人喰い(吸精鬼)*/魔術師の卵
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
アーチャー(cvcr1821)ツーリスト 女 18歳 狩人

ノベル

 実のところ、この世界では石油も天然ガスも発掘されている。この星が生まれた時に閉じ込められた炭化水素があるからである。しかし、それらは酸素無しではなんらエネルギー源としては役にたたない。
 電気分解で酸素を得るに、酸素を燃やすわけにはいかないからだ。だが、この冷たい世界には、火山も、風も、もちろん潮も無い。そして、太陽の光はあまりに薄い。ウラン鉱床が存在しないと判明したとき開拓者は呪ったことだろう。
 結果として、この世界のエネルギーのほとんどは核融合でまかなわれている。
 メタンヘリウムリアクターは第4世代ミューオン触媒核融合炉で、重水素からなるメタンCD4とヘリウム3の高圧混合体を用いる。これに対して低速ミュー粒子をぶつけると、ミュオニック原子が発生し、重水素とヘリウム3が連鎖的に融合していく。ヘリウムを吐き出して不安定になったメタンは重水素を吸引し、ミュー粒子の寿命を延ばすことができる。

 『玄武』とは、この反応に不可欠のヘリウム3を担っている機械である。犬が管理しているから『玄武』と公式に呼ばれているが、猫族はマンダラ山を支えた亀にちなんで『クールマ』と呼ぶこともある。
 この巨大機械は、全長全幅おのおの10kmにも及び、まさに都市と言うべき威容を誇っている。1km四方のブロックごとに4本の脚がついており、荒涼とした大地をさまよい続けている。そして、太陽風をたっぷり浴びた大洋の砂《レゴリス》を回収し、砂からヘリウム3を抽出し、ときおり立ち寄る都市に売っているのだ。
 玄武はたった一機しかないこの世界の生命線だ。そのあまりの希少性のために暗黙的に犬猫いずれの勢力も積極的に攻撃対象とすることはない。なにせ破壊されたらエネルギー源を失い世界が闇に閉ざされるからだ。

 その『玄武』を管理しているコーギー達が職務放棄をしたとあらば、即世界の危機である。そして、この事件には世界樹旅団が関与しているとあらば、見過ごすことができない。

 ロストナンバー5人が自体を沈静化するために停止した都市に派遣されることとなった。

「スカイハイの報告書を読んだのです。旅団員の生命も、この緑の大地もどのみち長くないのです。世界を作りかえた能力者が健在な限り、同じことが起き続けるのです」
「……ガッデム」
 しかし、それぞれの胸中は複雑なようである。ゼロの説明に、川原撫子が髪をつまみながらつぶやいた。
 先日、世界樹旅団による限定的な世界改変がブルーインブルーで行われた。撫子はそこで恐るべきものを見た。そして、帰還したばかりでふたたび世界改変が行われたとの報告とともに新たな任務を得たのである。
 ドンガッシュと呼ばれている男の能力で世界改変ができるという。しかし、その代償は世界の心象を提供するコアとなるロストナンバーの命である。
「え~、何も言ってませんよぉ☆ドンガシュの奥歯に手ぇ突っ込んでガタガタ言わせたろかいなんて、思っても口に出さないですぅ、きゃっ☆」
「世界を作り変えた者の命尽きるまでの世界と理解しているが、該当者が永らえるほどこの世界が危機に瀕するのが問題だ」
 言うなれば命をかけたおままごとだ。実害の程はさほどでも無いかのようだが、そうもいかないとは、ハーデの意見である。彼女は数度この世界に訪問しており、この世界の不安定化を危惧している。


 ロストナンバーを含めた一行はコーギーに対する懲罰軍と言う体制をとっている。だが、コーギーをどうにかして解決するというものではない。
 懲罰軍は十数輛の多足戦車『御輿』からなっていた。
 一行を乗せた指揮官車両は、一回り大きく、賓客を乗せているとして豪奢に飾られている。
 しかし、車内の鮮やかな色彩とは対照的に、窓から見える光景は味気の無いものであった。ひたすら朱く照らされた大地は荒涼とした灰色で、生命の痕跡は一切無い。静の海と名付けられた砂漠は、風も無く静止している。
 今回の任務が初仕事となるアーチャーは、その光景を畏怖の念で眺めている。生命溢れる世界出身の彼女はとうに理解することをやめて資料を投げ出してしまっていた。所在なげにさっきから、狙撃銃のバレルをくるくるまわしている。
「……ふふふ、よく分からないね。ああでも、たしかにこの世界なら件の場所は楽園かも」
 一方の、吸精鬼であるところのリーリスはいましばらく猫を被るつもりなのか「おなかの減りそうな世界だなぁ」と内心思いながらも、少女の顔でアーチャーに寄りかかっていた。


 『御輿』は真空の空を大きく跳びるようにすすんでいた。6つの足が地面を蹴る度に車内に不快な振動が伝わる。一回のジャンプで500mほど跳躍だ。従軍経験の無い川原撫子はうめいた。活発な彼女にとっては黙って座席に縛り付けられているのは好みではないようだ。
「の、乗り心地が悪くて申し訳ありません」
 操縦手の声は若干うわずっている。神と称されるロストナンバー達と同じ空気を吸う栄誉に浴しているだけではない。
 高位神官となったさつきが先程叱責したのだが、ハーデがかばったために有頂天になっているのだ。
 どうにも、犬たちには話が通じない。

「回線つながりました。高位神学者を集めました」
 ハーデの要請によって、宗教公会議が緊急招集された。コーギー達が罰せられないことを希望してのものである。旅団の侵入が取り沙汰されるなか、コーギー達を失うことによって世界の安定性が損なわれるのを危惧したのだ。
 映像の中では、7人の犬が居住まいをただしていた。空席が一つあり、それはさつきの亡き母親のところであると言う。さつきが代行の地位にある。
「朱い月から我らをこの大地に導いた神々にかけて。……始めます」
 議長は、田中皇大神宮の最高神官こと東京ポチ夫だ。彼は名門、白柴一門の頭領である。
 これを黒柴の神官長が補佐する形になっている。さつきの亡き母親を加えた筆頭三柴によって犬たちの意思は決定されていた。
「この度はコーギーどもが大変な粗相をいたしまして……」
「はい、ロストナンバーの方々は実は神様ではないとのことでしたが。はい、下々はそうは思ってはいませんでして」
「あぁ、いえいえ、決して皆様を軽んじるとかそういうことでは……」
 どうにも白柴と黒柴の会話は要領を得ず、残りの5人は平伏したままでたまに唸ったりあくびをしたりで意味のある発言をしなかった。
「……概念として話そう。お前達が神と呼ぶ者の中に、生きて足掻く神と墜ちた死せる神がある。足掻く神は世界を守るため、墜ちた神は自分の臨み通りに世界を変えて死ぬために争っている。墜ちた神の望みは、自分の臨みどおりの世界を顕現させて死ぬことだ。墜ちた神と争えるのは他の神のみ。コーギー一族は死せる神の夢に巻き込まれたのだ。私たちは彼の神の夢がこれ以上世界を蝕むことがないようやってきた。……後はお前達が解釈してくれ。私は、お前達がコーギーの罪を問わないことしか望まない」
 多重世界の話は除きながらの説明は、ロストナンバー側にも隠しているところがあり、なかなか噛み合わない。柴犬たちはハーデの話しと聖典の解釈でもめ始めた。朱い月から犬と猫を運んできた神とは違うと言うことは理解されているようではあるのだが、なにぶん彼らの頭は悪い。
「つまるところ、どういうことだ。コーギー達を許すことはできないのか?」「いえいえ、決してそのようなことではありません」
 ハーデは議論の進行を促してみるも、芳しくはない。それを見かねたアーチャーが口を挟んだ。
「それで結局、コーギー達はもとの生活に戻れるのかい?」
「も、もちろんでございます。玄武が元に戻ればですが」
「それは我々の仕事だから任せて欲しい」
 要約すると懲罰隊はコーギー達に仕事をさせるための部隊であるのだから、それ以上の罰は考えていないと言うことである。
「スカイハイ事件の時はクールが ……コアが死んだときに世界は元に戻って、住民も元に戻ったのよ。それまでと違う生活をしたことなんか無かったかのように」
「そうか、それならば良い」
 撫子の説明にハーデは納得したようなのであるが、リーリスはそうでもないようだ。
「な~んか、引っかかるんだよね~」


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 そして、一行は移動都市『玄武』に到着した。
 この世界は地平線が近い。戦車が一歩跳躍を終えると急に都市が出現したように見えた。
 都市のブロックを支える太い脚は100m程もあり、さらにその上に分厚い工場区画が載っている。コーギー達はその内部で真空から逃れるように暮らしていたのだという。ブロックまでは脚力だけのジャンプでは届かない。多足戦車はバーニアに点火して荒々しく飛び上がった。
 上甲板とでも言うべきプラットフォームは平坦な金属面で、続くブロックからは円柱状に偏光した空間が天に至っていた。
 別世界だ。
「これは違和感がすごいね☆」
 円柱を通して見える空は、宇宙の黒ではなく、雲の漂う青で、緑の草原は視覚にまぶしかった。
「神殿でみた写真のままだ!」
「本当に天国なのか!」
 犬たちは、神話の光景に極度の興奮状態であった。
「君たちがあれに近づくのは危険だな。どんな影響を受けるかわからない」
 と、アーチャーが制止する間もなく御輿の一両がブロックの連結を飛び越え円柱の中に突入した。
 しかし、戦車は境界を越えぎこちなく数歩をすすむと、そのまま動きをとめた。結界内の重力が一番世界なみならこの世界の機械には荷が重い。が、その様子はむしろ最初から多足戦車の形をしたオブジェがあったかのごとくであった。世界の物理法則に浸食されたのかもしれない。

「私が」
「私がみてくるよ」
 ハーデがテレポートしようとしたところでリーリスがさっさと出て行ってしまった。
 彼女は結界を超えるなり、偽装用のヘルメットは不要と捨ててしまった。よっぽど不快だったようである。そこにのんびりと追いかけてきたゼロがきた。特異性を隠す気のない彼女は最初から宇宙服を着てはいない。
 二人がかりで、止まってしまった戦車のハッチを外から開けると、犬たちが飛び出してきた。
 そう、この世界の人型の犬ではなく、正真正銘の犬たちだ。ビーグル、アフガンハウンド、レトリーバー。彼らはしっぽを千切れんばかりで、リーリスが魅了をかける間も無く興奮し走り去っていった。

「ブルーイン ……蒼空摩天スカイハイでは、世界改変に巻き込まれた住民は浸食してきた世界に順応していたわぁ」
「川原さんの見てきた通りのようだ。原住民達はあの中ではもとの犬猫に戻るということなんだろう。ロストナンバーは逆に自身のアイデンティティーを保った行動出来るということか。これは危うい、世界を作り変えた者の命尽きるまでの世界と理解しているが、該当者が永らえるほどこの世界が危機に瀕すると考えられよう」
「ドンガッシュの後を追いかけると、人の死を看取るばっかりになっちゃうでしょぉ?早く追いつきたいですよね~☆」
 ハーデの考察に一同がうなづく。このまま、懲罰軍を進めても益は無い。むしろ、旅団のロストナンバーとやりあうのに障害になりかねない。犬たちを置いていけるのはかえって好都合だろう。

「懲罰軍の君たちはここで私と待っていてほしいね。みんなは0世界から持ってきた無線機があるから、なにかあったらこれで連絡してくれると助かる」
 浮き足立つ犬たちを抑えるためにアーチャーが残ることになった。戦車からカメラを伸ばして、見張ることにした。
 戦車の上でうつぶせになって狙撃銃をセットアップする。狩人である彼女は、獲物を待ち構えて長時間待機するのはなれている。そんな彼女がどんと構えている限りは犬たちも安心であろう。
「地平線が近いから射線が通りにくいな。結界の中と外とで弾道の特性も違うし。さいわい、音は伝わらないから試射するかな」


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 円柱の中に入った。
 遠くから見たら緑であった世界も、近くで見れば新たな側面が見える。
 土からは石ころが所々顔を出し、雑草がすきまを縫うように生えていた、木々は目立たない。壱番世界の基準で言えば、やせた土地である。農耕を行うには苦労が多いだろう。暖かければ、ぶどうやオリーブ、寒ければ根菜類が適切だろうか。季節がはっきりしないので気候はよくわからない。
 そして、草原を区切るように石垣が縦横に走っていた。
 風がひっきりなしに吹いている。

 強いて言うなら牧畜に適した土地だ。放牧とわずかな穀物栽培、そんな世界。

「スカイハイとはずいぶん違うわね。ヴォロスとも違う。魔法とかそう言う力の気配がしないわ。なんか、もっとずっと壱番世界に近いかもぉ☆。どこだかわからないけど」
 撫子は砂利のまじる土を踏みしめ、胸ほどの高さの石垣に飛び乗った。
「アーチャーを連れてきた方がよかったかもしれないのです。逃げた犬さんたちの足跡がわかるかもなのです」

 そうこうしているうちに質素な住居が見えてきた。木の枠にそって、石を積み上げすきまに草と粘土を練ったものをつめて壁としている。屋根は藁葺きだ。この屋根にも風で飛ばされないように石がのせてある。
 コーギー達の姿は見当たらない。
 家からの周りには簡単な菜園があって、野菜が植えられていた。
 曇った厚さの不均一な窓ガラス越しに、人影がのぞいて見える。

「なんじゃなんじゃ招かれざる客か、ずいぶんぎょうさんおいでで」

「お前が、ドンガシュとやらと取引した旅団のロストナンバーだな!」
 コーギー達がいないなら話が早い、ハーデが襲いかかった。シュンと光の刃が強攻偵察兵の右腕をつつませ、反対の左腕で押さえつけると、同時にドーム外を目指して、瞬間移動能力を発動させた。
 しかし、境界を目の前にしたところで現出してしまった。ゼロがついてきたからである。
「ゼロは旅団員に友好的にお話するのです」
「離せ! こいつがこの世界を顕現させる時間が長引くほど、朱い月の住人が死に近付く。私はそれを見過ごせない!」
 老婆は悲しげな瞳で、敵わない脅威を見上げる。
 結界の外には戦闘準備を整えた戦車が並んでいる。無骨な砲門がこちらを向いていた。その上にアーチャーが腹ばいになって狙撃銃をかまえている。
 合図があれば、照準をつけているアーチャーが即座に終わらせるであろう。

「わしは、平穏のうちに最期を迎えることもできないのか……」
「お前の気持ちもお前が死ぬことも分かっている。結界に近づいただけで、犬たちは有り様を見失った。それだけこの世界は脆弱なのだ。一刻も早く、これを終わらせる必要がある。だから、お前を殺す私を恨め!」
「ダメです。少しでも多くの情報があれば世界司書の予言の正確さは増し、世界が造り変られる前に先回りでき同様の事件を防げるのです。ゼロの目的はコーギー一門の無事だけでは無いのです。旅団員さんのお話なのです」
 いきりたつハーデをゼロが押し止める。

 そこに、結界外からアーチャーが回線を開いた。戦車の上の狩人は、スコープ越しに無線で交信してくる。
「私もゼロの意見に賛成だね。旅団の情報はこちらも喉から手が出る程欲しい。世界を造り変えた人物、ドンガッシュのこともだな。老人、あなたが応えてくれるなら、コーギー一門の懲罰軽減が提供できるんだよ」


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 二人残されたリーリスと撫子は、辺りを探索し、すぐに飽きると菜園の脇にあったテーブルに腰掛けた。
「私たち、どうしよっか☆」
「あらっ。猫さんだわ。私と同じ、赤い目だわ!」
 テーブルの影から毛の長い猫がひょこっと顔を出した。寝起きなのか機嫌が悪そうに菜園の中に逃げていった。

 捕まえてやろうと、立ち上がったところで、撫子は近づいてくる音に気がついた。リーリスも面を上げて耳を澄ませている。
 地響きのようなたくさんの足音に、それらにかすかに混じる吠え声。どうやら犬たちが戻ってきたようだ。

 すぐに、犬たちの吠え声がはっきりと聞こえるようなり、追い立てられる羊たちの面倒くさそうな鳴き声も耳に届き始めた。
 唐突に、石垣を抜けて一匹のコーギーが姿をあらわすと、雪崩を打ったように白いもこもこした羊たちが集まってきた。菜園に鼻を突っ込もうとする羊があれば、コーギーが吠え声を上げ、羊は渋々と向きを変える。雑踏とした群れのなかを背の低いコーギー達が器用に泳ぐ様は愛嬌があった。
 そして、よく見るとコーギー以外の犬が混ざってる。逃げ出した懲罰軍の兵たちだ。

 隣の囲いのなかに羊を追いやり終わると、コーギー達はそこで初めて来訪者に気付いたようである。
 ばたばたと二人の女の子のところに走ってきた。
「かわいい☆」
「こんにちは、かわいいワンちゃん? 私はキミの友達だよ?」
 一匹にかまうと、仲間を押し退けて次が顔を出してくる。リーリスは魅了の力を解放してみたが、通じているのか通じていないのかよくわからなかった。『かみさま』『かみさま』っと思念が感じられた。押し合いへし合い、わさわさと大変なことになっている。
 リーリスは撫子に目配せし、混乱の中、二人でこっそりと『針』を抜き取っていく。
「旅団エグ~イ。全部の首輪の中にワーム化の針仕込んでるなんて殺る気満々?」


 一通り、かまってあげたところで、コーギーが一斉に耳をにゅっと立てて、一斉に走り出した。
 この世界の神たる老婆と、ハーデ、ゼロの三人が戻ってきたのだ。
 老婆はテーブルの二人に一瞥をくれると、家の中へとゆっくり入っていった。それをコーギー達が追いかけていって、割り込む隙も無い。

「お帰り、どうしたの? 二人とも」
「老婆を殺して終わりにしようとしたが、失敗した」
「誰かが犬ちゃんたちの気を引いてくれるなら、この世界の核さんと話してみたいですよね☆。最後の望みだもの、叶えてあげたい気持ち、なくはないですよぉ☆」
「そう、ゼロとアーチャーにも言われた。だが、このままではこの世界が……」
「殺して終わりにするのと、燃え尽きて終わりになるのと、世界にどう影響があるのかしらね」
「死を待てないなら……やる事は1つでしょ? でも、そんなに長いとは思わないなぁ☆」
「旅団員さんが急に死んだらコーギーさん達は悲しむと思うのです。だから、旅団員さんから自分はもう長くなく、あと僅かしかコーギーさんたちと一緒に居られない事を彼らに知らせてもらうようお願いしたのです」
 そこで先程の猫が家にそそくさと入っていった。
「あれ、あの毛並みはタルヴィ…… いや、彼がここにいるはずが無い」

「お前達、話しを聞きたいのだろ ……入ってこい」
 一人で住むには広い家でも、5人も入れば手狭だ。晩飯にかじりつく犬たちのおかげで足の踏み場も無い。犬のにおいは少なく、清潔で清掃は行き届いているようである。
 椅子も足りないので、老婆に椅子を譲った。
『まずは世界樹旅団及び世界を造り変えた人物の知りうる限りの情報提供』
 立ったままのハーデが持ってきた無線機から質問が発せられた。ゼロは宙に浮いて天井に張り付いている。

 リーリスがくちびるに指をあてて、耳打ちする。
「彼らに聞かせられる話し? あっちでみんなで遊ぼうよ!ほら、おいで」
 少女はコーギー達に声をかけ、外へ連れ出した。


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


「だいたいは知っておるんじゃろ。旅団は ……旅をしている『世界』さ。だが、誰も永遠には旅を続けられない、旅団も時々休みたくなるのさ。次の休む場所をわしらは探している。 ……ドンガッシュの小僧がやっているのはそのために地ならしさ」
 撫子には受け入れがたい話しだ。
「ステキな牧歌的世界ですよね☆ あなたの出身世界はこんななの? それなのに、自分が死ぬなら何百万という犬猫が死ぬのは平気な人なんですか! あなたは自分に夢を見せてくれた相手を巻き込んで殺して平気な人でなしなんですか、それだけ知りたくて☆」
「軋んだ脆弱な世界ほど、世界樹は根を下ろしやすい。この世界は既に滅びの運命にある。あんまり可哀想だから、この婆ァがつきあってやろうと思ったのさ。言ったろ、誰も永遠には旅を続けられない。お前達は違うのかい?」


 外で待っているリーリスは菜園の脇にしゃがんでコーギー達に思念を飛ばし話しかける。
「ねぇ、キミたちはどんなことが好き? ご主人様のどういうところが好き? みんなから1つずつ教えて欲しいな~」
―― 食べるの好き!
―― 寝るの好き!
―― 遊ぶの好き!
―― 大好き!
―― 天国はたのしい、まちがえてしぬこともないし
 コーギーの一生は厳しい。玄武に閉じ込められた彼らの運命は、都市の脚に踏まれるか、ヘリウム回収装置に呑み込まれるか、宇宙に吸い出されるかして終わる。運良く、事故に遭わなくても宇宙線を浴びた彼らは長くは生きられない。
 そして、農場ユニットは無いので、保存食しか食べられない。だからか、彼らは食べ物の誘惑に弱かった。
「ホラホラ、オヤツにしよう? カリカリとか骨っことか一杯持ってきたし、みんなでお腹一杯になるまで食べて ……今晩は夢も見ないくらいぐっすり眠ろう?」
 リーリスは一匹一匹相手をしながら魅了をかけ、そのすきに『針』の残っている首輪から抜いてまわった。


 老婆は窓から外を眺めた。犬たちはリーリスの投げたフリスビーに群がってはしゃいでいる。表情が緩む。
 そして、けわしい視線を暗い室内に戻した。
「例え不作為でもコーギーちゃんたちを捨て駒にするのはもっと許し難いだけですぅ☆」
「この世界は、旅団の重点攻撃対象になったんじゃよ。この子達は可哀想だけど、みんな死ぬ運命なのさ」
 外では、リーリスが最後の一本を取り上げたところだ。
「なぜ、コーギー達に『針』を渡した」
『確かに、ワームは我々にとっても脅威だね。だが、対策が無いわけでは無いよ』
「不快にさせてしまったようだね。だが、あれはお前達の為のものでは無い」
「なら、この『針』はなんなんだ。なぜこれがあいつらに必要なんだ!」
 身勝手な言いぐさにハーデがつい声を荒げる。
「それは彼らが望んだのさ。戦って死ぬ。それらがあのちいさい仔達の悲願なのじゃ。それももう叶わないが」
「どういうことだ!」
「じきにわかる。お前達がこの仔達の守護神を気取るならさ」


 改変された世界では規則正しく夜がやってくる。中天に浮かんだままの朱い月と、太陽の夕日で、外は真っ赤に染まっている。入り交じった世界はロストナンバーを不安にさせる。
 だが、暖炉に火がともった部屋の中はやわらかく暖かい。
 遊び疲れた犬たちがぞろぞろと戻ってきた。
 撫子が優しく迎える。
「今晩ご主人様に抱き締めてもらいましょ☆」
「おぉ、よしよし」
 場の空気に敏感な彼らは、心配げに老婆を見上げた。老婆は一匹ずつコーギーをなで、寝室へと消えた。その時が来たのだ。

 ロストナンバー達は家の外で待つことにした。

―― とうとつに始まり、あっという間に終わった。

 菜園は資材置きに、石垣はガラス窓に、空は天井に代わり、体が軽くなった。
 老婆の家は、司令室になっていた。

 部屋を覗くと、人型に戻った大勢の犬たちがしっぽと耳を揺らしながら寝ていた。机に床にめいめいに好きなように折り重なるように転がっている。老婆の痕跡はどこにも無い。
 リーリスはそっと扉を閉めた。
「……お休みなさい、良い夢を」


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 ゼロは、工場区画から上甲板に出ると巨大化した。
 そして、今回の騒動のコーギー一門の免責とかつての大罪の免罪を告げた。ゼロの不思議な声は大気のないはずの世界中に響き渡った。
 そして、コーギー一門には何処にも肩入れせず今までの仕事を続けてくれるよう残した。

「無事終わったようだね」
 ゼロの演説をみて、アーチャーは緊張を解いた。
 彼女は二脚銃架を狙撃銃から取り外し、片付けを始めた。使えなくてちょっと残念そうであるが、狩りには忍耐が必要なものである。
 帰りの戦車の中、駐留部隊として一部を残してきたので隊はずいぶん小さくなった。名残惜しそうなさつきが印象的であった。彼はこれからやることがたくさんある。

 やがて、フォンブラウン市が遠くに見えてきた。
 市の地上部は廃墟だ。ドームの残骸と、もはや誰も住んでいない高層建築が物寂しい。風の無いこの世界では、廃墟は朽ちることも無く永遠に残る。地上部は人為的に破壊されたのだ。そして二度と回復することは無かった。
 ただ、強い紫外線を浴びて色素は分解され何もかもが灰色に戻る。

 地下遺跡の駅に戻った一行はロストレイルの発車を待っていた。
 ロストナンバーそれぞれに想うことがある。
「クールがね…… 蒼空摩天スカイハイに焦がれて死んだクールが、敬意を込めてドンガッシュの旦那って呼んだのよね。少なくともスペシャリストである事は間違いなくて。天才肌の芸術家か仕事と感情をキチンと分けられる玄人なのかは分からないけど…… クールに尊敬されるほどの相手ではあるの。だから凄く厄介。それでもいつか必ず追いついて、引導を渡すつもり」
「何故来ない、タルヴィン…… 私はお前に会えると思っていたのに。何故今会いに……慰めに来てくれないんだ」
「ハーデさん…… 次の、機会があるのです」


 そこに緊急の知らせを一匹のアラスカン・マラミュートが届けてきた。

―― 動きを再開した『玄武』に猫族が攻撃をしかけ、駐留部隊が壊滅しました。

―― 岐阜さつきは作戦行動中行方不明だそうです。

―― ちょっと待ってください。情報が錯綜しています。

―― 『玄武』から通信が入りました。読み上げます。


『おらたちの贖罪の運命はおわった。おらたちコーギーは雑種同盟に入る。豆の缶詰はもう嫌だ。もっとうまいもんくれ。昼寝もつけろ』


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 残存戦力を掃討したアヴァターラ・チャンドラーGP03ヴィタルカが『玄武』のドックに戻ってきた。
 続いて、寝返った元懲罰軍の『御輿』が数輛。楽園を目の当たりにして、懲罰軍の信仰心は揺さぶられたのである。
 ハンガーに格納され、古びたエアロックが地響きを立てて閉じられる。

 ヴィタルカのコックピットから、長い毛と赤い目の猫が降りてきた。
 彼は雑種同盟のスバス・ボーズ。バーマン一門の公子タルヴィンの兄でもある。

 待っていたサイボーグ犬ネルソンが報告した。
「コーギーは全員儀式を完了しました。脱落者はありません」
「さすが過酷な環境で鍛えられただけのことはある。カレーくらいではびくともしないか」
「はっ、頼もしいものであります」


AD2496年 中立都市フォン・ブラウン市が赤道より若干北にあることを根拠に、その領有権を猫族が主張。都市内での戦闘が始まった。
 初期型ドーム都市フォン・ブラウン市は来たりし日に人類を迎えるために建設された聖地であり、人類用区画はドーム内地上部にあった。
 犬猫双方が戦力を送り込み戦闘は激化。
 マスドライバーで送り込まれたコーギーの増援部隊が、着地に失敗しドームが破壊された。フォン・ブラウン市は気密を失って壊滅。聖地を破壊したかどによりコーギー一族は犬族の中で最下層の地位に落とされることとなった。

AD2587年 流星の役

AD2662年 ロストレイル号の漂着

AD2663年 コーギー一門は贖罪の完了を宣言、雑種同盟の乱

クリエイターコメント どうもどうも、この世界の話しもいよいよ佳境に入りました。

 opでの意図の通り、今回はプレイングもずいぶんばらばらでした。無理くりつなげた感があるところは申し訳ありません。
 今回はこのエピソードの解決とは別に2つばかり全体の流れに影響を与えるフラグが仕込んでありました。
 次回以降のopでひょっとしてアレのことかなって思っていただければと思います。
 それにしても、この物語はどこに着地するのでしょうかね?
公開日時2011-11-26(土) 09:00

 

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