イラスト/めーこ(ieaz4466)
くすくすくす……くすくすくす……。 迷い込んだのは、だぁれ? *-*-* 緑生い茂るヴォロスの地で、ティリクティアは大きく息を吸い込んだ。緑色の香りがすうっと体内に入ってきて気持ちいい。 ヴォロスの中でも鄙びたこの地方は他の地よりも緑が豊かで、空気も美味しい気がしていた。 「お城、です?」 声を上げたのはシーアールシー ゼロ。二人は依頼を終えて駅へと向かっていたのだが、まだ帰りのロストレイルには十分に時間があった。そんな時に村が目入ったものだから、ちょっと寄ってみようという話になって。 「このおまんじゅう美味しいわ……ってお城?」 村の双子の古老に呼び止められた二人は、おまんじゅうと香草茶をごちそうになりながら、彼女達の話に耳を傾けていた。しわがれた声から感じるのは悪意や敵意ではなく、孫を見るような慈しみと優しさで二人をもてなしてくれるから、すっかり二人は長居をしてしまっていた。 古老達が話してくれる内容はどれも興味深くて。植物の繊維で織り上げた敷物にスカートを広げて直に座っていた二人は、丸太を半円形に切り出した座卓の向かいに座っている古老達を見やる。二人が特に興味を惹かれたのは、お城の話。 この道の先を行くとな、不可思議な城があるのだよ。 深い霧の日のみに現れる幻めいた城なのじゃ。 そこに迷い込んだ村人は腕を千切られ逃げ帰り、追われて逃げ込んだ盗人が力と富を得て戻る。 本来、人の理とは無縁な、天候のように気まぐれな名もない不思議な力が偶然この地に根付いたものなのだ。 関わらなければ害はないのじゃよ。 お嬢さん方も関わらないほうが良い。 そうじゃそうじゃ、下手に関わってはいけないよ。 古老達はそう告げたけれども、二人の興味はその城に向いている。古老達がお茶とお茶菓子のおかわりを用意してくれている間に、ティリクティアはゼロにそっと耳打ちした。 「ゼロ、そのお城に行ってみたくない?」 「行ったらダメだといわれると、気になるのですー」 「そうよ。本当にダメならわざわざ話はしないわ。私、感じたの」 ティリクティアの巫女姫としての直感が告げている。 「お城を訪れる好日は、今だわ!」 「!」 二人は顔を見合わせて。期待に満ちた瞳のゼロに、ティリクティアは力強く頷いてみせた。 そうなれば早く出発したいというもの。二人は二杯目の香草茶とおかわりのおまんじゅうを(主にティリクティアが)たいらげて、しっかりと礼を言って村を出たのだった。 *-*-* 細い道の先には、霧立ち込める一角が。 一寸先さえも見えぬと思われるその中では、何が行われているのか。 くるりくるり、くるりくるり、裾翻して。 タタンタタン、タタンタタン、ステップ踏んで。 *-*-* 二人が進む道は最初こそ道の体裁を保っていたが、進むにつれて段々と草が生い茂り、獣道のようになっていった。下草で足を傷つけないように注意しながら二人は進む。 「……! ゼロ、左はダメだわ。右の道を行きましょう」 持てる力で何かを『視た』のだろう、ティリクティアはゼロの手を引く。ゼロもティリクティアに信頼を寄せているので、その忠告に素直に従った。 「幻の城なんて楽しみね! ……あっ!」 「ここはゼロに任せるのですー」 反対に、草をかき分けると突然出現した谷間には、ゼロが前へ出た。 ずもも、ずももももっとその場で巨大化し、ティリクティアに手を差し出す。そっと巨大な白い手に足を乗せたティリクティアはゼロの親指に掴まるようにして。 「しっかりつかまっていてくださいなのですー」 ゆっくりその手が上昇し、ゼロが立ち上がるとティリクティアの視界が一気に開けた。 「わぁっ……」 怖がる様子もなく、ティリクティアはあたりを見渡す。眼下には緑の絨毯が沢山広がっていた。 「行くのですー」 巨大化したゼロにとっては崖はただの段差。谷間は小さな側溝のようなもの。ひょいとまたいでしまえば、すぐに向こう岸に。 目立ちすぎてヴォロスの人達に騒がれては大変だからと巨大化するのは谷間や崖、大きな岩山など困ったときだけに抑えて、あとは自分たちの脚で歩いて行く。 「どのくらい歩いたのかしら」 「わからないのですー」 先程までは霧はどこだろうと思っていたはずだったのだが。 この分じゃまだまだ先だろうとや持っていたのだろうけれど。 いつの間にか、本当にいつの間にか辺りは白くけぶり、近くにいるはずの互いの顔さえ見辛くなっていた。 「ゼロ、もう一度手をつなぎましょう。はぐれたら大変よ」 「はいなのですー」 ティリクティアの差し出した白い手に、ゼロが小さな白い手を重ねる。指をしっかり絡ませ合うようにして、離れぬようにして。 先の見えない状況は、ワクワク感よりも不安を呼び起こす。次第に足を早く動かすようになり、無意識の内に二人は走り出していた。 二人の少女は走る、走る。草を踏みしめ、土を蹴るようにして。だが少しも進んだ気がしないのは、霧が濃さを帯びてきて辺りの光景で進んだ距離を測ることができなくなってきたからか。 「いざとなったらゼロが大きくなって、霧の外を見るのですー。霧の外に出るのですー。だから安心するのです」 「そうね。ゼロと一緒でよかったわ」 そう言ってティリクティアはゼロの手を強く握りしめてしまっていたことに気がつく。無意識に入っていた手の力をゆるめて微笑みを向ければ、ゼロも安心したように頷いた。 *-*-* いらっしゃい、いらっしゃい。 可愛い二人のレディ。 くるり、くるり踊りましょう? ようこそ私の舞踏会へ。 *-*-* 「ゼロ! 音楽が聞こえない?」 「あっちの方から聞こえるのですー!」 霧の中をゆっくり進む二人の耳に飛び込んできたのは小さな音。何の曲だか判別がつくほどの大きさではなかったが、確かに聞こえてくる。二人は顔を見合わせて音が聞こえてくる方に足を進めた。 数歩先も見えない霧だから、自然、歩みは慎重になる。けれどもティリクティアにはこの先に嫌な感じはしなかったし、危険な未来も見えなかった。 歩みを進める毎に、聞こえてくる音楽ははっきりと大きくなっていく。 「これ、ワルツだわ!」 聞きなれぬ曲にゼロはピンとこなかったが、踊りが得意というティリクティアには分かった。曲自体は知らないが、とっているリズムは三拍子。 ティリクティアは思わずかけ出した。手をつないでいるゼロも、従うように足を早めて。音楽の聞こえる方へ聞こえる方へと走っていけば、段々と曲が聞き取れるようになって。 「お城なのです!」 「本当にあったのね!」 はっきりと曲が聞き取れるようになる頃には、二人はいつの間にか霧の外に出ていた。いや、ここが霧の中心点なのだろう。霧が抱くようにしていたのは古老達の話通りの大きなお城。 城の外側は霧で塗られていて、貝殻のような白さに見える。それでも精緻な細工であるのは見て取れて、しかも全く古びた様子がないのは不思議だ。 「入ってみるのです」 「入ってみましょう?」 二人揃って同じ事を言って、顔を見合わせて笑い合う。意見は一致した。ならば進むのみ。 音楽がかかっているということは誰か人がいるのだろう。咎められたらきちんと謝って、中の見学をさせてもらえばいい。 城の門扉はまるで二人が来るのを待っていたかのように、開いている。二人はそっと、城の中へと足を踏み入れた。 「わぁ……」 「すごいのです」 一歩足を踏み入れた途端、そこは別世界のようだった。 壁や柱は光の加減によって深い海の色から白に近い空色にまで姿を変えて。星屑を散りばめたような光が飛び散る黒い石の床。一歩足を踏み入れる毎に、黒い床に散らばった星のカケラが舞い上がる。まるで二人の歩みに反応しているようだった。 炎を宿したシャンデリア。光を受けたガラスの煌めきが眩しい。 「いらっしゃい、お客さま」 「!」 「!?」 突然掛けられた声に二人は身体ごと首を巡らす。聞こえてきたのは二人と同じ年頃の少女の声だった。 「ここよ、ここ」 くすくすという笑い声とともに正面の大階段から降りてきたのは、紅色のドレスに身を包んだ少女。ドレスと同じ紅色の髪には硝子で出来たような透明のバラが飾られていた。 「勝手に入ってごめんなさい。あなたは誰?」 「ゼロたちはお客さんじゃないのですー」 いたずらが見つかった時のような二人の言葉に少女はくすくすと笑って。 「私はイーリュ」 コツコツとヒールの立てる足音を響かせて階段を降りてきた彼女は、左手にある両開きの扉を示しながら告げる。 「舞踏会はもう始まっているわ。こっちよ」 「だからゼロたちはお客じゃないのですー。不法侵入者なのですー」 「そうよ、舞踏会があるのなんて知らなかったし、参加する資格だってないわ」 「資格?」 自分達のことを誰かと間違えているのだろうかと思い、ゼロもティリクティアも必死で言葉募らせる。しかしイーリュは両開きの扉の前で不思議そうに振り返った。 「十分でしょう?」 舐めるように二人の全身を上から下まで眺める彼女。彼女の言っている意味がわからなくて思わず互いの顔を見ようとしたその時。 「ゼロ!?」 「あっ!?」 ティリクティアはゼロの、ゼロはティリクティアの衣服に異変が生じていることに気がついた。いや、衣服だけではない。髪型もだ。 「「えっ」」 互いの声に二人は自分の身体を慌てて眺める。 ティリクティアはゼロが普段着ているような、初雪のような真っ白なドレスを着ていた。袖の二段に膨らんだ可愛いデザインで、スカートも布をたっぷり使っており、プリーツが細かく入っている。背中には何重にもした大きなリボンが付いており、動く度にふわりと舞って可愛い。 白いヒールには青い薔薇の花が。髪の毛は後頭部でアップにまとめ、薔薇の花と同じ色の髪飾りをつけている。サイドの毛を垂らしており、頬を伝うそれが可愛さの秘訣。髪飾りの縁と太めのチョーカーの縁には、真珠が縁取るように配置されており、大人っぽい落ち着いた雰囲気を放っている。 ゼロは、普段ティリクティアが着ているようなひだまりを凝らせたようなオレンジ色のドレスに身を包んでいた。胸元でクロスした共布の紐を首に巻いて、喉元で蝶結びに。胸元に一筋だけ入ったブラックのレースが差し色となり、全体をひきしめている。ふわりと逆三角形のように広がったスカートはゼロの動きに合わせて右へ左へと振れ、スカートの裾には共布で二段のフリルが付けられていて全体を丸みを帯びた形へとしている。フリルを留める金の縁取りと太めの金色のリボンが、スカート地に縫い込められた同色の、大人っぽい草花柄に可愛さをプラスしていた。 ヒールはドレスに合わせたデザインで、オレンジ色に真珠で止めたフリル。フリルの裾には黒いラインが一本入っていて、ひと目でこのドレスとセットだとわかる。足首で巻いたリボンは、ゼロのステップにひらひらと軌跡を残しそうだ。 髪の毛は左側頭部で一つに結いてたらしている。結った部分にはドレスと同じオレンジ色のバラの花がリボンとともに留められていて、ゼロの白い髪によく映えていた。 「どうして……」 「でもかわいいのです」 二人の驚いた様子を、イーリュは面白そうに眺めていた。そしてある程度二人が自分の姿の確認を終えると、待っていたかのように口を開く。 「ね、資格は十分でしょう? じゃあ、行きましょう?」 彼女がそう言うと、不思議と自然に両開きの扉が開かれた。扉が押されていく毎に、室内の光が漏れ出てくる。聞こえてきていた音楽が、大きくなる。 「わぁ……」 「すごい舞踏会ね……」 ゼロもティリクティアも、扉が開いた先の光景に息を呑んだ。 そこは大きな大きなホールになっていた。そして今、ホールでは沢山の紳士淑女が歓談を、そしてダンスを楽しんでいる。 光を放つシャンデリアがいくつもホールを照らしており、楽器たちが人の手を経ずに自らを奏でる生演奏。金色に光る床からは、紳士淑女がステップを踏む毎に光の粒が舞い上がっている。水晶でできた柱は様々な光を受けて様々な色に輝く。それは海の中にもいるようにも、天上にいるようにも見える不思議な色加減。 「さあ、存分に踊っていらして」 絵画にも描ききれぬようなその光景に見入っていた二人の背中を押したのは、イーリュ。彼女はどうするのかと思えば、仮面をつけた青年にダンスの相手を求められ、滑るように人々の踊る中へ入り込んでしまった。 「皆愉しそうなのです。けれどもゼロは、あまり踊ったことがないのです」 ゼロはいきなり遭遇した舞踏会という雰囲気に当たられたのか、頬を染めて羨ましそうに踊る人々を見ている。ティリクティアはそんな彼女を見て、いいわ、と呟いてその手をとった。 「ゼロ、私がリードするわ。だからゼロも踊りましょう?」 「……! はいなのです!」 ティリクティアにはダンスの経験がある。否、ダンスは得意だ。器用な彼女は記憶を手繰って、男性パートを引っ張りだす。そしてゼロの手をとってきっちりとエスコートを始めた。 しっかりしたティリクティアのステップに身体を任せるようにすれば、自然とゼロの身体も動いた。 タッタッタッ、ひらりひらり。 白と橙のドレスが融け合うようにホールを舞う。 『まあ、可愛らしいこと』 『小さなレディたちにこの場は譲ろうか』 金の髪と白い髪が軌跡を描いてくるりと舞って。気がつけば二人は、ダンスホールの真ん中で踊っていた。他の客達は彼女達に場を譲るように遠巻きにして踊っている。 「たくさん見られているのです」 「舞踏会ではたくさん見られるのが主役の証よ」 「イーリュさんになんだか悪いのです」 考えてみれば、その口ぶりからいって明らかにイーリュがこの城の主人、主役であるべき者なのではないか。ダンスに余裕のあるティリクティアが踊りながらちらっと視線を動かしてみると、離れた所で踊っている紅色のドレスの彼女と目が合った。けれども彼女は気分を害した様子はなく、むしろ楽しそうに微笑んでティリクティアに頷いてみせた。 「大丈夫みたいよ。思う存分、踊ってしまいましょう? 折角の、幻の城の舞踏会なのだから!」 ティリクティアは繋いでいる方の手を上げて、ゼロをくるんと回転させる。スカートの裾を翻して回転したゼロは、嬉しそうに笑って。そして今度はゼロが見よう見まねで片手を上げるものだから、ティリクティアもくるんとその場で回ってみせた。プリーツが広がって優雅な円を描く。 そのまま、そのまま。曲が変わっても二人は踊り続けた。 細かいことを追求すれば色々と疑問も生じるはずだけれど、この、この世のものとは思えない舞踏会に、二人共心奪われていて。細かいことなど気にならなかった。 *-*-* 永劫に踊っていたくもあるけれど、楽しい宴にお開きはつきもの。 また会いましょう。また踊りましょう。また、楽しい時間を過ごしましょう。 可愛いレディ達。 *-*-* 二人は踊り続けていた。夢中で踊り続けていた。 だから気がついてのは、しばらくしてからだった。 草を踏む感触、回っても広がりきらないスカート、いつもの靴。そう、二人の格好はいつものものに戻っていた。 辺りを見回せば、あれだけ深かった霧も晴れていて。 「お城が、なくなっているわ」 「イーリュさんもお客さん達もいないです」 ステップを止めて二人はきょろきょろと辺りを見回す。しかしどこもかしこも草が生い茂っていて、城の影など欠片も見えない。 「夢だったのです?」 「夢……じゃないわ! ゼロ、髪の毛!」 ティリクティアに指摘されてゼロが髪に触れると、そう、髪型だけは元に戻っていなくて。その髪にはドレスとおそろいだったバラの髪飾りがついたままだった。ティリクティアも自分の髪の毛に触れる。彼女もまた髪の毛はアップにされたままで、そっと触れればヒールについていた薔薇の花と同じ色の髪飾りがついたままだった。 夢じゃない、これがその証拠だった。 *-*-* 世界図書館に戻った二人は、ヴォロスのあの土地について調べられるだけ調べた。仔細の載った資料も繰ってみたのだが。 「載ってないです……」 「こっちにもないわ」 あの場所については今も昔も村があったという記述はない。わかったのは『村などなかった』という事実。 「ということは、あのおばあさんたちも謎の存在なのです」 「たしかに私、おまんじゅうを食べたのに。不思議だわ」 「『誰も住まない土地』と書いてあるのですー」 ゼロが新しい記述を見つけて、指をさす。とすれば、あの古老達を始めとして沢山の招待客達、そしてイーリュという少女は何者だったのだろうか。 「世界は不思議な事だらけね」 ティリクティアが酷く実感のこもった声で言う。けれども、だからこそ面白いとも思うのだった。 ふたりはあの髪飾りを取り出して、本の載った机の上に置く。これだけは城とドレスが消えた後も消えなかった。二人が体験したことは、夢でも幻でもなかったという証。 「もう一度行ってみたいのです」 「そうね」 ゼロの呟きに、ティリクティアは窓からの光に髪飾りをかざしながら頷いたのだった。 *-*-* また会いましょう、小さなレディたち。 今度は一緒に踊りましょうね。 【了】
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