クリエイターリッキー2号(wsum2300)
管理番号1157-8745 オファー日2011-01-23(日) 02:56

オファーPC 有馬 春臣(cync9819)ツーリスト 男 44歳 楽団員

<ノベル>

「先生……有馬先生!」
 うっそりと、有馬春臣は振り返る。
 職員の女性が、微妙な表情で彼を見据えていた。憤りのようでもあり、戸惑いのようでもあり、あるいは恐れのようでもある、なにをどう切りだしていいかわからないような顔つきだった。
「何か」
「いえ、あの――今日の14時からの会議、いらっしゃいませんでした」
「ん。ああ」
「お電話したんですよ」
「すまないね」
 大してすまなさそうでもない声で春臣は答えた。
「……事務長、ご立腹でしたよ」
「次は必ず」
「そんなこと仰って。合コンの話じゃないんですから」
「合コンなら行くさ」
 ゆるく、微笑った。
 そのまま踵を返す。くたびれた白衣の裾をひるがえし、ひたひたと歩く。春臣は長身だが、猫背だし、痩せているので大きいというよりは、細長い印象がある。
 病棟の廊下を歩く姿は、深海の珍しい魚のように映った。
 実際――、春臣は「変わった魚」だったのだ。
 ひそひそと、背中に聞こえる囁きに、横目で一瞥すれば、職員や同僚の医師たちが噂に興じている。
(有馬先生、またミーティングすっぽかしたんだって)
(そうなんですよ。本当に困っちゃいます)
(症例研究は出てくるんだけどねえ……委員会とか、そういうのは嫌いみたいだ)
(でもそれだって病院のお仕事のうちでしょう?)
(なんだがねえ……いくら腕が良くったってあれじゃあ……)
 ――煩いな。
 春臣は避けるように廊下の角を曲がったが、その先のロビーでまた別の一団と出くわしてしまう。
 せいぜい目を合わせずに、軽い会釈だけして通りすぎたが、春臣という存在は、ただそれだけで、場を波立たせずにはおかないようだ。
(彼、せんに事務長と衝突したことあるだろう。ということはだ、考え方としては副院長に近いということなんじゃないの。私は彼にも話をして――)
(いやいや、事務長派じゃないってだけでさ。有馬先生はなんていうか……)
(俺、聞いたことある。なんでもおかしなところに出入りしてるって)
(おかしなところって?)
(それがさ……)
 大学病院は巨大な水槽だ。
 たくさんの魚たちが、それぞれの群れをつくって回遊している。
 春臣は、その中で、どの群れにも属さず、どの魚とも鱗の色が違う一匹だった。
 コポコポと――他の群れたちが吐き出す《噂》や《憶測》の気泡には目もくれず、彼はするりと岩陰へ。
 ――私は医者だ。
 ならばやるべきことはひとつしかないではないか。
「どう? リハビリの調子は」
 休憩スペースに居た患者に話しかける。
「なんでもないときに痛むようなら言って。でもなるべく歩くほうがいいからね」
 漏れ聞こえてくる囁きや、絡みつくような視線は意識から閉め出した。


「有馬」
 呼び止められたのは、同じ場所。
 しかし、すでに夕暮れ時であったので、窓からは西日が差し込み、廊下は赤く染まっていた。
 そして呼び止めたのは――
「いつこっちに?」
 夕日の中にたたずんでいる旧知の姿をみとめ、有馬は驚いた声を出す。
「久しぶりだな」
「ああ……そうだな。電話してくれたらよかったのに」
「忙しいのか」
「まあな」
「疲れた顔だ」
 憐れむように、相手は言った。
「それは……な」
 朝から働きづめだから疲れもする。
 にしても、そんなにひどい顔だろうかと、窓ガラスに映してみたがよくわからない。ただ、思わず顔をなぜた手には、無精ひげの感触が残った。
「ここの水が合ってないのだろう」
 硬質な声。
 春臣は眉を寄せて、相手を見つめ返す。
 彼は研修医時代の同期だった。
 廊下の窓を背にして立つ相手の顔は逆光になり、今ひとつその相貌をとらえきれない。にもかかわらず、その目が春臣へとじっと視線を注いでいるのがわかる。
 射抜かれるような視線だ。
「……何だって?」
「こんなところに居るべきじゃないんじゃないのか」
「何を言っているんだ、急に」
「本当にここに居たいか。こんなところで働いていたいか」
「こんなところって――」
 神経を磨耗させる激務はともかく。
 それ以外の、わずらわしい事どもが嫌ではないと言えば嘘だった。
「もっと自分が求められている場所で、自由に働きたくはないか」
「……何を……」
「海外のある病院から呼ばれている」
 彼は言った。
「良い病院だ。……一緒に行かないか。待遇は破格だぞ。それに、ずっと自由に働ける」
「……ほう」
 ようやく話が見えてきて、春臣は余裕を取り戻す。
「それはよかった。……考えておこう」
「だめだ」
 有無を言わさぬ強い口調が、突き刺すように告げた。
「すぐに返事をくれと言われている」
「……急だな」
「だから来た。おまえは、行くべき男だから」
「それは……」
 買いかぶりじゃないのか、という言葉は出てこずに、唾液とともに喉の奥に消えた。
 視線。逆光のシルエットの、黒々とした深淵のような影の中から、春臣を見つめている一対の目。
 夕日が描く輪郭は燃えるような赤さを増し、包帯に滲む血のように徐々に広がっていった。
「一緒に行こう」
「……」
「こんな場所に居るべきじゃない。もっと、ふさわしい場所へ」
「……」
「さあ……」
 ぐわっ、と、そのシルエットが何倍にもなって、魚眼レンズで歪んだ視界いっぱいに広がったような錯覚があった。
 しかし。
「断る」
 決然と、春臣は言うのだった。
「……なぜ」
「たしかにここは最良の職場じゃない。けどな」
 春臣は片頬をゆるめる。
「だからって、さっさと立ち去ってしまうのも……“なし”だな」
「……」
「今は目が離せない患者がいる。それだけじゃない。嫌だから辞めるってわけにもいくまい。それが仕事ってもんだろう。そのくらいの分別はあるつもりだ」
「……」
「でも、ま。確かに永遠にここに居るっていうのも願い下げだ。……けど、自分がいつ何をするかは、自分自身で決める。……悪いが、そういう小賢しい誘惑は嫌いなんでね」
 春臣は、旧知の医師を睨みつけた。
 逆光で、顔はわからない。
 思い出そうとしても、うまく記憶の中から浮かび上がってこない。
 だから、影に沈んだそこは、黒い絵の具で塗りつぶされた無貌の仮面のようであった。
「……ま、そういうこった」
 軽く片手をあげて、春臣は歩き出す。
 相手は何も答えない。
 すれ違った背中に、
「後悔するぞ」
 と声がかかった。
「それも自分で決める。わざわざ来てもらって悪かったな」
「……また来よう。いつか、また」
「そうだな。いつか、また」
「そのときは――」
「自分で決める」
 春臣は繰り返した。
「その時、必要なら契約してやる」
 吐き捨てるように言いながら振り向いたとき、すでに相手の姿はどこにもない。
 独りきりの廊下に、くくく、と忍び笑いだけが残響する。
(いいだろう。その言葉忘れんぞ)
 風にさらわれる砂のように、声は消え入りながら言った。
(忘れないからな。有馬春臣――)
「……」
 苦い表情でたたずむ春臣。
 そのときだ、首から下げたPHSが鳴り始めた。
 画面を見れば外線だ。しかも……今しがた会話していたはずの相手の名前が表示されている。
「……もしもし」
「ああ、有馬か」
 懐かしい、声だった。
 ああそうか、こいつはこんな声だったんだ、と春臣は思った。同時に、念頭に顔が浮かんできた。
「聞いたか?」
「何が?」
「……先生が亡くなった」
 それは恩師の訃報であった。
「俺、今すぐ新幹線乗るから……なんとか通夜にも間に合うと思う。有馬も来るだろう?」
「あ……ああ……」


 朗々とした読経――そして、そこかしこで啜り泣きの声。
 春臣はじっと、祭壇の写真を見つめていた。
「ここ一年くらいは、診療所も閉めてたらしい」
「……」
「知らなかったよ。そんなに悪かったなんて。大学辞められてからは、あまり連絡も取ってなかったから」
 言い訳するように、同窓の旧友は言って、残念そうに俯く。
 喪色の和服を着た老婦人――故人の内儀であろう――が、傍へ来て、春臣たちに頭を下げた。
「この度は――」
 ふたりして、悔みを述べる。
「主人はいつもお二人のことを気にかけておりました」
 未亡人は語った。
「最期は、仕事ができないことがなにより残念そうで……そのかわりに、後進や教え子の活躍が気になっていたんですねえ……」
 恐縮する友人を残し、春臣は失礼、と言いおいて場を逃れた。
 弔問客の流れに逆らって、外へ。
 夜気に頬を冷やしながら、喪服のネクタイをむしるようにして襟元を開けた。
 ――こうなることを知ってて、わざと。
 奥歯を噛み締めると、口の中に苦い汁が広がるようだった。
「おい、どうした」
 追いついてきた友人に、春臣は、
「念のため聞くが……さっき新幹線でこっちに着いたんだな?」
「はあ? 何言ってんだ?」
「いや、いい」
 と確認すると、夜空を睨みつけた。
 ――ああ、そうだ。強がってみせたが、これこそ自分が恐れるものだ。
 恐れる……のとは少し違うかもしれないが。
 嫌であるには違いない。
 いつか……自分もまた老いて、仕事が続けられなくなる日がくるということ。
 そういう日が来るであろうということを、考えること。
 それが嫌だ。
(……また来よう。いつか、また)
 あの存在はそう告げた。
 あれは狡猾だ。
 そう言ったからには、あれはまた必ずあらわれる。そして今度は、確実なときにあらわれるだろう。すなわちそれは……春臣が断らないときということだ。
 そのときがくれば……自分はあれを受け入れるだろう。
 あの存在は、残酷な性でもある。
 そのような予感を抱かせておきながら、実はもう二度と姿を見せないつもりかもしれない。
 そして老境の春臣が、いつかあれにまた会えたら、その時は、その時は、と思っているうちに、ひたひたと死の足音が迫り来てそれでもまだ姿をあらわさず、春臣が焦り、ああ、あの時に契約しておけばよかったと思うのをどこかで嘲笑う――そういったこともあるかもしれない。
(……その時は、その時か)
 苦笑を、漏らした。
 ポケットの中でPHSが震えている。
「……はい」
「有馬先生ですか? すみません、実は急変で――」
 現実が、追いついてきて、春臣を引き戻した。
 そうだ、これが今、自分が立ち、向き合っている世界だ。
 ここから逃げ出すわけにはいかない。
 その結果がどうであれ……ひとつひとつの選択を、たしかに自分で選び取ってきたならば、その先に何があろうといいではないか――。
「血圧は? ……よし、じゃあ、酸素吸入の準備。すぐに行くから――」
 自分は医者だ。
 その役目をまっとうすべく、春臣はタクシーを止めようと手をあげるのだった。

(了)

クリエイターコメントお待たせしました。プライベートノベルをお届けします。
知人の姿をとってあらわれる悪魔、といういただいたシチュエーションが面白かったので、いただいたオファー自分なりにデコレートさせていただき、このような内容になりました。お気に召せば幸いです。

それではまた、お会いできる機会を楽しみにしておりますね。
公開日時2011-05-03(火) 22:00

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル