シュマイト・ハーケズヤは発明家である。 紫を基調としたその装いから、時折魔法使いと勘違いされることもあるが、れっきとした科学の申し子だ。 数多のカラクリを理解し、駆使し、作り上げたモノを、人は《魔法》と同義に捉えることもあるだろうが、それでも無から有を為さない理論の末の結晶は発明品と呼ぶべきである。 そして今、彼女の繊細な両の手から生み出されたのは、いわゆるお手伝いロボット――金の髪を結い上げ、クラシカルなメイド服に身を包んだ球体関節の自動人形だった。 寝食を忘れ、気づけば十数時間も費やして最後の調整を終えるに至ったこの存在に、まず初めに告げるべき《命令》は決まっている。 機材、ネジ、工具、設計図、書き損じの紙屑、文献、その他ありとあらゆるものが散乱するこの場所を徹底的にキレイにしてもらおう。 「邪魔なものをすべて片付けろ」 見上げる主の視線と声に反応し、人形は目を覚ます。 起動。 『かしこまりました』 わずかにエコーがかった流暢な音声とともに、彼女は、主の絶対的命令を遂行すべく、プログラミングどおりに動き出す。 内蔵されているモップを装備し、従順に、忠実に、無表情に、邪魔なものを排除するために。 手始めとして、部屋にあった工具類、機材、装甲用金属片、組み立て前の電子回路一式、そのほか一切合切を急ごしらえの巨大な匣の中にすべて放り込んでしまった。 わずか1分でできあがったのは、ネジひとつない空間。 清々しいほどに何もなくなってしまった空間。 「おいっ」 『邪魔なものはすべて片付けます』 止める間もない。 インプットされた命令を復唱し、自動人形は部屋を飛び出した。 ――名状しがたき轟音がターミナル全域に響き渡ったのは、それから数分後のことだった。 「大変!」 往来を行くサシャ・エルガシャの目に、ソレは唐突に飛び込んできた。 クラシックなメイド服の裾を翻した『少女』が、ベランダに並ぶ鉢を部屋の中へ放り入れ、日向ぼっこしている猫数匹をバスケットに入れて窓辺に立っていた飼い主へ押しつけ、屋根から屋根へ、あるいは塀から塀へ飛び移り、駆け抜ける。 ターミナルの住人たちは時々悲鳴を上げながらも、結局は過ぎ去っていく台風のごときロボットの後ろ姿を呆然と眺め、見送っていた。 おそらくシュマイトの作り出した自動人形だろう、ということは容易く想像できたが、行動の理由が見つからない。 お手伝いロボットを作ったという話を聞いていたのだが、アレは間違いだったのだろうか。 「良いところに来た、サシャ」 「あ、シュマイトちゃん! ねえ、あの子ってもしかしてワタシが“お手本になってほしい”って依頼されたお手伝いロボット?」 「うむ。メイドとは如何なるモノかサシャに示してもらうつもりだったのだが、その前に暴走を始めてしまったのだ」 シュマイトの告げる言葉に焦りは微塵もない。 わずかな困惑が滲みはするが、どこか悠然と構えた友人のその姿に、サシャは小さく首を傾げた。 「シュマイトちゃん、一体どんな命令を?」 「“邪魔なものをすべて片付けろ”、だったのだが」 「あ、なるほど」 邪魔とは一体どういう定義によるものか、明確な指針を示さなかったのが暴走の原因らしい。 「どうにかせねばならんだが……手伝ってもらえるか?」 「もちろんよ! せっかくシュマイトちゃんがワタシを《教育係》に呼んでくれたんだもの。あの子はサシャがお相手します!」 毅然と、かつ颯爽と、その身を翻す。 「ガネーシャ、行きましょう」 オウルフォームのセクタンはかくりと首を傾げて応え、空へと舞い上がった。 「……サシャは時々、こちらの予想をはるかに超えるな」 かつて英国貴族に仕えていたという彼女の決断と立ち振る舞いと行動力に、シュマイトは感嘆し、口元をほころばせた。 自動人形は掃除する。 彼女の通った道からは、外灯が引っこ抜かれ、道路標識が引っこ抜かれ、店先の看板もポップコーンの移動ワゴンも自転車もひとつ所に放り込まれて、視界からどんどん消されていく。 彼女を止める術はなく、彼女を止めるものもいない。 住人たちは『台風』をただただ見送るばかりだ。 しかし。 暴走し突き進むその鋼鉄の身体が、突如、がしゃんっと盛大な音を立てて勢いよく地に転がった。 転がって、もがいて、動きが止まる。 いきなりの展開に周囲のざわめきが大きくなった。 何が起きたのかと見回す人々の中で、誰かが『あそこだ!』と声を上げ、指を差す。 「ようやく捕まえたわ!」 たったいま看板を奪い取られたばかりのフラワーショップの屋根の上、太陽を背にしてすっくと立つのは、わずかに息を切らしながらも堂々としたメイド――サシャ・エルガシャである。 「メイドはご主人様を満足させることこそが至上の喜び。ご主人様の想いを汲み、快適な時間を過ごして頂く、そのために奉仕するのがメイド。なのにあなたはご主人様の満足を顧みていない。それでメイドとは言えないわ」 そうして、投げた網に捕獲されて手も足も囚われてもがく自動人形に、指を突きつけ、彼女が放つのは、 「いざ、尋常にワタシと勝負なさい!」 決闘の申し出だった。 「どちらがメイドにふさわしいのか、どっちがよりシュマイトちゃんを満足させられるのかの勝負だよ!」 『ナゼ?』 至極当然の自動人形からの疑問符は、おそらくギャラリー共通の思いでもあっただろう。 なぜ勝負、と。 しかしサシャは、にっこりと笑う。 「もうすぐお茶の時間。きっとシュマイトちゃんは食べることも忘れて研究に没頭していたんじゃないかしら。だからティータイムのおもてなし対決にしましょ?」 『ご主人様はわたくしに《片付け》を命じられたのです。最優先事項の遂行こそが我が任務でございます』 「本当にそうかしら? メイドとはご主人様のしてほしいことを言われる前に察して完了しているものじゃないのかな」 『私はメイド、ご主人様のメイドです。それ以上でもそれ以下でもありません』 そして、と人形は続ける。 『ご主人様の命令に完璧に遂行することこそが至上の喜びなのです』 サシャの瞳を見返す無機質な瞳には、何故か感情らしき閃きと揺らめきが見えた気がした。 地面と屋根の上、ふたつの場所に立って見つめ合う2人のメイドのやりとりには、そのまま延々と平行線を辿る気配すら漂いはじめる。 しかし、 「いや、確かに少々食べ物を口にしたいところだった」 「シュマイトちゃん!」 『ご主人様……』 ようやく2人に追いついた《そもそもの騒動の発端》である彼女の登場が、サシャと自動人形の平行線の会話に帰着点をもたらした。 「掃除よりも、お茶を」 彼女はそう望む。 「お前は、サシャからの勝負を受けるといい」 ソレは命令として自動人形に認識される。 『かしこまりました、ご主人様』 身体に絡まる網をシュマイトに解いてもらいながら恭しく頭を垂れる人形のもとに、屋根から店の主人の協力を得てはしごを伝い下りてきたサシャがやってくる。 「それじゃ、勝負だよ! シュマイトちゃんのために、素敵なティータイムを用意するの」 『私に勝てるとお思いなのですか?』 自動人形はどこか不思議そうに、そう問いかけた。 ◆ティーパーティには、食べきれないほどたっぷりの菓子を さて、どこで勝負をしようか。 そう思案をはじめたところで、思いがけず、『ぜひこの勝負を見届けたい』というフラワーショップの店主と、仕入れに来ていたカフェ店主共々に協力を申し出てくれた。 今日、うちのカフェテラスは臨時休業だ。 そう決めた、と生き生きノリよく言い切ったカフェ店主は実に男前だった。 さらに、物好きかつ好奇心旺盛なターミナルの住人たちにより、茶葉取扱店にケーキショップに雑貨店までが名乗りをあげてくれて。 かくして、まるで一種のイベントと化した《メイド対決》の舞台は、有志によって提供された英国庭園風カフェテラスへと移されたのである。 「まずは、お茶会用のお菓子を用意しなくっちゃ」 『壱番世界の英国式ですので、スコーンとサンドウィッチ、ケーキというラインナップでございますね』 データ検索でもしたらしく、すかさず自動人形が応える。 『ご主人様をお待たせすることのないよう、迅速に用意させていただきます』 「本当は食べきれないくらいたっぷりのお菓子を用意するんだけど」 いいながら、サシャはシュマイトを振り返る。 「ご主人さまはどうなさいます? ゲームでもしますか?」 「いや、眺めていることにする。菓子作りは見ているだけでも楽しいものだ。まるで化学実験のようでもあるしな」 小さく口元に笑みを浮かべ、シュマイトは最初の勝負の場所――キッチンへ向かう2人についていく。 気前のいいカフェ店主の提供してくれた調理場は、オーブンから始まり、本格的な調理機材が揃っていた。数多ある戸棚の中にも、冷蔵庫の中にも、調理されたがっている食材がたっぷりと詰まっている。 「好きなだけ使ってくれ。物の場所が分からなけりゃ、いくらでも聞いてくれて構わんよ」 店主の言葉にお礼を告げて、2人の菓子作りがスタートする。 同じであるはずなのに、まるで違う、2人のメイドの立ち振る舞い。 的確に、正確に、一分の狂いもなく、おそらくは小麦粉0.01グラムでも測定できるのだろう指先で、自動人形は迷うことなく材料を揃えて動く。 粉まみれになるなどあり得ないのだろう、無駄のない作業だ。 対して、サシャは計量カップや秤を使う。 リズミカルに、まるでダンスでもしているかのように、サシャのひとつひとつの所作が微笑ましい。 「歌?」 小麦粉に卵にミルクに砂糖、チョコチップ、色々な物が放り込まれたボウルを掻き混ぜながら、彼女はなにか口ずさんでいた。 シュマイトにはまるで馴染みのない音階で、けれどどこか不思議と懐かしい気がする詩だ。 「それはなんだ、サシャ?」 「マザーグースよ。ワタシの故郷では小さい頃からいっぱい教えてもらうの」 ボウルの中に卵を割りながら彼女が歌うのは、《ハンプティ・ダンプティ》というものらしい。 塀から落ちてしまった彼は一体何者なのか、謎掛けされているように感じながら、サシャの声を聞いていた。 ◆テーブル・セッティングは、あくまでも優雅に 有志の手により、提供された芝生と木々の緑であふれたテラスの中央に、クロスのかかっていない木目が美しい猫足の円テーブルと背の高いアンティークチェアがそれぞれふたつずつ用意された。 遠巻きに眺めるギャラリーたちの数がいつの間にか倍以上に膨れあがっていた。 「では、準備を見せてもらおうか」 お客様を待たせて準備をするなどもってのほかだ。 けれど今回ばかりは、主人として、使用人の立ち振る舞いを隅から隅までチェックしたいとの希望なのだから、沿わないわけにはいかないだろう。 自動人形とサシャは、揃って、店側が用意してくれたリネン類や小物、食器類をチェックするところからスタートする。 洗い立ての真っ白な麻のテーブルクロスにはシミもシワもない。 ティーカップ、ティーポット、ケーキプレート、シュガーポット…と、吟味した食器はどちらもシュマイトに似合うモノを、と考えセレクトされていく。 カトラリーをセットしたケーキプレートの右上が、ティーカップの定位置である。 互いに、己が持つ知識を総動員し、あくまでも優雅に、美しくたち振る舞うサーバントの姿に、ギャラリーからも感嘆の溜息が漏れた。 途中、一体どこから迷い込んできたのか仔犬が一匹勝負の場に飛び込んできて、サシャの足下にまとわりついた。 「わわわっ」 摘んだばかりの薔薇の花がたっぷりと入ったカゴを抱えたまま盛大に転びかけた彼女に、クスリと小さくシュマイトは笑みを洩らした。 仔犬はよほどサシャのスカートが気に入ったのか、くるくるとその足下で遊ぶ。 笑いながら、仔犬にも声をかけながら、彼女は楽しげに準備を進めていく。 自動人形は、黙々と、仔犬の存在など目に入れずに準備を進めていく。 程なくして、テーブルのセッティングが終わった。 『ご主人様をお迎えにするにふさわしいテーブルに』 自動人形は一分の隙も無く完璧な白い世界を作り上げて見せた。 テーブルクロスの上に置かれたナイフとフォーク、ティースプーン、そして白磁の取り分け用の皿が、計算し尽くされた位置へと正確に用意されている。 定規を当てたのなら、テーブルの縁から各食器までの距離、角度、それのすべてがわずかなズレもなく揃えられていることに気付けたかもしれない。 機械的に、機能的に、幾何学的に、美しい。 『ワタシも、完了です』 しかし、サシャのセッティングも負けてはいない。 人の手によるからこそ生まれるわずかなブレはあるかもしれないが、食器の配置は一見して美しく整えられていることが分かる。 さらにひとつ。 自動人形のテーブルになくて、サシャのテーブルにはあるもの――先程彼女が抱えていた花籠は、見事なアレンジフラワーとなって彩りを添えていた。 有機的に美しい、人の手によるセッティング。 『ナイフとフォーク、そして皿の位置に0.2ミリのズレとブレが生じています』 告げた自動人形の言葉を、サシャは神妙な顔つきで、シュマイトは不思議な面持ちで聞いた。 完璧なテーブル・セッティングとはどちらを指すのか、シュマイトの中ではこの時点で既に答えが出ていた。 ◆ティータイムに必要なのは、楽しく弾む会話。 「ほう」 真っ白なクロスが眩しいふたつのテーブルにはそれぞれ、ハイティースタンドやティーセットが用意される。 焼き菓子の甘い香りと甘い色合いはどちらもひどく心惹かれるモノだった。 「今日の紅茶は?」 『ご希望をお願いします、ご主人様』 「……任せる」 『かしこまりました。それでは、アッサムをご用意いたします』 アフタヌーンティに定番のアッサムをブラックティで、ゴールデンルールに則った作法で彼女へサーブする。 あらかじめ温めたカップに注がれる紅茶は、とても薫り高い。 透明感の高い濃厚な赤褐色を一口ふくめば、甘みを含んだ香りとコクが心地よく広がる。 申し分なく美味しい。 サンドイッチをつまんで、もう一口。 続いて、シュマイトは隣の席にかけ、サシャからのティーサーブを受ける。 「今日の紅茶は?」 「シュマイト様は本日お食事をまだお召し上がりではありませんでしたので、ミルクティをご用意しました。茶葉はキャンディでございます」 「ほう?」 ミルクティは胃に優しく栄養価も高いという。それを踏まえたセレクトに小さな驚きと喜びを覚えた。 気にかけてくれている、というのを実感できてしまうのだ。 一口含むと、穏やかでスッキリとした甘みがふわりと自分の中に広がっていくのを感じる。 はふぅ、っと溜息が落ちた。 お菓子はどちらも完璧だ。 スコーンの焼き上がり時間も、ティータイムの開始にタイミングを合わせ、熱々で提供され、味も双方申し分ない。 何もかもをそつなく無駄なくこなす自動人形と、転びかけたり歌ったり粉塗れになりかけたりするサシャ、2人からのもてなしをうけて。 ついに、《判定》の時がやってくる。 ギャラリーが見守る中、シュマイトはゆっくりと席を立ち、並ぶ2人のメイドをまっすぐに見上げ、告げた。 「もてなしは、心だ」 重々しく、厳かに、そして真剣に、告げる。 「ならば、私はメイドとしてサシャを選ぶ」 『何故でございますか、ご主人様? 私は完璧でございました。ご命令の通りでございました』 「……シュマイトちゃん」 「もてなされるのならやはり、見ていて“面白い”と思えなければな。サシャの細やかな心遣いは嬉しいが、同じくらい、転びかけたり仔犬と戯れたり慌てたりするサシャを見ているのが楽しかった」 ニッと悪戯めいた笑みで、勝利の理由を述べていく。 「う、嬉しくない、嬉しくないよ、シュマイトちゃん!」 まさしく真っ赤になったサシャをよそに、自動人形を見やった。 「もう少し改良が必要なようだな」 「あ、あのね、できればこの子を壊すなんていわないでね」 「壊す?」 「だってシュマイトちゃんが作った子なんだよ? 悪気があってやったんじゃないもの。それにすっごくシュマイトちゃんに対して真摯なんだよ!」 自分が選ばれなかった事実に呆然としている自動人形を、サシャは真剣に庇う。 「サシャ」 「なあに、シュマイトちゃん?」 「……ありがとう」 色々な意味を込めて、たくさんの想いを込めて礼を告げれば、 「どういたしまして!」 サシャから、弾けるような笑みが返ってくる。 ソレに同じく笑みで応え、 「では、茶会のやりなおしだ。サシャ、ティータイムとは女主人が客人をもてなすパーティなのだろう? 皆も誘い、ともに紅茶を楽しもう」 「はい!」 「お前もサシャに習い、もてなせ」 『かしこまりました、ご主人様』 対決を終えた彼女たちは、ノリのいいカフェ店主をはじめ、親切なギャラリーたち全員を招き入れ、ティーパーティを催す運びとなった。 笑顔と甘い香りに満ちた、とっておきのもてなしの時間が始まる。 その後。 自動人形が片付けに片付けた町並みを元通りにする為の修復作業がとんでもない騒動を巻き起こすことになるのだが、それはまた別のお話。 END
このライターへメールを送る