0世界には、その住民たちの趣味趣向を反映した数多のチェンバーが存在している。 その中のひとつ――学校型チェンバーの一角、冒険旅行用掲示板と大きく描かれたホワイトボードがいくつも並ぶ教室には、実に多くのロストナンバーが出入りし、賑わいを見せていた。 時には冒険旅行の相談がされることもあるし、誕生会が催されることもある、壱番世界の季節にちなんだゲームをすることもあるくらいだ。 常に誰かがいて、常に何かが起きている。 しかし。 珍しいことに、今ここにはふたりの人間――日和坂綾と相沢優しかいない。 他の誰かがやってくるのをのんびりと待ちながら他愛のない会話を続けていたのだが、ふと、優が自分の腕時計を確認し、顔を上げた。 「あのさ、綾。結構いい時間だし、昼ご飯がてら一緒になんか食べに行く? 最近教えてもらった店でいってみたいところがあるんだ」 不意の、けれどさらりとした誘いの言葉を投げかけてきた。 「どう?」 「行く!」 もちろんソレに反応しない綾ではない。即答。そして、即立ち上がる。 「ご飯食べに行きたいっ!」 「良かった。じゃ、行くか」 ふんわりと笑いかけられて、にひっと笑って返して、綾は優とならんで教室を出る。 いつも通りの服装で、いつも通りの何気なさで、ただしいつも通りとは少々違う、優と綾ふたりきりという珍しいメンバー構成で―― 「あ、あれ?」 「どうかした、綾?」 「へ、あ、いや、全然なんでもないじょ、あう、あー、何でも何でも……っ」 「何でもないってカオはしてないけど」 笑う優の隣で、あたふたと言葉を適当に見繕って口にする。 「アレだね、ユウが気になるお店ってことは絶対美味しいよね! 楽しみにしちゃっていいかな?」 「美味しいものが大好きな人からのオススメだから、期待しちゃっていいと思う」 ふたりで食事。 ふたりでおでかけ。 そのパターンはなんだかとても、そうとても、いわゆるひとつの《デート》的シチュエーション……などと考えてしまう自分に、綾は思い切りセルフツッコミを入れておく。 KIRINの称号を得てしまっているがゆえの思考回路、悪いクセ、というところだろう。 たぶん、誘ってくれた優にそんなつもりは全然ないと踏んで、綾はとりあえず肩の力を抜いた。 ◇◆◇ ターミナルの画廊街に向かう途中にあるというその店は、聞いていたとおり、三角屋根が印象的なレンガ調の建物だった。 優は以前興味があって調べていた建築様式の記憶を引っ張り出し、照らし合わせれば、これがチューダー様式の部類だろうとの答えが導き出される。 もしかすると赤い城で今も眠り続ける《夢視る建築家》の作品だったりするのだろうか。 そんな偶然があっても可笑しくないと思いながら、優は綾をエスコートし、店のエントランスへと足を踏み入れる。 「うわ、ステキ!」 途端、包まれる優しい香りと、カントリー調の雑貨感溢れるやわらかな色あいの店内に、綾が小さく歓声をあげた。 その反応だけでも嬉しくなってしまって、優の口元が自然ほころぶ。 美味しいものを食べることに全力で取り組む甘党ロストナンバーからの情報、その確実性への信頼度は友人の間でもかなり高い。 きっと楽しいランチを過ごせるだろう。 「いらっしゃいませ」 客の来店に気づいたウェイターが、にこやかにふたりを店内へと案内してくれた。 「どれにするか迷った甲斐があったかも!」 テーブルに運ばれてきた食事を前に、綾の瞳が輝く。 ラザニアと有機野菜のシーザーサラダがそれぞれ白で統一された陶器に盛られ、チーズの灼ける香りが鼻先をくすぐり、食欲を刺激してくる。 開き掛けた薔薇を思わせるティーカップに注がれたミルクティとも相まって、色鮮やかだ。 「ユウのもおいしそー」 「うん。予想以上でちょっとびっくり。オーガニック素材に力を入れてるから味は保証するとは聞いてたんだけど」 ふんわりトロトロ卵で覆われたオムライスは、濃厚なデミグラスソースとトマトソースの二色で彩られ、それだけで目を楽しませてくれる。 さらに食事と一緒に出してもらった季節のタルトは巨峰が見せる透き通ったアメジストカラー、蜂蜜色のハーブティとのコントラストも美しいときては、もう感嘆の溜息しか出てこない。 「なんか食べるのがもったいないくらいだ」 「でも食べちゃうけどね!」 銀のスプーンとフォークを握りしめ、にひゃっと笑う綾に、つい吹き出す。 「だな、食べなくちゃ始まらないし」 「そうそ! さ、食べよ! でもってユウのも一口ちょうだいね?」 「なら綾のも」 「熱々だから火傷しないように気をつけるのだよ?」 向かい合って、笑いあって、互いの料理を分け合って、最近の冒険についても語り合って。 「これ、どこから仕入れてきたのかな。素材の味がしっかりしててうまい」 弾みながら交わされていく会話の中で、ふと、綾がしみじみと呟いた。 「そういえば、ユウって着々と《料理の達人》に向けてステップアップしてるよねぇ」 「え、そうかな? んー、そうだといいんだけど」 「料理好きの域をそろそろ超えそうじゃん? なんか、リクしたら何でも出てきそうだし」 「あはは、“何でも”はさすがに無理だよ。でも、そうだな、作れるモノはどんどん増やしては行きたいかも。綾のリクエストに応えられるくらいには」 クリスマスにクリスタルパレスでもらった料理本のレシピはもちろん、料理好きの友人たちと情報交換しては、ケーキやサンドイッチ、そのほかにも様々なモノに挑戦し続けているのは確かだ。 「美味しいモノを食べるとさ、作りたくなるんだ。それでオレの作ったものを美味しいって食べてもらえるとすごい嬉しいんだよな」 「優の作るのはホントおいしーもんね。ホント、いつもごちそうさまです」 おどけて両手を合わせて拝む綾に、自然頬が緩む。 「綾の食べっぷりを見てるとオレも幸せになれるよ。綾が嬉しいとオレも嬉しいし」 「へ?」 「うん?」 「……なんでもない! よし、もっかい拝んでおこう。いつもおいしーものをありがとう、ユウ! これからもヨロシクお願いします」 「うん、ヨロシクされる」 「楽しみにしちゃおっと。喜ぶよー、みんなもユウの手料理のファンだしね」 そう言いながら、目の前の綾は、とうとう最後のひと口になってしまったラザニアを幸せそうに噛みしめる。 トラベラーズ・カフェもいいけれど、あの《武闘派のねぐら》と称された場所で自分の料理を食べてくれながら様々な話をする光景を思い描くと、胸の中がやわらかく満たされる。 大好きな友人が喜んでくれるなら、幸せになってくれるなら、もっともっと料理の勉強をしていこう、とも思う。 そんな誓いをひっそりと胸に抱く優に、ミルクティを飲み終えた綾が唐突に身を乗り出してきた。 「ね、いきなりだけどさ、この後コロッセオに行ってみない?」 「コロッセオ?」 「食べたら運動ってことで。前々からちょっと気になってたことがあるんだよね」 イイコトを思いついたといわんばかりにキラキラと目を輝かせる彼女に、優は二つ返事で承諾を返した。 ◇◆◇ 無限のコロッセオまでの道程に選んだ通りには実に様々な店が並び、カフェや雑貨、アクセサリーショップに花屋、スイーツショップ…と、練り歩くには恰好のスポットだった。 ショーウィンドウの向こうから溢れてくる可愛らしいモノは、どれもこれも綾にとって手を伸ばしたくなるほど魅力的だ。 「ランチしたばっかだけど、あのクレープ屋さんが私を呼んでる気がする」 「綾はデザート頼んでなかったからアリかも」 「アリかな、アリだよね、コロッセオで消費すればいいんじゃないかなって思っちゃっていいよね!?」 笑う優に握り拳で己の正当性を告げ、赤ジャージの裾を翻してクレープ屋へ突撃。戦利品とばかりに得たモフトピア産レッド・フルーツMIXをにんまりしながら頬張りつつ、優の元へ帰還する。 「おまたせ!」 「なんか、見るとちょっとうらやましいかも」 「うふふふふ、うらやましい? “綾さま、どうか哀れなわたくしめにその手にしたモノを恵んでください”と言えたなら、一口分けてやらんでもないぞ?」 「あー……はは、了解。んじゃ、“綾さま、どうか哀れなわたくしめにその手にしたモノを恵んでください”」 「ふおっ!?」 にこやかに応じて綾の空いている方の手をしっかりと握り、上目遣いで哀れっぽく告げる優に、悔しいかな、ちょっと動揺してしまった。 「ユウってそういうコトしちゃうキャラだっけ!?」 「食への飽くなき探求心がオレを駆り立てたんじゃないか?」 はしゃいでる、という単語がふっと頭に浮かぶ。 大人数での悪ノリならいつものメンバーでいつもどおりと言えるけれど、ふたりでこんな風に掛け合うのは少し新鮮かもしれない。 「そういえばさ、ここって気がつくとどんどんお店が増えてるよなぁ」 お気に入りだというシルバーアクセサリーのショップで新作のブレスレットを手にした優は、そこで新たな店の情報まで仕入れていた。 「というわけで、ターミナルならではのショップができたらしいんだけど、行く?」 「行く!」 「それじゃ、寄り道だ」 そう言って彼が指し示すのは、いまだ足を踏み入れたことのない狭い路地の向こう側だった。 その先で何が待っているのか、好奇心がうずいて仕方なくなる。 レンガで舗装された道の先、不意に視界が開けた通りに、その店はあった。 店先に安楽椅子を置き、開け放れたままのドアの前でのんびりと編み物をしている女性が目に入る。彼女は綾たちに気づくと、ゆるりと微笑んで手招きをする。 それに引きつけられるようにして、ふたり共に、リリ…ンと響くドアベルを頭上に聞きながら店の中へと踏み込んだ。 「わわ、セクタン!?」 一体どんな布を使っているのか見当も付かないけれど、ふわふわと今にも空に浮きそうな体で、カゴいっぱいに様々なフォームを模った色違いセクタンぬいぐるみがひしめいていた。 思わず中に両手を突っ込みたくなる《もっふり》加減だ。 「こ、このフォックスフォームの出来、すごい!」 抱き上げたぬいぐるみに思わず歓声を上げる。 「私、この子に決めた! 絶対連れて帰る!」 愛しすぎて囓りたくなるほど可愛らしいフォルムに、ハートを鷲掴みにされた。 「確かにこれは来るかも」 お互い、自分のセクタンのフォームについ目が行ってしまう。 他にも、木製の温かみが伝わる大きな陳列棚や網棚に、様々なフォームのセクタン、それからロストレイルの車掌やアニマル系世界司書のぬいぐるみが仲良く並んで飾られている。 中には鍋掴みやランチマット、コースターといったものまでラインナップされ、両手にあまる大きなモノから、鞄につけたくなるような掌サイズまで、店内はターミナルならではのモチーフで溢れている。 「これは目移りする、目移りしちゃうって!」 「なんだろう、すごく癒やされるなぁ」 ふわっとした呟きと溜息が優から漏れる。 「あー、ユウってモフモフ大好きだもんねぇ。司書さんモフってて気づいたら船の上でしたって言うのもなかったっけ?」 「あった。なんかさ、司書さんたちって魔性の手触りだと思うんだ」 「いやあ、まあ、わかるけども。私はやっぱ、イケメンウォッチの方がねぇ……と、おぉ?」 アンティークのチェストの上で標本箱を思わせるガラス張りの木箱に詰まっているのは、金属っぽい質感の色とりどりなデフォルトセクタンだった。 綾の人差し指の先くらいしかない小さなモノだけれど、天井の明かりを反射してキラキラと光る様は存在感たっぷりだ。 どうやらそれらはビーズパーツであるらしく、標本箱の隣ではストラップになったセクタンがホルダーにぶら下がってこちらを見ている。 「……こ、これはなんというか、すごいよ、うん、すごい、こう、訴えてくるモノがあるね!」 「へえ、いろんなのがあるんだなぁ。それぞれちょっとずつ色味が違うって面白い」 そこでふと、優が思いつきを口にした。 「今日の記念に、とか?」 「あ、いいかも! それでいこっか、ね、今日の記念に!」 綾はフォックスフォームのぬいぐるみを、そしてふたりでデフォルトセクタンをデザインしたストラップをおそろいの色で買い、それぞれの携帯電話にぶらさげた。 指先でちょいっと突いて揺らせば、リリン…と涼やかな鈴の音が鳴った。 「んー、みんなも欲しがったりするかな」 「その時は思い切り自慢しちゃえばいいんじゃん?」 にひひっとイタズラっぽく笑ってみせて、綾はもう一度セクタンストラップを揺らした。 コロッセオまでの道程に、新たに手にした音色が供となる。 ◇◆◇ 「私、一度ユウと本気でバトってみたかったんだよね。それじゃ、いっくよー!」 素手とトラベルギアで手合わせしたいと言ったのは綾だ。 冷たい石造りの闘技場は、鍛錬を望むモノにとって他の誰の邪魔も入らないバトルスペースでもある。 カフェでもなく、ショップでもなく、いまここで心の底から楽しげに生き生きと笑ってみせる彼女に、優は応えた。 拳を交えることでのみ分かち合える何かが、そこにはあるから。 ストリートファイターとして経験を培ってきた綾と、誰かを護るために強くなりたいと研鑽を積んできた優――センスの点で言えば2人はほぼ互角だった。 ただ、そのスタイルに己の性質が反映される。 攻めることを重視した綾の攻撃は、空を切り裂き、ハイスピードで迫ってくる。 上体を倒し、姿勢を低くして、地を蹴り、ダッシュ。跳んで、薙ぎ払うように弧を描いた蹴りを、優の掲げた剣が燐光をまとい、弾く。 鉄板入のシューズをトラベルギアとした彼女の、刃物をも折る威力を殺せる、絶妙なタイミング。 だが、それで体勢が崩れるような彼女ではない。 すぐさま次の攻撃へと転じるのを、勘と経験と持ち前の瞬発力で躱す。 紙一重の攻防。 互いの位置が入れ替わり、真剣な眼差しの中に確かな熱を込めて、繰り広げられる2人のそれはまるでとてもめまぐるしい《乱舞》だった。 どちらが先に、相手に膝を折らせるか。 時間無制限の三本勝負に、息が弾む―― 「んー! やっぱユウは防御が強いよねぇ。全然当んないっていうか、当たってんのに効かないってさ」 「攻撃は最大の防御なんて言葉もあるけど、綾のはすごいな」 互いに笑って健闘をたたえ合う。 今回の勝負、結果は一勝一敗一引き分け。らしいといえばらしい、次を楽しみにしたくなる結果だ。 「それじゃ、次はコンビ組んで模擬戦行ってみよう!」 「了解!」 互いの特性、癖、行動パターンを十分理解した上で生まれるコンビネーションに勝るものはない。 思い切り笑顔を弾けさせ、ひたりと背を合わせて、優と綾はフィールドに現れる《敵》に備えて構えを取った。 ◇ 清々しい疲労感ととともにコロッセオでのバトルを終えた優は、隣に立つ綾へと向き直り、頭を下げた。 「今日はありがとう、綾」 「へ? え、ありがとうって、そんな。私もすっごく楽しかったし!」 改まった礼に、彼女があたふたと顔の前で両手を振る。 そんな綾に、優は言葉を続ける。 「オレ、ずっと考えてたんだ。前の館長が残した言葉、契約した者しか助からないって……アレはどういう意味だったんだろう、とか」 困ったような苦いようなもどかしいような、そんな複雑な思いで優は小さく苦笑する。 「チャイ=ブレに関しても、今まで疑問に思わなかったことが不意に気になりだしてさ」 「そっか、そうだよね。ユウもチャイ=ブレ見てるもんね」 綾もまた、仲間と一緒にアーカイブを探検したあの出来事は深く強く胸に刻まれ、今も時折触れるとざわりとした手応えを感じるのだという。 「アレ見ちゃうとさ、なんていうか、すごい色々考えちゃうし……ユウがそういう気持ちになるのも分かる気がする」 分からないことが多すぎて、不可解なことも多すぎて、けれどソレが明確に提示される気配はまだない。 夢を視ていた建築家は何を知ってしまったのだろう、とか。 前館長とファミリーの間に横たわる確執、何も知らないことを疑問にも思わないままできた不可解さ、破滅と救済と契約の関係、自分たちの行く先――その中で唐突に訪れた世界樹旅団との衝突とか。 あらゆるモノであふれかえった疑問の渦の中で、答えを求めてもがいてみても、その手はいまだ何も掴めていない。 「……たぶん、無意識に焦っていたんだと思う」 でも、と優は告げる。 「綾と今日過ごせて、いい気分転換になったんだ。胸の中の靄が晴れるみたいに。だから、ありがとう」 「え、えへへ」 「またこうやって遊ぼうな、綾」 照れて笑う彼女の前に、腕を突き出す。 「もっちろん! その時は今日の勝負の続きもね! 一緒に楽しいことしよーね!」 コツンと、互いの拳を合わせて。 ニッと互いに笑いあう。 これは約束。 とても大切な、自分たちが今こうしていることの幸福を噛みしめるかのような、違えることのない約束―― 後日。 セクタンストラップの不可思議な魅力にノックアウトされた馴染みの面々が、2人を連れ出して各々のお気に入りをゲットした上、いっそ隊員を募集して《セクタンレンジャー》を名乗った遊びを企画しようという話にまで発展させてしまうのだが、それはまた別のお話。 END
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