「続き、しようぜ」 一二 千志に向かって、古城 蒔也が唐突にそんなことを言い出したのは、ワールズエンド・ステーションの実在が確認され、ロストレイル13号がかの地を目指して旅立ってゆく、新しい始まりと別れが見え隠れするころのことだった。 0世界、ターミナルは、どこかざわざわと熱っぽくざわめいていて、少々、落ち着かない。 12探偵社にも客はなく、鍛錬のために走り込みにでも行くか、などと千志が思いはじめていた矢先のことだった。 「続き?」 「そう。初めて会った日の、さ」 ふたりが初めてあいまみえた日、それは激しい戦いの時間だった。 「手加減抜きの一対一で、負けたと思ったほうが負け、な」 そう提案し、蒔也は彼を、コロッセオへと誘ったのである。 千志はと言うと、終始不思議がった。 「お前との戦いは鍛錬にもなるから構わねえが、しかし、なんでまた急に」 「俺が負けたら、何でも言うこと聞くから」 「……で、俺が負けたら、俺が言うことを聞けばいいのか? 正直、その、聞くべき『言うこと』の間口はそれほど広くねえぞ、俺は」 「ん? あー、その辺はなんでもいいや。うん、なんての、身体を動かしたくてたまらねぇんだよ。だから、ほんというと、その辺は全部口実」 その物言いの中に、奇妙な焦燥感、危機感を覚えつつ、千志は、蒔也に押し切られるかたちでコロッセオのリングへと足を踏み入れる。 しかしながら、戦いの場において、たとえそれが鍛錬であろうとも、油断する、手を抜くなどという行為、気の緩みは、千志の中には存在しない。――常にぎりぎりまで引き絞られていた強弓が、時おり、ほんのわずか、肩の力を抜くすべを覚えたこともまた、事実ではあれ。 「まあ……いい」 内心で首を傾げつつも、千志は無造作に身構える。 「お前のそういうとこ、好きだぜ」 蒔也も、満面の、無邪気で楽しげな――それなのに、なぜか、どこか不吉さを感じさせる――笑みとともに、千志に倣った。 そして、始め、の合図とともに、双方、同時に飛び出す。 千志も蒔也も、近接・中距離戦のエキスパートだ。 千志には『影』があるし、蒔也は素手で触れた非生物物質を任意に爆発させられるという能力がある。 お互いの能力について、客観的かつ正確に認識しているがゆえに、ふたりの戦いは、予定調和すら思わせる、演武めいた流麗ささえ孕む。それはどこか、静かでもあった。 蒔也のトラベルギアが弾丸を掃射する。 千志はそれらを目で追いながら巧みに躱し、地面から影の槍をひと息に立ち上がらせる。「おっと」と笑いながら蒔也がそれらを避けるころには、千志は彼の懐へと飛び込んでいる。 トラベルギアであるガントレットに固められた拳が蒔也を襲うが、蒔也はまるで踊るような気軽さでくるりと回転し、それを躱した。と、同時に背筋を悪寒が走り、跳んで後退した瞬間、つい先ほどまで千志が立っていた場所が小規模な爆発を起こし、吹き飛ぶ。 「……油断も隙もないな」 「だから、面白ぇんだろ」 相変わらずの蒔也の物言いに苦笑しつつ、そうか、と千志は頷く。 頷きつつ、地面を蹴った。 まっすぐに突っ込んで行く、と見せかけて、膝のばねを活かして何度かフェイントをかけ、蒔也の意識がこちらへ向いている隙に影を操って、蒔也の死角から『槍』を突き上げる。 が、千志の行動そのものを読んでいた節のある蒔也は、 「千志だって、油断も隙もねぇじゃん」 けらけらと笑いながら、後ろへくるりと回転し、避けた。 その後も、似たような攻防が延々と繰り返された。 実力は五分。 運動能力としても、異能のパワーバランスとしても、どちらが勝っても負けてもおかしくない程度に互角だ。 テクニックでは『影』を操っての精密な攻撃が可能な千志が、規模の大きさでは爆発の範囲をある程度操れる蒔也が勝るものの、それらは互いの特技に相殺され、決定打にはならない。 蒔也がサブマシンガンを掃射すれば、千志は『影』を巧みに操って躱し、千志が接近戦に持ち込もうとすれば、蒔也は周囲を爆発物に変えて千志の行動を阻害する。 そんな戦いが、数時間にわたって展開され、 (――……妙だ) 千志は奇妙な疑念に囚われはじめていた。 蒔也の、戦いに関するセンスを、千志は疑っていない。 それは、『敵』を――『破壊すべきもの』を見定め、実行に移す、工程のようなものだ。蒔也の中には、その工程表が、自然と備わっているといって過言ではない。 しかし今、その工程表に、ほころびが見られるのだ。 あと一歩で届く大事なところで退く。 踏み込んではいけないところへ踏み込み、間一髪で逃れる。 普段では考えられないような、危険な位置に死角を発生させる。 それらは時間にすればわずかのことで、蒔也であれば、それほど大きな問題ではないのかもしれない。 (考えごとでもしているのか?) しかし、これが本当の戦場であれば、今後蒔也が窮地に陥ることもあるかもしれない。 どこかで指摘すべきなのか……などと思案していたさなか、ふと、千志は、ワールズエンド・ステーションの実在が証明され、ロストレイル13号が旅立ち、時間はかかるかもしれないが、望む者はいずれ故郷を見つけ出して帰ることが出来るだろうという大々的なアナウンスがあった直後の、蒔也との会話を思い出していた。 (なあ、ワールズエンド・ステーションが見つかったらさ) (ああ?) (お前も、帰っちまうんだよな?) (そうだな。俺の目的は、故郷でしか果たせないから。――お前は? 帰らないのか?) (んー、どうしよっかなあ。けっこう、悩んでるんだよなー) (個人個人の裁量だ、それは当然だろうさ) (そっか……千志、帰っちまうのか) あの時に見た、残念そうな、頑是ない少年のような蒔也の顔を、千志は今でも覚えている。 自分が去ることに孤独を感じているのか、そのせいで注意力が散漫になっているのか、そんなふうに考え、しかし何か違うと思い直す。 それでは、あの、不可解な焦燥感、危機感の説明がつかない。 千志は、本能めいたそれらの感覚、自分自身の察知能力を疑ってはいないのだ。 おりしも、戦いは佳境を迎えつつあった。 『何か』を警戒しつつも、千志は『影』を操り力を練り上げて、茨の牢獄めいた『兵器』をつくりあげている。その眼の前で、目まぐるしく動き回りながら、蒔也はリングのあちこちに触れ、『罠』を形成している。 「そろそろ、仕舞いかな」 「だな。全力で来いよ、俺も全力で行くからさ」 「お前の全力は怖いな……ただじゃすまなそうだ、俺もお前も」 「いいよ、殺すくらいで。そうじゃなきゃ、楽しくねぇじゃん?」 蒔也が明るく笑う。 その笑顔にも、妙な違和感を覚え、千志は胸中で首をかしげる。 何かある。 それは確かだが、 「行くぜ、千志!」 やる気満々の蒔也が高らかに宣言すれば、深く考えている暇などなくなってしまう。 同時にリングのあちこちが轟音を立てて爆発しはじめた。 「これほど広範囲に仕掛けてたのか」 それは、螺旋状に渦を巻きながら、徐々に千志へと肉薄してゆく。千志を包み込み、圧殺しようと言わんばかりの『罠』だった。 本気で殺す気か、と苦笑しつつ――何せ、蒔也の殺意はほぼイコールで愛と結びつくため、怒る気にはなれない――、殺されてやるわけにもいかないので、千志は走り出す。 蒔也の懐へ向かって。 同時に、千志が編み上げた『兵器』が解き放たれ、影茨の牢獄が、螺旋を描きながら蒔也へと迫る。影の茨は鋭い棘を備えている。これは、『獲物』を捕捉すると影の針を撃ち出す機能を持っている。要するに、この牢獄に取り囲まれれば、逃れるすべはないということだ。 ただし蒔也の場合、爆破の能力があるため、回避は困難ではない。 周辺に触れているところも目にしている。影が近づけば、彼は爆発の力を解き放つことだろう。 千志の行動はそれゆえでもあった。 蒔也が千志の牢獄を爆破し、逃れる時に生じる隙をつき、蒔也の動きを封じることで爆破を解除させようという狙いである。 「お前といると、日々退屈しないな」 苦笑しつつ真正面から飛び込む。 その直後、捕食者の獰猛さで影茨の牢獄が展開され、蒔也を襲う。 ――しかし、爆発は起きなかった。 そこだけ、仕掛けたと見せかけて、蒔也は手を触れていなかったのだ。 「……ッ!?」 当然、爆発によって吹き飛ばされることで、蒔也への大きなダメージを回避できると踏んでいた――そこには死も含まれている――千志には寝耳に水である。 が、息を飲むと同時に、何とはなしに予想していたことでもあった。 ちらりと見やった先で、蒔也は無邪気に笑っている。 死への恐怖などというものは、そこからは遠い。 (帰っちまうのか、千志) 蒔也の声が脳裏をよぎる。 おそらくは、そういうことなのだ。 蒔也は、わざと千志を誘い込み、彼に自分を殺させるつもりでいたのだ。 それゆえの、唐突な『続き』だったのだ。 「っぶねぇ……ッ!」 意識の半分は、『何か』を警戒していたことが功を奏した。 千志は間一髪、蒔也に向かって跳躍し、彼の身体を引き倒すようにして影茨の牢獄が雨と降り注がせる、無数の影針を回避した。 音源を異にする轟音が響き、しばらく経って沈静化する。 その間、千志と蒔也は、折り重なるように倒れていた。 「……お前、わざとだな。俺にお前を殺させてどうしたかった。――俺の心を壊してみたいとか、そんな理由か」 ややあって起き上がり、衣服に付いた砂礫を払いつつ、溜息とともに言う。蒔也はというと、びっくりするくらい膨れていた。悪戯が、その仕掛けた対象によって阻止された時の、子どもの顔によく似ている。 「なんだよ……なんで邪魔するんだよ。いいじゃん、そのくらい」 「馬鹿か!」 悪びれないどころか、何が悪かったのかも判っていない風情の蒔也を、千志は珍しく、感情をあらわにして怒鳴った。千志の、そういう感情の荒ぶりを――しかも、対象は自分である――目にすることは珍しいので、蒔也が目を丸くした。 「な……なんでそんな、怒るんだよ。別に、俺は俺だし、お前はお前じゃん」 「俺を内面から壊そうとした奴の言いぐさか、それが。だいたいにして、簡単に命を棄ててしまおうとするやつを、放っておけるか、馬鹿!」 千志の説教を膨れながら聴いていた蒔也だったが、命を捨てる、の下りでさらに頬を膨らませた。 「なら」 「なんだ」 「なら、お前、何のためなら死んでもいいんだよ」 まっすぐな、てらいのない問いに、千志は唇を引き結ぶ。 「お前さ、自分のやるべきことを果たすまでは死ねねぇーとか言うじゃん。んじゃ、それ、やり切ったら死ぬのかよ? 別にそれ、俺と違わねぇんじゃねーの?」 拗ねた二十代後半ほど厄介なものはない。 しかしそれは、いずれ自らにも問うべきもので、千志はすっと精神から熱が引き、凪が来るのを感じ取っていた。 「……そうだな」 小さくうなずく。ぼろぼろになったリングに座り込んだまま、蒔也が千志を見上げる。 「覚醒する前の自分だったら、そうだっただろう。つとめを果たすと同時に、罪の贖いとして死を選んでいても、おかしくはなかった」 救いたくて殺し、殺したがゆえの償いとして誰かを救おうと足掻き、また誰かを殺した。その罪は、おそらく、一生千志について回るだろう。誰が彼を許そうとも、彼の魂にこびりついたそれらは、いずれ千志を殺す種にすら育つのだろう。 「だったら、」 「ターミナルは、面白い連中の吹き溜まりだ。いろんな考えかたのやつがいて、いろんな喜びがあって、いろんな幸せがある。希望にも、いろんな種類がある。俺は、覚醒して、そのことに気づかせてもらったから」 しかし、0世界に来て、ターミナルに暮らして、様々な人と出会った。 その結果、それまでとは少し違う考えかたを持って生きようと、千志は考え始めていたのだ。 「具体的には、どういうことだよ」 叱られたことが思いのほかショックだったらしく、鼻を啜りながら蒔也が問う。そんなにショックを受けるくらいなら最初からやるなよ、と胸中に溜息をつきつつ、千志は苦笑する。 「一生かけて、より多くの人々の助けになる。ただ罪悪感に圧されてではなく、自分自身の希望のために」 彼の拳は、たくさんの命を奪った。 おそらく、これからも奪うだろう。 しかし、同時に、たくさんの人々を掴み、支え、救った。 別段、感謝されることを望んでいるのではない。 自分の手に救えるものがあること、掴める何かがあること、その手で切り開ける世界があることに気づくことのできた、結果そのものを貴び、感謝もするのだ。 「だから、いつ死んでもいいとは、思わない。今は、決して」 きっぱりと言い切ると、蒔也は膨れたまま黙り込む。 そこへ、千志は声をかけた。 「そうだ。なあ、蒔也」 「……なんだよ」 「元の世界に帰るとき、お前もいっしょに来ないか」 千志の言葉に、蒔也は目を真ん丸にした。 どうやら、誘われるとは思わなかったらしい。 「元の世界じゃ、辛いことのほうが圧倒的に多い。それは予測済みだし、納得もしてる。でも、味方でいてくれるやつがいるなら心強い」 「べ、別に俺、お前の味方とかじゃ……」 「だけどお前、俺のこと、好きだろう」 「……お前、なんか変わったよな。お前にそんなこと、言われる日が来るなんて、俺、思わなかったわ……」 「経験則ってやつだ。お前の愛情が物騒だってのは、お前の周囲を見ていても、判る」 「道を見出したがゆえの余裕ってやつかよ。うわ、なんかハラ立つ!」 「余裕なんかじゃねぇよ。ただ……そうだな、覚悟ってやつではあるかもな」 それから、どうなんだ、と首をかしげると、 「えー、あー、うーんと、そうだなあ……」 珍しく、蒔也は悩み、迷う風情を見せた。 理由は判る。 裏社会の、巨大組織のトップである、育ての親のことがあるからだ。 千志の理想と、古城重左の思惑は必ずしも一致しない。いずれはぶつかることもあるかもしれない。そうなったとき、自分の心のありよう、自分が取るべき行動、それらが引き裂かれる可能性も、否定はできないのだ。 「無理強いはしない」 それが判るからこその言に、蒔也は彼を見上げた。途方に暮れたような、少年めいた表情だった。 「……お前、俺がいたら助かる?」 「そうだな。精神的にも、戦力的にも」 「俺のこと、好き?」 「お前は本当に率直だな。この際だから言うが、いくらなんでも、嫌いなやつを味方にしたいとは思わないし、いっしょに行こうとも言わねえぞ、俺は」 「――……そっか」 蒔也はそのあとも、長い時間迷っていたようだった。 コロッセオを辞し、並んで塒へ帰る間も、蒔也はずっと無言だった。 しかし、 「……いいぜ」 賑やかな商店街を抜け、12探偵社が近づいてきた辺りで、ぽつりと言った。 「ん?」 「お前について行ってやってもいいぜって言ってんの!」 蒔也にとって、裏社会は、己が人生の大半を占めてきた世界である。千志についてゆくことは、つまり、そこから完全に離れることに他ならない。それゆえに悩み、逡巡したであろう蒔也が、最終的に下した決断に、千志は静かな微笑みを浮かべた。 「……そうか」 「その代わり、ちゃんと面倒みろよな!」 「もちろん。ありがとう、蒔也」 千志の言葉に、蒔也は詰まり、赤くなり、視線を泳がせたあと、 「判ってんなら、いいんだけどよっ」 認めたら負けだと言わんばかりに、千志の背中を力いっぱい叩いた。 「……痛ぇ」 「痛くしてんだから当然じゃん」 千志が顔をしかめると、ようやくいつもの調子が戻ってきたと言わんばかりに蒔也が笑う。そんな蒔也を見て、やれやれとばかりに千志も笑った。 ――そうして、新しい道は構築される。 それは結局のところ、新しい苦難の始まりでしかないのかもしれないが、少なくとも、ひとつの夜明けと称すべき、門出の時でもあるのだった。
このライターへメールを送る