蜂の巣のような無秩序に建てられたビル、地上を覆うのは路上店、人々の喧騒……今日は一段と慌ただしい路を黒塗りの高級車が走り抜ける。 渋滞にひっかかり車が停止する。今日で十何度目の事態に運転手はため息をついて背後にいる主に話しかける。「申し訳ありません。予定のお時間が」左右を屈強な男に守られているチャイナ服の少年は鷹揚に頷いた。「良い。この程度の遅れで文句は言うような男ではない。……そういえば、昨日、ここ一帯の地区が停電したそうじゃの。発電所が襲われたとか、犯人も捕ま……ドアを開けろ!」 少年が声をあげると右にいる部下は咄嗟にドアを開け、その背を守るべき主人によって突き飛ばされた。地面に転がされた彼が見たのは、突然の炎だった。車の背後から何かが――ロケットランチャーだ。撃ちこまれ、紅蓮の炎が車を包みこむ。インヤンガイでは乱闘も、殺しも日常茶飯事だが、昼下がりの路上で、ここまで堂々とした襲撃ははじめてだった。「ボス! ……っ!」 風を切って、二つの弾丸が彼の肩を襲う。突き刺さるのは銀の楔。 鋭い銀製の巨大な針が彼の両肩を突き刺して、壁に縫いつけた。「っ! 誰だ、お前たち!」 激痛に悶えながら彼は叫ぶと、燃える車に混乱した人々のなかから二丁のライフルを持った男が現れた。「鳳凰連合のボス、仕留めさせてもらったぜ? お前が、狂犬のリュウ? 噂ほどもないな」 黒髪の顔の整った青年がからからと笑うのに壁に縫いつけられ、大量の血を流しながらも肉体の拘束を解こうと暴れるリュウはまさに狂犬のように吼え、唸る。「お前は……ロイド? では襲撃したのは……きさま、きさまぁあああ! 殺す、その首、かみきってくれる!」「両肩を鉄に貫通されたのに元気な奴だな。オイ、オーガスト、こいつの始末を頼む。残りの護衛を俺は始末する」「わかった。ロイド、ぐれぐれも油断……っ!」「オーガスト、どうし……!」 襲撃者である二人の男は絶句した。燃えさかる炎のなかに人が立っている。それも両手に持っているのは撃ちこんだはずの弾だ。「流石に、少しばかりわしもひやりとしたぞ?」「……鳳凰連合のフォンは化物だというが、まさにその通りだな」「これは、返すぞ。若造ども」 二人の襲撃者の皮肉に、燃えさかる炎のなかに立つ化物は笑って両手に持つ弾を投げた。「っ! ロイド、その狂犬を連れて逃げるぞ」 爆発音とともに、黒い炎が燃え上がり、その一帯を混乱と恐怖が覆う。★ ★ ★ 鳳凰連合のボスが乗った車にランチャーが撃ちこまれるという過激な襲撃事件発生。鳳凰連合組織の長は重体、護衛三人が死亡。 穏やかな午後に起こった事件は、僅か半日で地区の端から端まで駆けまわった。★ ★ ★ 仮面探偵フェイの探偵事務所に鳳凰連合の相談役であるリョンが訪ねてきたのは事件が発生した一日経った午後のことだ。「犯人はわかってるんだがな。このニュースを手回ししたやつのせいで屋敷は警察が見張るし、銀行に預けてる金も押さえる……まるで首根っこ掴まれた犬みたいに動けねぇ」「フォン様は無事なんですか」「私なら無事だ」 フェイが顔をあげると、いつの間にか店の入り口に黒いチャイナ服の男が立っていた。「子供の姿は損傷が多くてな。機械化したところや、術を解いたりして生身しか残らなかったがな」「贅沢な台詞はいてるんじゃねぇよ。フォン」 リョンの言葉にフォンははソファに腰かけると、肩を竦めた。「この姿、あまり晒したくないが、これもアデルの作戦だろう」「アデル? 待ってください。アデルというとヴェルシーナの?」「そうだ。今回の襲撃事件の犯人はヴェルシーナのボス、ハワード・アデルだ」 五大非合法組織――鳳凰連合、美龍会、ヴェルシーナ、黒耀、暁闇。数年前に和平を交わし、形ばかりの平和が保たれていたが、それもここ最近突然出現した新種の麻薬【夢の上】によるトラブルから均衡が失われつつあった。 ヴェルシーナは五大非合法組織のなかでも異端であった。二十年前に非武力を宣言、その後は他組織のような武力競争には一切手を出さないことで有名であった。元々、ヴェルシーナは上流階級、弁護士、検事、警察、政治家との繋がりが強く、裏組織の問題ごとを金によってカタつける便利屋であり、他組織に恩を売ることで平穏を勝ちとっていた。そのバッグに鳳凰連合が存在することも大きい。【夢の上】に関するトラブルも、唯一傍観に徹していた。 しかし、ヴェルシーナは今になって鳳凰連合に牙を剥いた。 たった三人という少人数で、フォンの乗っている車を背後からランチャーで襲撃、護衛を二人殺害ののち、リュウに重傷の怪我をさせ、攫っていった。――それがニュースで報道されなかった真実。「君なら、必ずここに来ると思っていたよ。フォン」ハワード・アデルの姿にフェイは反射的に立ち上がり、リョンは歯を剥きだしに唸った。「てめぇ一人で顔を出すとはいい度胸だな。うちの犬っころは元気か?」「そうカリカリするな。リョン。余裕がないことが丸見えだぞ。それではつまらないだろう。まだゲームははじまってもいない。……あの犬は実にいいな。拷問したが悲鳴の一つもあげない」 ハワードの挑発にフォンは表情ひとつ変えず、問うた。「……ゲームといったが、なにをはじめるつもりだ」「カルナバルをはじめよう。……まずは賞品を用意しなくては、な」 その言葉とともにカチッと何かが弾ける音がどこからか聞こえた。「フェイ、伏せろ!」 リョンが叫ぶよりもはやく、フェイの横腹が抉れ、大量の血が部屋いっぱいに散る。「――え? あ……!」 フェイの体がずるりっと床に倒れ込む。 見ると事務所の窓が粉々に割れ、数メートル離れたビルにきらりと輝くスコープの存在していた。「カルナバルの賞品は、彼がいいとの要望が多くてね。【夢の上】のデータがない今、正確なデータを持っているのは彼しかいない。それに忌目持ちは大変貴重だ。オーガスト、死なないように、丁重に運んであげてくれ」 その言葉にスーツの男が室内に入ってくると、撃たれたショックに痙攣を続けるフェイの体に近づき、素早く注射を打ち、抱きかかえて出て行くのをフォンも、リョンも止めることは出来ない。「カルナバルは君も知ってるだろう、フォン」 カルバナル。金持ちがはじめた非合法の賭け遊び――犯罪者を使い、バトルロワイヤルをさせ、誰が勝つかを予想する遊び。それが組織ぐるみのゲームとなったのは二十四年前、五大組織は和平を結びはしたが、組織同士によるぶつかりあいが勃発、深刻な戦争への進展を避けるために設けられた応急処置として提案された。二つ以上の組織が深刻な対立関係になった際、開催される殺し合い。各組織から多額の参加費と腕利きの殺し屋を出しあって、殺し合いをさせて勝敗を決めることで怨恨もなく解決させるというものだ。カルバナルが開催され場合は、問題の組織以外の参加も許可される。開催した組織は否定することは出来ない。もし否定した場合はその地点で敗北が決定し、賭け金をすべて没収される。参加者は平等性を保つため、カルバナル開始から終了まで組織の援助は一切受けられず、その際持てる金、武器の量にしてもおおざっぱにだがルールが定められている。「今回のカルナバルは、五大組織と残り二つ、ハオ家と、パラダイスも参加する」 ハオ家は、有名な呪殺師の一族だが、最近では衰退の一手を辿っている。ここ最近はお家復活のためにも【夢の上】の偽物をばらまいていた。参加商品にフェイを希望したのは「夢の上」を諦めていないこと、また忌目を欲しさからだと予想できる。 カジノ、パラダイスは膨大な金と力を有していたがマフィア嫌いのヘル・アイズは永久中立を宣言し、どの組織とも手を結ぶことはなかった。属する者は計算高く、ボスと同じく快楽主義者が多く存在するが、全員が共通してマフィアを毛嫌いしている。つい最近、ボスであるヘル・アイズが鳳凰連合の者の手によって殺された恨みが彼らにはある。「これだけの大掛かりな人数となっては殺し合いでは決着をつけるのは大変な時間と金がかかる。だからシンプルにしよう」「どうする」 フォンが尋ねた。「祭りの期間を定め、その間にターゲットを決めて、それを殺した者が勝ちとする」「……誰を殺す?」「期限は三日。ターゲットは咎狗のレディ・メイデン。私たち裏組織の最大の敵であり、殺しても殺し足りない女! どうだ。素敵だろう? 政府にしても、あの女のことは持てあましているようだからね。殺してくれと歓迎されたほどだ」 政府に飼われながら、実に皮肉なものだな、とハワードは笑う。「……私は参加するしかない、ということか」 賞品とされたフェイを助けるためにも、また挑まれた以上、拒否すれば鳳凰連合はその地点で負ける。 負ければ、多額の負け金を支払うことになる。今の鳳凰連合にはそれだけの余裕はない。「そう。けれど、君が参加してはそれこそ不平等だと思わないか? だから君にはその姿になってもらったんだ。……私はフォン・ユィション、君を犯罪組織のボスとして訴える。子供の姿になって政府の目を逃れ続けてきたが、生身の、国家叛逆者である君では逃れようがないだろう。既に外に迎えが来ているよ」「……お前が金を握らせた検事と弁護士の前に引きずられ、お前の証言によって殺されるか。まぁ、犯罪者であるからな。なにも間違ってはおらん」「なに言ってやがる!」リョンが噛みついた。「テメェを殺してやる! ハワード! よくもまぁ、ここまで計画したもんだ! 鳳凰連合を完全に潰すつもりか! なら、ここでお前を殺してやる!」 激昂に駆られるリョンをフォンの手が制した。「落ちつけ、リョン。外にスナイパーが控えている、動いたらお前も撃たれるぞ。それにお前がここでハワードを殺したら、それこそ反則負けになる。それに、ここまで首尾よく一人で出来るはずがない……そろそろ顔を出したらどうだ」 フォンがドアに一瞥を向けると、そこから鳳凰連合の幹部であるレイが険しい顔で現れた。その傍らには黒耀重工に属する女傭兵のアメリがいた。 この場にいる者にレイの裏切りを理解させるのは容易い。レイが黒耀重工に鳳凰連合、ひいては【夢の上】についての情報を流していたのだ。「裏切りにいつから気が付いた? ああ、元軍人の絆ってやつか? フォン、確かに、あの組織で裏切るとすれば外から来た俺だけだな」「レイ」 アメリが気遣うのにレイはその肩を叩いた。「心配するな。アメリ……俺はあんたたちを許しはしない。理想を振りかざして、結果はなんだ? ……だから壊すことに決めたのさ。ずっと憎んでいた、俺の母を狂わせたあの男。殺す前に勝手に死んだ。次は組織だ」「……私はただ、平和がほしかった。それだけだ。しかし、古いものが続くはずもない。いずれは破壊されるか。よろしい。受けて立とう。ゲームにはお前たちも参加するんだな」「ボスともども参加する。他組織もほとんど、ボスが出るそうだ。ここまで正々堂々と他組織のボスを殺せるチャンスはないからな? あんたを、愛した男を私の手で潰せないのは残念だと、ボスが……煉火から託された。あんたからはなんかないのか?」「お前のその執念にはうんざりだ。女狐……はやくくたばれと伝えておけ」 レイはそれだけいうとアメリと去って行ったのをフォンは見送り、疲れたため息をつくとハワードに向き直った。「ハワード、お前と私は長いこと友人だった。だから一度だけ聞く。言いたいことはないか?」 ハワードは一瞬だけ迷った顔をしたが、すぐに首を横に振った。「私は君を完全に潰す。法的に、暴力的に、完全に、だ。それ以外は選ぶ道はない」「そうか。なら、ゲームを互いに楽しもう。最後まで、な」
空は灰色の雲に覆われ、冷たい風が吹くなか坂上健と吉備サクラはオウルフォームのセクタンを空へと放った。 「ゆりりん、お願いね」 「ポッポ、頼むぞ」 サクラは、敵の確認後、幻術を使っての撹乱を狙うのに対して健はある一つの考えから誰よりもはやくレディ・メイデンを見つける必要があった。 「ここから離れるぞ。敵に見つかるわけにはいかん」 百田十三の言葉に、全員が従った。一つのところでじっとしていては狙ってくださいといっているようなものだ。 スタート地点の駅の裏口から移動して近くにあった廃屋に身を隠した。 「みな、これを」 百田十三が差し出したのは人数分あるイヤ―クリップ型無線機。 「百田さん、サンキュ」 健が真っ先に受け取る。サクラと森間野・ロイ・コケも受け取るなかで黒いドレス姿の死の魔女は片眉を持ちあげた。 「まぁ、それをつけなくてはいけませんの?」 「連絡はノートがメインだが、咄嗟のときはこちらのほうがいいだろう」 今回のゲームのルール上、全員での行動はまずありえないなか十三が気にしたのはサクラの幻術と死の魔女の力だ。味方であれば心強いが、もしものときは厄介な敵に変貌してしまう。 「あと、護法符だ。一度だけ、どんな攻撃からも守ってくれる」 ロストレイルで作った護法符を渡し終えた十三は厳しい表情で続けた。 「俺は他の参加者の失格を狙う。失格者が殺しても意味がないからな」 「じゃあ、一人で動くんですか?」 サクラが問いかける。 「基本はそうだ。ノートでこまめに連絡するが、いざとなったら無線を使え。俺の能力から言ってハオ家と戦うのが適任だろう。もし、旅団が参加していれば、それも引き受ける。パラダイスと黒耀の銃使いには気を付けろ」 「あの、だったら私、お手伝いできると思います」 サクラがおずおずと申し出る。 「私のトラベルギアは幻術を使えるから、私たちをブチ猫にして、事情のありそうなヴェルシーナの方は黒猫にして護って、他の人たちはメイデンの幻覚を被せれば相打ちしてくれると思うんです。そのためにゆりりんを飛ばしたから」 「俺はメイデンを見つけて説得する」 「説得? コケは、ここにメイデン、殺しにきた」 コケが問い返し、金色の目がじっと健を見つめる。 ナラゴニアからの帰還後、まだ体調は万全の状態ではないが、世話になったフェイを自分の手で助けたい。そのために、最悪自分の手を汚すことも覚悟してコケはここに来た。 「それはよせ」 「待ってくれよ、コケ」 十三と健が揃って声をあげる。 「あら、なぜですの?」 死の魔女がけらけらと笑いながら小首を傾げた。 「コケさんのような覚悟もなく参加したのかしら?」 「覚悟はしてるさ。これに参加した以上、誰かは必ず死ぬのは覚悟してるさ。けどよ」 盗聴を警戒し、健はそのあとノートに自分の考えを必死に書きつづった。 『一番、助けてくれそうなやつを助けられるなら助けたいじゃねぇかよ! そう考えて何が悪い! 鳳凰連合も、ヴェルシーナも、メイデンもだ!』 「まぁ、いつの世も殿方は欲張りですこと」 死の魔女は骨の手を伸ばして健の頬に触れる。まるで死の優しさを教えるように。 「方法をお考えで?」 『メイデンを手伝うかわりに、死んだふりをしてもらうのさ。あの人、変装とか得意だからな』 「それにだ。俺たちが手を下すことは、世界に悪影響を及ぼすかもしれん。健が言う様に、協力出来るならばしたほうがいい」 十三の冷静な意見に死の魔女はつまらなさそうに肩を揺すった。 「敵のピアスをゲットしたら、俺に回してくれよ。出来る限りいじってみる。まぁ本業のあの人に渡したほうが活用してくれるだろうけどよ。協力できるならしようぜ。仲間だろう?」 「わかった。コケ、協力する」 幼子の姿であるコケは敵との接近戦では油断を狙っての不意打ち以外では絶対的に不利だ。何度か依頼で一緒になった健か、ナラゴニアで助けてくれた十三のどちらかと一緒に行動をともにしようと考えていた。 「私はどうしましょうねぇ」 「死の魔女さん?」 サクラが怪訝な顔をするのに死の魔女は高らかに笑う。 「私、もう死んでいるのですわ。ですから、ここでリタイア、失格なのですわ。あらら、私としたことが本当にうっかりしてましたわ。ケラケラケラ!」 死の魔女は愉快げな、視線を仲間たちに向けた。 「仕方がないので私は零れ落ちた駒として好きにさせていただきますわ。後のことはみなさんにお任せしますわ」 「おい」 健が呼びかけも無視して死の魔女はすたすたと歩いていく。 「……仕方がない。ノートで連絡していればある程度はわかるだろう。もしものときは無線もある」 「そっか。そうだよなぁ」 ぼりぼりと頭をかいて健がぼやく。 「そろそろ移動したほうが良くないですか?」 サクラが提案したとき、耳が痛いほどの爆発音に全員がぎょっとした。 「近いぜ! ポッポを行かせる!」 「……俺も火燕を出そう」 健と十三が目撃したのは駅から数分進んだ先にある路地が真っ赤に燃える炎に包まれた地獄で、繰り広げられる死闘だった。 「あっ!」 健が声をあげる。 炎のなかに見知った顔――レイを見つけたからだ。レイを含めて四人、応戦するのは三人。 どちらも一歩も引かない激しい銃撃戦を繰り広げるなかでレイは何かに気が付いたように顔をあげると片腕に持つライフルを上へと向けた。 「いかん、健、ポッポを逃がせ!」 火燕と視界を共通していた十三が声を荒らげる。 迷いのない銃弾が貫いた。 健はぐらりと崩れる。咄嗟に視界を切り替えたが、レイのライフルはポッポを狙っていた。 「ポッポが撃たれた! ど、どうしたら」 「安心しろ、火燕がかばった」 太い声で十三が混乱する健を落ちつかせる。 視界を共通した火燕が撃ち落とされたのに十三の顔は険しい。目で味わった恐怖は健と十三の精神を痛めつけた。 「悪い、俺のせいで」 「大丈夫だ。しかし、こちらの手の内を読んでくる者もいる以上、警戒も必要だろう」 「……なんでだよ。レイ」 健は拳を握りしめて吐き捨てた。 健と十三が用意した携帯食を分けたあと、各自行動を開始した。 サクラは心配する仲間たちに一人でも平気だと言いきった。 「猫が集団で動いていたら変に思われるかもしれませんから」 ゆりりんの目で探しだした敵に必死に幻術を被せることに専念するがトラベルギアの能力には制限が付くので、地区にいる参加者全員に幻術をかけるのは不可能だ。だからサクラは怖くても他組織に接近する必要があった。 「せめて、ヴェジーナの方に会えれば」 サクラの目的はヴェジーナへの説得だ。 銃声が聞こえるたびに震えが走るが、必死にゆっくり、ゆっくりと歩く。 サクラは、荒事とは無縁な壱番世界の、ちょっとオタクな女の子だ。 (怖い……でも、ずっと同じ場所にいたら、幻覚使いだとばれちゃう) 安全かもしれない一か所に留まってひたすらにこの三日を乗り切りたいのが本音だ。けど、それだと参加した意味がない。 「大丈夫、大丈夫」 十三から護法をもらったから一度だけならば大丈夫だ。危ないときは逃げればいい。ここでがんばらなかったら、いっぱい人が死ぬかもしれない。 それがサクラを奮い立たせる。 「せ、せっかくだから、マフィアのコスプレでもすればよかったかなぁ」 震える唇で、必死に恐怖を拭う台詞を吐き出す。 「あっ」 ゆりりんの目が、捕えた。 子供の姿で油断させて情報収集するというコケの援護を健は買って出た。 コケは事前にノートでの連絡をスムーズに進めるため――咄嗟のときの暗号を提案した。死の魔女はその前にさっさと単独行動をしてしまったが、イヤホン越しに聞こえているはずだ。 ○はメイデン発見。 ×は困難に遭遇し、助力が必要。 △は他参加者と遭遇、連絡の必要有。 「健もつける?」 「ああ、ありがとな」 コケはかたい葉っぱを生み出すと、自分の両耳を隠して更に髪の毛で隠した。音が聞こえづらくないかも確認済みだ。 「十三たちは、まだ移動中だよな」 「うん」 ノートと受信機を交互に見ていた健はポッポの目で見つけたそれに顔を強張らせる。 「コケ、ちょっと走ってくれ」 「うん? どうした、健」 健は白い白衣をひらめかせて、走りだす。 路地のなかに一人で佇むレイを見つけた健の頭に血が昇った。 「レイ!」 声の限り、健は叫ぶ。 「何で……リュウを助けようとしたのに、どうして!」 レイの瞳がじっと健を見つめた。健はじれったくなり前に出る。 「健!」 コケが叫ぶ。 健は横から飛び出してきたアメリに不意打ちをつかれて地面に転がる。慌てて立ち上がり、トンファーを構え、二撃目を受ける。 「トンファーはな、最強武器なんだぜ!」 くすっとアメリは笑うと、トンファーを手で掴んだ。てこの原理で動けなくなったために防御の態勢が崩れた健の顔に容赦のない掌打が放たれる。 「がっ」 鼻血を流して倒れた健は必死に立ちあがる。奥歯も折れた可能性がある。 「健!」 「来るなっ! レイ、今ならお前だって、戻れ」 顔をあげたとき、健の心臓に衝撃が走った。 撃たれた。――レイの持つライフルで。 そう理解した健の身体は僅かに浮いて、地面に仰向けに倒れた。 コケは身をかたくする。 「アメリ、そのチビを殺せ」 アメリが悠然と向かってくるのにコケはじっとしていた。小さなコケに完全に油断している。そのときを待っていた。 「きゃあ!」 コケは毒の花を咲かせて、アメリを攻撃する。毒によってアメリがよろけるのに撃たれたはずの健が立ち上がった。十三の護法で守られたのだ。立ち上がるタイミングで、持ってきたありったけの催涙手榴弾を放つ。一つだけあるガスマスクをコケにつけると両手で抱えて健はその場から逃亡した。 死の魔女はのんびりと歩いていた。 もうすでに失格になったのだから、なにも恐れるものはない。まず『お友達』を作るために墓地へと赴いた。 お友達、お友達ですわ……軽やかな歌声を漏らし、ステップを踏んで踊る。 一人ぼっちの魔女の孤独なダンスに手が伸ばされる。 「うふふふ」 お友達と魔女は踊る。軽やかに、楽しげに。 お友達、お友達ですわ……! 死の魔女は一曲、踊り終えると、相手をしてくれたお友達にとびっきりの笑顔を浮かべ、スカートの端を持つと頭をさげる。この場にいるお友達からぱちぱちぱち……砕けた骨、肉を打っての賞賛。 「さぁて、そろそろ新しいお友達はいるかしら? まぁ……これ、かしら」 発信器を頼りに死の魔女は、そこで長時間動かないものに目星をつけた。 「さぁ、行きましょう」 お友達を連れて魔女は歩きだす。 これから、うんとお友達を増やさなくてはいけませんわ。まぁ、素敵。素敵ですわ……順調に見つけては、お友達を増やしていく死の魔女は御満悦だったが、路地を曲がったところで十三と鉢合わせてしまった。 なんと彼は半殺しにした他の参加者をご丁寧にもピアスを破壊した上で、式神を使って運んでいる。 「袁仁招来急急如律令……別の地区に移せ!」 「なんてことをするのですの!」 死の魔女は叫んだ。これでは私の壮大なお友達計画が頓挫してしまいますわ! 「お前は」 「まぁ、ごきけんよう。十三さん。……なんとも生ぬるいことをしてらっしゃるのですわ。これは殺し合いですわよ?」 眉根を寄せて死の魔女が睨むのに十三は顔色一つ変えず、受け流す。 「殺さずともいい命を奪ってなにになる」 「まぁ。命は散るからこそ、美しいのですわ」 「それは賢明に生き、散るから美しいだろう。こんなゲームで奪われてどうする」 十三の力強い言葉に死の魔女の瞳は朝露を凍らせた氷のように冷ややかだ。 「私とあなたの価値観は違うようですわね。残念ですわ」 「しかし、仲間である以上、協力したほうがいいだろう。たとえ、失格となったとしても」 つんっと死の魔女はそっぽ向く。 「大きなお世話ですわ。私は、これからお友達を迎えに行くのですわ」 死の魔女はくるりっと十三から背を向けて歩き出すと狭い路地に入り、死体を見つけて満足した。 死体は裏切らない。 彼女は何のためらいもなく近づき――罠にかかった。 インヤンガイでは霊力がエネルギーとして使われる霊事件が存在し、なかには動く死体も存在する……死の魔女と似た思考の者が、このゲーム参加者にいないわけがない。 ぴんっと張られたワイヤーに足をとられて転がった瞬間、爆発音のあと死の魔女の体が炎に包まれる。 「!」 爆風によって転げ落ちた魔女の首が、死体が起き上がるのを見た。 「どうし、て」 「ピアスは外さない限り、発信器は動くのさ。ずいぶんと殺した奴を連れていたな? だったら死人使いだって検討ぐらいつくさ」 死体だった男が死の魔女の首を嘲る。忌々しいとばかりに獰猛な牙を魔女がたてると首を掴み上げられた。 「心臓の音が途絶えたら失格なのでしょう?」 「発信機能が消えるとは一言も説明は受けてないだろう」 それがゲームルールの穴のひとつ。そして、あえて説明されてなかった穴でもある。 ピアスは完全に破壊されるまで発信機能を停止することはない。それはインヤンガイならではの参加者――特殊な肉体をもった者によるゲーム妨害行為封じの一つであった。 「忌々しいですわ!」 炎のなかから魔女の体が現れる。十三の与えてくれた護法によって炎から肉体を守ったのだ。 手を伸ばして男の首を締めあげるが予想した反応がない。 「……あなた」 「俺はお前と同じさ」 男は笑った。 「死の魔女! 大丈夫か!」 炎の壁越しに十三が叫ぶ。 「あの声は……それに、魔女……借りのある奴ばかりだな」 「なんですの? 私に分かるように説明するのですわ!」 死の魔女がヒステリックに叫ぶのに男の背後でも声があがる。 「無名! なにをしているのですか」 「アサギ……この女の連れていた死体の魂、それで十分だろう。もう退くぞ」 その言葉にアサギとスーツの男が険しい顔をしたが、黙って左耳のピアスに手を伸ばす。 「雹王招来急急如律令! 死の魔女を助けろ!」 飛びかかる虎にアサギが片手をあげると、虎の体は膨張し、破裂した。 「私の能力は、増加と無効化。あなたのような純粋な術の使い手には負けません。お久しぶりですね」 「お前たちは!」 十三に黒い狗が吼えて襲いかかってきた。 「これは……狗神か!」 黒い狗と十三が格闘するなか、アサギたちは自らのピアスを破壊した。それが終わると術師は狗神を呼びもどし、さっさと背を向けた。 「目的は達成しましたし、今回はここで失礼します。それでは」 「待て、お前たちは何をしようとしている」 十三の言葉を無視してアサギたちは去っていく。無名は片手に盛った死の魔女の耳についているピアスを握りつぶした。 「お人形で遊ぶなら、もっと利口にやれ。お前も魔女だろう」 「まぁ! 馬鹿にしてますの?」 「この女は返すかわりに俺たちを追うな。追うなら、この女の顔をずたずたに引き裂く。……ハオ家は目的を達成した。ゲームからリタイアする」 わめく死の魔女を無視して無名は十三に向けて提案する。 「それは、ゲームに反していないのか」 「ゲームに参加した者同士の取引は禁じられていない。そういう意味で、このゲームはかなり穴だらけなのさ。あえてそう作ったみたいだがな」 無名は死の魔女の身体に戻すと肩を軽く後ろに押した。 「死者なんて無意味だぞ、魔女」 後ろに転がる死の魔女を両腕に支えたのは十三だった。その隙をついて無名はさっさと踵返し、去っていく。 「あれの言を信用すべきか」 ハオ家の目的は不明だが、本人たちが目の前でピアスを破壊したことからゲームへの参加意欲はないと判断すべきか、十三は厳しい顔で死の魔女に視線を移した。 「護法を使用したとはいえ、少し休んだほうがいいだろう。ピアスもない今なら俺が離れれば誰にも見つからぬはずだ」 発信器は更新された直後であること確認後した十三は死の魔女を抱えて、廃屋に逃げた。 「食糧はあるな? もしものときはノートを頼れ。お前のが壊れた以上、俺のを渡して置く」 「……そうして無垢な私を手玉にとるのですわねぇ。いいですわ、あなたの持っている生肉すべてをくださるなら、考えてあげますわよ。さぁ、出しなさい」 十三は黙って干肉を差し出された死の魔女の手に乗せる。 「……。女心の機微のわからない殿方ですわ。いいですわ、これを差し上げますわ」 破壊されたピアスが二つ。一つは魔女自身のもの、もう一つは無名のものだ。 「私には必要ないものですわ。先ほどからルールの穴を考えてましたけど、もしピアスを奪われても、時間内に別のピアスを奪い取るか、ぴちぴちの心臓が動いている方が二人、ピアスを交代で付ければ問題ないということですわよねぇ?」 十三は目を眇める。 「つまりは、ピアスを先ほどのように囮にするやつもいるということか」 「そういうことですわ。人数が多いチームでしたら、可能ですわ」 「俺が破壊したのは三つ……瀕死にしたので動けないと思うが」 「健さんに渡せばいいじゃありませんの? それに……これで健さんとあなたの考え、うまくすれば成功するんじゃなくって?」 死の魔女の言葉に十三は渋顔を作って頷いた。具体的な案はまだなくとも、何かしら利用できそうだ。 「では、俺は行くが、無理はするなよ」 そろそろこの場を離れねばならない十三が気遣うのに死の魔女は手をひらひらとふってみせただけ。その気丈さとプライドの高さならば安心していいと、十三が肩から力を抜いた瞬間――悲鳴のような銃声が轟いた。 (大丈夫、大丈夫……) 高鳴る心臓を必死に宥めて、サクラは階段をあがり、名は知らないが高層ビルの最上階の真下の部屋にやって来た。ドアを開けると、そこにいた男が振り返る。 「あ、あの、ヴェルシーナの人ですよね?」 サクラは思い切って幻術を解いた。 「電気、つけますね?」 断りをいれて、暗い部屋の電気をつけるとライフルを構えた男がじっとサクラを睨んでいる。それだけで心臓が破裂してしまいそうな恐怖に全身が戦慄く。 「私は鳳凰連合で参加しているサクラと言います。これを見てください」 サクラは手を動かして幻術を浮かべる。 【お手伝いできることはありますか? 以前、以前理紗子さんには仲間が助けていただいたことがあるんです。私たちの総意ではないけど、私は力になりたいんです。なにかあっ】 言葉が最後まで語る前にサクラは肩を撃たれた。 骨を砕かれるような激痛に小さな悲鳴を漏らし、その場に崩れる。幸いだったのは十三の護法が発動し、無傷でいられたが、肉体に感じる痛みまでは防ぐことは出来ない。 「身勝手なことを! やっぱり、お前たちの仲違いの結果なのか!」 忌々しげにライフルを持つロイドが吐き出す。 「なんでわざわざ俺らたちを巻き込む? てめぇらは!」 怒りに震えた銃口に明白な殺意を見たサクラはショックを受けた。 はっきりとした原因を理解していない状態で敵対する者を説得するというのはあまりにも無茶だった。 だが、今の台詞にサクラは確信した。 (旅団がいるんだ……!) ここは逃げて、そして仲間に知らせないといけないと判断したサクラは幻術を使い、姿を消して部屋を飛び出した。 エレベーターでは逃げ道がなくなるので非常口から外へと飛びだし、階段を走って降りると不意に音という音が消えた。 次の瞬間、サクラの右肩から胸まで鋭い刃が走り過ぎた。 「っ!」 サクラはその場に崩れて、震えあがる。視線を彷徨わせると、階段の上に黒いボディスーツに身を包めたロボットが立っていた。 あきらかに、この世界の者ではない――つまりは旅団だ。 それが再び鉄の刃のついた片腕をあげたとき、サクラは死を覚悟した。 「護法招来急急如律令! サクラを護れ! 幻虎招来急急如律令、斬り裂け!」 咆哮をあげて美しい虎がロボットに飛びかかる。その隙をついて階段から昇る十三がサクラに元に駆けつけると応急手当を施す。 「退くぞ」 「ま、待ってください。……ここに、ヴェルシーナの人がいるんです。だから」 サクラが言い募る。 「私は、平気です。なにかできるなら、やります。戦ってください! 自分の身くらい、護りますからっ! これがきっと最初で最後のチャンスなんです」 「サクラ……しかし、あれには幻影は効かん」 十三はサクラには優しい眼差しを向けたあと、幻虎を貫いて消滅させたハイキに鋭い目を向けた。 ナラゴニアで不覚をとったことは記憶に新しい。 「お前たちには随分と世話になった。その借り、ここで返させて貰う。炎王招来急急如律令、雹王招来急急如律令! 奴らを殲滅しろ! 手段は問わん!」 炎の猩々と雪豹がハイキを襲う。触れただけでその身に纏う炎と氷のダメージを他者に与える二匹ならばそう容易くやられることはないだろう。と、風が吹いた。小さな竜巻が二匹を包みこみ、切り刻む。 「……いけぇ!」 己の式神が傷つくのは何度見てもつらい。だが、戦うと決めた十三は怯まなかった。その心をくみ取るように式神もまた突進を止めない。 「邪魔はさせません」 ハイキの前に飛び出したのは青い軍服姿の娘――クルスだった。彼女は片腕に持つ槍で猩々を突き刺し、さらに片腕を伸ばして雪豹の顎を掴むと、ごきっ! 骨を砕いた。 二匹の式神は消える寸前に、炎と氷の柱となってクルスを貫く。 あああああああああああああああああああああ! 魂の雄たけびが轟き、相反する二つの属性の攻撃によって発生した蒸気が周りを包みこむ。 「視界が……っ! 貴様っ!」 白い視界のなかから細い手が伸びて、十三の腕を弱弱しく掴むのを乱暴に振り払うと、少女の腕は、どろどろに溶けて消滅した。 次の瞬間、音という音が消えた。 「しまった!」 そのときになって十三はクルスの目的が自分を攻撃することではなく、ハイキにチャンスを与えることだったと悟った。 音の刃を回避することはほぼ不可能なことに死を覚悟したとき――どこからか銃声が聞こえた。 次の瞬間。 十三の腹から胸まで深く引き裂かれた。 崩れるなか獣のような咆哮をあげる。 「うおおおおおおおおおおおおおお!」 ほとんど、精神力でのみ肉体を動かし、ハイキの胸に鋭い針を飛ばす。 最大限のパワーを使用したハイキには回避しようのなく、そしてそれはハイキを消滅させるには十分だった。 さらっ……限界を越えたハイキの肉体は砂に変わり、崩れゆくのを見届けた十三は血反吐を吐いてその場に倒れた。 (サクラを守らねば、最後に聞こえてきた銃声は……) 「こいつら、手当してやってくれ」 ピアスが破壊されるのを感じながら、十三の意識は闇に落ちた。 気がついたとき十三はベッドにいた。傍らにいるサクラが心配げな顔をしていた。 「よかった。気がついて! ……私たち、ゲームには失格になりましたけど、ヴェルシーナと和解はできました!」 「そう、か。……旅団も、なんとか決着をつけれた」 掠れた声で十三は呟く。たとえピアスがあっても、重傷を負った十三とサクラではゲームに参加し続けるのは不可能だ。 「まぁ、私もいますわよ」 ソファに腰掛けた死の魔女が微笑む。 旅団との戦いのあとのことをサクラが要領よく十三に説明した。 瀕死の二人をヴェルシーナが介抱してくれ、死の魔女もノートの連絡から回収するとまとめてビジネスホテルに匿ってくれているというのだ。 ヴェルシーナの協力を得られたのはサクラの説得とともに身を賭して旅団と死闘を繰り広げた十三を目撃したことが大きい。また旅団に人質にとられていた理紗子が世界図書館の者に保護されたという情報をノート連絡で得たサクラが説明するのに、彼らがゲームに参加する理由はなくなったのだ。 「誤解が解けてよかったです」 「ああ。しかし、これでゲームに参加しているのは健とコケだけか」 十三は目を眇める。 「健さんは護法をまだ持っているですわよねぇ?」 死の魔女が意味ありげに呟くのにサクラが続く。 「ヴェルシーナの方がいうには、もし、本当に殺すとしたら、接近なんて危険すぎることは絶対にしない……必ず射殺を選ぶだろうって」 思えば、鳳凰連合のボスも、フェイのときも接近を避けていた。 「健たちを信じるしかあるまい」 ★ ★ ★ 摩天楼が渦巻くビルの一つから黒い胸のあいたドレスを身につけたメイデンは現れた。 重役につく彼女のスケジュールは分刻みに進行し、唯一の息抜きは移動時間のみ。 高級店での食事会を終え、店の者が車を表にまわすささやかな玄関口での待ち時間。闇のなかから健とコケが現れるとメイデンは目を眇めた。まるで待っていたというように。 「表からきたのか。随分と勇ましいな」 「俺の気持ちを読んでくれ!」 「愛の告白にきたのか?」 「違う! いや、似たようなって、えーと、そうじゃなくて」 「健」 コケがつっこむのに健は慌てた。 「とにかく読んでくれ。頼む」 「私がどうして貴方たちからそんなものを受け取って読まなくちゃいけないの? 敵対した相手なのに」 「俺は、読んでほしいんだよ」 うまい言葉が浮かばずに健は紙を強引に渡す。 それには現在の状況を、必死に書いた。――俺はあんたに生きてほしい。街を護りたいって人間に死んでほしくないんだ、と。 メイデンは、笑った。本当に愚かな人を見るように。 「健、お前はダンスの相手には少し役不足だな」 ひやりと刃物のような言葉だった。 「メイデン」 「私は昔、お前のような者たちの手のなかで踊った。それがいやで一度は逃げた。けれどここに戻ってきた。仕方なくな……去りなさい」 「メイデン!」 「……護る者が、混乱を生む道具にされる、なんて本当に滑稽。……マフィアども、お前たち、みんな道連れだ!」 次の瞬間、風を切る音が――メイデンの胸から血が噴き出す。 反射的に手を伸ばした健の頭は何が起きたのか理解することを拒んだ。 崩れる肉体を抱きしめ、必死に胸の中に抱きしめる。肩と足と腰に痛みが走り、撃たれたのだと理解した。まるで灼熱に包まれているようだ。だのに笑ってしまうくらいに腕のなかのメイデンは小さく、冷たかった。 「どうして、護るの?」 優しい問いに、健は抱きしめられていた。 「あんたに、死んでほしくないんだ。自分勝手だって言われちまったら、そうだ。あんたの痛みを俺は知らない……けど、今、あんたが殺されようとしているなら、俺は護るっ!」 痛みと無力さと悔しさに涙が溢れてきた。 「馬鹿ね。お前は、本当に私の死んだ夫に似ている……私を殺すなら正面から来たのでは無理だと判断は正しい、けれどね、ただ死ぬものか! 健。そのまま、愛しい女のように抱きしめていなさい。そしてタイミングを図って、その玩具を投げてここから逃げるのよ」 「メイデ」 健を優しく抱いたメイデンは片腕をあげると、その手に握る白いライフルの引き金を引いた。 「私を殺そうなんて、十年早いんだよ。黒耀のクソガキ!」 悲しい銃声が闇の中、轟いた。 健は懐から残りの催涙弾を確認すると、すべて投げた。 「コケ、頼む。痛み止めをくれ! 今を逃げ切ることのできる強烈なやつ!」 「健、これ!」 コケから痛み止めの葉っぱを受け取った健は乱暴に噛み、メイデンの顔にガスマスクをかけると、コケに支えながら前へとがむしゃらに走った。 ただ必死に、駆けた。血が溢れて、零れ出す。 ――命が、落ちていく。 ビルの地下駐車場に逃げた健は叫んだ。 「メイデン、しっかりしろ、すぐに救急車を!」 「もう、いい、私は持たない」 「絶対に、絶対に諦めないからな、俺は!」 メイデンの手が伸びて健のピアスに触れると、ちりりっと痛みが走った。 「なにを」 「……お前のピアスから、ゲーム監視システムに干渉したのさ、ここでのことをくそったれどもに盗聴されないようにな。私の力は、霊力そのものを操るもので、霊力をエネルギーとしている機械類はすべて頭で考えただけでほとんど操れる。ふふ、こんな力のせいで望まないものばかり与えられてきたものだ……お前たちのなかに幻術使いはいるな。だったら呼べ。ここの監視カメラに私を殺した証拠を残せば」 「メイデン、その前に、病院に」 「心臓近くを撃たれて助かるものか」 「けど、あんたは、生きてる!」 泣きながら健は叫ぶ。 「私はほとんど機械化しるから、ある一定以上の痛覚を得た場合、脳が痛みを遮断するように作られている。戦闘状態で、一人でも多く、の罪人を殺すために……この状態になった以上、助かることはないさ。ふふ、黒耀の坊やを一人、道連れに出来だ」 「メイデン!」 健の頬に血塗られた手が触れた。 「お前の言葉は頼りない、感情論だ。私の信念は動かない。けれど、心は……そうだな。死ぬ前に、借りは返して、お……頼む。最後に、抱きしめ、て……リンヤン、あなた、……会いたい、もう、いち、ど」 繰り返し、繰り返し、女の懺悔が囁かれる。 「メイデンっ、メイデン……っ! 俺は……」 溢れる血がすべてを染めて、ぬくもりは失われていく。 ここにあるものは何一つ望まれたものではないけれど。 「……コケ、ノートで連絡を、頼む」 「うん。任せて」 コケがノートで仲間たちに連絡をとっている傍らで健は黙ってメイデンを抱きしめ続けた。そうするしか出来なくて。 ――カルナバルは鳳凰連合の勝利で終了した。
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