「不肖ゲールハルト、感激の極みッ!」 彩音茶房『エル・エウレカ』の、緑あふれるテラスに、野太い声が響き渡る。 数十メートル離れた民家の窓ガラスがびりびり震える規模の大音声だが、近隣の住民たち――土地には困らないターミナルで、わざわざ辺鄙な場所を選んで家を建てている辺りからして変わり者が多い――はすでに慣れっこで、ああまた始まったか、程度の認識である。 なんだかんだで、今日も0世界は平和だ。 「ゼロ殿が、かようなまでに深く、魔法の素晴らしさ、魔女の偉大さを理解しておられようとは……くッ、これを法悦と呼ぶのか……!」 「はいなのです。ゼロは、魔法についてもっともっと学びたいのです。それにはやはり、先達に学ぶのが一番なのです」 感激に打ち震えるゲールハルト・ブルグヴィンケルも、いつも通りの通常運転である。 そんな彼のもとへ、シーアールシー ゼロは、座布団ほどもある大サイズの、非常に美しい装丁の施された魔法書を抱えてやってきた。世界図書館の蔵書のひとつで、深遠なる知の世界について書き記したものであるという。 「無数の世界のある中には、魔術・魔法が息づくものも数多に存在するのです。世界図書館にいればそれらの世界のさまざまな魔法理論に触れることは容易なのですが、そうなると逆に判らないことが増えてきたので、師匠に教わりにきたのですー」 もの静かに輝く銀の眼、つやつやさらさらの銀の髪、白い肌、すらりと伸びた華奢な四肢。“誰ひとりとして魅了されない”という理不尽なオプションつきながら、“誰もが窮極と認識する”美少女ぶりは今日も健在である。 「あっそうだ、師匠にお土産があるのです。先日、アレグリアの細工師さんに魔女の杖をつくってもらったのです。竜でも一撃で撲殺できる杖なのです、師匠にぜひ使ってほしいのです!」 魔女の杖というよりぶん殴るための凶器といった趣の、おそろしく頑健な印象を受ける杖を差し出すさまなど、オプションさえなければ誰もがときめき、胸の高鳴りとそれゆえの痛みさえ感じていたことだろう。 ――なぜ魔女なのに撲殺、と尋ねてはいけない。ゼロは気にしていないし、ゲールハルトなど更なる感動に震える指先で目頭を押さえただけだ。 「くッ……まさか、このような歓びを味わえる日が来ようとは……!」 故郷では畏怖と嫉妬と嘲笑の対象だったというブルグヴィンケル家の境遇ゆえ、このような扱いには弱いらしい。 「いかんな、年を取ると涙もろくなって。――かたじけない、ゼロ殿。ありがたく頂戴いたす」 「いえ、師匠に喜んでもらえたらゼロも嬉しいのですー」 ツッコミどころは多々あれど、師弟の間にはほのぼのとした空気が流れる。 ふたりの間で話が通じて判り合えれば、何も問題ない。 「うむ、では……今日も深遠なる学びを行うとしよう。よろしいか、ゼロ殿」 「はいなのです。では、この本について教えてほしいのです!」 特大の魔法書を、テラスに設置されている瀟洒なデザインのテーブルに置き、ゼロがよいしょなのです、とページをめくる。 ゲールハルトがそれを覗き込んだ。青い眼が、しばし無言で文字を追う。ややあって、ゲールハルトは重々しくうなずいた。 「うむ……これはつまるところ」 「はいなのです」 「魔法とは気合である、という意味だな」 「気合なのです?」 「うむ。強き想いこそ魔法の根源、そう書いてある」 「なるほどなのです……やはり、魔法とは深遠なる知の遊びなのです」 「ゼロ殿は詩心もお持ちなのだな。しかし、まさにその通りだ」 「では、こちらはどういう意味なのです?」 「これは、佳き魔法を扱うためには三食欠かさずたべよ、ということだな」 「ははあ……なるほどなのです。ごはんというのはとても大事だと聞いたのです。つまるところ、腹が減っては戦は出来ないのです!」 「まさしく、その通りである! その飲み込みの速さ……さすがゼロ殿と申し上げるにやぶさかでない!」 ふたりとも、真面目も真面目、大真面目である。 しかし、 「では、こちらは?」 「うむ、魔法使いたるもの、常に紳士淑女であれ、ということだな。これは魔女に関しても同等と言える」 「紳士淑女……なのです? それは、なかなか難しそうなのです」 「心配無用。ゼロ殿はすでに立派な淑女であらせられる」 「なんと……ゼロは、魔法を学ぶうちにいつの間にかそのような称号をも手に入れていたのです……!?」 しかしである。 話を聴いていたらしい『エル・エウレカ』の料理人が、何とも珍妙な表情でテーブルに茶を置いていくのを見れば判るように、傍から見ると、その『学び』にはツッコミどころしかない。 魔法に詳しい人でなくても、それもう明らかに魔法に関する話じゃない、と思わず裏拳を放つこと請け合いである。 が、もちろん、ふたりはまったく気にしていない。 「ふう……素晴らしいひと時だったのです。とてもよい学びを得たのです。では、この理論を基にした実践に入るのです」 「うむ、この深遠なる魔法理論、試してみないわけにはいくまい」 「はいなのです、師匠!」 大いに盛り上がるゼロとゲールハルトに、赤眼の料理人は、諦めめいた溜息を吐いただけで特に何も言わなかった。 * * * ふたりがまず行ったのは、昼食をたっぷり食べることだった。 もちろん、料理人が丹精込めた特製のランチである。 今日のランチは、大粒でぷりぷりの牡蠣に絶妙の加減で火を通したフライ、蕪と茸のスープ、ブロッコリーとカリフラワーのアンチョビソテー、ほくほくのじゃがバター、玉ねぎとベーコンのミニキッシュという、旬を大切に取り入れた逸品ばかりだった。 食べたり飲んだりする必要のない理不尽存在たるゼロだが、味覚そのものは存在しているし、ターミナルや異世界での交流によって、人々が食事をすることで得ている大きな力についても理解している。 「この実践はとてもおいしいのです。すべてが身になり、力になるようなのです」 それゆえ、ゼロは上機嫌だ。 「ゼロ殿は健啖家であらせられる。先の書の語るところによれば、それはすなわち魔法を扱うものとしてよき素質を備えているということになる。末恐ろしいというか、頼もしいというか、先が楽しみな限りだ」 品よくカトラリーを操り、ゼロと同じランチを摂取しつつ、ゲールハルトが、感嘆を込めた口ぶりで誉めそやす。 この男は非常に人がよく、ものごとを善意によってとらえようとするのもあって、人を貶める言葉、人を傷つけたり哀しませたりするような言葉を口にすることはないが、さりとて思ってもいない賛辞で人心を弄するような性質でもない。 つまるところゲールハルトの言葉は本心からのものだし、彼がゼロというたったひとりの弟子に対して抱いている慈愛、気遣い、期待、喜び、感謝といった感情に偽りなどないのだ。 「満ち満ちたのです、師匠。身体の奥底から力が湧いてくるようなのです」 「素晴らしい。それでは、小休止のあと、いつものトレーニングを行って、気合の充填に取りかかるとしよう。気合が充填されれば、あとは魔法の実験・実践に移るのみ」 「紳士淑女はいいのです?」 「おや……気づいておられなんだか」 「?」 「小鳥のついばみのごときゼロ殿の食事風景……まさに、淑女であった」 「なんと……そうだったのです……!」 ツッコミどころは多々あるが、ここに裏拳を放つ体質の持ち主はいない。 そんなわけで、直後のお茶などいただきつつ小一時間ばかり休憩し、充分に休息を取ったのち、いよいよ実践となる。『エル・エウレカ』を壊さないよう外へ移動し、準備体操を行う。無論、ゲールハルトの眼からビカァ、のアレは必須である。 身も心も軽くなる(※ゼロ及びゲールハルト談)衣装に身を包み、トレーニングを開始する。 百メートル全力走×十本、十キロメートルを一定の速度を保ちつつ走ること数回、腹筋と腕立て伏せを五十回ずつ×五セット、薪割り百本×十セット、瓦十枚割り×二十セット。 正直言って魔法力の向上にはまったくもって関係のなさそうな、ゼロ以外に『魔法のトレーニング法』と言って勧めたら総ツッコミを喰らいかねない内容だが、ゼロは以前よりこの修行方法で技と魔力を磨いてきているので、彼女自身には何の疑問もない。 美しくもフェティッシュな衣装を翻し、額に汗してゼロはトレーニングに精を出す。誰ひとりとして魅了されない理不尽オプションつきとはいえ、窮極美少女が懸命に励むさまはとてつもなく愛らしい。 「やはり、このトレーニングは素晴らしいのです。内側からみなぎってくる何かを感じずにはいられないのです……!」 ゼロは感嘆の息を吐く。 このトレーニングを始めてもうずいぶん経つ。始めたばかりのころはハードさが先に立ったが、地道に続けてきたおかげで、今はもう心地よさを感じるようになってきている。 ――それって魔法の訓練ってか、強靭な肉体をつくるためのものなんじゃ……? ゲールハルトの、弾け飛びそうに隆起した、たくましくも鍛え上げられた肉体を目にしたものがいれば、その疑問を呈したかもしれないが、残念ながらこの場においては無意味である。事実、ゼロの魔法は、このトレーニングによって上達しているのだ。 「うむ……さすがゼロ殿、着実に真理へと近づいておられる。不肖ゲールハルト、ゼロ殿の勤勉ぶりには敬意を感じずにはいられぬ……!」 「そう褒めてもらうと照れるのです。でも、それはとても嬉しいことなのです。更なる向上を目指して、一歩一歩進むのです!」 ぐぐっ、と、可愛らしく拳を握るゼロに、ゲールハルトが共感をこめて頷く。 ツッコミ不在のまま、師弟は、どこまでも盛り上がりながら訓練を重ねてゆく。 * * * 結論から言うと、今回の実践によってゼロの魔法はまた上達をみせた。 が。 「師匠! 生み出した砂粒に、世界各地の美観を刻む術を会得したのです!」 「おお……なんと美しい……!」 「それから、曇らせたガラスに世界中の名画を転写する術を会得したのです!」 「素晴らしい! 美とは、かくのごときものを言うのであろう!」 「そして、進化した火の術で七色の灯りを浮遊させることにも成功したのです!」 「不肖ゲールハルト、もはや素晴らしい以外の言葉を発し得ぬ。ゼロ殿、よくぞここまで……!」 「師匠!」 「ゼロ殿!」 砂粒は言うに及ばず、ガラスの曇りは親指サイズ、灯りはマッチの火の十分の一程度という、いつも通りネタ方面の『上達』であるが、師弟はひしと抱き合い――窮極地味美少女とゴスロリ魔女ッ娘姿のノーブルな美壮年が、であるから相当なインパクトであろうことは想像に難くない――、感涙にむせんでいる。 「そして、運命操作の魔法を会得したのです」 「なんと、そのような上級魔法まで!」 「今からそれをお目にかけるのです」 言って、ゼロが取り出したのはおみくじの箱である。 ゲールハルトが息を飲んで見守る中、ゼロは小さな木箱をからからと振った。 そして、銀の双眸をきらりと輝かせる。 「これなのです!」 「おお……見事大吉が……!」 「もう一度、これなのです!」 「またしても大吉!」 「もういっちょ、これなのです!」 「さらに大吉とは……何という見事な運命操作!」 師弟の盛り上がりは留まるところを知らない。 ちなみにこの運命操作魔法、おみくじには絶大な力を持つが、宝くじをはじめとした、実際に何かが当たる・もらえるたぐいのクジにはまったく利かないという、いっそ清々しいほど実用性皆無の代物である。 その他、 「ど れ に し よ う か な ち ゃ い ぶ れ の い う と お り なのです」 はじめて通る場所でもどれが近道か、どのみかんが一番甘いか、どの煎餅がしけっていないか、どの野菜がもっとも新鮮かを教えてくれる『神託』、 「み な ぎ っ て き た なのです」 巨大化することで魔法の規模を大きくすることが可能となる――といっても、身長をkm単位まで伸ばしてようやくマッチの代用として火がつけられる程度なのだが――『汎化』など、とにかく、ツッコミ体質持ちの人々をそわそわさせずにはいられないネタ魔法をひたすら上達させてゆくゼロである。 常識人には裏拳を放つしかなさそうなもろもろではあるが、ゼロは大満足だし、ゲールハルトは嬉しそうだった。当人たちが幸せならもうそれでいいじゃないか、とは、お茶の時間を告げに来た料理人による諦め気味の弁だ。 「うむ……まっことよき学びの時間であった。ゼロ殿の努力と情熱にはただただ感じ入るばかりだ……お疲れになられたであろう、ひと休みするとしよう」 「はいなのです、師匠。とても有意義な時間だったのです、ゼロは師匠の情熱的な教えに感謝するしかないのです」 「何を言われるか、感謝するのは私のほうだ。貴殿のような優秀で賢明な弟子を得ることが出来た私は、本当に幸せ者だ。ゼロ殿、本当にありがとう、かたじけない」 「……師匠」 「ゼロ殿!」 暑苦しくひしと抱き合うふたりを、料理人が何とも言えない眼で見つめている。 そんなこんなで、のんびりと過ぎてゆくターミナルの午後である。
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