イラスト/ピエール(isfv9134)
「急に呼び出してしまってごめんなさい。そして、集まってくれて有難う」 迷宮のごとく入り組んだ図書館内部の奥に控える厚い扉の向こう側――ピアノが置かれ、大量のレコードが並ぶ防音室で、流鏑馬明日は囁くように礼を告げた。「……ここでなら、“犯人”に気づかれずにゆっくり話すことができると思って」 彼女の前のテーブルには今、自身で調べた手書きのメモとターミナルの地図、そして記事のスクラップが広げられている。「私にできることなら喜んで手を貸すよ、フロイライン」 艶やかな笑みを口元に浮かべ、那智・B・インゲルハイムが答え、「那智くんの言うとおり。物騒な事件だし、放っておくなんてできないからねぇ。……それが僕等の性分ってやつなんだろうね」 明日と同じ警察官の職に就いていた柊木新生が穏やかに微笑み、「声を掛けていただけて嬉しいですよ。やはり、ターミナルで起きている以上、見過ごすことはできませんから」 赤いクマのぬいぐるみ――世界司書ヴァン・A・ルルーが最後にゆっくりと頷いた。「……本当に有難う」「それじゃあ、まずは資料の検討からいこうか。我々ができることを積み重ねて捜査方針をださなくてはね」「メイヒ、君の資料を見せてくれるかい?」「ええ。個人的に集めたモノだから、もしかすると無関係なモノも混ざっているかもしれないけれど」 ターミナル連続傷害事件仮説本部、と、そう名付けてもかまわないだろうか。 明日の集めた《事件》の資料をそれぞれ手に取り、目を走らせる。 事件は決まって《夜》に起こる。 ハロウィン以降、時折訪れるようになったターミナルの《夜》。 密やかな闇に乗じて、いくつも、幾度も、繰り返し。 繰り返し。 髪を切られた女性。 落ちてきた花瓶に驚いて躓いた拍子に脱げた靴を盗まれた女性。 服を切り裂かれて持ち去られた少年。 腕を一本奪われ、『生えてくるから別にいいんだけど…』と苦笑しながら証言していた男。 イタズラだとそう笑って流してしまうには、あまりにも悪質な出来事が一つ、二つ、三つと増えていき、不思議な《夜》の時間が不吉な時間にすり替わっていく。「被害者の共通点を探るとして。メイヒ、被害者に男女の別は無さそうだけれど、子どもは居ないのかな?」「最年少は15歳だわ。他の被害者も20歳前後ばかり。ただし彼らがロストナンバーになってからどれくらい経ったかは別の話だけれど」「目撃情報も知りたいねぇ。犯行が行われた状況も確認もしたいところなんだが……」 那智、明日、新生は、提示された情報と自身の気づきとを分かちあい、そこから見出されるであろう《何か》を求めて言葉を交わす。 互いの視点が交錯し。 あらゆる可能性について思考し。「まるで《戦利品》みたいだね。そう思わないかい、メイヒ、ヘル・柊木?」「……戦利品……あるいは、何かを集めているということも考えられるかも」「ただの愉快犯なのか、別に目的があるのか、知りたいところだねぇ」 犯人の動機、ソレはどこにあるのか。 そして、ソレは結局のところ、何を為そうとしているのか。「どうだい、ヴァンくん? 《導きの書》には何か出ていないのかな?」 新生に話を振られ、ルルーは、ペーパーバッグ風の《導きの書》を開き、そこに浮かび上がるモノを爪でなぞる。「ひどく不確定ですが、予言が出ています……次にターミナルに夜が訪れる時、《悲劇》が引き起こされる危険性がある、と。場所は――廃屋のようですが、果たしてソレがどこにあるのか」「ターミナルの次の夜はいつだったかな、流鏑馬くん?」「“明日”よ」「それじゃあ、それまでに現場検証も済ませておくべきだね。その、廃屋とやらも探し出さなくちゃいけないんだから」「なら、初回のディスカッションはここまでにして、まずは動くとしようかねぇ、二人とも?」「ええ、そうね。そうしましょう……時間は、あまりないのかもしれないもの」「このターミナルで《悲劇》を引き起こされるなんてとんでもないことだしね」 頷きあい、行動指針を決めた彼らを、ルルーは導きの書を閉じ、見上げた。「みなさんがこの事件の『謎』を解き明かしてくださるのを、お待ちしています」 黒く丸い瞳に見つめられ、三人はわずかに微笑むと、彼のもっふりとした手を握り、耳を触って、存分に毛並みを堪能し。 そして、図書館の防音室から《外》へ、辿り着くべき真相に向けて動き出した。 * ほしいものがあるんだ。 絶対に絶対にほしいモノがあって、だから、さ、君のソレを譲ってよ。 譲ってよ。 ここでなら、ねえ、手に入られるって思うんだ。 ほしいモノを手に入れるんだ、どうしてもどうしても、ほしいモノを――=========!注意!この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。ただし、参加締切までにご参加にならなかった場合、参加権は失われます。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、ライターの意向により参加がキャンセルになることがあります(チケットは返却されます)。その場合、参加枠数がひとつ減った状態での運営になり、予定者の中に参加できない方が発生することがあります。<参加予定者>流鏑馬 明日(cepb3731)那智・B・インゲルハイム(cyeu2251)柊木 新生(cbea2051)=========
いくつもの《傷害事件》が散らばっているターミナルを、まるでセットの中を歩いているような錯覚に陥りながら、明日は那智と新生とともに歩く。 かつて自分がいた世界、あの映画の街で友人たちと事件を追いかけ、奔走していた日々が重なるのは、おそらく、いま隣にいる二人が今はもういない友人たちに面差しが似ているせいだろう。 「女性の髪を切ったり、靴を奪ったり……許しがたい行為だよ。彼女たちがどれほどの恐怖を味わったのか、考えるだに腹立たしい」 明日が収集してきた資料の記憶をなぞりながら、那智の目は不愉快げに細められる。 「滅多には訪れないターミナルの夜、きっと彼女たちは普段とはちょっと違う時間を楽しんでいたのだとしたら……ソレが悲しみで塗り替えられてしまうこともまた許しがたい」 「で、那智くん? 腕の切られた《彼》についてのコメントは?」 「また生えてくるんだから構わないでしょう」 しれっと流すコメントに、新生は肩を竦めて苦笑する。 「なるほど、分かりやすいなー」 「ヘル柊木、優先すべきは彼女たちの不安の除去だよ」 「不安を取り除くにしても、まだ犯人の意図が見えないわ。何をもって標的と定めているのか、とか」 「犯人に、『この人』と言う拘りが感じられないの。年齢以外のはっきりとした共通点が見いだせないわ」 まるでモノにこだわっているようにしか思えない。 モノにこだわるということは、ソレを身につけている相手に対してはあまり興味がないということでもある。 「それじゃ僕は周辺の聞き込みをしていこうかなぁ。犯人の特定と動機探しもしなくちゃねぇ」 「私は女性たちの聞き込みをメインに行くことにしよう。まだ見ぬ接点や共通点が見いだせるかもしれないし」 「なら、一度別行動にすべきね。私は予言で語られた《廃屋》を探してみるつもりだもの」 「タイムリミットは近いからねぇ。急ぐとしようか?」 「ええ……私達でこの事件を解決しましょう。……悲劇なんて起こさせないために」 それぞれが背を向けて歩き出す、その進むべき道をまっすぐに見据えて、明日はただその想いだけを胸に抱く。 * どこに行けば、どうすれば、前みたいに過ごせるの? * 「なるほど、ここが現場というわけだ。夜になることを考えていないせいか、少々暗すぎるような気はするねぇ」 新生はリスト内で服を切り裂かれた少年を訪ね、彼とともにこの画廊街の路地を通ったことを確認する。 「きみが襲われた時、犯人について何か見れたかい? あるいは何か、そう、普段と違うと感じた何か、ごく些細なことでもいいんだけどねぇ」 「……暗くてよく分からなかったよ。オレ、荷物を抱えていて……突然転んじゃって。気づいたら服を持っていかれてさ。影しか見えなかったし、ソレもなんかはっきりしてないし」 曖昧な言葉を合間に紡ぐけれど、この路地にはせいぜい月の光くらいしか差し込まないだろうことを考えると納得も行く。 「子供か大人か、といった区別も難しいかな?」 「一瞬だったしな。でも、なーんか大人の男じゃないって気はする」 「ほう? なぜそう考えるんだろう?」 「なぜ……ああ、そう、そうだ。声を聞いたんだよ。男か女か分からない不思議な声、だけど、ちょっとだけ癖があるような」 「何を言っていたのかな?」 「……ソレ、譲ってよ、って……そう、うん、譲ってって、そう言われた!」 夜の闇に乗じて服を奪われた少年は、怯える風もなく、むしろ証言すべきことを思い出せたことを嬉しげに伝えてくれる。 「なるほど」 譲って欲しいと、ソレは言ったのだ。 「そういえば、この周辺に廃屋や、夜だけのチェンバーといった話は聞いたことが?」 「あるかもしんないけど、けっこー遠いし、廃屋ってなると最近はあんま話に聞かないかな」 「色々と時間を取らせて悪かったねぇ。有難う」 「いや、こっちこそ『刑事さんと現場検証』できるなんて夢みたいだから、全然いいよ」 闊達に笑った彼は、送り届けるといった新生の申し出を断り、次の聞き込みに行ってほしいと告げた。 改めて礼を言い、次の現場へと向かいながら、ふと考える。 持ち去られたモノを見て『戦利品のようだ』と告げたのは那智だが、そこに含まれる意味合いにほんの少しだけ違和感を覚える。 「譲って、か」 何かを欲しがる、その先にあるモノは一体何なのか。 まだ足りない。まだロジックを組み立てるべき決定的な何かが足りない。 廃屋の情報収集に重点を置いた明日は、地道な聞き込みとともにある事実に気づく。 「廃屋? いやあ、そういう話は聞かないなぁ。ほら、だいぶ前に幽霊屋敷はあったけど、アレも片付いちまったしね」「画廊街にそれっぽいのがあった気はしたけど」「どっかのチェンバーにならあるかもしれないが、探すとなったら骨が折れるだろうさ」 このターミナルにおいて廃屋はそうそう存在しているものではない。あれば噂になるけれど、噂に上るほどの何かはこの界隈にはないらしい。 けれど、ルルーは《廃屋》での悲劇を予言した。 場所の特定に至らないのだとしても、起こりうることだけは確かなのだとしたら、そこから別のアプローチが可能かもしれない。 「そういえば、このあたりで何か他に不審な出来事はないのかしら?」 「不審……? 不審なぁ……ああ、人形屋がほれ、風にアレを浚われたって」 「人形屋?」 首を傾げて問い直せば、彼らは困惑気味に記憶を呼び覚まそうと悪戦苦闘する。 「失敗した人形がなくなったんだってさ」「風が吹いて、ゴミ捨て場から掻っ攫われたと」「結構デカかったのにな」「まあ、捨てようとしてたんだから被害じゃないっちゃ被害じゃないな」 「ソレはいつ頃のことかしら?」 何かが引っかかる。 「いつ?」「いつだっけか」「《夜》の次の日だってのは覚えてんだが」「だいぶ前の話だしな」 行ったり来たりする会話が琴線に触れる。 「その人形屋はどこにあるのかしら? 少し話が聞きたいのだけど」 「こっからこんなに離れてないからな。送ってってやるよ、お嬢ちゃん」 明日が集めていた情報は、夜の闇に乗じて起きる連続傷害事件だ。 髪を切られ、服や靴やあまつさえ片腕までも奪われた被害がこれ以上エスカレートすることがないようにと願って、行動を起こした。 そうして今、解決に至るロジックに自分は触れた気がする。 犯人をただ捕まえるだけではない、その背景にあるモノをも探り出せる何かに。 住宅街の入り組んだ一角に佇むモダンなカフェテラスは、怜悧な青年を取り囲む年若い女性たちによって一層華やかな雰囲気で溢れていた。 「へえ、君たちの他にも盗まれたり襲われたりした人がいるんだね?」 「決まって夜なの」 彼女たちは同じような被害を受けた友人たちをも集め、那智のために証言していく。 「あっという間だったから、ホントに驚いて」 「何が起こったのか、全然分かんなかったよ」 「風が、吹いたの。すごく強くて、息が止まりそうな……それで気づいたら靴がなくなってた」 白い靴が、白い帽子が、白い服が、彼女たちから奪われたモノ。 「……髪を切られたと言うことだけど、もしかするとその時、何か飾りを付けていた?」 「ええ、そうよ、髪を結い上げるのにね、ジュエリーショップで買った花飾りをつけていたの」 この中で一番大きな被害と言える彼女に言葉に、那智の中で何かが動き出す。 彼女たちは花飾りのついた髪を切られ、靴を奪われ、帽子を奪われ、買ったばかりの袋に入ったままの洋服を奪われた。 「なるほど……」 口の端がゆるやかに吊り上がるのを自覚する。 それはおそらく、興味だ。 明日や柊木のように《事件》を《解決》したいのかと聞かれたら、ただ真相が知りたいだけだと答えるだろう自分がいる。 知りたいという欲求のみで、那智は動く。 本来なら《靴底をすり減らして集めるべき情報》をここで一度に終わらせ、そうして彼女たちの証言を得ながら、ゆるやかに思考していく。 事件の枠を組み立て直す必要があるかもしれない。 犯人像について、明日は『恋人を失ったか、子供を失った者』を想定しているらしい。大切な存在を失い、だから失われた存在の構築のためにモノを集めているのだと。 対して新生は、『子供』そのものを想定しているのがわかる。彼は儀式的な意味合いも可能性のひとつと考えているようだった。 「ありがとう。君たちの証言が私を真実へ導いてくれるよ」 そう言って微笑みかければ、彼女たちはさざめき笑い、頑張って欲しいと見送ってくれた。 花のような彼女たちと別れ、那智は歩き出す。 歩きながら、情報と思考の海に沈んでいく。 「戦利品という思いつきは撤回すべきかな、ヘル柊木」 リストに上がっていた現場を巡りながら廃屋を探す――その合間に新生は、腕を切られたという、尋常ならざる被害を受けた彼のもとを訪れていた。 最も犯人と接触した可能性が高い彼に面会を申し入れると、靴屋を営む青年は面白そうに笑った。 「あれ、なんか刑事さんっぽいな」 すでに再生されたらしい腕をさすりながら、彼は困ったように笑った。 「夜が来るようになったろ? でさ、いままで無縁だったモンが動き始めてる感じなんだよ」 「無縁だったモン、ねえ?」 「怪談って夜にやるから盛り上がるんだよな。幽霊屋敷だってホントは夜がいいだろうさ」 そう言って、彼はターミナルで時折聞こえてくる【噂話】を口にした。 「風が吹くんだ。いきなり。風にあおられて、思いっきり転んじまったんだよ。前兆なんかひとっつもないってのにさ。しまいにゃ、人形が空に舞い上がるのを見たヤツもいるってさ」 「それはいつ頃からなのかな?」 「妙なことが起きたのはここ最近、だな。新しい住人でも増えたのかしらねぇけど」 「コレまでそんな《風》が吹くことはなかった?」 「ねえなぁ。……ああ、そうだ。腕持ってかれた時もさ、すごい風で。キレイな切り口だったぜ、カマイタチかってくらい。見せてやりたかったよ」 肩を竦めて笑う彼は、やけにアッケラカンとしていた。 「とても参考になったよ。有難う」 「いや、どーいたしまして」 陽気に笑う彼に別れを告げて、新生はたったいま思いついた『可能性』に自分の頬を掻く。 「風、カマイタチ……夜だけ起こる現象、か」 腕を切り落としたのはトラベルギアかと思っていたが、もしかするとそれ以前の問題かもしれない。そしてどれほど人物像を明確にしていっても、世界図書館に犯人を差す名は登録されていないかもしれない。 「ターミナルへの転移も、可能性はゼロじゃない、か」 情報を整理するつもりでトラベラーズノートを開けば、そこには明日からのメッセージが届いていた。 彼女が提示した情報とその『思いつき』に、さてどう乗るべきか。 * ここは夜が少ないから、だから目が覚めないの? まだ、寒い? * 「なるほど、大胆な事を思いつくねぇ」 面白そうに新生が笑う。 だがその目は笑っていない。 「廃屋をあたったけれど、現場周辺や目撃証言の範囲のどこにもなかったわ。だから予言を逆手に取ることにしたの」 ナレッジキューブを消費し、明日がここに出現させたモノ――最も不審な事件が多かった画廊街の外れ、木々の茂るその空間に佇む小さな家は、窓ガラスが曇り、屋根や壁の一部が崩れ落ち、気配が死んでいる。ソレは間違えようがないほど見事な廃墟だった。 「ここに入るのかい?」 遠慮したげに那智が明日と新生を振り返る。 「ええ、そのつもりだけど……何か問題でも?」 「ふむ、問題と言えば問題かな? 服を汚して帰ると助手君に叱られるんだよ。洗濯するのがかなり手間みたいでね、面倒だって文句を言われるんだ。あのカオは是非見せてあげたいね」 どこまで本気か分からないが、それでも悩ましげに溜息を落とす那智に、 「なるほど、そりゃおっかないなぁ」 「……そういうものなのかしら?」 新生は身につまされるかのような同情的苦笑を返し、明日は無表情のままに首を傾げる。 「でもまあ、今回は他ならぬメイヒへの協力でもあるからね、万が一汚れたとしても君が一緒に謝ってくれたら、助手君もきっと許してくれるんじゃないかな」 「そう? ならそれでもいいけれど」 「いいね。じゃあ、約束」 確信犯めいた嬉しそうな笑みを浮かべた那智は、その形を微妙に変え、指を一本立てた。 「さてと、メイヒが一緒に叱られてくれると言うし、安心して私もここでひとつ提案させてもらおうかな?」 二人に対して言っているようで、その視線は明確に明日を捕らえている。 ソレをまっすぐに受け止め、彼が何を言わんとしているのかを察知する。 「メイヒ、君なら囮になれると思うんだけど、どうかな?」 「……そう言われると思っていたわ」 「那智くん、あくまでも明日君に危険な囮役を依頼する、その理由を聞いてもいいかなぁ?」 「ヘル柊木、残念ながら私たちのような年齢の男に犯人は用がないらしいし、女性の被害は確認する限り、命に関わるモノでもないんだよ」 「囮になるからにはそれなりに相手の注意を引きつけなければいけないはずだがね。勝算はあるのかい?」 「その辺は問題ないよ。まだ《集め切れていない》モノさえ用意すればいいんだからね」 廃屋は用意した。 被害者も用意した。 あとは捕らえるべき相手がより罠に掛かりやすくなってもらうよう、更なる手を尽くすのみだ。 那智は改めて明日を見やる。 「さて、メイヒ、やってくれるかい?」 「断る理由がないわ」 「それじゃ、次は段取りの話をしようか」 * 見つけた、一緒に住める場所。 あともう少し、もう少しだから、だから、待っていて。 * 月の光が落ち、あらゆるカタチが不明瞭な影に飲まれて沈む夜の中、白いドレスの《彼女》がひとり歩く。 長い髪を揺らし、颯爽と、真っ白な日傘を差して、森林公園に続く小道を歩く、歩く、歩く――瞬間、風が吹いた。 「譲ってよ。欲しいモノがあるんだ、だから、ちょうだい、それをちょうだい」 声が響く。 男とも女ともつかない不可解な抑揚の声とともに風が渦を巻いて巻き上がり、《彼女》の体をすくい上げ―― 「――っ!」 長い髪が散り、スカートの裾が踊り、浚われる、その手にしていたはずの、白い日傘が強引に奪い取られる。 「おっと……っ」 突風のあおりをまともに受けて転びかけた体を、物陰から飛び出した壮年の男が背後からしっかりと抱き留める。 小柄な影が屋根の上で立ち止まった。 「コレで、コレであと少し……きっと喜んでくれるんだから。邪魔しないで」 月の光を背負ったソレは、日傘を抱え、キラキラと金色に輝く獣の瞳で二人を見下ろすと、再び空へと飛んだ。 風が吹く。 風が舞う。 「さあ、追いかけっこの始まりだ」 「ゴールは那智の待つあの場所ね」 「向こうで彼があの子を迎えてくれているはずだからね」 黒いトレンチコートを、そして白いドレスの裾を翻し、風が向かう先へと二人ともに夜を駆ける。 * いま行くよ。きっとコレも気に入ってくれるはず。 * 風に乗って、ヴァイオリンの旋律が闇色の世界に響く。 流麗にして焦燥めいた感情を掻き立てるその曲は、那智のオリジナル――《告発と贖罪》だ。 屋根を飛び、木々を渡って廃墟の前に降り立ったソレは、ひたりと動きを止め、目を眇めてこちらを見やった。 告発されるべき存在は、この旋律に精神を揺さぶられ、否が応にも立ち止まらざるを得ない。 「だれ」 「君の行動原理に興味を持つ人間、といったところかな」 演奏の手を止め、告げた言葉に、ソレは低く唸り、両手を大きく交差して風を巻き上げた。 「邪魔するなっ」 見えない刃が那智を襲う。 後ろに飛んで躱す、その一瞬の隙を突き、影は廃屋へと消えた。明日が作り出した《匣》の中へ。 ソレを冷静な視線で見送ると、那智は肩越しに振り返り、 「……さあ、終演は間近だよ、二人とも」 駆けつけてきたドレスとコートの仲間に向けて、涼やかに笑った。 ざらりとした質感の廃屋は決して広くはない。 割れたシャンデリアの下を過ぎ、階段下の扉を二つ経てしまえば、もう、そこに目的の部屋が存在している。 大きな窓を背にしたリビングルーム、かつてささやかな家族の日常があったのだろうと思わせるソファとローテーブル、そして埃を被った絨毯。 そこに三人は、探していたモノの姿を見つける。 「どうして笑ってくれないの? まだ、足りない? どうして二人とも冷たいまんまなの? 中が空っぽなのがいけないの? ねえ?」 ソファにぐったりと凭れかかる二つの影の前に立ち、問いかける子供の姿を―― 「きみはそうやって蘇らせようとしているのか?」 不穏な気配を漂わせたその背に、新生はまっすぐに問いを投げた。 「――っ!?」 「次は何を求めるつもりでいるんだ?」 「くるなっ」 突然の訪問者に敵意を閃かせ、全身の毛を逆立てて、子供は叫ぶ。 「もうすぐ目を覚ますんだ、二人ともなかなか起きないけど、もうすぐなんだから!」 「姉ちゃんの大好きな白、兄ちゃんの好きなたくさんの色を着せてあげたから、きっとすぐにあったかくなるんだ」 「……なぜ人の腕を切り取る必要があった?」 「兄ちゃんの腕がなくなってたからさ」 「そうすれば目を覚ますと? ソレが?」 「ソレって言うな! もうすぐ温かくなって、もうすぐ笑ってくれるんだ! ボクを見て、ボクと一緒にいるって約束した二人になるんだから――っ!」 子供が守ろうとしているのは、継ぎ接ぎだらけの服。片方ずつ別の靴。片腕だけ生身の人形といやに黒髪が艶やかな人形。歪で壊れて動かない、アンバランスに飾り立てられた、アンバランスな二つの人形。 ガラスの瞳は動かない。 閉じた口は開かない。 人形屋が失敗作として廃棄する予定だった二体の球体関節人形を、その子は家族だと言う。 「……きみが求めているモノが何かは、分かった」 求めているのは、痛々しいほどの孤独の末に望んだ存在。失われた家族のぬくもり。ただそれだけだ。 だが、 「しかし、きみが良かれと思って取る行動、その行為は犯罪だ。分かるか? 例え今まで死者が無かったとしても、決してやってはいけないことだ」 あくまでも凛とした声で、誠実に、新生は告げる。 「まだ犯行を続けると言うのなら、僕は然るべき処置を取らざるを得ない」 「兄ちゃんと姉ちゃんを目覚めさせるためなんだ! だから譲ってもらっただけだ!」 「どれほど必要で欲しいものだとしても、人のものを奪って手に入れたなら、そこにはどんな価値も見出せはしないと思うんだけど?」 はね除けるようにことさら声を張り上げる相手に対し、新生ではなく那智が、穏やかでありながら、突き刺さるような鋭利な声を挟み込む。 「代用品を飾り立てて何になる? 欲しければ自分の力で手に入れた方がいい。例えどれほど得がたいモノだとしても、ホンモノを掴まなきゃ意味がないじゃないか」 ソレは凍り付くほどに正直な言葉。 「奪い取ったモノに心は宿らない。そんなもので偽りを飾り立てても所詮まやかし。君の《乾き》は永遠に潤わない。きみだって本当は気づいているんじゃないの?」 永遠に報われないことを繰り返しているに過ぎないと指摘され、子供は震え、怯え、憤る。 「ここにいるのは、兄ちゃんと姉ちゃんだっ!」 「違う」 ぎらつく視線の交差を前に、再び新生が口を開く。 「我々はね、きみが陥った闇からきみを救いたいんだ」 「救いなんかいらない!」 ぶわっと、空気が震えた。 「ボクはひとりじゃない、ボクはひとりぼっちじゃない、だっているもん、いるんだから、兄ちゃんと姉ちゃんが約束したんだから、ボクをひとりになんかさせないんだっ、こんな知らない世界にヒトリになんかしない、だから、だから――!」 孤独を否定する、血が滲むほどの悲鳴。 身をよじり、絞り出す、子供の慟哭は、ぎらりとした攻撃の光を宿して拳を振り上げさせる。 「ボクはひとりじゃない、ひとりじゃない、ヒトリになんかじゃ、――!?」 邪魔をするなら許さないと、激情に駆られるままに空気の刃を生み出しかけた子供の動きが止まった。 止められた。 那智と新生が注意を引きつけ作ってくれた《隙》を突き、明日は飛び出し、彼を抱きしめたから。 白い両腕でしっかりと捕らえ、胸に抱きしめる。 「あなたはひとりじゃないわ」 高ぶった感情に囁きかける抱擁と柔らかな声に、彼は大きく目を見開いた。 「……もう、大丈夫。あなたの声は私達に届いたから、だからもう、奪い取って作り上げる虚構の世界に閉じこもらなくたっていい」 たったひとりで世界から放り出され、誰ともコミュニケーションを取れず、兄と姉を追い求めるあまりに壊れかけたその心を、包み込む。 「あなたには仲間がいるの……私達もあなたと同じ……ひとりじゃない」 「……おな、じ……?」 「あなたのかつていた世界を、あなたの大切な人がいる世界を、探しましょう? 私達は皆、ずっとそうして捜し物の旅をしているんだもの」 「兄ちゃんと、姉ちゃんが、いないのに……?」 「探すの。手を伸ばして掴むの。自分の手をありったけ伸ばして。皆、そうやって自分の大切な場所を探している旅の途中なだけ」 そうすればきっといつか帰る場所にたどり着けるから。 罪を重ねるのではなく、努力を重ねれば、それは決してゼロではないから。 「……っ…う、うわぁぁああんっ」 声を上げて、子供が泣く。明日に縋り付いて、声の限りに、ありったけの想いをぶちまけてただひたすらに泣き続ける。 「日の光が辛いなら夜だけのチェンバーもある。ここからずいぶんと遠いが、そこに行けばきみはずいぶんと生きやすくなると思うんだけどねぇ?」 咽び泣くその子供の頭をそっと撫でつけて、新生はあたたかな問いを掛ける。 「きみの顔を見にも行くよ」 「まあ、その前に迷惑をかけた彼女たちへ謝罪すべきだけどね。それから世界図書館への登録申請も必要かな」 一歩引いた位置から那智が軽く肩を竦めて、一応のけじめを提示して。 そうして、ターミナルの連続傷害事件は幕を閉じた。 後日。 夜のチェンバーにナイトウォーカーたる子供が移り住むにあたり、彼が抱え込んだ二体の人形を巡って起きた騒動に三人もまた巻き込まれることになるのだが。 ソレはまた別のお話。 END
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