ドアノブを引いたとたん、すがすがしい緑の匂いと、花の香が漂ってきた。 見上げるほどに高い吹き抜けを持つ店内に、観葉植物の林が連なる。ヤシ、オリーブ、ブーゲンビリア、イングリッシュアイビー、ベンジャミン、アローカリア。広大な植物園にでも迷い込んだようだ。 緑の中を飛び交う色とりどりの鳥は、来客を歓迎し、口々にさえずった。 バードカフェ『クリスタル・パレス』は、鉄骨とガラス、そして豊かな緑で構成されている。かつて壱番世界のロンドンに存在した、同じ名前の建物がそうであったように。 ストレリチアオーガスタ——別名トラベラーズパームの葉に止まっていたシラサギが、ドアの開く音に、飾り羽を揺らして舞い上がる。朝霧のように、白い鳥のすがたはかき消えた。 靴音が——かつん、と、石張りの床を打つ。 そこに立っているのは、純白の翼を持つギャルソンだ。「久しぶりだなぁ、おい。何でもっとしょっちゅう、おれに逢いにこねぇんだよ。……怒るぞ?」 ギャルソンは、親しげに片手を差し伸べる。言葉づかいは乱暴だが、語調は陽気で、口元は笑っている。「あぁ? 別におれ目当てじゃないって? ……それは失礼しました。では、お席にご案内いたしましょう」 軽口を叩いていたかと思うと、うって変わって丁重になる。いささか芝居がかった仕草は、どうやら彼特有の接客姿勢であるらしい。 うやうやしく案内されたのは、明るく差し込む外光を緑の日傘がやわらかくさえぎる、居心地のよい席だ。 椅子を引き、ギャルソンは一礼する。「さて。本日のオーダーは、いかがなさいますか?」
「シオンさんラファエルさん、こんにちはー! あ、無名の司書さん。海神祭、すっごく楽しかったですねー」 相沢優は、にっこにこの満足顔でカフェに立ち寄った。両手いっぱいに、楕円形だったり菱形だったり星形だったり花形だったり葉巻型だったりな、摩訶不思議な形態の包みをみっちり抱えて。 彼は今しがた、リトル・コヴェント・ガーデンの店舗を巡り、面白グッズをたくさん仕入れてきたばかりだ。ことに今日は、馴染みの店に加え、ロストナンバーが運営する雑貨屋をいくつか新規開拓したこともあって格安にして大豊作、ほくほくつかみ取り状態の戦果であった。 どれもこれも、作ったひとの脳内は一体どんなことになっているのか、ロストレイル12車両を乗り継いで全異世界を七回り半してもわかんねぇよ、と、見たものが首を捻りすぎて複雑骨折するくらいはっちゃけた逸品である。そういう無駄に愉快な品々を、優はこよなく愛している。 面白いものを商う店を巡って珍品を見いだすことは、覚醒後の優にとって、楽しい趣味のひとつというか、ほとんどライフワークとなっていた。何せUFOを運転してうっかり月まで行っちゃうくらいにはトンデモ方面にも造詣が深い彼のこと、真面目で誠実な少年に見えて、いや、実際そうなのだが、なかなか奥が深いのだった。 「よう、優。久しぶりじゃん。よく来たな……っとォ!?」 顔見知りとあって、シオンの態度は最初からくだけている。親しい友人ででもあるかのように馴れ馴れしく肩を組み、席に座らせた。すかさず駆け寄った無名の司書が、えいやっとシオンを引きはがし、隣の席に腰掛ける。 「囲いこみ禁止ー! きゃー、優くーん。いらっしゃーい。てんちょー、あたし、優くん指名するから。シオンくんは邪魔だから厨房にこもっていいわよしっしっ」 「なんだよそれヒデェ」 「といいますか、優さまはお客さまですので、ご指名対象ではありませんよ」 「そんな固いこと言わなくていいじゃーん。ねぇ、優くん?」 「あはははは。司書さんは相変わらず面白いですね」 「ほら、優くんだってあたしと結婚してもいいって言ってる」 「言ってねぇよ! 無名の姉さんこそ、おれの営業妨害するヒマあったらトイレ掃除でもしてこいよ」 「あは。あはははは。ちょっと待って、苦し……」 身体を二つ折りにして、優は笑い転げる。 「大丈夫ですか、優さま。……まったく、いい加減にしなさい、ふたりとも。優さまはまだオーダーもなさってないんですから」 「優くん優くん。店長特製のかき氷頼んでみたらー? 上等な白蜜使っててね、とろっと甘いクラウンメロンが乗ってるの〜」 「いや、今日はスタンダードにフルーツ盛り合わせをすすめるね。山梨からすげぇいい白桃と紅桃が入ってさぁ。岡山からは皮ごと食べられるシャインマスカット。聞いて驚け、糖度20度の葡萄だぞ。メチャメチャ美味いのなんの」 「うわぁ、迷うなぁ。かき氷も食べてみたいし……、フルーツも」 ほとんど押し売り状態でおすすめメニューを提示され、優は真剣に考え込む。ラファエルが助け舟を出した。 「それでは特別に両方ということで。少々お待ち下さい」 ほどなくして優のテーブルには、ガラスの器に形良く盛られたかき氷に、紅白の桃とクラウンメロンが飾られ、大粒のシャインマスカットが散りばめられて、運ばれてきたのだった。 かき氷に舌鼓を打ちながら、優は本日の戦利品を披露する。 「え〜? こんなのどこで売ってるのー?」 テーブルの上に並べられたあれこれに、司書は目を見張った。 グッズその1。無限マトリョーシカ。 文字通りの、いっっっっったいどこまで中身があるんですかコレ状態の、開けても開けても終わらない謎のマトリョーシカだ。いかなる酔狂なロストナンバーが作ったか知らないが、マトリョーシカにはリベルそっくりの描画がなされている。イタズラなどして身に覚えがある者が枕元に置くと、無限に追いかけられる悪夢にうなされそうである。 グッズその2。ダンシング・フラワー。 作りは何の変哲もない、刺激を与えると踊る花だが、特筆すべきは花部分がウィリアム執事の顔に造型されていることであろうか。壮絶なギャップに、見ていると亜空間に引きずり込まれそうになる。優いわく、「シドさんの顔のもあったんですけどね。あまり違和感ないから買わなかったんです」だそうだ。 グッズその3。トイレットペーパー。 これまた何の変哲もないトイレットペーパーである。問題は、ブランそっくりのうさぎのイラストがみっしりとプリントされていることだ。迂闊に使用すると決闘を申し込まれるかもしれない。薔薇の花びらが舞う幻影に翻弄されるかもしれない。それはそれで美しい(?)が。 その4その5、6789……エンドレスで、面白グッズの紹介は続く。 「これ、あたしたちだけで見るの、もったいないよ」 「そうですか? じゃあ、あとで、友だちのチェンバーに行こうかな。みんなの感想も聞きたいし」 「……すっっっっごくウケると思うよ」 「うん、おれ、ツッコむのも忘れて感心した。おまえ、すごいよ優」 「なんだ、シオン。お客さんの独り占めか?」 ジークフリートが、シオンと優の間に割って入る。 「今度は俺を指名してくださいよ。ほい、名刺」 「あ、ありがとうございます??」 裏に携帯ナンバーの走り書きをした名刺をいきなり渡され、優は面食らった。 「おれの客に横合いから営業かけないでくれますかねぇ、ジークさん?」 「別にシオンを永久指名してるわけじゃないもんな、優くんは。目先を変えて、たまには俺と遊びにいきましょう。そんときゃ、お友達の可愛い女の子、たくさん連れてきてくださいね」 「あー、それが目当てかぁ。ジークさんらしいや」 肩をすくめるシオンをよそに、司書が優に耳打ちをした。 (優くん優くん。チャンスよ。羽根ペンゲットの!) (あっ、そうか。今、お願いすれば) (そりゃもう。絶対断らないわ) 数分後。 ジークは自分から羽根を数本引っこ抜き、優に手渡すことになる。 涙目で、お友達紹介よろしく、と、ちゃっかり言い添えて。 ジェラートのお土産を手荷物に加え、優はカフェを後にした。 これから友人のチェンバーを訪ねると言ったら、ラファエルに持たされたのだ。 「マンゴー、ライチ、パッションフルーツ、白桃、ストロベリー、葡萄。各種フルーツジェラートを詰め合わせました。ドライアイスは入れましたけれど、お早めにお召し上がりください」 思わず、足早になった。 友人たちの顔が、無性に見たくなったのである。
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