それは、ごくごく平和な昼下がり、のはずだった。 エミリエが鋭意配布中の特殊効果つきトリュフチョコを108粒受け取った無名の司書が、真っ先にヴァン・A・ルルーに食べさせようと思ったのも、世界図書館的には日常のほのぼのひとコマに違いない。 しかし、ルルーの司書室につながる廊下を歩いていた無名の司書は、はっと緊張し、柱の陰に身を隠した。 先客をふたり、みとめたのだ。 蛙と魚の意匠の縫い取りが斬新な、個性の強いスワローテイル(関係筋によれば、これはリリイのデザインであるらしい)――《赤の城》のフットマンたちが、司書室をノックしている。 手にしているのは、赤い薔薇が刻印された、ペールブルーの封筒。あれはまぎれもない、レディ・カリスのお茶会の招待状ではないか。 わずかに扉が開き、もっふりしたクマぬいが招待状を受け取る。 ふたこと、みこと、言葉が交わされ、いったん扉は閉じる。 そして。 ほどなく司書室からは、すらりとした長身に白菫色のタキシードを身に着けた銀髪の青年が、ごく自然な所作で出てきたのだった。 † † †「うわぁぁぁーーーん!!! カリスさまのバカァ! 意地悪! ドS! ツンデレぼっち!」 図書館ホールのど真ん中でしゃくりあげながら号泣している司書を、ほとんどのロストナンバーたちは遠巻きにしているだけだったが、それでも、物好きな数人が事情を聴いてくれた。 えぐっ、うえっく、ひっく、と、繰り返される泣き声と、要領の得ない無駄な前置きを省略して整理すれば、司書の主訴は以下のようになる。1)ルルーさんに、オレンジッポイノ入りチョコを食べさせそびれた。かなしい。2)カリスさまが横合いからお茶会に呼び出したせいだ。くやしい。3)実はひそかにルルーさんのこと狙ってたのね、あたしを差し置いて。ひどい! 4)ルルーさん、ガワなしでお茶会に行っちゃったよ。もしやOKなの? まさかのカップル成立?5)そんなのいやぁあ。お茶会に乱入しなくちゃ! 無名の司書のヒートアップに反比例して、ロストナンバーたちは冷静になった。 レディ・カリスがルルーを呼び出したのは、相応の理由があるのだろうと、すぐに判断する。 お茶会でどんな話題が交わされるのか、興味の惹かれるところではある。 司書が言うような「乱入」を、野暮を嫌うカリスは受け入れないだろうが、何とか、非招待客が参加することはできないものだろうか。 クマぬいではないルルーを間近で見られる、よい機会でもあることだし。 † † † 薔薇は適切に管理すると、ほんの1年で驚くほどに成長する生命力を有している。それを不公平だと神が思ったのか、他の植物と比較して、病害虫がとても多い。 レディ・カリスは、精緻なミニバラを配置したアーチを眺めていた。ルルーの訪れにすぐには気づかぬほどの、遥か彼方を見る瞳で。 おそらくはアリッサと同等の意志と闊達さを持ちながら、しかしアリッサ以上の残酷な試練を与えられてきた後見人の真意は、ルルーにもわかりはしない。ある程度の自己開示がなされているのか。それとも、まだ多くの謎を内包しているのか。それさえも。 薔薇園の東屋には、華麗なプティフールスタンドのアフタヌーンティーセットが設けられている。 オープンサンドイッチ数種に、異世界の果物のジャムと蜂蜜が添えられたスコーン。ひとくちサイズのエクレア。無花果とチェリーのフロマージュ。冷たいデザートとして、マンゴーのムースとベリーのマシュマロ。「お招きにあずかりまして。雑談相手にご用命いただき、光栄です」 ルルーは声を掛け、カリスは振り返る。 このすがたのルルーを見るのは――、いや、「このすがたであったこと」さえ知らぬはずのレディ・カリスは、ほんの少しも驚く様子を見せず、いとも優雅に賓客をもてなす気品をもって、着席を勧める。「ご来訪くださって、ありがたく思います。……そう、薔薇を眺めながら、とても他愛のない雑談を、してみたくなったものだから」「雑談のテーマは、《密室》でしたね」 ルルーは微笑み、カリスは頷く。「貴方のお得意な分野でしょう?」「得意かどうかは……。心惹かれるシチュエーションではありますが」 † † †「招待状をお持ちにならないかたを、お通しするわけにはいきません」「レディ・カリスは、ヴァン・A・ルルーさまとご歓談中です」 立ちふさがるフットマンたちの口元に、無名の司書は、特殊効果つきトリュフをお見舞いした。「みんなぁああーー! 後はまかせて! お茶会に参加してぇえええ!!!」 † † † あるところに、朽ち果てかけた、古い洋館がありました。 洋館の広間には、男の死体がありました。 銀の燭台にも、大理石の彫像にも、マホガニーのテーブルにも、うっすらと埃が積もっています。 全ての窓、全ての扉には、内部から施錠がなされていました。 この犯行は、どうやってなされたのでしょう?
ACT.1■The Locked Room Lecture 那智・B・インゲルハイムは、猛ダッシュで遠ざかる司書の背を、無言で見送る。 まあ、一応、慰めようかとは思った。一応は。 チョコを食べてほしいのならここにいる男性全員に食べさせればいいよ私は絶対食べないけどねくやしいのかいうんうんわかるよだけどカリスさまはぼっちでお淋しいのだから許してあげたらどうだいとか――那智自身もまったくちっともこれっぽっちも心がこもってないことを全力で自覚満載というかそれ全然慰めてないよねなことを言おうとは……、思った。 思った。思った。しかし――思っただけだった。 ちなみにルルーの中身にはいや別にそこまで興味ないんだからね的ポーズを取っているが内心では興味津々だったりしてむしろ押し倒して自分でジッパー開いてみたいレベルだけどなにせまるっと表明しないし態度にも出さないので那智がそんな鬼デレだとはルルーはおろかターミナル中の誰も見抜いていないはずである。たぶん。 繊細な瞳を伏せ、岩髭正志は、そっと胃を押さえる。 何しろ招待状なしの、無理やりの乱入なのだ。その事実がずっしり重い。 レディ・カリスのことを、正志はあまりよく知らない。アリッサ館長の叔母で後見人で、世界図書館の実力者であることくらいしか。 それゆえ、ルルーやシーアールシーゼロなど、知己がこの場にいることはとてもありがたい。だが、今のルルーは、馴染み深いクマぬいではないのだ。今までどおりの接し方でいいのかどうか。 微妙に戸惑いながらルルーを見ていた正志だったが、視線が合った瞬間、ルルーがふっと微笑んだので、ようやく安堵する。 遅くなりました、と、正当な客のように振る舞ったのはヴィヴァーシュ・ソレイユだった。招待状がないことなぞには微塵も触れない。 「その節は、シェイクスピア談義の場に、ご招待いただきまして」 「お久しぶりですこと、ヴィヴァーシュさん」 「覚えておいでですか?」 「『タイタス・アンドロニカス』を考察なさっていらしたわね。予測しづらいのが人の感情というものだと」 どうぞ、と、指し示された席に、ヴィヴァーシュはゆったりと腰掛ける。 「よう、レディ」 ジャック・ハートはすでに、カリスの正面の席で足を組んでいた。 「8人も急に押しかけてワリィな。可愛い司書さんが身体を張って招待してくれたんで、断れなくてなァ」 「城門付近がずいぶんと騒がしいと思ったら、そういうことなのね。わたくしが選び抜いたフットマンたちが常軌を逸することなど、滅多にないのだけれど」 白い指をしなやかに動かして、カリスは銀の呼び鈴をチリンと鳴らした。 トランプのメイドが4人、風の精のようにすっと現れ、うやうやしく頭を垂れる。 「あのものたちが自分を取り戻すまで、しばらく《静謐の棺》に入れておきなさい」 《静謐の棺》とは、沈黙の女神たち――紡ぐ女クロト、割り当てる女ラケシス、曲げられない女アトロポスが彫刻された、美しい銀の棺のことである。空気穴が設けられているので窒息することはないのだが、ここに入れられたら最低8時間は生きた屍として過ごすしかない。《赤の城》特有の備品であるこの棺を、カリスは従者教育の一環として活用していた。 「犯行と呼ぶからには」 ジャン=ジャック・ワームウッドに至っては、前置きいっさい省略で、もう考察に入っている。黒天鵞絨のシルクハットはすでにメイドに預けていた。 「単なる事故や自殺では済まない、何かがあるのだろう」 「興味深いことを仰るのね」 ジャンもまた、シェイクスピア談義の場にいたひとりであった。 「密室というのは滑稽な概念だ。封じられたものが殺人なら特に」 「そうね」 「故に、ソレが作られた事件において考えるべきはひとつ。『何故、密室が生まれたのか?』」 「お話中、失礼いたします」 相沢優が、礼儀正しく頭を下げる。 「こんにちは、レディ・カリス。……ヴァンさんも」 優はルルーを見るなり、驚きで目を見張った。が、それは一瞬のことだった。 「その姿も、素敵ですね」 「ありがとうございます。先日の件では、お役に立てましたか?」 「はい。おかげさまで楽しく過ごせました。……これ、お礼です」 小さな包みを、優は手渡す。このために単身、百貨店ハローズへ出向いて買い求めた、選りすぐりの紅茶だった。 謝意を述べて、ルルーは受け取る。「先日の件」とは、優が親しくしている少女に請われ、「外側」を貸したことを指している。彼らの、記念すべき初デートのために。 「――相沢、優さん」 「はい?」 カリスから呼びかけられ、優はまたも目を見張る。自分の名前を覚えられているとは、思わなかったのだ。 「……ロバート卿と、親しくしていらっしゃる?」 「え? 親しいとか、そんなんじゃないですよ? 質問責めにしちゃって、注意されたことはありますけど」 少しきまり悪そうな、照れくさそうな表情を、優は見せた。 「俺は、ロバート卿のこと、もっと知りたいって思ってますし、力になれたら嬉しいなって……。でもきっと、まだ難しいですよね」 「どうかしら。貴方は少し、大人びたように見えるわ。それに、気品も備わってきたよう」 お掛けになって、と、指し示したのはルルーの隣席だ。 東屋は、ルルーを招いただけのお茶会にしては、席の数も、並べられた茶菓の種類や量も、そしてティーセットの数さえも、多かった。ゆうに10人、座ることができるほどに。 「や、こんにちは!」 半身を前に倒し、百瀬幽香緒は屈託のない、どこか幼い笑顔で挨拶をした。触り心地の良さそうな狼の耳と、ゆらゆら揺れるふかふかの狼の尻尾を見て、カリスは無言で頬に手を当てる。 「……貴方は?」 「百瀬幽香緒。よかったら、これ食べて。約束もないのに押しかけちゃったわけだから」 薔薇ジャムをたっぷりはさんだラング・ド・シャを、幽香緒は茶菓のひとつに加えた。 「見事だこと。幽香緒さんのお手製?」 カリスの口元が、ふっとやわらかくなる。 「うん! 薔薇の香りを殺さないようにジャムにするって、結構手間なんだよなー」 シーアルシーゼロは、いつものように、いつの間にか、そこにいた。 「カリスさま。お邪魔しますなのです」 と、ぺこりと頭を下げる。 「ようこそ、ゼロさん。クリスマスパーティーのときのモフトピアのお話、楽しかったわ」 「カリスさまは毎日いろいろお疲れだと思うのです。いつかモフトピア依頼にご一緒してうさ耳温泉に入りましょうなのです」 「そうね。機会があれば」 「カリスさまのうさ耳は、きっと魅力的なのです。全ロストナンバー男子を10kmドミノ倒しで悩殺なのです」 「できれば、男子禁制でお願いしたいわね」 「それは当然のことであり自明の理なのです。そのときゼロは巨大化して無防備なカリスさまを警護するのです」 「頼もしいこと」 こっくん、と、頷いたゼロは、ルルーに向き直る。 「ルルーさんに折り入って、お願いがあるのです」 「おや、何でしょう?」 「それはお茶会終了後にお伝えするのです」 そしてゼロは、カリスに、ルルーに、他の皆をくるんと見回す。 「何はともあれ、招待なしにお茶会に来た8名が、何の問題もなくお茶会に参加するというミステリーが、今ここで繰り広げられるのです!」 「ゼロさんらしい、素敵なミステリーですね」 ルルーが頷いた。 ACT.2■密室の構成・性質・成立要素 「密室に於ける事件の歴史は、推理小説の歴史よりもずっと古くに遡ります。壱番世界の古い書物には、密室であるはずのピラミッドで盗難が発生したことや、首なし死体が発見されたことが記録されているほどです」 「密室かぁ。犯人が魔族だったら、殺したやつを魔法で飛ばして……、とか簡単にできるだろうけど、そういうのは野暮なんだよな?」 新たな客人を迎えた《雑談》の場は、ルルーの司会進行というかたちで開始された。 獣人である幽香緒自身は、そういった文化を持ち得ないが、人間に育てられたため、推理小説に類似した書物を物を読んだこともある。 「要するに『誰が』『どうやって』『なぜ』殺したのか、ってことだろ?」 「僕は、どうして密室が出来たのかというよりも、何故密室を作りたかったのか、という、心のありようが気になります」 考えながらも訥々と、正志が言う。 「密室というのはひとつの箱でしょう。誰も入ることの出来ない箱に、死体を閉じ込めるというのは、罪を隠したかったのか、それとも――別のものを閉じ込めたかったのか」 「朽ち果てかけたという形容がついているのは、手入れが行き届かないまま洋館があった、ということですね。ああ、ありがとう」 ヴィヴァーシュのティーカップに紅茶が注がれる。メイドに礼をのべながら、考察は続く。 「館内を手入れする人員も確保できず放置されていた洋館は、誰かに買い取られた。それは『何か』が洋館にあるからかもしれません」 「そういう考えかたもあるんですね。俺は、普段から誰かが生活している館を想像してました」 紅茶の湯気を見つめながら、優が言う。 「テーブルと彫像には埃がうっすらとしかない状況ということだったら、掃除は行き届いていない中で、少人数で暮らしていたのかなって」 「普段は人が出入りしない、つまり、管理を怠った洋館であることは考えられる」 ジャンは紅茶にも茶菓にも興味を示さずに、冷ややかな表情のままだ。 「銀の燭台など、高価な品を含む家具は残されている。役割を終えて手放されたのではない可能性がある。関係者にとって何らかの曰くがあって、近寄り難いが手放せない――思い入れのある建物かもしれない」 「ゼロは思うのです。きっと被害者が殺される直前まで、館は普通に使用されていたのです。そして、館は人里離れた誰も訪ねてこない場所にあったのです」 ゼロはうっとりと両手を組んでいる。マイペースマイワールドなまどろみの世界へ突入しかけているようだ。 「殺されてから死体が発見させるまでの間に長い年月が経過したため、館は朽ち家具は埃を被ることになったのです。館は寒冷な地にあり、死体は腐敗せず維持されたのです」 ジャンはジャンで、自分の考察に集中している。 「これが意図的に作られた密室なのかどうかだが。一目見て殺人であるとわかる状況で、犯人が施錠するメリットは多くない」 「それは、どうして?」 無邪気に問う幽香緒に向き直るでもなく、ジャンは話し続ける。 「普通、容疑者は多い方がいい。特殊能力者の犯行だとしてもコレは同じだ。閉鎖された空間で殺人が行われると、被害者の関係者がまず疑われてしまう。犯人が被害者とは全く無関係で、己から容疑を逸らす意図で密室としたのならば、また話は別だが」 「自殺に見せかけた殺人かもしれないよ?」 「なら何故、現場が広間なのか。死を見せつけるためならば、施錠は必要ないだろう」 「うーん。たとえばだけど、被害者自身が施錠したとか」 「それでも後から幾らでも、盗人の仕業に見せかけることはできたはずだ」 「なんで密室にしたんだろう」 「己の目や意識からも殺人を切り離すために。その館を、全てを封じ込める匣とした――」 「そうだなァ」 ジャックは薔薇ジャムのラング・ド・シャをひょいとつまみ上げ、口の中に放り込む。 「密室殺人なンてやる奴の気が知れねェ。死体を見つけさせねェのが完璧な殺人だゼ」 「完全犯罪を意識してはいないと、いうことでしょうか?」 ヴィヴァーシュは目を細め、紅茶の香りを楽しんでいる。 「密室殺人にゃ自己顕示欲や警告なり脅迫なりの声明が混ざってやがるからナ。ンなまだるっこしいやり方が好きな奴ァ、根性曲りヨ」 話が逸れたナ、と、ジャックはふたつめのラング・ド・シャに手を伸ばす。 「密室殺人は、密室ッてェ錯誤の横糸と利得ッてェ縦糸から成り立ってる。密室殺人ッてェ銘打たれた段階で、ソレはもう密室じゃねェのサ」 ACT.3■事件背景と現場状況 目を伏せたまま、那智はずっと言葉を発しなかった。皆の意見に耳を傾けているようにも、まったく心を動かしていないようにも見える。 注がれた紅茶が冷めたあたりで、ようやく顔を上げ、カリスを見やる。 「まったく明らかにされていないようですが、まず、その男の死体の状況について知りたい」 「死体の、状況?」 カリスはそっと眉をひそめる。 「死体には、家具同様に埃は積もっているのかどうか。積もっていないのなら、最近の侵入と思われる」 「それは、重要なことなのかしら?」 「もちろん。床の埃の状況についてもお聞かせ願いたい。家具に埃が積もっているのならば、床にも当然あるはずだから足跡の有無もわかる。足跡が残っているのなら、それは何人分あるのか、男女の区別はつくのか、死体も含めてその動きは推測できるのか」 「……現場検証があったことを前提にしてらっしゃるようだけど」 「『死因は何か』を特定したいので。検案書のようなものがあれば、拝見したい」 「検案書……。死体検案書ということ?」 「ええ。凶器はどこにあるのか。現場にないのであれば、犯人が持ち去ったか、消えたかのどちらかでしょう。持ち去ったとすれば、出入りが可能というわけだから、完全な密室ではない」 「それは、言うまでもないことだわ」 「施錠がされているのは、広間だけなのか館全体なのか。鍵はどこにあるのか。死体の側に落ちていたのか、いなかったのか」 「わたくしに、何をせよと?」 「館の見取り図があれば、お借りしたい」 「野暮の極みのようなことを、仰るのね」 カリスの言葉が、鋭さを帯びた。 「わたくしは《雑談》がしたいと申し上げたはずよ。お茶会の場で死体検案書や館の見取り図を用意して、回し読んでいただくなんてこと、考えもしなかったわ」 「これは失礼。お気を悪くされた?」 「ええ、とても。このまま席を立ってしまいたいくらいには」 そう言いながらも、カリスの瞳に怒りの色はない。 「……でも、そうね。よくわかったわ。貴方がこの雑談を『実際に起きた事件の考察』としてのみ、捉えていらっしゃるということが。想像や物語、ロマンチシズム。いっさいの感傷が及ばない、ありきたりの殺人事件であると」 「物理的な確認をしなければ、何も比定しようがない。皆は他殺前提で話を進めているが、自殺だった可能性もあるので」 「もちろんそうなのだけれど、わたくしは自由な発想によるお話を聞きたくもあるの。皆さんはそれぞれ『密室を舞台にした物語』を構築なさっていらっしゃるわ」 「了解した。では私も聞き役に徹し、物語を楽しむとしよう」 もう、聞きたいことは聞き、言いたいことは言ったので、と、冷めた紅茶を那智は飲み干す。 「今の話、俺サマは面白かったゼェ?」 思わぬ成り行きに、ジャックがニヤリとした。 「そもそもの密室の説明に、屋根、壁、暖炉、地下室、地下道の話がねェ。屋根や壁が破れてるかもしれねェし、仕掛け暖炉や地下室や地下道、隠し階段でもあった日にゃ人は通り放題だ。鍵の種類も不明だ。閂型は氷挟んだり外から針金で開閉できる。犯人か死体がその家の関係者なら鍵が使える。飛び道具系の仕掛も、被害者の生活パターンを読める人間なら設置できる」 まァここまでは、壱番世界人の話ヨ、と、ジャックは言葉を切り、身を乗り出す。 「例えば俺なら、最初から密室に死体を送り込める。飲食不要の器物型ツーリストなら、未だに家具のフリして現場に居るかもしれねェ。遠隔操作可能な玩具の兵隊もそォだよナ? 密室の『見せ掛け』はあっても、密室なンて死体が転がってた段階で存在しねェのサ。本人の自殺も含めてな」 「意図的な密室である場合、パスホルダーを使えば痕跡は残らない」 ぼそりと言ったのは、ジャンだ。 「例えば、重みのあるギアとパスを組み合わせて、窓の錠前に仕掛ける。仕掛けを支えながら、外に出る。ギアを手放して重みで施錠しながら、ギアをパスに収納し――パスを手元に呼べばいい」 「後は、ソイツを殺して利得がある奴を考える。第一発見者は勿論怪しいゼ……。現場を整えられるからナ」 ACT.4■殺害手段と動機 「ゼロはこう思うのです」 おっとりした発言が、緊迫した雰囲気をなごやかに覆す。 「殺害手段は、強いアルコールを勧めて意識を失わせ、玄関を開け放ち、そのまま放置とかなのかもしれないのです〜〜。動機は星が綺麗だったからとか太陽が眩しかったからとか庭に薔薇が咲いたからとか夕食の魚と野菜とパンとスープが美味だったからとかでも別にかまわないのです」 「理由を求めるのが間違っているということ?」 「犯行後、犯人は館を内部から完全に閉ざし、誰かが来て死体を発見するまでの間館から一歩も出ずに過ごしていたのです。よって犯人は長期間、孤立した閉鎖環境の中で過ごす術を持っていることは確実なのです」 「ずいぶんと優雅な犯人ね」 「ゼロが犯人ならまどろんで過ごすのです。ちなみにゼロはプロフェッショナルなので、まどろみが永遠でも問題はないのです」 えっへん、と、ゼロは胸を張る。 「そして外から誰かがやって来て、館がもはや密室ではなくなってから、犯人はこっそりと出て行ったのです。その行方は神すら知らないのです」 「不条理でロマンチックね」 「あのう……。ロマンチックな物語を語ってもかまわないようなので……」 おずおずと正志が言うのへ、カリスは微笑を返す。 「お聞きしたいわ」 「一組の恋人がいたとします。そして男性の方が浮気性であったか、心変わりしそうになっていた。女性はそれが許せなかった。だから、男性が誰かの所へ行かないように閉じ込めようとした」 「それで?」 「洋館はかつて、二人の思い出の場所だったのかもしれません。彼をそこに呼び出し、自ら鍵をかけさせ、そして自分の手で凶器を手に取らせた。それは、一人でこっそりと見て、という恋人のささやかな頼みだったのかもしれませんし、誰にも見られず絶対に確認したくなるような脅迫だったのかもしれません」 ――どちらかは問題ではありませんね、彼を間違いなく、密室に閉じ込められたのだから。 「窓からでも、それは確認出来るでしょう。後はただ、朽ち果てた洋館に彼と恋心をずっと閉じ込めておけばいいだけ。必要ならばその洋館を買い取り、誰にも渡さなければ良い。そうすれば、死ぬまでその『箱』を手元に置いておけます」 「愛を永遠に閉じ込める『箱』と解釈なさるのね」 「お気に召さないでしょうか。すみません」 「いいえ。とても美しいお話だわ」 「それでは私も、ささやかな想像を」 ヴィヴァーシュが後に続く。 「死体を新しい洋館の主人と仮定しましょう。使用人に世話をされることに慣れたかたなら、自身の洋館であってもその全体の構造を把握してはいないでしょう。あるじが生活するエリアとメイドたちが生活するエリアは違いますし、潜むのには丁度良い。食糧の備蓄もある程度はされているでしょうから」 「では、使用人が?」 「そうとも限りません。普段と変わらない生活をしている風を装って、完全な密室ではないのに密室ととらわれるような様子で死体を作ったということです。あるじが入ってきた扉以外は施錠されているということは、あるじが扉の鍵をかける用心さを喚起させる何か――例えば洋館に秘められた財宝があるとでも記された日記や書状の類いが置かれていた、とか。そこに誰もいないのはわかっているのに、自分以外の誰にも見せず、独り占めしてしまいたくなるような重大な秘密がそこにあった」 「それで、犯人はどうしたのかしら?」 「あるじがそれに気を取られている間に、広間を照らすシャンデリアを上下する設備か、コーラス隊の控え室などのために作られたフロアに潜んでいて、あるじがソファに座ったときに狙いを定め、シャンデリアを落とした」 「死体はシャンデリアの下にあると解釈なさるのね」 「犯人は広間に出入りする必要はなかったんです。使用人用の通路や階段を行き来して済ませることができたので。犯人は、そうですね。そういった構造を全て把握していた、奇特な前の主人とか」 ――そして、死体ごと館は放置され、朽ちるのを待っているということではないでしょうか。 「男は資産家で洋館の持ち主じゃないかなって、俺も考えた」 ラング・ド・シャが好評なので、幽香緒はにこにこしている。 「昔はあくどいこともやったけど、この洋館で敵対者に娘を殺されてからは憑き物が落ちたみたいに丸くなって、養女を迎え入れて穏やかに暮らしてた。男を殺したのはその養女で、男につぶされた家の生き残りとかな」 「ドラマチックなストーリーね」 「広いホールには、大階段の手すりを利用してワイヤーが仕掛けてあった。階段に踏み込むと同時に仕掛けが外れ、ワイヤーが四方八方から跳ぶんだ。首を挟み込むようにさ。ワイヤーは窓のわずかな隙間から外に向かって引き絞られていて、男をホールに宙づりにして息の根を止めた後、外から巻き取る。そうすれば証拠は残らない」 「内側から鍵がかかってた理由は?」 「そりゃ、男自身がかけたからだろ」 「被害者が?」 「ああ。呼び出したのは養女で、彼自身はその理由が判ってた。全部理解して受け入れて、養女に疑いがかからないよう自ら密室を演出したんだ」 「……それは」 「養女のことを愛してたんだろ」 「愛か。……いろんな見方が、あるんだな」 優は小さなため息をつく。 「推理議論って可能性の議論だと思うんです。現実ではないんだから、できれば優しい結末がいい」 「そう、ね」 そのため息に共鳴するように、カリスもまた、息をつく。 「けど、人が死んでいるという前提上、優しい結末なんてない」 「それこそ、見方の問題ではなくて?」 「俺はこんな仮定をしていました。死体は館のあるじの老人。老人は孫娘と召使数人でつつましく暮らしていた。大金持ちではないので、それは、金目的の犯行ではなかった」 「死因は?」 「他殺か自殺の両方が考えられます。老人には借金があって、孫娘のために他殺に見せかけた自殺の可能性もありますし、その逆の可能性も」 「他殺の場合、犯行方法はどうなるのかしら?」 「朽ちて古びた洋館ということなので、内側から施錠していても、壁に穴が空いている可能性もありえます。その穴から毒ガスのようなもの……、硫化水素とか、それに類するものでしょうか、そういう気体を流し込めば、密室殺人は可能です」 「いつ、どんなふうに行われたの?」 「食事時だと思います。睡眠薬入りの飲み物か、睡眠系ガスを穴から流して眠らせて、自分は他の人物と一緒に第一発見者になって、密室を破って駆け寄って、もうひとりが警察を呼びに行った隙に殺すという方法も可能性としてはあります」 「その場合は、アリバイもつくれるわね。動機は?」 「老人との確執が原因かな、と。だったら、孫娘が犯人ということになりますが……」 やるせないため息を、あらたに優が放ったとき―― ジャンが満を持して、カリスに向き直る。 「さて、語ってくれ。貴女にとってこの事件は、どんな意味を持つのか」 そして、ジャックもまた。 「なあレディ。ヘンリー事件の犯人は、あのトレインウォーが起きる前に、あの家の存在を知っていたロストナンバーから絞り込むしかねェだろ」 「……!」 カリスは息を呑み、今まで見せたこともない動揺を見せる。 「ヘンリーが死んだか、レディの心境変化か知らねェが。コリャ、そういう茶会だろ?」 ACT.5■Who Killed Cock Robin? 誰がこまどり殺したの? それはわたし、と、スズメが言った。 わたしが殺した。わたしの矢羽で。 誰が喪主をつとめるの? それはわたし、と、ハトが言う。 わたしが喪主をつとめよう。愛と悲嘆をいしずえに。 † † † 「皆さんはご存知かもしれませんが、壱番世界の有名な詩で、駒鳥の死から葬送までを語る、14連で構成される作品があります」 しばらく続いた沈黙を、ルルーが破る。 「この詩の起源については、さまざまな説があります。そのひとつに、狩猟の最中、何者かによって肺を射られ死亡したイングランド王、ウィリアム2世の故事を暗喩するものだという――」 レディ・カリス? と、ルルーは声を掛け、そしてカリスは我に返る。 「そう――そうね」 すっ、と、立ち上がったとき、カリスはいつもどおりの、近寄りがたい貴婦人だった。 ジャックの席まで歩み寄り、赤いドレスの裾をからげて深々と――礼をする。 「このお茶会の意図を見抜き、お見事なチェックメイトをなさったこと、エヴァ・ベイフルックより、感嘆と賞賛を申し上げます」 「やはり、ヘンリーは死んだか?」 「いいえ、まだ眠ったまま」 「アンタのこった、下手人の目星くらいついてんだろうに」 「ジャックさんのご意見を、お聞きしておきましょう」 「そうだなァ……。ロード・ペンタクルのギアって、何だったかなァ?」 「……ロバート卿」 優が、唇を噛み締めた。 「よろしければヘンリーに、お逢いになります?」 そしてカリスは、一同をいざなう。 ヘンリーの眠る、教会へ。 † † † 「犯人は、ヘンリーさんを殺すこともできたはずなんです」 ヘンリーを見つめたまま、優は言葉を絞り出す。 「だけど、そうしなかった。眠らせるだけにとどめた。それは、どうしてでしょう?」 「あなたは、どう思うの?」 「……護るため、じゃないでしょうか。あなたがアリッサを護るために、ひとりで暗躍していたように」 「優しいのね。お名前どおりに」 「甘いだけかも、しれませんけど。『外側』を見ているだけでは、何もわかりませんから」 ルルーが静かに、頷いた。 † † † 「ルルーさんにお願いがあるのです」 ゼロは、ルルーに特製トリュフを差し出した。 「無名の司書さんが、ルルーさんにこれを食べて欲しいって泣いていたのです。きっと心がこもっているんだと思うのです。どうぞなのです」 無碍に断るのもはばかられ、ルルーはトリュフをひと粒、口にする。 その瞬間―― カリスはチリンと、呼び鈴を鳴らした。 「ルルーさんを《静謐の棺》に、入れてさしあげなさい」 メイドたちは風のように、ルルーを連れ去った。 その後、何が起こったのかは、永遠のミステリーである。
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