インヤンガイの喧騒のなかをメルヒオールはのんびりと足どりで散策していた。 仕事が片付き、ロストレイルが出るまでにはまだ時間に余裕がある。せっかくだから前に知り合った子供たちのいる屋台に行くのもいいかもしれないと呑気に考えていると、焼けつくような金が目に飛び込んできてはっとした。 それはメルヒオールの深い心の底に沈めた恐怖を――教室で、生徒の席に無断で腰かけた金色の美しい少女を思い出させた。どっと背中に汗が流れ、吐き気に足を止めた。一気に失った食欲のかわりに猛然と湧いたのは怒りのような疑問だった。 石の魔女がどうしてここにいるんだ! 出来ればここから逃げたい本能を理性でねじ伏せることに成功したメルヒオールは喉を鳴らして早足で前へと進んだ。 もし魔女ならば、 どうするかと具体的なことは考えられないが、ただ逃げることが許されないことだけはわかった。 死の魔女は小さなため息をついた。お友達ですわ、お友達ですわ……歌う様に大切な言葉を繰り返す。 インヤンガイは死の魔女をまるで陽気なダンスに誘う様にさまざまな可能性に招いてくれる。 ここは少しだけ素敵なところ。以前、お友達とそれはそれはおいしい生肉を食したし、はじめて生きているお友達を作ったのもこの世界だった。 お友達ですわ、この世界中のかたがたすべてをお友達にするのですわ……生前の自分の気持ちを引き継いで、世界を覆い尽くすほどのお友達を作ろうと決めた死の魔女はさっそく、素敵なこの世界でお友達になりそうな存在を探していた。 さらさらと揺れる金色の髪、黒で統一されたドレス、赤い血が濁ったような瞳できょろきょろと。 不意に肩を掴まれた。 あら、なんですの? 死の魔女はゆっくりと振り返った。 赤い目を見たときに、やはりと確信した。 本能に従って逃げだしたいという衝動を息を吸い込み、吐くことでなんとか落ち着ける。じわじわと押し寄せる恐怖を無視して、立ち向かう。 「どうしてお前がここにいるんだ、魔女」 険を含んだ言葉の裏側には恐怖が混じっていた。もしかしたら、あのときのように自分にしか彼女は見えてないのかもしれない。 「あら、お友達を探しに来たんですわ」 かくんっと糸の切れた人形のように魔女は首を傾げて笑う。 「お友達だと、もしかして俺みたいな奴を作るつもりか!」 「あなたみたいな?」 「ごまかすな! 俺のことを忘れたなんて言わせないぞ!」 「……新手のナンパですわねぇ。それも強引であれば女がなびくと思っているのですわねぇ。いやですわ」 くるりっと魔女が背を向けるのにメルヒオールは内心の苛立ちを噛みしめた。あくまでもとぼけるつもりなのか。 心がくじけそうなメルヒオールは魔女がふらふらと歩いていく先に何があるのか気がついた。 このまま真っ直ぐ進んだ先にはメルヒオールの知り合った子供たちがいる屋台に行ってしまう。それだけはなんとしても止めたい。 「待て!」 メルヒオールが声を荒らげて、もう一度、今度は先ほどよりも強い力で肩を掴んだ。とたんに魔女の首が大きく揺れて、落ちた。あまりのことに唖然とするメルヒオールにたいして、魔女は絶妙なタイミングで差し出した骨の手で自分の首をキャッチした。 「っ!」 「まぁ、強引な方ですわねぇ……いいでしょう。ここでは人目に付きますから、二人きりになれる場所に移動しましょう」 「いいだろう」 ごっくりと息を飲んで、メルヒオールは答えた。 ちょうど退屈していたのですわ。 相手の乱暴さには辟易したが、これは殿方が女性を求めるときの魅力的な態度……なのですわよねぇ? 今まで異性からこうも強引で情熱的なアプローチを受けたことのない死の魔女としては首を傾げ……ああ、いま、首は持っていたんですわ。と、本来首のある場所に戻しながら考える。 ただのナンパにしては態度に殺気を感じるのも気になる。 冷たい肌をぴりぴりと愛撫する視線。不安と恐怖が混じった警戒の息遣い。それでも奮い立って自分へと向かってくる。ああ、まるでケモノのようですわ! もしかしたら、彼は私がお友達を作る邪魔をしようとしているのかもしれないですわ。ああ、大変。私の進もうとする道の邪魔したのもそのせいですわ。なんていう人なんでしょう! 私の心を期待させて、挙句には裏切るなんて! 屍となってから思考回路が己でもコントロールが一切聞かず、感情と考えがボールのようにころころとまわって、無造作に広がっていく。 期待、喜び、失望、怒り……まとまらない考えに自己嫌悪の魔の手がすぐそばまで伸びてきたとき、いい思いつきがぱっと弾けた。 ふっと死の魔女は唇に弧を作った。 そうですわ、喧嘩を売られたのでしたら、お友達に助けていただきましょう。 ちょうど退屈していたのですわ。 くるくると回った思考のボールは最後はまた正しい場所へと戻っていく。 そう、ちょうど退屈していたのですわ。私。 と。 素敵な、素敵な思いつきが死の魔女の頭をいっぱいにした。 辿りついた場所にメルヒオールは目を眇めた。 「ここは……墓地?」 魔女はふらふらとどこか陽気なステップを踏むように、または酔っ払いのような危なげな足取りで進んでいくのに、このまま素直についていっていいのかと正直不安であった。しかし、魔女からは逃げることも叶わないことはとっくの昔に体験済みだ。ならばもう覚悟を決めるしかない。 決意して辿りついたのが、まさか静かな墓石がずらりと並ぶ墓地だったのには、多少とはいえ驚いた。 「さて」 魔女はドレスをひらりとひらめかせて、振り返る。 にこりと笑顔を作ると、スカートの端を摘まんで礼儀正しいおじぎをした。 「なんの真似だ!」 「なにって、それはもちろん」 ――お友達のためですわ 魔女の唇が最後まで言葉を紡ぎ終わる前に、ぼこっと不吉な音がした。 なんと墓石の下のかたい地面が空気を吹きこまれたように膨れ上がり、そこから、ぬっと白い腕が、骨が、腐った肉が――出てきたのだ。 「さぁ、私の邪魔をする者は、お友達がとっちめてくださるんですわ。ああ、素晴らしいこと! お友達が私を守ってくださるんですわ」 まるで生きている人間の手にナイフを突き刺して、溢れだした新鮮な血のような紅い眸をきらきらと輝やかせて、お友達を見る。その数はおおよそ二十体。しかし、まだ、まだまだ、お友達は出てくる。 「無茶苦茶だ!」 「あら、お友達が私を守る……素晴らしい友情ですわ! ですから、私、喧嘩なら喜んで買わせていたたぎますわ」 「喧嘩だと」 メルヒオールは愕然とした。 この魔女は明らかに自分を馬鹿にしている。はなっから、言葉で理解しあうなんて無理だったのだ。 魔女には何を言っても通じない。 口づけを落とされたときの痛みの涙を思い出し、それが爆発して怒りの炎となる。 メルヒオールは懐から紙を取り出すと、素早く「力ある言葉」を書きしるし、それを口にくわえて破った。 「あら、なんの真似――」 ふっと風が吹く。それが刃の形を構成し、宙を走った。 ぱらり。 魔女の真横を過ぎた風は美しい金髪の毛を一本、二本とまとめて切り落とす。 さらには横にいたお友達の胴体が真っ二つに切られて倒された。 魔女の赤い瞳がメルヒオールを冷ややかに見つめた。 「まぁ、ですわ」 青白い唇が、にぃと獰猛な牙を剥き出しにして、嗤う。 メルヒオールは駆けだした。書きながら紙を破る。このときほど石になった我が身が歯がゆく感じる。両手があれば書く、破るがもっとはやいというのに。だが、仕方がない。念動はスクロール魔法が不要なほどに熟練しているのが唯一の救いであった。石を浮かせて投げる、その隙に文字を書く。破く。魔法を発動させる。 数は多いが、死人は動きが鈍く。片腕が石であるメルヒオールにも勝機はあった。 破く(風が)、破く(刃を)、破く(魔女を切り裂け)! 魔女も引かない。むしろ、墓地は彼女の最高の舞台。次から次へと死人を土のなかから現れさせ、攻撃を仕掛けくる。それも痛みという感覚が既に死んでいるために欠落している死者はどれだけ肉体が裂かれようとも無視してメルヒオールに突進する。見た目の醜さとともにキリの無さは精神的にもダメージを戦うメルヒオールに与えた。 けたけた(砕けろ)けたけた(噛め)けたけた(魔女のために)! 「はぁはぁ」 メルヒオールは息も荒く、言葉を綴る。さすがに一人で墓地にいる死人すべてを相手にしようなどとは無謀な行動だった。額から滲み出る汗が紙に落ちて黒いシミを作りだすが、無視して手を必死に動かす。もしここで言葉をしくじれば負ける――。 しかし、焦っているのはメルヒオールだけではない。死の魔女も憂いの表情の下で苦々しい気持ちを噛み殺していた。 お友達が倒されていく。一体、二体……だいぶ減ってしまった。 守ってくれているお友達がいなくなれば、あの風が今度こそ首を切るかもしれない。それは死の魔女の深い恐怖を呼び起こす。 首を切り落とされる屈辱が再び迫ってくる――! 「私のお友達を作ることをあなたはそんなにも邪魔したというのですわ?」 「お友達だとぉ!」 メルヒオールは怒鳴り返した。 「俺を石に変えたみたいなことは出来ないのか? 夢じゃないと!」 「まぁ、なんのことですの? 石? あなたを? 私がそんなことできるはずありませんわ」 「なにを言ってるんだ」 「あなたこそ、この死の魔女のお友達を作ろうとするのを、そんなにも必死に邪魔をする理由はなんなのですわ?」 その瞬間、時間が止まった。――メルヒオールには気がした。 「……は?」 メルヒオールは眉根を寄せて怒鳴っていた。 「いま、なんて言った!」 「必死に邪魔を」 「違う! もっと前だ」 「あなたこそ」 「少しあとだ!」 「この死の魔女の」 「……」 「ですわ?」 「死の魔女……?」 メルヒオールの胡乱な眼差しに死の魔女はこくんと頷いた。 「ええ、私、死の魔女ですわ」 誇らしげに笑う死の魔女に、メルヒオールは絶句した。 「あら? どうかなすったのですわ?」 「……っ、嘘じゃないんだな? あんたは、人を石に変えたりはできないのか?」 「どうして、私が嘘を言わなくてはいけないのですわ? 私は生と死を司る、死の魔女。私の使えるのは死の魔法、そして」 ぱたりといきなり死の魔女がその場に倒れた。 「……なにしてるんだ」 沈黙。 「おい」 「シィー」 「?」 「死んだふりですわ。これが私の一番の特技ですわ」 今度こそメルヒオールは確信した。ああ、間違えた、と。 「……詐欺だ。ここまで似ていて別人は詐欺だろう」 ぶつぶつと文句を漏らし、はぁあと魂が抜けるようなため息をつくと未だに死んだふりを律義にしている死の魔女をまじまじと見つめた。 「……悪い、人間……魔女違えだ。俺が探しているのは石の魔女だ」 メルヒオールの言葉にがばっと勢いよく起き上がった死の魔女は金色の片眉を持ち上げると、腰に手をあてた。魔女にとって他の魔女と間違えられるのは屈辱以外のなにものでもない。 「まぁ、魔女間違い? なんですの、それは!」 「……悪かった。そもそも仕掛けてきたのはそっちだからな」 「これで終わりですの? 冗談ではないですわ」 死の魔女の怒りを感じて死人たちが唸り声をあげてメルヒオールの周りを取り囲んできた。しかし、メルヒオールは先ほどのような攻撃魔法を使おうとはしなかった。 「俺は、関係ないやつと戦うつもりはない」 「……興冷めですわ」 戦意喪失した死の魔女が吐き捨てた。 ぱちぱちぱち、骨の手を叩き、お友達に遊びの時間の終わりを告げる。すると、お友達はきちんと自分の家へと戻っていく。 死の魔女はすたすたとメルヒオールの前へと歩み寄った。 「なんだよ」 「乙女に恥をかかせて、このままですむと思っているの、ですわ!」 骨の指に胸を突かれたメルヒオールは片眉を持ちあげた。 「乙女? どこに、そんなのがいるんだよ?」 「あなたの目の前に、死の魔女という乙女がいるでしょう」 ぎろっと死の魔女の赤い目に睨まれてメルヒオールは明後日の方向を見た。触らぬ魔女に祟りなし、である。 「そうですわねぇ。……あぁ、そうですわ! 私、丁度、焼肉が食べたいと思っていたところなんですわ。それに、貴方のことも興味が湧きましたわ」 にこりと死の魔女は微笑み、メルヒオールの腕に己の腕をまるで恋人のように絡ませる。逃げ損なったメルヒオールは顔を思いっきりしかめた。この世で苦手な「女」と「魔女」の二つに属した「死の魔女」とは出来れば、親ししお付き合いは遠慮したいのが本音だ。 「なんだそりゃ、あとなんで焼肉なんだよ……オイ!」 「貴方が私に御馳走するんですわ。お詫びのために……そして、私と間違えたという石の魔女についてお話してくださるんですわ」 「だから、あれはお互い様だろう……おい、はなせっ……!」 「他の魔女と間違えたこと、美味しいお肉を食べれるまでは許さないですわ。ふふ、そんなことおっしゃって、私と焼肉が食べれるのが嬉しいのはわかっておりますわ。殿方の照れ隠し……ふふ、可愛らしいことですわ。あぁいいお店を知ってますわ。さぁ、こちらですわ」 「待てよ。腹は減ったけど……奢りはないだろう!」 死の魔女が歩き出すのにメルヒオールの必死に抵抗も虚しく引きずられていく。 そのあと、二人が焼肉屋に行ったのか、そして何を話したのかは……また別のお話。
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