ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加ＰＣさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。！注意！魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。＝＝＝＝＝＝※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。＝＝＝＝＝＝
その日ジ・グローブの呼び鈴を鳴らしたのは、小柄な淑女であった。紫の衣服に身を包んだ明るい茶色の髪の女性の名はシュマイト・ハーケズヤ。彼女はひとつの決意を持って、区切りを求めてこの店を訪れていた。 「お待たせしてしまったかしら？」 「いや、今来たところだ」 奥から出てきたリリイはいつもの妖艶な笑顔を浮かべつつ、彼女を店の奥へと通した。 勧められた椅子に座ってもシュマイトはなかなか落ち着かず、かといってあたりを見渡すのではなく俯いて自分の裡に目を向けて。心の中を渦巻く想いを押さえ込んでいたものだから、奥に一旦引っ込んだリリィが戻ってきたことに気が付かなかった。 サッと目の前に差し出されたティーカップ。その細い湯気に気づいて、シュマイトは顔を上げる。どうぞ、向かいに座ったリリイが自らの紅茶のカップを手に取りつつ笑顔で告げた。 （紅茶――） 思い出す、彼女のことを。彼女の淹れてくれる紅茶を。 思い出す。彼女の幸せを願っているはずなのに、浮かび上がる不安を。 「――」 シュマイトは唇を噛み締め、思い切って紅茶から視線を上げた。リリイの瞳を見つめる。 「パーティ用のドレスを仕立ててほしい」 その言葉に、リリイも紅茶のカッブを置いて真摯に話を聞く構えだ。 「私が主役の場ではないので、あまり派手でない方がいい。デザインはリリイに一任するが、ただ一点だけ」 言葉を切ってシュマイトが絹のハンカチをテーブルに置いた。それをめくると出てきたのは、白い貝殻のブレスレット。 「この貝殻のブレスレットの似合うものにして欲しい」 「拝見しても？」 「ああ」 リリイは細い指で丁寧にハンカチを手に取り、その上に鎮座している貝殻のブレスレットを眺める。そのデザインをしっかりと頭の中に叩きこむようにして。 「頼みたいドレスは、いつになるかまだ分からんが、親友の結婚式に着て行くためのものなのだ。『切れない絆の証』だと言ってそのブレスレットをくれたのも、その親友だよ」 「まぁ……それは素敵ね」 リリイはハンカチで丁寧にブレスレットを包むと、そっとテーブルにおいてシュマイトへ返す。シュマイトも大切そうにその包みを胸に抱いてから、しまった。 「わかったわ、ドレス、仕立てましょう。奥で採寸をさせてちょうだいね」 「あ、ああ……」 オーダーメイドである以上覚悟はしていたが、なんとなく恥ずかしい……シュマイトは若干照れながら、パーテーションの奥へと向かうのだった。 ＊-＊-＊ 数日後、シュマイトの元にリリイから連絡があった。ドレスが出来上がったので、試着しに来て欲しいとのこと。 「噂通り、手が早いな……」 確かに話には聞いていたが、ドレスとはそんなすぐに出来上がるものなのだろうか。否、リリイだからなせる技なのだろう、思い直してジ・グローブへと向かう。 どんなドレスができたのか、そしてドレスを着た自分は何を思うのか、楽しみと緊張の入り混じった不思議に気持ちを持ちながら。 「いらっしゃい。ご注文の品、できているわ」 こちらへどうぞ――促されて先日紅茶を飲んだテーブルへとつく。リリイは店の奥から白い布をかぶせたマネキンを押してきた。これがシュマイトのドレスなのだろう。 トクン……トクンと鼓動が早くなっていくのがわかる。早く見せて欲しいという思いとそのままにして欲しいという思いが同居している。 ファサッ…… シュマイトの葛藤をよそに、リリイは一気に白布を引いた。シュマイトの視界を満たしたのは、鮮やかな青から深い青までの美しいグラデーション。 思い出が、よみがえる。 あの日のブルーインブルーの海。絆を繋いだ夜。 「落ち着いたデザインにしてみたの。プリンセスラインは可愛いけれど、少し幼く見えてしまうことがあるから」 リリイが作ってくれたドレスは片方だけに袖――といっても肩を覆うだけでいわゆるノースリーブだ――のついたタイプで、もう片方は肩が出る左右非対称のタイプ。 袖のある左肩から左胸半分、そして背中側にもには貝殻のようなキラキラ虹色の光沢のあるビーズが一面に縫い付けられていて、まるで海の水が太陽の光を反射させているよう。 ウエストには銀色の細紐が何本も通されていて、右側に流れ星の尾のように垂れている。動けば裾とともにキラキラ輝いて揺れることだろう。 下に行くにつれてだんだんと深い青になっていくスカートは、広がりがちなＡラインの裾を二箇所、プリーツをつけるように寄せていて、寄せて止めた部分を飾っているのは精緻なビーズ細工だ。これはあまり目立ち過ぎぬよう、青系のビーズの所々に透明のビーズが混じっているようだ。 Ａラインのスカートの広がりを二箇所のプリーツで抑えてあるから、広がりは控えめで、かつマーメイドラインほど身体のラインを強調しない仕上がりになっている。スカートの広がりを変えるだけで、不思議と印象が大人っぽいものに変わる。 「貝殻が映える色ということで、海の色を選んでみたわ。ビーズの色も白は使っていないから、白い貝殻は映えると思うの」 「ああ」 リリイの説明にシュマイトはドレスに見とれながら答えた。 「着てみても？」 「勿論よ」 試着スペースに案内されてドレスを手渡されたシュマイトは、思い出にそうするようにきゅっとドレスを抱きしめた。 ＊-＊-＊ 袖を通し、サイドのファスナーを上げる。思っていたよりもずっと着心地が良い。生地は上等なものなのだろう、肌触りが良いのだ。 そっと、鏡に写った自分を覗き見る。いつもよりも少し、大人っぽく見えたのは欲目だろうか。 試着スペースから出るとリリイが椅子を示した。 「この長さだったら無理にアップにするよりも、髪留めをして耳を出したほうがいいわ」 リリイはシュマイトの耳の上あたりに、シックな銀色のピンを使って彼女の髪を止める。顕になった耳には同じく銀色のイヤリングを付けて。 メイクは濃くせず、シュマイトの顔立ちを引き立てるように少しだけ。 仕上げにシュマイトはブレスレットをはめて、姿見の前に立った。 そこに映っていたのは、どこからどう見ても立派な淑女だった。何となく、心が軽くなっていく気がした。 「ありがとう。式に行くこの姿を見て、一区切り付けられた気がするよ」 シュマイトは鏡の中の己の姿を見つめたまま、礼を述べる。 「形から入るというのは意外と有効なようだね」 「ええ。装いを変えるだけで気分が変わったりもするわ」 「わたしは、このドレスとブレスレットで出かける日を、楽しみに待とうと思う」 目を細めて、シュマイトは言葉を紡ぐ。独り言のように。 「わたしは親友に幸せになってほしい。彼女の幸せを祝いたい。だが、わたしは強くない。我儘で臆病だ。今でも胸の痛み……さびしさや不安は消えていない」 訥々と語られるそれを、リリイは黙って聞いてくれている。 「そのせいでこれからも、親友を困らせてしまうかもしれない。だから、区切りを示す何かがほしかった」 そこで初めてシュマイトは鏡から視線を外し、リリイを見た。 「そういうわけなので、仕立ててもらったのに申し訳ないが、このドレスは今はまだ着ない。クロゼットにかけておくよ」 「そういう理由なら、気になさらないで。服にもそれぞれ役割があるものだから」 「もしかすると明日には着る事態になっているかもしれんが、ね」 軽口に二人でクスっと、笑いあった。
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