オープニング

 城はもうない。
 数百もの樹が撚れて捩れて絡み合い、一本の巨大な樹を形作っている。
「……なんで……」
 相沢優は息を呑む。見仰いでも、空覆うほどに成長した樹の天辺は見えない。
 以前訪れたときは、樹々に樹蔦に覆われながらも、石で出来た城の形は残っていた。蔦や葉やに覆われながらも、ところどころには石壁が透けて見えた。
「シエラが心配だぁ」
 以前と同じく傍らに立つキース・サバインの巨躯と力を以ってすれば、樹蔦を剥がし、その奥にある扉に手を掛けることも容易に出来た。けれど、今は。
 城があったはずの場所には、ひとつの森とも山とも見えるほどに巨大な一本の樹が聳えている。幾億の葉を風にざわめかせ、梢の間で風を鳴らし、――みしみし、ぴしり。
 いつか聞いたことのある音を風の中に聞いて、優は息を詰める。眉間に力籠めて耳を澄ませる。
「この音……」
 ロストレイルでの幾多の旅の中のひとつで聞いたことのある、音。
「樹の中から聞こえるみたいだねぇ」
 キースが赤茶色の鬣に覆われた耳をぴんと立てる。
「樹が育ってるんだ」
 呟いて、優は黒い樹肌へ手を伸ばす。木洩れ日を集めて温かな樹の肌は、触れた掌の下で小さな鼓動打つようにぴしりと震えた。
「門番さんは無事かなぁ」
 のんびりとした口調で言いながら、キースは身軽に足を踏み出す。蔦や根が縦横に這う下草の少ない地面を足早に進み始める。
「門の入り口はこの辺りだったはずだ」
 城を覆い尽くす樹を仰ぎ、足元を埋める樹の根を見下ろす。以前、赤い花と樹蔦の緑の葉に埋められた堀があったはずの場所も、今は若木色した、人の胴ほどもある樹の根が隙間なく詰まっている。
「どうしてこんな――」
 頭上高く、中天近い太陽にまで届こうとするかのように伸び続け、中核成すはずの城を深く深く閉ざそうとするかのように育ち続ける樹。
「そう言えば、誰かがお城の周りにたくさん植樹してたっけねぇ」
 あの樹が育ったのかなぁ、とキースは森を巡る風に透明な髭をそよがせていて、不意に木洩れ日と同じ金色した丸い眼を険しく細めた。獅子の毛に覆われた逞しい腕を持ち上げ、強く黒い爪のある手で樹の一点を指し示す。
 萌え続ける緑の香含んで、風が押し寄せる。
 優は風に黒髪を暴れさせながら、髪と同じ色の瞳を上げる。
 人の背丈の倍ほどの高さの太い梢に、子供。
 頭には白狼の仮面、片手に木柄の短槍。全身に悲愴な緊張感纏わせ、一声、獣のような声で叫ぶ。梢から飛び降り、槍の穂先をこちらに向けて一直線に駆けて来る。
「優君!」
「待って」
 鬣を逆立て、戦闘態勢に入ろうとするキースの腕を優は掴んだ。キースの前に自らの身体を割り込ませる。突き出される刃の先に片腕を広げる格好で胸をさらし、
「シロ」
 白狼の仮面の子供の名を呼ぶ。
 優の喉元に槍の穂先を突きつけて、子供の動きは止まった。白狼の仮面が戸惑ったように傾く。
 ややあって、
「ユウ!? うわごめんなさい!」
 短槍を投げ捨て、過去に優と旅をしたことのある少年はもどかしげに白狼の仮面を頭から押し上げた。


「シエラ王に会いに?」
 優とキースを交互に見仰ぎ、シロは短く刈った白い髪の頭を俯かせた。
「おれは、クロが一族の皆を集めに行っている間、此処の見張りを任されてたんだけど」
 父親にこの場を任された自負と、異変の起こった森の奥の城の傍に一人で居なくてはならなかった恐怖感とがない交ぜになって、シロは泣き笑いのような顔をする。
 言葉を探すように視線を巨木の梢や根元や幹へと彷徨わせる。そうして、意を決したような蒼い瞳で二人をもう一度見上げる。
「樹が白焔花を覆い尽したときが『その時』なんだって、クロが言ってた」
 宵闇に白く染まる、陽射しの中では赤い花。今回訪れるまでは城を炎で包むかの如く赤く赤く咲き乱れていた、噎せ返るほどに甘い香りの花は、今は樹に呑み込まれ、花弁の一枚も見当たらない。花の香りも絶えている。
「その時、って?」
 優の問いに、シロは唇を噛んでまた俯く。
「……王さまを、今度こそ助けなくちゃならないのに」
 それきり言葉を閉ざそうとするシロの傍らに、キースはしゃがみこんだ。大きな掌で、シロの肩を包む。
「シエラは、ともだちなんだぁ」
 シロは人懐っこい笑み浮かべるキースを蒼い眼で見つめる。
「ともだち」
 その眼にぎゅっと力が籠もる。手にしていた短槍を両手で握り締め、最早元が城であったとは到底思えない、巨大な樹木を見仰ぐ。
「おれたちは、お城には入れない」
 門番がいるから、と先程まで自分が立っていた梢の下の辺りへ視線を投げる。捩れて絡む木と木の間に、ほんの僅かな隙間がある。
 白い骨となって後も門扉を護り続け、訪れる者を誰何し続ける門番は、城が完全に樹に呑まれてしまった今も職務を忠実に果たしているらしい。
「おれたちは、……昔、おれの一族は、王さまに全部任せて逃げてしまったから」
 優はふと思い出す。以前あの町を一緒に歩いた時、シロは己の持つ白狼の仮面をこう言った。『絆であり、罪の証』、『王との約束の印』。
「樹を植え続けて、ゴメンナサイを示し続けてきたけど、……」
 許してもらえない、と首を横に振る。
「おれたちはお城に入れない」
 繰り返し言って、傍らのキースの腕を掴む。正面に立つ優の服の裾を掴む。必死の眼で縋る。
「今度こそ、助けたいのに」


 木の根の隙間に身体を押し込む。ひと一人がやっと通れるほどの隙間をどうにか抜けると、その先は樹の根の絡み合うトンネルとなっていた。背の高いキースが背筋を伸ばしても楽に立っていられるほどには高いが、横幅は人ひとりがようやく通れるほどに狭い。その上、暗い。
「気をつけて」
 陽の光の唯一降る樹の隙間から、シロが火の入った角灯を優に手渡す。
「ありがとう」
「行って来るねぇ」
 樹の根に絡みつかれて枯れた、樹蔦の掌の形した葉がところどころからだらりと垂れ、角灯の光に心細げに揺れる。
 先に立つキースが角灯を掲げ、暗く続く樹のトンネルを二人でしばらく進めば、掲げた角灯の光の輪の中にぼうやりと白い影が浮かび上がった。
「随分と様変わりしちゃったねぇ」
「シエラに、会いに来たんだ」
 闇に浮かび上がる黒狼の仮面被った骸骨の門番に、二人は顔見知りにするように挨拶し、自分の名を口にする。己の名を名乗れば門番は道を開ける。以前シエラに教わった通りの、先に進むための儀式。
 けれど門番が護るべき門扉はもうない。あるのはただ、樹で形作られたトンネルと、陽の全く遮られた暗闇のみ。
 キースは逆立つ首筋の毛を撫でる。先だって訪れた際に気付いた、『城の地下に眠るもの』の気配が強くなっている。地の底深くから這い上がってきている。そんな感覚がする。
「急ごう、優君」
 暗闇の奥にまで届くよう、なるべく高く角灯を掲げる。遮る壁も柱もなく、狭い道はほとんど真直ぐに奥へと伸びているようだった。
 トンネルからは窺い知れない遥か頭上で、何者かが唸るように歌うように、風が低く高く音を奏で続けている。
 足元を這う樹の根に時折足を取られながら、城の奥を目指す。
「何だろう、……光?」
 それほど歩かぬ間に、暗闇の向こうに蒼白い光が見えた。トンネルが終わるのかと思わず早まる二人の足が、ふと緩まる。
「笛の音がするねぇ」
 不気味な呻き声にも近い風の音に紛れて聞こえてくるのは、どこか素朴な笛の音。たどたどしく奏でられるのは、シエラフィと呼ばれるこの地方の村で古くから歌われ続けている曲。
 以前、キースがシエラに吹いて聞かせた古い曲。王の小さな掌に乗るほどの小さな笛を、キースはその時に手渡している。
「シエラ!」
 優とキース、同時の呼びかけに笛の音が止まる。
「キース、優」
 蒼白い光の向こうから、か細い子供の声がする。
「よう来てくれた。心より礼を言う」
 くすり、と小さく笑う声がする。
「笛、上手くなったであろ」
「シエラ」
 暗闇の奥で蒼白い光が揺れる。キースは止まっていた足を先に進めようとする。
 されど、と声が寂しい強さを帯びた。近付こうとする二人を声だけで足止めさせる。
「城の底に封じたものがそろそろ眼を覚ましそうでのう。まあ、もうしばしの間はあるようじゃが」
 ひと月か、一年か、と幼い声がまた僅かに笑う。
「今迄の長きにすれば、ひと月も一年もしばしの間じゃの」
「シエラ、それは」
 踏み出した優の爪先で、ぴしり、と樹の根が生きもののように跳ねた。
「一人で何とかしようと思うとる。なに、随分長く力を溜めて来た。準備も整うておる」
 ぴしぴし、みしみし、絡み合う樹の根が悲鳴のような音を立てる。
「此処はもう、深く深く閉ざす。内から何者も出られぬよう、外から誰も入れぬよう。――なれば、此処より疾く疾く、離れよ」
 揺らぐ蒼白い光が小さくなっていく。シエラに続く道が閉ざされていく。
「もう誰も巻き込みとうない。外の者たちに、もう此処に近付くなと伝えてくれぬか」
「――力になりたいんだ! シエラ!」
 木の根に足を取られながら、優は叫ぶ。
「ともだちのためにできることがしたいんだぁ!」
 角灯を高く掲げ、キースは声を張り上げる。
「会えて良かった。来てくれて良かった。もうこれで、」
 己で己を暗闇に閉ざそうとしながら、孤児の王は声に笑みを含ませる。
「もう、寂しくなんかない」




=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
相沢 優 (ctcn6216)
キース・サバイン (cvav6757)
=========

品目企画シナリオ 管理番号2653
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント ご依頼、ありがとうございます。
 大変たいへんお待たせいたしました。
 好き放題歓迎、のお言葉にがっしりしがみつかせて頂きまして、ちょっと、……どころでなく捏造がっつりです。

 孤児の王に、会ってください。
 会って、話をして、ごはんを一緒に食べてください。
 会うまでに多少の悶着はあるかもしれませんが、地下からの魔物の来訪は今回は無い予定です。

 相沢優さま、キース・サバインさま。
 ご参加、お待ちしております。

参加者
キース・サバイン(cvav6757)ツーリスト 男 17歳 シエラフィの民
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生

ノベル

 優とキースのそれ以上の言葉を拒絶して、シエラの声が聞こえなくなる。声に代わって、震えるような笛の音が樹の闇の奥から響き始める。
「シエラ!」
 無言の拒絶にも構わず、優は声を上げ続ける。足に絡む樹の根を振り払う。小さく閉ざされていく光を追って駆け出す。
 頭上に覆い被さるような樹の根の壁がみしみしと軋む。細い根が矢の鋭さで弾き出される。がむしゃらに進む優の肩を撲つ。頬を掠めて傷付ける。
 根が絡み合う天井から太い枝が降って来る。大蛇じみてのたくり地を這い、道をその身で塞ごうとする。
「嫌なんだ、シエラ!」
 トラベルギアの剣を取り出す。キースの持つ角灯の光を白く走らせ、刃が暗闇ごと枝を切り裂く。
「このままシエラだけにすべてを背負わせて何もしないなんて、」
 刀身に澄んだ光が宿る。光はふわり、主の身を護るように優を包み込む。
「絶対に嫌だ!」
 優が吼えると同時、光が弾ける。侵入者を押し包んで外へ遣ろうとする樹の根を弾き飛ばす。
 シエラは、孤児の王はもう誰も巻き込みたくないとそう言ったけれど。一人で何とかすると、寂しくなんかないと、だから助けなどいらないと、誰も彼もを拒絶するけれど。
(俺は諦めない)
 寂しくないという言葉は本当かもしれないけれど、でも、寂しくない子があんな声で寂しくないなんて言うものか。
 濁流のように地を這う樹の根に足を取られる。天井から次々と零れ落ち、生き物の動きで壁を伝う枝の硬い樹皮に肌を削られる。
(俺は、……俺達は、シエラの力になりたい)
 執拗に行く手を阻む樹を裂帛の気合と共に斬る。
(だって友だちだ、)
 友だちが困っているのならば助けになりたい、それだけだ。他に理由なんてない。
「だから俺は諦めない、絶対に」
 優の言葉に笛の音が途切れる。
「まずはシエラのそばに行かないとねぇ」
 優が切り裂く傍から溢れ出す樹の根を、キースの逞しい腕が一絡げに掴む。獅子の毛に包まれた腕に力が籠もる。みしみしと音立てて樹が千切れる。
「会ったら、色々と話したいことはあると思うけれど、」
 若草色のマントがふわり、キースの広い背で揺れる。
 樹を引き千切ったのとは全く違う、柔らかな掌が優の背中をぽんぽんと叩く。角灯に照らし出された、まん丸の金眼がにこりと笑む。
「とりあえずお弁当食べようー」
 背中を叩く優しい力と、明るい金色の眼に、優は一度深く呼吸する。キースに倣って唇と眼を笑みの形にしてみる。
「そうだ、お腹空いてないか、シエラ?」
 視界を暗く覆う樹の根の群を優の振るう白い刃が断つ。トラベルギアの持つ不思議の力が光の盾を作り出し、押し寄せる樹を弾く。押し返す。
「今回のお弁当はねぇ、サンドイッチなんだぁ」
 キースの豪腕が重たい樹の幕を押し退ける。片手に掲げた角灯の光で道を照らしだす。
「シエラと一緒に食べようと思って持って来たんだぁ」
 何十本もの枝と何百本もの根に遮られながら、蒼白い光が遠い星のように震える。
(遠くなんかない)
 優は懸命に剣を振るう。視界を、シエラまでの道を閉ざそうとする樹を薙ぐ。
(手を伸ばせば、きっと届く)
 幾度となく剣が閃く。角灯の光が闇を裂く。獅子の重い拳が道を開く分だけ樹を砕く。樹皮のささくれに肌を引っ掛かれながら、思いがけない場所から弾き出される枝に身体のあちこちを殴られながら、
「シエラ!」
 蒼白い光の溢れる部屋の前に立つ。
 格子状に垂れ下がる樹の隙間から、青空よりも蒼く暗い光が流れ出ている。以前にシエラが居た宝物庫の跡だろうか、と優は思う。宝物庫から出れば塵芥となると、シエラは確か言っていた。それはたぶん、死ぬということ。
 蒼白い光の真中に、小さな影が見える。白狼の仮面被った少女が、黒い柩の上にちょこんと座っている。隣にお供するように、白い狼のぬいぐるみ。
「食事など、もうこの身は必要としていない」
 硬い声でシエラはぽつりと零す。
「シエラ、それでも」
 優は剣を仕舞う。樹の格子に両手を掛け、ぐいぐいと押し開く。キースの力強い腕が手伝ってくれる。
「美味しい、って思うのは大事だと思うんだ」
「ハムサンドとタマゴサンド、フルーツサンドもあるよぉ」
 呪文のようにキースが言う。肩の力が抜けるような柔らかな口調に、優は思わず笑む。
「俺はちらし寿司と筍と海老の煮物。前にシエラが美味しいって言ってくれたから味噌汁も」
 みしり。樹が軋む。黒柩の上で、シエラが狼のぬいぐるみを抱き締める。しばらく俯いて、顔を上げる。片目だけ抜けた狼の仮面の下、蒼い眼が泣き出しそうに歪んで笑う。
「そうじゃの。あれは美味かった」
 樹が砕ける。キースが通れるほどに道が開ける。
 狭いトンネルの先には、広間があった。蒼白い光は、樹の根が蜘蛛の巣のように張り巡る石床全体から発せられている。床も壁も天井も、全てに黒い樹の根が伝う。ところどころ、星のようにきらきらと光るものは、元々宝物庫に仕舞われていた宝石や宝剣。樹に絡め取られ、半ば宙吊りの形に、半ば貼り付けの形になっている。
「良かった、会えた」
 引っ掻き傷だらけの身体から力を抜いて、優は安堵の息と笑みを零す。シエラの元へと踏み出した足に、ふわり、柔らかな木の葉が触れる。見下ろせば、樹の根の隙間から淡い緑色した樹の新芽が幾多と生えている。新芽はゆらゆらと波のように揺れる。双葉が本葉になり、若い緑の芽が硬い樹の肌になる。伸びながら床を伝い、壁を目指す。樹の芽の波は恐ろしい勢いで膨れ上がる。生長し、広間を囲う壁や天井の一部となっていく。
「笛、とても上手だったねぇ」
 キースは蒼白い光に満ちた広間を横切る。黒柩の上に座って動かないシエラの傍らに立つ。
「沢山練習したのかいー?」
 片手には匂い袋を首から提げた白狼のぬいぐるみ、もう片手には木製の素朴な笛。旅人であるキースと優から以前貰った贈り物を宝物のように握り締め、シエラは白狼の仮面の頭でこくりと頷く。
「新しい曲、覚えてくれば良かったかなぁ」
 優がパスホルダーからお弁当箱と水筒を、キースがシエラとお揃いの笛とサンドイッチの入った籠を取り出す。仮面の奥の蒼い瞳が小さな子供のように笑みに細くなる。
「ごはんにしよう」
 傷だらけの頬で優が笑う。

 シエラは白狼の仮面を外す。左に腰掛けた優から水筒の蓋に入った味噌汁を、右に座ったキースからタマゴサンドを受け取る。二人の友人の心づくしのお弁当に口をつけ、蒼い眼を伏せる。喉を詰まらせたように子供っぽい唇を引き結ぶ。
「どうしたんだい?」
 黙々とタマゴサンドを食べるシエラに、キースがハムサンドを手渡す。優がちらし寿司を取り分けた小皿をシエラの膝に乗せる。
「相変わらず美味じゃのう」
 ハムサンドの上に、ちらし寿司の上に、ぼたぼたと涙が落ちる。シエラは泣きながら味噌汁も煮物もフルーツサンドも全部ぜんぶ口にする。そうして、涙と一緒に零す。
「怪我を、させてしもうた」
 痛いじゃろう、と泣くシエラの背中をキースが大きな掌で擦る。優は拭うものを探して見つけられずに、服の袖でシエラの濡れた頬に触れる。
「俺は自分が傷つくより大切に思っている人に背を向けられて、何も出来ない事が一番辛い」
 こんな傷なんかよりもこっちが、と自分の胸を叩く。
「心が辛い」
 静かな笑みさえ浮かべて話す優の横顔を見下ろしながら、キースは丸い眼を悲しく瞬きさせる。噂を耳にしたことがある。彼の前から大事な人が一人で去ってしまったと。そんな風に思うのは、だからだろうか。
 シエラを、全てをひとりで背負い込もうとする孤児の王を一人に出来ないと言う思いは、だからきっと自分よりも彼の方が強い。そう思う。
「シロやクロも、きっとそうだ」
 優に涙を拭われながら、シエラは首を傾げる。
「入口で白い狼の面を持った子と会ったんだぁ」
 キースの補足に合点がいったのか、短く頷いて後、唇を噛む。俯く。
「その子は、自分の一族はシエラに許してもらえないって言ってたんだぁ」
「今度こそ助けたい、そう言っていた」
 優は城の外で槍を持って立っていたシロを思う。シロが、シロの一族が、城の周りに樹を植え続けた年月を思う。どれだけの長い年月だったのだろう。王の助けとなり得なかった過去は、どれだけの深い後悔なのだろう。どれだけ、王の力になりたいと願ったのだろう。
 キースと優に己の一族の末裔の言葉を伝えられ、シエラは小さな両掌で顔を覆う。背中を丸め、駄々をこねる子供のように首を横に振る。
「シエラ、俺達とその子の一族に、君の手助けをするチャンスを貰えないかなぁ?」
「シエラがずっと孤独に背負ってきたものをどうか俺達も一緒に背負わせてほしい」
 なにゆえ、とシエラが嗄れた声で囁く。顔を覆った小さな手は動かない。
「なにゆえ、そうまで私に手を伸べようとする」
 優は力強く笑む。キースはシエラの背中を何度も優しく叩く。
「友だちだからだ」
 だから力になりたい。それだけだ。
 シエラは身体が縮んでゆくような深い息を吐き出した。顔を覆っていた掌が離れる。蒼い眼に残っていた涙が落ちる。
「シエラが一人で封じ込めようとしているものは何だいー?」
 俺達にできることはないかなぁ。キースは優しい丸い眼でシエラを覗き込む。
「俺達だけでは足りないなら、仲間も呼んでくるよぉ」
 なかま、とシエラは呟く。 
 床全体から放たれる蒼白い光に照らされて、涙の跡が残る頬は痛々しいほどに白く見えた。どこか不安げな孤児の王に、キースは温かな笑みを見せる。
「俺達には頼りになる仲間がいるんだぁ」
 頷くキースと優に、シエラは一度きつく眼を閉ざす。ごしごしと拳で瞼を擦る。むかし、と幼い声で呟く。抱えた膝に額押し付け、
「翼持つ者と地を駆る者とが戦をしての」
 顔を隠して語る。
「戦の末に翼持つ者はこの地より消えたが、地を駆る者の王の城には彼らの呪いが秘かに沈められた」
 こつり、小さな拳が腰掛けた黒柩を叩く。
「愚かな王達は幾世にも渡り呪いに気付かず、年月を経て呪いは血の翼持つ朱の蛇獣と化した」
 こつり、こつり、孤児の王は時刻むように拳を打ち続ける。
「己が城と民護る為、我が父が千の戦士率いて城の地下に降りた」
 盟約結びし百の戦士達も天翔る船にて駈けてくれる筈だったが、と王は首を傾ける。何ぞ邪魔に遭うたかの、とむしろ申し訳なさそうに呟く。
 とん。黒柩の蓋を叩く拳に力が籠もる。床を縦横に覆う樹の根がみしりと軋んだ。黒柩を央にして、樹の根が波紋を打つ。床から壁へと退く。
「結果がこれじゃ」
 樹の根が引いた石床には、朱の色で幾つもの呪術文字が刻まれている。朱の文字の下から放たれる蒼白い光に眼を凝らせば、床は硝子のように透ける。
 優は息を詰める。キースは床に着けていた足を柩の上へ引き上げる。
 透ける床の真下、炎のように紅い顎開いて、城と同等に巨大な朱鱗の蛇。血色の翼を今にも飛び立とうと大きく広げ、焔の眼を見開き、一枚一枚が刃のように鋭い輝き持つ鱗を逆立て、――その朱の蛇の周囲にまとわりついて、狼の仮面被り、武器を持った戦士達の白骨の骸。
「千の戦士と王の血肉を喰ろうた蛇獣に、我が母と十の巫女が身を賭し呪いを掛けた。母は私に最後の王としての務め言い残し、巫女達と共に蛇獣に呑まれた。蛇獣は呪いにて時を固められ、永の時動けぬ身と成り果てた」
 ぱちん。夢を醒まさせるように、シエラは両手を打ち鳴らす。壁際に退いていた樹の根がみしみしと動き、再び床を覆い隠す。
「翼持つ者の好んだ白焔花に城は覆われた。民は呪いに圧されるようにこの地を去った」
 親亡くし民をも失くした孤児の王の、これが顛末。ちと端折ったがの、とシエラは蒼い眼を細めて悪戯気に笑う。
 シエラは顔を上げる。
「これと同じ仮面被った者が何代にも渡り樹を植え続けるのを、門番の目を通して見て来た。おそらくは城から逃れし兵の末裔じゃろうの。王の力となる樹ゆえ、……力に、なろうとしてくれておるのは感じていた」
 城の外に居る己が民の末裔を見たかのように、済まなさそうに肩を竦める。
「城に入ろうとする者も居ったが、門番により退けた。……会うてしまえば、巻き込んでしまう」
「許せない、ってことじゃないんだねぇ」
 キースがゆっくりと笑む。
「許しを請うは彼らに非ず」
 自らを低く罵るシエラの手を、優はきつく握る。
「俺達も、シロやクロ達も、巻き込まれたなんて思ってない」
 叱り付けられたように眼を歪めるシエラの頭をごしごしと撫でる。
「言っただろ」
「……けれど」
 キースは丸くなるシエラの背中をもう一度叩いて、黒柩の縁から身軽に立ち上がる。のんびりと伸びをして、
「直接聞いてみるといいよぉ」
 何でもないことのように笑う。
「ここ、ちょっと寒いかなぁ?」
 言いながら、背に留めていた若草色のマントを外す。ふわり、春風の優しさでマントをシエラの肩に掛ける。シエラの身体はキースのマントにほとんど埋れた。
 シエラは温かなマント抱いて黙り込む。そうして、穏かな眼で答えを待っていてくれたキースを見仰ぐ。ほんの少し怯えた顔で、それでもシエラは頷いた。キースは顔いっぱいに笑みを滲ませる。
「優君、シエラの事お願いするね」
 言うなり、角灯を手に素早く駆け出す。

 暗い樹のトンネルを角灯ひとつで照らして駆けながら、キースは頬に力を籠める。孤児の王の話を聞き、
(シエラを一人にしていられない)
 そう思った。けれど城の地下に巣食うものの姿を見て、
(俺達だけで解決できるとも思わない)
 そうも思った。それに、
(シエラは、あの子は決して孤児なんかじゃない)
 角灯の光が獅子の金眼に強く反射する。本当は、出来るならシエラの傍に居てやりたいけれど、今あの場に残るのは優君の方がいい。長い時間を一人で過ごして来たシエラのためではもちろんあるけれど、たぶん、優君のためにも。
 樹の根に散々道を阻まれた行きと違い、戻りは容易だった。身動ぎもしない門番の脇を擦り抜け、樹の幹の隙間から眩しい外へと顔を出す。
「キース!」
 入り口のすぐ傍で、シロが嬉しげに跳ねる。背に負う格好の白狼の仮面が少年の身体と共に揺れる。
「シエラの所に行ってあげてほしいんだぁ」
 角灯をシロに手渡し、キースは獅子の巨躯を樹の外に押し出して、気付いた。シロの隣にもう一人、黒狼の仮面被った男が立っている。
 シロと同じ短槍を片手に、男は仮面を押し上げる。仮面の下には髭面の壮年の男の顔があった。
「シロから聞いた。王の友人てのはあんたか」
 シロとよく似た、人懐こい笑顔を見せる。
「……シロ君のお父さんの、クロ君?」
 君て柄じゃねえなあ、とクロは髭面でまた笑い、
「シエラの傍に行ってあげてー」
 キースののんびりとした、けれど真剣な声に眉を寄せる。短槍を持つ手に固く力が籠もる。行けるのか、と急き込むように、怖じるように、問う。
 キースは力強く頷く。シロの肩を叩き、
「俺は手伝ってくれる人を探してくるよ」
 走るのは速いんだぁ、と今にも発とうと背筋を伸ばすキースの腕をシロが掴む。必死に懇願する。
「一緒に来て」
「一族の印持つ者に王城の変異は告げた。皆、集まる」
 クロがキースの前に立ち塞がる。飛空船の奴らも今度は、と一瞬空を仰ぐ。
「あんたたちが強いのは知ってる。あんたと、あんたの仲間と。出来るならば頼りにしたい。……勝手を承知で言う。事起こればその時は、」
 早口に言い、頭を下げる。
「仲間ときっと来てくれ」



 樹の暗闇を抜ける。
 蒼白い光の中、王は水筒の蓋で味噌汁を啜っていた。
「王……?」
「うん」
 シロ少年の呼びかけに、シエラは蒼い眼を瞬かせ、こくりと頷く。隣の優に水筒の蓋を返し、白狼の仮面を被らず手に持つ。自身の胸に仮面抱え、若草色のマントを引き摺り、樹の根這う床に立つ。そうして、白い頬に溜息のような笑みを浮かべる。
「樹が花呑みし時はこの地を離れよと伝えたろうに」
 シロが嫌だと仮面の首を横に振る。クロが槍を床に置き膝をつく。王、と黒狼の仮面で何百年分もの一族の思い籠めて呼びかける。シエラは唇を震わせる。
「要らぬ呪縛を掛けた。すまぬ」
 眼を伏せるシエラに、シロがまた首を横に振る。父親であるクロに突かれ、父に倣って膝をつく。
 王と親子の邂逅を確かめ、キースはそっと優の傍に寄る。
「優君は、ここに残るかい?」
 黒柩の脇に佇み、優は思案する。
「……俺は」 
 そうするつもりだった。シエラを一人にはしておけなかった。けれど、――今は。 
「おれが残る」
 優は旅人だろ、とシロが優を見遣る。
 ――今は、決して一人ではない。
「おれたちはおれたちの仲間の力しか集められないけど、優たちはおれたち以外の誰かの力を借りて来られる」
 だから、とシロは蒼白い光の外を指し示す。王さまは任せて、と白狼の仮面の奥の蒼い眼で笑う。
「優は、旅を続けて」
 優は眼に力強い光を宿す。頷く。
「優、キース。世話になった」
 マントを外そうとするシエラの手をキースは押さえる。預けておくよ、と柔らかく笑む。
「大事なものであろ」
「必ず取りに帰ってくるつもりから」
「……そうか」
 シエラはマントを抱き締める。キースと優を真直ぐに見仰ぐ。狼の仮面持つ親子を傍らに、己は一人ではないと知った王は強く笑う。
「ありがとう」


クリエイターコメント お待たせいたしました。

 孤児の王に手を差し伸べてくださいまして、ありがとうございます。
 お二方の、力強く、また優しい心のおかげで、王はこれより先の百年を引き篭ることなく、共に先へ進むことを決意することが出来ました。

 頂きましたプレイングに添えませんでした箇所も御座いますが、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。
 近いうちに、またお会いできましたら嬉しいです。
 ありがとうございました。
公開日時2013-05-28(火) 22:10

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル