キャラバンを護衛する任務は終了した。 終着駅は、大陸の端、交易の要衝。キャラバンはここで新たな仕入れをし、交易路を引き返す。一方の荷は船に積み替えられ、海峡を渡ることとなっている。「精霊殿。おかげで災いは我々の所から去った。竜刻というものは不思議よの」『エレンもがんばったよー』 途中、竜刻による障害があったが、イルファーンとエレニアの働きにより退けることができた。暴走しかかった竜刻は封印されてキャラバンの荷に加えられた。ロストレイルが迎えに来れば、世界図書館に回収される。 積み荷を渡した大商人に招かれ、宴となった。そして、イルファーンとエレニアが断る理由はない。「ソグホモン・ジヴォルゲ・ソグホモション、お招きに預かりますよ」『エレニアも一緒だよ』 商人に型どおりのあいさつをすますと、脇に控えていた夫人が口を挟んできた。「うわさの不思議な旅人ですわ。遠い世界のお話でもいただけませんでしょうか?」「いかがか、よろしかったら我が妻を喜ばせてやってはいただけないか」「まぁ、うれしい」 この地方でも図書館の用心棒のうわさは静かに広がりつつあった。思慮深いイルファーンにはそれ自体はヴォロスにとってはよからぬこととも思われた。 エレニアに目配せをする。 エレクとエレンが差し障りのない人形劇を始めると、邸宅の夫人方、そして、子供たちが集まってきた。 一方のイルファーンは、男衆の車座に加わることを求められた。「これは?」「イェランの花です。妻の故郷の品です」「なるほど、良い香りですね」 香はイェランの雄蕊を丹念に集め、押し固めたものに火をつけて煙を楽しむものである。 香は香油として精製させることもあるが、ここでは、煙を一旦水をくぐらせることによって、香の幽玄な味わいを純化させている。 車座の真ん中に配された香炉からはパイプ無数に伸び、それぞれを男たちが口にくわえる。 楽士たちが、奏で始めた。 煙る。 鼻から吐く息に何とも言えないコクと刺激が混ざる。 そして、イルファーンの脳裏にはキャラバンの旅の思い出が鮮やかによみがえった。エレニアがいつも共にいた。キャラバンのみなそれぞれの行程。苦労もあったし、愉快なひとときもあった。 ふと記憶にない場面が混ざる。「イェランの花を囲むと、見てきたものを共有できるのです」「奥方様のご縁でね。特別にね」「これによって、旅に出ていない私も皆様の苦労を分かち合うことができるのです」「お前が、あの娘とよろしくしているのもわかったぞ」 男たちは、がははと笑い合う。たしかな信頼がみられた。 気がつくと、商人ソグホモションが真剣なまなざしを向けていた。「実はこのイェランについて、イルファーン様にお願いがあるのです」 場の空気が香に手綱を握られるように引き締まっていく。おいでなすったか……。「僕たちにできることなら……」 話が終わったところでエレニアが戻ってきた。『やぁ、イルファーンどうしたんだい。浮かない顔をして』 ……『ねぇねぇ、さっきカリネ……ソグホモション夫人が歌ってくれた歌。あれ、エレニアの故郷の歌によく似ていたって! 彼女の地元の歌らしいよ』 今日はエレクとエレンも上機嫌だ。イルファーンはそんな恋人の様子を見て、ほほえんだ。「そのカリネ・カミィ・ソグホモションの故郷にこれから行くと言うのはどうだい?」 † 海峡にそって、海岸を北に一日。 イェランを産出する街……イェラントは、海沿いだが崖が急峻、潮流が複雑で船を出すには向かない。貧しい土地にあった。 主要な産業は牧畜と、その山羊毛を利用した紡績。そして、男どもの出稼ぎ傭兵稼業である。 街の石畳は隙間から雑草が生えていた。そして、広場に面して酒場や商店が軒を連ねていた。 昼間だというのに中からは下品た笑い声と共に嬌声も聞こえてくる。「思ったよりは栄えているね」 それもそのはずである。 この街には海峡を臨む灯台があり、灯台の維持のために匠合から金が流れてきているからだ。ソグホモション商会もその一つである。 気がつけば、エレニアが立ち尽くしていた。イルファーンは慌てて彼女の元に戻る。「エレニア・アンデルセンはこういう雰囲気は苦手かい」 ……そうではありません。 かすかに声が漏れ、そして彼女はイルファーンの心配を解くように、エレンを手にはめた。『この町、エレニアの故郷にそっくりだってさ』 そして、エレニアはうれしさと恥ずかしさに困惑を追加したアルカイク・スマイルをした。 目指すは灯台。 ここに、海を霊的に監視している巫女達が住んでいる。 海峡には海賊と言った即物的な脅威も存在する。が、それよりも、北の海を支配する竜と、南の海を支配する竜の領海のぶつかり合うところであって、ときおり竜の眷属たちが争いに興じる。 そんな日は、海に引きずり込まれる船も多く、港に早馬が走らされることになっていた。 現在の筆頭巫女、カミィ・タテフ・イェランは、商人の妻の祖母である。 依頼の内容は、イェランの花の生産量を増やして商いたいと言うことだ。 現在は、内々で特別なときにだけ使う分量しかない。「だめじゃ。精霊さんまでよこして、奴も欲深い男よのう。孫を嫁にやるでなかったわ」「ソグホモン・ジヴォルゲ・ソグホモションは、販売の収益でイェラントの男達が危険な傭兵稼業を辞めることができると計画していましたよ」 これすなわち、女達も春を売ることもあるだろう。とは言え、イルファーンはそれを指摘するほど野暮ではなかった。「それはいけない。イェランは神聖なものなのだよ。よそ者にはわからんだろうがね」 巫女が海を見通すのに使うのもイェランであった。それを交易路の神秘主義者達は巫女の傲慢だとののしっているという。 海は穏やかだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>イルファーン(ccvn5011)エレニア・アンデルセン(chmr3870)
義理は果たしたと、二人は老巫女の元を辞した。 海峡を臨む崖からは遠く沖合に商船のマストが見え、さらにその向こうには沈みゆく太陽が揺らいでいた。 巫女の住まう灯台に火が灯る。 風向きが変わって、乾いた大気に潮のにおいが混ざるようになった。 対岸は異国だ。 植生も文化もまるで異なるという。だから、隊商は海を渡らない。ここから先は武装商船の領域だ。 ――寒暖と降水量、そして産物によって、そこに住まう人々の体格、皮膚の色、気質、そして芸術文化が定められる。単調な大地は豊穣であったとしても、その産物は刺激に欠ける。 イルファーンの百年の旅の中、スレイマンは万物を識る魔術師らしくそのようなことを語った。まったく異なる祖先を持つフクロオオカミとオオカミが互いに似通った外見を有するようになるように環境は同じような文化を創ると。 当初イルファーンにはあまり人間の区別がつかなかった。彼にとっては人間は等しく愛すべきものであったからである。 魔術師の言によれば、海峡の向こうの人々は、その風土により単調で素朴なものとなる必然的にあることになる。 潮風が衣をはためかせる。 イルファーンは咎負う流離い人。 その身は災厄を呼ぶさだめ。 『イルファーンは、悩んでいるのかい。イェランの花をどうするべきか?』 目を細めて沖合を眺めていると、エレンが話しかけてきた。 エレニアはイルファーンの沈黙を勘違いしたようだ。今でもイルファーンは人々を型に分けて分類すると言うことは得意でない。隊商でもそう接していた。エレニアにも、エレニアが人間の中では女性に分類されるという程度にしか区分できていないと思われいてるかもしれない。 「ちょっと友のことを思い出していたんだよ」 エレニアは、精霊の柔和な微笑みで満足したようで、それ以上は、エレンもとがめだてはしなかった。 そして、エレニアはイルファーンの先を軽い足取りで進んだ。 東の空からは星々が昇りつつある。 丘には山羊がたむろするのをやりすごしていると、彼女から鼻歌が聞こえてきた。 イェラントの街中に戻る。 酒場は賑わっていた。店に入りきれない人々が軒先に溢れている。見れば隊商で共にあった面々見えた。聞けば、個人的に持ち帰った品々が思いの外に高く売れたとのことである。 昼は客を取っていたはずの娘たちも、したたかに、はにかんだ恋人を演じている。 エレニアが口ずさんでいたはずの歌がおこる。待ち人を想う詞がついていた。 「これって、エレニア・アンデルセンがさっき鼻歌をしていた歌だよね」 『なんだ。聞いていたのかよ』 『ちげーよ。エレニアが歌ったのは故郷の歌』 エレクが抗議し、エレンが加えた。 二つの文化の境にあった港はそれはそれは刺激の多い都市であった。そこから少し下ったこの街は、都市に大きな影響を受けつつも独自の発展を遂げていた。 貧しい大地の山羊の腸からは良質の絃が獲れ、海峡を渡るガレー船は漕ぎ手に単調なリズムを与える。逆にメロディーに素材を与える特徴ある鳴き声を上げる動物は少ない。人々は弓と膠の扱いに手慣れている。 結果、音楽は海洋文化でも内陸文化でもないどこか曖昧な音色をはぐくんだ。 歓声が上がった。 イルファーンは、歓迎されるべき旅人として、隊商で稼いだ給金をはずんでいたのだ。 ――音楽を聴けば、その地域の全てがわかる。 魔術師はそのようなことも言った。 曲の種類は少なかった。伝統的なほんの数曲……乾杯と再会と睦言と、それらの全てが一晩のうちに歌われた。 ヨーグルトで薄められた蒸留酒が杯に注がれる。 海水で冷やされた酒の磯臭さと、それを打ち消すためのイェランの香りが競演する。 エレニアはほんのり上気し、原始的な擦弦楽器を器用につま弾いてみていた。楽士たちが弓の持ち方を教授する。 笑い声がおこった。 漂うイェランの幽香が、二人を宴の輪に溶け込ませる。 やがて、一人酒に潰れ、二人恋人と抜けだし、残るはほんの数えるほどとなった。 頃合いか、イルファーンは、エレニアの演奏に遠い異世界の詩をのせて、お開きとした。 玲瓏な響きは、酔っ払いどもを平和な夢へと誘った。 二人の部屋には酔い覚ましの水が、銀の水差しに置かれていた。 粗末だが、複雑な紋様が掘られた寝台に腰掛ける。 『今日は楽しかったよ』 エレニアは素の手をひるがえしてエレクの言葉で感謝を述べた。そのエレクは、エレニアのポケットから裾を覗かせていた。 イルファーンは、少し迷ったが、そのことを指摘する代わりに水をコップに注いで彼女に渡した。 『ありがとう。これ、ちょっと塩味がするね』 「井戸の水脈が海につながっているんじゃいかな」 エレニアは半分ほど口をつけてから、いとおしそうに杯を両手で包んだ。 『イェランの花だっけ、依頼。アレでよかったんかい』 「うん。あの話しはね。僕らのようなよそ者が口を出すようなことじゃないと思うんだよ。本人達でよく考えて決めるべきかと」 『そう言うんじゃ無いかと思ったよ』 「どうしてもと言うならソグホモン・ジヴォルゲ・ソグホモションの妻の裁きに委ねてみるのがいいと思う。彼女は商人の妻、そして巫女の娘、どちらの立場も平等に知る女性だ。それに聡明だ」 『君は本当に人間が好きだね』 ――イルファーン。お前はマジュヌーンだ。愛に狂って死ぬ定めさ。 愛に死んだのはスレイマンだった。 「大切な人に愚か者《マジュヌーン》だと言われた」 『変なの、精霊様が精霊に取り憑かれるって、それはありませんよね』 エレニアはころころと笑うと、コップの残りをあおった。 『イェランの花の匂いで記憶を共有できるといいますが。楽しい記憶ばっかりの快楽の為にしか使われるのならこれ以上増やすのはよくないように思います。もし……悲しい記憶も共有したいとそう思える人とならきっとそれはとても心強いものだろうけれど』 声色こそ、エレクのものであったがそこにいたのは紛れもなくエレニアであった。 イルファーンはエレニアの悩みになにか声をかけないといけないと思ったが、言葉がまとまる前に彼女は可愛い寝息を立てていた。 そっと毛布を掛けてあげる。 海沿いの湿度があっても、この季節、まだ朝は冷える。 「こんな僕にも願いがある。君に僕の子供を産んで欲しい」 † ――かわいいエレニア、私の伝え鳥、その声を決して人の前で使ってはいけないよ 翌日も乾期の晴天だった。 内陸からの風が土埃の臭いを運んでくる。 エレニアは昨晩の宴を思い起こしていた。 「故郷の歌によく似た歌。故郷に似た町……」 やせた砂を焼き固めた煉瓦の黄土色。骨で作ったボタン。ガラスの杯は緑がかっていた。土に含まれている成分が影響しているという。 花の香りがもたらす幻影と一体感。エレニアは、昨晩初めてその片鱗を見た。酒も加わり、エレニアの心は遊離しそうになった。 長きにわたる孤独はその感覚をわかることを拒んだ。 エレニアは、イルファーンにイェランの花を見に行こうと誘った。 近く、海沿いにイェランの花が群生しているところがあるという。香そのものに触れることが許されない地元の子供達は、とくに背伸びしたがる娘たちに知られていた。 他愛もない遊びのようなものである。 今日も先を歩くのはエレニア。 背後にイルファーンの暖かく包み込むような視線を感じる。 ……彼は私を愛しているという。 しかし、イルファーンとエレニアの関係はまだ完成されたものではない。それが、寄る辺ない気持ちにさせてくれる。 二人は無言だった。 岩の目立つ丘陵を進むこと一刻ほどで、辿り着いた。 崖から海風を臨み。 わずかにすり鉢状になったところにイェランの花が所狭しと咲き誇っていた。 そして、岩の向こうには花の収穫をするときに使う小さな小屋があった。 ――お前の声は美しい。聞いた者を幸福にするだろう 荒れ地のイェランは、細い長い茎を白い粉に覆われていて、葉は細く慎ましい。どれだけまとまって生え茂っていても隙間だらけで、儚げであった。 花は、葉に隠れるような白。 花弁は未発達で、筒状。破裂した豆のようでいて大小が折り重なるようにしていた。周囲を囲む葉に守られている。 これを香のために集めるのは、巫女の見習いたち。 ――けれどね 二人は適当な岩陰を見つけるとそこに山羊毛のじゅうたんを敷いた。白毛黒毛の二色に、淡い緑の染料を使っただけの簡単に色彩に、母から娘に伝えられる複雑な紋様。 水筒から茶を注ぐ。 茶の香りが花の香りに混ざって鼻腔をくすぐった。 そよ風のささやきだけが二人を見守っていている。 そして、ようやくにイルファーンは重い口を開いた。 「エレニア・アンデルセン、僕はイェランの花をもう少し良いものだと考えている。昨晩のらんちき騒ぎを見てはそう感じるのも仕方が無いが……」 言われて、エレニアは酔っ払った記憶を思い出した。さっとほおが熱くなるのを感じた。昨晩は理性のたがが外れていたようだ。 「港で僕たちが交わした旅の記憶は、楽しかったことも苦しかったことも全部含んでいる。あの宴で港で待っていた人たちも遠い旅に思いを馳せて苦労を共にすることができたんだ。この街の人々もそうだと思う。ああやって心を開くことによって仲を深めているんだ」 エレニアはうつむいて、精霊の話しを聞いた。この人好きは、人の想いが感じられる場に目がない。彼にとっては喜びのときも悲しみのときも等しく尊い。 「実利的なこともあるよ。商人にとって信用は、お金よりも大切だからね」 『それじゃ、ただのお酒と何が違うんだい』 「さぁ、あまり変わらないのかも知れないね」 風向きが変わろうとしていた。海は凪ぎ。窪地には香りが溜まる。 この時刻は街の娘たちに聞いてきたとおりだ。 エレニアはイェランの花のただ中で深呼吸をした。 魔力を帯びた粒が肺に吸い込まれていく。 くらくらした。 傍らではイルファーンに向かって大気が集まってきていた。彼なりに真摯にエレニアにつきあおうとしているのがわかる。 ――お前はきっと傷ついてしまう 「どうか今だけは僕に、エレニア・アンデルセンの本当の声を聞かせて欲しい」 後押しされた。 エレニアは自らの声に秘められた魅了の力を怖れている。偽物の愛は欲しくない。 「大丈夫、僕はエレニア・アンデルセンをもっと好きになりたいだけだから」 香りで鼻が麻痺しそうだった。視界のイルファーンに靄がかかる。彼は横になってじっと待ってくれている。 茶を飲み干すと、エレニアは居住まいを正してお淑やかに座した。 目があう。 「それでしたら、あなたも……その精霊の魅力の力を……私に使ってください。そして、貴方を縛る苦悩をも私に見せてください」 久しく出していなかったエレニアの本来なる『声』は、しゃがれてたかさつきが混ざっていた。それは、エレニアの想いをのせるほどに本来の響きを取り戻し、純粋に、美しくなっていった。 「いつも『声』と共にあった。伝言師の仕事には誇りを持っていた。だけど本当の『声』は出せなくて……」 魅了して誰かの心を縛って。それは正しい関係とは言えない。嘆きはエレニアの魂に痕を残している。 「そもそも本当の『声』ってなんなのだろうと思ったこともあった。それもただ私が作り出した『魅了する為の声』ではないのか……」 「もっと聴かせておくれ、そのかわいい鈴の鳴き声を……。僕たちジンは風と炎と……言葉からできている。僕たちは天井から降りそそぐ慈悲厚きものの言葉が意図の形を取ったものだ。どんな人の言葉も僕にとっては魔法で力があるんだ。だから、エレニア・アンデルセン、君の特別な水濡れた響きをもっと聴かせて欲しい」 じゅうたんにしどけなく横たわるイルファーンは花園で一枚の絵であった。 山羊毛の額縁にエレニアが割って入る。 エレクとエレンは気を利かせて鞄の中に隠れていた。 「ここに私の故郷が写しがあるのが必定なら、イルファーン、貴方一緒に来られたのは運命《fate》なのでしょうね」 「運命《qadar》は天上からただ与えられるだけのものじゃない。自ら獲得するものでもある。だからこそ尊いのだよ。かわいいエレニア・アンデルセン」 「イルファーン……貴方の思い出をください。私をもっと魅了してください」 先に口づけを求めたのはエレニアであった。彼女が水であり、土であったからである。 「貴方の過ごした悲しい時間の一部をしることには意味があるんじゃないかなって。私と貴方の間にあるものの絶望するのだとしても……貴方なら、そんな私を光溢れるところに連れ出してくれると信じています」 「こんな僕にも願いがある。君に僕の子供を産んで欲しい」 イルファーンは昨晩伝えた願いを繰り返した。 「ずっと人の営みに憧れていた。人と人が交わり命を紡ぎ繋ぐ営みを愛しいと、その環に自分も加わりたいと願っていた」 精霊と人に子を生せるかは、全能にあらぬイルファーンにはわからぬ。 「でも……、それが叶うなら、間違いなく僕は幸福だ。 君の子供は可愛いに違いない 娘でも息子でも 君に似て心の綺麗な子になるはずだ エレニア・アンデルセンは故郷に帰るのかい? 僕は……生涯の伴侶として、死ぬまでそばにいると誓おう そして僕等の子を、孫を、見守り続けよう 精霊の命がいつ尽きるかわからねど 命続く限り生涯を賭して、僕と君の子孫を庇護し続けよう それが僕が証立てる愛の形だから」 そして、精霊は、イェランの花で冠を作った。 エレニアはそっと祈るように、それを受け止めた。イルファーンの手がエレニアの髪を撫で、耳からうなじをすべった。 エレニアは精霊の耳飾りを囓り、イルファーンは恋人にささやく。 「今日この時より僕はエレニア・アンデルセンの伴侶となる。僕は君に、エレニア・アンデルセンについていく、その耳にだけ僕の真名を告げる。――」 力ある言葉が繰られる。 「――、私と共にいつまでも歌いかけてください。私と貴方と後から来る者どもに悠久に……」 魂の契約は成立した。 「嗚呼 今日の君は一際美しい さあ、妻よ 最愛の花嫁よ もう一度呼んでくれ、僕の名を 家族となる証に 愛してるよ、誰よりも エレニア・アンデルセン」 宵の明星は輝きの劣ることを恥じ、いち早く地に隠れた。 男女の仲についてはスレイマンはあまり語らなかったようだ。魔術師が少年の形を取っていたのも、男女の煩わしさを避けるためであったのかも知れない。 瑠璃は泉を転がり、言葉が戯れる。 精霊は火の本性を現し、猛りに身を焦がした。風をはらみ火矢となる。 エレニアという城門は、三度攻められ傷ついたが、最後にはやさしく開城した。 花の咲くところは水であり土である。 そして、二人の過去は混ざり合った。ときに、エレニアはアシュラフでありスレイマンであり、イルファーンが守護した人々であった。青金石。イルファーンは、故郷の婆であり、アキであり、エレニアが『声』を運んだ人々であった。 二人は互いを知り、婚姻は完全なものとなった。 海風が花の香りを流していく。 エレニアは、イルファーンの衣のうちに入り込み、尽きない蜜を染みさせた。
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