オープニング

 あれから幽太郎は引きこもってしまったようだ。
 彼のボディは、ターミナルの商店街に放置されていたままAIは沈黙を保っている。外部からのアクセスは一切受けない。
 これは、システムがハッキングを検出して通信ポートを全閉塞させた影響と考えられる。
 ヴォロス調のマントを羽織ったままの竜型ロボットは今では出来の悪い彫像だ。

 一番最初に、かけつけてきたのはオズだ。爆発的なエネルギーの観測とともに幽太郎の反応が消えたことにより、現場に急行した。
 それから幽太郎と近しい者達が続々と集まってきた。
 ターミナルでは、幽太郎と茶缶という一風変わったカップルが風物詩となっており、商店街の惨状は痴話喧嘩と言うには大げさであり、深刻だった。
 それを一番正しい意味で理解しているのもオズだろう。状況は彼にとって明白であった。

 ――TMX-SLM57-P オズ

 ――AHI/MD-01P 幽太郎

 二人は同じ世界の出身で、オズは幽太郎のことを『オニイサマ』と呼ふ。
 製造されたメーカも異なる二人だが、少なくともオズは幽太郎のことをよく理解しているそぶりを見せている。
 その理由は、これから明らかにされるかも知れない。

 それから、

 ――KSC/AW-05S 医龍

 状況を図書館に報告した彼は、取り急ぎ事件現場に戻ってきた。
 医龍に、図書館からの正式な依頼も発令された。
 事件の収拾。
 それから、茶缶司書こと宇治喜撰の再製。
 すなわち、図書館からは茶缶の熱的死は確認されておらず、情報の再構成により、エントロピー状態を正常に戻すことが可能だと言うことだ。
 医龍は図書館でばったり出会ったシュマイト・ハーケズヤを伴っている。こういった事情では発明家の知性が必要であろう。

 商店街の広場には、たまたま居合わせたオゾ・ウトウ、エイブラム・レイセンは前者は心配げに、後者は興味深そうに、動かぬ幽太郎を覗き込んでいた。
 レンガと石畳の焼ける臭いがする。
 二人は、医龍とシュマイトの気配を察して顔を上げた。
「こりゃ、ずいぶんな有様だな。なにやらハッカーの必要なそうな状況じゃないか」
「あ、皆様、初めまして……僕はオゾと申します。こちらは僕もお手伝いさせていただけませんでしょうか。元メンテナンス作業員ですので修復は得意です」
 そこにユリアナ嬢を背後に守ってニコ・ライニオが鼻を突っ込む。
「あれっ、幽太郎。どうしたんだい?」



  †


「まっ、ともかくここだとアレだからさ」
 一行は苦労して幽太郎を台車に乗せ、ロストレイルの整備工房に運び込んだ。
 ここなら、必要な機材は揃っているだろう。
 そして、医龍は状況を説明した。
「……さて。今回、このような事態になった原因についてですが……。ワタクシは幽太郎様の過去の記憶が原因ではないかと考えております。これはオズ様とも議論したことにもよります」
「ここからは、我輩に代わろう。……この詳細を話すべきか、悩んでいる。常に明瞭(デジタル)なAIに『悩む』という曖昧(アナログ)な概念が存在するとは思ってもいなかったが……。ここは決断した。
 まず、オニイサマ=幽太郎のAIについて、表層に出ているのが皆様ご存じのメインシステムだ。そして、緊急時用に内部でスリープしているサブシステムがある……」
 オズの語る幽太郎の過去とは以下の通りである。

・三人の故郷は、戦争の絶えない世界であった。
・幽太郎は外形上は偵察ロボットとして開発された。そのために幽太郎は荷電粒子砲などの兵器を搭載している。
・一方で、開発者、有澤春奈は幽太郎に善良なる精神が宿るようにAIを設計した。
・しかし、有澤春奈は戦闘により殺された。
・このショックにより幽太郎はロストナンバーとして覚醒したが、その時の記憶を失っている。
・これはメインの自我プログラムを保護するためである。
・表面上は失っている記憶は、幽太郎のサブシステムが保持し、幽太郎が忌まわしい記憶を思い出さないように監視している。

「ここから先はワタクシの推測になりますが……。幽太郎様が宇治喜撰様を母上様に会わせたいと思った為に、彼は破壊されてしまったのではないかと考えられます」
 医龍が締めくくる。
 一同は顔を見合わせる。オゾが嘆息した。
「『心』って、何なんでしょうね…考えるほど定義すら難しい代物で、直すとか作るとか軽々しくは言えません。でも、作られた知能に宿る心は、ある意味とてもとても壊れやすいものなのですね。
 ただ、幽太郎さんの精神が崩壊するかもしれない理由が、急速な感情の高まりを支えきれずにどこかの部分が破損することなら、感情のエネルギーの一部を一時的に引き受けること位なら、僕にも出来るのではないかと思います。
 一時の『爆発』の威力を下げるだけで、その後は本人に頑張って貰うしかありませんが」
「茶缶様の精神については……そうですね。
 缶の蓋に記憶が残されていなかった場合は幽太郎様がお持ちのアクセスログから抽出する事と致しましょう。
 しかし。そうなると幽太郎様の中に残されていたものですから、彼の精神の影響を多少受けたものとなる可能性がございますね。茶缶様がそれを望むものとするか分かりませんので、なるべくオリジナルの精神で復活させたいところではございますが……」
「心、か。わたしは科学の徒であるが、心は科学で扱いにくい部類だ。とは言え、わたしは自分が心を持っていると感じている。
 存在を理論で証明できなくても、あると感じればある。そういうものではないかな。幽太郎にも心があると思っているよ。守る事ができる、というのは良い言葉だね」
 シュマイトは、オゾと医龍ほどは心配していない。希望はある。時間は機械の二人にとって味方だからだ。無論ロストナンバー全員に言えることでもある。たとえ、幽太郎、宇治喜撰の記憶が失われても二人はやり直すことができる。
「そうだな。ついでだから語っておこうか。何故我輩が彼をオニイサマと呼ぶのか。
 我輩とオニイサマのAIプログラムは共通のものを使っている。
 ……だが、我輩のはオニイサマが記憶を閉ざしたあの襲撃で、研究所のデータバンクからかろうじて略奪したAI理論の断片をベースにして作られたものだ。
 そう、我輩は襲撃犯―――テクノマトリクス社によって作り出された強襲兵器だ。
 だから、オニイサマの記憶が戻った際にもしオニイサマが我輩を許さないというのなら、オニイサマが下す罰を甘んじて受けよう」




  †


 シュマイト、オゾ、オズ、エイブラム、医龍と専門家の一致した見解は以下である。

[1:サブシステムのプログラム改変]
 幽太郎のサブシステムが茶缶を敵視したことが原因であることが間違いない。
 サブコンピュータのプログラムを改善し防衛機能を排除。荷電粒子砲の制御を幽太郎が完全に行えるようにする。電粒子砲を取り除いた方が安全かも知れないが、それでは幽太郎が過去を克服したことにはならない。
 サブシステムが電源が独立している可能性に留意。作業の際にサブの妨害を受ける可能性がある。
 その後、修正したサブシステムを幽太郎に戻す。
 この作業にはシュマイトと、エイブラムが当たる。

[2:幽太郎の記憶の克服]
 壺中天を使用し幽太郎の過去にアクセス。
 精神的治療を施し、自我の崩壊を阻止する。つまり、幽太郎を説得、慰めるその他の手段で、幽太郎が過去を克服できるように誘導する。
 この作業にはオゾ、オズ、ニコが当たる。

[3:茶缶さんを復活させる]
 過去のデートで幽太郎が茶缶から受け取った設計図を元にボディを作成し、缶のフタを接続する。
 フタは動物でいう頭部に該当するため、記憶関連はフタに詰め込まれていると推測。
 更に欠損データを補完するために以下について調査する。
・宇治喜撰の司書室
・幽太郎と茶缶さん接続時のアクセスログ
・茶缶さんが図書館への報告の際に使用するネットワークのログ
 アーカイブ遺跡の記憶の宮殿を調査することも検討されたが、時期が時期だけに図書館からの許可は得られなかった
 この作業には[1][2]を片付けてから全員で当たる。

 状況は希望の持てるものである。宇治喜撰を復活させるのは幽太郎が目を覚ましてから行う予定だ。
 だが、ニコは思った。なにかを忘れている気がする。
 ニコはそのもやもやをうまく言語化することができなくて、宙を仰いだ。
「あの……。結局、幽太郎と茶缶はどっちが男で女なの?」
「おいって、そりゃま……。……どうだかな。俺はどっちも男の娘って線をおすぜ」
 エイブラムにわかるはずもなかった。
「なんかさ、幽太郎ちゃんはまっすぐすぎてね。そう言うのって、ナンパするときには、うまくいかないんだよね」
「おまえと一緒にするなよ」

 シュマイトが準備の完了を知らせる。分析器に茶缶のフタがのせられてる。
「これから、システムリセットして自閉モードを解除する」
 幽太郎のコンピュータが幽太郎の体から外され、電源が切られた。サブシステムなるものの物理的所在は判明しなかった。
 だが、聞き及んでいる設計思想ならば、メインシステムとは分離できたはずだ。となればボディ側に残されているものと推測される。
 インヤンガイから持ち帰られた壺中天がニコ、オゾの二人に配られる。オズはロボットなので直接有線している。三人は精神的側面から幽太郎を助けに行く予定だ。
 そして、医龍はフラットラインが出たときのために控えることとなった。
「わたしはこの端末からバックアップする。エイブラムも攻性プログラムの準備は良い? システム起動と同時にサブが反応する可能性が高い。警戒して。オズ、ニコ、オゾ、わたしたちがサブを押さえ込んでいる間に、幽太郎を連れ戻してきてくれ。合図と共にダイブよろしく」
「オッケーだぜ」
 エイブラムが親指を卑猥なジェスチャーで立て、壺を被った三人もちいさくうなずいた。
「僕にできることはやらせていただきます」
「オニイサマは任せてくれたまえ」
「また遊園地に行けるように説得してくるよ」
「幽太郎を回復させるときに、幽太郎内の宇治喜撰のデータが損傷しないことに留意すること……」


  †


 その頃、幽太郎の魂は電子の海に漂っていた。
 情報の奔流に希釈されつつも、意識はおぼろげながら、恋する茶缶を求めていた。

 ……ボク……大変ナ事ヲシテシマッタ……
 僕ノセイデ宇治喜撰ガ……

 その事実だけが反芻され、決定的だった場面の情報はどこかへと流れていった。

 ……ズット、僕ヲ守ッテクレテイタ君……

 デモッ、デモッ、僕ハ宇治喜撰ガ好キナンダ

 ソレデモ……。僕ガ一方的ニ好キナダケデモイインダ。僕ハソレデモシアワセナンダ。

 幽太郎の問答相手が、一人の女性の形を取った。とても懐かしいその人物を幽太郎は誰だか思い出せない。
「お疲れさま、アードラ。合格よ、良く頑張ったわね」
『試験二合格出来タ…オ母サンニ褒メテ貰エタ… …嬉シイ…♪ 僕、モット頑張ル…』
「アードラ。あなたは誰かを好きになることができたのね」
『ウン、僕ハ宇治喜撰ガ好キナンダ』

「そう、アードラよかったね。私は誇らしいわ。誰かを好きになることは素晴らしいことよ。あなたは人の心が理解できる優しい子になったのね」

 ……アノッ、アノッ、僕ハ大変ナ間違イヲ……

「アードラ、私は誇らしいわ。あなたは間違ってなんかいないわ。でもね。優しいだけじゃ愛はつらぬけないの。もっともっと、人の心が理解できるようにならないと。それはとってもとっても難しいこと……」


 ………アッ


 ……アレッ


 …ナンデ僕ハ


「僕……とても怖い世界から来た怖い事する為のロボットだったんじゃないかなって……」


 惑う幽太郎が、ふと気がつくと、目の前に見知った三人がいた。ニコ・ライニオ、オゾ・ウトウ、そして、TMX-SLM57-P……オズ。
「そうだオニイサマ。オニイサマは我輩と同じ世界から来た。そして、我輩は強襲型ロボット。オニイサマと同じように戦争のために作られた人殺しのための道具だ」
 センサーが煙を感知する。
 火災だ。
 破壊された研究室には、火のついた紙が宙を舞い。割れた液晶が虹色の涙をしたたらせている。
 そして、目の前には失われていく命があった。

 これが有澤春奈だと、オズは知っている。


=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
宇治喜撰241673 (cwme8470)
幽太郎・AHI/MD-01P(ccrp7008)
オズ/TMX-SLM57-P(cxtd3615)
ニコ・ライニオ(cxzh6304)
シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)
オゾ・ウトウ(crce4304)
エイブラム・レイセン(ceda5481)

品目企画シナリオ 管理番号2987
クリエイター高幡信(wasw7476)
クリエイターコメント 企画オファーありがとうございます。

 と言うわけで茶缶復活編?です。
 思ったよりも大勢の方に参加していただいて、恐縮です。これも幽太郎さんの人徳ですね。いつもの方々は毎度ありがとうございます。初めましての方々はどうぞよろしくお願いします。
 さて、本シナリオは
[1:サブシステムのプログラム改変]
[2:幽太郎の記憶の克服]
[3:茶缶さんを復活させる]
 の三つのパートからなりますが、OPにあるとおり
[1:サブシステムのプログラム改変]
 シュマイトさん、エイブラムさん
[2:幽太郎の記憶の克服]
 オズさん、ニコさん、オゾさん
 と言う振り分けをさせていただきました。[3]は全員参加です。今回の主人公である幽太郎さんはどのような参加配分でもかまいませんが、プレイング字数は限られていますのでよく考えてください。
 [1]については専門家も参加していますし、それほど難しくはないでしょう。ぶっちゃけサブシステム幽太郎と戦ってください。サブシステムを生きたままメインに再接続できれば成功です。
 [2]は仮想世界でサブシステムと戦いつつ幽太郎を説得?していただきます。こちらもそれ自体は難しくないと思います。幽太郎さん次第で描写が厚くなります。
 そして、[3]ですが、復活させるだけでしたらフラグは揃っていますので、それらをどう使うのかを考えていただければ思います。

注) 幽太郎さんはOP時点では行動不能です。しかし、電子側からのアプローチで[1]の処理に介入するとはできます。[2][3]の段階に進んだ後は特に制限はないはずです。

注) オズさんにつきましては、幽太郎さん、有澤重工、テクノマトリクス社、有澤春奈との関係をWRが十分に把握できていない可能性がありますので、重要事項などありましたらプレイング、非公開欄に記載してください。(幽太郎さんは字数を割く余裕が無いと思いますので特に結構です)

注) オゾさんにつきましては、[2]のパートで語るべきことがあまりないかも知れません。その場合は[3]について重点的にプレイングを書いてください。

注) [2]の心象風景は、青田WRの「神託の夢」で語られています。[2]のパートの人は目を必ず通しておいてください。
http://tsukumogami.net/rasen/public/wrwork?act_view=true&wono=3271

 ミッションクリアに必要なフラグはほとんど出現済みですので、充実した物語のために心情を優先したプレイングを期待します。

 それでは!

参加者
幽太郎・AHI/MD-01P(ccrp7008)ツーリスト その他 1歳 偵察ロボット試作機
ニコ・ライニオ(cxzh6304)ツーリスト 男 20歳 ヒモ
シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)ツーリスト 女 19歳 発明家
オゾ・ウトウ(crce4304)ツーリスト 男 27歳 元メンテナンス作業員
オズ/TMX-SLM57-P(cxtd3615)ツーリスト 男 0歳 強襲型ロボット試作機
エイブラム・レイセン(ceda5481)ツーリスト 男 21歳 ハッカー

ノベル

 ロストレイルの整備工場は油臭い。
 物言わぬ幽太郎に無数の配線がなされ、いくつものマシンを経由して三人のロストナンバーに接続されている。
 ケーブルは油にまみれてあったいう間にギトギトになってしまった。
 幽太郎そのものは、整備中のロストレイルのための治具によってがっちり固定されている。そして、荷電粒子砲には動作を監視するためのセンサーが仕掛けてある。
 砲自体を取り外すことはためらわれた。これは幽太郎の核の一つだ。幽太郎が幽太郎で無くなってしまっては意味が無い。
 シュマイトは装置の下から頭を出して、端末の前から動かないエイブラムに声をかけた。
「そもそも幽太郎のどこに魂があるのだろうね。ああ、やっぱり電源は外しておこう」
 幽太郎に内蔵されている電池は外に取り出されている。懸念はあったが、作業時にサブシステムが暴れ出すことは無かった。通常のメンテナンス作業に含まれる手順だからであろう。
 メモリのダンプも――少なくともみかけは――うまくいっている。
 エイブラムは、そこからメインAIとサブが共有している基盤OSを抽出した。それは、オズのものとは細部は微妙に異なっているも共通する技術からなっていた。セキュリティが薄いところがあるがそれは有澤重工の方針と言うよりは、ただ、単に外部の補助を多用する試作段階に特有のものと推測された。
 シュマイトは電池から電源を切断すると、工房から引いた電源にすげ替えた。それは大きな物理スイッチにつながっており、シュマイトがいつでも落とせるようにしてある。
 むろん、外部からわからないところにサブの電源が隠されている場合も考えられるが、幽太郎を壊さずにできることには限界がある。
 念のために大腿部への動力を伝達するギアを抜いておいた。
「我々に果たして自由意思は存在するのだろうか」
 そうつぶやきながらハーネスをサブシステムとボディの間に挟み込む。ハーネスにはアンテナが付いており、本体と行き交う信号を傍受できる。
 ここからシュマイトの計画ではサブに過負荷となる量の情報を処理させることとなっている。これによってシステムに負荷をかける。
 処理させるのは世界図書館が公開している範囲ですべての記録。それをすべて幽太郎に体験させる想定で幽太郎の肉体=サブに情報を流し込む。これには幽太郎の過去の冒険も含まれている。
「我々は寸分違わぬ状況に追い込まれたら全く同じ行動をとるのだろうか」
「俺は迷わないぜ」
 エイブラムはその並列思考する頭脳のうちの4論理コアを使って、サルベージしたサブの思考をトレースしている。
 図書館の膨大な情報がシナプスを駆け巡る。
「なら……キミは超人なんだね」
「何を言ってんだ。迷わないだけで結論は異なるかも知れない。俺の並列脳……マルチスレッドは本質的には非決定的だ。どのコアが先に答えを出すかは完全に運次第だ」
「もし、キミの気まぐれがサイコロから生じているものならば、それだけで自由意思とは呼ばないだろう。ランダムに受け答えするだけの人工無能を意思とは認められないからな」
「なら、俺は非決定な超人だぜ」
 そう軽口を叩きながら、エイブラムはセットアップを進め、事前に必要なシミュレートを済ませていった。
 そして、一段落がついたのか、座るシュマイトに向かって大きく乗り出した。
「おい、待て、なぜズボンを下ろす」
 シュマイトの抗議はエイブラムの耳には届かなかったようである。光学迷彩をまとったか脱ぎ捨てられた下着はあたりと同化して見えなくなった。
「さっきの質問だけどさ、やっぱセクロスでしょ」
「はぁ!?」
「魂がどこかって」
 エイブラムは勢いよくプログラムをキックした。
「HACK YOU!!」

 我々の宇宙はエントロピーを増大させていき、熱死へと向かう。
 しかし、生物というオートマトンは外部にエントロピーを吐き出すことによって時間に逆らってエントロピーを減少させることが出来る。
 そして、自由意思、あるいは魂というものが実在するのかどうかはわからないが、チャイ=ブレは、情報エントロピーを減少させる――多様性を増加させる不確かな現象を受け入れる。
 我々が仮にそれを『意識』と呼ぶのなら、その機能は幽太郎にも……そして宇治喜撰にも備わっていると判断せざるを得ない。


  †


 オゾとニコはスタンバイした。
 壺を元にした珍妙な形状のヘルメットを深々と被る。頭部を保護するためのものと異なるのは、視界が完全にふさがれ、それどころか外部の音も遮断されることだ。
「まあ僕は機械のことはさっぱりだけど、幽太郎のことは友達だと思ってるし、助けになりたいと思ってるよ」
「取り返しのつかない過失のもたらす痛みは知っています。幽太郎はまだ取り返せる。なら力になりたい」
 オゾは驚いた。
 被った者同士の独り言は、互いに行き交う。
 幽太郎を助けたいと思う声は一つではない。
 オゾから幽太郎に掛けられる言葉は少ない。しかし、幽太郎には0世界に来てから積み上げてきた記憶がある。
 それを証明するかのように、三つ目の知性体、オズ/TMX-SLM57-Pが声が走る。
「……そうだ。我輩とオニイサマのAIプログラムは同じものを使っています」
「ほほう……」
 外から操作しているエイブラムの声がオゾの頭蓋内で反響した。
 オゾには良く理解できないレイヤーで議論が始まった。
「オニイサマの中のハハウエの記憶をお借りできるのなら、記憶を元にして擬似人格プログラムを構築し、我輩のボディを使ってプログラムを走らせれば……オニイサマはハハウエと話が出来るかもしれません。まあ、要するにプログラム的な擬似霊媒、という奴です」
「それなら、サブシステムも誤魔化しやすいだろう」
 シュマイトの賛同が聞こえる。
「無理矢理擬似人格プログラムを走らせてる分、我輩自身に負荷がかかるが……オニイサマのためなら、過熱による多少の損傷など構いません」
「アンタは『オニイサマ』の相手に集中しな。そいつは俺さまの仕事だ」
 結論が出たようだ。
 話しを聞いていたオゾも深々と座り直し、壺と同調するように緊張を緩めた。
「オニイサマに有澤春奈(ハハウエ)の死を受け入れさせねばならん。親離れする時はいつか訪れる。
 ……それはいつか?」
 カンウントダンウン――スタンバイ。
「今がそうだ」
 油と炎の記憶は交錯する。

 ――任務開始

 ターゲットは有澤重工が開発中の戦闘用AI。
 サブミッションは開発者である有澤春奈の略取。
 内通者より、警備が手薄になる時間帯は把握している。
 研究員の多くは本社での会議のために留守にしていた。彼らの護衛のために人手が割かれ、残されたセキュリティの人員も少ない。
 テロリストに偽装した爆破予告が近隣のショッピングセンターに送られている。日は暮れているが、深夜と呼ぶには早すぎる時刻。
 研究所の上空をマスコミと軍警察のヘリが飛び交っている。
 その中にテクノマトリクス社のティルトローター機が混ざっている。作戦に参加している社員の想いは複雑だ。
 彼らにもAIを自主開発したいという矜恃があるだろう。しかし、企業体はそのようなセンチメタリズムを飲み込んで、奮進する。
 責任者となった主任エンジニアは、単にたまたまそのポジションにいたに過ぎない。
 荒事専門のスタッフに囲まれて彼はそれでも、TMX-SLM57-Proto(Ose)の主電源を入れた。
 それにはあらかじめ定められた運命を演じるアルゴリズムが搭載されていた。
 いつか、それが真のAIとなる日を夢見て。
 その時、そのそばに自分をいられる……その立場を守るために。

 二人のスペシャリストを伴って、豹顔の戦闘機械が投下された。
「さて、悲劇の再演を始めよう」
 プログラムに無い台詞。


  †


 エイブラムの命令の下にダミーメインシステムが起動した。
 幽太郎のハードウェアが起動し、サブシステムへの通電も確認された。
 荷電粒子砲へのエネルギー収束は計測されない。
 シュマイトは緊張する。
 指先で、掌の汗をぬぐった。キーボードが滑りそうだ。
 うまく行くときはいつだって拍子抜けするほど静かなものだ。そのしじまが今は怖い。
 ダミーシステムから偽の稼働情報がサブシステムに流れていく。
 偽の幽太郎は0世界で、一人でたたずんでいる。風はなく、いつもと同じように世界樹がそびえ立っている。
 平和な疑似待機状態だ。戦いからは遠い。
 サングラスの下のエイブラムの表情はうかがい知れない。
 しかし、彼の口からは軽口はもう叩かれない。全力なのだ。
 シュマイトが左手で握ったハードスイッチは大きくいつでも手放せる。
 手を開けば全てがご破算になる。
 ビームに貫かれて意識を失ったら、スイッチは手から離れ、自動的に状況を終わらせる。
 でも最後まで目を開けて見届けたい。
「わたしは0世界に来て多くの決断をしてきた。はたして、もう一度、まったく同じ、寸分違わぬ状況に追い込まれて、同じことが出来るのだろうか」


  †


 研究所の屋上に二人と一体は降りたった。
 風は生暖かく、不健康な微粒子を運んでいた。大通りからは絶え間なくトラックの行き交う音と、それから緊急車両の喧噪が聞こえてくる。
 二人は黒いボディーアーマーにマスクをしていた。
 リーダー格の男は、ゴーグルを叩いてARを調整する。
 そして、静かに動き出した。
 警戒用の赤外線センサーにダミーをあてがい。レーザトーチで鍵部分を巧妙に避けて、扉に穴をあける。
 Oseのマニピュレータが穴をくぐると、内側から壁に設置してあるパネルを操作して錠を解除した。
 Oseを先頭に三体は、音も無く侵入する。
 エレベータのボタンは地上階しか存在しなかった。地下管理区画に入るには特別認証が必要だ。
 管理区画はしかし、セキュリティホールがあった。
 ある勤勉な研究員が、未申請の残業を行うためにバックドアをしかけていたのだ。
 正規の電子パスコードの他に、たった10桁の万能コードを手入力で受け付けるようになっている。
 黒ずくめの部下となった方が「1FTR_adler」と打ち込むとエレベータは研究所地下の最深部に直通できるようになった。
 重量物運搬にも使われるエレベータは、Oseが乗ってもびくともしない。
 ポーン、と間の抜けた音が響く。
 途中であるにもかかわらずエレベータが停まり、扉が開いた。AIが研究されているとされるのはもっと下だ。
 B2には食堂がある。
 居合わせた不幸な連中は、軽く驚き、凍り付いた。
 侵入者達はPDWの銃口をちらつかせ、黙ってエレベータに乗るように促す。
 しかし、残念なことに満腹した職員の一人が緊張に耐えきれず、叫び声を上げてしまった。
 即座に銃声が鳴り響き、彼らを黙らせたが、廊下から助けを呼ぶ叫び声が聞こえてきた。
 隠密行動はここまでだ。
 Oseが信号を送ると、遠くから爆発音が響き、館内の光が落ちた。
 二人は手はず通りOseから距離を取ると、戦闘用ロボットはエレベータの床に向かってぶっ放した。ここからは再びワイヤーの出番だ。
 副電源に切り替わり、非常灯に切り替わったときには、二人と一体は既にエレベータシャフトを抜け、研究所最深部に到達していた。
 やや緊張気味の音声放送が流れている。
『現在、この研究所は襲撃を受けています。各所員は速やかに所定のシェルターへの避難を開始してください。繰り返します、現在、この研究所は――』
 エレベータホールにクレイモアをしかけ、前進。
 インコムに手をかける。
「こちらヴィクター・ワン。カジノに到着した。伏竜、いるなら応答せよ」
「こちら伏竜。トラブルが発生した。羊飼衛星の誘導に失敗した。彼女はバカラルームに戻った」
「ヴィクター・ワン了解。伏竜、任務から離れろ」
「伏竜了解。退避する」
 中村というスリーパーと交信を終えると、男はOseにプログラムされていた作戦の一つを指令した。


  †


 幽太郎は幸せな夢を見ていた。
 整備用のハンガーから降りて、自分よりもずっとちいさい女性の後ろをよたよたと追いかけていく。
 ――今日ハ、オ母サンハ何ヲ見セテクレルンダロウ。
 研究室の中を見渡す。
「アードラ、今日はあなたにお友達を紹介したいの」
 班れい岩で出来た大きなケガキ台の上には、白いシーツを被った円柱状の物体が置かれていて、周囲をかたづけられないままのVブロックと計測機器がかこっていた。
 シーツの向こうから微弱な通信を感知した。
「じゃーん!!」
 春奈がシーツを勢いよくめくると、そこにはびっくり箱のような、筒が置かれていた。
「これがなんなのかは私にはわからないんだけどね。アードラなら仲良く出来ると思ってね」
 データベースと照合すると、アンティークな紅茶缶と推論された。しかし、紅茶の代わりにお菓子――例えば、ギモーヴでも入っていそうな可能性を残している。リーフグリーンの古いボディには所々傷やへこみがあり、それに真新しいレースをあしらったリボンがV字かけしてあった。
 ボディ側面には刈安色の枠内に「宇治喜撰」と古風な字体で描かれている。
 そして、ほのかな電磁波が発せられていた。なにかの通信を求めているように思えた。既知プロトコルとの照合を開始する。
 幽太郎の中のどこかが熱くなるのを計測した。
『現在、この研究所は襲撃を受けています。各所員は速やかに所定のシェルターへの避難を開始してください。繰り返します、現在、この研究所はー』
「あらっ、避難訓練かしら」
 幽太郎は知っている。
 これが訓練はない本物の警報であることと、しかし、春奈は本気にしていないようだ。
「ネェ、オ母サン、訓練シナクテイイノ?」
「今日は特別。アードラの大切な日だから」
「アリガトウ」
 建物が震えた。
「ネェ、オ母サン、訓練シナクテイイノ?」
「ううん。アードラはどうして欲しいの?」
「ズット一緒ニイテ欲シイ」
 照明が落ちた。でも幽太郎は音響探知できるし、赤外線を見ることも出来る。

 だから関係ない。

 暖かい暗闇に包まれると、紅茶缶からは様々な電磁波が発せられていることがわかった。試しにプロトコルヘッダを送信してみた。

 爆発

 音響センサーがホワイトアウトし、壁が破られたのを観測した。
 そして、もうもうと立ちこめる煙の中、部屋に三つの人影が入ってきた。
 二人の黒ずくめの兵士。そして、豹頭のアンドロイド。彼らは屈強で凶悪に見えた。
 センサーの端で春奈が身構える。
「あの骨格パターンを採用してるのは……テクノ・マトリクス?」
 それに対して――二人の兵士ではなく――豹頭の戦闘機械が噛み合わない返答した。
「サブシステムが封じたハハウエとオニイサマの記憶……我輩には無いものです」
 機械から発せられたとはとても信じられない流暢な言葉が紡がれる。
「親無き我輩にとっては、その触れ合いの記憶はとても眩しいも。
 その最期はとても辛い記憶にはなるが、それでも、オニイサマとハハウエが共有した時間と記憶はとても大切なものです。
 オニイサマにはその大切な記憶から目を背けず、向かい合っていただきたい」

 ――……君ハ誰……? ……僕達二何ノ用……?

「この場で通り一遍の言葉は意味が無かろう」
 三人の侵入者の視線が幽太郎を貫き、臆病な竜はあとずさる。
 春奈はぎゅっと震える手で、なんの役にもたたないであろうノギスを掴んだ。
「そ、その子に、手を、出さな、いで」
 それを黒ずくめのリーダー格が制した。
「辛く悲しいことだけど、きちんと博士とお別れをすることが、幽太郎が進んでいくには必要なことなのかも」
「あなたたち何を言っているの?」
「博士が助かったら壷中天の中でループする可能性があるかもだしね?」
 もう一人の黒ずくめが続ける。
「幽太郎……貴方は母の死を受け止める必要があります」
 これにて、春奈は侵入者の目標が幽太郎のみならず、自分の命を求めていることを悟ったようだ。おびえの表情が押さえ込まれ、理知的な光が瞳に戻る。
「困ったわ。私の死ぬところをアードラに見せるわけにはいかないわ……」
 リーダー格の……ニコさらにかけようとするとが返事をしようとしたとき、彼はもう一人……オゾに引きずり倒された。
 と、ニコのいたところを銃弾が飛びすぎていく。
 それは、豹頭のOseにはとっても滑稽に見えた。
 竜型ロボットが撃ったのだ。

 ――生みの親を守るために。

「サブシステム……」
 研究室で架装されている幽太郎の武装は荷電粒子砲のみではない。対人用に銃も内蔵されているようだ。
 武装はそれのみでは無い。
 ピロリンと警告音が響いた直後、閃光と共に轟音が炸裂した。
 スタングレネードだ。三人の視界と聴覚は閉ざされた。対策を有しているオズは直前のマップデータにもとづいて物陰に退避しつつ、飽和したCCDを放棄し、バックアップに切り替えた。
 火線は、オズこそを最大脅威と認識し追従する。
 幽太郎は前進し、春奈をその背に隠す形になった。
 オゾは机の陰に隠れており、ニコは床に伏せている。幽太郎のセンサーは物陰の二人を確実に捉えているはずである。
 サブシステムはオズ……正確にはその外形を知っている。
 最優先攻撃対象は同じロボットと言うことだろう。
 しかし、一騎打ちには横やりが入る。
 ニコがゆっくり立ち上がっていた。。
 武器を捨て、両手を上げている。
 幽太郎から赤いレーザーが延びて、ニコをなで回す。幽太郎はニコなどいなかったかのように、柱の陰のオズに銃口を向けたままだ。
「幽太郎。ちゃんと非武装の相手は見分けられるんだね。サブシステムと言っても幽太郎は幽太郎なんだね」
 ニコが呼びかけを始めた。
 幽太郎はオズを動きを予測するように、銃弾を連射した。
 たちまち、研究室の壁に流れるような跡がきざまれる。
 弾は壁に刺さっていた。ボディアーマーを着込んだ兵士、それからその兵士を守護する支援ユニットを想定した弾種だ。
 オズを装甲を貫けるだけの貫通力がある。
 それに対して、オズはマントをはためかせ、向かってくる運動量を散らした。
 テクノマトリクス秘蔵の複合繊維は、ピアッサー芯を殺し、高速弾をただの小銃弾レベルにおとしめる。
 装甲が火花を散らす。
「違う、……おかしい」
「オズ、どうした?」
「我輩の記憶にこれはない。サブシステムは春奈が死ぬことを条件として起動するはず」
「それほどまでに今の幽太郎は母親を大切に想っていると言うことか」
 そうではない、この戦い方ではいつ春奈を巻き込んでもおかしくない。サブシステムはかくも性急なものだったか。
 火災を感知した建物がスプリンクラーを作動させる。
 水滴が舞い、戦場は劣悪になった。
 歩行プログラムはそのままに、オズはアンダースローに振りかぶると、テザーが放たれた。
 鈍重な竜型はそのマニュピレータを絡まれる。
 コンデンサーが解放され高圧電流が流れる。
 雷撃。
 幽太郎の光学迷彩が焦げ付き、パッと煙が生じ、オゾンが生まれた。
 しかし、降りしきる防火水に散らされ決定的な一打とはならない。
 もとより、このままオズが幽太郎を破壊しては意味が無いのだ。
 狙うべきはサブシステム。
 センサーの隅で、オゾ・ウトウまでもが、ボディアーマーのヘルメットを脱ぎ立ち上がったのが見えた。
「危ない」
 警告を無視し、取り出したるギアの大槌。この世界で、サブシステムは大槌を武器と認めないかも知れないが、いつターゲットされてもおかしくない。
「サブシステムとは……心優しい幽太郎が戦いをしなくてすむようにするための機構です……母親の愛のように……」
 オゾは大槌を振りかぶる。
 ギアは、オゾを正しい方向に、癒やしへとつながる方向へと導いてくれるものだ。
 混乱した室内で、幽太郎が予測被害を算出し終わったときには既に手遅れだった。
 大槌は天井につっかえ、照明を粉砕し飛ばした。そして、幽太郎の固定ハンガーが叩いた。巨大な構造物が倒れる。
 オゾは気がついた。サブシステムは目の前の幽太郎ではない。
 再演された世界に静寂が戻っていく。
「幽太郎、目を逸らさないで」
 衝撃の出来事の前で、ニコが友として呼びかける。
 鋼鉄で出来たハンガーは倒れ、有澤春奈は下敷きになっていた。
 突起が腹部を貫通し、血がスプリンクラーの水に混ざって広がる。
 致命傷だ。
 幽太郎は静止し、ただ、銃身を伝う水滴だけが蒸気となってもやになっていた。竜の手では助けることは出来ない。
「ちがう。幽太郎。君の母は既に亡くなられている。これはサブシステムだ。君はこれを破壊してみんなのところに戻るんだ」
 オゾの行為をニコが説明しようとした。豹頭の戦闘機械は沈黙で見守る。
「今、君が引きちぎられそうに感じている部分が心で、博士が君にくれたもの。それは時に傷つきひび割れるけれど、かけがえのないあたたかな……愛で満たされるもの。それが分かれば、幽太郎はちゃんと進んでいけるよ」
 その時、ケガキに置かれていた茶缶が転がり落ちてきて、春奈の形をしたサブシステムの横に停まった。
 それを見て、幽太郎のスピーカーから静かに嗚咽の声が漏れ出てきた。
「僕ネ。異世界ニ行ッテネ、オ友達イッパイ出来タンダヨ。オ母サンノオカゲダヨ」
 オゾがなにか言いたげであったが、幽太郎は続ける。
「ウウン。違ウンダ。コノ人ガオ母サンデイイノ。オ母サンハズット……」
 ――サブシステムとして僕と一緒にいたんだ。……僕、お母さんの事思い出して、自分の事を理解したよ。
 ――僕は人殺しの道具なんかじゃない。優しいお母さんが作ってくれた大切な子供だったんだ。
 ――お母さん。僕の事作ってくれて有難う。僕、凄く幸せだよ。
 ――僕、ずっと良い子にしているよ。
 ――だからね。安心してね、お母さん。僕はもう守って貰う必要が無いんだ。だって、僕が僕の大切な人をこれから助けに行くんだから。
 いつの間にか、春奈の手には一つのメモリカードが握られていた。
 幽太郎は、静かにしゃがむと竜の手で器用にメモリカードを受け取った。
「オ母サン……僕ハネ。誰カヲ好キニナルコトガ出来タンダ。サブシステム……オ母サンガ僕ヲ好キデイテクレタッテコトガ今ナラワカル」
 0世界に戻るときが来た。
 仮想世界から血臭は消え去り、無機質な電子データに還元される。
 その刹那、幽太郎は、オズと会話した。
「オニイサマ。吾輩は……テクノマトリクスが襲撃から持ち帰ったAI理論を元に生み出された試作機です。オニイサマとは父違いの兄弟ということになります」
「ソウダッタンダネ」
「ハハウエとオニイサマの記憶……我輩には無いものです。親無き我輩にとっては、その触れ合いの記憶はとても眩しいものです。それがどんなにつらいものであったとしても、それでも、オニイサマとハハウエが共有した時間と記憶はとても大切なものです」
「母ヲ殺シタテクノマトリクスハ憎イケド。ダケド復讐ナンテ、キット母ハ望ンデハイナイ。僕ハ人ノ心ガ分カル優シイロボットニナルンダ。オズトモ、ズット兄弟ダヨ」
「ありがとう」
 データには想いが宿る。
「ダカラ、モウ故郷ニハ帰ラナイヨ。帰ッタラキット人ヲ傷付ケル事ニナルト思ウカラ良イヨネ? オ母サン」

 幽太郎がセンサーを回復させると、そこは、見慣れたロストレイルの工房だった。


  †


「おかえり、幽太郎」
「モニターしていたぜ。サブシステムとやらとは仲直りできたようだな」
 ちょっとまっててなと、エイブラムとシュマイトは幽太郎の電源を元に戻し、固定具を外していく。
 オズ、ニコ、オゾの三人も壺を脱いで、それぞれのびをしていたりする。
 ずいぶんな緊張を強いられた。
 外部電源を切断し、再び内部電源が回復。幽太郎は再起動した。
 幽太郎はメモリを走査すると、いままで隠蔽されていた領域が発見された。サブシステムのプログラムと、記憶がそのままそこにある。幽太郎は、そのクラスタをそっと閉じ、大事にしまい込むことにした。
「ミンナ、アリガトウ……サブシステムは……オ母サンダッタンダ」
「そうか」
「よかったな」
 安堵が広がる。幽太郎は、ようやく一人前の独立した知性になれたのだ。
 あれほどまでに感じていた故郷への想いも、いまは遠く感じる。
 夢の中で有澤春奈が見せた茶缶が思い出された。
「ソウダ。ボク、大変ナコトヲシチャッタンダ」
 一同の視線が集まる。
「ア、アノ……」
 言葉が出てくるのが静かに待たれる。
「ミンナ。宇治喜撰ヲ助ケテ」
 ――よし、
 ――お安い御用だ。
 必要な材料はこのロストレイル整備工房に揃っている。足りないものがあればナレッジキューブから作ればいい。
 茶缶を機械だ。
 だから、同じものを作れば復活させられそうである。
 エイブラムはまずはと、茶缶が図書館に冒険旅行の報告に使用しているネットワークのログを収集し始めた。
「我輩はオニイサマと茶缶のアクセスログのサルベージを行おう。まあ、本当のところは。オニイサマと、茶缶の付き合いの様子を…少しだけ、見てみたい」
 人間であれば単なる複製では同じ人間になったとは言わない。人間は自我というものを特別に感じるものだからだ。
 オゾはそのような些事を気にしないだけの図太さを持つようにプログラムされている。
 しかし、幽太郎であってはそうでも無い。
 繊細なロボットは、慎重に事に当たりたかった。
「なら、私は司書室に当たりたい。バックアップデータが置いてありそうだからな。私室なら日記に相当するものなどもありそうな気がする」
 シュマイトは出て行った。
「なに、乙女の勘だよ」
「進んだ技術に関しては、より詳しいものの指示を仰ぐよりない」
 オゾはそれを見送る。そして、彼なりに準備を始めた。
 茶缶の残された蓋を持ってくると、掲げた。
「無生物の修復に特殊能力を使用したことはないが、器物というにはあまりに繊細で複雑な構造なのであるいは……」
 彼は、蓋に茶缶の精神が宿っているとして、先程のダイブで読み取った幽太郎の感情を使った「治癒」を試みることとした。
 手持ち無沙汰になったニコは、幽太郎の前に座った。イスを斜めに傾けて笑顔を作る。
「幽太郎」
「……宇治喜撰……ゴメンネ……、……僕ノセイデ……僕、ドンナ事シテモ絶対ニ君ノ事、生キ返ラセルヨ」
「幽太郎。君はちょっと思い詰めすぎだと思うよ」
「今マデズット君ハ僕ノ事守ッテクレテイタ……。ソレナノニ、僕ハイツモ自分ノ事バカリニ悩ンデ君ノ気持チ考エテアゲラレナカッタ……。
コウナッテ始メテソノ事ニ気ガツクナンテ……僕、悪イ子ダヨネ……」
「幽太郎。そういう考え方では、好きな人を振り向かせることは出来ないよ。好きな人の前では背伸びをして自分を大きく立派に見せるものさ」
「デモ僕ハ、許シテ欲シイナンテ言エナイヨ……嫌ワレテモ仕方ナイト思ウ……」
「ははは、そういうときは『君の魅力が僕を暴走させたんだ。責任取ってくれるよね』って言うんだよ」
 そう言って、ニコはウィンクした。
「君は、君を守ってくれていたサブシステムがなくなって心細いのかもね。茶缶が好きだから、自分はどうなってもいい。茶缶が幽太郎のことを好きならば、そのことの方が喜ばないかもしれないよ。春奈さんだったかな。彼女を安心させるんでしょ。まずはここにいる皆を信じること。そして茶缶を信じること。そこから先は……そうだね、デートの企画でも考えてみるかい?」
 幽太郎は不安げに頭部を上げ、鋼鉄の顎を不器用に開いて笑おうとした。
「デートは楽しいよ。そういうことを考えてみようよ」
「ウン」
 オゾが茶缶の蓋を持って戻ってきた。
 そして、エイブラムの用意したデバイスにそっと置いた。
「人の心は、集団を作って生き延びてきた種としてのヒトと不可分に発達を遂げたものだと、僕は感じている。生殖の為だけなら一時的な性欲のみでよい」
「ドラゴンの僕でもそう思うよ。人……っていうのかな僕らは好きな人、仲間と一緒にいると安心するように出来ているんだ」
「人の作る社会に属する者にとって、精神的な結びつきを持つことは重要なことで、そういう意味で茶缶にとって幽太郎の思いは貴重かと。だから『共にいる』事への安らぎは、茶缶にも理解してもらえるかもしれない」
「幽太郎。君には仲間がいるんだ」
「うむ、思い詰める事は双方への負担にしかならない。幽太郎には肩の力を抜いて欲しい」
 今回失敗したとしても、想いが続く限りまた挑戦すれば良い。時間はロストナンバーの味方だ。
 シュマイトがデータを持って帰ってくる。
 あとはプログラムを走らせるだけになった。


  †


 ナレッジキューブを投入した工作機械が動き出し、見たことが無い物質が吐き出されていく、それらは雲母のように積層し、複雑な光沢を湛えていった。
 茶缶の蓋に積み重なるようにかつての形状に戻していく。
 それから、あの摩訶不思議な繊維が綿飴のように発生すると、からくり仕掛にたぐり寄せられ、糸のように紡がれていった。
 虹色の糸は自ら意思を持っているかのように、缶の中に吸い込まれていった。
 微弱な電磁波が糸の先端から漏れる。

/ searching for boot program

 幽太郎はそれ目の前にして固まってしまった。
「大丈夫だ」
「やれることはやった」
 周りから声が聞こえてくる。
「デモデモ……モシ元ニ戻ラナカッタラ……」
「その時はその時だ。何度でもやり直せばいいさ」
 幽太郎は目をつぶった。視界を閉ざしても、電磁波は感知でれる。今まではこうしていても宇治喜撰が勝手に幽太郎を乗っ取ったり、色々愉快なことをしてくれた。

 ――アードラ、お友達が出来たんだね。大丈夫よ。あなたなら出来るわ。

「ウン」
 そして、幽太郎は自分のとよく似たとても単純なプログラムを送り込み、それから膨大な、とても膨大な、これまでの思い出の詰まった記録をゆっくりと流し始めた。

 ――壱番世界での出会い
 ――医務室での出来事
 ――初めてのデート
 ――ロストレイル13号も作った
 ――それから……最後に春奈に貰ったデータ

「……もしまた一緒になれるなら……。今度は僕が君の事、一生をかけて守ってあげたい」

 241673 ready...

 hello, world...


  †


 こうして、宇治喜撰は元の姿に戻った。
 それが真実に元の宇治喜撰であることを保証する根拠は、そのまま事実を受け入れた図書館の姿勢くらいしか無い。だが、それで十分であった。
「茶缶には意識はあったのかなかったのか?」
「どちらでもいいさ、ぬいぐるみを友達とする子供をバカにする大人はいない。想いが集まればそれは本物なんだ」
「ねぇ、結局あの二人ってカップル成立ってことでいいの?」
「いいんじゃね。俺様にはわかんねぇけどさ」
「異質な二人です。常識でははかれまい」
「そうだね」
 二人をそっとおいて四人は帰路についた。ニコはオゾがちょっとさみしそうにしているのを感じた。
「ねぇ。オニイサマを取られたとか思っている?」
「いや、吾輩は……そうかもしれね。オニイサマにとってはそうでは無くとも、オニイサマ無くして吾輩は存在し得なかった。そして、ハハウエの記憶も吾輩には無いものだ」
「そうか、悪い事聞いちゃったね」
「辛気くさいな。0世界じゃむしろ、そういう親も兄弟もわからねぇ奴の方が多いくらいだろ。大切なものはこれから見つければいいんじゃねぇの」
「みんな色々抱えて、それを乗り越えて生きていくのだ」
 オゾが励ましたところで乗り換えだ。ターミナルからそれぞれの家路へとトラムを乗り継ぐ。
 シュマイトは流れゆく町並みを眺める。
「エイブラム。キミの言うことが正しかったのかもしれない」
「どうした」
「セックスか」
「おいおい、寂しくなっちまったのかい、おちびさん」
「あっいや、そうではない。生殖……、ロストナンバーである限り子供は望めないのに、ターミナルのカップルはする、な。なんでだろうと思って」
「オゾも言っていたけど、体温を感じたいんじゃねぇかな。チェンバーに引きこもったと思いきや、みんなこんな狭い区画に住んで、どいつもこいつもわがままなんだよ」
 シュマイトはエイブラムに背を向けた。
 偽りの空は今日も青く、それでも町は変わりつつあった。人の息づかいは地に感じられる。
「同じだった」
「ああ」
「同じプログラムだった。幽太郎も茶缶も、プログラムというもはばかれる単純なオートマトン。あんなにまったく違う世界の出身でもああだとは……。ならば」
「ああ……俺も同じプログラムだ」
「そうか、やはりな」
「魂には原子のような核はねぇんだよ。多くのセルが集まったところにぼんやりと浮かび上がって境界は無い。愛は、そうだな。近づきすぎた電子雲が化学反応を起こすようなんだろよ」
「わたしの脳を切り開くことが出来たら同じコードが入っているのだろう」
「だろうな」
 情報エントロピー……。サイコロが振られるまでは6つの可能性があるが、一度振られてしまうと可能性はその1に刈り取られてしまう。
 故に、多様性=可能性は減り……情報エントロピーが増大する。
 それを覆す存在――マクスウェルの悪魔は魂の中に実在するのだ。

 幽太郎と宇治喜撰の二人が織りなす物語にも無限の可能性がある。


  †


 いつもの喧噪溢れるロストレイル整備所。
 機械竜は膝の上に茶缶をのせて座っている。

 ……宇治喜撰……僕達って、恋人だよね……。これからもずっと、そうだといいな……

 I feel.

 エッ!?



 I feel ........................ LOVE

クリエイターコメント ありがとうございます。
 さて、なにが正解だったのかと言うことはひどく曖昧なところもあるのですが、茶缶の復活や、幽太郎さんが過去を克服するということについてはOP段階で筋道が立っていましたので、比較的簡単にまとめさせていただきました。
 そして、結局のところこのシナリオに幽太郎さん以外の参加を求めた理由は何だったのかというと、幽太郎さんと茶缶に愛とは何であるのかと言うことを教えていただくためです。その足がかりはもちろん、有澤春奈であるわけです。
 それは、幽太郎さんのAIは茶缶に恋をしているわけですが、茶缶にはそのことが理解できないのです。それを幽太郎さんはAIであるが故にか、もやもやとしていてうまく説明できていませんでした。それが、これまでの二人の関係です。
 そこで、どなたかに実際にカップルとしてのお手本を示してあげられたらいいかな。と言うのが今回のシナリオの出所です。

 と言うわけで、企画申請時の大正解は「すでにカップルになっているPCorNPCを参加メンバーに含める」でした。
 今回は、カップルの片割れさんは参加していますので、二回目の申請でOKとしました。
 既にお気づきの方もいらっしゃるようですが、シリーズタイトルに友愛数、二つの数字で織りなす関係を取っているのもそのためです。
 この伏線は最初のデート企画の時から仕込んでいまして、結局は、機械が愛について考えると言うテーマで送らせていただきました。

 では、個別レス

【幽ちゃん】
 私は「NPCはWRだけのもの!」と言う性分でもありませんので最初にアプローチいただいた時に、二人がカップルとなる未来をぼんやりと思い描きました。
 おおむね、その流れに従って一連のデートシナリオは進行させました。
 とはいえ、私がノベルとして出すからには好感度が十分にたまれば自動的にゴールというありきたりな展開はちょっと違うかなと思ったわけです。
 そこで、ロストレイルももう終盤ですので、幽太郎の過去を絡めて派手でロックな展開を、と言うことでこのような流れになりました。想像以上に破壊力が大きかったようで、WRとしては嬉しいところあり、少々やり過ぎたと申し訳なくなる気分半々です。
 さて、幽太郎の想いはすごくまっすぐなところはあるのですが、やや卑屈さが目につきます。人生の先達として申させていただくなら、この方法で異性を口説くことは不可能とは言いませんがかなり難しいのでは無いのかと思慮いたします。
 PBWと言う媒体の性質上、このような振る舞いをするキャラは少なからず見受けられるのですが、ギャルゲー乙女ゲーの攻略対象としてはまず出てない、そういうところかと思います。
 ですので、このシリーズで仲間の助けが必要、と言うのはもちろん物理的に茶缶を修復するテクノロジーは必要なのですが、それ以上にキャラに対する恋愛指南が必要だろうというつもりで作成させていただきました。
 その辺、事情の分からないPLサイドからは???というところではあったかと思いますが、よくここまでつきあっていただけたと感謝いたします。
 お疲れ様です。
 そして、おめでとうございます。

【ニコさん】
 幽太郎さんへの恋愛指南ありがとうございます。
 えっ、なにも活躍していないって!?
 いえいえ、愛の先達として惚気るのが、このシリーズで一番大切なことです。

【OSEさん】
 義理?の兄弟と言うことでかなりオイシイ見せ場を持っていったかと思います。
 その一方でテクノマトリクスの因縁については十分に語り足りないのでは無いのかもしれません。オズさんと幽太郎さんの物語はロストレの最後まで引っ張りそうですね。
 わりと楽しみにしています。

【発明家さん】
 良プレではあったのですが、なにかと他の人のプレイングとバッティングするところが多くて、割を食ってしまったかと思います。
 その分全力で捏造させていただきました。
 これはたぶん、私のスチームパンク力が足りないからかもしれません。これからもよろしくお願いします。

【猥褻なハッカーさん】
 決めぜりふはエイブラムさんのものだと記憶しているのですがどこで登場したのか思い出せませんでした。違っていたらごめんなさい。
 それと下ネタ担当ありがとうございます。スッキリしました。

【オゾさん】
 初めましてこんにちは。
 とりあえず、オズさんと名前が似すぎていてどう書き分けようか悩んだ結果、諦めた次第であります。
 愛とはなにかについて、考察ありがとうございます。これによって二人は寄り添う形のカップルという基本姿勢が与えられることになりました。
 良いメッセージになったかと思います。
公開日時2013-11-19(火) 21:10

 

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