イラスト/ピエール(isfv9134)
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは、学生たちでごったがえす賑やかなカフェの隅で、物思いに耽っていた。「……火城殿」 闘技場にて贖ノ森 火城と手合せをし、トラベルギアによる能力の安定を見た、そこから半月ばかり経った辺りである。 あのとき火城は、迷い惑うジュリエッタを信じ、支えてくれた。 深い心と思いを向け、彼女の眼を開かせてくれた。 火城の献身なくば、ジュリエッタは、今もまだ能力の不安定さに悩み、それ以上に、定まらぬ道筋に――自分自身の持つ真実に気づかず、延々と苦しんでいたことだろう。「はあ……」 要するに、有体に言えば、ジュリエッタは本気で火城を好きになってしまったのだ。 恋に恋して、叶わない想いに身悶えてきた過去はすでに遠く、今や彼女の胸には、ひとつの名前とひとつの顔ばかりがぐるぐると渦巻いている。「しかし、のう……」 想いが『本物』になり、自覚が進めば進むほど、悩みは増えてゆく。 ――火城は大人だ。 その優しさが心に痛いくらいの。「しかし、わたくしは」 対して、ジュリエッタは、立場上は確かに大学生になったものの、外見は少女のまま成長できていない。内面で言えば、少しは大人になれたとは思うし、これからも成長していきたい、成長していこうという気概もある。「……この想いは、迷惑なのでは……?」 だが、強い信念を持って世界司書をしている火城に、己が想いはどう受け取られるだろうか。ジュリエッタ自身、己が恋心が火城の邪魔になるようでは意味がないとも思う。「それに」 恋の問題を除いたとしても、『将来』という二文字は、すでに、ジュリエッタの前にそびえ立ちつつある。 それは決して遠くない未来、ジュリエッタに問うだろう。 ――お前は何を選ぶのか、と。「わたくしも、いつかは何かを得、捨てる日が来るのじゃ」 大事な人がいながら、あえてロストメモリーとなった火城。 これから0世界に帰属するという親友。 その他、自らの意志で未来を選び取り、迷わず進んでゆく人々の姿を目にして、焦りを感じることもある。 しかし、それとて、ひとりひとりが、自分のペースで、自分自身との対話を続けながら、選択し決めてゆくしかないことなのだ。「……うむ。ひとりで悩んでおっても仕方あるまいて」 アイスティーを飲み干し、トレイを手にジュリエッタは立ち上がる。 ひとりで思い悩んでも、自縄自縛の螺旋階段に陥るだけだ。それならば、覚悟を決めて、当人に向かい合ったほうがいい。「次のロストレイルに間に合うとよいのじゃが」 すれ違う友人たちに挨拶しながら、ジュリエッタは軽やかな足取りで学び舎をあとにする。 * 辿り着いてみたら、『エル・エウレカ』周辺は夕暮れ時の様相を呈していた。 通りすがりのロストナンバーに尋ねてみれば、だれかが希望して設定されたとかで、もうじき『夜』になるだろうとのことだった。「おや……今日は夜じゃったか。夜の『エル・エウレカ』とはどんな様子なのじゃろうのう」 純粋に、『夜』の『エル・エウレカ』がどんなものなのかという興味をそそられつつ、「うむむ……しかし、どうきっかけをつくればよいものか……」 心を決めてここまで来たが、いざとなるとやはり迷う。 なにせ、このような事態は初めてのことなのだ。「それに」 しかも、悩むべきことは多い。 もし想いを受け取ってもらえたとしても、再帰属の問題がある。 火城は、ジュリエッタが、自分のために、彼女自身の夢を打ち捨ててまで0世界に再帰属することを望むだろうか。あの、武骨な朴念仁は、自分のために誰かが何かを犠牲にすることをよしとはしないのではないだろうか。 それを思うと、ますます、迷惑をかけたくないという気持ちは大きくなる。「……じゃが、わたくしの中にある真実を、彼は引き出してくれた。戦いの中で、我が身を危機にさらしてすら示してくれた。その彼への想いをきちんと口にすることは、わたくし自身のけじめでもあるはずじゃ」 受け入れられるのであれ、拒絶されるのであれ、何も告げぬまま悩み続けたところで意味はない。 誠を示してもらった。 眼を、心を開かせてもらい、真実のひとつを目の当たりにした。 ――恋を自覚した。 傍にいたい、会って話をしたい、と、四六時中想うようになった。 ならば、もう、行動するしかないだろう。「ええい、うじうじと悩むのはやめじゃ!」 ぐっと拳を握り締め、ジュリエッタは大股に歩き出す。 『エル・エウレカ』へはすぐについた。 常連の面々は忙しいようで、珍しく、店内には誰もいなかった。 神楽が庭で植物の手入れをしていたくらいだ。 巫子と少し、立ち話をして、『情報収集』に勤しんでいると、「ん、おや……ジュリエッタ。いらっしゃい」 くだんの強面司書が顔を覗かせ、いつものように穏やかな笑みで彼女を迎えた。それだけで胸が締め付けられるような錯覚に陥る己に、ジュリエッタは苦笑せざるを得ない。「ちょうどよかった、旬の果物を使った新作が――」 ジュリエッタを席へと案内しようとする火城を、ジュリエッタは呼び止める。「火城殿」「?」「今日は、話があって参ったのじゃ。聴いてもらえるかの?」 火城が小首を傾げた。「ああ、もちろんだ。では茶の用意をしよう。少し待っていてくれ」 言って、火城が厨房へと引っ込む。 その背を見送り、ジュリエッタは、気合を入れるかのようにぐっと拳を握り締めたのだった。 ■神楽・プリギエーラの証言 火城の女性関係? いや、女性関係どころか、女っ気のあったためしすらないが。 というか、そもそも、恋愛のなんたるかを理解しているかどうかすら怪しい。 向けられた好意はすべて家族的な友愛に変換するような男だ。私のような無性者に言われるのだから相当だぞ、あれは。 ――好きなタイプ? あの、博愛傾向のある男に、その分類が存在するかどうかは判らないな。 きみがそれを知りたい理由に関して、私は尋ねないが、まあ、健闘を祈る。 それと、余計なお世話だろうが、どちらにしてもある種の苦労は覚悟したほうがいいと思うぞ。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)贖ノ森 火城(chbn8226)=========
水の入ったグラスを手に戻ってきた贖ノ森火城を、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは庭へと誘った。 彼女のために特別なデザートを仕立ててくれる、というのはもちろん嬉しいが――“特別”が嬉しいのは、恋する乙女の特徴でもあり、特権とでもいうべきものだろう――、まず当初の目的を果たさぬことにはどうにもならない。 大げさと苦笑する向きもあろうが、この場に及んで、ジュリエッタはすでに乾坤一擲とでもいうべき覚悟を決めているし、答えが是であれ非であれ、それをすべて受け止め、自分の糧としようという決意もしている。 これこそ本当だと思える恋をした。 想いはジュリエッタをあたため、彼女に前を向く勇気と、一歩踏み出す力をくれた。 気持ちが返ってくるのならばなお嬉しいが、すべてを望むのは贅沢というものだろう。ひとの気持ち、心が複雑で、一筋縄ではいかず、また他者が望むとおりになるものではないことは、ジュリエッタが一番よく知っている。 ゆったりとした光を孕み、ときどきやわらかく明滅する大きな置石へと到ると、ジュリエッタはそこに腰を下ろした。隣を指し示し、座ってほしい旨を視線だけで伝えれば、小首を傾げつつ火城も倣う。 「どうした、ずいぶん肩に力が入っているようだが」 デリカシーがないのとは違うものの、女心などというものとはまったくの無縁、朴念仁というのも馬鹿馬鹿しいほどの朴念仁である火城だが、腹立たしいことに勘はよく、ジュリエッタの内心、内面を的確に言い当ててくる。 ジュリエッタは今にも引っ繰り返りそうになる心臓をなだめつつ、深呼吸をした。 「今からとても重大なことを伝えようというのじゃ、肩に力が入るのも当然というもの」 言いつつ、彼に向かって右手を差し出せば、特に頓着もない様子で火城がその手を取ってくれる。 この人物は誰に対してもこうなのであって、そこに期待するだけ無意味だと理解しつつ、当然、ジュリエッタの心は躍る。 己が掌に託された、火城の武骨な手を、ジュリエッタは自身の胸元へと導いた。早鐘のように打つ心臓が、もっとも感じられる場所だ。 「……脈拍が速い。ずいぶん緊張している」 女性の胸に触れるという事柄に対してまったく何ら躊躇いや気恥ずかしさを感じている様子もなく火城が言う。 ジュリエッタは微苦笑しつつもう片方の手を差しのべた。 彼女に何かしたいことがあるのだと酌み、火城はされるがまま、求められるままにその手を差し出してくれる。 受け取った手を、ジュリエッタは、自分たちが腰かけた置石に触れさせた。 それから息を吸い、吐いて、腹に力を込める。 そして、口を開いた。 「あるだけでヒトを癒し、無限の存在感を示す鉱石は偉大じゃ。わたくしはそこに愛しさを感じる。これは、友愛、親愛というものじゃ」 「ふむ」 「しかし、わたくしたちヒトは、例えひとときの生であったとしても、鼓動を刻み心を育てる暖かさを持っておる。恋愛とは、そのようなものであるとわたくしは思う」 「なるほど……続けてくれ」 「わたくしの言葉が、真摯に愛する者への告白であると感じとってもらえればよいのじゃが」 そこまで言ったところで、火城が不思議そうにジュリエッタを見る。 言葉の意味を計りかねる、といった様子に、先刻神楽から受けたアドバイスを思い出すが、ここで怯んでいても仕方ない。 「わたくしが、今、こうしてこんなにも緊張し、肩に力を入れておる理由は、それじゃ」 策を弄し、遠回しな言葉を重ねたところで意味はあるまい。 「戦いのあと、知ったのじゃ。家再興は関係なく、互いを愛した両親のように愛する誰かとともにいられる、ささやかな幸せこそ我が望みじゃったと」 悪辣な人間に騙され、財産を奪われたあととて、おそらく両親は幸せだっただろうと思うのだ。 なぜならふたりは良心と真心によって行動し、その結果いろいろなものを失いはしたけれど、彼らは誰かを陥れることも、心を偽ることも、誰かを苦境に立たせることもなかった。彼らはただ伴侶を愛し、娘を愛し、身近な人々を愛し、その人たちの幸いを願っただけだった。 「わたくしもそうありたい。そう、思うようになった」 ジュリエッタの言葉を、火城は静かな眼差しで聴いている。 「無論、なすべきこと、果たすべきことはある。わたくしには、壱番世界での生がある。これを否定することも、捨て去ることもわたくしには出来ぬ。人生とは旅に喩えられる……途中で投げ出すことのできるものではない旅じゃ」 ジュリエッタにとってのそれは、つまり、壱番世界のイタリアに生を享け、今は日本に暮らすジュリエッタ・凛・アヴェルリーノとして、彼女を何よりも大切にし、慈しんでくれる祖父のもとで、孫としての生を生きることであろう。 「わたくしは、祖父の生ある限り、おじいさまのもとで生きたい。生きねばとも思う」 「祖父のお陰で今のあんたがある、だったか」 「うむ。おじいさまがいなければどのような目に遭ったのか考えたくはないのう……どこぞに売り飛ばされておったかもしれぬ。命があったかも判らぬ。だからこそ、おじいさまがいらっしゃる間は、と」 そして、とジュリエッタは言葉を継いだ。 「己自身の旅をまっとうしたあとは、文学や料理で皆の心を癒してみたいのじゃ。今までの自分を捨てぬ、ダイアナ殿のようにはならぬ。再帰属とは己を否定し捨てるのではなく生きながらにして生まれ変わることなのじゃと思う」 ちらりと見上げれば、火城はいつものように穏やかに凪いだ赤眼でジュリエッタを見ていた。 それだけで心臓が早鐘を打つ。 これはもはや業だろうとジュリエッタは思った。 思いつつ、口を開く。 気持ちのすべてを言葉に載せ、紡ぐ。 「わたくしの願いはただひとつ。朴念仁なところも優しいところもすべてが愛しい火城殿とともに歩み、愛することを学んでゆきたいのじゃ……わがままなわたくしを受け入れてくれるかのう?」 そのころには、触れていた手はそれぞれの傍らへと戻っている。 ジュリエッタは、伝えたいことの大半を伝え終わっていた。 あとは、あるとすれば、彼とともに構築する未来への展望くらいのものだ。 そして、出来ることならばいずれは贖ノ森凛と名乗りたい、そんな乙女らしく可愛らしい願いくらいのものだ。 しかし、残念ながら、なかなか一筋縄ではいかないのが、この火城という男なのだった。 「話を中断させてしまってすまないが」 今まさに愛の告白を受けている身としては、あまりに静かな――要するに、いつも通りの――口調で火城が疑問を呈する。普通ならば、この辺りで脈がないことに気づいて落胆するところだろう。しかし、この男に関して言えば、予測の範囲内ではあったから、 「うむ?」 「俺には、ジュリエッタの言うことは判るが、おそらく本当の意味で理解はできない」 火城の、朴訥なその物言いにも、込み上げてきたのは苦さや失望ではなく微苦笑だった。 「……そうか」 「あんたの言葉を客観的に判断すると、ジュリエッタは俺に対して恋愛感情という好意を抱いてくれているように思える」 「うむ、事実じゃ」 「俺は、あんたから好かれるのは嬉しいと思う。あんたは、あの苦しみを乗り切った強い人間だ。同時に他者を気遣える優しさも持っている。そういう人間が俺はとても好きだ」 この物言いはずるい、と思わざるを得ない。 「だが、やはり、俺には恋愛というものが判らない。それは、友人や仲間を特別大切だと思う気持ちとどう違う? そして、それは、他にも複数存在する特別な『大切』と両立させられるものなのか?」 「それは……」 おそろしく根源的な問いだった。 恋に恋して、両親の恋愛に憧れてきたジュリエッタとしては、恋愛という感覚が存在しない認識を想像することがまず難しい。ましてや、その認識のうちに、恋愛という観念を教え込む、などということは。 それではこの想いを伝えきることなど不可能だし、何よりも恋を成就させるどころか始めることすら困難であることに思い至り、沈黙した彼女に対して、 「……すまん」 火城が申し訳なさそうな顔をする。 それにもまた、胸が痛んだ。 当然、ジュリエッタは、火城を哀しませたり悩ませたりしたいわけではないのだ。それほど表情豊かな男ではないが、彼が浮かべる穏やかな微笑みは、心を締め付けられるようなせつなさと、やはり彼の傍で、彼とともに生きたいという願いを想起させる。 そんな相手の前で、怖い顔、かなしい顔など出来るはずがない。 たとえ想いが届かないにしても、彼の中のジュリエッタは、常に笑顔であってほしい。そう、切実に思う。 だからジュリエッタはことさら明るく笑ってみせた。 「それは火城殿の責任ではない。何よりわたくしは、火城殿の荷になりたいわけでは、」 「――ただ」 「え?」 「もしもあんたがそれを教えてくれるなら、いつかは俺にも判るんだろうか、とは思う」 それの意味するところを捉えかね、ジュリエッタは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。 「それは……つまり?」 ややあって、意識へと火城の言葉が行き渡り、恐る恐る問い返せば、 「あんたが俺に向けてくれる気持ちが感じ取れないわけじゃないんだ。ただ、俺の中で結びつかないだけで。だが、あんたがそんなふうに言ってくれるんだ、どうせなら理解が及ぶようになれば、と」 困惑と慈しみの入り混じった眼がジュリエッタを見つめる。 自分には理解できないことを、理解できないから、で終わらせず、ならば理解できるよう努めたいと、なぜならそれを言うのがジュリエッタだからと、火城は言うのだ。 それは、結局のところ、彼女へのよい感情なしに出てくるような言葉ではなく、 「……ッ!」 今のジュリエッタには、それだけでも十分だった。 胸がまた、締め付けられ、両眼が熱くなる。 「火城殿……!」 望んだところまで進むことはできなかったが、しかし、少なくとも進歩があった。間違いなく、ジュリエッタは前進していた。 こみ上げた感慨と安堵の涙を、いったい誰が笑えただろうか。 気づけば、ジュリエッタは火城の胸にしがみつき、顔を埋めるようにして泣きじゃくっていた。 無論火城はそれを咎めはしない。 時おり、なだめるように背を撫でながら、あとはもう、ジュリエッタの好きなように、彼女が泣きやむまで、傍らにいてくれた。 そして、ジュリエッタの嗚咽が止まるころ、 「……桃のデザートをつくってあるんだ」 そう言って、ジュリエッタを茶へと誘う。 それは、最上級の白桃を贅沢にもまるごと使った代物なのだという。 カヌーを思わせる横長の皿に、滑らかなヴァニラアイスクリームを盛り、スライスした白桃を並べる。ふわふわとしたシフォンケーキを添え、さくさくのラング・ド・シャと濃厚なホイップクリーム、クレーム・パティシエールを添えて、ミントの葉を飾れば出来上がりだ。 「そうじゃな」 ジュリエッタは、鼻を啜りつつも笑った。 「泣いたら、小腹が空いてしもうたわ」 かすかな笑みとともに立ち上がり、火城が手を差し伸べる。 ジュリエッタは迷わずにその手を取り、自分もまた立ち上がった。 そして、促されるまま、店内へと歩いてゆく。 その足取りがとても軽やかに見えるのは、きっと、誰かの気のせいではなかったはずだ。
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