オープニング

 無名の司書の『導きの書』が、音を立てて落ちた。図書館ホールに鈍い音が響く。
「どうしたんだい?」
 青ざめて片膝をついた司書を、通りがかったモリーオ・ノルドが助け起こす。
「《迷宮》が……、同時に、ななつ、も。どうしよう……」
 震える声で、司書は言った。フライジングのオウ大陸全土に《迷宮》が複数、発生したらしい。放置すれば迷宮は広がり続け、善意の人々に被害をもたらしてしまう。
 たしかに、予兆はあった。先般、フライジングへの調査に赴いたジュリエッタ・凛・アヴェルリーノの報告によれば、《迷鳥》の卵は、駆除が追い付かぬほど多く発見されているという。それも、ヴァイエン侯爵領だけではなく、オウ大陸に点在するさまざまな地域に。
「それは……。きみひとりでは手に余るだろうね。対処するための依頼を出すのなら、手伝おう。どうもきみはこのところ、オーバーワーク気味のようだし」
「ほんと? モリーオさん、やさしい……」
 無名の司書は、じんわりと涙を浮かべる。
「じゃあ、お言葉に甘えて。あたし、ひとつ担当するから、あとむっつ、よろしく」
「……ちょっと待った。なんでそういう割り振りになるかな?」
「それだとモリーオがオーバーワークになるぞ。俺も手を貸そうか?」
 贖ノ森火城が、苦笑しながら歩みよる。
「ありがとう、火城さん。頼もしい~」
「忙しいの? 私も手伝うよ?」
 紫上緋穂も駆け寄ってくる。
「ありがとう! 緋穂たんだって忙しいのに忙しいのに忙しいのに!」
「よかったら、あたしもやるわよ?」
 ルティ・シディがのんびりと声を発し、無名の司書はしゃくりあげた。 
「ルティたーん! うれじい愛してる〜!」
 同僚たちの配慮に、司書は胸の前で両手を組む。灯緒がゆっくりと近づいた。
「フライジングに異変が起こったそうだな」
「灯緒さぁぁぁぁ~ん。灯緒さんだって朱昏で大変なのにありがとうありがとう愛してる~!」
「……いや? ……ああ、……うん」
 まだ何も言っていないのに、というか状況確認に来ただけだったのに、灯緒はがっつり抱きつかれて、手伝うはめになった。
『オレは手伝わねぇぞ?』
 アドは、スルーします的看板を掲げ、走り去ろうとした。んが、無名の司書にあるまじきものすごい俊敏さで首を引っ掴まれてしまった。
「ありがとうアドさん!」
『手伝わないつってんだろーが!?』

  * * *

 そこはヴァイエン侯爵領と、隣接するアウラハ辺境伯領との丁度境界にあたる場所であった。
 イトスギの森の中を抜ける小川が境界線と定められてはいたが、水量の少ない小川はちょっとした気候の変動で気まぐれに流れを変える。ゆえに、両者の境界線は長年にわたり揉め事の種になっていたという。ヴァイエン侯が不在となり、侯爵領が事実上の国王直轄領となった今も――いや、そんな状態だからこそ、アウラハ辺境伯の領土的野心は収まってはいなかった。この森を領有したからといって実質的な利益は何もない。それはただ、古くから国王の信任厚い侯爵家への、単なる競争心に過ぎなかったのであるが……。
 《迷宮》が出現したのは、まさしくその境界直上だったのであり、それはきわめて微妙な政治上のバランスを嘲笑うかのようであった。
 報せを受けてアウラハ辺境伯は精鋭の騎士100名からなる討伐隊をすみやかに送り込む。心許ない小川など呑み込んでしまったがため、《迷宮》の場所がヴァイエン領なのかアウラハ領なのか、誰も正確に判断できぬうちに、だ。
 この討伐隊により《迷鳥》が討ち取られ、《迷宮》が平定されれば、それは辺境伯の成果となるだろう。国王はその功に報いて当地を割譲するにやぶさかではない。長年の領土問題は、イトスギの森をアウラハ領とすることで決着を見るはずだ。
 しかし。結果は無残なものだった。
 100名の討伐隊は、ただの一人も帰還することがなかったのだ。
 精鋭の騎士たちが迎えられ、二度と戻ることのなかった奈落のあぎとからは、恐ろしい断末魔の悲鳴と、むせるほどの鉄錆と血の匂いだけが吐き出されていた。

 その《迷宮》は鉄でできている。
 だが人工物ではない。《迷鳥》がもたらす摂理の歪みにより、出現した構築物だからだ。
 《迷宮》の名にふさわしく、複雑怪奇な構造の建物は、至るところに「罠」を備えていた。100名の討伐隊は、いずれ劣らぬ熟練の戦士たちであったけれど、《迷宮》の陰険な罠によって次々に命を落としてゆくことになった。
 あるものは壁から飛び出す刃物により上半身と下半身を分断され。
 あるものは落とし穴の底の棘に全身を刺し貫かれ。
 あるものは壁の隙間から歯車の間に引き込まれてすり潰され。
 さらには、鉄の《迷宮》に響き渡る叫び声を聞きつけて、恐るべき番人たちが襲来した。「鉄の処女」が生命を得て歩き出したかのような魔物が、おのれの中に騎士を閉じ込めると、おびただしい血が噴出した。鉄の巨人は手にした鳥籠の中に、捕らえた騎士の手足と翼を折ってその身を閉じ込めた。全身に鉄の棘を生やした蛇が騎士に巻き付き、ヤスリ状の舌で目をくり抜こうとする。
 騎士たちは理解した。
 この《迷宮》は、訪れるものの「苦痛」を欲しているのだと――。
 《迷宮》の意志は、《迷鳥》の意志に他ならない。
 鉄の《迷宮》の最下層。そこは《迷宮》で流された血が流れ着き、文字通りの血の海と化していた。その中に、湖面を滑る白鳥の、おぞましいパロディのごとき《迷鳥》がいた。
 鉄の外骨格に覆われた姿は、鳥というより首長竜を思わせる。《迷鳥》は、金属が擦れるような声で鳴いた。もっと――もっと「苦痛」を! もっと「血」を! この《迷宮》を血と悲鳴で満たすのだ……!
 まるで水浴びを楽しむように、《迷鳥》は鉄の翼をはばたかせて、全身に血のしぶきを浴びた。

「……得られた情報は以上だ。この《迷鳥》を、きみたちになんとかしてもらいたい。ここにチケットが5枚――」
 モリーオ・ノルドが差し出したチケットの1枚を、誰よりも早く奪い取った男がいる。
「きみは確か」
 モリーオは、黒い翼の武人の姿に、目をしばたかせた。
「ロック・ラカン。……ナラゴニアのものが何故いるのかと言った顔だな」
 うっそりと言うと、ロックと名乗った男は、パスホルダーを示した。
「旅客登録をしたのだね。なら問題はないけれど。……でもきみは人狼公の臣下だったのでは?」
「それは変わっておらぬ。ナラゴニアに仕えながら図書館の旅客であっていけないという法はないはずだ。むろん人狼公の許しは得ている」
「そうか。それならいいんだ。きみは『フライジング』の出身者だからね。皆の助けとなってくれることを望むよ。世界図書館へようこそ。図書館は新たな旅人を歓迎する」
「さてそれはどうであろうかな」
 ロックは言った。
「それがしはかつてかの世界の戦士であったゆえ、その務めとして忌むべき《迷鳥》を狩りにゆくだけのこと。べつだん同行するものを拒みはせぬが、必要以上に馴れ合うつもりもないのでな」


!お願い!
オリジナルワールドシナリオ群『春の迷宮』は、同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。

品目シナリオ 管理番号2604
クリエイターリッキー2号(wsum2300)
クリエイターコメント「普通のシナリオ」! 「普通のシナリオ」ですよ!!!!

シナリオの内容は超カンタン。
トラップとモンスター満載のダンジョンをクリアして、ボス敵をやっつけて下さい。
ダンジョンについてはOPを参考に。性質上、ご参加のみなさんも流血のある負傷をする可能性が高いですので、あらかじめご了承下さいませね。

プレイングの参考となる要素をピックアップしておきます。

・ダンジョン内には100名の討伐隊の死体がごろごろしていると思われます。
・もしかしたら生存者がいるかも?
・NPC「ロック・ラカン」が同行します。デレるかどうかはみなさん次第。
・ボス敵は全長3メートルほどの「鉄製の白鳥」。戦闘フィールドは泳げるほどの血の海です。
・ボス敵とは会話などはできないみたい。

以上です。
それでは、よろしくお願いいたします。

参加者
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
ハルカ・ロータス(cvmu4394)ツーリスト 男 26歳 強化兵士
メアリベル(ctbv7210)ツーリスト 女 7歳 殺人鬼/グース・ハンプス
テューレンス・フェルヴァルト(crse5647)ツーリスト その他 13歳 音を探し求める者

ノベル

  1

 《迷宮》の入り口は、静かだった。
 ぽっかりと開いた奈落への口。そこから漂う禍々しい雰囲気を察知してか、周囲の森からさえ、生き物の気配が消えていた。
「これが……《迷宮》。ロックさんは、《迷宮》に入られたことは」
 相沢優が、ロック・ラカンへ問いかけた。
 以前、0世界の樹海で邂逅したため、初対面ではないが、平素はナラゴニアで暮らすこの男について知っていることは少ない。
「かつてこの世界においても、それがしの役目は《迷宮》の対処ではなかった。だがそれでも、この災厄にまみえ、騎士として剣を振るったことはある。この地では《迷宮》は忌むべきものであるゆえにな。……それがしが今までに討ち漏らした《迷鳥》は一羽だけだ。……行くぞ」
 皆を促す。
 メアリベルが、にこにこと楽しそうに続いた。
 テューレンス・フェルヴァルトは、一瞬、躊躇を見せた。……ハルカ・ロータスが気遣うような一瞥をくれたが、テューレンスはかぶりを振って、歩き出す。
「迷宮が、このまま、だと、きっと、更に、大変な、事に、なるはず。なんとか、食い止めに、行かないと」
 テューレンスは言った。
 テューレンスの足取りを思わず鈍らせたものは、《迷宮》が発している濃厚な「悪意」の気配だった。テューレンスはそれに恐怖よりも嫌悪を感じる。
「ひとの苦痛を欲する――か。そんなもの、あっていいはずが、ない」
 誰にともないつぶやきを、ハルカは聴き取る。
「《迷鳥》というのは変わっているな。痛みや血がほしいなんて」
 その物言いはあまりにも素朴で、テューレンスは表情をやわらげたほどだ。
 だが5人の旅人を、迎え入れた《迷宮》は、変わらず、粘つくような闇と、なにかひどく厭なにおいに満ちていた。
 優のセクタンが狐火を灯した。
「どんな罠があるかわからないし、敵もいる。出来るだけ音は立てないようにしたほうが――」
 そう言おうとしたが、
「死体がごろごろ、真っ赤な迷路♪ ブラッドスワンはどこかしら♪」
 それよりはやく、メアリベルの歌声が響き渡っていた。
 手斧を、摘んだ花かロリップででもあるように、振り回しながら、楽しげにスキップする。そのあと、ミスタ・ハンプがとてとてと無言で着いて行った。
 司書から話を聞いて以来、メアリベルは血と死に満たされた迷宮に興味深々で、上機嫌だったが、いよいよ足を踏み入れるにあたって上機嫌さはマックスに達しているようだ。
「一人で先へ行ったら危ない!」
 危ない、危ない、危ない――。
 優は、声を掛けてから、思いがけず、自分のその声も反響したのに、息を呑む。
 メアリベルが歩みを止める様子はないので、やむなく、一行はひきずられるように先を急ぐのだった。

 《迷宮》の空気はよどんでいた。
 湿っぽく、鉄錆のにおいがする。鉄骨と鋼板をでたらめに組み合わせた通路は、道幅や高さや壁の角度が、微妙にゆがんでいて、言い知れぬ不安のようなものをかきたてずにはおかないのだった。
 これがもし、人の建築家がつくったものだったとしたら、それは頭がおかしい人物だったろう。
 そして、通路はでたらめに分岐し、文字通りの《迷宮》の様相を呈している。

「……。待って」
 ふいに、テューレンスが皆の注意を引いた。
「隙間風。その壁、なにか……」
「そこですか」
 優が、表で拾っておいた小石をポケットから取り出し、放ってみた。
 コツン、と壁に石があたるや……、ぐるりと床を含めた壁の一部がうらがえって、グロテスクなその正体をあらわす。
「うわあ~」
 メアリベルが瞳を輝かせた。
 壁の裏にはびっしりとスパイクがはえていて、そこには一人の犠牲者が全身を貫かれたままになっている。
「ひどい」
 優が眉根を寄せる。
「この道は避けたほうがいい。この先、1メートル置きに同じような仕掛けが埋まっている」
 ハルカがそう言ったのは、透視したのだろう。
「……あの、」
 そこにも同様に遺体があるのか、と問いかけて、優は呑み込む。
「……。ここには俺たち以外に思念はない」
 ハルカは迂遠に応えた。優はおのれの拳を握りしめる。
「だがこの《迷宮》は決して無人ではないぞ」
 ロックが言いながら、剣を抜いた。
「なにかくる!」
 テューレンスが警告するのに、一拍と置かず、別の方角からガシャガシャと耳障りな音が急接近してきたのだ。
 《迷宮》の天上に頭をこすらんばかりの、鉄の巨人たちだ。
 それは壱番世界の物語に描かれた、ブリキの樵の醜悪なデフォルメのようである。かれらもまた全身にスパイクを持ち、同じく棘だらけの棍棒のような武器を振り回しながら襲いかかってきた。もう片ほうの手には、何に使うのか想像もしたくない鳥籠が携えられている。
「タイム!」
 優の声に応えて、セクタンが炎弾を放つと同時に、あとの面々も動いた。
 ギン!と鋭い音がしたのは、ロックが剣で振り下ろされた棍棒を受け止めたからである。
 ハルカのトラベルギアである錘付きの鎖が、巨人の首に巻きつく。そのときハルカはすれちがうように駆け出しており、その勢いのまま鎖を引けば巨人は通路に引き倒される。そこへテューレンスの剣が、鉄でできた身体の隙間を狙って差し込まれる。ロボットと言っていいのかわからないが、なんらかの機械的なしくみで動いているのか、それで鉄の巨人は動きを止めるようだった。
「その鳥籠素敵! メアリにも頂戴!ミスタ・ハンプを入れたらちょうどよさそうね!」
 メアリベルはきゃっきゃと楽しそうに跳ね回りながら、手斧を振るっているのだった。

  2

 なにぶん、敵も迷宮も鉄でできているがゆえに、ひとたび戦闘となれば、響きわたるのは金属音の多重奏だ。
 それが美しいハーモニーでなどあるはずがない。
 優のセクタンが放つ炎と、テューレンスの炎のブレスとが、鉄の戦場を照らし出す中、鉄の巨人たちはロストナンバーの攻撃によって動きを止め、解体されていく。
 最後の巨人が音を立てて沈んだとき、手放した鳥籠は、傾斜のついた通路を騒々しく転がっていった。
「あれ、メアリベルさんは?」
 テューレンスが、少女のいないことに気づいた。
 静けさが戻ってきた迷宮の空気に耳をそばだてれば、遠くかすかに少女の歌声が聞こえたような――気がする。
「はぐれたのかな。トレースしようか」
 と、ハルカ。
「さて、そんな暇があるかな」
 ロックは剣を降ろしてはいなかった。すぐそこに、第二陣が迫っていたからだ。
「厄介、ですね」
「《迷宮》とはそういう場所だ」
 羽根の一枚一枚が剃刀でできている鳥たちの群れが、耳障りな、金属の軋む音を立ててはばたき、やってくる。
 ハルカが果敢に、その群れに飛び込んでゆく。
 飛び交う鳥の翼にふれれば、切り裂かれる。ハルカは恐るべき反射神経で鳥たちのあいだをかいくぐりながら、ギアや、おのれの拳や蹴りで、鳥たちを叩き落していった。
 刃の羽をもつ鳥の群れと格闘すること数分。さらに、なにかが近づいてくる気配をハルカとテューレンスは感じた。
「キリがないよ」
「逐一、構わず、先へ進むがよかろう」
 ロックは言った。
 4人は、武器を振るいながらも、通路の先へ、先へ。ロックによれば、ほとんどの《迷宮》は、道は《迷鳥》のもとへ収束するように通じているものだという。ならばどこを通れども、目的の場所へたどりつけるはずだ。問題は、それまでいかに傷つかず、至れるかどうかということだ。
「危ないっ」
 飛び出してきた槍の穂先を、優が展開した防御壁が弾く。
 しかし後方では、天上を這う蟲型の機械獣が針の雨を降らしている。
「テューレンスさん!?」
「平気。……なんて、ところなんだろう」
 皮膚を硬化させて致命傷は防ぎながらも、テューレンスは顔をゆがめた。肉体的な痛みよりも、この《迷宮》に満ちる悪意が不快だ。
 ハルカとロックは、淡々と、敵を打ち倒し、斬り伏せながら進む。それはまぎれもなく、戦うことを――それだけを訓練されたものの習性のようだった。
「……良い腕だ」
「えっ? ああ……俺……?」
 ぼそり、とロックがつぶやいたのが自分のことを指していると気づいて、ハルカは目をしばたいた。
 そんなハルカからしても、ロックにはどこか親近感のようなものがあって……
「! だめだ、そこ……!」
 ハルカが、声をあげたときには、しかし、すでに仕掛けが作動している。
「ッ!?」
「わあっ」
「……あ――ああっ」
 足元が、崩れていく。
 がらがらと音を立てて、壁が芝居の書き割りが倒れるようにはがれ、床がいくつものパーツに分割して傾き、抜け落ちてゆくのだ。大掛かりな陥穽であった。通路そのものが崩れ落ち、呑まれてゆく――。
 優は、万有引力のなすがままに、自身が奈落へ投げ出されるのを感じた。落ちる!――そう思った瞬間、彼の手をしっかりと握り締めたもうひとつの手。
「ハ、ハルカさん」
 あたたかな手の持ち主が、優を見ていた。
 ハルカは空中に浮遊している。念動力で自身を浮かせているのだろう。
「ほら、掴まって」
「ありがとう。いいですね、飛べるって」
 引き上げられ、ハルカの肩に掴まりながら、優は言った。
「そういえば俺、軍では便利ツール扱いだったけど、客観的に考えてみれば確かに便利だな」
 ハルカの言い方に、笑みを漏らす。以前、ヴォロスで会ったときより、この男は表情や言葉がずいぶんやわらかくなったのではないかと思う。
 ふと気づけば、ロックとテューレンスは自身の羽で難を逃れていた。そうか、メアリベルを除けば、今ここにいる中で飛べないのは自分だけだった、と思う優である。
 さて、一同がいるのは大きな竪穴だった。
 底は深く、闇に閉ざされている。
「あ、あそこ」
 優が指さしたのは、穴の途中だ。内壁はまっすぐではなく、あちこちに突き出したテラス状の箇所や、《迷宮》のほかの場所に通じるのか穴が開いたりもしているが、そういった箇所のひとつに、ひっかかっている人型のものがあったのだ。
 ハルカがさっと表情を引き締めた。
「生きてる」
「え」
 あっという間もなく、ハルカは優を連れたまま、空中を滑った。
 近づいてみれば、翼を持ち、防具をまとった少年がひとり、ぐったりと倒れていた。まだ十代に見える。やわらかな金髪が血で濡れていた。
「生存者!?」
 テューレンスが近づいてきた。
 そして、ギアの横笛を奏ではじめる。治癒の波動が、翼ある少年を包み込んだ。
「……アウハラ辺境伯の騎士のようだな」
 いつのまにかロックも傍にいる。
「この歳なら叙任されて間もないであろう。初陣が《迷宮》とは運のないことだ」
 ハルカが脈をとった。
「かなり弱ってる、けど」
「応急処置は、したよ。でもできるだけ、早く手当てしたほうが、いいな」
「ここに放置するわけにはいかないんじゃ」
「でも連れていくのも、危険、じゃない?」
 どちらも一理ある。だがロックは一笑に付した。
「連れていくだと。馬鹿を言うな。荷物を増やしてどうする。この先、《迷鳥》本体と戦わねばならぬというのに」
「でも、せっかく生きているのに! 俺は彼を助けたいです。助けられないことのほうが……どんな罠に傷つくよりずっと苦痛だ。この《迷宮》に屈することになってしまう」
 優が反論した。
「荷物か、どうかは、ともかく……。危険は、あるよ」
「わかってる。けど――」
「よし、じゃあ、行けるところまで行こう。俺が念動で運べる。なにかあれば優が守る。どうしてもこれ以上は無理と思えばそこへ置いて行こう」
 ハルカが言った。
 落としどころとしてはそれが最善だろうか。
 そのときだ。
「あの、声」
 テューレンスが、深い奈落の底へ視線を投げる。
 かすかに、闇の底から聞こえてくる……あれは、メアリベルの歌だ。

  3

「あれれ、はぐれちゃったかな? まあ、いいわ」
 転がる鳥籠を追いかけているうちに、仲間から離れてしまったことに気づいたメアリベル。
 だが、さして気にするふうでもなく、追いついてきたミスタ・ハンプを捕まえると、むりやり籠に押し込もうとする。うまく入らないので、手足をぽきぽきと折ると、ハンプは不気味な声をあげたが、籠にはすっぱりと収まるようになった。
「素敵! お似合いよ。あははは」
 籠に入った卵の姿にひとしきり笑ったあと、彼の入った籠をぶんぶん振り回しながら、メアリベルは先へ進む。
 やがて、通路の両の壁からスパイクが突き出した箇所に差し掛かる。そこには幾人もの死骸が放置されていた。
 別の方角からは、なにか近づいてくる気配。
 メアリベルは敵影と死体を見比べ、にんまりと笑う。
「この迷宮には死体がごろごろ。折角だもの使わない手はないわ」
 そして歌い出す。
 メアリベルの歌声はあくまで澄み、弾んでいた。
 美しい旋律は骸を傀儡に変える。
 襲い掛かってくる鉄の怪物たちへ、死したはずのトリの騎士たちがもう一度立ち向かっていくのだ。
「可哀想な騎士様。もう一度犠牲になってもらいましょ」
 死体であるから、首を飛ばされようが、手足をもぎられようが頓着しない。
 死体と怪物が死闘を繰り広げる脇を、メアリベルはハミングとともに駆け抜け、先へ急ぐのだった。

 そして、彼女の行く道は、ついに奈落の底へ到達する。

 足元に打ち寄せる血の海。
 見上げれば巨大な吹き抜けの空間だ。ぎしぎしと音を立てて揺れるのは、鎖で吊られた死体である。すでにすべての血を絞りとられたようだ。
 ときおり、壁にがぱっ、と穴が開き、そこから死体が――あるいは死体の一部が吐き出され、血の海に落ちていく。
 メアリベルは理解する。
 《迷宮》内の死体や流れ出た血は、すべてここに集められるのだということを。
「血のお風呂に漬かったら、きれいになれるって、伯爵夫人が言ってたわ」
 メアリベルが血の海をのぞきこむ。
「ミスタ・ハンプで試してみましょ」
 そう言って鳥籠をざぶんと漬けた。ごぼごぼと卵が溺れる。
 そのときだ、はっと顔をあげる。
 血の海の中に、それがいた。真っ赤な水面を泳ぐ大きな影……《迷鳥》――鉄の白鳥。
 ケェエエエエン、と鳴いたのは、怒りの声か、それとも。
 血の海に広がる波紋。空気を裂く音。そして、血しぶきとともに、メアリベルの首が胴を離れた。

 4人は竪穴の底へ、降下する。
 そこが《迷宮》の中枢であることはわかっていた。
 それでも、視界が開けたとき、眼前に広がる光景には息を呑まずにはいられなかった。
 広大な血の海……目をこらせば、そこかしこに死体が浮かんでいるではないか。
 もし地獄があるのなら、それはこのような姿ではないかと思われ……
「あ、あそこ!」
 その岸辺に、打ち上げられた難破船の残骸のように、文字通りメアリベルの「残骸」が打ち棄てられている。
 ぱちり、と、その目が開いた。
「生き――てる!?」
「そうよ。だってメアリは不死身なの。もし死んじゃってもまた生き返る。メアリの歌が死なない限り」
 こともなげに、メアリベルは応えた。
「ねえ、お願い。メアリの生首を鳥籠に入れて運んで頂戴」
 彼女は言った。
「首だけ……?」
 テューレンスは、そこに落ちていた鳥籠を持ち上げた。籠の中には、なぜか卵の殻だけがある。
「そう。口さえあれば唄えるもの」
「くるぞ」
 ロックの警告。
 血の海の水面が盛り上がり、その下から《迷鳥》が姿を見せたのだ。
 咆哮とともに、水面を渡ってくるのは、メアリベルをバラバラにした衝撃波。
 優がとっさに張り巡らせた防御壁で受け止めるも、びりびりと空気がふるえるほどに強力だった。
「固まってちゃだめだ。俺がひきつけよう」
 ハルカが飛び出していった。弾丸のように、血の海のうえを飛ぶ。《迷鳥》の首がそちらを向いた。
「危険だ!」
 優が叫んだが、止まるハルカではない。
 ハルカが運んでくれていた生存者は、メアリベルと並んで岸に置かれることになる。ここを離れて戦いに加わっていいか、優は躊躇した。
「援護、してくるよ」
 テューレンスがメアリの首をおさめた籠を優に渡し、飛び立って行った。
 ロックはもっと早く飛び出している。
「タイムの炎弾が届く距離まで近づけてくれたら!」
 優の声に、テューレンスが手をあげて応えた。
 どのみち、機動力の高い、飛行可能なものたちのほうが《迷鳥》との戦いは有利なはず。なら自分は援護に徹するか、それが無理でも、さめて戦況を見極めることができれば、と優は思った。

「ッ!」
 衝撃波を受けて、ハルカの身体が吹き飛ぶ。
 すぐに態勢を立て直し、飛翔した。
 《迷鳥》の背に降り立ち、てのひらをおしつけて、発火。カッとほとばしる閃光とともに、《迷鳥》の背が白熱して溶解し、穴が開いた。力を集中させれば、1500度を超える超高熱を生み出すことがハルカにはできた。
 《迷鳥》自身が、それで苦痛を感じるのかはわからなかったが、おのれに害なすものはわかっているようだ。背の、別の場所から刃が飛び出し、発火に集中していたハルカの身体に容赦なく突き刺さった。
 低い、呻き。切り裂かれた箇所から血が噴出する。
 ハルカの耳に、笛の音が聞こえた。テューレンスの笛だ。痛みがやわらぐのが感じる。
 テューレンスは《迷鳥》の周囲を飛行しながら、風を操り、気流でその動きを制限する。動きがぎこちなくなったところへ、ロックが斬りかかった。見事な太刀さばきは、白鳥の首を一刀両断に斬り落としたか――に、見えた、が。
「なんだあれ……回復していく」
 岸から様子を見ていた優が声をあげた。

  4

 たしかに切り落とされ、血の海に首が沈んだ。
 しかし、血の海を取り囲む壁や天井から、鉄骨や鋼板が、磁力に引き寄せられるように飛来し、音を立てて新しい頭部が組みあがっていくではないか。
「ブラッドスワンも不死身なのかしら」
 鳥籠のなかで、メアリベルの首が言った。
「ううん、違うわ。《迷宮》よ。この《迷宮》が《迷鳥》に力を与えてる」
「じゃあ《迷宮》を壊さないとあの《迷鳥》は死なない? でも俺たちは《迷宮》をなくすために《迷鳥》を倒しにきた。矛盾してる」
「あはは、そうね。これじゃぐるぐる堂々めぐり♪ ……でもこの迷宮は鉄と鋼で出来ている。ご存じ? 川の氾濫を沈める為 ロンドン橋の礎に人柱を埋めた事。ロンドン橋は何度も壊れて流されたの」
「……?」
 メアリベルが意味のわからないことを言った。
 怪訝な顔つきの優に、生首だけで微笑みかける。

「わあ!」
 鋼の翼がテューレンスを打つ。
 瞬間、ごていねいに羽から飛び出した針に皮膚を切り裂かれる。
 一滴でも多く、血が欲しいのだろう。そのまま、血の海に落下して、テューレンスはそれが不気味になまあたたかいのを知る。
「うええ、落ちないように、気を、つけてたのに……!」
 慌てて飛び出す。
 ハルカが、ギアの鎖を《迷鳥》の首に絡めていた。
 背から飛び出す刃に刺されても、持つ手をゆるめない。
 回復するなら、それより早く『分解』してはどうか。ハルカはそう考える。だがこの大きさのものを『分解』するのにどれくらいの時間と、力が必要になるだろう。
「ロックさん!」
 優の声に、ロックは振り返る。
「お願いします! 俺を運んで!」
「何がしたい」
 黒い翼の騎士が舞い降りた。
「歌うんです、彼女が」
 少女の首をおさめた鳥籠を手にする。


  London Bridge is falling down,
  Falling down, falling down.
  London Bridge is falling down,
  My fair lady.

 メアリベルは歌う。
 ロックがはばたき、血の海の外周をたどるように飛ぶ。彼が抱える優の、そのまた腕のなかで、鳥籠に入ったメアリベルの首が歌う。

  ロンドン橋は落っこちた。
  落っこちちゃった、落ちちゃった。
  ロンドン橋は流されちゃった。
  ねえ、マイ・フェア・レディ?

  落ちちゃったから、新しい橋をつくりましょ。
  鉄と鋼でつくりましょ。
  ロンドン橋をつくりましょ。
  ねえ、マイ・フェア・レディ?

  でも、ロンドン橋は落っこちた。
  鉄と鋼でできてても、
  ロンドン橋は流されちゃった――

 鉄が、錆びていく。鋼が、腐ってゆく。
 メアリベルの歌がもたらす腐食が、《迷宮》を組み上げている鋼鉄を侵していった。

 ハルカが白鳥の鋼の羽をむしりとる。
 テューレンスが剣を突き立てる。
 しかし、今度は、かわりのパーツは飛んでこなかった。それどこから、天上の鋼板が次々に剥がれ、血の海に落ち始めている。低い振動音を感じる。《迷宮》が……《迷宮》全体が軋み、ゆがみ、傾き、崩れはじめている……!
「ひとつの箇所に攻撃を集中させましょう」
「承知」
 優を持ったまま、ロックは急降下する。
 《迷鳥》の背にいたハルカも、その意図を察したようだ。
 発火能力を集中させ、《迷鳥》の背の真ん中に、再び熱で穴を開けてゆく。《迷鳥》が身をよじって逃れようとするが、テューレンスが風でおさえる。そこへ――
 セクタンの炎弾とともに、防御壁をまとった優が飛び降りてくる。その剣の切っ先が、ハルカが開けた穴の中へ。ほぼ同時に、ロックの剣もまたするりと滑り込むように突き立った。
 衝撃。
 優は自分が吹き飛ばされたのを感じる。《迷鳥》の身体が、破裂したのだ。その破片が、身を裂き、あるいは突き刺さって、焼けるような痛みが襲う。
 本来ならそのまま血の海に落下するところを、抱きとめられる。
 優は礼を言おうと目を開けて――それが予想したハルカではなく、ロックだったのを知った。
「壊れる!」
 テューレンスが言った。
 《迷宮》の崩壊が、いよいよ始まった。
「脱出するぞ」
「待って、ロックさん、彼を」
 せっかく救出した生存者を連れて行かなければ。
「間に合わん。《迷鳥》が死ねば《迷宮》は消失し、虚無へと還る。巻き込まれては命がないぞ」
「でも……!」
「俺が運ぶ――転送するから、先へ……!」
 ハルカの声だ。
「ハルカさん、そんなことが……!?」
「やったことはないんだ」
「!?」
「でも」
 ハルカは意識を研ぎ澄ます。
 生存者の、弱った思念をとらえる。
 彼だけではない。《迷宮》のなかには、ほかにもわずかだが、微弱な思念があった。そして、数多くの思念の痕跡――すなわち遺体。そのすべてを、ハルカの超感覚の網にすくいあげる。
 生きてるものは、みんな、助ける。
 遺体も、弔ってやれるよう、地上へ届けたい。
 『分解』を使用しなかったことでまだ余力があった。精神が収束し、すべての力が、開放された。

  *

 チチチ、チ――

 鳥のさえずり。
 さわさわと、梢が揺れる、音。
 テューレンスは、空気に土と樹と水の匂いを感じた。それはとてもすがすがしく感じられた。よどんだ鉄と血の世界から生還した今であれば、なおさら。
 ゆっくりと、身を起こす。
 そこは森の中だった。
 傍に、ハルカと優が倒れていた。息はあるようだ。
 テューレンスは、癒しの音色を奏でてみる。優が目を覚ました。
 笑い声。メアリベルが、ミスタ・ハンプを振り回して、木々のあいだで遊んでいる。
 そして。
「この人たち……」
 優はあたりに、トリの騎士たちの遺体が累々とあるのを見る。それに混じって、あの生存者の少年も。さらにはほかにも何人か、生き残りがいるようだ。
「本当に、救い出してくれたのか。ハルカさん……」
 力を使い果たしたのか、ハルカは目を覚まさない。
 しかしその呼吸と表情は、穏やかだった。
「余計なことを」
 近くの木の枝のうえに、ロックが立っている。
「《迷宮》に呑まれたならいざ知らず、ここに死骸や、まして生き残りがいるとあれば、アウラハ伯に報せぬわけにはいかぬ。ここから二日はかかる距離だぞ」

 こうして鉄と血の《迷宮》は消え、《迷鳥》は潰えたのだった。

 全滅した討伐隊に、数名の生存者がいたことは、むろん、僥倖として迎えられた。
 討伐をなしとげた名もなき旅人たちのなかに、かつて女王に使えた「黒翼の処刑人」ロック・ラカンの姿があったことはちょっとした騒ぎになったのであるが、それはまた、別の話だ。

(了)

クリエイターコメントリッキー2号です。
大変、お待たせしてしまいました。『【春の迷宮】鏖殺の底』をお届けします。

今回は神無月WRのお手伝いということで、久々に「普通のシナリオ」でした(笑)。

ロック・ラカンは、あるとき、ふと思いついて、神無月さんに「ラファエルさんたちの世界の出身者ということで」いつか出すNPCとして設定してあったのですが、ずっと出す機会がないままでいるうちに、登場まで神無月さんにお膳立てしてもらうことになってしまいました。

今後のフライジングの展開がどうなるか、ロックがからむかどうかはわかりませんが、仲良くしていただけましたらさいわいです。

公開日時2013-05-04(土) 14:00

 

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