これは、ナイン・シックスショット・ハスラーがまだその名前すら持っていなかった時のお話。 *-*-* 気がついたら、この部屋にいたのだ。それは周りにいる他の猫達も同様のようだった。 石造りの壁は丁寧に作られたものではないことが一目でわかる。それでもこの部屋からの脱走に繋がるような綻びはなかった。もし綻びを創りだしたとしても、この部屋から逃げ出す者を遮る魔法が施されているのだろう――そう、ここは魔法が自然に存在する世界。 透視の魔法で室内の様子も把握されているのだろう。最もそれを知るのはもっとずっと先のことだが。 小さな身体の黒猫はあたりを見回す。集められたのはどれも子猫のケットシー達のようだった。アビシニアン、三毛猫、ロシアンブルー、シャムにソマリ、チートーなどもいた。その誰もが自分がここにいる理由がわからないようで、肩を寄せあって怯えている者達もいた。見ず知らずの相手でも、同じ状況に陥っている仲間がいるというのは心を落ち着け、少し安心を得ることが出来た。 「なあ、俺達はどうしてここに集められたんだと思う?」 黒猫は近くにいたアビシニアンに声を掛けた。怯えている者が多い中で彼は比較的落ち着いているように見えたからだ。 「わかんねぇが……いい用件で呼ばれたんじゃないことだけはわかるな」 「ああ」 その点については黒猫も同感だった。そのやり取りを聞いていた他の者達が更に怯え上がった。徒に怯えさせるつもりはなかったが、それが事実なのだから仕方があるまい。それを裏付けるかのように開いた扉から室内に入り込んできたのは数人の人間。その誰もが長衣に身を包み、揃いのフード付きマントをつけていた。そのフードを目深にかぶってるものだから、その表情は見て取れない。彼らは無言で部屋の隅に散った。子猫ケットシーたちが怯えて彼らから距離をとろうとして自然、部屋の中心に集まっていく。それを彼らが最初から狙っていたのかどうかはわからない。けれども一切の説明をしない彼らの様子は不気味で、同じ境遇に陥っている『仲間』であると互いを認識したケットシー達は、部屋の中心で肩を寄せあって丸くなった。得体のしれぬ彼らに近づきたくないという忌避の心がケットシー達を動かしたのだろう。 「――、――、――……」 突然、彼らが揃って口を開いた。けれどもそれはケットシー達に語りかけるための言葉ではない。古代語を使用してるのだろうか、つらつらと耳から耳へと抜けていく言葉の意味は黒猫にもわからない。わかったのは、何らかの呪文なのだろうということだけだった。 低い声で紡がれる、得体のしれぬ呪文に恐怖は倍増される。恐怖ですすり泣くケットシーがいれば、自分が震えているにもかかわらず泣いている子を抱きしめる者もいた。何が起こるのか、じっとフード達を観察する者もいて、黒猫はそちらの部類だった。 逃げ道を断たれた部屋の中で、得体のしれぬ者達に囲まれて。不穏な呪文を繰り返される。室内の空気が毛に張り付くような重さでケットシー達を包み込んでいく。どのくらいこの呪文を聞いているのだろうか、数分かもしれないし数時間かもしれない。時間の感覚すら失わされたその時。 スッ――。 石造りの床の上になにか光るものが現れた。その出現を認識するより早く、光るものは線となり、床の上を走り始める。 ツ、ツツツツ――。 ケットシー達の集まっている部屋の真ん中を中心点として、広がるのは――円。 大きな三重の円が描かれた後、毛細血管のように広がっていく光が紡ぎだすのは、恐らく文字。 光が走り、細かな文字と細かな文様を描いていく。足元を光が通ったケットシーが驚いて声を上げた。けれども光は止まらない。ケットシ達が上にいるのを構うこと無く、光は術者であるフード達の命を果たすべく、床に文様を刻んで回る。 「動くな」 ケットシー達にかけられた言葉はその一言だけ。それも呪文を唱え続けるフードの術者たちではなく、恐らく魔法でこの部屋を覗いている者の声なのだろう、空から降ってきたかのような声の威圧感に気圧されて、ケットシー達は動きを止める。端から自分達に拒否権はないのだ――強制的に連れて来られた時から何処かでわかっていたはずのそれを、改めて感じた。 光の動きが止まった。光の線が描き出した魔法陣が完成したのだろう。その上にいる自分達はどうなってしまうのか――ケットシー達の誰もが思っただろう、だがその答えを考えることを脳が拒否する。 フード達の詠唱が変わった。それと同時に魔法陣を構成する光がその光量を増した。目を焼かれるほどの光に、魔法陣の中にいるケットシー達は強く強く目を閉じる。 だから、何が起こったのか正確に理解している者はいない。 ただ身体中を走り抜ける激痛に、抑えられぬ悲鳴が室内に響き渡る。 その痛みは四肢が引きちぎられるのではないかと思うほどで、他の者を気にかけている余裕などなかった。 気がつけば詠唱は止んでいて。 目を焼くほどの光もなくなっていて。 悲鳴はおさまった代わりに幾ばくかの呻きが聞こえて。 身体中を襲った痛みは若干の疼痛だけを残して去っていた。 「……?」 まだ余韻のように残る痛みに顔をしかめながら黒猫が瞳を開けた時、室内の状況は一変していた。 「……な……」 上体を起き上がらせてぐるりを見渡す。ケットシー達は皆、床に倒れ伏していて。その中でも半数ほどが荒い呼吸を沈めようとしていた。 だが残り半数ほどは、唾液や汚物をまき散らしながら、二度と動かぬただのモノへと姿を変えていた。 痛みに耐え切れずに見開かれたままの瞳が黒猫を見つめている。先ほど言葉を交わしたアビシニアンだった。 何が起こったのか、何をされたのか、ケットシー達に説明はなかった。 フード達は汚れた麻袋に、大きなゴミバサミでつまむようにして事切れたケットシー達を押しこんでいく。 誰もが今、自分達の身に起きたことを理解できていなくて。フード達に詰め寄ることも出来ずにただ、屍となった同胞たちが麻袋に詰め込まれていくのを見ていることしか出来なかった。 残ったのは、最初に集められた半数ほどだった。 *-*-* 魔法陣の上で痛めつけられたのは、最初の日だけではなかった。それから毎日毎日同じように痛みを与えられ、そのたびにケットシーの数は減っていった。 毎日与えられる気が遠くなるほどの痛み。今日それに耐えたとしても、翌日もまた同じ痛みが待っていることは何も説明されなくても分かるようになった。 この痛い『儀式』を終えると必ず同胞たちの数が減る。先ほどまで互いに肩寄せ合って慰めあっていた者が、次に瞳を開けた時には物言わぬ屍となっているという毎日は、子猫であるケットシー達の精神をガリガリと削っていった。いや、もしも大人であったとしても、精神をすり減らす状況なは違いない。 早く事切れた方がマシなのではと思えるほどの地獄。外の光も届かぬこの部屋で、『儀式』だけが次の日がやってきたことを知る手段。 時間もまちまちで粗末ではあるが食事は供された。しかしあんなに痛めつけられ、同胞の死を目にしたケットシー達が積極的に食事を取ろうなんて気分になるはずはなく。それは黒猫も同じだった。けれどもするりと用意された食事の前に出た猫がいた。綺麗な白い毛並みに緑の瞳を持った、メスのケットシーだった。 「食べられなくても食べなきゃ駄目。生き延びたいなら、尚更よ」 一人ひとりに器に持った食事を差し出し、手を握り、あるいは背中をなでて励ましながら彼女は食べるようにと促した。 「食べずにいて身体が弱ったら、耐えられるものにも耐えられないわ。早く死にたいのなら止めはしないけど、生きてここを出てこんなことを考えた奴らに一泡吹かせたいなら、食べるの。今は食べて、体力を保つのよ」 最初こそ彼女の言葉に殆どの者が従った。だが激痛と同胞の死にすり減る心を止めることは出来ず、食事を取らずに弱っていき、次の『儀式』で息絶える者も出始めた。そのたびに彼女は自分を責めているようだった。 黒猫は白猫の言葉で正気に戻されたうちの一匹だった。ここを出て、こんな酷い『儀式』を始めた者達を同じ目に合わせても足りない、そう思うから食べよう、生きよう、耐えようと思ったのだった。 「てめぇのせいじゃない。自分を責めるな。気力がやられたら、終わりだぞ」 これが何日目だか数えるのはとっくにやめていた。今日もまた、フード達が同胞の死体を麻袋に詰めて出て行った。その数は最初の頃と比べれば格段に減っていた――当然だ、絶対数が減っているのだから。 「……そうね。でも、今日は……ちょっと参ったわ」 ――お前が余計なことを言い出さなけりゃ、こんなに長く苦しい思いをせずに早く楽になれたんだ! ロシアンブルーが儀式の前に白猫に詰め寄っていた。明らかに言いがかりで八つ当たりであることは明白だったので黒猫が間に入ったのだが……そのロシアンブルーは今日の『儀式』で死んだ。 「私、皆を徒に苦しめただけだったのかしら……」 「そんなことねぇよ、最終的に生きることを選んだのは、本人なんだからよ」 「でも……」 なぜそんな行動に出たのか、黒猫自身にもわからない。ただ、目の前で顔を覆って涙する彼女が、それまで強気で皆を奮い立たせていた彼女が泣いている姿に思うところがあったのかもしれない。そっと、震える肩を抱き寄せて、その小ささにはっとした。 「てめぇはよく頑張った。頑張りすぎだ。てめぇの心も磨り減ってるはずだろ? それは誰が支えてくれるんだ?」 「……」 「いいから泣けよ。たまには俺にもいい格好させてくれ」 黒猫の心を支え、繋ぎ止めていたのは、幾度にも渡る『儀式』を共に乗り越えてきた彼女の存在だ。彼女がいなければ、彼女との交流がなければ、黒猫はもっと早くにすべてを捨ててしまっていただろう。 だから――今日は黒猫が彼女を支える番だった。 翌日、彼らが『儀式』と呼んでいた強化実験が思わぬ形で最終日を迎えることを、今の二人は知らない。 *-*-* 翌日の『儀式』は今までと違っていた。魔法陣が喚び出されることはなく、代わりに近づいてきたローブに首輪を付けさせられた。 「さあ、【シックスショット】の威力を見せてくれ。戦うんだ」 天井から響く声。魔法で室内の様子を見ているヤツは楽しそうにそう告げた。 生存者同士の死闘――それが今日の『儀式』。 「冗談じゃねぇ!」 生存者同士ということは、もちろん白猫も相手に含まれるわけで。そんなことはできるはずがなく。黒猫は死闘を拒否しようと試みた。だが。 シュンッ、シュンシュンっ……。 「!?」 頬をかすめていった魔法弾の出処を探るべく視線を巡らせると、リボルバーを構えた白猫の姿が見えた。泣きそうな顔をしている――だがそう認識したのは一瞬。 首輪に仕込まれた呪いが白猫を敵だと認識させる。黒猫はそれに逆らうことができない。恐らく、黒猫を敵だと認識させられている白猫のように。 ――敵を排除する――その目的だけをもってケットシー達の死闘が始まる。無機質な部屋に戦う猫達の立てる音だけが響く。 どれだけ時間が立ったのか、気が付くと立っているケットシーは黒猫だけになっていた。 足元を見ると、綺麗な白い毛皮を血の赤に染めた白猫が……。 「!?」 慌ててしゃがんでその毛皮に触れる。まだ温かい。だが、血の海に浮かぶ彼女はもう、二度とあの美しい緑の瞳を見せることはない。 むせ返るほどの血の匂いが、黒猫に自分のしたことを思い起こさせる。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 憎悪、慟哭、寂寥、憤怒――交じり合って黒くなった感情が黒猫の手を動かす。自分達をこんな目に合わせたフード達人間を手当たり次第撃ち殺したくなった。けれども。 黒猫の首にはめられた首輪がそれを許さない。無理矢理『飼い猫』にされた黒猫は、『主人』たる人間に牙を向くことさえ許されなかった。 *-*-* 生き残ったのは実験体№9の名無しの黒猫。 彼こそが、“プロジェクト・ハスラー”の実験成果だ。 【了】
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