オープニング

 なだらかな丘陵に傾いで生えた疎らな木々。
 春だと云うのにいつまでそうしているのか、未だ葉も揃わぬ姿に色彩は薄く。
 併し、乾いた情景に反し、土壌を覆う落葉の湿り気が雪解けに因るものである事を、故に芽吹くのが遅いのだと云う事を、気安く頬を撫でる風が言い訳する。
 陽光さえも途切れ途切れてか細く肌寒い、春と云うよりかは晩秋に似た、ふやけた丘の上に、その屋敷は在った。
 林で包み晦ますには些かに長い墨色の塀は処々が崩れて骨の如き芯を覘かせ、或いは朽ちて白く薄汚れている。まるで腐敗と壊死が別々に進行して蝕んでいるよう。そして、塀の向こうに広がる藪の更に奥の、やたらに大柄な、けれど波打つように歪んだ屋敷も、それは同様だった。ぞっとしない趣だ。
 又、風が吹く。木の葉一枚見当たらないのに何処かで、さあっと、音がした。薄紅の塵が幾つか、くるりくるりと舞い踊り、廃屋を逃れ藪を抜け。只それだけで想い遺す事は無いとばかり、空色の水溜りに落ちて小さな輪を幾つも描いた。古い櫻が生えていると、聞いてはいたが。
「好い画だ」
 彩りに乏しい世界では一際浮いた珊瑚色に染まる髪の男が、その癖自然体なようで居て、けれど、何処か験すように口ずさむ。
「別に撮影に来た訳じゃない」
 煙草に火を点けがてら素っ気無く応えれば、ムジカ・アンジェロのふっと短い吐息――間違い無く微笑した際の――が耳に入る。「でも撮るんだろう」とでも云うように。だが、次に掛けられた言葉は別のものだった。
「珍しいんじゃないか?」
「何がだ」
「あんたから聲を掛けて寄越すなんて」
「ああ」
 広い屋敷の何処にあるかも、そもそも何なのかも不明な代物を探すには、相応の人材が要る。由良が真っ先に浮かべた心当りが、この碌でもない友人だっただけだ。
 厭なのか? そう訊こうと口を開きかけて、無駄な問いだと結局噤む。連絡を受けるなり二つ返事で同道を申し出て、あまつさえ頼みもしない”助っ人”迄連れて来るぐらいだ、どうせ――、
「嬉しいよ」
 ムジカは言葉通り喜色を湛えた緑灰の双眸に、廃屋同然の屋敷を映す。

 世界司書――頭の螺子が数本しか残っていなさそうな――に由れば、眼の前の屋敷には、代々同じ武士の家系が暮らしているらしい。一度は栄華を極めたとも謂われているが今ではすっかり落ちぶれて、嘗ての残滓が広大な敷地と邸に僅かばかり窺えるのみ。建物も母屋の一部が使われるのみで、多くは荒れるに任せた侭捨て置かれているに等しい。
 没落の発端となったのは、ずっと昔に起きた、ある惨劇のようだった。
 記録では、およそ百年前のある夜、当時の跡取り息子が突如乱心し、邸内の一族郎党と使用人の悉くを殺して廻ったのだとされる。

 ――身分違いの恋情を家人に咎められた事を恨んで。
 ――次代を担う重圧を苦にして。
 ――怪異に魅せられて。
 ――朱に狂って。

 等等。嫡男が凶行に及んだ原因は諸説あるが、何れも近隣の住人達が囁き合って吹聴し広まった噂の域を出ない。火の無い処に煙はたたずとも、真偽を改める術を持つ者は居なかった。凄惨な事件は、やがて怪談の一種として土地の者の間で語られ、世代を経て徐々にその記憶も忘れられようとしていた。

 さて、その所謂化物屋敷に、朱を宿す何かがあるのだと、世界司書は云う。
 由良が「何かって何だ」と訊けば、司書は「何かですよう」と鸚鵡の如返すばかりで彼を苛立たせた。併し、他に答えようが無いらしい。ソレが何なのか、導きの書には示されなかったのだ、と。
 嘗ての惨劇に縁あるモノなのか、或いは全く無関係乍ら、将来怪異を引き起こすモノなのか――そんな胡乱な妖しのモノを見付け出し、可能なら世界図書館に持ち帰って欲しい――と云うのが、今回の依頼だった。

 由良が傾いだ門戸をぞんざいに開けるなり何の余韻も感慨も示さずさっさと中へと歩き出し、ムジカや彼の”助っ人”、それにもう一人の同行者がそれに従う。
 手入れの手の字も窺えぬ藪と化しただだっ広い庭は、最早山道と見紛うばかり。その中央に本邸へと続く不揃いで苔生し黒褐色に汚れた石畳が走らなければ、此処が塀の内側だと云う事も忘れてしまいそうな程だ。
「如何にも曰くありげな佇まいやね」
 香と紫煙の混ざる匂いを伴い、ゆらりとごちた者が居る。
「けど何にも起きひんのやろ?」
 聲の主、森山天童は気だるげで緩くも真意の図れぬ眼差しを、右へ左へ奥の屋敷へと代わる代わる見比べて、面倒事は苦手なんよ、とばかり鷹揚な仕草で小首を傾げた。
 由良は気の無い風に「さあな」と煙を吐く。過去の一件は兎も角、今現在何かあるのなら予め話題に上りそうなものだ。
「どうだ、真遠歌」
 片やムジカは天童の隣に居る、此の中では比較的小柄な”助っ人”に振り向く。彼――真遠歌は目元こそ面に覆われて窺えぬものの、何処と無く居心地が悪そうだった。果たして鬼子の見解や、如何に。
「……その。本当に此処に、何方か棲んで居るのですか?」
「どういう意味だ」
 今度は由良が間髪を居れず訊ねる。
「人の気配が在りません。私の勘違いかも識れませんが」
 家捜しをする手前、無人ならばそれはそれで都合が好い。だが、どうもそう簡単にはゆかぬ事を、次の瞬間由良は思い知らされる事となった。
「それでいて……何か渦巻いているような、」

 ※

 庭を、逃げ惑っていた。
 しね。
 きっきき気はっあ、気は確かっ――あぎいぃやああああ!
 やがて背後から右の耳ごと肩を削がれて、弾みに此の石畳の上で転んで。
 しね。
 い、否止めて! 止めて下さ止め止め止めげえあっあっああああ!
 命乞いをした――腹を痛めて産み落とした、吾が子に。
 しね。
 な、に……ゆっエっえフっえっぇッエッ。
 でも、聞き入れて貰えず、何度も刺されて刺されて刺されて、斬られて。
 しね。
 誰が……あの子、に――。

 ※

「――っ」
 ――しね。
 怒気と、愉悦と、殺意とが篭められた湿った聲が、鼓膜に焼きついた。
 鈍痛。何度も皮膚が破れて筋がぶちぶちと裂ける感触。視界が歪み目元と頬が焼けるような衝撃――そして恐怖。悲しみ。また、恐怖。
 急速に冷めゆく母の情け。
 絶望。
 一息に注がれた死へ向かう感情の奔流に、由良は眩暈を覚えた。
「大丈夫か」
「黙れ」
 気遣わしげに安否を問う詩人を制し、写真家は持ち堪えて同行者達に目を向けた。皆、特に変化は無い。では今の光景は。自分だけが観たのだろうか――自分の目頭だけが、熱いのだろうか。胸の奥に不快な異物感を覚えたのも?

 顔を見合わせる同行者達から眼を背けるように、由良は先を急いだ。




 中に入ると、当然乍ら其処は土間になっている。
 頭上では剥き出した小屋組みに蜘蛛の巣が張り巡らされ、眼の前には若干の段差を経て板張りの廊下が、右手の壁際には古びて襤褸襤褸の草履と雪靴、下駄が干草のように何足も積み上げられ、左手は皹の入った竈をはじめ炊事場が奥迄続き、突き当りにひっそりと備わる井戸が、なんだか不気味だった。
 邸内の方はと云うと、壁は薄汚く障子は破れた侭で腐った床板が干上がり擦り切れた畳は黴に侵されていて、建物自体が傾いでいるものだから只でさえ低い天井が見上げれば目の前にあると云う有様だ。成る程、人が棲んで居るとは到底考え難い傷み具合である。
 ムジカが真遠歌の方を振り向くと、鬼子は首を横に振った。
 その時、
「――どちら様でしょうか」
 四人の後ろから、草臥れた老女の聲がした。

 ※

 拙い。何とか説き伏せて遣り過さなくては。
 しね。
 此の母を、御主の母を殺すと、――――――ああっうがッ!
 手が、なくなった。熱い。痛い! こんな事の為に今迄育てて来たのか。
 しね。
 ううううううひど、酷い。どう、し、てぇ……。
 そんなにあの小汚い娘が大事か。身内を殺して迄。
 しね。
 っ! いや、だ、誰か、死にとう無い! 後生だから! 止め、止めてっ!
 それとも。それとも、真逆。
 しね。
 どうしてこんな――…………真逆、真逆御主あの事を。
 誰かが余計な事を吹き込んだか。
 しね。
 いやああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああアア!

 ※

「…………」
 ――しね。
 ムジカは激しい憎悪を向けられた気がした。肌身に伝わる程の。
 あの、毒虫を見るような眼差し。
 血飛沫が頬に跳ねて、手首が熱いのに身体は冷たくなっていった。なのに、『彼』はそんな自分を、もっと冷たくて暗い、井戸に放り込んだ。手を失っていたから、這い上がる事すら出来ないのに。『彼』を息子と想っていたのは、自分だけだったのだろうか――否、果たして自分も息子と想っていただろうか。
 折角本家の跡目として育ててやったのに、仇で返された。許せなかった。
 許せぬ。許さぬぞ。未来、永劫。
「……」
 老女は暫し訝しげにムジカを見ていたが、やがて、
「此方へどうぞ。何の御持て成しも出来ませんが」
 と云うなり、四人が上がり込むのも確かめずに振り向いて、奥へと消えた。


 処で、老女の存在に最も驚いたのは真遠歌だった。
 彼は目が見得ぬ代わり、それと同等かより多く、彼を取り巻く総てを把握する事が出来る。だが、今、その能力に狂いが生じていた。
 矢張り人の気配は仲間達の他に感じられぬ。一方で、此の老女は物の怪の類いではなさそうだ。確かに居る、なのにその存在が感知出来ない。否、老女はおろか、虫の気配すら無い。在るのは、敷地全体に染み込んだ、何らかの力。
「これが朱、なのでしょうか」
 老女について廊下を歩む最中、真遠歌は小聲で天童に尋ねた。
 天童は鬼子の問いに否定も肯定も示さず、只「気ぃ付けた方がええよ」と、細めた眼で由良とムジカの背中を見遣った。
「もう手遅れかも識れへんけど」
「それは……?」
 真意を図りあぐねた真遠歌が訊ね返してみても、天童は団扇で口元を隠したきり、何も答えなかった。


 荒み切った邸内を歩き廻った一同は、客間と思しき広い一室へ通された。
 其処は最低限手入れされているらしく、掛け物の染みや補修された調度等が気にはなったが、他の場所とは異なり明らかな生活感が認められる。
 開放された縁側からは春の陽気が差し込み、無闇に伸びた雑多な植物に囲まれ、名も判らぬ蔓草に絡まれた、一本の古い櫻が、薄紅の綿の如く花を咲き誇っていた。併し既に散り始めなのか、周囲の雑木や時には風に乗って縁側を越え、畳に迄花弁が流れて来る。
「此の家には」
 老女は闖入者達の素性も訊かず粗茶を差し出すと、徐に語り出した。
「春になる度、お客様が御出でになります。何処で何を聞きつけたのかは存じませんけれど、何か貴重な物を御探しだとか。私には心当りがありませんもので、御自由に御探しをと、いつも云っているのですけど」
「見付からないのか」
 由良が櫻に眼を向け乍ら問う。
「ええ、何も。その内、諦められたのか、いつの間にやら御帰りになられて」
 悉く春に何かを探しに訪ねて来て、そして知らぬ間に姿を消すのだと、老女は当たり前の出来事のように云った。慣れを通り越して、痺れているようだった。
「皆様も御存知でしょうか。昔、この家で起きた出来事を」
 此の家が滅んだ時の事を。
 ふ、と、真遠歌は老女の居る辺りから気配を感じた。但し老女のものでは無く、そもそも生きたモノのそれでは無い。
 そして、天童も気付いた。此の部屋に充満した、死の気配に。

 ※

 なんだこれは。みれば判る。皆、死んでいる。母上も父上も叔父上も弟もその嫁もその子も姉夫婦も奉公人達も皆、殺されている。誰がやった。貴様か。
 ……く。
 ははは。
 くくく。
 はははははアハははハハハ当主になるからと連珠をくれてやつても所詮はあ、
 しね。
 あははははははがっ。あがあ。うぁー、うぁーうぁー。あー。

 ※

「……」
 ――しね。
 老女が司書が齎したのと同じ情報を語る間、室内に所狭しと横たわる死体を、哂い転げて櫻の元へふらりふらりと歩み寄った年嵩の侍の涙を、白石の連なる数珠を捲いた右手を揮い、父と思しき男の口へ兇刃を突いた若い侍の血走った眼を、天童は垣間見た。現在の様子と重なり明滅する光景は、狂喜と、卑下と、痛憤と、喪失と、殺意と死に彩られていた。やがて、それらは天童の中で燻り始めた。
 黒天狗は、懼らく己と同じ事象に見舞われた、由良とムジカの様子を窺う。
 由良は――平静を装っているのか。幾分目元がひくついているようだが。
 ムジカは玄関口で老女と遭遇して以降、ずっと無表情、無言である。
(手遅れ、やね)

「此の歳になって、想うのは」
 老女の話は尚も続く。
「乱心の原因についての噂……そのどれもが本当の事だったのでは、と。そして、そのどれもが、もっと別の原因を後押ししたのではないか、と――」
 どさりと、老女が倒れ、張り詰めた静寂が、邸内を、敷地内を支配する。
「!?」
 と同時に、真遠歌の感覚が蘇った。そしてそれは直ちに、由良の、ムジカの、天童に宿る不穏な内面を、老女の元や邸内の其処彼処に潜む同質の――常人ならば正気を保つ事さえ難しい程の――陰気を、審らかに彼に伝えた。

 きしり、ぎしり。誰かが廊下を歩いていた。

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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
由良 久秀(cfvw5302)
ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)
真遠歌(ccpz4544)
森山 天童(craf2831)
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品目企画シナリオ 管理番号2726
クリエイター藤たくみ(wcrn6728)
クリエイターコメントリクエストありがとうございました。
すっかりお待たせしてしまって申し訳ございません。


さて。もう色々酷い状況ですが、まだ序の口です。
妖しい何かを見つけ出せば、この怪異は収まる、と思います。

敷地内は自由に探索して頂いて構いません。但し、ところにより凄惨な白昼夢を観る事になり、更にその影響を受けます。長居すると自制心が利かなくなり、終いには泣き喚いたり怒り出したり暴れたり、と思い通りの行動が出来なくなる可能性があります。
OPにて既に真遠歌様以外は影響を受けておりますが、(委ねる気が無いのなら)未だ自我を保てているものと想われます。
(感情的になった際の様子など、ご希望がありましたらどうぞ)

百年前の真相に辿り着かなくとも解決は可能(な筈)ですが、推理したい方は併せてプレイングにお書き添え下さいです。

そうそう。解決しないと敷地から出られませんので頑張って下さいませ。


それでは、皆様のご参加、お待ちいたしております。

参加者
由良 久秀(cfvw5302)ツーリスト 男 32歳 写真家/殺人鬼
ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)コンダクター 男 35歳 ミュージシャン
真遠歌(ccpz4544)ツーリスト 男 14歳 目隠しの鬼子
森山 天童(craf2831)ツーリスト 男 32歳 鞍馬の黒天狗

ノベル

 天童は立ち上がると、客間の中央まで音も無く歩み、舞い心地に身を翻す。
 襖の向こうを歩く誰かは、往復を繰り返していた。
 ぎしり、ぎしり、規則正しくゆっくりと、厭きもしないで往ったり来たり。

 聲出したらあかんよ。見つかってもうたら終いや。

 天童の口以外の何処かで、聲ならぬ聲がした。その出処を求めて、由良とムジカは互い違いに室内を見渡す。毛羽立った畳の隅に鴉の濡れ羽が計四枚、突き立てられていた。天童が施した結界である。

「…………往ったようです」
 やがて足音が遠退き、その存在感が明確に失せたのを、真遠歌が皆に伝えた。
「……この家の人間か」
 由良が頭痛でも堪えるように片目を抑えて、苦々しく云った。
「ああ、噂の若当主かな」
 ムジカが小さく息を吐けば天童は頷いて八手を煽ぎ、仲間達に情報の共有を提案した。その意味が判らぬ程ムジカも由良も愚かではなかったが、それでも写真家の方は「どうだっていいだろう」と不機嫌を顕わにした。
「相手の土俵で毒まで仕込まれたんや。分が悪いやろ」
「賛成だ」
 天童が小首を傾げ困ったような視線を詩人に送ると、ムジカは間髪を入れず友人に屈託の無い笑みを向ける。何れも芝居がかっていた。
 由良は眉間に皺を刻み、神経質な仕草で煙草に火を点けた。

「産みの母、育ての母、父の記憶かな」
「やろね」
 ムジカと天童は概ね同様の見解を示し合った。
 後ろでは、なまじ渋ったばかりに質問攻めにされた由良が、以降会話から逃れて老女の生死を確かめていたが、呼気のみ確認した処で鬼児から死霊の気配が強いと云われ、即座に観察を切り上げた処だった。
「どう見る?」
「真実なんぞ分らへんけど」
 さっと緩やかなだけに鬱陶しい風が、花弁を室内に運び散らかした。
「一族皆殺しっちゅーんは余程の事や。信じてたもんも心の拠所も一度に失うくらいはしてそうやんなぁ。譬えば――」
 天童は口元を団扇で隠し、櫻の木に目を遣った。
「譬えば――身分違いの恋愛相手に関する出自の話、かな。動機を汲むのはあまり得意じゃないんだけど」
 云いつつ、ムジカも天狗の視線を追う。
 古木の前には真遠歌が立ち、視得ぬ目で見上げている。耳と花を澄ませ、五感ならぬ四感ともうひとつの勘を解放しているようだ。
「真遠歌、何かあるのか」
「……いえ。春になる度客が来ると云っていましたから」
 その理由を考えていたのだと、目隠し鬼は自信無さげに云った。
 天童は、くっと笑い、「ありがちな話やけど」と切り出した。
「その櫻な、埋ってはるのんとちゃう?」
「……死体、ですか」
 真遠歌も、足元にそれを気取る。草木と土に混じり、幽かに骨の匂いがした。
「それなら」
 少し驚く真遠歌を余所にムジカは由良に出番を伝えようとして、また笑った。何故なら、友人は既にデジカメを取り出して構えていたからだ。
「やっぱり撮るんじゃないか」
「黙れ」
 由良は膠も無く云ってファインダーを覘き込み、
「っ!」
 眼を見開いた。
「真遠歌はん!」
「――!?」
 同時に死の気配を感じた天童が喚び、真遠歌もまた察知して縁側迄飛び退く。

 由良が見たものは、二本の青白い腕だった。
 それは口惜しげに中をゆっくりと掻いて、またゆっくりと引っ込んだ。
 後には、透き通った朱色にたゆたう靄のようなものが遺った。

「若い女だ」
 由良がカメラを手際良く仕舞い乍ら、同行者達に云った。あんな事があった後でもわざわざ複数の機材で撮る辺り、流石と云うべきなのだろうか。
 天童は、未だ櫻を見ている。
 真遠歌はこの天狗が一切動じぬ事について、少し奇妙に思った。
「天童さん?」
 聲に笑顔で応えた彼の匂いは、何らかの確信を抱く者のそれ。
「うん。屋敷ん中調べなあかんね」
「勝手にしろ」
 由良は自分には無関係とばかりずかずかと縁側から離れ、乱暴に襖を開ける。
「何処に往く?」
「付き合ってられん」
 呼び止めるムジカに一瞥もくれず、由良は吐き捨てて退室した。

「宜しいのですか」
 真遠歌が問えばムジカは「いつもの事だよ」と微笑み返す。
「かえって安全かも知れない。――そうだな。おれ達も一旦別れないか?」
「やね。うっかりしたら共食いしてしまいそうやし」
 天童の言葉に、真遠歌ははっとした。
 屋敷の中は跡取りと思しき存在が屋敷の中を徘徊している。
 あれに狙われ、或いは憑かれでもしたら――。
「真遠歌、頼みがある」
 鬼児の思考を詩人が遮る。だが続く言葉は、その思考に触れるものだった。
「もし、おれ達のうちの誰かが危害を加えて来るようなら、その時は――」
「その時は?」
「――止めてくれ。手荒で構わないし躊躇もするな」
「わいもそれ、真遠歌はんが適任や思とってんよ」
 天童が、まるでその意見を待っていたとばかり同意を示す。
「ですが、私が影響を受けないとも限りません」
「そやしな、これ貰て」
 天童は黒い羽を戸惑う真遠歌に渡し、何事か念じる。
「わいらの切り札やさかい」
 聞けば、先程この部屋に施したのと同種の結界であるらしく、息を潜めれば跡取りの目を晦ます事が出来ると云う。
「そんな! それなら私よりもムジカさんか天童さんのほうが」
「いや、真遠歌はこの中で一番強い。他の選択肢は無いよ」
「併し……」
「頼むよ」
 尚も食い下がる助っ人に、詩人は申し訳無さそうに笑ってもう一押しした。
「…………承りました」

「さて」
 他の者達が出て行ってから、目覚めぬ老女共々客間に残った天童は、三度羽を取り出して放つ。花弁よりも少々迅く宙をくるりと舞う羽は、屋敷の方々――死の気配の遺る場所――に到ると、たちどころに溶けて消えた。
 件の凶行は春来る毎に繰り返され、醒めぬ悪夢。なれば夢現の境を曖昧にし、当時の状況をより鮮明にすれば真実に近付ける――天童はそう考え、術を為した。
 残留した死の影響が皆に対しても強まるであろう事を、承知の上で。
 濡れ羽の一枚は櫻に、一枚はこの部屋に留まった。
「もういっぺん視さして貰うで」
 天童は眼を細めて、待った。

 老女共々横たわる、夥しい数の躯に囲まれ乍ら。




 由良久秀は、激しい嫌悪感に苛んでいた。
 事前に示唆されても居ない常軌を逸した現象に見舞われ、挙句その一端に干渉されて先刻より精神的苦痛、それも狂おしい程の悲嘆という、およそ受け入れ難い情動にかられ続けている。
 跡取りの生みの親。その末期の感情が流れ込み、由良の心を乱した。
 それが気持ち悪くて、
(この家は居心地が悪くて)
 兎に角一刻も早く出て行きたかった。
 だが、やっと辿り着いた門は押しても引いても蹴飛ばしてもびくともしない。
 この分では何処を当たろうと脱出は叶うまい。

「…………」
 ――それにしても。
 由良が石畳で幻視したあの女、妙に謙っていた。
(私は、後ろめたかった)
 母とは認められていなかったか、或いは児に隠し事があったのか。

 ※

「――妾腹。そやけど『二人』には知らされとらんかった」

 ※

(母を名乗れぬ事を。娘の事を)
「くそっ!」
 自分以外の思考が自分の中に生じて吐き気すら覚えた。
 ――娘? 違う、意味なんか考えるな!
 由良は憑きものを振り払おうとかぶりを振って、
「……!」
 足を止めた。

 目の前に、うつ伏せに倒れた死体が転がっている。背後から斬られたのだろう。
 それとなく周囲に目を遣れば、もう二三人は転がっていた。
「――」
 由良は無意識にカメラを取り出し、幾度と無くシャッターを下ろした。
 ほぼ反射的な習性に委ねるまま、三つめの被写体にレンズを向けると。

 其処には――後ろには――、石畳で殺された――あの女が横たわって――立って――居た。

 ※

「跡取りと奉公人の娘ぉな、兄妹やってん」

 ※

(よりにもよって実の兄に恋慕するなんて)
 ――五月蝿い。……兄? 跡取りの事か。
 ファインダーがぼやけた。堪えていた涙が溢れたのだ。
 ――こんな処誰かに見られでもしたら。
(こんな事が誰かに知れたら)
 ――どうなる。
(この家で生きてはいけない)
 ――外に出られるなら願っても無い。
(ころされる)
 ――殺せば秘密は守られる。
(せめて娘には本当の事を)
 ――知りたくもない。
(もう知っていた)
 ――誰が教えた。
(あの娘は真実に堪えられなくて、死んだ)
 ――母を置き去りにした?
(若に話して)
 ――止せ。
(若の眼の前で死んだ)
 ――やめろ!
(だから若は、息子は私を怨んで)

 ※

「二人共……よう堪えられんかった。金持ちの家の事や、どうせ認められへんかった。けど、それが尚更あかんようになってもうた。そやし」

 ※

 こ ろ し た の

「ぐあっ!」
 由良は右耳から肩にかけて焼けるような痛みを覚え、遺体の上に転倒した。だが彼の身を受けたのは躯ではなく石畳だった。相次ぐ激痛に息が止まる。
 咳き込みつつも何とか身を翻して見上げれば、其処には。
『しね』
 若い侍が女と良く似た眼を血走らせて、
「止せ!」
 由良に――母に――胸に腿に指に眼に肩に臍に喉に口に鼻に股に、左胸に突きを繰り出した。とうとうしんでしまっても、未だ。

 いつまでも、それは続けられた。




 真遠歌は、跡取りの気配を辿ろうと試みた。超感覚に、二つ、触れる。
 ひとつは敷地内を移動し、もう一方は一箇所に留まり続けている。
 真遠歌は後者に向かい、広間へと辿り着いた。

 真遠歌は己の感覚に従い、部屋の中央の畳を返した。
「やっぱり此処だ。でも、何故家の中に」
 顕わとなった床下には、想定していた乾いた土と古びた石と、
「これは?」
 意想外だった錆びた鉄と櫻樹と、骨。
 石は紛れもなく跡取りの墓。彼の顛末を気にした真遠歌が探していたものだ。
 掘り返された跡もある。
 鉄は刀――短刀か。
 櫻の匂いがするのは古木の根が此処迄達している所為。
 春になる度、客が訪れる――その事と、何処かで通じているような気がした。
 では、骨は?
 跡取りのものではない。死後せいぜい十年程度しか経過していない人骨。
「あの人が話していた、いつの間にか居なくなった客、だろうか」
(己が見つけたんだよ)
「っ!?」
 唐突に胡乱な気配が正面に顕れた。
 真遠歌は身構えたが、相手に害意はみられぬので直ぐ警戒を解く。
(宝が埋ってる。その証拠に封印されてた)
「封印……? 短刀の事ですか?」
(そうだ。だから己は抜いた。そしたら、誰かが、皆が、己を)

 おれをヲホっ!

 突然男は腹に衝撃を受けたように前屈みになり、骨のある場所に崩れ落ちた。
 そして、消えた。

「…………」
 真遠歌は墓に意識を向けてみたが、跡取りの遺骨以外の何もない。
 宝とは。跡取りがしていたらしい連珠の事だろうか。

 墓を掘り返したのは先程の男か。では連珠の行方は――。




(許さぬ、許さぬ)
 先程から己の思考と隣り合わせに呻く怨嗟が、より鮮明に響く。
 捨て置けば垣根を越え、ムジカの感情との同期を予感させた。否、既にそれは戸の隙間から漏れる煙のようにとろとろと此方側へ流れ込み、不快感が充ちる。
 だが、そんな自分を、ムジカは客観的に見ていた。
 彼自身には生涯一度たりと抱いた覚えの無い、苛烈な迄の憎悪と失望。
 内にあって尚、それは他人事だ。だから、対峙する事も出来た。

 井戸の前に立つと、ぽつ、ぽつと、視界の隅で土間の埃を水滴が丸めた。顔の横で黒い髪が滴った。薄暗い穴の淵でぱちゃぱちゃと弱々しい音がする。
『――ア。あワタしハ、アア』
 果たして彼女は――隣に――井戸の中に――立って――溺れて居た。
「うん」

 児宝に恵まれず、一族郎党、私を責めた。
 やがて旦那様が奉公人を孕ませると、下女にも劣ると尚責められた。
 生まれた児が男だと判るや否や、類縁皆で奪うように引き取って、勝手に跡目と定めて私達に押し付けて。その事実は屋敷の中で包み晦まされた。
 あの女は毎日泣きながら働いていた。
 私は宛てつけるつもりで児を可愛がった。
 またあの女が身籠った。嘗てこの児を奪われ悲嘆にくれる姿に旦那様が同情していたのを知っていたが、私は耳と眼を塞いで過ごした。
 娘が生まれたと知らされても、穢らわしい女が穢らわしい女を産んだだけと。
 吾が児にもそう云って聞かせた。立派に育て上げた。筈なのに。

 なのに。

『なあンでアんな小便臭い餓鬼ニうつつツウツツウツつツうつうつウつウふっ』
 耳元から、井戸の中から、頭から、どす黒い聲が反響した。



「逆上した正妻は怒りの矛先を妾と、その娘はんに向けた。ほんまの事教えたんも彼女やろね。倅についた虫叩き落とそ思たんかな」



 死ねと云ってやった。自害したらしい。胸がすいた。
 なのにあの児は私を虫けらのように扱った。手を切り落として井戸に捨てた。
『ウウ、捨てらレたッ』
 只一人の拠り処に。
「そうか」
 自らの内に渦巻くと云うのに、ムジカは彼女に同情出来そうも無かった。
 奇妙な事に、沸き起こる感情こそが彼を更に埒の外へと追い遣っていた。
 故に、己を見失う事は無かった。
「けれど、羨ましいな」
『……? …………ウ』
 苛烈な迄の情を向けられる相手が居る事。それは羨むべきものだ。
 曲がりなりにも愛し、信じていた。だから裏切られ、憎悪に転じた。
 ムジカだったら、隣人が裏切ろうものなら即座に情を切り捨ててしまう。
「あんたはまだ愛してるんだろう?」

 その時、木戸がガタっと揺れた。




「倅がぐれてもうたんは、あんたの業やし、この家の業や」
 主は開いた襖の口で、古木の前で、天童がやんわりと突きつけた事実に打ちひしがれていた。
 当主とは名ばかりの、憐れで矮小な男だ。
 年嵩の親族に逆らう気骨も無く、総てを只傍観していた。
 故に把握してもいた。
 そしてその多くは、予め天童が導き出していた推測を裏付けるものだった。
 妻が奉公人の女を厭うていた事も、その娘と息子が実の兄妹であり乍らそれと知らず互いに恋情を抱いていた事も、娘が真実を知り自害した事も。
 だが、見ていただけだ。
 総て流れに委ね招いた結果が一家の没落と壊滅だった。
「ま、云うても始まらんけど」
 元より百年も前の死人に説教をするつもりは無い。
 幻視している間も、今も、悔恨と恐怖が天童の中で渦巻いていた。併し天狗が飲み込まれる程で無いのが情けなかったが、その性根など取るに足らぬ事だった。
「それより――」
 室内を見廻して、天童は口を止めた。
 いつの間にか、死体に混ざって気を失っていた老女の姿が消えていたからだ。
 喚ばれたか、さもなくば自ら――。
「……もうひと悶着。ありそうやね」
 しゃあないなあ――天童は他人事のように云い、縁側を降りた。
「次、いこか」
 そして、櫻の古木と向き合う。
 先程真遠歌が立ち、嘗て当主が貼り付けにされたその場所には、今。

 青い肌をした娘が、生えていた。




「此方に、いらしたのですね」
 老女は広間に現れるなり、音も無く真遠歌の元へ歩み寄って、
「……そう」
 床下の様子に気付き、諦めたように腰を下ろした。
「何故、こんな人目につかぬ場所に葬られているのですか?」
 真遠歌は率直に訊ねる。
 床下に墓を設ける等、祖霊を敬う心とはかけ離れた行為であろう。
 老女は幾許か逡巡の間を挟んで、語り始めた。
「これは、私の祖父の墓です」

 老女の祖父、つまり乱心した跡取りは当主として永らえ、余所から妻を迎えて一児――老女の父を得た。
 祖父は度々妻子に暴力を働く一方、偏執的な迄に櫻の木を愛でていたと云う。
 やがて祖母は父を遺して姿を消し、祖父もある歳の春、病で身罷った。
 それから、父は邸内で凄惨な光景を幻視するようになった。
 神経を蝕まれ憔悴した父は、ある寺に相談した。
 果たして招かれた和尚は、祖父の遺体を屋敷の下に埋葬し封じた。
 墓石を立て、一族に縁ある小刀を突き立て念を篭めて鎮めた。
 更に和尚は櫻が厄を為すので切れと云ったが、これは何故か父が頑なに拒んだ。
 ともあれ惨劇を幻視する事も無くなった父は、妻を娶り国の為に働いた。
 程無く父は神夷との戦で討ち死にし、妻は病に倒れて世を去った。
 時は流れ、父の代に仕えた奉公人とも十年程前に死別した。
 老女は独りになった。

「十年前ですか」
「御客様が見えられるようになりましたのも、その頃からで御座います」
 真遠歌が見立てた人骨の状態とも一致する。
「櫻が……何かしているのでしょうかねえ」

 真遠歌は此処迄の経過をノートに認め、ムジカの元へと送った。



「元々妖しい木に自刃した娘ぉ埋めたら、そら色々起こるて。屋敷の外に飛んだ花弁、風の便りにしてな。誰彼構わず喚び寄せて探させとってん」



 乱暴なようで腑抜けた勢いで戸が開くと、苦々しい顔の由良が倒れこむようにして、どっと縁に寄り掛った。
「無事だったか」
 ムジカは笑い掛けたが、内心では殺してやりたい程憎たらしかった。友人の姿に女――懼らく例の奉公人の姿が、重なって視得る所為だろうか。
(でもおれじゃない)
 ムジカは念の為、今一度自己認識をして気を落ち着かせる。
「これが無事に見えるのか」
「何があった?」
 よたよたと近付く由良の目元が赤らんでいるのを、ムジカは見逃さない。
「転んで背中を打った」
「……」
「何だ」
「いや――そうか。災難だったね」
 友人の批難の目を無視して、ムジカはつい緩めてしまった口元をそのままに、話を変えた。
「打ち身で苦しんでる処済まないけど、手伝ってくれないか」
「この巫山戯た屋敷から出る為にか」
「そんなところかな」
 ムジカの要請に、由良は大きく呼吸をして姿勢を正すと、何事も無かったように井戸へと歩み寄り、具体的な話を聞かされる迄も無く写真を撮り始めた。
 その間にムジカが、トラベラーズノートを捲り、興味深げに目を通す。

 不意に、屋敷の何処かで悲鳴があがった。

「……あ。あ、あ、あ、あっああああ。あああああああああああああああああ」
 突如、老女が哭き出し、卒倒した。
 次いで広間に跡取りの気配が忍び寄る。
 真遠歌は老女の息を認め、自身は気取られぬよう息を殺した。
 未だ解決していない今は遣り過すのが適切なように思われた。
 そして、畳を踏み締める音が入室した。
 みしり、ぎしり。
 もし、鬼児の視覚が生きていれば、それは殊更不気味に思えた事だろう。

 音と気配しか、其処には確かめられるものは生じていなかった。

 大太刀の柄を握り、有事に備える。
 と、その時。
「真遠歌、居るのか」
 ムジカが、到着して。その後ろに居た由良が、がくんと身を強張らせた。
「ムジカさん、後ろ!」
 その手には、朱い斧が、握られていた。

 ※

 しね(殺す)糞一族(殺す)人の営みすら侭ならぬ(殺す)しね(殺す)妹?(殺す)それがどうした(殺す)要らぬ(殺す)父も(殺す)母も(殺す)爺婆爺婆叔父叔母叔父叔父下男下女己御前総て(殺す)虫は死ね(殺す!)死ね!

 ※

「――っと」
 ムジカが飛退き、とんと畳に指をつく。
 直前迄居た場所は、叩き割られ、其処にぽたぽたと雫が落ちた。
 続いて障子戸が打たれて大破し、更に柱が圧し折られた。
 百年前の殺人鬼が、涙乍らに暴れていた。
「ううっ……」
 写真家は涙を拭い鼻を啜って、苛められた子供の如き泣き顔を二人へ向ける。
「真遠歌」
「はいっ!」
 鬼児は殺人鬼に掴み掛る。だが由良は泣き喚きながら斧を振るい、結果それが牽制となって真遠歌は近付き損ねた。
「うっ、うっ、どうして避けるんだよお!」
 再び振り下ろされた斧を今度は太刀で受け止め、即座に競り合いへと持ち込む。存外に膂力はあるものの、鬼を圧し切る程ではない。真遠歌は少しずつ力を加えて由良を室外へ圧した。
 鬼児が号泣する殺人鬼と対峙している間、ムジカは老女の所持品を調べていた。
 目当ての品は直ぐに見付かり、彼はそれを手中に収めると、いつしか壁際へ追い遣られた由良の元へ、真遠歌の横をすり抜けて近付いた。
「ムジカさん、何を――」
 訝しんだ真遠歌に短く謝罪し乍ら、ムジカは由良の肩に手を乗せた。
 次の瞬間、真遠歌は息を呑んだ。

 ※

「早まるな」
「死ねと申されました。貴方様の母上に」
(ほんまえげつない。今迄もさんざ苛められた挙句この仕打ちや)
「己は死ぬなと云っているんだ!」
「一度見初めた御方と添い遂げられぬ生に、何の意味がありましょう」
「何故決め付ける! 二人で逃げよう。何処か遠い土地に行けば」
(女連れで出来っこあらへん。一族も阿呆やない)
「逃げ切れるものではありません。況して実の兄との駈落ちだなんて――」
「……何と。今、何と云った」
「御母堂が総て御話下さいました。私達は共に、御館様と私の母の血を分け与えられたので御座います。先に生まれた貴方様が男児だったので、正式な嫡子として迎えられたのです」
「出鱈目だ! 母上がお前に諦めさせようといい加減な事を」
「私の母も、同じ話をして下さいました」
「……! ……だが! 己はお前を失いたくない」
「嬉しゅう御座います。けれど、辛う御座います」
(逃げても掴まれば殺されてまう。逃げんでもいびられ通す)
「待ってくれ!」
(無理や)
「待っ」
「――っ」
「!」
「うまれてこなければよかった、こんないえ、こんなっ――――」
(下らん柵。末代迄、)

「……あ。あ、あ、あ、あっああああ。あああああああああああああああああ」

(櫻、よう咲いてはるなあ)

 ※

「今のは……!?」
「――客間迄走るぞ」
「は、はい! あの、由良さんは」
「適当に振り切るんだ。どうせ着いて来る」
「判りました……――済みません!」
 真遠歌は心から謝罪すると、怪力に任せて斧を弾いた。
 由良が勢い良く転倒したとみるや、二人は奥へと駆け出す。
「逃げるなああ!」
 涙聲で吼える殺人鬼から遠ざかる最中、真遠歌はムジカの右手にじゃらじゃらと鳴るものの存在に気が付いた。
「当主の証、ですか?」
「広間に行く途中、後ろの彼に云われたんだ」
 ムジカはすかした笑みを浮かべ、親指で由良の方を示した。
「考えてみれば当然だ。暴かれた墓に何も無いのなら、当主の証って云うくらいだから当主が持ってる。手紙が封筒の中にあるようにね」
 木材が割れて吹き飛ぶ音を背に、真遠歌は次なる疑問を掛けた。
「客間には何故」
「さっきの夢が答えさ」
 真遠歌も確かに視た。久しく忘れていた、眼で物事を視る感覚。
 ムジカは続ける。
「跡取りの恋人は櫻の下で自刃したんだ。なら、今も其処に居る可能性が高い。あの櫻には若い女が居る――これも今暴れてる写真家が云ってた事だけど」
「成る程。ですが……櫻の木を、私達はどうすれば善いのでしょう」
 真遠歌の問いに、ムジカは少しだけ後ろを見て、笑った。




「――……」
 天童は――娘は――待っていた。
 満開の櫻の木の下で、あの人が来るのを。
 やっと見つけた。やっと逢えそう。今年こそは。
 そしたら誰にも邪魔されず、ずうっと一緒に居られる。
 驚かせてみようか。あの人怖がりだから、きっと凄く吃驚する。
 時折聴こえる怒号と破壊音が、だんだんと近くなった。
 もう直ぐや。もう直ぐ、なんもかも、終わる。
 櫻の木の裏で、天童はくすりと笑んだ。
 その羽織は、いつしか死の奈落の如き黒色に染まり、彼岸花が揺れていた。
 古木は一層花弁を払い落とし、中庭は薄紅色に染まった。
 誰か、二人が開けっ放しの襖を潜り、部屋を抜けて藪の中に身を隠した。
 知らない方々――真遠歌はんにムジカはん。
 天童の胸中に落胆が芽生える。
 欲しいのはあの人の   。
「うっ、うっ……」
 ばぁんと襖が破れ、直ぐに壷が砕けた。
 卓袱台が真っ二つになり、破片が櫻花を舞い上げた。
 あの人――由良はん――が、暴れている。来てくれた。来てくれはった!
 泣きじゃくっている。若様らしい――由良はんらしゅうない。
 こっちを見た。早く此処へ、櫻へ、私――わい――の元へ。
 来て。
「ぐすっ……」
 来た! 走って来た!
 斧なんか持って。
 それで。
 私を。

 古木に斧が食い込んだ途端、天童の右胴から肉も骨も臓も吹き飛ぶような感触があった。
 木の切り口からは鮮血が迸り、由良の姿を真っ赤に染め上げた。
 くすくすくすくす。
 天童は肩を揺らし、木陰から両腕を伸ばす。
 由良の首目掛けて。掴み、掌一杯に力を篭めた。
「ううう……何故っ」
 由良もまた、斧を手放し天童の首を絞めた。
 哂う者と哭く者は、互いを殺そうとした。
 刹那――真遠歌が茂みから飛び出して二人を突き飛ばす。
「真遠歌、櫻の木をやるんだ!」
「はい!」
 すかさずムジカが出した指示に従い、真遠歌は古木に太刀を薙ぐ。
 草を刈る如く、それはいとも容易く横転した。切り口から血が濁濁と溢れ出た。

 ※

 天童は一心不乱に穴を掘る男を、呆と視上げていた。
 汗と涙を拭ってばかりいたから、彼の袖はびしょびしょに濡れていて。
 それが哀しくて彼に言葉を掛けようとしたけれど、聲は音にならなかった。
 彼は、やがて天童を抱え上げると、土中にそうっと置いた。
 そして、少しずつ、少しずつ、土を掛けられて。花弁を撒かれて。
 でも、匂いも、何も感じなかった。
 否、ひとつだけ。
 少しずつ、少しずつ、櫻の根に吸い上げられていくような感じがした。
 天童はいつ迄もこの家に居るのだろう。

 祟る為に。

 ※

「――……それもええのんとちゃう」
「いい筈があるか」
 天童が目を醒ますと、直ぐ傍で横になっていた由良が心底厭そうに応えた。
「お陰でこのザマだ」
 彼も同じものを視ていたのだろうか。中々に気色の悪い夢だった。
「二人共、大丈夫ですか」
 真遠歌が本当に申し訳無さそうに、屈みこんだ。
「いいんだよ真遠歌。云ったろう、手加減は要らないって」
 縁側に腰掛けて連珠を弄ぶムジカが意地の悪い事を云って、由良に睨まれた。

 庭に変わった様子は見当たらなかった。
 夥しい血液も消え失せて、藪は藪のまま、屋敷は只の襤褸屋敷のままだった。
 変化と云えば櫻の木が切られた事くらいだろうか。

「それで? 結局何が原因なんだ」
 由良が痛そうに身を起こし乍ら、誰へとも無く問うた。
「私も、複雑で良く判りませんでした」
 真遠歌がムジカを振り向けば、彼も頷いた。
「直接の原因だけでも根が深いからね」
「そう、根っこや」
 天童がムジカの比喩を認め、自身の見解を述べる。
「土ん中でどれだけ伸びて枝分かれしとっても気ぃ付かんやろ。同じように上で櫻がどないに育つかなんて放たらかしたら判らん。この家もそんな風に、いつの間やらこない軋んだ場所になってもうたんかな、て」
 謂わばこの家は櫻の古木そのもの。
「なら、これもかな」
 ムジカは手元の連珠を見詰めて、それが櫻木製である旨を皆に告げた。
 当主の証。
 此度の事象の一端を担うのならば図書館への提出物として適当だろう。
 珠の擦れる音で、真遠歌は未だ眠ったままの現当主の事を思い出した。
「あのご老人はどうします?」
「寝かせておいてやろう。その間におれ達は消えた方がいいかな」
「今年の客もいつの間にやら帰っとるちゅう訳や」
「確かに」
 三人が和気藹々とする中、由良だけは不機嫌なままだった。
 こんな仕事二度と御免だった。




 けれど、彼は外に出てから、櫻吹雪にまかれた黒い屋敷の撮影を忘れなかった。
 それは邸内で撮ったものと違い特異な何かは映り込まなかったが、それでも尚。
「――ふん」


 この春一番の、うそ寒い写真となった。

クリエイターコメントお待たせしてしまい申し訳ございません。
ちまたはすっかり夏ですが、遅い春の一幕をお届けします。


なんだかいつも以上に難解でやり過ぎた感が。
果たしてこれで良かったのか……、でも楽しかったです。

一部解明されていない点もございますが、よろしければその辺りの事後考察なども併せて、皆様にお楽しみいただければ幸いです。


>奉公人兼跡取り様
楽しく遊ばせていただきました。あ、いや書かせていただきました。
でも正直もっともっと弄りたかった気がします(すいません)。
尚、敷地内で撮った写真は色々ヤバいのでよしなにどうぞ。

>正妻様
橋渡しと探偵役がしっくりくる立ち位置でしたので、そのようにいたしました。
写真家様とは対照的な精神構造がその後に直接影響する、という流れが自然に展開できた事が、書いていて興味深かったです。

>みんなの切り札様
跡取りがその後を気にされていた事に加え、墓と刀というキーワードが組み込まれていたので、怪異の原因究明に一役買いました。
切り札という役回りは鬼だからこそ、とも思えます。

>当主兼奉公人の娘様
惨劇の真相を殆ど当てられたばかりか、こちらの想定まですっかり読まれてしまったと感じました。怖い方だ。
というわけでNPCが語る予定だった部分をところどころ担っていただきました。


この度のご依頼ご参加、まことにありがとうございました。
公開日時2013-07-10(水) 21:50

 

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