あなたは、たまたまインヤンガイのホンサイ地区にいた。 ちょっとした暴霊退治の仕事だった。手早く片付け、仲間と食事をして別れた。時計を見れば、次のロストレイルが出るまでに少し時間がある。 もう少しインヤンガイをゆっくり見ていってもいいはずだ。 そう思いながら、街を歩くあなた。もう夜が明けてからしばらく経っているというのに、閉まっている店ばかりである。どうも静かだな、と不思議に思いながら。 あなたは知らなかった。 今朝から、武装結社フォドゥ(禍斗)の残党狩りが始まっているのだ。 この地区を実質支配するマフィアの連合体「虹連総會」の跡取りたちが殺されたのが、三日前。その報復として今度はフォドゥに属する女子供たちが一人残らず狩られ、殺されるのである。 フォドゥならずとも、この狩りに巻き込まれてはたまらないと、一般市民も静かに一日を送ろうとしていた。 あなたは立ち寄る場所が少ないことに気づき、諦めて、ロストレイルの駅に向かうことにした。 掴まえたタクシーはロボットタクシーで、運転席には無機質なドローンが座っているだけだった。あなたが支給されたカードをかざすと後部座席の扉が開いた。カードはインヤンガイの住人が使うものである。 やれやれ。後部座席に乗り込もうとした時、そこであなたは突然腕を捕まれた。 驚いて振り向けば、そこに中年の男が一人立っていた。あなたがカードを使っている時に近寄ってきていたのだ。「すみません、あの──」 身なりは悪くないが、切羽詰まったような表情を浮かべている。あなたは相手を振り払おうとして、その腹のあたりが血のようなもので濡れていることに気付いた。「お願いです。この子も乗せてやってくださいませんか?」 と、彼は面食らっているあなたに、背後にいた少女を見せた。 青いフリルのワンピースを着た、可愛らしい少女である。年齢は12才ぐらいだろうか。あなたに興味が無いのか、ぼうっとした表情で空を見上げている。「──この子はリウリーと言います。ランパオロンというカジノにまで連れていっていただければ、そこに親がいます」 男はあなたの了解も得ずに、少女を後部座席に押し込んだ。ちょっと、と声を掛ければ、男は頭を下げ、逃げるように走り去ってしまう。 何らかのトラブルであることは間違いなかった。あなたは少女を見る。彼女はおとなしく席に座っているだけだ。 面倒なことに巻き込まれたかな。そう思いながらも、あなたはドローンに車を出すように言う。 話しかけても返事が無い。少女リウリーは窓の外の空を見上げている。 仕方ない、とあなたが彼女とコンタクトをとることを諦めかけた時、タクシーが急に減速し始めた。 おかしい、止まれとは言っていないはず……。しかし、あなたが慌てているうちにタクシーは止まってしまった。 どういうことかと思った時、窓の外にふわりと降り立った人物がいた。朱色のひらひらした民族衣装風のドレスを着た女である。真っ赤な口紅がニコリと微笑む。年齢は伺い知れなかったが、若くはないようだ。 今まで、車の上に乗っていたのか。驚くあなたを後目に、彼女は左手で難なく助手席のドアを開けると、車の中に半身を入れ、無言で運転席のドローンに左手を伸ばした。 あなたは女の左手の指から、無数のコードが延びてドローンに絡みつくのを見る。左腕をサイバー化しているのだろう。コードは数秒絡みついただけで、自らの意志を持つ蛇のように女の左手に戻る。「わたくしもご一緒させていただきますわ」 やがて女は助手席に乗り込み、静かに言った。有無を言わせない口調である。「わたくしはその女の子に用があります。あなたはここで降りてもかまいませんよ」 あなたは首を横に振った。 少女一人を残して、ここを去ることができるような神経の持ち主ではなかったからだ。 この子に何をするつもりだ、と訪ねれば、女は鈴を転がすような声で笑った。「危害は加えませんわ。大事な人質ですもの」 あなたを横目で見て、彼女はもう一度言う。「本当ですわ。わたくしは嘘は言いません。我々フォドゥの者が少数でも生き残れば、彼女を無事に親元に戻しますわ」 フォドゥ? あなたが首をかしげれば、女はまたも笑った。「あら、あなた何も知らないようですわね。これから、この地区を支配するマフィアたちが、我々フォドゥの一族を一人残らず殺すつもりなのですよ。わたくしには、自らの仲間や家族を守る義務があります」 そのために、と女は目を細める。「このリウリーが切り札になるのです。さあ、車を降りるなら今のうちですわよ」 あなたは車を降りなかった。 代わりにあなたは尋ねた。女の名前を。 彼女は嬉しそうに微笑んだ。 ──わたくしはあなたのような人間がとても好きですわ。 そう言って彼女は名乗った。自分は、ミンイーと呼ばれている、と。 =====!注意!シナリオ『【烟・火】龍を殺す君子』『【烟・火】瑠璃色の氷』への、同一のキャラクターによる複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。また、企画シナリオ『【烟・火】過越しの小羊』の参加者の方は両シナリオには参加できません。=====
アンタは運がいいねえ。 自分も名乗る前に、ベルダは声高にそう告げた。 「私はベルダ。ランパオロンでディーラーやってる。得意なのはルーレット」 タクシーを乗っ取った女、ミンイーに向かって不敵な笑みを崩さぬまま言う。 「あんたが当てたのは“フラワー賭け”の中心さ。私はジェンチンの愛人もやってる」 ミンイーは流れ行く町の景色から視線を外し、ちらりとベルダを振り返った。 「まあ。それはそれは」 ベルダの言ったことはブラフだった。嘘だろうがなんだろうが、隣りの少女の代わりになると相手に思わせればいいのだから。 「さて、そろそろこのミステリツアーがどこに向かってるのか教えてくれたっていいんじゃないかい? それとも美味しいところは最後までとっとくクチかい?」 「行くあてなど、ありませんわ」 挑戦的な口調にも、ミンイーは素直に答える。 「我々フォドゥには、そんな場所はどこにもないのです」 「だから小さな女の子を人質に取ってもいいって?」 「ええ」 何ら悪びれないミンイー。 「その娘を使って、ジェンチンに頼むのです。わたくしの同胞たちに点けられてしまった赤印を解除するようにと」 ミンイーは、宙のピアノを弾くように指を動かす。「わたくしにも解除はできますが、一人一人やっていくには、どうにも時間が足りません」 はん、と相づちを打つベルダ。ようやく全貌が掴めてきた。 当然ながら、ミンイーはリウリーを使ってジェンチンを脅迫するつもりなのだ。やろうとしていることは作戦の完全なる妨害。 さて──どうしてやろうか。 ベルダが思案し始めた時、ハッとミンイーがモニターを見つめる。タクシーの内窓パネルに大きな火柱が映し出されている。どこかのビルの屋上だ。 「なんだい、これ?」 「行く先が出来ましたわ」 ミンイーは指を動かし、タクシーの進路を変える。 「あそこに彼がいるはずです。──我々の首領、リィ=フォが」 * 結局のところ、ベルダはタクシーから逃げ出す選択肢を選ばなかった。 ミンイーがどんな能力を持つのか知らなかったが、走るタクシーの天井に飛び乗ってくるような相手である。リウリーを連れて脱出するのは不可能に近い、と彼女は判断した。 「ねえ、虹連総會が既にリィ=フォを確保してるってことは無いかな? さっきの火柱は囮みたいなモンでさ」 「いえ、あれはリィ=フォですわ。彼は炎を身に宿した“炎帝”の生まれ変わりです。彼以外にあんなことをするのは不可能です」 そのリィ=フォなるフォドウの首領に会いに行くのは危険だと思ったのだが、ミンイーは行くと言って聞かない。 「やれやれ、もう知らないよ私は」 ベルダは諦め、傍らのリウリーに目をやった。彼女は膝の上に置いたポーチをしっかりと握り締め、窓の外を見ている。その手に自分の手を重ねると、ようやく少女はこちらに顔を向けた。 「リウリー、あんまり街を見たことないだろ。今日ぐらいなモンだ。楽しみな」 少女は不思議そうにベルダを見つめ、そっと身体を近づけた。 「……おうちの匂いがする」 か細い声で言うリウリー。ベルダはランパオロンでも働くディーラーだ。その身体に染み付いたカジノの匂いに反応したのか、少女は彼女に寄りかかる。 苦笑するベルダ。 やがてタクシーが薄暗い路地裏で停車した。ミンイーは独り、車外に出るとベルダたちを窓の外から見据える。 「リィ=フォと会ってきます。ここで大人しく待っていてください」 そう言い残すと、ドレスを翻しミンイーは路地の向こうへと歩いていった。 ベルダはドアが開くか試してみたが、無駄と分かり諦める。通信機器も沈黙したままだ。 静けさが車内を支配する。 ベルダはまたリウリーに視線を戻した。 安心しているのだろうか。彼女が見ていたリウリーは一心不乱に遊んでいるか、恐怖に怯えているかどちらかだった。 父親が母親を撃ち殺すのを見てしまってから、もう数年この状態なのだという。 恐怖は人の精神を蝕む。それはよく分かる。 しかし、何故だかベルダは遠い過去のことを思い出していた。 自分もあの時、タクシーに乗ってきらきら輝く街の灯りを眺めていた。窓の外に流れるそれら一つ一つに人の思いがあって、複雑に絡み合っているなど思いも寄らなかった。 ただ少女らしい未来への憧れだけがそこにあった。灯りの美しさは、口煩かった父のことを忘れさせてくれた。 父親、か……。ベルダは呟く。 「リウリー、パパのことは嫌いかい?」 返事は無いだろう。そう思いながらも彼女は傍らの少女に語りかけた。 彼女を見ていると、ベルダはロストナンバーの知己を思い出す。粗暴なマフィアの父と、その跳ねっ返り娘である。いがみ合っていたあの父娘は、最近一緒に住んでいるようだ。 「なあ、リウリー。もう少しパパのことを見てやってもいいんじゃないかい?」 ベルダは尚も問いかける。 彼女は、少女の父親がどれだけ娘を愛しているか知っていた。底辺から成り上がり、空駆ける龍とまで言われている男だというのに、娘のことになると取り乱すのだ。 「もし……逆に、あんたの母さんが、父さんを殺してたらどうだった? パパ、パパって泣いて、ママに笑顔向けずに閉じ籠ってたのかい?」 「パパは、いないよ」 ぽつり、とリウリーが答えた。驚くベルダ。少女が言葉を返してきたのが初めてだったからだ。 「パパはどこかに行っちゃって、代わりに怖い人がいつもリウリーを見てる」 その意味を理解するのに時間がかかった。 ベルダは嘆息する。リウリーは父から完全に目を背けているのだ。彼女の中では父はもう存在しないのだろう。 「そうじゃないよ、リウリー」 注意深くゆっくりと言葉を紡ぐベルダ。 「パパはちゃんといるよ。あんたの傍にいつも。その怖い人をようく見るんだ」 「怖い」 「怖くても見るんだ」 ベルダは静かに、しかし強く言う。 「許すか許さないか……憎むのかは、あんたの決める事だ。けど、もう自分で判断できる歳だろ? ちゃんと向き合うべきだ」 その時、バンと大きな音をさせてミンイーがタクシーに飛び込んできた。掴まって、と彼女が叫ぶと同時に背後でさらに大きな爆発音がする。 突然のことに、何事かとベルダはリウリーをしっかりと抱きしめた。 「連中がこの一画を爆破す──」 彼女の言葉が終わらないうちに、タクシーは爆風の中を飛び出した。 * 「不思議な少年に会いました」 崩れ落ちるビルから逃れ、安全な道に出てからミンイーが口を開いた。 「異世界から来たのだそうですわ。彼がリィを説得してくれました。リィが逃げ延びてくれるならわたくしは言うことはありません」 誰かロストナンバーが協力しているのだろうか。ベルダは無言で話を聞く。 「これからジェンチンに連絡を取ります」 「脅迫すんのかい?」 「ええ」 ちらとミンイーはベルダを斜に見た。 「わたくしはあなたのような人が好きです。出来ればあなたを傷つけたくない。どうか大人しくわたくしの指示に従ってください」 「あのさ、なら私からも頼みがある」 ベルダは座席に手をかけ身を乗り出すようにする。 「この子と父親をちゃんと話をさせてやりたいんだ」 「どうやって?」 ミンイーは眉を上げる。 「まともに話もできない状態ではありませんか」 「通信なら……話せるかもしれない」 ベルダの言葉にミンイーは何か少し考えたようだった。まあ、いいでしょうと彼女は呟くと、タクシーの内窓モニターに手を触れた。 ふつん、と画像が灯る。 そこはバーのようだった。顔を出した人物に、ミンイーは冷酷にジェンチンを出しなさいと告げた。こちらの様子も見えているのだろう。相手は血相を変えた。 またパッと画面が変わる。 そこにはジェンチンが映っていた。 「お久しぶりですわね。あなたにお願いがあります」 彼は一瞬でこの状況を理解したのだろう。顔から一気に血の気が引いた。 「時間がありません。簡潔に言いますわ。我々に付けられた赤印の半分を解除してください。そうしたらこの娘をあなたに返します」 「ミンイー」 搾り出すような声でジェンチンは彼女の名を呟く。「リウリーに何かしてみろ。お前を八つ裂きにしてやる」 ミンイーは笑い、二人を振り返った。ベルダはゆるゆると首を振りつつもリウリーを促した。 「なあ、よく見てごらん。あそこに映ってるのは誰だい? お前のパパじゃないか?」 少女は大きな目でじっとモニターを見つめた。 リウリー、と中の男が顔を歪める。 「──パパ?」 ジェンチンが目を見開いた。 「リウリー……! 俺が分かるのか?」 「怖い」 しかし、少女はベルダの胸に顔を埋めてしまう。 そこでミンイーが通信を切った。様子を見るためだ。 ベルダはリウリーの背中を撫でてやりながら、タクシーの支配者に声を掛ける。 「なあ、半分は言い過ぎなんじゃないかい。他にバレるだろ。バレてジェンチンが総會の他の奴に殺されたら、あんただって困るだろ? 2割ぐらいから許してやったら」 ふふっとミンイーは笑う。 「確かに。切り札はこちらの手の中にあるのですから」 と、また通信が繋がった。向こうからコールがあったのだ。 「心は決まりましたか?」 ミンイーが通信に出る。 それとほぼ同時に、ベルダのトラベラーズノートに着信があった。ロストナンバーの誰かからの連絡である。彼女は密かにノートを開いた。 相手はヌマブチだった。簡単な挨拶と共にベルダはこちらの現状を向こうに伝える。 ──何とかそっちに行こうとしているとこなんだが、ちょっと無理かもね。 すると返信があった。 ──なるほど、ならこちらから出向くでありますよ。ミンイーと話せますかな? * 「最終的には全部の赤印を解除させます」 「でもそれじゃ、ジェンチンが殺されちまうよ」 「多くの人民の命がかかっているのです。この子一人と多くの命は吊り合わない」 「おっしゃるとおりでありますよ」 ぼそっという男の声。「──しかしジェンチンが、全ての権利を他の者に譲る、としたらどうでありましょうな? 彼は殺されずに済むのでは」 通信で会話に参加したヌマブチだ。 「ご協力願いたい」 ベルダが見ている中で、ヌマブチはミンイーと交渉し彼女から脅迫者の役を引き継ぐことになった。ベルダはその作戦はどうかと思ったが、ジェンチンの元に戻れるのであればと渋々同意した。 リウリーたちはインヤンガイの住人なのだ。自分たちに出来ることは限られている──。ベルダはランパオロンを思いだし、目を閉じる。 三人はミンイーと別れ、例のバーへ行くためにエレベータに乗っていた。リウリーはベルダのブラウスの裾をしっかりと握っている。 「──この子を撃たない自信は?」 「無い、な」 問われてヌマブチは苦笑する。 「感心しないね」 ぽつりと呟くベルダ。フンと鼻を鳴らしヌマブチの背中を見据える。 「蛇の道は蛇というやつでありますよ」 「気に入らないのは、あんたが私のお株を奪ってるからさ」 「?」 何かふっきれたようにベルダは飄々と言う。 「あんたがこのゲームのディーラーだってことだよ」 彼女の脳裏にはランパオロンのルーレットが見えている。赤と黒と数字。そして緑にゼロが二つ──。 「そうまでして言うなら、蛇の目を狙いな」 「蛇の目とは?」 「ダブル・ゼロ。ルーレットなら、親の総取りさ」 そう言って、ベルダは口端を歪めた。 * * あんたの父親はギャンブルの天才だった。それは掛け値なしに本当のことさ──。 全てが終わった後、ベルダはリウリーとランパオロンにいた。 眼下には無数のネオンや灯りがひしめいている。夜を迎え、またこの街は元のように猥雑な営みを始めるのだ。 ベルダは静かに待っていた。隣りの少女が何かを言うまで。 「あのね」 長い時間を掛け、ようやくリウリーが口を開いた。 「わたし、パパが見てたものを見たい」 ベルダは目を見開く。彼女はすぐに応えることが出来なかった。少女がそう言葉を発するまでの長い時間が、リウリーの思いを示していたからだ。 もうこの子は大丈夫だ。 最後にベルダは微笑んだ。 リウリーはまだ幼い。だが、彼女の瞳はもう揺るがないだろう。彼女はこれからの人生を父や母の思いを背負ってひとりで生きていくのだ。──遠い昔、ベルダが家に帰らなかったように。 彼女はそっと少女の肩に手を置いた。 (了)
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