「ぼーっとして、どうしたんだ」 0世界のターミナル。 その外に広がる樹海を一望出来る、とあるバルコニー。 世界司書のシド・ビスタークは、自分の腰ほどまでしかない少年の背中に向かって、声をかけた。 少年は振り返り、「シド」と親し気に応える。 ほんの少し前、霊力都市・インヤンガイで保護されたネズミ獣人のロストナンバー・ヨニである。 このヨニは始終びくびくとした挙動を取るが、なぜか見た目の厳ついシドに懐いていた。故郷にいたとある種族が、シドのように体中にペインティングを施していたらしい。シドの気さくさも相まって、ヨニは彼に懐いていた。「いま、忙しいんじゃないの?」「チャイ=ブレ内探索のことか。人員の募集は大方終わったし、大丈夫大丈夫」 かくりと首を傾げるヨニに、シドは豪快に笑った。「それより、どうした。ちょこちょこ走り回ってたろ」「……うん」 ヨニはバルコニーの手すりに掴まり、見渡す限りの樹海に目を向けた。 恋人のミーアに会いたい一心で、0世界に来た。 どうすれば故郷への道が開けるのか。 パスホルダーを持っているので、どの世界の言葉も読めるようになった。言葉も解る。 だから、自分の世界を見つけるにはどんな手段があるのか、探した。「依頼を受けてもね、それはヨニの世界を探すことにならないんだって思って」「おいおい」 苦笑するシドに、ヨニは樹海を見つめたまま続けた。「チャイ=ブレの中を探検して、『流転機関』? ……を、見つけることができれば、新しい世界へ旅を出来るようになるかもしれないんでしょ? でも、ヨニは弱いから、待ってることしかできないの」 戦う力は持っている。トラベルギア。だが、元々争いは好まない。だから喧嘩もしたことがない。もしもミーアが何かに巻き込まれたなら、全力で助けに行く覚悟はある。ミーアに伴侶となってくれ、と告白した時、誓った。ミーアが伴侶になると応えてくれた時、もう一度誓った。 ミーアに再び会うまで、どんなことがあってもこの命は守らなければならない。 だから——弱いと思う。 ミーアに会うために、『流転機関』を探しに行かなかったことを。「ヨニは、ずるい。ずるくて……弱い」 大きなネズミの耳を垂れ、首から下げた緑色のガラスのペンダントを握り締めた。 今のヨニを見たら、ミーアは伴侶になる印を返してくれ、と言うだろうか? ミーアと誓った。 決して嘘はつかず、決して他を傷付けず、決して卑怯にならず、必ずミーアを守ると。 今のヨニは、卑怯ではないだろうか?「あー、丁度良いのがあった」 シドがパラパラと『導きの書』を捲り、ヨニに笑いかけた。「働かざる者食うべからず、だ。ちょっとヴォロスに行って、竜刻取って来てくれ」「りゅうこく」「竜刻がある場所までは、ちょっとした渓谷を降りなきゃならんが、まぁロープでも使えばそんな難しくないだろう。洞窟の奥に泉があって、その中に竜刻はあるみたいだな」「み、みず……」「泳ぐのは苦手だったか?」 ヨニは青くなって頷く。ロープさえあれば、どんな場所でも上り下りできる自信はあるが、泳ぐことだけはまったく出来なかった。「まぁ、一人で行くわけじゃ無し、なんとかなるだろ。竜刻は、黒い真珠みたいな形だ。あ、洞窟にはでかい蝙蝠やらでかい蜘蛛やらもいるみたいだから、それだけ気をつけろよ。そんで、ついでに」 ぱたりと『導きの書』を閉じる。 大きな黒い目を向けるヨニに、シドはその頭をぽふぽふと撫でた。「ついでに、ロストナンバーたちと話して来いよ。おまえと同じように、自分の世界を見失った者たちだ。色んな考えを聞かせてくれると思うぜ」 ヨニは大きな耳をピンと立てる。 自分と同じ境遇の人たち。「行くか?」「行く。一緒に行ってくれる人を、探して来るよ」 真っ直ぐに見つめ返す大きな黒い瞳に、シドは笑った。「チケットは4枚だ。おまえと、あと3人だな」 ヨニは大きく頷く。「ありがとう、シド」 そう言って、ヨニは図書館ホールへと駆けて行った。「誰か、一緒にヴォロスに行ってくれませんか? それと」 もし、よければ聞かせて欲しい。 故郷への思いを。 そして——こたえを。===========!お願い! 本シナリオは、パーティシナリオ「ロストメモリー、記憶献上の儀」及びイベントシナリオ群「チャイ=ブレ決死圏」と同じ時系列の出来事となります。上記シナリオに参加している方は、本シナリオへのエントリーはご遠慮ください。===========
渓谷を前に、白衣を着てリュックを背負いスナック菓子を食べていた手を袋の中に突っ込んだ金色の猫獣人・デュベルと、ネズミ獣人・ヨニは固まっていた。 目の前には、無表情に二人(二匹?)を見下ろす天狗・玖郎。 「お、おれは遠慮するぜ。自分で降りれる。多分、うん。きっと」 そう答えたのはデュベルだ。ふさふさの毛並みと細目のせいで瞳は隠れて見えないが、心なしか毛が逆立っている。ぽいぽいとスナック菓子を口に放り込んで、そそくさと渓谷に足を踏み出した。 ロープも無しに危ない、と思えば、デュベルの体は彼の質量を無視してゆっくりと降下していく。 デュベルの体内には、ブラックホールを利用した縮退炉と同様の機能がある。質量のあるものを食べればそれをエネルギーに変換し、出力することができるのだ。また、縮退炉を体内に維持するための重力制御能力を利用して、周囲の重力を操作することもできる。だから一定の速度でゆっくりと峡谷を降りてゆけた。 それを見送って、玖郎の視線がヨニに戻る。ヨニはびっくと飛び上がって、上目遣いに口を開いた。 「え、えっと、では、その、お願いします。あの! で、できれば抱えて……」 「承知した」 玖郎は短く答え、ひょいとヨニを小脇に抱える。そして、ふわりと宙へ舞い上がったかと思うと、一気に渓谷を滑り降りた。 悲鳴を上げる暇もなかったが、ともかく腕に抱えてくれてありがたいと思う。 玖郎の体は人間のように見えるが、その背中には髪の色と同じ赤褐色の翼が二対あり、膝から下は猛禽のそれに似た鋭い鉤爪のある鳥足である。 その逞しい足に掴んで飛ぶ方が楽だから、玖郎は二人を足で下ろしてやってもいい、と提案した。だがネズミ獣人であるヨニにとっては、本能的に恐ろしい構図だ。正直、腕に抱えられている今も、玖郎の手甲に付いた爪が脇腹に当っていて冷や汗が出る。 当の玖郎にはもちろん他意は無いのだけれど。 渓谷を降りると、谷間の真ん中をゆるやかな川がさらさらと流れている。川下を見やれば、左にカーブを描く川の流れがあり、右にぽっかりと口を開けた洞窟。 デュベルが「ふぅん」と髭をそよがせる。 「洞窟に大型の怪物っていうからどんな生態系かと思ってたんだが、餌は豊富にありそうだな。これなら大型化しても不思議はねぇ、か。それとも、『竜刻』ってヤツの影響かな」 そう言って、面白そうに尻尾を揺らす。 「いるのは蝙蝠だったか。腹の足しになるな」 無表情に頷く玖郎に、デュベルが「旨いのか?」と興味津々に聞き返す。 「頻繁に食すわけではないが。聞くところによると、味は鳥に似ている」 「へえ! それはちょっと食ってみてぇな。蜘蛛もいるって言うし、楽しみだぜ」 デュベルはリュックを背負い直し、スナック菓子をぽいと口の中に放り込んだ。 ヨニのランプが照らす洞窟内は、黒く湿り気があり、苔が岩肌に張り付いている。分かれ道も多かったが、細く水が流れているのでその先に泉があるだろうと検討が付いた。 「それにしてもヒデェ臭いだな、こりゃ。鼻が曲がっちまいそうだ」 先頭を歩くデュベルが白衣の袖で鼻を擦る。風通しが無いせいで臭いが滞るのだろう。 「早々に『竜刻』を引き上げて、外の川で水浴びでもしたいものだ」 「水はそんなに好きじゃねぇけど、さっさと外に出るのは賛成」 自然、足は速まる。ランプに照らされて影が躍る。その時。 デュベルの耳がピクリと動いた。足を更に早めようとしたところで、「待て」と玖郎が呟く。 「帰りがあるのだぞ」 それにデュベルは小さく頷いて、警戒を露に忙しなく耳を動かす。 「ヨニ。ランプを置け。光が揺れては見辛い」 ヨニは慌ててランプを下ろす。足元は砂利だったが、少し払えば濡れた地肌が現れる。 小さく耳に届くのは、水の細い流れと空を切る音。耳慣れない音だ。ランプのオイルが焼ける音すら聞こえそうなほど、じりじりとした時間だった。 ヒュッ。 そんな軽い音とともに、暗闇の中から白い糸が飛び出して来た。それは真っ直ぐに灯りを目指して伸びて来る。 それを迎え撃つのは、雷撃。玖郎の金属手甲から電流が迸り、耳障りな奇声が洞窟内に反響する。白い糸を辿った電流は、発光を伴ってその姿を浮かび上がらせた。 「大蜘蛛!」 そこに居たのは、体高2メートルはあろうかという蜘蛛だった。周囲には太い白い糸が張り巡らされている。先ほどまで聞こえていた空を切る音は、獲物を逃がすまいと張った糸が空を飛ぶ音だったのだろう。 八つの丸い目が無感動に3人を見据える。通常ならそれを捕食する側のヨニであるが、その巨大さは震えさせるものがあった。 更に玖郎の電流が大蜘蛛を襲う。どんな仕掛けになっているのだろう、とデュベルは関心を寄せながら、重力を操作すべく力を集約させた時。 バサリ、と大仰な羽音がした。 見上げればそこに、大蜘蛛に匹敵する比翼を広げた蝙蝠。 「っ次から次へと!」 デュベルは思わず悪態を付く。集約させた力を蝙蝠へ放出すべく向けた時。蝙蝠が大蜘蛛に向かって突進した。大蜘蛛もまた抵抗するように糸を吐きかける。 「は?」 「……どうやら、互いに捕食対象のようだな」 ため息のように呟かれた言葉に、デュベルは「はぁ」と肩を落とす。 「ま、せっかくだから両方狩るけどよ!」 「異論ない」 玖郎の手甲が電流を帯びる。それは徐々に熱量を増し、洞窟内を明るく照らしだす。 おぞましい巨体の攻防。こちらに気を向けないのは、例え天敵と云えども体格差があるからだろうか。それならばそれで都合良し、玖郎は両腕を振り上げる。電流が迸り、二つの巨体を閃光が貫く。 「これでトドメ!」 行き場を求めていた膨大なエネルギーがデュベルの指先ひとつで巨体を押し潰す。 閃光が一際大きく輝き、轟音が洞窟内に反響する。ヨニが目を隠していた耳をおそるおそる持ち上げると、ランプの灯りがただちらちらと洞窟を照らしていた。 「ん、なかなかイケる」 蝙蝠の肉を齧りながら、デュベルは満足そうに頷く。ちらりと懐中時計型のトラベルギアを見やり、正常値に戻っていることを確認して息を吐いた。 トラベルギアは元々、極端に強大な力を制限する能力を持っている。これはツーリストの力——壱番世界を基準とした人間以上の能力を持つ者の力——が、旅した先の異世界の秩序を破壊しないための重要なルールだ。 デュベルの場合、体内の縮退炉のエネルギーを時計の針と目盛で表示し、自己抑制する役割もあった。 「おまえはいらぬのか」 「ヨニは、お肉はあんまり……虫はおいしく食べるよ。二人は、とっても強いね」 玖郎とデュベルはしばし顔を見合わせ、 「おまえよりはな」 ——と、声を揃えた。 密やかな笑い声が洞窟内に響く。 そこからは特に何かが襲ってくるでもなく、3人は順調に奥へと進んでいった。 そして洞窟の最奥に、『竜刻』を擁した光り輝く泉があった。泉の透明度は恐ろしく高い。丸く黒い真珠の形をした『竜刻』はすぐそこに見えるのに、泉の縁から岩肌を見下ろしていくと、かなりの深度であることがわかる。 「水は好きじゃねぇんだよなぁ」とデュベルが呟けば、「水鳥ではないゆえ、潜水は不向きだ」と玖郎が呟く。ヨニはもとより泳げない。 「おまえ、先ほどと逆のことはできぬのか」 「逆?」 「蝙蝠らを潰せただろう。ならば、逆に浮かせられぬか」 玖郎が言うと、「おお」とデュベルが手を打った。 スナック菓子をぽいと口に放り込み、デュベルは泉の中に手を入れた。ちゃぷん、と水の跳ねる音がしなければ水面に触れたかもわからない。水温は体温と同じだった。 デュベルは慎重に力を込める。『竜刻』がどの程度の硬度かは知らないが、慎重に扱うに越したことはない。 「んー……玖郎、って言ったっけ。ここらで掴めねぇ?」 「なぜだ」 「水圧の問題。ヘタに力入れて『竜刻』ぶっ壊したくねぇから」 玖郎は小首を傾げつつ、頷く。『竜刻』を持ち帰るのが依頼、壊れては困る。 二対の翼を広げ、ふうわりと泉の中央へと行くと、ゆっくり足を泉に浸していった。腰ほどまで浸かったところで爪先に鉱物の感触がある。 「おし、んじゃ出力下げるぞ」 玖郎の足が『竜刻』を掴み、ひとつ羽撃く。『竜刻』を引き上げた泉は黒く闇に沈んだ。 「『竜刻』が光ってたのか?」 玖郎は『竜刻』を手に取る。それは泉の中をはっきりと映し出していたにも関わらず、手に持つと黒く沈んでいる。 「闇を呑み込むのやもしれぬ」 「ほう」 デュベルの目が輝く。デュベルは発明家だ。未知との遭遇ほど心躍るものは無い。 その視線に気付いたのだろう、玖郎は自分の懐に『竜刻』を仕舞う。 「ああっなんでだよ! もっと見せてくれよ!」 「依頼の品だ。“不慮の事故”で無くされては困る」 「いやいやっそんなっ! そんなこと考えてねぇって! なぁ、玖郎!」 「用は済んだ。外に出るぞ」 「うぉおおおそんな殺生なーーーーーーっ!!」 洞窟内に、デュベルの叫び声が木霊した。 ◆ ◆ ◆ 洞窟を出ると、辺りは既に夕闇の中だった。3人は川沿いを上流に向かって歩き、川端から離れた場所に火を焚く。 「蝙蝠って炙っても旨いもんかね」 「さて。おれは生以外で食したことは無いが」 「ふーん。ま、炙ってみっか」 落ちていた小枝に肉を刺して、火に当てる。肉の焼ける匂いが鼻に心地よい。 しばらく沈黙が続いた。 火のはぜる音、肉の焼ける音、川の流れる音、遠くにフクロウだろう鳥の鳴く声。 程よく焼けた蝙蝠の肉を齧っては「お、うまい」と呟くデュベルの声だけがする。 パチパチと音を立てて燃える焚火が顔を照らす。玖郎の赤褐色の髪が、デュベルの金の毛並みが、まるで燃えているようだとヨニはぼんやりと思った。 「その」 玖郎がかくりと首を傾げてヨニの胸元を指した。 「緑のガラスは何だ?」 ちらちらと焚火に反射して眩しかったのだろうか、ヨニは無意識にペンダントをいじっていたことに気が付く。 「ミーアにもらったの。伴侶になる証……」 小さく笑って、それから沈んだように目を伏せた。 「あの……二人は、元居た世界に帰りたい?」 「そりゃ帰りたいさ」 「無論」 即答に、ヨニは目をしばたく。それにデュベルが首を傾げた。 「ヨニは帰りたくねぇの?」 「帰りたい! 帰りたいけど……」 弾かれたように顔を上げ、しかしすぐペンダントに目を落とす。ミーアの瞳と同じ色の石が、手のひらの中で光を反射する。 「あの、二人の、故郷の話や——を聞きたい、のだけど……」 「お、それはおれも聞きたいね! 最近ロストナンバーになったばっかりで、他の世界ってのに興味があるんだ」 肉の無くなった小枝をぽいと放って、デュベルは身を乗り出す。 自然、視線が玖郎に集まって、玖郎は「そうだな」と腰を下ろした。 ◇ おれの故郷は、山深く、一飛びすればひとの里があるようなところだ。我ら天狗にとっては一飛びであっても、ひとからすればそれなりの労力が必要となるが。 山には多くの物怪が棲み、ひとは我らを怪物とか神とか呼んだりする。 ……物怪とは、五行の力を元に具象化した者、あるいは化生の者のことだ。克する者を喰らえば寿命が延びる。うらやましい? そうか。 とにかく、おれの「世界」は、物怪の在る山と、巣と、その周囲といえよう。 ……狭いか? それを不自由だとか思ったことはない。 それから、おれは一刻も早く郷里への帰還をのぞんでいる。 おれが不在であるいま、なわばりが侵されているのは想像にかたくないのでな。 ……そうだ、我ら天狗はなわばりを持つ。我らにも天敵と云うものがある。長きをおけば、それだけ奪還にはおおくの労が要ろう。 ……つまも、おいてきている。 まだ子を成していなかったのは、この場合幸いと言うべきかもしれぬ。斯様な事態は、想像を絶するものであるしな。 だが元より、いつ命をおとすか判じ得ぬ身だ。 おれが長らく戻らねば、待たず、捜さず、すきにいきろと言ってある。 戻らぬおれに囚われ、いのちをうしなわせるのはしのびない。 ……如何様なかたちでも、息災であればよいのだが。 パチパチと火の粉が跳ねる。 「どうして……すきにいきろ、って言えたの?」 ヨニの言葉に、玖郎はかくりと首を傾げる。 「いきものの本懐は生き延び、子を成すことだ。おれが戻らねば、そのどちらも難しい」 なるほどなぁ、と間延びした声はデュベルのもの。 二人の視線が集まって、デュベルはにへらと笑った。 ◇ おれの居た世界には、いわゆる知的生命体ってやつはひとつしかなかった。俺みたいに体中に毛が生えてて、三角の耳や尻尾がある生物だ。おれが生まれたのは、技術とか芸術とか文化とか、とにかくたくさんの新しいもんが生み出されてる時代だった。活気に溢れて、色々な意味で情熱に満ちた時代だな。 おれは、そんな夢と情熱と喧騒に満ちる故郷を、心から愛してる。 ……愛してるだってよ、こっぱずかしいこと言っちまったなぁ! まぁ、ちょっとしたコトがあって、故郷に戻ったら逃亡生活なんだけどよ。あー、詳細は聞くなよ。いや話したくねぇとかじゃなくて、長くなるから。 そんでも、その逃亡生活も面白いと思ってるし、それもいつか全部まるっと解決して、おもしろおかしく生きてくつもりさ。うん、今日はそういう気分だ。 ……おれはあの世界を、まだ全然『食い尽くせていない』。 だから、おれはいつか必ずあそこに帰るんだ。 ……でもま、明日になったら面倒臭くなってるかもな。そんなもんさ。 色んな世界を『つまみ食い』するのも悪くないぜ。 要は、今日何が食べたいかって事だな。 おれにとっちゃぁ、故郷に戻ろうとする道と、それ以外の寄り道は、別々のモンじゃあねぇ。同じモンなのさ。どんなに寄り道したって、最後に戻る場所は故郷だからな。 自分の思うがまま進んだ跡が、勝手に道になってくもんだと、そう考えてるんだ。 眉毛あたりの金の長毛をひょいと上げて、デュベルはからからと笑う。 それからヨニを見て、胸に下がっているペンダントを見た。 「ヨニの心残りは、どっちかっつーと玖郎と近いのかね」 デュベルはぽりぽりとスナック菓子を頬張りながら、ヨニを見つめた。 「おまえ自身が、自分の心に正直であったなら、それでいいんじゃね?」 「でも……ヨニが頑張ってみてたら、ミーアに早く会えるかもしれないのに」 緑のペンダントを見つめながらヨニは呟く。 「勝算が望めぬ局面は、避けるが至当であろう。力のみで先はひらけぬ」 いつの間にか立ち上がっていた玖郎が、流木の枝の上にふわりと飛ぶ。 「さきほど言った通り、いきものの本懐は生き延び、子を成すことだ。生き延びるためには、往々にして見極めがものを言う。生存こそが種の勝利ぞ」 「だけど」 「ひとはどうか知らぬが……巣を侵されでもせぬ限り、自ら捕食者へ挑め倒せとおしえる親はおらぬ」 ヨニは打たれたように硬直した。ぎゅっとペンダントを握り締める。 その背中をデュベルが軽く叩いた。 「自分の心を裏切らない選択をし続ける事こそが、遠回りに見えても、愚かに見えても、最善の道だ」 デュベルは歯を見せて笑う。 「……なーんて、教授——学生時代の恩師——の受け売りだから、おれもあんま分かってねーけどな、わはは! スナック菓子食う?」 菓子袋を差し出しながら、デュベルは笑う。玖郎はそれを見下ろしている。 二人の言葉はゆっくりとヨニの心に染み込んでいく。 それは気負いもなければ押し付けがましい事も無い、二人の立場の違うロストナンバーが紡いだ真実の言葉だ。 「そうだ、玖郎。おまえの手甲、どうなってんだ? なにを仕込んだら放電すんだよ?」 「なにも仕込まれてはおらぬ。強いて言うならば、おれの意志だ」 「え、なに、脳と手甲が電気回路かなんかで繋がってるってことか?」 「でんきかいろ、とは、なんだ」 「電流の流れる通路だよ」 「……知らぬ」 「えーっ勿体振るなよ!」 「おまえの言葉は不可解だ」 「えっどこが! 明快だろ!」 異世界の住人たちの談義は留まること無く続く。 そうして夜は更け、やがて夜明けを迎えるだろう。 星の瞬く空を見上げ、夜明けの太陽を見つめ、三人は故郷を思う。 ——いつか必ず、帰るのだと。
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