オープニング

 広大なヴォロスの大地の片隅に、シエラフィ地方と呼ばれる土地がある。
 古に栄えた王国の名だけが遺るその地のほぼ中央、草原に囲まれた森がある。緩やかな丘の態を成した森には、かつての王国の城が樹蔦に埋もれ、時に呑まれようとしていた。王城に封ぜられし呪いごと。封印を護りし最後の王ごと。
 けれど、今は――


 王城に代わり、ひともとの大樹が聳えている。
 ひとつの森にも見える大樹の脇、穏かな黄金色した木洩れ陽を浴びて、飛空船が一隻、大地に降りている。船首は砕け、船腹のあちこちに大穴を開け、最早飛ぶこと難い飛空船は、縦横に大地を走る大樹の根の上にその巨体を休めている。
「箱舟、修理しないのかいー?」
 船長の隣で飛空船を仰ぎ見、キース・サバインは金色の鬣を大樹から吹き下りる風にのんびりとそよがせる。
「砂漠に戻る」
 破れた船腹から荷物を運び出しながら、船長と呼ばれる黒狼の仮面の男は天に伸びる主柱を仰ぐ。
「元々、此処に来る為の船だったからな」
 それに、と船底部分を指し示す。
「動力の竜刻の作用だろうな」
 キースは巨躯を屈めて覗き込む。船底部分から樹の根のようなものが生え、大地に這う大樹の根と絡み合い、同化しようとしている。
「何百年とよく働いてくれたよ」
「此処には住まないのかい?」
 船長とキースが話している間にも、狼の仮面を被った戦士や竜刻使いや女たちが次々に飛空船から荷物を運び出し、船傍に群で控える砂駝鳥の背に荷を積んでゆく。
「砂漠に老人子供残して来てるしなあ」
 船長はごつい指で黒狼の仮面の頬を掻こうとしてやめる。キースの傍にしゃがみこみ、低く囁く。
「……大勢、死んだからな」
 荷の内には先の戦いで朱の蛇獣に殺された戦士たちの遺体もある、と船長は仮面を伏せる。
「とにかく一度砂漠に帰る。此処に、王のお傍に戻るかどうか決めるのはその後だな。長老のバァさんと何人かは此処に骨埋める腹のようだが」
「そうかぁ」
 キースは木洩れ陽の色した丸い眼を伏せる。短い黙祷を箱舟に捧げる。先に戦場となった森に捧げる。
「昔っからの憂いが大方消えたってのは有難いけどな。あんたたちのお陰だ」
 伏せた顔を上げ、船長はキースの広い背を叩いた。
「乗船員以外の一族の者達も、大体は今現在の郷に帰るみたいだな。此処に残るのは元々旅をしてた者ばかりだ」
「此処が落ち着いたらまた旅に出る、そう言っている者も多いな」
 ひょこり、とクロが顔を出す。黒狼の仮面を背中に下ろし、髭面の顔でちらりと笑む。先の戦いで多少傷は負うているが、行動に支障はなさそうだ。
「王のお傍に残りたいと言う者も居るが、……」
 クロはどこか複雑そうな顔で大樹を見遣る。大人が何十人と輪になっても届かぬほどに巨大な樹の周囲では、狼の仮面被った人々が忙しげに立ち働いている。
 怪我人の治療に当たる者、荷造りをする者、反対に荷を解き長期滞在の為の天幕を設営する者。
「『あれ』の処遇を決めないことには」
 不意に、砂駝鳥の群がどこか弾んだ声で鳴き始めた。
 退化した砂色の翼をばたつかせ、羽毛に覆われた太い喉を震わせ、唄うように鳴く。つぶらな瞳は空の高くを見上げている。
 砂駝鳥達の歓迎の舞いに迎えられ、赤褐色の二対の翼負う玖郎が空より降り立つ。
 大騒ぎする砂駝鳥達を物珍しげに眺め、船長は玖郎に笑いかける。
「あんたの翼にでも惹かれるのかね」
 はしゃぐあまり手綱を振り解いた若鳥一羽が玖郎に体当たりに近く擦り寄ってくる。
 二対の翼を僅かに広げて身体の均衡保ち、玖郎は砂駝鳥の太い首を抱きとめる。
「かれらには地を這うに足る誇りがある」
 砂駝鳥の頭に胴を持ち上げられ、強い爪の生えた猛禽の肢を宙に浮かせて、けれど平然とした風で玖郎は答える。思い出したようにクロを見る。
「翼持つ者と会話はかなうか」
 嘴を模したような鉢金越しに見据えられ、クロは視線を惑わせる。
「かなわぬか」
 玖郎は鳥じみて首を傾げる。砂駝鳥が玖郎を真似て首を曲げる。
「……来てくれ。キースも」
 大樹を仰ぎ、クロは歪む髭面を隠して黒狼の仮面を深く被った。
 クロに連れられ、箱舟から離れる。大樹の根元、人の胴よりも太い根が絡み合って持ち上がって出来た、城への唯一の入り口を潜る。以前通った時よりも大きく広がった根の隧道には、所々から陽の光が流れ込み、斑に白く明るい。
 一族の脅威である朱の蛇獣が小さな残滓のみとなっても、王の元に続く道を律儀に守り続ける白骨姿の門番に通行者の名を告げる。
「『あれ』と話すことは出来る」
 光が零れ落ちる根の隧道を、キースと玖郎を先導しながらクロはどこか苦しげに言う。
「……但し、シロを通じてだ」
「どういうことだぁ?」
 先の朱の蛇獣との戦いの際、シロは蛇獣の本体に最も近い大蛇に咬まれ、負傷している。
「あの子の傷は治りつつあるが、……箱舟の銀狼婆さまが言うには、蛇獣本体の血があの子に大量に流れ込んで、地を駆ける一族の血と複雑に混ざり合ったとかでな」
 クロの肩に担がれた、短槍の穂が震える。
「『あれ』が使ったような、己の血を使役する術を得た。『あれ』と心を通わせるようになった」
 いっそ無感情な声でクロは続ける。
「ある程度の意思疎通はあの子なしでも可能だが、込み入った話をしようとするとあの子に『あれ』の心内を通訳してもらわねばならん状態だ」
 僅かな逡巡の後、恥ずかしい話だが、と零す。
「朱の蛇獣を倒す為に集い、一族の念願を漸くにして果たして、我々一族は分裂しようとしている」
 王に従い、朱の蛇獣の残滓を一族の守り神として祀ろうとする者達。
 王に抗い、朱の蛇獣の残滓をその力受け継いだ少年と共に葬り去ろうとする者達。
 そのどちらにも属さず、元の生活に戻ろうとする者達。
 シロの変化を知る者は一族の一部に限られているが、とクロは続ける。
「念のため、あの子と『あれ』は、王の庇護を受け宝物庫に籠もっている」
 優君が先に宝物庫へ向かってたなぁ、とキースは思う。
「おれが呪いの根源の存命させるものいいをしたためか」
 玖郎の直截な言葉に、クロは慌てて首を横に振る。自嘲気味に短く笑う。
「長く離散していた一族だ。一枚岩には容易くなれん」




 大樹に抱かれた宝物庫の央には、瑞々しい枝葉を繁らせ、もうひともと、樹が育っている。
 その樹の根元、蓋を固く閉ざされた黒柩の蓋に腰掛け、片目の抜けた白狼の仮面を背に負うて、白髪を肩で切り揃えた少女が三角おむすびに口をつけている。
「祭事を行おうと思うておる」
「お祭り?」
 少女の隣に腰掛け、相沢優は水筒を傾ける。カップに味噌汁を注ぎ、少女に――かつて孤児の王と呼ばれた地を駆ける一族最後の王、シエラに手渡す。
「箱舟の婆殿がの、魂鎮むるには祭事じゃと言うた。準備が整い次第、執り行う手筈となっておる」
 湯気の立つカップに息を吹きかけ、シエラは小さく頷く。
「蛇獣をこの森の守り神に祀り上げ、日々祈り奉る。蛇獣滅せし後は最後の王として、城崩して長年の呪縛より一族を解放し、己を葬るつもりじゃったが、……婆殿に言われた。守り神に祈り捧げる巫女となるも最後の王の務めではないかと」
 少なくとも、とシエラは微笑む。
「次の巫女が現れるまでは此処を出ること叶わぬのう」
 宝物庫の床に施された呪術の陣を一歩でも離れれば、何百年と時を止めてきた王の時間は一気に進む。その身は塵芥となる。
「祭事まで、もう暫くかかるがの」
「お祭りか」
 優は夜色の眼にふうわりと笑みを浮かべる。膝に乗せた大きな弁当箱から海苔を巻いた俵型お握りを取り出し、黒柩の裏側にしゃがみこんで膝を抱える白狼の仮面の少年、シロに差し出す。
「シロも」
「いらない」
「美味じゃぞ」
 王に促され、シロは仮面の顔を俯かせる。俯いた先、とぐろを巻く翼持つ小さな赤い蛇と眼が合い、
「……うるさい」
 拗ねた声で呟く。翼持つ蛇は赤い鱗の頭をもたげ、ちろりと二股の舌を覗かせる。
「うるさいったら」
 シロは繰り返す。抱えた膝に顎を乗せる。
 胴に巻いた包帯はひどく痛々しいものの、動きに大きな支障は無さそうに見えて、優はそっと安堵する。
「蛇獣が何ぞ言うたかの」
 シエラが穏かに問う。
「メシ食えって。食わなきゃ怪我も治らないって」
 シロは仮面を樹の根這う床に置く。優が再度差し出したお握りを受け取って、ゴメンナサイと小さく呟く。柔らかく笑む優に、照れくさそうに笑み返す。
 シロはお握りの海苔を物珍しそうに剥がし、食うか、と翼持つ蛇の鼻先に摘まんだ海苔をぶら下げた。
 太い樹の枝が梁のように重なり合い、鮮やかな青空を支えている。
「風吹き降りるが心地良うての」
 大樹の内部におそらくは唯一残った王城の残骸の宝物庫の中心に腰を据え、シエラは木洩れ陽仰いで蒼眼を細め、ふと首を傾げる。
「お主ら、何を――」
 シエラの仕種と声に、優はシエラの視線を追う。 
 青空に重なる梢に狼の仮面被った男女が数人、武器携えて影のように立っている。ほとんど気配を感じさせず、数名のうちの五名が梢から樹の根這う床に飛び降りる。
「シエラ、シロ、俺の後ろに」
 抜き身の武器を携える男女を警戒し、優は立ち上がる。シエラとシロを背後に、男女の前に立ち塞がる。
「一族の者達だ、心配無用」
 明るい声でシエラが言う。軽い足取りで無言貫く男女五人の前に立つ。
「何ぞ、用か」
 幼い姿の王に屈託のない笑みを向けられ、仮面に覆われ表情の窺えぬ男女のうちの一人が前に進み出る。その手に、抜き身の短剣。
 木洩れ陽の光を蒼白く反射させる刃が、優の背後、翼持つ蛇を肩に貼り付かせたシロを指す。
「あれは第二の朱の蛇獣となりましょう、王よ」
 男の言葉に、シエラの笑みが一転、悲しみに深く沈む。
「それは決してさせぬ」
「朱の蛇獣がどれだけの同胞を喰らったか、ご存知か」
 淡々とした声音で、男はシエラに向け踏み出す。足を踏ん張り両腕を広げるシエラに向け、
「旧き王よ」
 怒り押し殺した低い罵声を浴びせる。刃を王に向ける。
 優がシエラの腕を引く。その背にシエラを護るよりも速く、刃の先がシエラの細い肩を掠める。
「シエラ!」
 王の名を呼ぶ声は、優のものと、宝物庫の入り口に今辿り着いたキースのもの。
 キースと玖郎を宝物庫まで案内してきたクロが、王に反逆の意志示した一族の男女に向けて制止の声をあげる。
 キースが狩人の素早さでシエラを傷付けた狼の仮面の男に飛びかかる。獅子の毛に覆われた巨躯が軽々と宙を舞う。狼の仮面の男の振るう短剣の刃を、強靭な黒い爪が弾く。逞しい腕の一振りで男は吹き飛び、昏倒する。
 シエラと優を背に庇い、キースは片腕を広げる。陽の色した優しい眼を哀しげに歪ませる。
「はらからを殺めるか」
 玖郎は猛禽の肢で地を蹴る。赤褐色の翼広げてシロと翼持つ蛇の傍らに立ち、短く告げる。
「ふたたび呪いを巡らせるか」
 玖郎の言葉に応じて、蛇獣が呪ウゾ呪ウゾ、と小さな翼をはためかせる。武器持つ狼の仮面の男女が怖じたように身を引く。
 蛇獣は血色の翼を出来る限り大きく広げる。掌ほどの蛇身を懸命に大きく見せて牙を剥き、己を滅しようとした男達を威嚇する。呪ウゾ呪ウゾ、か細い声で繰り返す蛇獣の尻尾をシロが無造作に掴む。怖いもの知らずの悪童の仕種で蛇獣を掴み上げ、縄でも振り回すようにぐるり、振り回す。
「そんな力残ってないだろ、オマエ」
「止せ」
 緊張で嗄れた声を上げるクロに、――己の父親に、泣き出しそうな笑みを向ける。
「平気」
 眼を回してだらりと弛緩する蛇獣の尻尾を掴んだまま、
「王さま」
 優に支えられて立つシエラを呼ぶ。疲れ果てたように、覚悟を決したように、息を吐き出す。
「おれ、こんなになっちゃったし、……こいつと一緒にお城の地下に閉じ込められたのがいい? それとも、皆が言ってるように皆に殺された方がいい?」
「ならぬ!」
 シエラは地団駄を踏む。一族の男に傷付けられた肩口から血を流しながら、悲鳴に近く喚く。
「じゃあ、」
 片手に翼持つ蛇を提げ、もう片手に地を駆ける一族の証である狼の仮面を持ち、シロは途方に暮れて立ち尽くす。
「どうすればいい?」



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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
 相沢 優(ctcn6216)
 キース・サバイン(cvav6757)
 玖郎(cfmr9797)
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品目企画シナリオ 管理番号2991
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント 企画シナリオのオファーを、ありがとうございます。
 お待たせいたしました。蛇獣戦記のその後のおはなしです。

 その後、に関わって頂けますの、とても嬉しいです。
 状況はちょっとごたごたっぽくなってしまっていますが。
 シエラとシロと蛇獣と、地を駆ける者達に、お三方はどう関わって頂けますでしょうか。

 ご参加とプレイング、お待ちしております。
 よろしくお願いいたします。

参加者
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)
キース・サバイン(cvav6757)ツーリスト 男 17歳 シエラフィの民

ノベル

 立ち尽くすシロを見詰めたまま、言葉を失うシエラの腕を血が伝い落ちる。
 キースと蛇獣に威嚇され、玖郎に問われ、蛇獣を滅さんとした侵入者達は動きを止める。自問するよう黙り込む。
 表情の読めぬ狼の仮面の者達の動きを警戒しながら、優は唇を引き結ぶ。弁当箱を包んでいた布を黒柩の上から取り、今にも泣き出しそうに顔歪める幼い王の傷付いた腕を布で縛る。手早く止血する。
「シロはどうしたいんだ?」
 宝物庫に満ちる沈黙を破り、優は静かに問う。
「『それ』の意見なんか!」
 侵入者の内の一人が引き攣った声で喚く。手にした長棍を低く構え、同族の少年に向け突進する。
 シロは身動ぎもせず深く瞼を閉ざす。一族の大人に打ち据えられる瞬間を待つ。
 けれど身体に降る筈の痛みはいつまでも訪れず、
「シロ」
 瞼開いてシロが見たのは、打擲しようとした者が鳩尾抑えて蹲る姿と、その脇に立つ優の姿。
「他の誰でもない、シロの意見を聞かせてくれ」
 静かに静かに、優は繰り返す。曇ることを知らないかのような澄んで明るい夜色の眼に、キースや玖郎と比べてしまえば細身にさえ思える伸びた背に、シロは紛うことなき怒りを見る。
「おれ、」
 勇気を振り絞るように背を伸ばす。
「……旅に出たかったんだ。隊商の皆と旅するのも楽しいけど、一人で色んなものを見たかった。夢だった」
 夢を過去形にして、首を横にする。片手に下げた蛇獣を見下ろす。
「でも、皆がおれを見て嫌な気持ちになるのなら、死んじゃった誰かを思い出して悲しくなるのなら、おれは、」
 殺された方がいいんじゃないかな。蛇獣の血を継いだ少年は真顔で呟く。その傍らに優は大股に歩み寄る。無表情に見仰いで来るシロの青い眼を覗き込み、その白い短髪の頭を片手で抱く。肩にきつく抱き寄せる。己が拳で動き封じた者に向け、固い声を放つ。
「憎しみと不安で、貴方達がここでシロ達を殺したらどうなるか、考えた事はありますか」
 どうあっても殺させたりはしない、とシロの頭を一層強く腕に抱く。
 呆然と立ち尽くすままだったシロが、狼の仮面を持った手で優の服を掴む。
「嫌だ、死にたくなんかない」
 シロの悲痛な声に、小さな蛇がぴくりと血色の翼を震わせた。細かな鱗に覆われた蛇身をもぞもぞと動かす。頭を持ち上げようと、尻尾を掴むシロの手を這い登ろうとする。
 動きを取り戻す朱の蛇獣の残滓に、侵入者達が反射的に武器を構え殺気立つ。
 片手にぶら下げられたまま、蛇獣は紅い眼で大人達を睨む。血色の翼が威嚇の形に広がる。
「蛇獣君が呪うって言うのはねぇ、俺達が殺そうとしているからだよぉ」
 武器構える狼の仮面の大人達に獅子の大きな身体で向き合い、キースは殊更のんびりと言ってみせる。泣く子さえつられて笑いそうな、柔らかな笑みを金色の眼に浮かべる。
「何もしなければ、襲ってくることはないと思う」
 一薙ぎで数人を倒すことも出来る頑強な筋肉に覆われた太い両腕を広げ、シエラを、シロを、最早誰を殺める力も失くした蛇獣の残滓を、その背に隠す。
「何かあった時に戦うのは我々だ」
 殺意を隠そうともしない大人達に、まだ信じてないかなぁ、と少し困った風に鬣を肉球の掌で撫でる。けれど、と柔らかな笑みの奥に強い意志を滲ませる。
「何かあった時には皆に危害が無いようにシエラ君と止めて見せるから」
 キースの言葉にシエラはほんの僅か、首を傾げる。
 それは、旅の最中にある者の言葉ではないように聞こえた。
 旅人であることを止め、シエラの居るこの地に、ヴォロスの大地に根を下ろそうとする者の言葉に、シエラには聞こえた。
 キースの背に護られるばかりだったシエラが、キースの隣に並ぶ。己を旧き王と罵倒した己の一族の末裔達を強い眸で見詰める。
「今は剣を納めてもらえないかな?」
 穏かに、懇願の態でキースが言う。
「貴方達は戦いの連鎖を続けるつもりですか」
 シロと蛇獣を腕の中に守り、優が畳み掛ける。
 樹上より風が降る。玖郎が背に負う赤褐色の四翼が揺れる。
「ここにいたる経緯を認識した上で判ずるべきだな」
 猛禽の翼と肢持つ男の言葉に、侵入者達がどこか怯える風に身動ぐ。
 禍根を断たんと武器を手にした人間達に、玖郎は鉢金に覆われ表情の読めぬ顔を向ける。優の腕に縋り付く白狼の仮面手にする少年の身の内に、蛇獣のそれに近い力の塊を見て取る。
 シロの身に宿った、同胞を多く殺めたものと同じ力に怯えた為、彼らは蛇獣と共にシロを殺めようとしているのだろう。けれど、蛇獣の力を得た者ならば尚のこと、
「殺めれば終わると思うのか」
 責めるでもなく、恬淡と玖郎は続ける。
 人の思いに因って生じた物の怪である玖郎は、故に思う。
(ひとは死しても終わらぬ)
 人を俯瞰し続け、人に関わり続け、知り得た。終わらぬ思いはかたちを成す。終われぬ思いがすがたを成す。
(生者の未練は墓を成し、死者の未練は妖と成る)
 それは世界を違えても大きく変わらないのだろう。
 朱の蛇獣との戦に際し、玖郎は蛇獣の呪いの根源を探ろうとしている。そうして、朱の蛇獣が翼持つ一族の呪詛のみで象られたものでないことを知覚している。朱の蛇獣は、かつて蛇獣との戦いで命を落とした、地を駆ける一族の戦士達の無念をも擁していた。
 今この場で、朱の蛇獣の力得たシロを、呪いの残滓である翼持つ蛇を殺めて、
「こたびの戦死者がその羽翼にならぬと断じられるか」
 虚空へと意識の腕を伸ばせば、この戦で朱の蛇獣に喰われ命を落とした狼の仮面の者達の魂魄が幾つも感じられる。
 蛇獣に喰われた身体の痛みを訴えるもの、未だ戦えると狂乱するもの、誰かの名を繰り返し呼ばわるもの――
 終われぬ思いが数多漂う。未練が渦巻く。
 シロと翼持つ蛇が同族に殺められ、未練抱いて呪いの中核と成してしまえば、虚空に漂う未練は容易くかたちを成す。生けるものを怨み殺めるだけの存在と成り果てる。
「はらからを殺めによみがえろうとかまわぬか」
 玖郎の言葉に、侵入者の男が獣じみた声で唸る。
「息子が朱の蛇獣に喰われた」
 己が内にある怒りを踏み潰そうとするかのように足を踏み鳴らす。
「戦の故と耐えようともした!」
 男の被る狼の仮面が俯き震える。
「……呪いたくば呪え、恨み晴らさずには居られぬ」
 無表情な狼の仮面が前を向く。男の持つ槍の穂先が蛇獣の残滓に向く。威嚇じみて牙を剥く翼持つ蛇を、蛇持つシロを庇い、優が槍の線上に身を割り込ませる。
「退け小僧」
 男は吐き捨て、槍を構える。
 優は曲がらぬ眼差しを男に向ける。狼の仮面に隠れて表情は読めない。けれど、哀しい顔をしているのだろうと思う。
 親しい者を戦で喪った、心を穿つ哀しさを悔しさを、知らぬわけではない。男の、彼らの気持ちが分からぬわけではないからこそ。
 だからこそ、思う。
(次の呪いへと繋げてはならない、次の戦いへと繋げてはならない)
 万が一にでも一族の誰かにシロが殺されてしまったら。蛇獣が滅されてしまったら。それはきっと一族内での諍いに繋がる。
(シロと蛇獣を閉じ込めても、きっと同じ事だ)
 そうしてしまえば、哀しみが連鎖する。滞った負の感情は、それこそ第二の朱の蛇獣を生み出す元になる。
 そうなってしまえば、今、シロ達を殺そうと息巻いているこの人達だってきっと辛い。
 戦いの連鎖は、断たなくてはならない。
「俺達は、貴方達と話しあう事を諦めない」
 貴方達が、結果がどうあろうとも、どれだけ考えてもシロ達を殺すと言う選択をするとしても。どれだけの武力を以て襲って来たとしても。
(俺達は何度だって貴方達を止めてみせる)
「諸共に死ぬか!」
 激昂し怒鳴り散らす男の身を、ざわり、と強い風が圧す。宝物庫の央に屹立する樹がざわめき木の葉を散らす。
 猛禽の翼に風を巻き、玖郎が宙を駆ける。地を駆けるよりも速く、男の傍らに降る。槍の穂先を爪の手甲で絡め、樹の根の床に引き落とす。
「遺恨を呑みただ耐えろとは言わぬ」
 槍を押さえ込み、妖は素っ気無く告げる。
「潰し合いが不可避でなくば、互いの益となるよう執り成せ」
 穂先捕える鉤爪の手甲を払いのけようと、男は槍持つ腕に力を籠めるも、猛禽の翼と肢持つ妖の身は微かも動かぬ。
「滅びを逃れたくば、聡く強かであれ」
 互いに互いの動きを封じながら、二重鉢金の面と狼の仮面が見合う。一族離散の憂き目に遭い、正に滅ぼうとしていた地を駆ける一族の末裔の男は、それでも、己の感情に折り合い着けられずに低く唸る。
「ちからは道具とおなじぞ」
 玖郎は淡々と述べる。
「感情できりすてる前に、どう生かすかを惟ることだ」
 槍の樹柄が軋む。双方から常ならぬ力掛けられ、荒い造りの槍の柄が砕けて折れる。武器失い、男は暫く呆然とした後、膝からくずおれた。折れた柄握り締め、深く深く、苦しげな息を吐き出す。
「もう一度、よく考えて下さい」
 眼前に立つ者達に、樹上に立つ者達に、優は懇願する。共に朱の蛇獣に立ち向かった者達を信じるからこそ、再考を促す。
 その為にも――
「シエラは、どうしてシロ達を殺してはいけないと思うんだ?」
 キースの隣で黙するシエラの小さな背に、優は問う。
「話した方がいい」
 優の声に背を押され、シエラは頷く。
「言いたき旨は大方皆が伝えてくれたがの」
 肩で揃えた白髪を揺らし、武器を携えたままの一族の末裔達の傍へ無警戒に歩み寄ろうとする。
「シエラ」
 キースの呼びかけに、ひょいと振り返り、
「シロと蛇獣を頼む」
 何処か食えない笑みを浮かべる。キースの一撃で伸びたままの者を王の意に従う樹の根に持ち上げさせ、鳩尾抑えて蹲る者の背を小さな手で撫でて立たせる。折れた槍持つ者の手を取り、小さな子供の手を引くように立ち上がらせる。
「お主らも来んか」
 残る二名と、樹上に控える数名の襲撃者達に、暢気な、けれど有無を言わせぬ口調で呼びかける。旅人達に毒気を抜かれた襲撃者達は旧き王の命に大人しく従い、宝物庫の端に寄る。小さい身体で仁王立ちになる王の前に、ともかくも話を聞く体勢で座する。

 

 クロの手から離れた槍が樹の根の床に転がる。槍の穂が樹を叩くと同時、床に膝を付く。黒狼の仮面を頭から引き剥がし、背中を丸め蹲るようにして息を吐き出す。
「クロは、どう思うんだ?」
 優に問われ、クロは深く俯けた顔を上げた。膝に手を付いて立ち上がる。シロ、と息子を呼ぶ。優の腕にしがみついていたシロがびくり、と身を震わせる。どこか恐る恐る父を振り返り、何か言おうとして口ごもる。
 シロの指に掴まれていた蛇獣がキィキィと情けない声で鳴いた。蛇身を捩り、シロの手から脱け出す。ぺたりと樹の床に落ち、にょろりとシロの足に絡みつく。血色の牙を剥き出し、
「ぃい痛ってぇ!」
 シロの脛に噛み付く。素っ頓狂な悲鳴を上げ、シロが優の腕を離す。飛び跳ね転がり、足に巻きついた小さな蛇を振り解く。
「何すんだよ!」
 激しく振り払われ、血色の蛇は宙に舞う。玖郎の足元近くに叩き付けられ、べたんとその形を崩す。ぶるぶると震えながら、崩れた身を持ち上げる。元の翼持つ蛇の形を取り戻そうともがく蛇獣を、玖郎は首を傾げる格好で観察する。
 鷲に見つかった仔蛇は潰れた格好で身を凍らせた。玖郎は爪の手甲を外し、素手で潰れた仔蛇を摘み上げる。掌に乗せられ、蛇獣は様子を窺いつつ元の形を取り戻す。
 齧られた足を擦るシロに向け、蛇獣を片手に乗せて玖郎が問う。
「おまえは、どうありたい」
 シロは座り込む。父と向き合うことを先延ばしにする。難しいような情けないような顔をして頭を捻る少年の傍、獅子の鬣を揺らしてキースがしゃがみこむ。
「俺は、君は自由に生きていいと思うよぉ」
 巨躯を丸め、暁の金色した眼を柔らかな笑みに細める。皆に殺されても良いと、蛇獣と共に地下に封ぜられても構わないと言うことが出来るこの子は、きっと誰かを殺したいなんて恨みを抱いたりはしていない。
「シロ君なら大丈夫だぁ」
 肉球の掌で頭を撫でられ、シロは全身から力を抜くように笑った。キースの優しさに力を得て、赤褐色の翼持つ玖郎を見上げる。
「元には戻れぬ、って箱舟の婆様は言うし、……このままで、居るよ」
 朱の蛇獣と一部同化した童に、玖郎は次いで問う。
「おまえは、この蛇獣をどう思う」
 どうって、とシロは玖郎の掌でとぐろを巻く蛇獣を見る。期せず己が血を分けてしまった子供の視線を受け、蛇獣は二股の舌をちろりと出して照れた。
「そいつ、悪い奴じゃないよ」
 しかめっ面でシロは小さく言う。見仰ぐ先で、鉢金の下の引き結んだ唇がほんの僅か、笑みに似て緩んだ気がした。
「なればこの先仇とならぬこころを護持するとよい」
 玖郎は己の掌の上で血の翼を開いたり閉じたりして遊ぶ仔蛇を見下ろす。蛇身を瘡蓋のように包み込み、朱の蛇獣の名を冠せられる魔物を象らせていた膨大な怨嗟の念は、今はもう感じられない。
「もはや脅威とならぬ」
 天狗のお墨付きを得て、仔蛇は嬉しげに翼を広げる。水中を泳ぐように蛇身をくねらせ、空に跳ね上がる。宙返りして再び玖郎の掌上に落ちる。
 立ち上がろうとしたシロの肩が僅かに強張ったのに気付いて、キースは大きな掌でその背中を軽く叩いた。少年と頭の高さを合わせ、不安を宿す眼が映すものを探す。
 シエラ王と同じ色した青の眼を捕えているのは、シエラ王の小さな背中と、彼女を囲む一族の大人達。シロを殺そうとした人々。
「大丈夫だぁ」
 のんびり暢気に、キースは笑ってみせる。
 シロが蛇獣の思いを伝えられるって分かったら、蛇獣が『悪い奴じゃない』って分かってもらえたら、
「きっとさっきみたいなことはなくなるよぉ」
 小さく頷くシロの眼に、それでも不安が消えないのを見て取り、シロはもう一度少年の背中を叩く。
「不安がなくなるまで、ここに残ったらいいんじゃないかなぁ」
 少年の不安を掻き消そうと、逞しい腕に力瘤を作ってみせる。おどけて笑ってみせる。
「三人とも、俺が守るよ」
 笑顔の奥でキースは決意を強める。
(そのためにも、シエラに赦してもらわなくちゃ)
 ここに残ってもいいと。この地に居ていい、と。
 蛇獣の残滓が小さな翼を羽ばたかせ、小さな風を巻き起こす。ハナセ、と甲高い声で叫ぶ。蛇獣の声の内に何を聞いたのか、シロは眉間に皺寄せて大人しくクロに向き合う。立ち上がり、眼を逸らしたそうにしながらも父親の顔を見上げる。
 父子は向かい合ったまま、無言で睨みあう。
「シロ」
 先に手を伸ばしたのは、父。
 一族の者を数多殺めた朱の蛇獣と同じ力を得た息子の両手を、息子が宝物庫に籠もって以来初めて、己が両手で掴む。頼む、と祈るように言葉にする。
「生きてくれ」
 父の願いを受け、シロが安堵の笑みを浮かべる。小さな蛇がケケケと笑う。
 手を取り合う父子に、優は夜色の眼を和らげる。一族の末裔達に語りかけるシエラの声音が穏かに澄んでいること、小さな少女の背にいらぬ力が籠もっていないことを確かめて、玖郎の掌で妙に落ち着く蛇獣を覗き込む。
「名前、あるのか?」
 シエラもシロも、蛇獣とだけ呼んでいた。クロや一族の大人達は蛇獣と呼ぶことさえ厭うていた。
「名前があるのなら、教えてくれないか」
 首傾げる仕種をする小さな蛇の、木苺の色した眼を覗く。
 玖郎の掌上で羽毛の翼をゆっくりと動かし、朱の蛇獣の根源であった朱翼持つ仔蛇は、かつての己の翼を叩き斬った黒髪の青年を見詰める。
「こないだ、殺そうとしたことを謝りたいんだぁ」
 キースが心底申し訳なさそうに巨躯を屈める。
「君が誰かを殺そうとしない限り、もう殺そうとしない」
 朱の蛇獣の身に、結果として止めを刺した獅子の獣人に丁寧に詫びられ、
「誓おう」
 優しい金色の眼で断言され、蛇獣はたじろいだように蛇の頭をきょろきょろさせる。玖郎の掌から宙に飛び出す。シロの頭の上に着地する。
「健やかに生ける者達すべてを恨み、殺そうとしたのは私も同じ。そんなに優しくしていいのか」
 短く刈った白髪の頭から滑り落ちかける蛇獣を片手で支え、シロは蛇獣の心を訳す。
「フィ? え、何お前、フィーって名前なのか」
「そうか、フィーか」
 蛇獣の名前を知り、優は朗らかに笑む。シロは複雑なような不思議な顔で優を見る。
「古い言葉で『花』の意味なんだけど、……女だったのか、お前」
 シロは意外そうに呟いて、蛇獣に翼ではたかれた。
 玖郎は仔蛇の離れた掌に手甲を填め直す。シロの髪の毛に噛り付いて体勢を保つ紅色の翼持つ蛇に、鉢金の顔を向ける。
 朱の蛇獣と戦う直前、狼面の王より、勝者の側からの翼持つ者と地を這う者との戦の経緯を聞いた。
 なれば、とふと思った。
 敗者の側からの戦の端緒とはどのようなものであったのか。
 玖郎の祖は、『敗者』だ。己を殺めた『勝者』を殺めるべく、己が地を護るべく、天駆ける翼持つ鳥に己が身を捧げ妖と化した『敗者』。
 敗者の側からの歴史を、己が祖と同じ経緯持つ者に、
「いくさの端はわかるか」
 勝者と敗者に別たれた親持つ蛇獣に、問う。
 地を這う一族の末裔の少年の口を借り、翼持つ者は古き時代の戦を語る。
「竜刻の奪い合い」
 古き時代、翼持つ者は翼のみにて天駆けるには足りず、この地の下に眠る竜刻を掘り出し精製し、空を駆けた。
 古き時代、地を駆ける者はある種の樹木を手足の如く操るに同じく竜刻の力を求めた。
「双方力を求め、力で奪おうとした。互いに互いを害しあうに至るまで、間はかからなかった」
 蛇獣の言葉を伝えながら、シロは俯く。
「おまえの親は如何した」
「翼持つ一族の王子と地を駆ける一族の王女が、戦終わらせようと二つ血を継ぎし私を生み、故に双方の一族の手に掛かった」
 半ば他人事の視点で蛇獣は語る。
「おまえは何故囚われ更なる地下に及び、そこでなにが起きた」
 シロの頭上で、朱の蛇獣の残滓は鎌首をもたげる。シロが吐き出すように応える。
「王子と王女誅する事拒んだ地を這う者の女王と共、私は地下に捕われた。そうして、数年を牢に暮らし、――その内に狂いし女王がこの身にその命懸けた呪詛を封じ、地下牢より尚深い地の底に埋めた。この地に生きとし生けるものを悉く呪い恨み殺めよと」
 幼子が呪いの根源となるまでを聞き出して後、玖郎はフィーと名乗る仔蛇に問う。
「翼人と狼面の者をどう思う」
 そして、と重ねる。
「おまえは、どうありたい」
 フィーは蛇身の背の翼を羽ばたかせる。戦治める為に産み落とされ、戦起こす為に殺められ、朱の蛇獣と化した少女は、初めて向けられた問いに不思議そうに紅の頭を傾げる。
「どう思うかを知りたい。どうありたいかを知りたい」
「フィー」
 玖郎は翼持つ蛇の名を口にする。
(翼あるおまえには、広き空の下でいきてほしくもあった)
(宿怨にとらわれず、童とともに世を眺むもよいと)
 己が思いは口にせず、ただ短く、玖郎は祈る。
「おまえが自由に羽ばたけんことを」
 それがこの鎮守の杜に限られようとも。




 黒柩の上に腰を下ろして、優手作りのお味噌汁を啜り、シエラは温かな息を吐き出す。
「皆のお陰じゃの」
 侵入者達の姿は宝物庫内にもう無い。
「シエラは、フィー君の巫女になるんだってねぇ」
 シエラが侵入者達の説得に当たっている間、クロから聞いたシエラ王の
行く末をキースは本人に確かめる。うん、とシエラは頷いた。
「フィー君は、この地の神様になってくれるんだよねぇ」
 王の傍ら、父親と並んで立つシロの肩にだらりと垂れる小さな蛇は、キースに声を掛けられ、返事の代わりに翼を羽ばたかせる。
「なってみてもいい、……ってそんないい加減でいいのかお前」
 シロがフィーの心を訳して突っ込む。キースは顔中で笑い、ふと金色の眼を沈ませる。
「俺はねぇ、シエラ」
 怖かったんだ、と静かに述懐する。
「シエラが、死ぬつもりなんじゃないかって」
 それが何より怖かった。折角寂しくなくなったのに、務めを果たしたからって消えてしまうなんて悲しすぎる。そう思った。まだまだたくさん、話をしたかった。まだまだたくさん、笑いあいたかった。一緒に笛の練習もしたかった。この地で、この城で、――
 キースは居住まいを正す。
「俺、この城に留まりたいんだぁ」
「それは、……」
 シエラは一瞬跳ねるように頷きかけ、そのまま深く俯く。
「キースは、この地に縛られると?」
 王城を護り王城に縛られ続けた王は、声を固く凍らせる。
 キースは、そうじゃない、と首を横に振る。
「俺がただここにいたいんだ」
 己の思いを必死に言葉にする。
「この場所とシエラのこれからを傍で見たいんだ、さっきみたいなことが無いようにしたいんだ」
 シエラ、と優がどこまでも真直ぐな眼差しでシエラを見詰める。
「キースさんの選択と想いだけはきちんと受け止めてほしいんだ」
 優とキースの誠実な眸を受けて、シエラは俯けていた顔を漸く上げた。 優に頷いて見せる。両手に握り締めていた味噌汁入りの碗を黒柩の上に置き、床に足を下ろして立ちあがる。正面に膝を揃えて座るキースの前に膝を付く。温かな色の毛に包まれた大きな手を、小さな両手で握る。
「斯様に望んでくれる事、とても嬉しく思う」
 青い眼に、いっぱいの笑みが溢れる。両手で手を掴むだけでは足りずに、幼い子供の仕種でキースのもふもふの腹に抱きつく。
「本当に此処に居てくれるのか! 一緒に居てくれるのか!」
 でも、とすぐに大人びた顔を上げる。
「旅人である事に未練はないか? 此処に落ち着く前に会わねばならん人は? 此処に移る準備もせねばならぬな?」
 矢継ぎ早に言って、心底嬉しげにくすくすと笑う。
「嬉しいのう、ずっと此処に居ってくれるんじゃの?」
 幼い王の喜びにあてられ、シロが跳ねる。シロの肩にしがみついていた蛇獣が落ちかけ、迷惑そうに翼を羽ばたかせる。少年の肩よりも落ち着きそうな玖郎の肩に避難する。
 蛇獣の羽毛の翼に頬を撫でられながら、玖郎は鉢金の下の眼を眇める。
「この杜を巣とするか」
 獅子の獣人の頭上、王や一族の者の頭上に確かめられる真理数と同じ数字が、金色の木洩れ陽に木の葉のように閃き、瞬いている。


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 王城での一幕、お届けいたします。

 今までの事柄と、今回の一件もありまして、キースさんに帰属の兆候が現れました。とはいえ、帰属までにはたぶん色々と準備もあると思います。準備が整われましたら、シエラの元にお越しください。
 あ、整っていなくても、様子見にお越しくださいますだけでも大丈夫です。
 玖郎さんはつくづく鳥たらしさんだなあと思いつつ。
 優さんの真剣さにきっと色んな方が救われているのだろうなあと思いつつ。

 企画オファー、ありがとうございました。
 またお会い出来ますこと、楽しみにお待ちしております。
公開日時2013-10-25(金) 21:20

 

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