オープニング

「このたびは大変なご心配とご尽力をいただきまして。皆様には何と御礼を申してよいやら」
「まあ、その、なんだ。……ごめんな?」
「……無事で良かったぁ」
「うわーーん! シオンくんのバカぁぁーー!! ラファエルさんのマヌケぇぇぇーー!!!」
『彼ら』の救出に成功したという報を聞き、紫上緋穂と無名の司書、そして幾人かのロストナンバーたちは、その帰還を待ち切れずにホームに待機していた。ロストレイルから降り立つなり、ラファエルは深々と頭を下げる。シオンは面映そうに頭を掻くばかりだ。
「ぐしっ、ぐしっ、びぃぃぃーん」
「ちょーー!? 無名の姉さん、うつくしー純白に戻ったばかりのおれの翼で鼻水拭くのやめてー!」
「……あれ? そういえばこの羽根、なんか前より綺麗になってない?」
「あー、そりゃー、ある意味、ファルファレロのおかげだなー」
 次々にホームに降りてくる一行を、シオンは振り返る。
「はん」
 しかしファルファレロは、多くを語らない。
「おーいヘル。おまえだけじゃなくて、おまえの父ちゃんもけっこーなツンデレじゃね?」
「かもね」
 ヘルウェンディもまた、久方ぶりのターミナルに、ふうと息を吐く。

《比翼の迷宮》には、18人のロストナンバーが出向き、対応にあたった。
 吉備サクラ、ヴィヴァーシュ・ソレイユ、黒嶋憂、ヴァージニア・劉、マスカダイン・F・ 羽空、ローナ、司馬ユキノ、飛天鴉刃、シーアールシーゼロ、相沢優、マルチェロ・キルシュ、メルヒオール、理星、ファルファレロ・ロッソ、虚空、舞原絵奈、ヘルウェンディ・ブルックリン、カーサー・アストゥリカという面々である。
 ひとりずつ手を握りしめ、ぐしぐし泣きながら礼を述べていた無名の司書は、あることに気づいた。
「ねえ……。シオンくん。サクラたんはどうしたの?」

 ――そう。
 ホームに降り立った顔ぶれの中に、吉備サクラのすがたはなかったのだ。

「ああ……、それは」
 シオンは――彼らしくもなく、静謐な笑みを見せた。
「ななななにがあったの? サクラたん大丈夫なんでしょうね!?」
「……うん。それは保証する。ただ、あのさ……」
 司書の耳元で、シオンは事の次第を低く囁いた。
「ななななんですってぇぇーー!?」
 驚愕する司書に、シオンはにやりと笑う。
「詳しいことは、あとでおれたちがじっくりと話すよ。だから緋穂と無名の姉さんは、きっちり報告書にまとめてくれよ?」
「え?」
「え?」
「やー、あんたらが報告書ため込んでるのは知ってるけどさー。忙しがってないで、ちゃんと提出しろよ? 読みたがってる連中も多いだろうしさ」
「う……」
「うう……」

 * *

「いらっしゃいませ。『クリスタル・パレス』にようこそ」
「ご指名の店員がおられましたら、承ります」
 ラファエルとシオンの先導により、シルフィーラと皇帝ユリウスが席につく。
 折しもユリウスは、シルフィーラとの正式な婚姻をヴァイエン候に願い出て、了承されたばかりであった。
「……まぁ。……まあぁ……! ラファエルさまが跪いて接遇くださるなんて、まぁ!」
「ほほう、これはなかなか。見たところ、すなわち『乙女』の心を癒す趣向であるのだな?」
 ヴォラース伯爵領、《雪蛍館》での一幕である。
「侯爵やシオンの、旅先でのお話をお聞きしても半信半疑でしたが……、成る程、さまになっておられます」
 ヴォラース伯アンリは、感嘆して頷いた。
 このたびの結果報告を受け、アンリ・シュナイダーが是非にと要請し、ラファエルやシオン、そしてクリスタル・パレスの店員たちの協力のもと――
 冬のヴォラース領における、【出張クリスタル・パレス】の営業が実現したのだった。

 全面を硬質の硝子で覆った広大なドローイング・ルーム(応接室)は、たしかに、ターミナルのあのカフェの佇まいに共通するものがある。聞けばラファエルは、クリスタル・パレスの外観と内装を構築するにあたり、壱番世界の同名の建物のデザインに《雪蛍館》のイメージを加味した、ということであるらしい。

 ラファエルとシオンの先導により、シルフィーラと皇帝ユリウスが席につく。
 折しもユリウスは、シルフィーラとの正式な婚姻をヴァイエン候に願い出て、了承されたばかりであった。

「ぴぃ……。ぱぁぱ」
 銀の孔雀の雛鳥がシオンを見上げた。シオンは相好を崩し、雛を抱き上げる。
「んんー。よしよし、オディールは可愛いなぁ。大人になったらぱぱのお嫁さんになるかい? んんん〜〜?」
「あきらめなさい。父親はたいてい、娘に振られるものだ」
 ため息をつくラファエルに、シルフィーラがくすりと笑う。
「……娘の気持ちを考慮なさらないと、そうなります」

 * *

 昼から夜半に至るまで、暫定カフェの営業は続いた。
 霊峰ブロッケンに発生した迷宮で、旅人たちの尽力により、《卵》から《雛鳥》になったかつての迷鳥たちも、保護者とともに睦まじく過ごしている。

 雪が、降り始めた。
 満天の星空であるにも関わらず。
 ……いや?
 その一粒一粒は、いたずらな妖精のように、きらきらと輝きながら乱舞していて――
「あれが《雪蛍》です」
 アンリが、すう、と、硝子窓の向こうを指し示す。

 * *


 ドローイング・ルームの端に硝子窓へと向けられた長椅子が一脚、置かれている。景色を見る為の長椅子は大人が2人、並んで座っても余裕のある大きな物だ。大きな樹木から作ったのだろう、美しい年輪の残る装飾は背凭れから腕置きへ、そしてそこから一本の枝生えたかの様に、窓へと伸びている。
 繊細な細工が施された枝の先に、小さなツバメは留まっていた。
 その窓は丁度、大きな影ができる場所らしく《雪蛍》の灯りがはっきりと見えた。ゆらゆらきらきらと、硝子窓の向こうに広がる闇を飛び交う《雪蛍》をじっと見つめていたツバメは、君に気が付くとちょんちょんと小さく跳び、君へと身体を向ける。
「やあ、キミも《雪蛍》を近くで見にきたの? 綺麗だよね。こんな近いと星空を見てるみたいだよ」
 ふと、君は楽しそうに話すツバメの声に違和感を感じる。かひゅかひゅという、何かが引っ掛かっている様な乾いた呼吸が聞こえるのだ。
「ごめんね、よくわかんないんだけど、息をすると変な音がするんだ。大きくなったら治るらしいし、別に苦しいとか痛いとかは無いんだけど」
 ツバメは硝子窓を見上げこう続ける。
「これのせいで疲れやすくって、あまり上手に飛べないんだ。まだヒトの姿にもなれなくて。だから、こんな近くで星空が見られるなんて、とっても嬉しいんだ。あ、勿論、始めてみる《雪蛍》もとっても綺麗だよ。ねぇ、キミは旅人なんだよね? どんな星空を見てきたの?」
 《雪蛍》の灯りは君とツバメの影を足元に映し出していた。



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●ご案内

このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。


【出張クリスタル・パレス】【クリスタル・パレスにて】「【出張版とろとろ?】一卓の『おかえり』を」は、ほぼ同時期の出来事ですが、短期間に移動なさった、ということで、PCさんの参加制限はありません。整合性につきましては、PLさんのほうでゆるーくご調整ください。
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品目シナリオ 管理番号3229
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメント こんにちは、桐原です。
 フライジングへのお誘いに参りました。
 看板が夜空で星空の話題ですが、夜のお話に固定はされておりません。影の中を飛ぶ《雪蛍》を星空の様だと、例えているだけです。 

 【晩秋の迷宮】にて、皆さまに救っていただいたツバメです。病気ではなく、元気です。あれです。蒙古斑のようなものだと思ってください。大きくなったら元気いっぱいです。

 今回もツバメは貴方のお話を聞きたがっています。
 星空を、と聞いていますが、星空よりも綺麗だった景色や印象的な物でも、なんでもいいのです。
 ツバメは、貴方の話ならなんでも聞きたいのです。


 基本的に、貴方とツバメだけの会話です。
 プレイングにて他の方と一緒にいるとない限り、他のどなたもご一緒にはなりませんし、他の誰にも聞かれる事はないと思われます。


 ロストレイルでも、フライジングでも最後のシナリオです。よろしければ、貴方の行く先や終わりを、少しだけ、語ってください。

 それでは、いってらっしゃい

参加者
舞原 絵奈(csss4616)ツーリスト 女 16歳 半人前除霊師
玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)
榊(cdym2725)ツーリスト 男 27歳 賞金稼ぎ/賞金首
橡(cnmz5314)コンダクター 男 30歳 引きこもり侍

ノベル

「孵化以前の記憶は、あるのか?」
 ドローイング・ルームに入るなりツバメの元へと真直ぐにやってきた玖郎は、挨拶も無くそう語りかける。初めて会う旅人のヒト(とはちょっと違うらしい)に意味のわからない事を問われ、ツバメは首を傾げてしまう。
「ボク、君に会った事ある?」
「おぼえておらぬなら、それもよかろう」
 落胆した風でも寂しさを思わせる声色でもない、ただ、事実を受け入れた淡々とした声に、ツバメはもう一度首を傾げる。
「ボクは覚えていないけど、君はボクに会った事があるんだね。じゃぁ、久しぶり。元気だった?」
 ツバメもまた、玖郎と同じく事実を、玖郎との再会を受け入れた。玖郎が頷きを返し、ツバメは嬉しそうな声で鳴く。
「そっか、よかった。君も《雪蛍》を見るのは初めて? あ、星空はみた事ある?」
「光る虫はみた事があるが《雪蛍》は初めてだ。空の、景色の話か、おれは視覚が捉える様相を、状態と状況をはかる指標とする以上に、重んじぬのだとおもう」
 ついと外を眺め、玖郎は以前と同じくツバメの問い掛けに応える。
「星は天候と方角の、虫は気候と植生の判断材料であり、ゆえ、ひとのこころが景色に如何な意味を見出すかは、よくわからぬ。だが、うつりゆく諸相のひとときを、ひとが愛でることは知っている」
「うん、ボクはまだみた事ないけれど、空も草原も山も海も、みんなみんな、いろいろと変わるんだってね。そうだ、君はいろんな景色を見たんだよね、一番覚えてる景色はどんなの?」
「そうだな……」
 それきり、玖郎は押し黙ってしまう。ツバメは目の前を泳ぐ《雪蛍》を眺め、玖郎の言葉を静かに待つ。
「おれの郷里に似て、非なる地がある。山多く海に囲まれ、南北に伸び寒暖差は激しく、朱の色した力満ち、雨に雪に霧に、循環する水気にその色が滲み、総てが朱に染まる、あかい地だ。その景色に馴染むためか、赤みを帯びる鳥達もよく見受ける」
「赤い鳥、友達にもいるよ。えっとね、アカショウビンとオオマシコと、あ、一番綺麗に赤いのはショウジョウコウカンチョウかな!」
「それは友の名か? それとも種か?」
「えっとね、種の方。あ、ショウジョウコウカンチョウはここから見える、ほら」
 長椅子の背凭れに飛び乗ったツバメの視線を追うと、美しい深紅小鳥の姿があった。黄色い嘴とその周りと瞳は黒いが、羽も尾も殆どが綺麗に紅い。
「おれの知るのと同じ種ならあれは雄か」
「うん」
「確かに、あの赤き姿はあかい地と似ている。暁の、晩霞の、紅葉のごとく、うつりかわる過程の色に、つねに染まる。あまねくものが生死をめぐり、絶えず変ずるがつねである地だ」
「すてきな場所だね。ボクもいつか、そんな景色が見られるかな」
「……ゆくか、空へ」
「え?」
 ツバメが玖郎を見上げる。二重鉢金の奥に光る瞳は、優しい色を湛え、ツバメへと向けられていた。
「おれは覚えている。その身つなげし折は、ともに飛ぶと。まだ自力での飛翔かなわねば、おれのふところに居れ。不本意やもしれぬが、こたびはおれに時がない」
「ボク、君と約束してたの?」
「のちにここを訪れる約束はかなわぬ。もはや、お前がそだつまで待てぬのだ」
 ツバメが何も言わず見上げていると、玖郎はこうも言う。
「それにここはひとが多すぎる。居心地がわるい」
 その言い方が本当に嫌そうで、ツバメは小さく吹き出す。
「うん、ボクを連れて行ってよ。空に」
 玖郎は前を寛げ懐にツバメを入れると片手で大事そうに護り、空へと飛び立つ。高く高く、ツバメでは到底辿りつけないだろう空高くへ。輝く《雪蛍》の群れを通り抜け、何もない空へと昇る。
 懐から顔だけ覗かせるツバメはあちこちを眺め、歓喜の声を上げた。
「すごいすごい、こんな景色、ボクだけじゃみられなかった。ありがとう! ねぇ、君が見る景色はこれとは違うんだよね」
「そうだな」
「そこは君の故郷なの?」
 その問いに玖郎が応えられずにいると、ツバメは景色から眼を離し、懐から玖郎を見上げた。
「おれはゆく。馴染めると、おもう。否、根付かせてみせる。かの理に染まり、ありかたが変ずるとも」
 玖郎は上空で留まり眼下の景色を見下ろす。玖郎も幾つかの世界を見た。フライジングも良い世界だが、ここでは玖郎は、生き辛い。
「おれは、おれより連なる種は、変わるだろう。いきぬくため、つなげるために。それは必要な変化だ。ただ、ついえるそのきわまでいきよう。それはおなじだ」
「もう、君には会えないのかな」
「おれはさだめた」
「…………」
「世話になった」
 とても優しい声でそう言われ、ツバメは身動ぎをすると、玖郎の懐から飛び出した。
「ボクが、会いに行くよ」
ツバメは玖郎と視線を合わせる様、彼の顔の前で懸命に羽を動かす。玖郎は多くの事をツバメに語ってくれる。しかしどれも明確な返答を避けている事は、ツバメにも察しが付く。ツバメにわかったのは玖郎が二度とここに来られない、という事と、玖郎の言うあかき地はこのフライジングには無い、という事だ。
「ボクは君との約束を覚えてなかった。でも、君はこうして、約束を果たしに来てくれた。君がこうして、会いにこれたんだ。今度は、ボクが、君に、会いに行く」
 かひゅ、と嫌な音をさせ、ツバメはまた玖郎の懐へと戻る。
「とりあえず、早く大きくなって、一人でここまで飛べるくらいになってからだけどね。約束する、必ず、ボクが君に会いに行く」
「……息災でな」
 遮るものの無い大空での約束が果たされるのか、今は誰にも解らない。それでも、2人の間には確かな物が芽生えていた。



 窓の外を飛び交う《雪蛍》はその名が示すように、雪が降る時期に見かける蛍だ。澄み切った空気はつんと冷え、長時間外に居れば身体は冷え切ってしまう。温かな室内からみる《雪蛍》はとても美しく人を魅了するらしい。キレイキレイ、と感嘆の声をあげ窓の外を眺める人達の会話から絶景ポイントを知った榊はスーツの懐に手を忍ばせ、人気のない端の方へと移動する。
 長椅子の傍に小さなツバメの姿を見つけ、榊は出しかけていた煙草をそっと引っ込めた。
「……お? 先客か、坊ちゃん? 嬢ちゃん??」
「あはは、小さいから皆わかんないって良く聞かれるんだ。だからいつもこう聞いてる。どっちにみえる? って」
「んーーー」
「あはははは。君、面白いね。ボクを見るより《雪蛍》を見た方がいいよ。ほら、こんなに綺麗、これを見に来たんでしょ?」
「ああ、こっからだとよく見えるって聞いてよ」
「端っこ過ぎてすいてるんだ。ね、君も旅人なんでしょ? こんな風に素敵な景色みた事ある?」
「こー見えて結構歳食ってっから色々見てるはずなんだけどよ。あ~でもなんだかよく覚えてる景色は有るな」
「どんな景色? よかったら聞かせてよ」
 人と同じ姿をしているが、榊の本来の姿は一降りの刀だ。こうして《雪蛍》を見に来たのも、人のまねごとをしてみようと思ったからだが、生憎と、美意識や心躍らされるような高揚は無く、景色を美しいと思う感性もいまいち育たない。
 それでも、今ツバメに言った様に一つだけ、とても印象深く覚えている景色がある。何年経っても色褪せない景色をツバメに伝えようと、榊は窓の外を眺めながら語る。
「丁度、今みたいな冬の時期だったな。何でそう言う羽目になったかは覚えてねーんだけど、相棒と一緒に吹雪の山の中に放り出されて、どうにか運よくちーせー小屋見付けてそこに転がり込んで、吹雪が止むの待ってた事が有った。見張りと火の番してたら夜中にパタッと風の音が止まった。んで、外の様子見に行った」
 ツバメは眼をきらきらさせて榊の語りに聞きいる。
「雲は綺麗に無くなってて空には満月と星、山ん中だから街灯なんかねーし、すげー寒いから空気も澄んでる。時々星が流れてた。小屋に転がり込んだ時は気付かなかったんだけど、近くに割とでかい湖があってさ、鏡面みてーな湖面に夜空の星と月に雪が積もった周りの木々も映り込んでて、湖の中にも夜空と雪が積もった山が有るみてーだった」
「へーーー! へーーー! すごいね! 空にも足元にも、いっぱい星があったんだ! いいないいな、みてみたいな!」
「俺が外に出たのに気付いて追いかけて来た相棒が「流星群の時期だったな」とか「湖の中に同じ森と空が有るみたいだろ」とか言ってたから覚えてんのかな」
「あ、そっか。そうなん? してたんだっけ? 無事でよかったけど怪我とかしなかった?」
「ああ、結構簡単に仲間と連絡付いて街に下りたから怪我もなかったな」
「そっか。じゃぁ良い事いっぱいだったね」
「良い事?」
「だって吹雪だったのに避難できる場所あって、怪我もなくて、友達とそんな素敵な景色を見れたんだもの。いいないいな。ボクもそんなの、してみたい」
 ツバメに友達と言われ、榊は小さく首を傾げる。最後の相棒は確かに、意思を奪い傀儡として操るより任せた方が効率が良かった。しかし、それを友だったかと言われると、榊にはぴんとこない。
 榊は無意識に懐に手を入れ煙草を取り出すが、ツバメと眼が合ってしまいその動きを止める。
「あー、いや、うん。子供の前じゃいかんよな。悪いな、そろそろ行くよ」
「うん、お話ありがとう、また会えたら、素敵な景色の事教えてね」
「あぁ、面白い景色を見つけて来るよ」
 ひらひらと手を振り、榊は灰皿を求めてドローイング・ルームを後にした。



 フライジングの出張クリスタル・パレスでもシオンは無事戻り前と変わらない笑顔を向け、楽しいお喋りを振る舞ってくれた。人気者の彼は今も多くのテーブルを回り、多くの人に無事を喜ばれている。シオンの接客を受け、彼との楽しいひと時を過ごし終えた絵奈はふいに一人になりたくなり、人気のない場所へとやってくる。
「綺麗だな……」
 夕暮れに赤く染まる空を飛び交う《雪蛍》の光も赤く、暖色系の色が目立つ。
 かひゅ、という乾いた音が聞こえ絵奈が辺りを見渡すと、視界の端に長椅子を見つける。息苦しそうな咳を耳にし、絵奈が長椅子へと近寄ればツバメがこちらを振り向いた。
「やぁ、こんば……かひゅ」
「ツバメさん、こんばんは……調子悪いのですか? 大丈夫? 私の力で少しでも和らぐといいんだけど」
 言い、長椅子に丸くなるツバメの身体を両手で包みこむと、ふんわりと柔らかい光が辺りを照らす。
「…………ありがとう、なんか、気持ちいい」
「ふふ、よかったです」
「楽しくてちょっと無茶しすぎたみたい。でも、もうちょっとだけここにいたくて。星空と《雪蛍》を一緒にみてみたかったんだ」
「そうね、星空も《雪蛍》もとっても綺麗……。星空かぁ……。今までいろんな星空を見てきたなあ」
「君はどんな星空を見てきたの?」
 絵奈の治癒魔法で元気になったのか、ツバメはちょんちょんと跳ねる様に長椅子の上を移動し、絵奈に座るよう促す。頬笑み、短く礼を言った絵奈は長椅子に腰かけると思いだしながら言葉を紡ぎだす。
「故郷では、ほとんど外に出たことなかったからお屋敷の中から夜空を見てました。この雪蛍館ほど立派な所じゃないけど、それなりに大きな建物の四角い窓から星を見て、一日の反省をしてたんです」
「はんせい?」
「今日はここが駄目だった、明日は頑張ろうって。私はその時はドジばかりで……今でもそうなんですけどね。沈んだ心と裏腹に空は澄んでて星がすっごく綺麗で……ちょっと悔しくもありました。星空を見ると一番に思い出すのはこのことなんです」
 好きと嫌いが一緒に思い出されたり、嬉しい事と辛い事が一緒に蘇る景色。初めて聞く筈の事なのに、なぜか、似た様な話を聞いた様な気がし、ツバメはちる、と小さく鳴く。
「故郷を出て、色々な所を旅するようになってからは、色々な星空を見ました。友達と一緒に旅行した時……海のそばで見た夜空は、その時の楽しい気持ちとも相まってすごくキラキラ輝いて見えました。戦いの中で苦い思いをした時……くすんだ空の隙間から少しだけ見えた星は、その時の心を映しているようで悲しい空でした。でも」
 美しい星空と、悲しい星空。見上げる星空は同じだというのに、その時の出来事や心情次第で、星空はその姿を変える。しかし、悔しかった、悲しかったとツバメに語る絵奈の顔は、とても慈愛に満ちた頬笑みを湛えていた。
「私はそのくすんだ空を持っている世界を大切にしたいと思ったんです。その世界で生きていきたいと……」
「素敵だね。君はその世界を、とても愛しているんだ」
「……ごめんなさい、自分の話ばかりしてしまって……つまらなかったでしょう?」
「ううん、そんなことないよ。ボクね、いろんな景色を見たいんだ。今日は沢山の旅人のお話を聞いたけど、それがもっともっと、大きくなった。何処までも飛んで行って、聞いた景色をいっぱいみたいんだ。君のお話も、君のみた景色もとっても綺麗」
「ありがとう。今夜の空とこの《雪蛍》も、とても綺麗だと思いますよ。私、今夜の景色を忘れたくありません」
「そうだね、次の《雪蛍》がみられる時期に、また一緒に見られたら、ボクも嬉しいよ」
 顔を見合わせ微笑みあう。
「あ、ねぇ、お願いがあるんだけど」
「うん、なに?」
「さっきの気持ち良かったから、もう一回してくれない?」
「いいよ」
 手を伸ばし、先程と同じ様にツバメを包みこもうとすると、ツバメは両羽を広げる。
「あ、あ、できたら、お膝の上がいい。乗っていい?」
 絵奈は驚きに眼をきょとん、と丸くするが、ツバメの可愛らしいお願いに笑顔で了承する。
「……っふふ、えぇ、もちろん」
「わぁい」
 ぱたぱたと羽を動かし、絵奈の脚の上に乗ったツバメはもぞもぞと居心地の良い場所をさがし身動ぎ続ける。ふぅ、と満足そうに丸まったツバメの姿を見下ろす絵奈はくすくすと笑いながら両手でツバメを覆う。
 暫くの間、窓の外に輝く《雪蛍》の灯りよりも柔らかい灯りが静かに灯っていた。




 すっかり日も落ち、窓の外は濃紺色の夜空に瞬く星が輝いていた。色鮮やかな景色の中や、赤々と燃える様な夕暮れを飛んでいた時は気が付かなかったが《雪蛍》はそれぞれ、固有の色合いを持っている。発光する強さや年齢によるのか、色彩も個体差があるようだが、概ね七色、闇夜を照らす柔らかな月光の下を小さくも溢れる生命を感じさせた虹色の灯りが飛びまわり、とても美しい。月明かりに誘われる様に、ドッグフォームのセクタン小弥太を抱えた橡はふわふわと飛ぶ《雪蛍》と夜空を見上げる。
――そういえば、あの時も満月だった――
 ぽっかりと穴が空いたような丸い月が煌々と輝く姿をじっと見上げ、否、月が自分を見ているのだと、橡は思い直す。今も、あの時も。お前のした事は全て見届けているぞと言われた気がし、橡の眼には月の灯りが寒々しい物に映りだす。
 物心ついた頃には友が二人居た。いつも三人で共に遊び、剣の稽古に励み、酷く扱かれた帰り道では傷や悔しさに歪む互いの顔でなく、星空を見ながら話し歩き続けた。藩や民草や大切なものを守る為に強くなると誓い合って、傷がいえる前に新しい傷を作り、毎日毎日、共に育っていた。
――何度思い出しても、あの頃は輝いているな。だが――
 輝かしい思い出を巡ればいつしか、暗く辛い物ばかりが橡の脳内を埋め尽くす。三人はそれぞれの重責と枷が交差し合い、対峙しあう。
 大人になったのだ。子供の時の様に、手を繋ぎ駆け回る事はできぬ。しかし、彼らの在り用は子供の遊戯である、じゃんけんと同じではないか。
 橡は友を一人、殺した。その事実をまだ知らぬ筈の、残された友が、橡の行く手を遮る。橡が思い悩んでいたように、彼も彼なりに、苦しみ、考え抜いたからだろう。彼の剣技は橡よりやや劣る。だが、友は左目を犠牲に勝った。
――剣の勝負に迷いは不要だと、お前に教えたのは俺だったというのにな――
 我が藩は駄目だ。此処を離れろ。お前だけは穢れてくれるなと、友は最期の最後に橡に請うて詫びた。友はまだ真実を知らず、僅かな勘違いを、残していた。それを知りながらも、橡は、その言葉に従った。今思い出しても、なんと自分勝手なと、橡は苦笑する。
 そう、どちらの夜も満月、この景色と同じく澄んだ空に満点の星、青や赤の星も瞬き、時折流れる流れ星も、その軌跡を残していた。強い感情が美しく見せたのか、瞼を閉じなくとも橡にはいつまでも変わらず、美しい星空が見える。そして、自分だけが醜くなったと痛感する。
 友達と流れ星の様に旅がしたかった。巻き込みたくない、知られたくない。だがきっと、助けを求めれば良かったのだろう。それでも、矜持と葛藤と、様々な思いが混ざりあう。
――どうすれば良かったというのか。正直なところ、今もわからぬままよ――
 街灯などと言うしゃれたものは、橡の生きた時代にはない。辻斬りを討ちに来た友は、月明かりに照らされた辻斬りが橡だと知り、愕然としていた。そうして、やっと、彼は橡失踪の理由と門脇殺しの下手人を悟り、二人の為に何故だと泣いて怒り、悲しんでいた。
 腕の中に収まっていた小弥太がきゅうにいやいやと身体を動かし、橡の腕から飛び降りる。
「こ、小弥太、こら、何処へ行く」
 てしてしと床を爪で掻く音をさせ小弥太が駈けてしまい、橡は慌てて後を追う。奥の奥、薄暗いドローイング・ルームの端にうっすらと長椅子が見え、小弥太は背凭れを飛び越えてしまう。
「うわぁ! なになに!?」
「こら、小弥太。すまぬ、大丈夫か」
 橡が背凭れから身を乗り出すと、小さなクッションの上に丸まった、これまた小さなツバメがいた。ツバメの嘴や身体に鼻を付けふんふんと鳴らす小弥太と、橡の姿を交互に見て、ツバメはまだ驚きの残る声で言う。
「うとうとしてたからびっくりしちゃった。こんばんは、君もこの星空を見に来たの?」
「あぁ、とても綺麗で、色々な事を思い出したよ。……小弥太、そろそろ止めんか」
「いいよ、くすぐったいけど温かくて、面白い。ねぇ、君が思い出したのは、他の星空? それとも、何かの思い出? よかったら聞かせてよ」
「……そうだな、小弥太もツバメ殿といたいようだし、お言葉に甘えようか。温かいと言っていたが、少し寒いのでは無いか? よければこちらに入るとよい」
「いいの? ありがとう。日差しがなくなったらちょっと寒くて、クッション貰ったけどやっぱり寒かったんだ」
 ツバメの隣に座り橡が懐を広げると、何故か小弥太がその中に潜り込む。
「こ、小弥太。今はお前ではなくてだな」
「あはは、仲良しなんだね。一緒に入ったらもっと温かいよ」
 もぞもぞと小弥太が自分の居場所を確保すると、その上にツバメがひょいと乗り、丸まった。そのまま、橡はツバメに幾つかの話を聞かせる。血生臭い部分は避け、星空を見上げ思い出した事や、友との思い出、時には己の幼さゆえの愚かさも包み隠さず語る橡の顔をじっと見上げ、ツバメはその声に耳を傾け続けた。
 思うだけでなく、声に出してツバメに語ったからか、橡は改めて、己の心の在り方を、生き方を実感する。
 罪と二人の事は決して忘れず、償いに生きる。
 今の友達には過ちを冒さない。
 巻き込まない事だけが情でないと、今は分かっている。
 己の弱さも脆さも、愚かさも自覚している橡は、いざ、何かが起きた時にも、こうして心を強く持てるか、正直自身はない。それでも、友の顔を思い出し、そうありたいと願う。
 ふと、橡を見上げていたツバメの顔がゆっくりと下がり始める。眠くなったのだろうと思い、橡は少しずつ声を小さくし、語りをゆっくりにしていく。
「今日ね、いろんな人に、いろんな話を聞いたんだ」
 途切れ途切れになりながら、ツバメは橡へ言う。
「みんなね、とってもたくさん、いろんな景色をみてた。それは、綺麗だったり悲しかったり、いろいろだったよ。良い事も悪い事も、一緒に思い出すって」
 ツバメの言葉に橡の心臓が一度、強く高鳴る。
「それでもね、みんな、そのけしきをわすれられないんだって、いってた。いつか、ボクもそんなの、みられるかな」
「育てば思うところも出るやも知れぬ。なれど、己を晒して助けを請うは恥でない。覚えていてくれ、ツバメ殿」
「うん、むずかしいこと、まだわからないけど、きょうのおはなし、おぼえておくよ。こまったり、つらくなったら、おもいだし……て、きっと…………」
 気が付けば、懐で丸まっている小弥太もも穏やかな寝息を立てていた。
 温もりを感じ、この一時のなんと幸せな事かと、橡は星空を見上げる。
 窓の外では《雪蛍》が七色に光り、夜空には満月が光っていた。

クリエイターコメント こんにちは、桐原です。この度はご参加ありがとうございました。

 星空はだいたい綺麗だと思いますが、なかなか見上げる機会もありませんよね。冬の空は夏よりも暗くて街灯の灯りがより明るく見えて、海の中にいるようにも見えて面白いですよ。よかったら、眺めてみてください。

 ご参加ありがとうございました。
公開日時2014-03-09(日) 21:10

 

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