ルンは道をずんずんと進み、病院へと足を踏み入れる。 消毒液のにおいが鼻に纏わりつく。こんな場所に居たら自分なら逆に具合が悪くなってしまいそうだ。 窓口で会いたい人物の名を出すと部屋番号を教えてくれた。 どうやら二階に居るようだ。階段を駆け上がり――かけ、院内は静かにするよう張り紙がしてあったのを思い出して思い留まった。 力強いノックをし、返答を聞く前にドアを開く。「エーダムエダム、ルン、見に来た!」 豪快な見舞いに部屋の主、エダム・ブランクは目を瞬かせる。 ルンは彼と前に受けた依頼で会っていた。血生臭い過去を持ち、呪いのままに身を任せて図書館を裏切った男だが、ルンはあまり気にしていない。 それよりも怪我の具合が気になった。随分と衰弱していたように記憶している。「これはこれは……少々驚きましたぞ」「怪我、治ったか?」「熱や化膿はこの通り、よく効く薬があったおかげで」 先の無い腕を持ち上げ、エダムは言う。 常に黒ずくめだった男は今は入院患者用の白い服に着替えさせられていたが、元から小麦色より暗い肌が目立つ。それにより片腕がないというのもよくわかった。「ただ体力の回復が芳しくないものでしてな」 高熱のせいで内臓にもダメージがあったのだという。 元より小食なエダムは現在、かなり柔らかくしたものや栄養剤しか口に出来ないでいた。「ところで、今日はもしや見舞いに? それとも遊びに、でしょうか」「んー、どっちも!」 ルンはニッと笑った。「大丈夫、すぐ元気になる。依頼行こう! 散歩でもいい」「では……散歩で。このままでは体が鈍る一方ですからな。よくないことだ」 他者に管理された場所で長時間過ごすと、自分で何かするということを忘れそうになる。 それに景色のほとんど変わらないこんな世界でも、自分の足で歩き回れば良い気分転換になるかもしれない。 二つ返事で了承したエダムを連れ、外出許可をもらってから院外へと出た。 ギアの布で服を隠し、いつもの出で立ちになったエダムは周囲を見る。「……さて、どこに行きましょうか」 呟きながらも周りが気になっているその様子に、ルンはじっと視線を向けた。「エダム、煙草怖い?」 煙草、で連想する人物が脳裏を過る。 返答にはしばらくかかった。「怖くないと言えば嘘になるが……ああ思われても仕方ないですからな。人と人の縁は良きものばかりではない。中には殺意の籠ったものもありましょう」 そしてこれは自業自得でもある。「ああいう気持ちと戦う……向き合う?」「拒絶はしませんな、まあ殺されたいという訳ではありませぬが」 また敵対したとして、どうするべきなのか今のエダムにはわからない。相手の事を知らなさすぎるのだ。「向き合うなら、ルン手伝う」「儂を、ですか」 ルンは頷き、進む道の先を見た。「強い奴から逃げる、駄目。逃げる、相手が気付いてない時。エダム見られてる、だから駄目」 いくら図書館に戻ったとはいえ、一度は裏切った者として様々な目に晒されているのが現状だ。あの人の他にもエダムの行動を見ている者、見張っている者は少なくない。 何かから逃げるのに適した時ではない。 だから向き合ってほしい、とルンは思っていた。「なるほど……。では、散歩だけでなくそれもお願いしましょう」「よし、お願いされた!」 嬉しそうに言い、ルンはエダムの残った片手を引く。 引いたまま爆走し始めた。「!?」「まずは胆力胆力、エダム特訓」「そ、それは」 派手に転んだのは言うまでもない。 一日はまだ始まったばかり。 何をし、何を思うも二人の自由だ。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ルン(cxrf9613)エダム・ブランク(cemm2420)=========
はっと気がついたのは数秒後。引いている手の感覚がいやに重いと思ったら、転んだエダムを引きずったまま爆走していた。 「ごめん、怪我した?」 立ち止まって助け起こす。 「いや、まあ、慣れている方故心配いりませぬ」 汚れをはたきながらエダムは小さく息をついて無事をアピールしてみせるが、あと数秒引っ張られていたらどうなっていたかわからない。 受身はそれなりに出来るが、急な衝撃で転んだりしないよう片手でもバランスを取れるようにならなければ。そのためにはルンの持ち掛けた散歩が効果的だ。 「このままゆきましょう、小さなことから始めるといいと医師も言ってましたからな」 「わかった。あっ、でもその前に」 ルンは休憩所にエダムを座らせ、売店へと駆けていった。 院内の小さな店だ。品揃えはそんなに良いとは言えないが、ルンは棚をじっと見た。 「エダムの食べられそうなもの……」 詫びの意味もあるが、まずは栄養が必要だとルンは判断した。 手足を動かすのにも、頭を使うのにもエネルギーが必要だ。それは食べ物から摂る。 とはいえ固いものはまだだめらしい。からあげやフランクフルトを見た後、視線を強制的に剥がす。 自分用に買ってもよかったが、ルンは貧乏である。自覚もある。だから今は我慢の時だ。 これを、と手に取ったものを買い、ルンはエダムの元へと戻った。 エダムは何を考えているのかわからない顔で窓の外を眺めている。ルンが戻ったのに気付くと顔を向けた。 「これは?」 「これ固くない。食べてみろ」 ルンが手渡したのはカップに入ったアイスだった。小さな木製のスプーンも付いている。 エダムは興味深げに入れ物を観察した後、ふたを開けて中を見た。 「冷たい。氷ですかな?」 「……アイス。菓子。見るの初めて?」 「菓子類は疎いもので」 手の熱で溶けてきたのを確認し、これは溶けやすいものだと理解する。急いでスプーンを挿して口に運んだ。 柔らかく甘い味が広がる。 「娯楽にはもってこいな味、ですな」 「つまり?」 美味い、と二口目を口に運びながらエダムは頷いた。 「しかし貴女はいいので?」 「ルンは元気。だからいい。エダム、食べないと元気にならない。全部、元気になってから。治るは食べる、食べるは治る!」 ルンは元気がなくなった時、何でもいいからとにかくよく食べ眠るようにしている。故郷では皆そうしていた。 飾り気のない、けれど力強い言葉に、エダムが手元のアイスを数分かけて食べ切るとルンは満面の笑みを浮かべた。 「エダム、連れてきたい所、ある」 今度は慎重に手を引きながら、ルンは先導する親鳥のように道を進む。 二人は院外へと出ていた。 エダムはこの道を歩いたことがない。両脇に立ち並ぶ店の看板に目をやりつつ見回していると、不意にルンが立ち止まった。 顔を向けた方向にあったのはゲームセンター。 エダムは首を傾げてルンを見る。散歩の目的からは少し外れた場所に思えた。 「ここが目的地ですかな?」 「そう。ここ、煙草の店。治ったら働く、ここが良い」 ああ、なるほど、と頷く。 「意外ですな、この店の雰囲気からは想像出来なかった。……しかしお嬢さん、働くのは難しい」 エダムはゆっくりと首を横に振った。 「あの方は儂が居るだけで憎しみを抱くことになる。ほぼ四六時中それを意識させるのは酷でしょう。距離を詰めることが良いこともあれば慎重になった方が良いこともある……これは後者なのですよ」 そもそも雇ってくれるとは思えないが、とエダムは肩を竦めた。 あちらから誘われればもちろん考える。しかしそれは可能性の低いことだ。 ルンは数秒黙って考え込む。 「……助けを求めるは殺さない。人はしない。生きるは戦い。必要なのは、お前の胆力」 「お嬢さんは儂とあの方の仲を良くしたいとお考えか?」 ルンは頷く。 危ない人間だという認識はあるし、その脅威からエダムを守り回復を待ちたい意思はある。しかし治ったならば二人にも歩み寄ってほしいと考えていた。 「必要なら。ルン、毎日送る、迎えに来る」 「考える時間を、頂けますかな。儂は……」 ふと出かけた似合わない言葉にエダムは苦笑する。 「他の道も模索してみたいのです」 ● 周囲がエダムを見る目には大きく分けて二種類あった。 エダムが何者か知らず、もしくは知っていても気にしない性質の者が向けるごく普通の視線。 そしてもう一つがエダムの素性と一度は図書館を裏切ったことを知る者の、多かれ少なかれ敵意を含んだ視線だ。 今エダムは特徴の一つであるギアを纏っていないため「こいつがエダムだ」と気付かない者も居たが、気付いた者はエダムの行動を観察でもするように目を向けてきた。 「……また何か企んでいるんじゃないだろうな?」 近道しようと路地に入ったところで、そんな声がかけられた。 振り向けばいかにも小心者といった風貌の男がこちらを覗き込んでいた。不躾な第一声にルンが睨みを利かせる。 震え上がりながら男は言った。 「あ、怪しい動きはするんじゃないぞ。お前を見張ってる奴は山ほど居るんだからな」 「おかしなことをするつもりは御座いませぬ」 「信じてもらえると思っているのか? も、元旅団員なんていう奴らが増えて、こっちは気が気でないんだ。もしちょっとでもおかしな――」 「おかしなこと、言うのお前!!」 ガッと牙を剥くルンに男は悲鳴を飲み込み逃げ去った。 ルンは気遣わしげにエダムを見上げる。 「……大丈夫、気にするな」 「いえ、慣れております故、あれくらいなら」 男の逃げ去った方向を見つめる。拒絶は幼少期から日常茶飯事だった。 「それに院内でもたまに居るのですよ、同じ者ではありませぬが。……時間が、必要でしょうな」 時だけが解決するものではない。 そうわかってはいたが、呟くしかないエダムにルンは小さな不安を抱いた。 樹海は変わらずそこにあった。 タミャとこの緑の海に逃げ込み過ごした数ヶ月間のことを思い出すと、今でもなくなった手が疼くかのようだ。 樹海に面した道を歩みながら、エダムは支えがなく垂れ下がる袖を見る。 手を切り飛ばされた時に感じたのはこれからの不便さに対する不安ではなく、仕方ないという感情だった。自身が戦闘に不向きということは承知していた。ここまで五体満足でいたことが奇跡なのだ。 それでもこの世界で再び「生きる」ことを選択してからは、この手に対して様々な不便さを感じるようになった。 「お嬢さん」 「なんだ?」 「儂には目標がなかった。ないことにすら気付けていなかった。しかし、今ではそれ探したいと思っている。……その上で今まで縁のなかった弊害や不便さを感じるようになったのです」 視線を袖からルンに移す。 「生きることにこれは不可欠なことですかな」 ルンは金色の瞳でじっとエダムの顔を見た。 エダムの目に映っているのは迷いだ。今生きている世界で当たり前のことを押し測るための物差しがない、それ故の迷いだった。 「人は望む、人は生きる、人は願いを持つ。願いがぶつかれば、戦う。それだけだ。戦えば、勝つも負けるもある。傷も負う。それでも望む願いなら。戦え。それが生きるだ」 ルンは今まで生きてきてそれを心で、体で学んだ。 いつでも人間は何かを望んでいて、それを叶えるために生きている。 その望むものは他人にとって不利益なこと、もしくは他人も得たいものであることがある。そうすると起こるのが戦いだ。肉体で、あるいは言葉で戦う。 それでもそれが欲しいなら戦って、戦って、傷を負いながら戦って、負ければ他の望みを探す者も居れば妥協する者も居る。 そうして日々を送り結果を出していくのがルンの思う「生きる」だった。 「エダムは悪くない。生きるは悪くない」 ルンの言葉にエダムはこれからのことを何通りか想像した。 大多数のロストナンバーと同じように異世界へ旅出ち、仕事をこなす未来。 どこかの施設に身を置き、そこで働く未来。 もしくは自分で商売し生きていく未来。 実際はこんなに綺麗に分かれた道ではないのだろう。未来への道は一本ではない。色んな結果が入り混じった、そんな未来もあるかもしれないのだ。 不確定な未来を見つめながら自らの望みを追う、それも悪くないように思えた。 「エダム、難しく考えることない」 「自然体で、ということですかな」 ルンは頷き、くるっと背中を向けてみせる。 「背中に乗れ、掴まれ。樹海から、外を見よう」 「いいので?」 「いい。エダム軽い。困らない」 エダムはおずおずと背中に手を伸ばすが、すぐ考え込んだ。 担がれたり抱かれることはあったが、他人の背中に自分からおぶさるという経験はほとんどなかった。 片足ずつ上げればいいのだろうか。それとも両方同時にジャンプか。 思案していると、ルンの方からぐんっと後ろに下がってエダムの両足を掴んで担ぎ上げた。 「難しく考える、だめ」 「……ですな」 跳び上がって屋根に乗り、空気を切って走りながら木に飛び移る。 順に高い木の枝に移っていき、幹を蹴ってしばらく進むと近辺で一番背の高い木に足がついた。 はしごも無しにその幹を駆け上がり、葉の中に迷いなく突っ込む。 そこには枝の密集地に作られた足場があり、荷物と食べ物、水の入ったタルが二つ置かれていた。 「ここ、ルンのねぐら。下で寝るより、安全」 「まるで野生の如しですな。屋根はないので?」 「ない。ここ、雨降らない。陽も熱くない」 だから葉っぱだけで事足りるのだとルンは言った。 壁としていくつかの枝に括り付けられた木の板があったが、隙間が大きく取られている。その間から樹海とターミナルが見えた。ここは居住区からさほど離れてはいないらしい。樹海の一部といえども、ほぼ図書館の管理しているスペースと言ってよさそうだった。 道を行く人々が小さく見えた。それでもわかる人種の多様さにエダムは見入る。 覚醒するまではこんな竜や、鳥や、人の形をしていない者の存在する世界へ行くなど思ってもいなかった。 覚醒してからは欲を満たすことが最優先で、その不思議な世界に意識をほとんど割いていなかった。あの頃のエダムにとって、相手がどんな姿をしていようが幻覚で苦しめる獲物でしかなかったのだ。 今やっと、人の多さに目を向けている。 「ここは人が多い、願いも多い。ぶつかるは仕方ない」 コップに水を注ぎながらルンは言う。 「人は集団、集団は和する。それ当然。それでも望む願いなら。戦うも当然」 強く、強く、更に染み渡らせるように、しっかりと。 じっとしているエダムに近寄り、コップを差し出す。 「エダムは負けず嫌いだ。生きるを諦めるな。ルンもエダムを諦めない」 「……」 揺らめく水面に自身の顔が映っていた。 黒髪黒眼褐色の肌。これは故郷ではありふれた色だった。ここへ来てからは一部共通している者は居れども、まったく同じ者にはお目にかかっていない。 それが面白いと感じた。 この世界をもう少し知ってみたいような、そんな感情が湧き上がる。だから。 「大丈夫。……心配をかけたようですみませぬ」 ルンは首を横に振る。エダムが謝ることはすべて許そうと思っていた。 「人は望みを得ると生きることに貪欲になりますからな、儂だけでもきっと平気だ……今は、知りたいことが増えた。そのために生きましょう」 そう言ってコップを受け取る。 ルンはどこか安心したような顔で頷いた。この木に足場を作った時のように、このエダムにも足場が出来たのだ。 それからしばしねぐらで休憩した。 今日はエダムにしてはよく歩いた方だ。入院以来、これだけ0世界を歩いたのはいつぶりだろうか。 外の明るさは変わらないが道を歩く人の姿が減り、店じまいを始めるのを見て時間の経過を知る。 そろそろ病室へ帰ると言うエダムに頷き、ルンは病院まで彼を送っていった。 「また散歩しよう、エダム。ここ、面白い場所沢山ある」 ルンの言葉にエダムは頷き返す。 「そうですな、そのおかげで退屈しなさそうだ」 行く先々で発見があることを知った。 新しい体験も出来ることを知った。今まで目を向けてこなかったことを悔しく思うほどのそれに、強く興味がある。 その様子を見てルンはにっこりと笑った。いつもの野性味ある笑顔に、ほんの少し優しさを混ぜて。 応援してる、と強く頷いた。
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