広大なヴォロスの一角には、無論四季や季節というものが存在する地域もある。 エデッセ地方と呼ばれるこの辺りは、壱番世界の日本と同じく夏真っ盛りである。照りつける日差しは痛いほどだが、湿度が低いおかげもあってそれほどの不快さは感じない。「エデッセ地方、の、甘宝領域……ここが……!」 蓮見沢 理比古が目を輝かせるのへ、神楽・プリギエーラはうなずいた。「竜刻の影響で、この領域全体が生きた菓子のたぐいで出来ているそうだ。大半の菓子は食べてもいずれ回復するみたいだな」「それはありがたいな、絶滅させちゃったらどうしようって心配せずに済むもの」「絶滅させるくらい食うつもりの理比古がすごいな」 甘い香りが鼻腔をくすぐる。 背の高い木々が生い茂り、葉の間から差し込む陽光はべっこう飴のような金色だ。 そこは森や山の様相を呈していた。 ひとつの町がすっぽり入ってしまいそうな、広大な領域である。 カラメルビスケットの樹に、ライムグミの葉が茂り、いろいろな果物の味を閉じ込めたシャーベットボールの実がみのる。シャーベットボールは、誰かが摘むまで溶けないという親切設計だ。 ぷるんぷるんのフルーツゼリーがみのるプレッツェルの樹や、どういう原理なのかは不明だが冷やしぜんざいをたたえたチューリップ状の花も咲いている。 その他、最高級のカカオ豆『クリオロ種』を使ったものと同等の深い味わいが楽しめるチョコレート岩山。口直し用の薄茶川の傍らには、最高級の和三盆を使用したと思しき干菓子河川敷があるし、ハーブティー滝や紅茶泉など咽喉を潤してくれる場所も多い。 甘いものに飽きたときの配慮なのだろうか、煎餅やポテトチップスの葉が茂る樹がそびえ立っているのも見えるし、塩昆布苔がびっしりと生えた饅頭岩などというものもある。「むしろどこから食べたらいいのか判らなくなるレベルだよね……!」 ちなみに、今回、目を惹くのは涼菓のたぐいだ。 ヴァニラからストロベリーからチョコミントからラムレーズン、抹茶やコーヒーまでの多彩なフレーバーが嬉しいアイスクリーム・マウンテン。削氷の本流に各種シロップの傍流が幾筋も流れるかき氷リバー。ひんやりもっちりとした上品な風味のわらびもち沼や、星や月や花のかたちにカットされた果物が浮かぶほどよい甘さのフルーツポンチ池などなど、夏の暑さを快適に乗り切れそうな菓子たちでいっぱいだった。「なるほど、旬みたいなものかな?」 甘味王決定戦なるものが多様な世界群のどこかで開催されるとしたら、おそらく堂々の入賞間違いなし、といった程度には甘いものを愛する理比古にとっては、まさに楽園と言ったところか。「ツアーはもう出発したんだっけ?」「ああ、じきに皆到着するはずだ」 最初にこの地域の噂を聞きつけたのは理比古である。その話は『ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー』へと伝わり、こんな面白い場所を放っておく手はない、と、カンパニーはさっそくツアー企画を催したのだった。「そっか……楽しみだなあ」 理比古が、その脅威の幼顔を満面の笑みに染めたとき、『悪い子はいねがぁ!』 唐突に、野太い声が響いた。 「えっ」と振り向けば、かき氷リバーの上流、源流といえばいいのか、とにかくその辺りに、透明度の高い雪だるまというか氷だるまが複数、円を描くように踊っていて、一種異様な雰囲気を醸し出している。 ウェハースやプレッツェルやビスケットの腰みの、極彩色のボディ・ペイント、手には氷砂糖やべっこう飴の包丁。そして顔には、怒り狂った鬼を思わせる真っ赤な面をつけている。全体的にメルヘンなこの領域において、その浮き具合がおそろしい。「ええと、あれは……?」 ツッコミにはあまり定評のない理比古が、もちろん突っ込みきれず一瞬フリーズしたところで、まったく動じない神楽が重々しくうなずく。「ああ、あれは古悪理ノ王(こおりのおう)の一族だな」「……はい?」「竜刻が生み出した涼菓の化身、とでもいえばいいのか。甘いものに惹かれて危険な獣や魔物が入り込まないようこの領域を守護しているようだ」「ええと……一応侵入者である我々に危険とかは……」「領域を荒そうという意思がなければ大丈夫だろう。顔は怖いが気の好いタチで、あれに挑んで勝てばこの世の極楽が見えるほどうまいかき氷を振る舞ってくれるそうだぞ」「え、あ、えーと、うん、ああ、あのボディ・ペイント、かき氷のシロップなんだね……」 更によくよく見れば、真っ赤な面は苺シロップを煮詰めてつくったキャンディで出来ている。脱力級の平和さだった。「そうだ、言い忘れていた」「ん? 何?」「甘宝領域は、野菜の楽園と言われる緑菜領域と隣接している。この辺りは竜刻の力が特別強いんだろうな。緑菜領域では、新鮮な野菜がこれでもかというほど採れるんだ。そちらへは、脇坂 一人とゲールハルトが向かっている。夏野菜をふんだんに使った料理を楽しむ、というのもいいかもしれないな」「へえ、野菜もいいなあ。夏野菜料理で全身リフレッシュしたら、更に甘いものが入りそうだよね」「ああ、それと、竜刻に蓄積されたエネルギーが活性化された結果意思を持った野菜が暴動を起こしそうになっているとかで、その鎮圧に人手が要るらしいから、手伝いに行くべきかもしれない」「野菜が暴……うん、すごいなー竜刻パワー」 すでにすべてのツッコミを放棄した晴れやかな表情で、理比古は傍らに生えていた白玉団子の実を摘む。 とはいえ、古悪理ノ王などというトンデモガーディアンを量産するくらいであるから、この地の竜刻パゥアにおいてはむしろ特筆すべきことでもないのかもしれない。「まあ、全体的に穏やかな領域だ。夜には蜂蜜星が流れたり、七色キャンディの食べられるオーロラが見られたりもするらしいから、夏のちょっとした思い出に、めいめいに過ごすのもいいんじゃないか?」 神楽の言葉に、理比古はほどよい弾力と甘さの白玉を頬張りつつ頷く。「そうだね。おいしいものは、ひとを幸せにするからね」 刻一刻と近づく別れの時を意識せずにはいられないのが昨今だ。 その日が来るまでに、楽しい思い出をつくることは、有意義であるに違いない。「あ、俺はもしかしたら甘味探索のあまり森の奥に分け入りすぎてしばらく行方不明になってるかもしれないけど、気にしないでね。その時は、一週間くらいしたら探し出してくれると嬉しい」「きみの、甘味への飽くなき欲求というのは本当にすごいな」 ツッコミなどとは無縁な、マイペース極まりない巫子が感嘆の声を上げたところで、領域の入り口付近が騒がしくなった。「あ、来たね」「そのようだ」 ふたりは顔を見合わせて少し笑った。 そして、夏を賑やかに楽しむ仲間たちを迎えるべく、そちらへと歩き出すのだった。※このパーティシナリオは、「【美味夏祭】ベジタブル・パニック!」と猛烈にリンクしていますが、参加の制限などはいっさいありませんので、お好みのスタンスでお楽しみください。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
1.楽園探索 甘い匂いがあちこちから漂ってくる。 たくさんの菓子が入り乱れているのに、混ざり合った香りがどぎつく鼻を突くことはない。それぞれが自己主張をしつつもお互いを受け止め合う、ここはそんな場所だった。 「流杉、はやくはやく!」 タリスは大はしゃぎで枝折流杉を手招きした。 ぴょんぴょんと飛び跳ね、全身で喜びを表現する鴉猫の背後を、 「あんまり走ると迷子になるよ、タリス」 流杉は微苦笑を浮かべつつついてゆく。 「すごーい。ね、すごいね流杉。モフトピアに来ちゃったみたい! あまーい香り、いっぱいだね!」 流杉は歩きながら手を伸ばし、オレンジから緑、緑から深い青へのグラデーションが美しい、ゼリー菓子の花を摘み、微笑んだ。 「ヴォロスにもこんな場所があるなんてね……少し意外かも」 少し前、大切な人との再会を果たし、心に平穏を得た流杉は非常に落ち着いていて、状況や風景を楽しむ余裕があった。それが判るから、タリスはにこにこしている。 「ねぇ、あっちで大きな雪だるまがぴょんぴょんはねてる! こおりだるまさん、とってもいろがにぎやか。自分のこおりにいっぱいシロップをぬったのかなぁ?」 古悪理ノ王にも興味津々のタリスが歩く傍らの道では、ロキことマルチェロ・キルシュとそのセクタン、ヘルブリンディがクグロフ小山に挑戦している。玉子・バター・砂糖をたくさん使用し、中には乾しブドウがたっぷり入った、風味豊かな焼き菓子である。 「これがアルザス地方の伝統的な菓子パンであるところのクグロフなのかどうかはさておき、うん、いい味だ」 噛みしめると、バターの香りが鼻からふわりと抜けてゆく。 「このバター、相当上質なものだな……」 お前つくる側じゃないの? と言われそうな男だが、今日は食べることに専念している。主人以上によく食べるセクタンが、大いに張り切っているからだろう。 「うわあ、すごいダイナミックね!」 クグロフを掘り尽くす勢いで食べているロキに感嘆の声がかかる。 振り向き、ロキは呆れ顔をした。 「いや、俺もうわあだが。なんだその山」 「え、アイスクリーム・マウンテン各種盛りに、色とりどりの砂利グミやクッキーストーンを配置してみたの。可愛いでしょ」 小首を傾げてみせるのはティリクティアである。 「可愛いっていうか、それをこそダイナミックっていうんじゃ……」 ティリクティアは、ほとんどバケツに近い入れ物に、様々なアイスクリームを詰め込んでいたのだ。桃の丸ごと甘露煮を、ヨーグルト沼で採取してきた極上ヨーグルトに載せた、テューレンス・フェルヴァルトのデザートがやけに可愛らしく見えてしまう。 「なんだか、不思議な、もの、だね。お菓子ばかり、の、景色、なんて」 テューレンスはにこにこと楽しげだ。 「くどく感じないのがさすがだよな。あっこらヘル、人の菓子を狙うんじゃない。アイスがほしいなら取って来てやるから。……しかし、すごい量だな。それ、食べきれるのか?」 「甘味は別腹なの」 そこだけ無駄に男前な顔で答えるティリクティア。 「ティア、そういえば、あっちに、飴細工の花、が、咲いていた、よ。透き通っていて、とっても、きれい、だった」 「わあ、それも素敵ね。あとで見に行かなくちゃ」 ティリクティアが、古悪理ノ王にも挑みに行きたいわよね、とつぶやき、まだ食べるのかとロキに突っ込まれているクグロフ山から少し離れたところで、川原撫子は、よろよろしているところを吉備サクラに支えられている。 「だ、大丈夫ですか?」 「すみません……ちょっと、嬉しすぎて」 「え?」 サクラは野菜大会の領域にてビームを浴びてきたらしく、魔女ッ娘のコスプレを愉しみながら甘味探訪に精を出しているところだった。 「だってぇ、この甘味全部食べていいんですよねぇ……私、倒れて動けなくなるまで、帰りませんからぁ」 「ああ……食い倒れ万歳、ってことですね」 どうやら、喜びのあまり身体が言うことを聴かなくなっていたらしい。 「でも、せっかく来たわけですしぃ、自分でつくれるかどうかも調べてみたいですよねぇ。あ、これは蜜豆池と小豆玉の実とバニラアイスを合わせればいいかな……そういえば、そのクーラーバックは?」 撫子が問うと、 「カレーが辛いとき、箸休めになりそうな甘味ってないでしょうか? 甘いものが苦手な男性でも食べられそうな甘味とか、デザートにガッツリ系とか。あれば、持って帰りたいな、と思いまして」 最近、カレーに凝っていて、と、はにかんだ笑みが返る。 なぜ凝っているのかは、推して知るべしである。 「そうですねぇ……シャーベットやヨーグルトのような、酸味があって爽やかなものがいいんじゃないかしら」 「なるほど。私はアフォガードが好きなんですけど、カレーには向かないでしょうか」 「んー、でも、カレーにコーヒーを入れると深みが出るっていいますしぃ、合わないことはないと思うんですけどねぇ?」 「試してみる価値はありそうですね。あとは……宝石みたいにコロコロして口の中でスッと溶けるアイス玉みたいなもの、ないかしら」 「じゃあ、探しに行きましょう! 私、あとフルーツポンチ池を飲み乾す勢いでいただきたいですぅ」 ふたりの、甘味探訪の旅は始まったばかりである。 2.集めてつくる ティーロ・ベラドンナは風の精霊の囁きに耳を傾けていた。 「なるほど……チョコレートの実る森があっちにあるのか。えっ、チョコレート・ビームを吐く怪獣がいるから気をつけろ? ははっ、そりゃ面白ぇな!」 高名な魔法使いによる神秘的な交歓かと思いきや、当人は『どこにどんな甘いものがあるか』の探索に余念がない。 そんな調子で、ひと口食べるごとに味が変わるカラフル水羊羹の岩、まったく透明な液体にしか見えないのに極上のハニーカフェオレの味がする湧水、変わりどころでは柿の種の葉が茂る針葉樹での戦利品などを抱えて歩いていると、 「アヤちゃん、見て見て。パンプディングの切り株だよ! これ、究極パフェにいいんじゃないかな?」 「じゃあ……ここに、切り株を置いて、さっき見つけたまつぼっくりビスケットを添えようかな」 高貴な美貌のお嬢さんと品のいい所作の青年が、子ども用プールくらいあるタライに氷菓やトッピングのたぐいを盛り付け、特大のパフェをつくっているところに行き逢った。 色とりどりの菓子がバランスよく配置されたタライパフェは、ちょっとした箱庭、枯山水のようでもあって、調和や美すら感じさせる。 「すげぇな! なんての、ちょっとした芸術品みてぇだ!」 知らない人にも馴れ馴れしく話しかけられるのはティーロの特技である。 彼のそれは嫌味がないので、警戒されることは少ない。 「ね、すごいよね、アヤちゃんがつくったんだよ」 「ありがとう。見た目も大事だからね、そう言われると嬉しい」 エレナも、今回のツアーの発起人である蓮見沢理比古も、ティーロの賛辞を素直に受け取り、うふふと笑った。 「よかったらいっしょにどうぞ。まだまだ、材料を集めて増築するつもりだからね!」 スプーンを差し出され、ティーロが遠慮なくお相伴にあずかり始めたところで、 「ねえアヤちゃん、あっちにパンケーキの塔が見えるよ! その向こう側にはチョコレート・フォンデュの滝があるみたい。材料確保に行ってくるね!」 冒険心にあふれるエレナは、新天地を求めて駆け出してゆくのだった。 「無茶はしないようにねー」 手を振る理比古の傍らで、ルサンチマンもまた甘味を量産している。 プレッツェルの森で採集してきたパイリーフを重ねあわせて器に見立て、ふんわりとホイップされたチョコレート・クリーム雲やラムトリュフ石、マシュマロの樹などを盛り付けてゆく。七色ゼリーフラワーやフルーツ糖花をあしらえば、それは精緻な鉢植えのように映え、美しい。 その調子で彼女がつくりだす『新しい甘味』は、プロもうなる出来栄えなのだった。 「うわあ、素敵ですね!」 司馬ユキノが眼を輝かせる。 楽しんでいる人々の邪魔はしない、と決めているルサンチマンは、 「……よろしければ、どうぞ」 出来たばかりのスイーツを差し出す。 「ありがとうございます!」 ユキノは、眼を輝かせてそれを受け取った。 彼女は、ニンジンやとうもろこし、トマト、カラフルなパプリカなどを持ち込んでいた。緑菜領域で野菜を収穫していたはずが、いつの間にかこちらへ迷い込んでいたものであるらしい。 「野菜とお菓子かあ……野菜スイーツとか、よくあるよね。竜刻の力が宿った食材をコラボレーションさせれば、なんかすごいのができちゃうかも!」 とはいえ、製菓の知識は乏しいユキノである。 周囲に協力者を募ると、 「お、野菜スイーツか、いいねぇ。俺が生クリーム泥地で採集してきたこいつがお役に立てそうかな?」 男前なドヤ顔でティーロが極上の生クリームを提供し、 「俺は生地をつくるね。パータ・ジェノワーズよりパータ・ビスキュイのほうが映えるかなあ」 「では……私は、野菜をグラッセにしましょう。野菜の甘みを活かすために、味付け自体は控えめにします」 実に愉しげな理比古と、淡々としていながら的確なルサンチマンが本体および中身の作成を買って出てくれた。ユキノとしても、もちろん黙って見ているわけにはいかない。 「じゃあ私、野菜の下ごしらえをやります! 賽子切りや微塵切り、銀杏切りに櫛形切りまで、必要なかたちを教えてくださいね!」 包丁を手に腕まくりをするユキノの脇を、エイブラム・レイセンが小走りにやってきた。彼は、腕いっぱいに甘味を抱えている。 激辛系刺激系が好物のエイブラムがなぜ、と思う向きもあろうが、 「アヤちゃん、これオレからの気持ち。どれも極上のやつばっか集めてきたぜ!」 「わあ、さすがはエイブラム」 「ふっふっふ、もっと褒めてもいいのよ! そしてご褒美をくれてもいいのよ!」 ドヤ顔で胸を張る彼を見ていれば、いろいろな意味で狙っている理比古の好感度アップを狙ったものだと理解出来るだろう。 といっても、 「ご褒美かー。そういえば、身体がべっこう飴で出来たバッタとか、チョコレート蟻とかクッキーの蝶々とかがいたけど、捕まえてこようか?」 「いやあのそれ誤解なんで出来ればっていうか絶対やめてくださいお願いします死ぬ! そうじゃなく、例えばホラ、いっしょに行方不明になるとか!」 「ああ、森の奥まで。深いところに、綿菓子の巣を張る大きな蜘蛛がいるっていうんだよね。いっしょに巣を分けてもらいに行こうか」 「それなんてこの世の地獄!?」 どこまで判っているのかいないのか、狙われている当人は、エイブラムには気絶級の提案をするばかりなのだが。 そのころ、 「よし……材料はこんなものでいいかな?」 相沢優は、しだりとともに和菓子づくりを楽しんでいた。 といっても、わらび餅や白玉、大福、ういろうなどはその辺りに自生しているため、つくったというより収穫してきたというほうが正しい。ここで一から菓子をつくるというのは逆に難しいのかもしれない。 「あーしまった、たい焼きもつくってみたかったけど、さすがに型がなきゃ無理か」 粒あん火山が溶岩よろしく噴き上げていた極上の餡子を積み上げ、優は思案する。 ちなみに、チョイスが和菓子寄りなのは、しだりが和風好きだからだ。しだりが好きと言うからにはまっとうせねば、という、愛情からなる使命感が優を燃え立たせている。 「エレナに分けてもらったパンケーキを、餡子と組み合わせてどら焼きにして、と。わらび餅に餡子ときな粉トッピングの抹茶アイスを添えたら、黒蜜をかけて和風パフェ。あとは、餡子を少し緩めて、白玉と栗の甘露煮を入れれば栗ぜんざい! うん、我ながらいい出来だ。おーい、しだり、出来たよー」 しだりはというと、龍型に戻って煎茶川を泳いでいるところだった。 ふくよかな香りに、とても気持ちよさそうだ。 しかし、ゆったりと身体を伸ばしつつ、その視線は常に優を追っている。呼ばれるとすぐ人型を取り、優の傍へ戻ってくるところからも明らかだ。 「できたよ、食べてみて」 「うん、ありがとう」 「おいしい?」 「うん。栗ぜんざい、おいしい。ホッとする味だね」 信のおけるものにだけ見せるやわらかな笑みで頷く。 優は、小首をかしげた。 「……しだり?」 「うん?」 「どうかした?」 「……何が?」 しだりは気づいていない。 自分が、いつもより優の近くにいることに。 今も、『べったり』と言って過言ではないほど、優との距離が近いことにも。 「いや……別に、いいんだけど」 何でもないなら構わない、そう笑いつつ、優は困惑している。 徐々に迫る別れが、幼い龍に寂しさを与え、今は少しでも近い位置にいたい、という無意識の願望を生んでいる。 ――無論、それもまた、心に傷を負ったしだりにとって、得難い願望であることに変わりはない。 壮観だったのは灰燕先生である。 彼は、干菓子河川敷に赤い毛氈を敷き、大きな唐傘を立てて、茶の席を設けていた。用意された茶器も質のよい、上品なものばかりで、そこだけ別世界のような、雅な空気が漂っている。 そこへ、白い妖が、山のように甘味を抱えて戻ってくる。 『あるじよ、かような菓子はいかがでしょう』 甘味のためとはいえ、自身では動かない主義の灰燕である。 白待歌があるじのために先んじて飛び出してゆく、というのが正しいのかもしれない。 灰燕は鷹揚に笑む。 「お前が獲ってくるモンじゃ、俺が好まんはずがなかろうて」 ひんやりと上品な葛饅頭。 色合いの美しい上生菓子花に、白玉の実の和三盆糖がけ。 無花果の寒天寄せ、水無月湿原からひとかけら、定番のわらび餅沼には黒蜜を添えて。 「うむ……悪うないな」 薄茶川から汲んでくるだけでは面白くない、と、白待歌が見つけてきた碾茶砂場の茶を用い、見事な手前で茶を点て、忠実なる妖へと饗する。 「労いじゃ」 『は、もったいないこと……頂戴いたします』 そんな、優雅な時間が流れてゆく河川敷である。 3.おいしい競争 ルンは興奮することしきりだった。 「凄い、凄い! ここ神さまの国、何でもある! ルン、神さまの国、来られてよかった!」 氷菓などとは縁のなかったサバンナ出身者である。 冷たくて甘い、夢のような食べ物に、感動しないはずがない。 「うおー、あっちにきれいな木、発見!」 カラフルなフルーツグミが実る樹の天辺へと駆け上がり、遠くに見える巨木へと四つ足で一目散に駆け出す。 「うまっ……これ、お土産、持って帰れる?」 やわらかなスポンジケーキにクリームを挟み、チョコレートでコーティングした菓子が実る木に辿り着き、またしても感動することしきりのルンである。 そこから少し離れた位置では、 「タダで、時間制限なしの食い放題……まじでか。ここは天国か……!」 夕凪が感動しながら甘味森をさまよっている。 「やっぱ、目指せ全種類制覇、だよな……やべえ目移りする」 もいでは食べ、摘んでは食べる夕凪の近くでは、あちこちの匂いを嗅ぎ、 「甘いにおい、いいにおい! フラーダ、おかしたくさん食べる!」 ご機嫌のフラーダが甘味をむさぼっている。 「お、なんだお前もそっち行くのか。うまそうなもの、あるかな。犬なら判んんだろ?」 匂いを嗅ぎまくるフラーダの様子に勘違いしたらしく、夕凪が言うが、 「ちがーう。フラーダ、ドラゴンー!」 竜扱いされないことに怒ってみせる姿すら可愛らしく、迫力という意味では皆無だ。 「まあ細けーこと気にすんなよ。とりあえず奥行こうぜ奥! もしかしたら、菓子の城とかあるかもしんねーじゃん!」 「おしろ? おかしのおしろ? おおきい? たくさん?」 「おう。ケーキのベッドとかマシュマロのクッションとか、蜂蜜の風呂とか、王冠はチョコレートとか。そういうの、あったらいいよな!」 夕凪が拳を握ると、フラーダの眼が輝いた。 「フラーダ、食べたい! おかしのおしろ、さがすー!」 「おう、どっちが見つけるか、競争だぜ!」 森の奥へ向かって駆け出すひとりと一匹。 その近くでもまた、美味しいものを探そう選手権が開催されていた。 逸儀=ノ・ハイネの小狐たちは、ハルシュタットとともに領域を探索してあちこち行ったり来たり、を繰り返している。 「美味しいものがたくさん。幸せですねえ」 「本当だねえ。おれの見つけたズコットの山なんて、きっと一番おいしいよ」 「いえいえ、我らの見つけたざっはとるて平原に勝るものなど」 「……違うよ、おれのだよ」 「我らではないなんて、そんな馬鹿な」 「……」 「……」 無言で見つめ合った――睨み合った、ともいう――あと、双方、同時にダッシュ。双方、鼻を活かして、我こそは一番おいしい菓子を探し当てよう、と一生懸命である。 「ハルさん、どうです。岩に隠れたこの土は、なんとてぃらみすだったのです。我らの勝ちですね」 「おれはマカロンとかげを見つけたよ。鱗を分けてくれるんだ、素敵だよね。だからおれの勝ちだよ」 「なんの、だこわーずの木を見つけた我らには敵いますまい。こぉひぃくりーむが挟んであるのですよ」 「ふふふ、グラニテ洞窟で、メロンとすいかと桃の床を見つけたおれに勝てると思う?」 「ならば奥の手、ぶりおっしゅ湿原で見つけた、しっとりじゅわーなさばらん岩をくらうのです!」 「むむ、油断できないな……じゃあ、ジェラート氷河の猛攻の前に屈服するんだー!」 まだまだ、甘味王選手権、開催中である。 4.挑め! 古悪理ノ王! そのころから、甘味パラダイスの守護者、古悪理ノ王へ挑むものがちらほらと現れ始めた。 「古悪理ノ王。過去に、この領域を狙って現れた五十メートル級の虫型モンスターの群れを平らげたこともあるという猛者一族だ」 神楽の淡々とした説明に、それもう氷でもスイーツでもないよね、と誰かが嘆息する。 「古悪理ノ王か……我が相手に不足なし。すべて屠って新たな甘味王としてこの地に君臨してくれるっ」 すでにそこそこ酔っ払っている百田十三などは、酒瓶を片手にそう息巻いていて、 「俺は餡子を舐めながら酒が飲めるタチなのだ。またとない機会よ……火燕招来急急如律令、奴らの周囲を飛び回って足を止めろ、幻虎招来急急如律令、奴らを切り裂きすべて菓子の具材にしてしまえ!」 いきなり大技など繰り出す始末だが、 『笑止! 片手間に我らと相対しようとは、甘い……菓子だけに!』 古悪理ノ王は、それらの符術を、なんと拳で砕き、氷砂糖の包丁で切り裂いて沈黙させてしまった。 「なに……ここでも、だと……!?」 酔っ払いが無駄にシリアスな男前顔で驚愕する中、 『ククク……さあ、真っ向から、全力でかかってくるがいい……遊び気分で倒そうなどという甘い気持ちは捨てることだ』 古悪理ノ王の一族が気勢を上げる。 『菓子だけに!』 「いやもうそのネタはいいから! てか菓子なら捨てちゃ駄目でしょ!?」 思わず突っ込んでしまう音成梓を後目に、 「斃すと極上の甘味が手に入るのですか……では、最低でも六体は必要ですね。土産に持って帰りたいですから」 ジューンは淡々と戦闘準備を開始している。 「本件を特記事項α2-9、同行者の人命保護に該当すると認定(この辺りで該当しないから!? というツッコミが飛んだ)。リミッターオフ、敵性存在に対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA7、保安部提出記録収集開始」 ぱりぱりとエネルギーが集まっていく。 次の瞬間、電撃と電磁波が古悪理ノ王に向かって放たれる。 それやっちゃ粉々になっちゃうんじゃ!? という驚愕が周囲に走るが、 『甘い(以下略)菓子(以下略)!』 白光が収まったあとに佇む古悪理ノ王には傷ひとつない。 竜刻によって生み出された超生命であるから、むしろエネルギー系の攻撃は効果が薄いのかもしれない。 「くくく……悪くねぇ」 その光景に、麻生木刹那は肩を震わせ笑っている。 「この世の極楽が見えるほどうまいかき氷。そいつを提供できれば最高のサーヴィスになる。つまり、最高のウェイターになれるってこった。こんなチャンスを逃がすわけにはいかねぇ! 行くぜ、音成!」 「ちょっ、待っ……」 「当然、ギアと能力は封印だ。正々堂々、身体ひとつで勝負だ、ゴルァ! まとめてかかってきやがれ!」 刹那的には絶対的な理論であったようなのだが、梓にとっては眼をひん剥くに値する宣言だった。首根っこを掴まれて引きずられながら、必死で抵抗する。古悪理ノ王たちが戦いへの喜悦を載せた雄叫びを挙げ、こちらへ向かってきていることにも涙目だ。 「いやいやいや、ただの一般的なウェイター兼ボーカリストの俺に素手でどう戦えと!?」 しかも相手は武器持参である。 「ちょおお、そっちの皆さんもまとめて来ないでいいです、解散してください解散! っていうかレガート、何で先陣切っちゃってんのー!?」 助けを求めようとしたセクタンが、男前すぎる背中を見せながら、スプーンを片手に古悪理ノ王へと突っ込んでゆく様子に、梓のツッコミは留まるところを知らない。でもそろそろ息切れしそう。 業塵はむしろ感涙にむせんでいた。 「ここは極楽浄土か……!」 甘味に満ち満ちた楽園に、ここに来ないと儂じゃない、そんな感慨すら覚える業塵七百歳ちょっとである。 「甘味よ、儂は帰ってきた!」 狂喜乱舞のあまり、普段の静けさと無表情はログアウトしている。 テンションが若干おかしいが、スルーしてやるのが大人の振る舞いというものである。 「では、参ろうぞ……かき氷のために!」 業塵はすらりと刀を抜いた。 その全身を激烈な闘志が包み込む。 くわっ、と両の眼が見開かれ、 「かぁきいぃごおおおりいいいいいぃ!」 裂帛の気合いというか絶叫とともに業塵が突っ込んで行く。 「よし、俺も行くぞ!」 ロキが、古悪理ノ王の猛攻を冷静に受け止め、躱しながら、鞭で鋭い攻撃を加えると、続いたティリクティアが、異様にキレのある動きで攻撃を避け、躊躇なく攻撃を叩き込む。少女の腕力ゆえ、一撃で倒すというわけにはいかなかったが、 『見事!』 割れ鐘のごとき声が健闘を褒め称える。巫女姫は歓喜とともに飛び跳ねた。 「やったー、これでかき氷ゲットね! テューラ、いっしょに食べよう!」 テューレンスはそれへ頷きつつギアを構えた。 「競う……どんな方法、でも、いいの? 演奏なら、負けないよ……?」 夏の木陰、ふとした瞬間に吹く冷涼な風を思わせる、さわやかな音楽が周囲にあふれる。古悪理ノ王たちも、その時ばかりは感じ入ったかのごとくに聞き惚れていた。 『うむ……甘露である!』 声には喜びがにじんだ。 ロストナンバーたちからも、テューレンスの音楽を讃える拍手が巻き起こる。 「よし、びゃっくん、行くよ! おいしいかき氷、万歳!」 エレナは、メカびゃっくんを起動させ、その肩に乗っていた。 エネルギー充填完了、エレナの気合いも十分。 巨体に似合わぬ素早さと、サイズに相応しいパワーでもって肉薄するびゃっくんに、古悪理ノ王たちが不足なしと身構える。 「勝負!」 ごおうっ、とロケットパンチ発射(ただし有線)。 びゃっくんの拳と古悪理ノ王の包丁が交錯し、次の瞬間粉々に砕け散ったのは包丁だった。 『見事なり……!』 惜しみない称賛に、男前顔でびゃっくんが親指を立てる。不思議領域では不思議なことが起きるものだ。 そのころから戦いは白熱し、本性である巨大な狐へと戻った逸儀が飛び込んできたり、梓が巻き添えを食ったり、しだりと優が応援に来たついでに和スイーツをお裾分けしていったり、梓が巻き添えを食ったり、理比古がシロップのつくりかたを教えてほしいと乱入してきたり、梓が巻き添えを食ったりしていた。まさにカオスである。 ルサンチマンには、対古悪理ノ王戦よりも大切な任務があった。 主に、有馬春臣の抹殺を命じられていたのだ。 が。 「そうですか……古悪理ノ王とは溶けて固まって巨大化するものなのですか……」 彼女は現在、シロップビームに流されて浮いたり沈んだりしている。 興奮が最高潮に達した刹那が、 「おうおう、古悪理ノ王の一族ってんなら、親玉がいるんだろ、そいつ呼んできやがれ! 全力で相手してやらぁ!」 などと呼ばわったところ、古悪理の王たちが光を放ち、瞬時に水になった……かと思うと、次の瞬間には身の丈二十メートルを超える特大氷だるまになって顕現していたのだ。 近場にいた梓など、踏みつぶされそうになって半泣きである。 しかも、古悪理ノ王デラックス(便宜上)が、シロップビームなる必殺技を叫んだはいいのだが、それが、口から真っ赤なシロップが滝のようにほとばしり人々を飲み込む、というトラウマ級の技だったわけである。 「恐ろしい様は鬼瓦の如く。その恐ろしさで災厄を退けんと、……いや、君たちは甘味だしな? 悪い子はいねがと……いやそれ中に入り込んでいるのが前提とも取れるのだが、仕事をする気はあるのかね」 有馬先生は冷静に幅広く突っ込んでいるが、当然彼もシロップの海であっぷあっぷしているクチである。 「有馬春臣、覚悟、」 ドサマギのルサンチマンが忍び寄ったところで、 「地獄に仏、いや地獄に悪魔の従者……あっ普通だった! ひとまず私を助けたまえ、そろそろ足が攣りそうだ!」 悲壮な男前顔になった有馬先生に、救命胴衣の如くにしがみつかれ、いっしょに浮き沈みする羽目になる。 「やめなさい有馬春臣私も沈みまゴボゴボゴボ」 見事な巻き添えである。 シロップがようやく引くころには、 「彼女が言う“楽しい”とはこれですか……?」 カオスの洗礼を受けてズタボロのルサンチマンが、前のめりで自問自答しているのだった。 皆の健闘もあり、その辺りで古悪理ノ王はもとの個体へと戻っていた。 『見事であった……!』 彼らの戦いを讃え、皆に極上のかき氷が饗される。 歓声が辺りに満ちた。 「生きていてよかった……!」 口当たりのやさしい、滑らかな氷と、濃厚にして芳醇なシロップ、絶妙のコラボレーションに、業塵など本気で泣いている。 皆が舌鼓を打つ中、 「こおりのおうさーん! ぼくもいっぱいこおりだるま描くよ、みててね!」 タリスは古悪理ノ王からもらったシロップで色とりどりの氷だるまを具現化させているし、 「タリス、飴細工って知ってる?」 流杉は同じシロップで草花や動物を描き、具現化した氷だるまの周りに展開して彩りを添えている。跳ねまわる動物たちが愛らしい。 逸儀がかき氷に洋酒シロップを掛けてほろ酔いになっている横で、小狐とハルシュタットたちも、甘くて優しいいちごミルク味のかき氷にご機嫌だ。 「おいしいですね」 「おいしいね。これ、湖いっぱい分、食べたいな」 うふふと笑う四匹と同じ笑顔が、辺りに広がっている。 5.幸せ楽園タイム 夜になった。 「やはり……俺には、不釣り合いな場所だな」 ハクア・クロスフォードは、大きな袋を手に、夜空を見上げて苦笑した。 袋には、同居人の少女へのお土産に集めた菓子がたっぷり入っている。 さくさくのラングドシャ、シンプルなヴァニラ風味のカトルカール、ターキッシュ・ディライトなどと呼ばれるゼリーの砂糖掛け。小さくてかわいいプティ・ガトー、きらきらとした金平糖。自分には、甘さを控えた、コーヒーやチョコレートなどを使った菓子を詰めた。 「喜ぶかな」 少女のあどけない笑顔を思い起こす。 きっと喜んでくれるだろう、という確信があって、 「家に帰るのが楽しみだ」 思わず声に出して呟いていた。 そう思えるようになったのは少女のお陰だ。ハクアは、それを得難い幸運だと感じる。 ラス・アイシュメルは百とともに、蜂蜜色の星が流れる夜空を眺めていた。 昼間は、野菜料理に舌鼓を打ってから、好みの洋菓子を集めたり、百のために甘さの少ないものを集めたりしていたが、今は、百が見つけてきた滋味深い蜂蜜ドリンクと、七色のオーロラキャンディをおともに、百が奏でる三味線を聴いている。 「なかなか、楽しい一日でしたねェ」 三味線が伸びやかに音を奏でる。 「誘ってくれはって、ありがとうさんでした」 百の笑みは穏やかだ。 「これ、お礼いうのもなんですけど」 言って彼が差し出したのは、赤い髪留めの絹紐だった。ひと目見るだけでそこに強い霊力が込められていることが判る。 「ええと……」 ざっと走査し、そこに何の打算もないことを知って、ラスは二の句に困る。 「とりあえずもらう……けど、ごめん何すればいいか判んない」 「いぃえぇ。これがちょいと、ラスさまのお役に立つだけで、あっちは満足なんですがねェ」 それほど深い付き合いがあるわけではないが、百の言葉に嘘偽りがないことは判る。自分への敵意も悪意もないひとと、こんな時間を過ごすことは稀有で、警戒心がゆるやかにほどけてゆく。 「おや……寝てしまわはったんですか」 いつの間にか、ラスは、百の膝枕で静かに寝入っていた。 かすかに笑い、百は、自分の羽織をそっと彼にかけてやる。 理星はガチガチに緊張していた。 「ええと、あの、その」 やけに姿勢よく腰かける隣には理比古がいて、手製というパフェを持っている。理星の手にも同じものがあった。 どれだけ食べても怒られないとか幸せすぎて気絶しそう、と感激していた理星だったが、まさか理比古と再会するとは思ってもいなかった。こうやって出会うのはやっぱり運命だからなのかも、と嬉しくは思うが、どうすればいいのか判らなくてカチンコチンだ。 またしても逃げ出そうとしたところで呼び止められて、気づいたらこうなっていた。 「パフェ、美味しいね」 穏やかに笑いかけられて、思わず涙ぐむ。 幸せと緊張の同居する、静かな時間が流れてゆく。 マスカダイン・F・ 羽空は、蜂蜜星が流れてゆく空を見上げてしんみりしていた。 昼間こそ、全身糖分まみれなのねドロップ数年分ゲッツ非常食にはことかかねーのねウヒョー! と大興奮していた彼だが、静けさが辺りを支配すると物思いに耽るようになった。 「手を伸ばせば、触れられるお星さまなんて、素敵なのね」 伸ばした手が、きらきら光るキャンディに触れる。 ぽいと口に放り込むと、蜂蜜の華やかな味が広がった。 「甘い飴は、口の中で溶けてしまう……ちょっと、寂しいのね」 七色に輝くオーロラキャンディを摘み取り、微苦笑する。 「けど……なくなってしまったからといって、何も残らないわけじゃないのね」 心や思いではずっと語り続けるだろう、この日の、甘くてきれいな空や景色、賑やかな時間を。 そう、空で光り続ける星のように。
このライターへメールを送る