オープニング

 「朱い月に見守られて」への調査依頼として集められたロストナンバーたちの目の前には、何故か、観光ツアーのような案内旗を持った獣耳子供がいた。宇治喜撰ではなく。
「皆さんには、調査をお願いしたいと思いますー。今回は「朱い月に見守られて」行きでーす。温泉、入ってきて下さいねー?」
 続けてミミシロ司書が伝えたのは、以下のような事情である。

 地殻活動の終了した「朱い月に見守られて」世界では、歴史上、地震は一度も記録されていない。それが、最近になって、多発するようになったのだという。
 始めて地震が起きたときの犬猫達の戸惑いようは、わんにゃん騒々しいどころでなかった。が、古文書から旧世界ではありふれた現象であると判明すると一転、今度は神の復活が近いと噂されるようになった。
――この天変地異は、きざしである。
 地震の後に地面からお湯が噴き出す現象が確認されると、いよいよ、瑞兆であると受け止められるようになった。
 開拓時代に得た、限られた水を地下都市が保有し、分配管理しているこの世界では、水は大変に貴重なものだ。無限に湧き出る湯は宝と見えたに違いない。
 すぐさま商魂たくましい猫たちを中心に、温泉のわき出たシュンドルボン市は新しい観光地として整備され始め、今や、まんじゅう、せんべい、温泉水など観光商品までが揃いだしていた。
 そう、温水の恵みはなんと猫の街にあったのである。
 シュンドルボン市に信心深い犬たちが次から次へと押しかけ大変な混乱であった。

「っていうことで、今すごく活気が溢れてるみたいなんですー。観光にも丁度いいかな、って。あと、初めてのことですし、犬族と猫族がみんな仲良ーく温泉を使うように、監視ってほどじゃないですけど、争いごとが無いように見てて欲しい、かな、僕」
 最後の方は独りごちながら、獣人であるミミシロは、ちょっとばかり「朱い月に見守られて」にいる犬族猫族へ思いを馳せる。みんな仲良くできればいいなあ。
「……うん。皆さんなら大丈夫、と思います。ぜひ楽しんできて下さいねー」


 * * *


 貴重な水は共有財産のため、シュンドルボン市にある温泉施設は1カ所だけ。
 にわかに出来上がった温泉回廊は、必然、犬猫で溢れていた。

「元祖肉球まんじゅうー!」
「本家肉球まんじゅうー!」
「元祖肉球まんじゅうー! 元祖肉球まんじゅうー!!」
「本家肉球まんじゅうー! 本家肉球まんじゅうー!!」
 見た目の良く似通った菓子見本を手に、互いに負けじと声を張り上げている、向かい合った店舗の売り子達。一人が道行く観光客を強引に止めて試食コーナーへと導くと、向かいの店舗からは二人が出てきて同じく観光客を引き留め始める。
「うちが最初に始めたまんじゅうだよ。元祖の味、どうだい?」
「本家の肉球まんじゅうだよ-。紛らわしいニセモンに注意しとくれよ。ウチが本家だよー!」
「!!!! ちょっとあんた! にせもんてどういうことだよ」
「ニセモンはニセモンじゃないか。ウチのまんじゅうの真似したくせに」
「なんだとう。あんたらが真似したんじゃないか、うちの自慢のまんじゅうを!」
「なんだとう!!」
 せっかく引き留めたお客さんの手を離し、しっぽを立てて威嚇する。牙をむいて唸る。猫も犬もがにらみ合う。しかし観光客は少しばかり遠巻きにするだけで、道の流れはそう滞りもしなかった。
 ひときわ目立つ「元祖肉球まんじゅう」「本家肉球まんじゅう」のノボリの陰で、「にくきうまんぢう」の暖簾を提げた古くボロい屋台が営業している。客は誰も居ない。毛の抜けかけた爺さん猫の横では、錆付いた擬神がのんびりとまんじゅう作りの手を動かしていた。

 客が増えれば店が増え、店が増えれば客が増え。
 縄張り争いや元祖の名乗り合いに始まったイザコザだけでなく、怪しげな商売や宗教までもが、シュンドルボン市へと引き寄せられていた。
「そうですよ奥さん。この温泉水を飲むだけで、ずっと健康でいられるんです。それだけじゃなくて、毛並みもつやつや。身体も軽くなりますよ。これがたったの……」
 湧き出た温泉水を、万能の健康飲み物としてとして売り出し始めるもの。今ならひとり紹介する度に豪華なプレゼントがもらえる、このチャンスは今だけと畳みかけるように繰り返す。
「我らが神の降臨は間近じゃー! 皆のもの、身を清めよー!」
 己の罪を洗い流すために神が与えたもうたのがこの温泉だと、天変地異にきざしを見たものが叫ぶ。彼が言うには、日に3回、この温泉に入る儀式が必要なのだとか。
 それらが極端に見えぬ程度に、雑多な犬猫が寄り集まってきていることは確かだった。
「温泉作るのにとっぱらった鉄板の欠片! どれとして同じモノは1つもないよ! 見逃したら二度と手に入らない! 温泉の記念にどうだい?! 見てって見てってー」

 ごった返した回廊を過ぎて、1階層下がる。
 温泉施設の入り口、そこもまた犬猫で溢れている。

「マッサージいかーすかー。もみもみいたしやすよー。まっさーじー」
「湯上がりに飲みものー。冷たい飲みものー」
 仮眠所では、暖かな床に突っ伏してまどろんでいる犬猫がたくさんいた。その隙間を、マッサージ師と売り子たちは縫うように進んでいく。
 小さなパーティションに区切られた向こう側は、長逗留の客のようだった。だらんと寝そべっているように見えて、時々パーティションを押しやったり押しやられたりしている。

 脱衣所と見られる箇所には、猫族の疑神がずらりと並んでいた。
 大型の扇風機の前では、湯から上がった犬が風を独り占めしている。

「いらっしゃいませー。浮き輪の貸し出しは無料となってますので、お申し出下さいー」

 覗いて見れば、いくつかの区画を繋げてまるまる浴槽としたのだろう、たいそう開けた空間が広がる。
 ごちゃごちゃと壁を這っている配管から湯が落ちていたり、半壊しかけた渡り廊下がすべり台になっていたり、どういう理由か湯がぐるぐると回る一角があったり、さらに下層への入り口が湯の底に揺らめいて見えていたり、まだ整備は完全に出来ているとは言いがたかったが、犬猫老若男女関わらず、皆同じ湯へ浸かっている微笑ましい様は、この世界の過酷な状況を、一時忘れさせてくれた。

品目シナリオ 管理番号1862
クリエイターふみうた(wzxe5073)
クリエイターコメント・・・・・・・・ええっと、ふみうたです。
モフトピアじゃなくて、「朱い月に見守られて」です。
犬猫もふもふきゃっきゃうふふならお前が書けというので呼ばれました。

タイトルセンスがないのでお知恵を乞いましたらKENTWRがつけてくれました。
KENT「犬猫のところのよみは わんにゃん だからな!」
「今までの厨二感はどこに?」
高幡「これサービスシーンだから」

ええと。なので。わんにゃん混浴です。そんな感じにゆるくいこうと思います。
高幡WRがいつも言ってますしね。
まぁ、所詮は犬猫のやることです。いい加減なものだと思ってください。って。

ミミシロが案内する位なので、どうぞ皆さん安心して(?)遊びに来て下さい。
初めての方もこの機会にどうぞ。

※「朱い月に見守られて」については、異世界博物誌の該当頁をご覧下さいね。
http://tsukumogami.net/rasen/reference/world008.html

参加者
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
ダルタニア(cnua5716)ツーリスト 男 22歳 魔導神官戦士
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
ニコ・ライニオ(cxzh6304)ツーリスト 男 20歳 ヒモ

ノベル






「こんにちは、撫子ですぅ☆今シュンドルボン市に温泉調査に来てるんですよぉ☆是非タルヴィンさんのお兄様にご相談したい事があってぇ☆お待ちしてますってお伝えくださいぃ☆」











 シュンドルボン市は小さな都市だが、他の『朱い月に見守られて』の地下都市同様、多数の回廊が迷路のように延びて繋がっている。最下層の温泉施設へと向かうひときわ大きい通りの他にも、もともと住んでいた猫たちの住処が垣間見える回廊が、そちこちへ広がっていた。通りの賑わいにも我関せず顔をして、地元の老人猫が、古い擬神を侍らせ眠っている。




 満員のリニアから降り立った一行は、ホームからこちら、人混み、いや、犬猫の流れに押されるようにして大通りを進んでいた。
「ほんっとに犬猫だらけなのな……」
 リニアの中では隣のお嬢さん猫をナンパしていたニコ・ライニオ、実は『朱い月に見守られて』へ来るのは初めてだ。この世界にいるのは、擬神の肩や頭に乗る猫、抱えられている猫、二足歩行する大きな犬たち。擬神は神である人を模して作られているが、見かけは機械そのものだ。犬猫ともそれぞれ個として相対すれば人と変わらないが、ふと一歩引いてみると見慣れない世界にやはり不思議な感慨がわく。
 後ろを歩くコンダクターの川原 撫子の耳にもそのつぶやきは届いていた。彼女も最初は同じ気持ちになったものだ。あれから何度もこの世界に降り立ち、関わってきた。今ではずいぶんと愛着を抱いている。
「いやはや、すごい混雑ですねえ」
 直立するダルメシアン犬の見かけを持つダルタニアは、この世界の住人にほど近い外見のため、それほど違和感なくとけ込んでいた。ただ、もの珍しそうに時折振り返られることもある。見慣れない服のせいだろうか。
 犬の団体が、ダルタニアの横をお行儀よく並んで通り過ぎていった。信心深い犬たちなのだろう、温泉へお参りにでも行くようだ。
「みなさん温泉なのです?」
 銀髪の白い少女・シーアールシー ゼロが無邪気に問いにいく。彼らは答えた、神の証を訪ねにいくのだと。




 リニア駅前から温泉施設へ向けて、隙間なくびっしりと出店が並ぶ。色とりどりのノボリが天井からぶら下がっている。大通りへと合流する細い回廊へも、溢れた店が徐々に浸食していっているようだった。
 ダルタニアは使い魔である白い狼・ソラリスをつれて、興味深そうにそちこちの店を覗きながら歩く。
「ソル、あそこにおいしそうなお饅頭がありますよ。あなたも食べたいでしょう」
「お。にーさんありがとよ! ほらこれ食べてみ! うまいからさ、ほらほら!」
「うちのも食べてってよ! ほらほら!」「これもさ!」「これも!」
 栗饅頭をひとつ。芋饅頭もひとつ。草饅頭もひとつ。気前のよい売り子たちの勢い押されて受け取った饅頭を、恐縮しつつも嬉しそうに食べ比べ。もぐもぐ。
「これはいけますね。これはまあまあ。これは……ぐはぁっ!!」
 辛子饅頭に当たったようである。ひふーひふーと涙目になりながらもなんとか飲み下し、
「……申し訳ありませんが、これはわたくしには……」
(あそこは駄目という事にしますね……)
 心の中でつけていた美味しい饅頭屋リストから、そっとはずすことにした。
「ダルタニアさん(もぐ)辛子(もぐ)駄目なんですかぁ☆(もぐもぐ)」
 後ろからくぐもった声に振り向けば、出店を片端から試食制覇している撫子が、なんでもないように辛子饅頭を食べていた。その手には、ダルタニアが受け取ったものの5倍以上の饅頭が積まれている。
 そんな撫子の食べっぷりに、面白がってわざわざ試食品を持ってくる売り子犬がいる。一方で、店の商品を一通り試食して帰った後ろでは、小さな舌打ちとともにでっぷり猫があからさまに掃除箒で払っていた。
 ニコはニコで、売り子の呼びかけにいちいち立ち止まってはへらりと会話し、さらりとかわして歩いていた。とはいえ、お嬢さんがたとは少し長めに話しているのは気のせいではないだろう。彼の女性センサーは、犬猫にだってばっちり働く。
(やっぱ、観光客に買わせてやんぜってやる気満々の店は、楽しいわー)
 元来は人間好きの竜である。ヒトに似た進化をしたこの世界の犬猫は、愛おしく思う人たちを彷彿とさせた。本当ならばもう少し会話を楽しみたいところだが、彼の能力である『竜の加護』は、居るだけで周囲に豊穣と繁栄をもたらす。過剰に客を集めては迷惑になりかねない。名残惜しいが程々で離れなければ。
(それに、あんまり「怪しい」店には寄らないよーにしないとなー)
 大通りへ繋がる細い回廊の奥、神を叫ぶ声を、ニコの耳はとらえていた。妖しげなトークで引き込もうとする手も。そんないかにも騙しています系の店に、決して客を呼びたくはない。
(しっかし、色んな商売考え付くもんだよね……。そーゆーのは、どこの世界でも同じなのかな)
 いつのまにかお絵かき煎餅屋に陣取って、美的センスある落書きを披露しているゼロにふと目を留めて、ニコは微笑んだ。ああいうのばっかりなら可愛いのにさ。




「元祖肉球まんじゅうー!」
「本家肉球まんじゅうー!」
 温泉施設がすぐ目の前、というところで、ガラ声で張り合っている二つの店舗にさしかかる。向かい合った元祖と本家は、あからさまに折り合い悪く、客の取り合いから始まって、相手への嫌がらせ、道のどこまでが自分たちの宣伝場所であるかの主張、口上のパクリ合い、等など、その店が遠目に見えだしたあたりから既に、何かありそうな雰囲気を醸し出しているように見えた。
 が、そう察したのは、ロストナンバーたちだけなのかもしれない。道を行き交う犬猫たちは、気がよすぎて売り子に引っかかりまくるか、関心がなさすぎて気にせず通り過ぎていくか、どちらかだった。
 隣あった出店も、口を挟んだり文句を言うようでもなく、彼らの無理無理でも客を留め置く秀でた手腕を横目に、そこからこぼれたお客を拾うという漁夫の利的な商いをしているようだ。
「元祖肉球まんじゅうー!!! いかがですっかあーー」
「本家肉球まんじゅうー!!! いかーですっかーー」」
 のんびりと通りかかったダルタニア、あっという間に元祖肉球まんじゅう派と本家肉球まんじゅう派に囲まれてしまった。売り子が可愛い猫娘ばかりだったので、後をついていたニコまで一緒に出口をふさがれている。
「兄さん兄さん、ちょいと食べていっておくんなさいよ」「食べていきなさいよっ」「まあまあひとくち」「おいしーですから」「まあこれ持って行きなさい」ぐいぐいぐいぐい。
 右から左から試食させようと押しつけてくる。さらには騒ぎにうっかり興味を示した犬へ、二次被害が出始めていた。見かねたニコが仲裁に入ろうと顔を出す。が、
「まぁまぁそれくらいに……むぐっ?!」
 ターゲットがもう一人増えたとばかりに、売り子はニコの口へも饅頭を押しつけるのだった。




「せっかくだからゼロは『にくきうまんぢう』を選ぶのです!」
「ミミシロさんのお土産にいいかもですぅ☆」
「それは良い案なのですー」
 ニコとダルタニアが攻撃的な売り子に囲まれているとは露知らず、ゼロと撫子は寂れた饅頭屋台の前に足を止めていた。
「おじいさんおじいさん、まんぢうおひとつくださいなのですー」
「私にもまんぢうくださいですぅ☆」
「……」
 老猫はぴくりと動いたようだった。それを受けて、擬神が『にくきうまんぢう』を焼き始める。キィキィと腕から音を立て、生地を流し込んでいく。
「年季の入った擬神ですねぇ☆ここのお店、長いんですかぁ☆」
「……」
 あたりに甘い香りが漂いだす。
「美味しそうな匂いがしますー」
「……」
 擬神の手は、器用に『にくきうまんぢう』を返しているようだった。が、所々で動きが細かく途切れ、握力の制御が出来ないのか、丸い饅頭が少しだけイビツになる。
「……」
 熱した焼き型を、小さな饅頭に軽く押し当てていく。掠れた肉球の形が浮き上がる。位置調整が時たま狂い、半手になる饅頭もあった。
 出来立ての『にくきうまんぢう』を擬神が取り出す。新聞紙で丁寧に包み、ゼロと撫子に差し出した。紙ごしにあたたかさが伝わる。
「ありがとうなのですー」「ありがとうございますぅ☆」
 二人の礼に、老猫は薄目をあけて答えた。
 擬神が老猫の前に、冷めたまんぢうを二つに割り、置く。ゆうくりとした動作で、お爺さん猫は匂いを嗅ぎ、ぺろりと餡を舐めた。
 それを見て、二人は熱々の『にくきうまんぢう』を手に取った。おそらく昔ながらの味なのだろう、どこか素朴な味、ほっとする味がする。
 擬神がぬるめのお茶の用意を始めた。




 ニコとダルタニアを囲む人垣(?)は、徐々に大きなものになっていた。
 一か所に長居すると喧嘩の火種になっちゃいそうだし、商売上手な猫にでも能力気付かれたら面倒事になりそう……なんてニコは当初思っていた。思っていたんだ。ほどほどにしようって。
(に、逃げられないじゃん……)
 商売人の熱意はすごい。ライバルが目の前にいるとなると尚更だ。掴んだ手を、決して離してくれない。
 ただニコに関しては、私の方が可愛いとか思っている看板猫たち同士の水面下の争いも実は絡んでいたりして(気に入った男には自分の店の商品を買わせたいものだ)、女性陣のしつこさったらなかった。
 ニコが女性に引っ張りだこな一方で、ダルタニアは、懇々と説得攻撃を受けていた。いかにうちの饅頭が宇宙的に美味いか熱心な弾丸トークを繰り広げるカリスマ店員の口上に、思わず引込まれそうになっている。聞き入っているダルタニアの裾を、ソラリスが精一杯引っ張って気付かせようとしているが、びくともしない。
 ニコとダルタニアだけでなく、道幅一杯に押したり引いたりの客寄せ騒動が広がり、場は混沌と化していた。進むことも戻ることも出来ない。
「みんな仲良くなのですー」
 気づけば、渦中のど真ん中、すっくと立つゼロがいた。
「仲良くなのですー!」
 むくむくむくりと、風船のように大きくなっていく。どの擬神よりも頭5つ分くらい抜きんでた高さに達する頃、誰もが彼女の存在に気づいた。普段は不条理に地味で目立たないが、見れば究極の美少女と認識される。
「このような時には、温泉に肩までつかり、ゆっくり百数えるといいそうなのですー」
 託宣のように、ゼロの声が響く。ただ静かに、熱は引いていった。立ち止まっていた観光客は目当ての温泉へ向かい、過剰な客引きをしていた売り子は我に返り、それぞれの持ち場へ散った。けれど彼らは次に温泉へ入ったときには、きっと百数えることだろう。



 そういえば、と、ようよう離脱したニコが二人に呼びかける。
「撫子ちゃん、ゼロちゃん。あのじーさんのやってるさびれた饅頭屋、どうだった?」
「美味しかったですよぉ☆これはミミシロさんへのお土産だからあげませんけどぉ☆」
「ゼロは気に入ったのですー。もっとお客さんが来てもいいと思うのです」
「ふぅぅん。んーじゃ、僕はちょっと後から行こうかなー」
「どうしたのです?」
「ちょっと野暮用」
 ウィンクを投げて、ニコはするりと消えていった。











「いらっしゃいませー」
 温泉施設の入り口で、撫子は、壱番世界の迷路のような駅チカから、地下鉄ホームへ降りていく気分になった。案内を兼ねた受付は、さしずめ改札だろうか。その向こうには、仮眠所が広がっている。まっさーじー、のみものー、と売り子の声が聞こえた。
「浮き輪の貸し出しはあちらでーす。無料でーす」
「浮き輪、扱ってるのですか。わたくしは泳げるので、大丈夫ですよ」
 ダルタニアが丁寧に断りを入れている。
「温泉なのですー。もふもふでぽかぽかなのです。浮き輪も借りるのです」
「それがいいですね。ゼロさん、ここで溺れたら大変なことになりますよ」
 ぴくり、と、撫子の肩が反応する。
「……私にも浮き輪くださいですぅ☆大きいのふたつお願いしますねぇ☆」
 浮き輪貸し出しコーナーの隣、脱衣所と見えたところは、猫の擬神置き場だった。犬族は、受付を通り過ぎると服を着たまま温泉へとことこ歩いて行く。
 ダルタニアはしばし考えた末、彼らを真似ることにした。郷にいっては郷に従えといいますしね。
 ゼロと撫子は、空きパーティションで着替えることにした。秋葉原ジェノサイダーズで手に入れたという白い『スク水型スーツ』を着たゼロの胸には彼女の名前が書かれている。細身の撫子には胸元にたっぷりとしたフリルをあしらったビキニがよく似合っていた。二人ともしっかりと浮き輪を抱えている。
「ワレワレハウチュウジンナノデス」
 扇風機の前を通りがかるとき、ゼロはお約束の言葉を投げた。




 いざ温泉へと足を踏み入れてみると、すべての観光客を一手に引き受けている施設だけあり、その規模はとてつもなく大きかった。回廊の数区画を繋げてまるまる浴槽としたと見え、対岸は湯気にけぶってぼんやりしている。ひときわ真っ白い一角は、源泉に近いのだろうか。
 壁を這う配管から落ちる湯で肩を打たれている修験者のような犬、壊れかけた渡り廊下をすべり台代わりに遊ぶ子犬たち、浮き輪に掴まったままぷかぷかと浮いて、回る水流に身を任せている猫、床の浅い場所で喉を潤している猫たち。ゆったりと浸かり、遊ぶだけ遊ぶと温泉から上がり、身体のふるわせ水を飛ばすと、仮眠所へ戻りまどろみを繰り返す。
 だらりと寝そべる犬猫で埋まっていた仮眠所もそうだったが、ここにもまったりとした空間が広がっていた。自然に気分もほぐれていく。
「まあとにかく、今のうちに遊んでいきますか」
 知りたいことがあるという撫子から離れて、ゼロとダルタニアは湯船に浸かることにした。浮き輪をすっぽりと身に付けたゼロが、水流に任せて旅に出ると言うので、ダルタニアは最初の一押しを手伝う。ぷかりぷかりとゼロが離れていった。
「さて、遊ぶと言って何をしましょうか」
 控えているソラリスがフライングディスクを差し出してきた。
「そうですね。これ、投げてみますか。あちらの奥が良さそうですね」
 水深の浅い場所まで進む。近くにはパピヨンやシープドッグの集団がいた。ダルタニアがフライングディスクを掲げると、何が始まるのかと視線が集まる。
「それっ」
 ディスクが手を離れ、しゅるしゅると空を切る。動きを見ていたシープドッグが、わっと追いかけ始めた。キャッチした青年がやや興奮したように戻ってくる。
「これは楽しいですね」「楽しいですね」「もっと投げて下さい」「遊びましょう遊びましょう」
 期待に満ちた目に囲まれて、ダルタニアは何度もディスクを投げた。シープドッグの青年団は、この遊びを気に入ったようだ。嬉しい反面、なにやらうずうずとするものがある。
 ふと見ると、いつのまにか戻ってきたゼロへ、ソラリスが牛の骨を渡している。受け取ったゼロ、乞われるままに、骨を高く投げ上げた。
――宙に浮く、骨。
 気付くと、ダルタニア。いの一番で飛び出して、ダイビングキャッチを決めていた。
 我に返る。
 きょとんと見つめる幾対もの瞳に出会う。
 そうだ、そういえば、そもそもダルタニアも犬であった。



「源泉で25度以上……確かに温泉ですぅ☆管理者の猫さんいらっしゃいますぅ?泉質調査済みなら教えて頂きたいんですがぁ☆」
 持ち込んだ温度計を確認して、撫子は近くの係員らしき猫に声を掛けた。はぁ、とわかったようなわからないような声を出して、猫が引っ込んでいくのを見送り、1分間の水量を計るため、バケツとストップウォッチを取り出す。
 ほどなくして、のったりとした足取りで壮年の猫が近付いてきた。
「あんたかね? なんか聞きたいとかいうてるんは?」
「はいぃ☆泉質についてお聞きしたくてぇ☆もし未調査なら調査依頼をしたいのですがぁ☆」
「あー……すまんのぅ、わしらよくわからんでの」
 そもそも源泉を初めに見つけた(というか気付いた)のは彼だったのだが、その連絡を受けて大騒ぎになり、猫族の偉い人が大勢集まり、後から犬族の偉い人もわらわらやってきて、猫が犬が神がとなにやらややこしいことになりかけたところを、誰かの進言で、この猫が管理者としてなんとか収まったのだという。小難しいことは上が調べているはずだが、誰に聞いたら良いのかわからん、つまり、詳しいことは、もっと偉い人に聞いてくれ、ということだった。
 ひたすら、すまんのぅすまんのぅ、と繰り返されては、撫子もそれ以上強くは言えなかった。自分たちで調べられることだけを調べよう。
「お忙しいところすいませんでしたぁ☆お仕事頑張って下さいねぇ☆」




(しょーじき、混浴、って聞いたから、この依頼引き受けたわけで)
 遅れてきたニコは、広がる光景に目を瞬かせる。
(ぶっちゃけ……もしかして「種族入り混じってる」から混浴ってオチじゃないよな? とか、思ってたわけだけど)
 想像と違って、本当に、種族も性別もなく文字通りに「混浴」だった。平然と混浴だった。まあ、犬も猫も、外で見たままの姿だけれど、そんなこと関係ないさ。女の子とキャッキャウフフするのは男のロマンだろ? ほら、いまだってニコのほうをちらちらと見ている女子集団がちゃあんといる。
「温泉……というか、一大レジャーになってますよね」
 ニコを見かけて、苦笑しながらダルタニアが近づいてきた。
「どうですか、一緒に泳ぎませんか」
 前足を動かして、犬掻きの真似で誘う。ニコは笑って肩をすくめた。
「悪いなー、僕はあっちのお嬢ちゃんたちと遊ぶ先約があってね」
 投げキッスを送れば、華やかに彼女たちの声がはじけた。そうそう、こうでなくっちゃ。
 じゃあまた後で、と、ご機嫌で去っていくニコの後ろ姿に、ダルタニアは首を傾げる。
「あれも調査……なんでしょうかね、ソル」
 ソラリスはそんなことは知らぬとばかり、そっぽを向いた。



 ダルタニアはぐるりと犬掻きで湯船を見て回ってみることにした。進んでいくと、水深深くて人影がまばらなあたり、床底に揺らめいて何かが見えた、気がした。
「とりあえず、もぐってみますか。何か分かりますかねぇ?」
 軽く、息を吸い込んで潜水する。
 壊れた扉、折れ曲がったパイプ、欠けた椅子、頑丈そうな鍵付の箱。沈んでいるガラクタと、そちこちに見える綻びに、ダルタニアは目をすがめた。
(これは……突発的な出来事だったのでしょうね)
 取るものも取り敢えず、ただ逃げるのに精一杯だったのかもしれない。何かの設備がそのまま残されている。
(特にこのあたり、整備されてると言い難いというか……ん? 妙なところに、妙な入り口が)
 シャッターに区切られた一角に、下へ向かう階段が見えたようだった。それだけ見ると、いったん湯から顔を出し、苦しくなってきた肺に空気を取り込む。息を整えてから、水中呼吸の呪文を唱える。
(とりあえず、見てきますか。なんともなさそうですが)
 気軽な気持ちで覗きに行ったダルタニア、階段を泳ぎ下り、暗い視界に目を慣らしてから、最下層と思われる回廊に足を踏み入れた、途端。横からの強い水流に巻き込まれて、あっという間にどこか知らぬ場所へと連れ去られてしまったのだった。
 なんとかかんとか戻っては来られたものの、ぐったりげっそり
「呪文、かけてなかったら、危なかったですよ……。油断できません……」
 そのまましばらく仮眠室のお世話になった。











「ゼロは聞いたのです。風呂上りには腰に手を当てて扇風機の風に当たりながらコーヒー牛乳を飲み干すのが正式だそうなのです。犬さん猫さんにもおすすめするのですー」
 ゼロの提案に撫子も便乗し、早速手配しようと手近な猫ちゃんへお願いしてみた。
「こーひーぎゅーにゅー?」
 案の定、初めて聞いた顔をされる。この世界には、珈琲も牛乳もないのだろうか? 駄目元で、言い換えてみる。
「珈琲入りミルクのことですぅ☆」
「えっ、ミルク」
「ミルクをご所望ですか?」
 音高く、手を打ち鳴らされる。
「誰か! 誰か、ご案内して差し上げろ!」
 わらわらわら。どこからか出てきた見目麗しき猫娘たちが、こちらへ、こちらへ、と誘導する。ゼロと撫子は、促されるまま階段を上り、飾られた調度品を横目に、仮眠室のふっかりした床の何層倍も柔らかな足触りの床を歩き、明らかに高級な造りの別室へと通された。VIP用個室なのだろう、手の込んだ飾りのクッションが大小あちらこちらに置いてある。
 バイトに明け暮れる苦学生である撫子は、部屋に漂う貴族的雰囲気に少し臆したものの、逆に興味を惹かれて観察し始める。ゼロはクッションの上に座り込み、極上のふかふか具合に思わず横になった。これは一度味わっておくべき柔らかさなのですー。
 しばしの時間の後、ノックが響く。
「失礼いたします」
 銀盆に載せて差し出されたのは、皿にうっすらと注がれた白い液体。
「どうぞ、お召し上がり下さいませ」
 ゼロと撫子は目を見交わした。
 おそらく『朱い月に見守られて』において、ミルクは超超超高級品なのだ。それが飲めるのはごく限られた階級のもののみで、だから自然、希望したものは最高級のVIP扱いなのだろう。
「ありがとうなのですー」
「それと、珈琲も欲しいのですけどぉ☆」
 猫娘たちに怪訝な顔をされる。
 後ろに控えていた年配の猫が、控えめに、しかしどこか嫌悪の色で、
「こーひー、とは……もしやあの、黒くて苦い飲み物のことでしょうか?」
「たぶんそうなのですー。このミルクに混ぜて、コーヒー牛乳を作るのですー」
「ええええっ?!!!」
 有り得ないとばかりに、非難の声。
「珈琲は、神かぶれの犬の飲み物で、私ども猫はあんなもの飲んだこともありません」
「何故この貴重なミルクに混ぜものを? もったいのうございます」
「ささ、そのままお召し上がり下さい」
 どうやら、この世界に温泉上がりの珈琲牛乳を広めるのは、少し難しそうだ。




 VIP階を辞して、ゼロは仮眠所へ向かった。ふかふかのクッションは離れがたかったが、犬さん猫さんの間で、同じようにごろごろしたかった。
 もちろんマッサージも頼んでみる。小柄なマッサージ猫がにこにこのんびりした口調で請け負った。ぷにぷにした肉球を、意外に強い力で押し当てる。ぽむぽむ叩いたり、ぐにぐにこねてみたり。暖かくもしっとりした肉球感覚は、程良く柔らかく程良く心地よく、夢の中にゼロを誘う。

 ……うとうととして目を開けると、ゼロはまた温泉へつかっていたようだ。浮き輪が波に揺れる。犬と猫が手を繋いで遊んでいる。朱い月が浮いている。
「世界中の犬さん猫さんがここみたいに仲良くできますようになのですー。温泉大神王皇帝に祈るのです」
 温泉大神王皇帝……と、いるはずのない名で呼ばれた何かが、もわわわんと湯気の中に見えてくる。それは巨大なデフォタン――おなかに温泉マークがついている。
 意識たゆたうゼロは、巨大なデフォタンをむぎゅうと抱きしめ、手のひらに転がし、指先に乗せるほどに巨大化していた。ゼロの祈りの念は、彼女の見かけそのままグラハム数倍くらい、現実の何物とも比べられないほどに超巨大化し、温泉大神王皇帝に向かっていく。温泉マーク付きデフォタンは、ぷるぷると震えた。
 すべてが安寧色に染まる。気分が穏やかになってくる。まったりと、ただただ、お湯につかっていたい気持ち。幸福感。癒やされる心。安息の日々。おそれが遠のいていく。
 見渡す限り誰もの顔がほころび柔らかに笑んでいるのを見て、ゼロは安心する。諍いのない、平和で、穏やかな夢の世界が、ここにある――











 VIP用回廊に、いるとは思っていなかった姿を見かけ、撫子は振り返った。
(!!?)
 ボーズとタルヴィンだ。
 撫子が通信を発する前に、既に彼らも温泉観光に来ていたのだった。

 見つけるやいなや、撫子は暴れるボーズを小脇に抱きかかえ、ドックの方に駆けだした。全長20mを超えるヴィタルカのコックピットまで足場をつたって登る。それをタルヴィンが追いかける。
「密談するなら他に見えない方が良いですよぉ☆声は録っていただいて構いませんからぁ☆」
 そう言われると、フーフー息をしていたボーズはヒゲを正して咳払いをした。
「温泉は普通地熱で温められて湧くものですぅ。マントル対流がないここで、地表のみの熱量で温泉が湧くのは少し考え難くてぇ……ボーズさんが水源探査以外に何かしているのでなければ、テラフォーミングが始動した可能性が……神が現れる可能性がありますからぁ」
「川原撫子さん。あなたの考えは半分当たっているが半分間違っている」
 操作盤に肉球を押し当てると、ヴィタルカのディスプレイパネルに天空の朱い月が映し出された。
「これを見てくれたまえ。朱い月が大きくなっている。この星が、朱い月に近づいているのだ。これがテラフォーミングだと言うのならば、それは誤りだ」
 潮汐力によってこの星が歪められ、それが地震として発露しているのだという。温泉が湧き出るのは地中深くの氷が、歪みを受けて溶け出したものだろう。
 このまま近づきすぎれば、ロシュ限界を超え、この星が粉砕されることも考えられる。
「だが川原撫子さん。我々はなんでこの星が朱い月に近づいているのかがわからない。あなた方ならそれがわかるのだろうか」
 ボーズの強い目が、撫子を見返していた。



 その、数刻後。
 ボーズとタルヴィン、それに撫子とゼロ、ニコにダルタニアは、仲良くともに、温泉に浸かっていたのだった。

クリエイターコメントたいへんお待たせ致しました。
『【竜星の堕ちる刻】犬猫混浴(わんにゃんこんよく)』、お届け致します。


シーアールシー ゼロさん
ダルタニアさん
川原 撫子さん
ニコ・ライニオさん
この度はご参加頂きありがとうございました。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


そして、
「朱い月に見守られて」世界が今大変なことになっておりますが、
そこにはこんな犬猫達がいるんだよ、と、
少しでも身近に感じて頂けたら嬉しいです。


ありがとうございました。
公開日時2012-06-21(木) 21:20

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル