ふと気配に気づくと、つぶらな瞳に見つめられている。 モフトピアの不思議な住人――アニモフ。 モフトピアの浮島のひとつに建設されたロストレイルの「駅」は、すでにアニモフたちに周知のものとなっており、降り立った旅人はアニモフたちの歓迎を受けることがある。アニモフたちはロストナンバーや世界図書館のなんたるかも理解していないが、かれらがやってくるとなにか楽しいことがあるのは知っているようだ。実際には調査と称する冒険旅行で楽しい目に遭っているのは旅人のほうなのだが、アニモフたちにしても旅人と接するのは珍しくて面白いものなのだろう。 そんなわけで、「駅」のまわりには好奇心旺盛なアニモフたちが集まっていることがある。 思いついた楽しい遊びを一緒にしてくれる人が、自分の浮島から持ってきた贈り物を受け取ってくれる人が、わくわくするようなお話を聞かせてくれる人が、列車に乗ってやってくるのを、今か今かと待っているのだ。 ●ご案内このソロシナリオでは「モフトピアでアニモフと交流する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてアニモフの相手をすることにしました。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが出会ったのはどんなアニモフか・そのアニモフとどんなことをするのかを必ず書いて下さい。このシナリオの舞台はロストレイルの、モフトピアの「駅」周辺となりますので、あまり特殊な出来事は起こりません。
ロストレイルがモフトピアの世界へ入ると、それまで暗闇だった車窓は一転して、青く染め上げられた。 蒼一色の空の中に、汚れない純白の柔らかな雲、煌めく夢のような虹の橋。幼子の読む絵本の一場面のような鮮やかさに、華月は瞬きした。見慣れぬ風景に目を奪われながら、胸の底で落ち着かぬ気配がある。 初めて訪れるモフトピア。アニモフという不思議な可愛らしい者達が幸福に暮らしている世界には、死もなく、悲しみもないのだという。華月には、そんな世界に住むアニモフという種族が、どうしてもうまく思い描けなかった。 駅の島へ向けて高度が落ちると共に、雲の上で動き回る小さな点に気付く。もこもこと跳ね回る様が目に近くなり、列車が駅へと滑り込む頃には、はしゃぐアニモフたちが、押し合いへし合い騒いでいるのが窓越しに伺えた。 車掌がモフトピア到着を告げる。 既に整えた手荷物を今一度確認し、緊張で上滑りし始める気持ちを深呼吸で誤魔化した。……さ、降りなくちゃ。 「ようこそもふー」「いらっしゃいもふっ」「待ってたもふ!」 ロストレイルから降りた途端、あちらからもこちらからも喋りかけられ、手に縋られ、着物の裾を引っ張られ、まるで一歩も進めなくなる。小熊の動く縫いぐるみは、遠慮がなかった。 「あの」 「遊ぼうもふー」 「え、」 「お話聞かせてもふー」 「わ、わた……」 「一緒にお菓子食べようもふー」 聞いた以上に、人懐こくて、親しげで無邪気で、何の疑いも持たずにすり寄ってくる。ふかふかの温かさに、華月は突き放すことも出来ず、かといって、どう相対したらよいのかわからなくて、目ばかりがアニモフの間を彷徨う。 見上げてくる無垢な瞳たち。 傷つけられるなんて欠片ほども思いもせず、傷つけられまいと鎧をまとうこともなく。伸びやかに自由に、華月を誘う。いらっしゃい。よく来たね。待ってたよ。遊ぼう。話そう。これあげる。大好きだよ。 ――こんな風に自分に話しかけてきた存在なんて、今まで会った事がなかった。 ここが華月の故郷ならば、あの鳥籠ならば、子供すらも既に大人びて、冷えた視線ばかりを投げやることだろう。何処へも逃れ得ぬ淀みが溜まり渦巻く淵で、人は次第に濁りゆく。彼女らのように生きることを逃れた華月とて、 「どしたもふー?」 きん、と、子供の高く明るい声が華月を過去から引き戻そうとする。 目の前に、輝きに満ちた円らな瞳。何も映さず諦めきった濁り目ではなく。全開の笑顔が迎えている。紙っぺらのような偽りの微笑みではなく。憧れにも似た色の視線が注がれている。頬のひきつれにも似た、微かな嘲りでもなければ、見下された無言の圧力でもなく。 それは、あまりにも異なる彩り。隔たりすぎて、目眩すら起こしそうな。この子たちは、本当に、 「あ、もしかして、旅人さん、お仕事ないもふ?」 「遊べるもふ? 遊べるもふ?」 「え……」 応えのない華月の態度も気にせずに、変わらず袖は引かれている。何故彼らは離れていかないのだろう? 誘いは続いている。華月は囲まれたまま、手を繋いだまま、 「美味しいお菓子のなる木、知ってるもふよー?」 「お茶会するもふー! お茶会♪ お茶会♪」 いつのまにか茶会が開かれそうになっている。こっちもふーと案内されかけて、ようやく我に返った。慌てて言い訳を――事実なのに、口実だと思ってしまう――告げる。 「ご、ごめんなさい! 私、依頼があるから……だから……」 「いらいー?」 「おしごともふ?」 「遊べないもふー?」 「旅人さんは忙しいんだもふー」 お仕事は大変なことだからと、頑張ってねと励まし見送られて、ごめんなさいごめんなさいと繰りながらその場を離れた。依頼を果たしに行くのは、仕事だもの、仕方ないことだわ、と、自分に言い聞かせ。それでも一度だけ、華月はちらと振り返る。手を降り続けるアニモフに、振り返すことも出来ず、それきり俯いて歩き出した。 ――そんなまっすぐな視線を、私が受けていいの? 依頼を遂げる間もずっと、背中に眼差しが張り付くようだった。どこもかしこも綺麗すぎて、居心地が悪くて、落ち着かない。ここから早く離れたい。――わかっている。アニモフたちはとても純粋な、優しい者達ばかりだって、わかっている。悪いのは…… 話しかけようとするアニモフたちに、あやふやな言葉ばかりを返して、微笑むことも出来ない。 回収すべき花を手に、華月はそそくさと駅の島へと戻ってきた。予定された時間よりもずいぶん早く着いてしまったので、ロストレイルはまだ影も形もない。 列車のない駅にロストナンバーは不在だと踏んでいるのだろう、華月には逆に幸いなことに、旅人待ちのアニモフたちは、離れた場所で遊んでいた。ふらりと一人で現れた華月に、気付いたものは、誰も居ない。あの無垢な存在が身近にないことに、少しの安堵を覚えた。 木陰にそっと座り込む。 収穫物である花束を抱え、ぼんやりと目をとばす。 遠目でもよく分かる。虹のすべり台に群がるアニモフたちの、賑やかにも楽しい声が、微かに届く。ころころころり。すべってころりん。もういっかーい。きゃっきゃきゃっきゃと飽きもせず、繰り返す。ふかふかころりん。誰も彼もが笑いさざめき。 幸せで、幸福で、まるで砂糖菓子のように甘い―― ふいに、視界が歪む。 溢れ出た涙は、止めるまもなく頬をつたった。 羨ましい。 私もこんな風に、 揚羽もこんな風に、 幸福を手に入れたかった――! 叫びたいほどに強く思う……思ってしまった。 胸で繰り返し叫びそう。苦しい。手に抱く花を、無意識に握りしめそうになる。止める力に、身体が強ばる。 言葉を吐いたら楽になるのだろうか。アニモフたちに言って、でも、何になるだろう? 私の気持ちは、きっと彼らには分からない。それに。 (言うべきことでも、ないわ……) 情けないことだ。羨ましい、と思ってしまう自分が、哀れで。惨めで。手に入らないものを、願うなんて。なんて。 それでも華月は、目が離せなかった。 見れば見るほど遠く感じるアニモフたちを、 ぼう、と、ただ、ただ、眺め続けていた。 了
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